10. 和解?
「愛佳ちゃん、本当にごめんなさいっ!!!愛佳ちゃんのアカが乗っ取られてるなんて思わなくて、酷いこと言っちゃったの!!ほんとに、ほんとにごめんなさい!!」
そう言いヒナちゃんは城ヶ崎さんに向かって深く頭を下げた。僕はクラスメイトの反応を見るため辺りを見渡すと、驚愕の表情でこちらを見る綾小路さんと目が合った。そういえば彼女に事の顛末を伝えていなかった。悪いことをしたな。
結局ヒナちゃんは僕との約束をしっかり守ってくれたようで、クラスの真ん中で堂々と謝罪してくれた。これで、城ヶ崎さんに対するクラスメイト達の嫌な視線も、かなり収まってくるはずだ。あとは僕が城ヶ崎さんと仲良くすれば.......と思っていたのだが、聞き耳を立てる限り、もうクラスメイトたちは僕のことなんてほとんど忘れてしまっているようなので、どうやらその必要はなさそうだ。城ヶ崎さんからしたら、僕と仲良くするなんてごめんだろうし、とすると、僕にできることはもうないかな。
僕は未だ謝り続けるヒナちゃんと、それを呆然とした様子で見つめる城ヶ崎さんを視界の隅に収めながら、教室を出た。これ以上教室にいるのが気まずくなったのだ。この茶番のような謝罪劇を仕組んだ本人なのだから、そう感じても仕方がないだろう。教室の状況が落ち着くまで、外で空気でも吸っていよう。
僕は教室を出た後、この数日間でだいぶ馴染んだ飼育小屋へと足を運んだ。相変わらず人っ子一人いないこの場所は、唯一の友達がリア充グループにいて、非常に話しかけづらい僕にとっては、定番スポットとなり得そうだ。
僕は薄汚れたベンチを手で払って腰掛け、途中買った缶コーヒーで喉を潤した。授業が始まるまで後数分もないので、こんなところでくつろいでいる暇など本来ないのだが、どうも教室に戻る気がしない。理由は単純明快なもので、教室にはヒナちゃんがいるからである。
ヒナちゃんがしっかり僕との約束を守ったのだ。僕も約束を守らなければならない。これが非常に憂鬱なのだ。
今になって思えば、僕の彼女が絶対に幸せになる結末を用意するという約束も、僕にとっては辛いものなのだ。彼女が浮気して、しかも幸せになってるだなんて、一番きつい彼女の寝取られ方だ。もしそんなことが現実で起これば、僕の精神は崩壊してしまうだろう。
彼女を探すふりをして、結局高校では彼女を作らなければいいのではないかとも考えたが、ヒナちゃんがそんなことを許すはずがないという結論がすぐに出た。きっと彼女なら、僕が不登校になろうが約束を守らせるに違いない。
「はぁ............」
思わずため息が口をついて出た。結局一人になったらなったで、嫌なことばかり考えてしまう。ここが定番スポットになることはどうやら無さそうだな。
僕はベンチから立ち上がり、教室に戻るため歩き出した。すると、誰かを探しているのか、金色のサイドテールを左右に揺らし、辺りを見渡す綾小路さんを遠目に見た。
あの状態の教室を抜け出して、一体誰を探しているのだろうか。もしかして僕か?だったら、僕から声をかけるべきだろうか。
いや、待て待て。それはちょっと自意識過剰すぎやしないか。SNSの投稿の8割が自撮りの30代後半のOL並みに自意識過剰だ。そんな生き恥を晒すわけにはいかない。ここはスルーだな。
僕はなるべく自然体で歩き続けることに決めた。徐々に綾小路さんとの距離が縮んでいき、ついに彼女が僕を見て「あっ!!!」と声をあげた。
これはもう完全に僕を探しているということでいいんじゃないか?
