9. 本物の愛
彼女に招かれくつろぐよう指示されたリビングは、高校生二人が居座るには広すぎるものだった。白を貴重にしたそのリビングを、複数の照明が照らしていて、こんな家で生まれたら僕の美術の成績ももう少しよかっただろうなと思えるほど洒落ていた。
僕はL字型の大きなソファーに腰掛け、キッチンでお茶を淹れる彼女を待った。寛げとは言われたものの、同級生の女の子の家で二人っきりで、その相手が相手だと言うこともあり、僕は落ち着きなく周りを見渡した。
すると、ヨーロピアン調の白のタンスの上に、幼いヒナちゃんが椅子に座り、それを挟んで立つ男女二人、まず間違いなく両親であろう、が写った写真が飾られていた。
ヒナちゃんの父であろう、真面目を絵に描いたようなその男性は、ヒナちゃんに似ている要素はどこにもなかった。本当に彼女の父親なのだろうかと疑いたくもなる。
が、しかし、その隣で佇む女性は、間違いなくヒナちゃんの母親であることは、この距離からでも言い切れた。
その女性と今のヒナちゃんは、一瞬同一人物かと思うほど似通っていて、ヒナちゃんよりも高い身長と、ヒナちゃんよりも冷たく知的な印象を残すその目に気づかなければ、実際勘違いしていただろう。
この清廉潔白そうな男女の家庭から、ヒナちゃんのような女の子が育つとは。ご両親には同情しかない。
「はい、どうぞー。って、何見てるのー。恥ずかしいなーもう」
準備を終え、紅茶と茶菓子を持ってきたヒナちゃんが、僕の視線の先に気づき写真立てを倒して見えないようにした。
僕は、彼女に今日にを抱いていたと思われるのが嫌で、なるべく皮肉めいた言い方をした。
「ヒナちゃんにもあんな可愛らしい頃があったんだね。意外だよ」
「もー、何言ってるのー。今も可愛いでしょー」
そう言い彼女は、両手の人差し指を口元に置き、にっこりと笑った。その、挑発的とも言えるわざとらしいあざとさに、何か言い返してやろうと思ったが、事実は事実だったので言い返すこともできなかった。その代わりに僕は黙って紅茶を飲んだ。淹れた紅茶など数える程しか飲んだことのない僕でも、その紅茶はかなりいいものだとわかった。
「どう、美味しい?」
「....うん、美味しいよ」
「そっかー。よかったー♪」
彼女は満足そうに笑うと、L字型のソファの短い方に座り、自分も紅茶を飲みくつろぎだした。
......このままではただのお茶会だ。僕も彼女もそのつもりではないだろう。彼女は随分言いにくそうな様子だったし、ここは僕がリードすべきだろう。
僕は紅茶を一気に飲み干し、彼女に問いかけた。
「で、何か話したいことがあるから、わざわざ家に招き入れたんじゃないの?」
「........ん、そうだね」
彼女は少しの沈黙の後、変に落ち着いた様子で口を開いた。その落ち着きはいかにも演技で、僕の中での彼女のイメージに、これまたそぐわないものであった。
この突けば壊れるような平静を壊したくなった僕は、間髪を容れず、意地悪に急かした。
「じゃあ、話してもらえる?早く帰らないと家族に心配かけちゃうからさ」
嘘だ。家族が僕の心配なんてものをしているとは思えない。いや、父親は別かな。まだ貸していないエロゲーあるし。
僕の思っていた通り、彼女の表情はこの程度の急かしで崩れた。とは言っても少しの変化だったのだが、初めて彼女に優位な立場を取れたことに満足した僕は、調子に乗って続けた。
「どうしたの?何か言いにくいことでもある?ヒナちゃんにも、そんな感情あるんだね」
「む、そりゃあるよー。私のことなんだと思ってるのー」
ヒナちゃんは少しムッとした様子で言った。いけないいけない。彼女の機嫌を損ねてどうする。彼女が城ヶ崎さんらに対して何をしてきたかと言うことをもう一度ちゃんと思い出さなくては。
僕は慌ててフォローに回る。
「あまり印象は良くないね。だからこそ、今頃君が何を言おうと、受け入れられる自信があるよ。だから、安心して話してもらえたらいいんだけど」
「.......ん、それもそうだね」
僕の拙いフォローが案外効果があったようで、彼女は少しの沈黙の後、納得したように頷いた。そして、重々しく口を動かし、話し始めた。
「さっきさ、悠人くん言ったでしょ。何で私が、結奈ちゃんと愛佳ちゃんの仲を、悪くしたがってるのかーって」
「うん、言ったね」
「それで、さっきは適当言ってごまかしたんだけどー、実際、どうしてかなーって考えてみたんだ」
「.......もしかして、自分のやったことを悔い改めて、止める気になったとか」
「いや、それはないんだけど」
彼女は僕の一筋の希望をあっさりと否定し、話を続けた。
「それでね.....まあ、何と無く、これかなーって言う、理由、見つけたんだけどさ」
そう言ったかと思うと、彼女はまた口を閉ざしてしまった。どうやらその理由というのが、彼女の口を重くしているらしい。僕は彼女が少しでも喋りやすくなるよう、なるべく優しい口調で言った。
「大丈夫だよ。否定なんてしないから」
「......ほんと?」
「本当」
「.......」
彼女は一度硬く口を結んだかと思うと、決心がついたのか、再び口を開いた。
「あ.......」
「あ?」
「あ.........」
「愛......かな」
「.........................................ん?」
今彼女はなんて言った?アイ?アイというのは、あの愛のことを言っているのか?
