第二話(四十一章~八十一章)
「苦しみと幸福」の後半です。
四十一
集会所で精神保健福祉士のKとの面談。
Kは言う。
「黒田さん、広子さんとはうまくいってる?」
僕は答える。
「うん。ケンカもせず順調に行ってるよ。以前は『出会いがない』が口癖だったけど、公園で誰かと知り合えるなんて思わなかったよ」
「意外な所に出会いはあるからね」
「前は僕、出会いなんてどこにもないって思ってた」
「……麦茶飲む? 私汲んでくるから」
「お願いします」
Kは席を外し、麦茶の入ったピッチャーを取りに行った。
彼女は僕を精神病棟から救い出した救いの神であり、今では良い友達である。
三十四歳くらいまでは、僕は文通をしているだけで、それ以外の友達は一人もいなかった。
中学三年のときには友達がいた。でも高校に行くと、もうその友達たちとは会わなかったし、高校の友達もできなかった。それは大学でも同じだった。
新しい環境――精神保健福祉の各種サービスを利用して生活する中で、精神保健福祉のスタッフの人たちと知り合えたことは幸福だった。
そういう流れの中でYと出会った。ちり紙一枚で鼻をかむため手に鼻水が付着しても平気であったり、食器を洗わずに放置するなど何かと汚い人で、潔癖症の僕が彼と出会えたことは幸運だと思う。ちなみに彼は実年齢が七十一歳、戸籍上の年齢が六十一歳である(彼はそう言っている)。
精神保健福祉のスタッフの中には、僕が好きになった女性もいた。でもスタッフと患者との間の交際はどうもやんわり禁止されているような雰囲気だった。それとも、女性スタッフが僕に「付き合ってください」と言わないのは、僕がもてないだけだろうか。
Kは麦茶を僕のコップに注いでくれた。そして言った。
「いやあ、寒いね。でも寒くてもここは冷たい麦茶を冷蔵庫に入れてある」
僕は答える。
「いいよ、冷たい麦茶もいいもんです」
麦茶の味は僕に何の感銘も与えなかったが、まずくもなかった。最近特においしいと思ったのは、ファミレスの「ガスト」にある黒豆茶だ。香ばしい味なのである。
Kは言う。
「最近小説は頑張ってる?」
僕は答える。
「まあ何とか。どうもね、幻聴さんは調教主義で、言葉では言わないんですよ。でも調教されてわかったんだ。小説を書くのを頑張った日は幻聴さんが僕に対して肯定的で、そうでない日は否定的なんだって」
「そう。前に頼んだけど、私を小説に出してくれた?」
「出した。ちょっとだけね」
遠くのソファで赤ちゃんのお守り役の人が赤ちゃんを抱いている。赤ちゃんが大きな声で泣いたので、Kは「ちょっと待ってね」と言って赤ちゃんのところに言った。
「ああ、あかり、ごめんごめん、一人にしてすまなかったね」
Kはあかりちゃんを抱いたまま立ち上がって、左右に揺らした。
僕もKのそばに行ってあかりちゃんを間近に観察した。僕が手を伸ばすとあかりちゃんは僕の人差し指をぎゅっとつかんで放さなかった。
四十二
今日はクリスマスイブ。
家族三人で楽しく過ごした。
ローストチキンもケーキも食べた。
広子さんはパーティーのあと「きっと少し太るね」と言った。
僕はモニターに向かい、キーボードを打つ。
いつからか、中村由利子さんの曲が好きでなくなった。
コンサートに行ったが、そのときもあまり感動しなかった。
なぜだろう。
前はあんなにも好きだったのに。
好きな曲が二十曲くらい一挙に消えてしまったような気持ち。
引越しの時にはミニディスクが何枚かなくなった。だから聞く曲がなくなってしまった。(そのミニディスクに入っていた曲の大半は中村由利子さんの曲ではなかった)
僕は大学を休学した頃、もちろん学業からは離れたし、仕事もしていなかった。そのせいで神経症になったのか。
実は幻聴さんは神であり、怠け者を罰しているのか。
二十一歳から四十歳までの時間が無残に消えた。
最初からこう言えば良かったのに。
「黒田さん、大学にも戻らず、専門学校に行くでもなく、仕事もしないのであれば、私はあなたに罰を与えます。時間を有効に使ってください。そうすれば罰は与えません」
実際には神経症や統合失調症になり、苦しい年月が流れた。