いや、待て待て。僕を見ているというのは勘違いで、後ろの人に声をかけてるパターンのやつかもしれない。僕の後ろにSNSの投稿の8割が自撮りの30代後半のOLがいて、その人に声をかけているのかもしれない。一体どんな関係なんだ。
「桜庭くんっ!探してたんだよっ!」
綾小路さんはこちらに向かって手をブンブン振りながらそう言った。もうこれは間違いなく僕を探していたということでいいだろう。
いや、待て待て。僕の後ろにSNSの投稿の8割が自撮りの30代後半のOLがいて、その人の名前が桜庭くんなのかもしれない。どんなOLだ。
その心配は流石に無理があるので、僕も小さく手を振り綾小路さんに答えた。彼女は小走りでこちらに寄ってきて、少しでも油断すれば顔と顔が触れ合ってしまいそうな距離で、息を切らせながら言った。
「桜庭くんっ、あれ、どうなってんのっ!?なんでヒナちゃんがアイカに謝ってんの!?桜庭くんが何かやってくれたの!?ね、だって、あの後桜庭くんとヒナちゃん帰ってこなかったし、何かあったんだよね!?すっごい心配してたんだよ!?でもアイカのこともあるし、あたしもう頭おかしくなっちゃいそうで...頑張ったんだよ!?でも全然何にもできなくて、あたし、ほんとダメな子だよっ!!!」
「ちょ、とりあえず落ち着いて」
綾小路さんの唾が僕の顔に三度当たった時、僕は彼女を制止した。別に嫌だったというわけではない。むしろ全然嫌じゃなかったからこそ止めたのだ。これ以上やっかいな性壁を抱えるわけにはいかない。
僕の苦悩をつゆ知らず、制止も御構い無しに彼女は続けた。
「これが落ち着いてはいられないよっ!!もしかしてヒナちゃんが悪いっていうのはあたしの勘違い!?いやそんなはずないんだけどっ...いやっ、そんなちゃんとした根拠があるわけじゃないんだけどっ、今までのヒナちゃんのこと考えたら...でもヒナちゃんが悪くないんだったらっ、あたしそんなのでヒナちゃんを悪者にしちゃってたということで......あたしどうしたらいいのかなっ!?」
「だ、大丈夫だって。その心配は必要ないよ」
「........へっ?どういうこと?」
僕は綾小路さんにことの顛末を説明した、といってもそれは虚実の混ざったものであった。
ヒナちゃんが、綾小路さんと城ヶ崎さんの関係を引き裂こうとしていたことについては正直に話した。綾小路さんは元々ヒナちゃんがよからぬことを考えていると思っていたわけだし、それを知ってもそこまでショックを受けないと判断したのだ。
結果綾小路さんは、かなりの憤りを見せたものの、少したつとむしろ先ほどより落ち着いた様子で、続きを促した。
なぜヒナちゃんが、綾小路さんと城ヶ崎さんを引き裂こうとしていたかについては、聞かれなかったので言わなかった。きっと彼女なりに自己解決したのではないかと思う。
正直助かった。聞かれてもうまく説明できる自信がない。
偽ったのは、ヒナちゃんがなぜそれをやめたかという話だ。
自意識過剰かもしれないが、僕とヒナちゃんの約束によって、城ヶ崎さんと綾小路さんの関係を弄り回そうというヒナちゃんの悪趣味な計画が頓挫したことを伝えると、僕が恩着せがましい男のように思われるのではないかと心配だったのだ。
それによって不足した部分は嘘の下手な僕の創作で埋められ、当然の如く綾小路さんに不信感を与えた。
「......それって、ほんと?....その、桜庭くんのことを疑うわけじゃないんだけど、それだけで、ヒナちゃんが引き下がるようには思えなくって.....」
うーん。まあ、それは本当にその通りだな。さて、どうするべきだろうか。
綾小路さんが、自分たちがヒナちゃんの魔の手から逃れられた理由を正確に知りたいと思うのは、考えてみれば当たり前だ。彼女からすれば、いつヒナちゃんの気が変わって、また嫌がらせが始まるか気が気ではないはずなのだ。その嫌がらせの抑止力がどの程度のものなのか、知りたくなって当たり前である。
ここは小さいことなんて気にせずに、綾小路さんを安心させるべきだ、と考えた僕は口を開こうとしたが、割り込む声に邪魔をされた。
「そうだよー。しっかり説明してあげたらー?じゃないと、結奈ちゃんが安心できないよー」
その声の主は、ヒナちゃんだった。
彼女は驚きのあまり固まってしまった綾小路さんを尻目に、僕の横に並んだ。こんないいタイミングで現れたのだから、さぞかし得意げな顔をしているのかと思ったら、一応笑顔は笑顔なのだが、かなり無理しているであろう引きつった笑顔であった。そしてその顔を僕の方に向け、話し始めた。
「悠人くんはね、結奈ちゃんたちの代わりをかってでてくれたんだよー。ね?悠人くん?」
その問いには有無を言わせぬものがあり、僕は思わず黙って頷いていた。
途端先ほどまで固まっていた綾小路さんが、怒りを顔に滲ませ、ヒナちゃんに詰め寄っていた。
「どういうこと!?あたし達の代わりに桜庭くんのこといじめるつもりっ!?ヒナちゃん、ほんとひどいよ!!なんでそんなに人を傷つけるようなことしたいの!?信じられないっ!!!」
