17「夢の中の刺客」
暗闇の何もない空間に、僕が浮かんでいた。
どの方向を見ても何もない空間。
何処が上か下かも解らない。無重力の宇宙を彷徨っているようだった。
今僕は、夢を見ているのだろうか。
しばらくすると目の前に小さな白い影が現われた。徐々に大きく膨らんでゆく。
その影は大きくなるにつれ、人の形になっていった。
輪郭の曖昧な人型の影が、僕に近づいてきた。
『やあ、マサキ君。そっちの世界は気に入ったかね?』
輪郭のはっきりしないその影から、音声変換器を通したような声が聞こえてきた。
僕は身動きせず、黙っていた。
『おや……返事がありませんね。まだ新しい世界で覚醒していないのかな?』
影は両腕を少し上げて、僕に問いかける。
「……」
影は、僕の周りをふわふわと移動している。
『いいや、そんなはずは無い。黙っていても駄目ですマサキ君』
僕の正面で止まり、右手を指した。
『今ここにいる君の姿、私達には見えていますからね。その目が私の影を捉えていることも』
僕は思わす眉をひそめて、握りこぶしを作ってしまった。
『ほらやっぱり! 私の事、しっかりと認識している。騙す事など無理だよ』
僕はなるべく黙っていたかったが、仕方なく返答した。
「視えていますよ。なんとなくですけど……」
『…………結構。それでよろしい』
影の、上からの物言いが少し気に入らない。
『おっと、自己紹介を忘れてたよ。私達は、人々を救うために日夜活動をする組織です。マサキ君達をそっちの世界へ転送した者だよ』
お、お前たちか!
『おや? 急に怖い顔になった。まあ、気持ちは分かるよ、何も知らされずに転送させられたから。でもね、私たちだって好んでそうした訳じゃない。ちゃんと理由がある』
「その理由って何ですか」
『あぁ…………。今は言えないな』
ふざけてる、タチの悪い愉快犯にやられたとしか思えない。今のところこの組織に係わった被害者は、イズミ先輩、アキと僕を含めて3人だ。
『我々はこうやって時々、マサキ君達の様子を窺いに来るから、そこは大船に乗ったと思ってくれ』
その船が泥じゃなければ良いのだが。そもそも船など存在すらしていない可能性だってある。
『ただ、君とこうしてコンタクト出来ても、其方の世界で日常何をしていてどんな事が起きているのか私達は知る術が無いからね。できれば今日の出来事を教えてほしいなぁ』
「…………」
『……と、私達は思ってますけど?』
僕は沈黙を続けた。
『え~と、やっぱり話してくれないか。まあ、そうなるだろうとは思ってたよ。あの気の強い彼女と行動を共にしていれば尚更か』
目前の影の真意が掴めていない今は、イズミ先輩の言っていた通りこっちの情報を伝える訳にはいかない。ましてや僕達は彼らから一方的なまでの被害を受けている身だ。与えた情報によっては、自分等が不利になる可能性だって考えられる。そうなってしまえば今よりもっとまずい事になってしまうだろう。
「質問があります」
と、僕は警戒の声で訊く。
『ふぅ……仕方ありません、どうぞ』
「今こうして貴方と会話しているこの闇の空間は一体?」
『そうですねぇ。簡単に言えば、ここは君の夢の中だよ』
「えっ、僕の夢の中って?」
『ちょっと信じられないと思うがね。予め君の脳の一部に、私達と交信できる為の領域を確保した。通常この通信機能は君が眠っている時にしか使用できない仕様だ。少し不便だけどね。
でも、この空間は他の雑音などが入らないし、秘密裏に情報交換できるメリットが大きい。意外と良いシステムだと私達は思っているよ。
まだ確認は取れていないのだが、途中で外から誰かに起こされてしまうと、そこで通信が切れてしまう。下手をすると通信念波の影響で記憶障害を発生させる可能性がありえる。
まあ、一応注意事項のようなものだ。厳守する必要はない、自己責任だからな』
勝手に僕の脳を改造したって事か、全く気分の良い話ではない。
人を拉致して同意無しに異世界に放り込んでいる時点で、確実に犯罪組織だ。
「もう一つ質問、なぜ僕だったんですか? 他の人でも良かったんじゃ」
白い影は、そんな決まり切った事と言わんばかりに鼻を鳴らした。
『君は非常に優れた能力の持ち主だった。しかも転送に適合していた。それだけ』
「優れた能力? 転送に適合?」
『他の二人を含めて、君達みたいな人材は滅多にいないからね』
「それは光栄だな!」
突然横から女性の声がした。
僕はもう一つの声が聞こえた方を視る。
そこには先輩が立っていた。
僕には彼女の姿がはっきり見えた。暗闇の空間にはっきりと浮かび上がった小野イズミの姿。なんとも不思議で魅惑的に映っていた。
あれ? 手袋をしていない!