..........いやいやいや、それはない。何であの凶行の理由が愛なんだ。そんなはずがない、きっと僕の聞き間違いだ。
.....わかったぞ!きっと彼女は『アイ』ではなく『アイナメ』と言ったのだ。僕が『ナメ』の部分を上手く聞き取れなかったんだ。そうだ、そうに違いない。
ちなみに『アイナメ』というのは、魚類カサゴ目アイナメ科の1種。日本沿岸の比較的塩分濃度の低い岩礁域に広く生息する底生魚で、食用にもなる。シーボルトが妻の名を学名につけたことで知られる。(Wikipediaより抜粋)
........いや待て、さらに意味がわからなくなったぞ!何であの凶行の理由が魚なんだ!?愛なんかよりよっぽど意味不明だ!
「ね、ねぇ、何か言ってよ。頑張って勇気出して言ったんだからさー。黙り込まれるとかなり辛いよぉー」
頭を抱え動かなくなった僕に、ヒナちゃんは心配そうに話しかけてきた。その声は心底不安そうで、あのヒナちゃんの口から出てきたものとはとても思えなかった。
僕は彼女の目を見つめ、一切の意思疎通の弊害がないよう、ハキハキ喋ることを心がけてから、口を開いた。
「アイ、というのは、あの、人と人同士が、想い合う行為、を指す言葉、であってます?」
「....................」
ヒナちゃんは黙ってうなずいた。
つまりこれは、彼女が、人と人が想い合う、あの『愛』を求めて、今回の騒動を起こしたということになる。
........いや、本当に意味がわからない!!少なくとも僕は、今回のことのせいで、ヒナちゃんを愛そうなんて気は、全く起きないと言い切れるぞ!!それは綾小路さんも同じはずで、ことの真相を知れば城ヶ崎さんだって間違いなくそうなるはず。........はぁ?もう意味わかんない。
いい加減頭が痛くなってきた僕は、考えるのをやめ、ヒナちゃんに問うことにした。
「ごめん、ちょっと意味がわかってないから、説明してもらってもいい?」
「......ん、そうだね、急すぎたよね。わかった」
彼女は僕から目をそらし、ボソボソと喋り始めた。
「その、結奈ちゃんの、愛佳ちゃんに対する愛情が、本物なのかどうかを、見たかったというか」
「......ほ、本物?」
「うん、その、結奈ちゃんが、愛佳ちゃんのことを見捨てるところも、見たいといえば見たいんだけど.......でも、それ以上に、愛佳ちゃんが自分の嫌いないじめをしてても、クラスで孤立してても、愛佳ちゃんと仲良くし続ける結奈ちゃんもみたいというか......そういう『本物の愛』を、見てみたいなって」
...........なる、ほどなぁ。何となくだけど、掴めてきた気がする。
多分彼女は、しっかりと人から愛情を受けたことがないのではなかろうか。
先ほど見た写真の中のご両親は、写真を見ただけの僕がいうのも失礼な話なのだが、あまり娘に愛情を注ぐようなタイプではないように思えた。
お父さんは、いかにも生真面目なエリートで、仕事優先で家庭を顧みない人だ、と言われても簡単に受け入れることができる。
お母さんはお母さんで、先ほども言ったように冷たく知的な印象を与える人で、娘を甘やかすところを想像するのは難しかった。
今現在僕たちが二人っきりのことを考えると、もしかしたらお母さんも働いているのかもしれない。共働きの家庭に生まれ、しっかりと愛情を受けることなく育った彼女が、愛を求めるようになった、なんて話は、あってもおかしいものではないと言えるか。
しかし、そうだと仮定したところで、わからないところがある。
なぜ、ヒナちゃんは、彼女自身が愛されることを望まず、他人が愛し合うところを見たいのだろうか。
........いや、もしかしたら、すでに求めたのかもしれない。両親か、友人か、恋人か、誰かに愛を求めて、そして、その期待を裏切られるようなことがあったのかもしれない。
その結果、彼女は人の愛に対して疑心暗鬼が生じるようになり、その解消のために『本物の愛』というやつを求めるようになった。しかし、もう一度自分が裏切られるのは嫌だから、それの実行は他人に任せた。とか。
この僕の妄想は、もしかしたら正しいのかもしれない。だがそれが正しかろうが、正しくなかろうが、僕が思うことは一つだ。
こいつ、かっっっなり拗らせてんなぁ!!!!
