喜連川五月女坂の戦い・前
1549年 9月 下野国 喜連川にて
突如として宇都宮領に侵攻してきた那須高資率いる那須勢を食い止め、打ち破るため宇都宮城より2500の兵を率いてきた宇都宮尚綱は、前方で響き渡る槍や刀、叫び声を聞きながら此度の戦は楽に終わりそうだと息をついていた。
(この様子だと那須勢は小勢、それ程の軍勢では我々に敵うはずなどあるまい)
そう考えた尚綱は、頭の中で既に今後の戦略を考え始めていた。しかしそこに、急に伝令がやって来ると本陣にいる諸将に向かってこう叫んだ。
「報告!五月女坂より、敵の伏兵が現れ奇襲を仕掛けた模様!我軍は混乱しております!」
まずい。尚綱はそう直感した。宇都宮勢は多人数ではあるが、それ故に思うように統率が取れず結果的に奇襲に対して有効な戦法が採れない。その為、一度混乱を起こせばそのまま軍が自壊することもあり得た。
(このままだと大損害、良くても退却は免れない……か?)
大損害を被ることだけは避けなければ。そう考え軍勢を鼓舞するため前方に出ようとした尚綱の頭の中に、突然息子の言葉が頭によぎった。
「ゆだんたいてきです!」
(油断大敵、か。儂は敵を小勢と侮っておった。その結果、勝利どころか一転して危機に陥ってしまったわ。く、あの時慢心しておらず、細かく付近を調べておけば……!)
そう痛感しながらも軍勢を立て直すために一人前方へと向かおうとする。そして、これこそが慢心なのだと気付き、ほくそ笑む。
(ふふ、これでは先程痛感したことの二の舞ではないか。またもや伊勢寿丸に教えられたわ。)
「よし、これより前方にて全軍の混乱を収めにいく。横田の兄弟達は手勢を率いて儂に続いてこいっ。」
「「「「「はっ!」」」」」
戦の前線近くにまで来ると、そこは大混乱に陥っていた。小勢ながらも精強な那須勢に押され、兵卒はおろか将官まで槍を持って応戦する始末だった。
「宇都宮野州殿とお見受けした!その首貰い受ける!」
「何おう!小癪な!」
尚綱も度々切り合い、突き合いになったが難なくこれを下し、次第に宇都宮勢の統率もとれ始めたその時だった。
「宇都宮野州、覚悟!」
那須勢側より放たれた一本の矢が、尚綱目がけて一直線に飛んできた。そしてその矢は尚綱の急所に過たず突き刺さる筈だった。
「ぐぬっ!くっ、何奴か!」
しかし間一髪、尚綱は自らの腕でその矢を受け止めた。矢は左腕に深々と突き刺さり衣に血で日の丸を描いていた。
「くっ、外したか。しかし次は外さぬ!」
そう言うと那須方の武者がもう一度尚綱に狙いを定め、矢をつがえようとする。
「させるかぁ!!」
そこに横田5兄弟の一人、綱維が己の槍を投げ、矢が放たれるのを妨げる。
「ぐあぁ!」
投げられた槍は射手の肩を貫き、勢いのまま武者を騎馬から吹き飛ばした。
「御屋形様、ご無事ですか!」
矢によって左腕に傷を受けた尚綱の元に、横田5兄弟達が駆け寄ってくる。主君の安否を案じているようだ。その問いに答えるよう尚綱は周囲に向かって呼びかける。
「儂は無事じゃ!何も問題はない!」
そして自らの無事を伝えた後、軍を立て直すため辺りに向かって大声で叫んだ。
「皆のもの!那須勢は精強ではあるが、数が少ない!奴らの姑息な手に惑わされるな!怯え、逃げ出してはならぬ!あともう少しだけ持ち堪えるのだ!さすれば必ず勝機が現れる!それまでの辛抱じゃ!」
それからの宇都宮勢は、これまでの混乱ぶりから打って変わって統制を取り戻し那須勢の奇襲にも動ずることなく対処が行えるまでになった。
これに焦りを覚えたのが那須勢の大将、那須高資である。一発逆転を狙って行った奇襲がかえって団結を強めることになり、賭けにも近かった今回の戦にもはや勝機が無くなったからだ。
(このまま小規模な奇襲を繰り返したとしても、その度対処され、すり潰されるのは必至。ならばいっその事、全軍で一斉攻撃を仕掛け、大将の首をとり軍が瓦解するのを狙うか……)
「……よし、お主ら、明日早朝に宇都宮勢に奇襲を仕掛ける。奴らは奇襲を小勢で仕掛けたと思い込み容易く蹴散らせると侮って油断があるに違いない。そこを突く。そして一気に奴らの陣を突破し、宇都宮野州の首をとる!」