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matataki

無音を求めた歩道橋~聞こえない言葉と唯一伝わる音について

作者: 大橋 秀人

 瞬くと、上り始めた歩道橋のその先に、幾重にも重なる立体交差が聳えていた。

 眼下にも大河のような幹線道路が流れている。

 止め処なく行き交う車の音。

 上なのか、下なのか。

 ただ、近づいては遠ざかっていくのだけはわかる。

 ここは誰も気に留めることのない通過地点。

 深夜2時。

 交通量は減る気配を見せていない。

 全く止む気配のない、方向性のない音。

 僕たちはその中央に架かる、取り残されたような歩道橋に足をかけていた。




 勢いで行ける所まで行った後、止まる寸前で自転車を降りて流れのまま押し始める。 


「押すよ」


 小走りで追いついてきたアヤメは、息を切らして荷台に手をかけた。


「いいよ」


 そんな小さな体に僕はにべもなく返す。


 “どうしてついてくるんだよ”


 そう言わんばかりに。


 

 怯んだのも一瞬で、どこかで芯の通った視線を向け、彼女は押す手に力を籠める。


 僕は気付かないふりをする。




 ———孤独を求めてここに来たのに―――


 一人になりたい時、僕は必ずここを訪れた。

 帰り道から逸れることにはなるが、不規則な轟音に身を晒していると半自動で頭を空っぽにできる。

 轟音がすべての音を掻き消して無音になるこの場所を割かし気に入っていた。


「あのさ、あの・・・」

 アヤメは無理に何かを言おうとしている。

 きっと気を遣ってくれているのだろうが、不器用で言葉は出てこない。

 代わりに、まっすぐこっちを見上げてくる。


「お前んち真逆だよね」


 だから来た道をわざと見やる。

 階段を上る足取りは緩めない。

 もうすぐ、話し声が聞こえなくなる。


「だって――――――」

 声を大にしても掻き消されるほどの轟音が迫っていた。

「だって、ほっとけないじゃない―――」

 アヤメは声を張り上げてそんなことを言う。

 サークルの中でも浮いている自分に、どうしてこんなに親身になってくれるのか。

 その理由は明白だった。

 もはや隠してすらいないのだろうこともわかっていた。

 でも僕は気付かないふりをしていた。

 なぜなら、僕はそんな人間じゃないから。

 人に好きになってもらえるような人間じゃないんだから―――。


 今日だってそうだった。

 粋がって喧嘩を吹っかけて、酔いに任せて悪態をついてしまった。

 みんなが仲良くしているのが気に入らなかった。

 みんなで和気あいあいとできたらどんなにいいだろうと思っている。

 でも、サークルの中で僕は嫌われ役になっていた。

 加入当初から我を通し続けた結果、いつしか気難しい人間だというレッテルを貼られてしまった。

 いや、現に自分はそういう人間なのだろう。

 だからこそ距離を置かれる羽目になったのだから。


 そんな自分のどこが良く映ったのか疑問だが、アヤメの気持ちはわかりやすかった。

【真面目なんだね】

 と何度か言われたことがあるが、僕たちの共通点としたら恐らくそれくらいだろう。

 彼女も超が付くほどのまじめな人間だった。

 そして、同じく超が付くほど不器用でもあった。

 そんな彼女を見ていられず何度か手を差し伸べたのが原因かもしれない。



「明日、今日のことは素直に謝———」


 階段を上り終えると、もはや耳元で大声を張り上げて何とか内容を聞き取れるくらいのものだった。

 僕は轟音より、アヤメの一言の方がうるさく感じた。

 どうしてこの子は、こんな自分のことを嫌にならないんだろう。


 歩道橋の真ん中で立ち止まる。


「どうしてついてくるんだよ」


 そして我慢していた言葉を叫んでしまう。

 自分を繋ぎとめてくれる彼女を突き放すようなことを言ってしまった。


 僕の叫びを聞き留めたアヤメは、一頻り困惑した後、目に涙をため始める。

 彼女はひどく悔しそうな表情を浮かべる。

 今にも零れそうなほど涙を溜めて、聞こえるわけのない大きさの独り言をぶつけてくる。

 視線はずっとこちらを貫くように見定めている。


 もう何も聞こえなかった。

 

 暗闇の中、線状の光が無数に通り過ぎていく。


 ガソリンとタイヤの焦げた匂いが降りていた。


「好きだからに決まってるでしょうが!」


 怒るようなアヤメの叫びは、どういうわけかそのまま鼓膜を揺らした。


 本当の一瞬、断続的だった轟音が止んだ合間に、彼女の言葉は僕に届いたのだった。


「うそ? 聞かれちゃっ――――」


 僕は絶句してアヤメを見ていた。


 彼女の瞼にたまった涙が、振動に揺れていた。




 僕は確かに孤独を求めてここへ来た。

 轟音の中の無音を求めて。

 でも、その中でも届く言葉があった。

 彼女の想いは、無音の中で僕を貫いた。




 手から離れた自転車の倒れる音すら掻き消されていた。

 僕は彼女に歩み寄り、瞳を覗き込み、

「———」

 と短く打ち明ける。

 そして、耳を傾けようとしたアヤメを抱き寄せた。

 



“聞こえただろうか”



“いや、聞こえなくてもいい” 




僕は、腕の中で震えるアヤメを強く抱きしめる。




“伝わっているだろうか”


“いや、伝わっている”




音のない世界でも、伝わるものはある。

僕は確信する。

彼女にはきっと届いているだろう。


無音の中で、この鼓動が。


僕たちは歩道橋の真ん中で、二人にしか伝わらない音を交わした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 本物の心の声は偽りの言葉より胸に染み込んでくるものです。 彼の声はきっと、彼女の胸に深く染み込んだはずです。 いやぁ〜.さすが、大橋さん! 久しぶりにまともな純愛小説を拝ませていただきまし…
[良い点] 歩道橋の上で、騒音の中に交される主人公たちの大切な思いのやりとりが、騒がしい中の一瞬の静寂の中で伝わる、というところがドラマティックで良かったです。
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