何度も精神病棟に入れられ、人権侵害をされた。
苦痛だった。
南の国で、村のみんなと一緒に魚を獲り、唐揚げにして食べたりするのであればどんなにいいだろう。
先進国で統合失調症が回復しにくいのは、先進国というものが心にとってつらいことの多い国だからなのかもしれない。
日本の仕事といえば事務か営業、レジ係、掃除係、建設業など。どれも僕にとっては魅力のない仕事ばかりだ。
企業化されているのだ。日本の仕事は。
だから心が通わない。
日本の弱点はそこにある。
僕は今日も企業化されない「作家」になりたくて、キーボードを打つ。
神様はスパルタだ。僕を十九年間も精神障害にするなんて。
わかったよ、もうわかりました、小説を一生懸命書けばいいんでしょう! と僕は思った。
たくさんの稼ぎがあれば、広子さんと加奈ちゃんに楽をさせてあげることができるからね…… 寝ている二人に視線を投げかけながら、僕はそう思った。
四十三
日曜日。
この前来たのと同じホテルで広子さんと情事にふける。
当然、愛の報酬として子供ができるだろう。
広子さんの暖かさを感じ、僕は何度も果てた。
四十歳という遅い時期になったけど、心から好きだと言える妻が見つかって、本当によかった。
幻聴さんは営みの間は話しかけないでくれた。(一応、ジェントルマンなのだろうか?)
僕らはまた部屋でカップラーメンを食べたり、サングリアを飲んだりした。
こんなに楽しいのは高校時代以来だろうか。
高校時代には、深夜番組や早朝番組をビデオで録画して、夜の一一時頃から見ていた。
(当時はブルーレイレコーダーのかわりに、ビデオテープを使用するビデオデッキというものがあった)
それは夢の世界であり、僕は満たされたけれど、でも、友達も恋人もいない寂しさはだんだんつのった。
僕の人生がどんどん幸せなものになっていく。
イエス様の打ち傷が無駄でなかったように、僕の苦難の年月も報われつつあるということなのか。
長い苦しみだった。
これからは小説をなおいっそう頑張って書いていこう。
十二月三十日。
広子さんは「おせちなんて作れないよー」と弱音を吐く。
僕は「買ってきたおせちでいいよ」と言った。
事実そのとおりになった。
大晦日は、広子さんの作ったフキやシイタケなどの煮物、店で売っていたおせち、そして日本そばが夕食の内容だった。
僕は加奈ちゃんの食欲に目をみはった。
僕は言う。
「加奈ちゃん、どんどん食べるね」
加奈ちゃんは答える。
「私は子供だから」
「そうだね。子供はいくら食べても太らないよね」
「うん」
窓から空を見ると、東京でも二つ、三つの星は見つかる。
加奈ちゃんは除夜の鐘を聴きたいと言ったが、実際には一一時ごろになって「眠い」と言い、布団にもぐって寝てしまった。
良い一年が迎えられるように。
僕と広子さんはずっとお酌し合い、いつまでも辛口の日本酒を飲んでいるのだった。
四十四
正月明けのある夜。
神様に罰せられるのがいやで、「あつものに懲りてなますを吹く」状態になり、もう執筆を中断してもいい頃合いになっても僕は書き続けた。ちょっと我ながら狂気じみているとも思う。
本当は早くコンビニに行って日本酒を買ってきたいのだ。
そう思っていると、広子さんが向こうで「あ、酒がない」と言いながら日本酒の紙パックを左右に振った。そして言った。
「私、ちょっと酒買ってくるね」
僕は答える。
「うん。辛口を頼むね」
「うん。おつまみは何がいい?」
「ツナピコ」
「ツナピコ? そんなの今時売ってないでしょう」
ツナピコは魚肉を甘辛く味付けしてあるキューブ状のおつまみだ。最近見かけない。
僕は言い直す。
「じゃあ、柿ピー」
「わかった。買ってくる。加奈をお願いね」
「了解しました」
僕は執筆を中断し、パソコンをシャットダウンした。
加奈ちゃんはテレビを見ている。
僕は分裂気質者であり続けたけど、幻聴さんは多分分裂気質者の、プライドが高くキザっぽいところが嫌いなのだと思う。だから、統合失調症が治るように、僕は、分裂気質者と対極をなすそううつ気質者になろうと思った。