何時でもどんな時でも、必ず両手に嵌めていた黒い手袋。今はそれをしていなかった。
夢の中での姿なのだろうか、それとも僕の願望が映像となったのか。
いずれにしろ彼女の素手を初めて見た事になる。その手は細く美しいかった。
先輩と僕は一呼吸分目を合わせて、再び白い影を睨んだ。
『おや、これはイズミさん。これは驚いた、ここに現れるとは……』
「アタシは今やっと眠れたところだ。まさかマサキと一緒になるとは思わなかったよ」
『そのようだね、私達も想定外だったよ。システム上こうなってしまうとは、要改善かな』
「いいや、変更しないで頂こう。このほうが都合いいかもしれんからな」
『ふむ、まあ良いでしょう。システムが改善出来るまでだ。考えようによっては、1対1よりは賑やかで盛り上がるかな』
「何をふざけた事を、お前ら何人でアタシ達の事をモニターしてやがる! 何が1対1だ!」
『それは酷い言いがかりだ。いつもお話するのは私一人だけのはず。ああ、喋っているのは私一人だけだった。イズミさんはずぅっっっと黙ったまま』
「お前らが信用出来ないからな」
『人が傷つく事、ハッキリ言うなぁ。でも今日は嬉しいですよ。はじめてイズミさんとの会話が成立した。マサキ君を転送したのは大正解だったよ、相棒は必要だと改めて確認できたよ』
白い影の表情は全く判らない。でも身振り手振りで動いてるから、今はなんとなく御満悦って感じだった。嫌だなこいつ。
『あぁ、余り長く会話出来ないので、そろそろ終わりの時間だ。その前に、イズミさん。最後に一つ報告です』
「…………」
『……また、だんまり? イイですけどね』
先輩は少し警戒している様子だった。当然喋る気配は無い。
『あなたのお母さん、心労でしょうか、それとも病気かな、昨日入院しましたよ』
先輩の表情が明らかに変わった。
肩を震わせ、怒りをあらわにしている。
「今すぐ……今すぐにこの世界から出せ!」
先輩は大声で怒鳴った。
「アタシを出せ! 戻せ!!」
怒鳴った声は、悲しみの声でもあった。少し震えた声。
『駄目ですよ、戻れません。魔王を倒さない限りね』
「ふざけるな!」
先輩は、白い影に飛びかかった。
しかし白い影はたたそこに映し出された印影。それを捕えようとする腕は、ただ空を掴むだけだった。
「今すぐ! このふざけた世界から――!」
白い影はその場で揺らいでいるのみ。
それでも彼女は、何度も何度も白い影を殴っていた。
歯を食い縛り、涙をこらえて。
『それでは時間です。また会いましょう』
白い影は消えてしまった。
「出せ、戻せ、あ゛あ゛――――っ」
先輩はその場に跪いた。
首は項垂れ、嗚咽の声が漏れていた。
僕は彼女に近寄り、声を掛けようとした。
だが、掛ける言葉が出てこなかった。