「あははー、ごめんねー。でも、悠人くんはいいって言ってるからさー。ね?悠人くん?」
ヒナちゃんの問いに僕は頷き、綾小路さんの怒りを収めるため話し始めた。
「綾小路さん、大丈夫だよ。代わりって言っても、別にいじめを受けるわけじゃないから........。ただ単に、ヒナちゃんの退屈しのぎに付き合うだけだよ」
綾小路さんの表情は怒りから困惑に変わり、心配そうに僕のことを見つめた後、恐る恐る僕に聞いてきた。
「た、退屈しのぎって、その、具体的には、どういうことするの?......その、おせっかいかもしれないけど、心配だよ......」
「うん、本当におせっかいだねー。私と悠人くんの間での話で、結奈ちゃんには関係のないことだからねー。それがわかったらさっさと」
「ヒナちゃんが僕の彼女を探すんだ」
僕はヒナちゃんの言葉を遮る形で、綾小路さんに説明した。綾小路さんはその細く形の整った眉を八の字にして、不安げに口を開いた。
「か、彼女ってっ...彼氏彼女の彼女のこと!?」
「うん....まあ、変な話なんだけど」
「変な話ってレベルじゃないよっ!?なんでそんなことになっちゃたの!?」
「うん、それは」
突如右足に激痛が走り、僕は思わずうめき声をあげた。見ると、僕の右足にヒナちゃんの左足が突き刺さっていた。誇張抜きで、本当に突き刺さっていたのだ。
それを見た綾小路さんは、怒りとドヤ顔が混ざったような顔で僕を見つめ叫んだ。
「ほらっ!桜庭くん、足踏まれてるっ!!やっぱりヒナちゃんっ、桜庭くんのこといじめるつもりだよっ!!!」
「......もうっ、ほんと煩いなー。そんなことしないって。私、悠人くんのこと、好きだからさー」
そう言ってヒナちゃんは僕の腕に自分の腕を絡ませた。非常に柔らかい感触が僕の腕を包んだ。思わず「僕も好きです」と言ってしまいそうなる。危ない危ない。これ以上この場をこじらせるわけにはいかない。
綾小路さんはそのヒナちゃんの行動に一瞬ひるんだが、すぐに攻勢を強めた。
「そんなのおかしいよ!!だって、ヒナちゃんが本当に桜庭くんのこと好きだったら、桜庭くんの彼女を探す意味がわかんないもん!」
「..........はぁぁ」
ヒナちゃんは大きくため息をついた後、たっぷりの皮肉を込めて言った。
「男の子と女の子の間にだって、友情は成立するんだよ?私を結奈ちゃんみたいに男の子を性の対象としか見てないビッチと一緒にしないでよー」
「なっ........!!!」
ヒナちゃんの言葉に綾小路さんは愕然とした後、怒りに肩を震わせ、顔を真っ赤にして俯いた。
僕はヒナちゃんの手を振りほどき、彼女を睨みつけながら言った。
「おい、言い過ぎだろ」
「えー、言い過ぎじゃないよー。実際結奈ちゃんビッチだし」
「...っ!ビッチじゃないもんっ!!!」
「ビッチだって。だからいじめられたんでしょー?」
「.......違うもんっ!!!ビッチじゃないもんっ!!!それはっ、みんなが誤解したから」
「誤解じゃないでしょー。実際友達の彼女取りまくってたらしいじゃん。それなのに」
「おい、約束が違うぞ」
僕は綾小路さんに詰め寄るヒナちゃんの腕を掴み、無理やりこちらに引っ張った。ヒナちゃんは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに嫌味ったらしい笑顔を見せた。
「わかってるって。約束はしっかり守るよー。でも、その約束の邪魔をされそうになったんだから仕方ないでしょー。君も約束守る気があるんだったら、しっかり結奈ちゃんを説得してよー」
.....まあ、言っていることはわからないでもない。腹は立つが。
僕は綾小路さんの方を向き直り、彼女に不安を与えないよう、なるべく穏やかに言ってみせた。
「綾小路さん、心配してくれてありがとう。でも、本当に僕は大丈夫だよ。僕、ヒナちゃんのこと信頼してるから。絶対に僕との約束を守るって信じてるからさ」
「.......そ、それ、ほんと?」
「うん、本当」
力強く頷いた僕を、ヒナちゃんは満足そうに見た後、これまた嫌味ったらしい笑顔で綾小路さんを見た。
「ね?わかった、結奈ちゃん?結奈ちゃんのおせっかいは本当に無駄なの。ね?もう邪魔しないでねー」
そう言い大袈裟に手を振ってみせるヒナちゃんに、綾小路さんは悔しそうな視線を送った。味方してあげたいところだが、これ以上彼女がヒナちゃんに関わってしまうのは危険なので、ここは申し訳ないが傍観しておこう。
そんな僕を横目に見て、ヒナちゃんは得意げに言った。
「もうとっくの前に授業始まってるしー、優等生の結奈ちゃんは早く教室に戻ったらー?私たちはフケちゃおーっと。ね?悠人くん」
そう言い僕の手を握ったヒナちゃんの目には一切の笑みがなく、僕に拒否権がないことを伝えていた。僕は黙って頷いた。ヒナちゃんは満足そうに笑い、綾小路さんに向き直った。
「と、いうことでっ、そういうことだから、じゃあねー、結奈ちゃん」
僕はヒナちゃんに手を引かれ、呆然とした様子の綾小路さんをおいて、その場を離れた。