1「黒い手袋をした少女」
ここは現世とは違う、異世界。
その緑深き密林の中。見るからに華奢な少女が左肩に少年を担ぎ、疾走していた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
そのすぐ後を、斧を持った筋肉質の老人が、周囲を警戒しながら走っていた。
彼らを追う猿型のモンスターの群れが、後方から迫っていたのだ。
「まさかこんな群れが襲って来るとは思わなかった……はぁ……はぁ」
「ハァ……ハァ……だが、爺と一緒に来たのが救いか……」
「はは……感謝しろよ、小娘!」
「ああ、あとでコイツにお礼を言わしてやる!」
そう言うと少女は、自分の左肩に担いだ少年に目をやる。気絶したまま意識の無い少年を。
群れから一匹が飛び出した!
勢いに乗ったモンスターは老人の横から襲いかかる。
老人の反応は早く、それをかわした。
「はぁ……はぁ、クッ! ちょこまかと小賢しい奴らめ!」
老人のすぐ後ろを、幾つものモンスターが迫る。
また群れから一匹が飛び出し、老人の背に狙いを定めた。
「しゃらくさい!」
襲い迫る鋭い爪が、老人の背を貫く瞬間。振り向きざまに斧を払い、モンスターの体を真っ二つに切った。
「ハァ……ハァ……爺! 大丈夫か!」
「大丈夫だ、しかしこの数はちと厳しいか――」
走る速度の落ちた老人に、次々とが襲いかかってくる。地面を駆け迫る者、茂みの中から飛び出す者、木の上から落下する者と、多彩な手段で老人に攻撃を仕掛けた。
老人は降り掛かる脅威に対抗すべく、その場で足を止めた。手に持った斧を構え、応戦の体勢を取る。
「小娘! ここは俺が食い止める。先にゆけ!」
「すまない、頼んだぞ!」
老人の叫び少女に止まらず急げと促す。彼女は答えるも、振り返らずに駆け抜けていった。
「さあて、お前ら覚悟しろ! ここは通さぬぞ!」
鋭い爪を持つモンスター。一匹でも十分に強いのだが、真の脅威はその集団行動にある。
一斉に老人目掛けて飛び掛かった。
「ぬ、うりゃ――」
老人は不敵な笑みを浮かべて、襲いかかるモンスターを次々と切り刻む。老人の見た目とは裏腹に、その反射神経は一級物。斧を軽々と操り、瞬時にモンスターを絶命させていった。
老人の圧倒的な攻撃力に、モンスターは成すすべ無くその数を減らしていく。
このまま奴らを撃退出来そうだと、一瞬気が緩んだ隙に、群れから数匹が飛び出した。老人には目もくれず、背後を駆け抜けていったのだ。
「くッ! しまった!」
不意を突かれた老人は、それを追いかける事が出来ない。目前の群れに囲まれて、足止めされてしまった。
少女は道無き密集した大木の間を、風のごとく縫うように駆け抜けていた。
その走りは、肩に担いだ少年を全く苦としていなかった。そして右手には、細身の長剣を握っている。
駆ける少女の振動で、少年の意識が覚醒した。
「……あれ、ココは?」
悪路を小刻みに駆け抜ける少女。
「うわ、ウエ、ウエ――!」
あまりの振動でお腹が圧迫されて、声が上手く出ない。
「ハァ……ハァ……ん! 気が付いたようだな!」
美しい少女の声が聞こえた。少年は声のした方を向くが、頭を後ろに担がれたせいで、少女のなびく長い黒髪が視界に入るだけだった。
「な、な、なんか……カッコわるいな僕。ウエッ」
悪路のせいで、たまに少女の肩が少年のお腹に食い込む。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「ちょっと、下ろしてもらえます? ……ウエッ」
「ハァ……今は駄目だ! 我慢しろ!」
「ええぇぇ――ウぅッ」
少年はちょっと抵抗しようとしたが、何故か体が動かない。
仕方無い、この少女に従っている事にしようか。と、考えていたが、ふとある事を思い出した。
「あの、ちょっとすいません。僕はこれから友達の家に行く約束があるので――――」
「お前、何を寝ぼけた事を言っている」
「――――下ろしてほしいなって、へ?」
「お前の言う……ハァ……友達の家など、もうココには無い!」
「いやいや。だって僕は、ついさっき町中を歩いてましたから……」
「ハァ……、お前の言うついさっきと……ハァ……今では全く別だ!」
「別って、はあ?」
「とにかく……ハァ……落ち着いたらゆっくり話してやるから……ハァ」
少年は少女が何を言っているのか、さっぱり解らない。
それにしても懸命に走り続けているのは、一体どうしてだろうと考える。
(いや、何かから逃げているのかな?)