そして僕は風呂に入りながら、広子さんが酒を買って帰るのを待った。どうも僕らは最近、辛口の日本酒に中毒しているみたいだ。
加奈ちゃんはテレビを見るのをやめてゲームを始めた。何だろう、画面を見ると、モンスターと戦うよくあるタイプのゲームだ。僕も少年時代から二十代にかけてゲームばかりしていたのだから、やめたほうがいいよ、とは言えない。ゲームにのめりこむと危険だが、加奈ちゃんなら大丈夫だろう。
僕は唯一手放さなかったゲーム機「スーパーファミコン」とゲームソフト「聖剣伝説2」を段ボール箱から取り出し、加奈ちゃんに見せた。
加奈ちゃんは言った。
「何? これ」
僕は答えた。
「昔のゲームだよ。面白いからやってみな?」
「うん」
僕は配線をつないであげた。
二人プレイもできるゲームだが、加奈ちゃんの遊ぶ時間にずっと付き添うわけにもいかないので、一人で遊んでもらうことにした。
懐かしい音楽が流れてくる……
そして広子さんが帰ってきた。一升入りの日本酒の紙パックを両手に提げて。
僕はわかった。
聖剣伝説2を作った人たちは人生を「生きていた」のである。僕は男子校に入ったことに絶望し、もう高校一年の時は「死んでいた」。
大学に入っても恋も友情もなく、現実から遊離していた。
もう人生を取り戻すことはできないと何年間も思い続けたのち、広子さんや加奈ちゃんとの出会いがあった。
つまり、聖剣伝説2があんなに面白いのは、作った人たちの人生が反映されているから。人間関係もあり、結婚もしていく。そういう当たり前の現実を生きていた人たちだから、あんなに素晴らしいゲームが作れた。多分。
四十五
僕と広子さんはちゃぶ台の上でまた酒盛りを始めた。おつまみは柿ピーとビーフジャーキー。
広子さんは「加奈、おいで」と言った。加奈ちゃんはゲームに夢中になっていたが、スタートボタンを押してゲームを一時停止し、ビーフジャーキーを取りにきた。
広子さんは「よくかんで食べるんだよ」と言った。加奈ちゃんは食器棚からおわんをもってきて「柿ピーちょうだい」と言い、おわんに柿ピーを入れてくれるよう求めた。
広子さんは仕方なく、おわんに柿ピーを入れてあげた。
もらうものをもらった加奈ちゃんは再びゲームを遊び始める。
僕もゲームには夢中になったものだ。でもそれはいけないことだった。加奈ちゃんや、「モンハン」が好きな最近の人たちはゲームに溺れることはないだろう。
僕は現実を生きなかった。空想の魔力にとらわれ、精神障害になった。
これからは現実を生きるんだ。
僕は空想にふけってはいけない。
幻聴の主は犯罪者だと推定している。
常時話しかけ、苦しめているのは刑法の傷害にあたるだろう。
そんな邪悪な犯罪者を許してはいけない。
人の十五年間(統合失調症の時期)を奪い取った。神経症の時期もそうなら、十九年間だ。
賠償金は四千万円は請求できるだろう。
ただの犯罪。最初からそう思っていたが、激しい洗脳により、犯罪以外の何かだと思うことが多かった。
朝。
広子さんが大根か何かを切る音がする。
朝ごはんを作っているのだ。
彼女は間違えてかに玉を作ってしまった。
広子さんは言った。
「あの……仁さん、卵ダメだったよね?」
僕はうん、と答える。
「かに玉作っちゃった」
そう言う広子さんの右手には、かに玉を盛り付けた皿がある。
「いいよいいよ。かに玉おいしいから。食べるよ」
「ごめんね。今回だけ食べてね」
「わかった」
パソコンのUSBポートにはプリンターの端子が差してあるが、その前にコップを置くので、ケーブル部分が曲がってしまっている。
広子さんは大根の味噌汁やネギぬたなどをちゃぶ台へ運んでいる。
(やっぱり和食はいいなあ)と僕は思った。
四十六
新人賞が取れない。
最初は一個目の応募で新人賞が取れるくらいに自信を持っていた。でも、結局三つの新人賞に落選した。残っているのは七つだ。
僕は何のために小説を書いているのだろう。
神はもう「進路を変えろ」とさえ言いたげだ。
作家になど向いていないのかもしれない。
でも周囲の人たちに「作家志望です」とふれまわったのは僕自身だ。
どうしようか。