うわぁ〜キツキツキツー!!!マジきついってーこれー!!!こんだけの拗らせはマジで無理だわーヤバイって〜!!!
いや、さっきも言った通り家庭内の事情とかあるかもしんないけどさーそれでもきっついのはきついわけですよ。
だって..................『本物の愛』だよ.............?
嫌ぁぁぁああむりむりむりむり!!!!!!そんなパワーワード使われたらもうこっちとしてはどうしようもないって!!!!現役中学生シンガーソングライターでも避けれるよそんな地雷ワード!!!!
嫌ぁもう無理〜帰りたいよぉ〜。こんな痛い女と一緒にいるの嫌だよぉ〜。鳥肌ビンビンだよぉ〜。ユウーチカお家帰るぅぅ〜。
.......いやいや待て待て。都合はいい。都合はいいんだ。ここは我慢だ、我慢。何とか耐えるんだ。
僕は今すぐ逃げ出したい気持ちを必死に抑え、何とか彼女との会話を続けることに成功した。
「そ、その、ほ、本物の、あ、愛?が見たいっていう理由がわかったわけだから、別に、それって綾小路さんと城ヶ崎さんじゃなくても見れるわけだから、もう、二人に対する嫌がらせ、やめても良いよね?」
「......まあね」
「そ、そっか。よかったよかった。じゃあ。これで」
「ただし、一つ条件があるの」
「ん?」
条件?何、『本物の愛』を見るのを手伝え、とか?うわーきついなーそれ。まあ何にしても、受け入れるしかないんだけどさー。『本物の愛』とか言い出すような彼女に、今頃何言われても動揺しない自信あるわ。
僕の予想は、ほとんど正解だったが、僕の動揺を誘う結果にもなった。
「君の彼女探し、手伝わして欲しいんだよねー」
「........はぁ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
僕は耐えきれず飛び上がり、信じられないようなものを見るような目で彼女を見た。彼女はついに開き直ったのか、まっすぐ僕の目を見つめ、堂々とした様子で続けた。
「結奈ちゃんはダメなんでしょ?だったら私に『本物の愛』を見せてくれそうなの、私の周りでは君くらいのものだろうからさー。ね?良いでしょ?」
良いでしょって............ん?いや、別に良いか。
もともと、僕が犠牲になるつもりだったし、というか、ただ彼女を探されることが、犠牲だとも思えないし。
その程度で収まってくれるなら、それが一番良い。
僕もちょうど、絶対に寝取られない女の子を探しているところだし、『本物の愛』とやらを見たがっている彼女には好都合だろう。
僕は塾考の末、口を開いた。
「.......わかった。良いよ。その代わり、約束してよ。もう城ヶ崎さんたちに何もしないって」
「うんっ!約束するする!よかったー。話してみるもんだねー」
彼女はすっきりとした様子で胸をなでおろした。どうやら、これで全て解決したようだ。案外簡単な結末と、途中の衝撃的な告白に、思わずぼーっとしてしまっているが、喜ぶべき結果だ。
「それでさー、どこまでやって良いー?」
「え?」
.......なんか、嫌な予感がする。
「だから、どこまでやって良いかなーって。一応確認しといたほうがいいでしょ」
「......どこまでやって良い?」
「うん、君の彼女が浮気するよう、どこまでやって良い?....あっ、君のゲームみたいに薬使ったり、無理やり犯したりとかはしないよー?私、犯罪者になりたいわけじゃないからさー。それに、私の美学にも合わないしー。あくまで私は一人の女子高生ができるレベルでやるからさー、それ以外の制限はなしでいいよね?」
............うわ、これ、最悪だ。
「......待って。君が、僕の彼女になる人間に、嫌がらせをすることは確定なの?」
「え?そりゃそうだよー。だって、そうしなきゃ証明にならないでしょー?」
「.......い、いや、そんなことないよ。それ以外にも」
「いやいや、これが一番良いってー。私の妨害に負けずに、カップル同士で愛し合ってるのを見るのもいいし、私の思い通りに、彼女が君を裏切り浮気した後、君がそれでも彼女を愛し続けられるかどうかも見たいし、とにかくお得でしかないよー」
「いやお得じゃないよ!!!僕が全然お得じゃない!!!言っただろ!!!寝取られたくないの!!!僕は!!!絶対に嫌だって!!!!」