すると、後方から迫ってくる影が少年の目に映った。それも猛烈な勢いで。
「ねえねえ。何かこっちに迫ってきますよ」
少年の声に反応して少女は一瞬振り返ったが、構わずそのまま走り続ける。
「チッ! 奴らめ、追ってきやがったか……ハァ」
「え、え、どうするんですか。これどうするんですかぁ?」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「うわ、うわ~~もう近くまで! 直ぐ近くに来てますよっ!」
「うるさい! 黙れ!」
少女は苛立ち一括。
「あ、はい、すみません」
少年黙る……と思いきや、
「飛ぶぞ!!」
少女の掛け声と同時に、大きな段差を飛び降りた。
「うひゃ――――ッ、グゲエェェ!」
着地の瞬間、今日イチのショルダーが少年のお腹に入った。
「あ゛ぁ゛――死ぬぅ~」
涙目の少年。
追ってきたモンスターも、段差を利用して大きくジャンプ。その内一匹が木の枝を利用した反動でスピードアップ、高速で少女達に突っ込んできた。
「あっ、あっ、来ます来ますっ避けて――!」
「うるさい! 判っているから静かにしろ!」
モンスターの鋭い爪が少年の顔面に突き刺さる瞬間、少女が屈みながら方向転換しギリギリで躱した。
「ひぃ~間一髪」
「おい、奴らは何匹だ!」
と、少女に訊かれた少年は後方を見回す。真後ろから迫る2匹と先程襲ってきて立ち止まっているのが1匹見えた。
「え、えっと恐らく……3匹です」
「ハァ……ハァ、よし……あそこが良い……下ろすぞ!」
そう言って少女は、目の前に迫る一際太い木の根元に少年を放り投げた。
「えっ!」
投げられた彼は空中で大きく一回転。大木に背中から打ち付けられて、のそのまま根元に落下した。
「ッ――――!」
「そこでおとなしくしていろ、すぐ終わらせる!」
少年は、お腹の痛みと背中の激痛で、意識が飛びそうだった。
が、すんでのところで堪え、少女を確認する。だが既に敵に向い合っていて、後ろ姿しか見えなかった。
「あ――。顔見えない」
と、少年は呟く。
体の動かないので、せめて背を大木で守ったのだろう。彼を危険な目に遭わせないために、自分はこの位置で戦っていれば大丈夫な筈だと考えて。
少女は細身の長剣を構え、戦闘態勢に。
猿型モンスターはその鋭い爪を武器に、3匹のチームワークで牽制しながら巧みに仕掛けてきた。
だが、少女は落ち着いていた。モンスターの動きを見切り、長剣を巧みに操る。時折反撃のチャンスを伺いながら。
身動きの取れない少年は、しばらく彼女の戦いっぷりに見入っていた。
美しく舞い踊るような剣捌き、全く無駄のない動きに見とれてしまう。
しかし、ふと少女のある事に気付いたのだ。
(あの、両手に嵌めている黒い手袋って……まさか!)
突然モンスターの動きが変わった。2匹が強引に少女の目前に迫ったのだ。
彼女はそれを待ていたかのように剣を振りぬき、1匹は首を落とし、立て続けにもう1匹を真っ二つに。
隠れていた3匹目が飛び上がった。少女の頭上を飛びこえ、少年に襲い掛かろうとしていた。
「チッ、しまった!」
「うわ――ッ来る来る来る――ッ!!」
少女は、背後に向ったモンスターを追いかける。
少年に鋭い爪が切り掛かる瞬間、目の前で猿の顔が真っ二つになった。
その勢いで、グロテスクな亡骸が彼の顔にぶち当る。
少年は泡を吹き、再び気絶したのだった。