喜連川五月女坂の戦い・後
それは、突然の出来事だった。初頭の奇襲から小規模な攻撃のみ仕掛けてきていた那須勢が、早朝全軍で総攻撃を始めたのだった。
宇都宮勢ははじめこの攻撃をいつもの小規模攻撃だとたかをくくっていた。しかし時間が経つにつれそれが誤りだと分かってきた。彼らはその代償を自らの血で支払うこととなった。
「報告!多功隊、突破されました!」
「満川隊、支えきれません!」
「大門隊、退却致すとのことです!」
「薬師寺隊……」
宇都宮尚綱の元には、次々とその被害が伝わって来ていた。そしてその被害状況を鑑み、これ以上の戦は不可能だと悟った。
「……撤退する。皆に伝えてこい。半刻のちに出立する。それまでは各自持ち堪えよ!」
尚綱の命令にもかかわらず、その後の戦況は思わしくなかった。各所で那須勢に突き崩され突破を許していた。
(これは……半刻ももたないかもしれぬ。しかし、万が一にも大将が単独で離脱するとなっては命あっても戦後背く輩が出てくるだろう。そうなるとわが宇都宮の勢力は更に弱体化していく……。さて、どうするべきか。)
尚綱がそう思案していると、俄に周囲が騒がしくなってきた。そしてそのざわめき、切り合う音や馬のヒヅメの音は、こちらへと迫ってくる。
(……!まさか、那須修理大夫がここまで迫って来たのか!?)
その予感は的中した。前方から陣幕を薙ぎ倒し、騎馬に乗った武者が6、7騎で尚綱のいる本陣に突入してきたのはそれからすぐのことだった。
「死ねぇ!宇都宮野州!!!」
そのうちの一人、最も華美な鎧を着けた武者が尚綱に手にした太刀を振り下ろす。周りで控えていた馬廻達が尚綱を守るため駆け出したが、辿り着くまでには時間が少なすぎた。尚綱はその太刀を自らの刀で受け止める事ができなかった。
「ぐゎ!」
辺りに、血吹雪が舞った。
「御屋形様!」
「ぐぅ……おのれぇ、修理大夫めぇ!喰らえぇ!」
尚綱は振り下ろされた刃によって切り裂かれた右目を押さえながら、右手に持った刀で高資の身体を渾身の力で斬りつけた。
「ぬおお!」
斬りつけた刀は高資の身体こそ切り裂くことの出来なかったものの、右手を深く斬りつけ遂にはその腕を持ち主の元から完全に斬り落とした。
「くっ……まだまだっ!」
「諦めください、御屋形様!これ以上深入りすると袋のネズミです!ここはお引きになってください!」
高資が慣れない左腕でまだも尚綱を斬りつけようとする所に家臣が割って入って静止する。事実、少しづつではあるが本陣の馬廻達が集まり、高資の首を狙おうとしていた。
「……仕方あるまい。宇都宮野州!次はその首、無いと思え!」
高資はそう捨て台詞を吐くと、家臣らに周りを守られながら未だ混乱収まらない宇都宮勢の中を退却して行った。彼らの姿は直に混乱する宇都宮勢のなかに見えなくなった。
「御屋形様!ご無事ですか!」
「誰か御屋形様の手当をしろ!」
ひと息つくと、周囲の馬廻達と救護要員が尚綱の元へ駆け寄ってきた。彼らが右目の傷の応急手当をしている間、尚綱は何かを考えながらじっと那須高資の去っていった方向を見ていた。
──親父が帰ってきた。自らの軍勢と共に。けれども彼らは皆ボロボロで、大将であるはずの親父も右目に包帯を巻いていた。
「ちちうえ、だいじょうぶですか!」
「うむ、大丈夫だ。伊勢寿丸。お前の言葉で命を救われたわ。そのお陰で儂は那須の悪党共を追っ払うことがてきたわい。」
そう言って親父はカラカラと笑う。しかし、軍勢のボロボロ具合から見ても、どう考えても大丈夫ではない。それに……
「ですがちちうえ、みぎめに……」
「おお、これか。右目はな、敵方の那須修理に斬られてしまっての、お返しに奴の右腕を貰ってやったわ。我が右目で奴の利き腕を奪ってやれたのなら、安いものよ。」
親父の話を聞くと、今回の戦は大将同士が切り合いをするほどの相当な激戦だったのが伺えた。それに、後々盗み聞きでどんな様子だったのか探ってみると両者とも指揮官クラスが何人も戦死し、重臣にも死者が出る位のものだったらしい。
この戦で、俺は自分の無力さを感じた。もし前世でこの戦について知っていればもっと被害を減らせたかもしれない。
俺がもっと戦術、戦略について知っていれば死んでしまった人の中で生き残っていた人もいたかもしれない。
だから俺は、その日から少しづつだが戦術、戦略について学ぶようになった。また、思い出せる限りの前世の知識を見つからないような形で纏めることを始めた。
全ては俺の為、そして将来ついてくるであろう家臣や領民達のためだ。