「いやいや、悠人くんもお得だよー。だって、絶対に浮気しない女の子を見つけたいんでしょー?でも、彼女が本当に浮気しない女の子かどうかなんて、実際に試してみないとわかんないでしょー」
「.........じゅ、順番が違うんだよなぁ!!!僕は絶対に寝取られたくないから絶対に寝取られない彼女を探してんの!!!寝取られない彼女を探すために彼女を寝取られてどうすんだよ!!!」
「だからー、絶対に寝取られない彼女、ていうのを探すためには、実際に試してみるしかないんだって。絶対に寝取られたくないと思ってる君が、安心して彼女とラブラブするためには、必要な犠牲なんだよー。逆に、実際に試すこともなく付き合った彼女を、君は絶対に寝取られない彼女だと自信を持って言えるのー?君が勝手にそう思ってるだけで、裏ではそんな子じゃないかもよ」
「...........そ、そんなこと、ない。僕は自分の審美眼に自信を持ってるんだ!君の力なんて借りなくて大丈夫だ!」
「私に騙されて愛佳ちゃんが緒方くんのことが好きだなんて思い込んでた人がよくいうね」
「...........うぇぉ」
彼女の言葉に対しての反論が思いつかなかった僕は、死にかけの九官鳥のように鳴いた。彼女はそんな僕を満足そうに見ながら、話を続けた。
「私は見たいものが見れて、君は探したいものが見つかる。お互い得しかしないでしょー?」
「.......いや、待て。明らかに得してない人がいるぞ。僕の彼女だ。君のその自分勝手な欲望に付き合わされて振り回されるんだから。これ以上の損はないだろう」
「........うーん、まあ、そうだけどさー」
彼女は鬱陶しそうに髪をかいた後、仕方なさそうな様子で言った。
「じゃ、わかった。その君の未来の彼女を、絶対に不幸にしないから。むしろ幸せだって、本人の口から聞かせてあげるから。それでいいでしょー?」
............彼女のいうことが本当なら、この話は、受けるべきか?いや、でも、もしかしたら、この話を受けることによって、僕の未来の彼女が寝取られてしまうかもしれないんだぞ。
だがしかし、彼女の申し出を断れば、綾小路さんと城ヶ崎さんはこの悪女にズタボロにされてしまうだろう。それをただ傍観するという選択肢は僕にはない。
.........寝取られなければいいだけの話だ。
そうだ、何を不安になっているんだ。僕が絶対に寝取られない彼女を、作ればいい。僕の当初の目標そのままを実行すればいいんだ。
確かに今回はヒナちゃんに騙されたが、それは彼女の悪意ある工作があってのものだ。ありとあらゆるNTRものをやり尽くした僕に、本来死角などない。まず間違いなく絶対に寝取られない彼女を見つけ出せるはずなんだ。そうだ、何も心配することはない。
僕の未来の彼女には悪いことをしてしまう。裏でよくわからん女に勝手に試されていたことを知れば、ショックを受けることだろう。ただ、そのおかげで二人の少女が救われたと知れば、きっと喜んでくれるはずだ。
僕は覚悟を決め、口を開いた。
「わかった。いいよ。その代わり、僕の未来の彼女を不幸にしないって、しっかり約束してよ」
「うんっ!わかってるっ!!いやーよかった〜♬楽しくなりそうだねっ、悠人くんっ」
彼女はそう言い、今までの彼女のものとは違う、純粋無垢な笑顔を見せた。その笑顔に、不覚にもドキッとしてしまった僕は、それを誤魔化すため不機嫌な顔を作った。
「言っておくけど、僕はもし彼女に浮気されたら、多分別れるよ。君の言う『本物の愛』なんて物は、見せれないと思うけど」
そう言った後、まずいことを言ってしまったと後悔したが、彼女は全く気にした様子もなく返してきた。
「ん、それはそれでいいよ。君でそれだったらもうしょうがないし」
「.......あっそう」
随分とこの短期間で信用を得たものだ。不幸中の幸いとはまさにこの事だな。
しかし、これでとりあえず当面は平和な生活が帰ってきそうだ。そう考えると、今までの疲れがどっと降りかかってきた。僕は壁掛け時計に目をやると、それは9時を示していた。帰宅の理由には何不自由ない時間だ。
もうそろそろ帰ると言う僕に、彼女は連絡手段の交換を申し出てきた。断りたいのは山々だったが、うまく断る理由が思いつかなかったので、しぶしぶ彼女の提案を受け入れ、帰路に着いた。
こうして僕たちの不思議な関係は、構築されたのであった。