クスリを飲まなければ人を拉致監禁する汚い精神科。精神科と縁を切るには、弁護士に依頼しなければならない。そのためにたくさんのお金が必要だ。
だから、やはり作家を目指すしかないのだ。他の職業でもいいが、高収入の仕事はどれもつらい仕事のように思えてならない。
がんばろう。
今までは「三階建ての家に住むこと」が目標だったが、これは変えよう。
「弁護士に依頼して精神科と縁を切ること」を目標にしよう。
お金が必要だ。
たくさんのアニメを見てきた。そこには夢があった。でも現実はなかった。アニメを毎日録画して、酒を飲み、つまみを食べながら見ていた。そしてアニメを見ていないときはコンピューターゲームをしていた。そんな生活は好ましくなかった。僕は家の外に出て現実を体験すべきだった。
でも実際には、文通だけでなんとかなると思っていた。
そうはいかなかったのである。
少女達は次々処女を捨てていった。失われた処女性を携えて「会いたいです」などと手紙に書く少女もいた。僕は馬鹿にされていた。
人生はつらいことの連続であり、小さな喜びはあっても、大きな幸せなどどこにもないのかもしれない。
何よりまず精神科を僕の人生から追い出さなければ。
いいことは何もない。
人生はただ虚しい。
その虚しい人生を生きていくんだ。
精神科を自分の人生から追い出すことが目的だ。
それなら、努力する価値があるというものではないか。
精神科のクスリの副作用は三つくらいある。
○心身の苦痛
○精力が減退し、体液が減る
○太る
そんな有害なだけのクスリを飲み続けるわけにはいかない。
統合失調症に効くなどと言うくせに、薬局で配るあの何種類かのクスリには何の効き目もないではないか。
僕は何度、絶望を繰り返してきたことか。
死ぬまで希望は実現しないかもしれない。
それなら何のために生まれてきたのか。
苦しむために生まれてきたのか。多分そうなのだろう。
人は苦しむために生まれてくる。
世界に期待してはならない。失望させられるから!
四十七
僕は精神科と縁を切るためのお金を手に入れるために、作家になる。
それならかなり合理的だ。
怠けてはいけない。もしかしたら精力減退の副作用が永続的なものになってしまうかもしれない。いっとき、クスリをやめた。そうしたら精力は感心するほどに回復した。
効かないクスリなど体内に入れないほうがいい。
僕は最近の軍事と政治のニュースを見ていて、愛国者になりかけている。
日本を支配するアメリカ、ということを言う人もテレビに出ていた。
中国とも決して仲が良くはない日本。
どの国の人とも仲良くできる、という考えは幻想だったのか。
僕はこのことから、「社会常識」を持つことが重要だと思うようになった。
まず新聞を読み、ニュースを見るのがいい、と思った。
幻聴の主にいつまでも支配されているわけにはいかないのだ。
僕自身は何も欠けたところのない人間だ。成熟した大人。
その日は火曜日で、広子さんが帰ってくる前に僕が夕飯を作った。山芋の短冊切り、ほうれんそうのお浸し、ハタハタの焼いたもの。そして広子さんが帰ってきてから、土鍋に火を入れた。
土鍋には昆布と白菜、鱈、シイタケ、絹ごし豆腐を入れてある。
ゲームの疲れからか加奈ちゃんは眠っていたが、やがて起き出してちゃぶ台についた。
ガスコンロのガスの音がスー、と鳴り続けている。
今日は趣向を変えてビールである。友人のYは糖尿病なのでビールを飲まない。気の毒だと思う。僕自身はメタボリック症候群寸前だったにも関わらず、広子さんの野菜たっぷりの食事のおかげで、危機を脱した。
寒い冬だが、窓を開けると月が見えた。僕はすぐに窓とカーテンを閉め、再び部屋の暖気を求める。
子供はまだできないようだけど、幸せな家庭。僕はもはや何も不満がなかった。これを幸せというのだろう。
しかし別の考えも持った。人間は社会とつながっていなければならない、という考えを持った。
個人だけの幸せではいけないと思った。
僕は親友が二、三人いるが、深く狭い付き合いだ。もう少し友達が増えてもいいかもしれない。
そして、戦うこと。
敵と戦わなければならない。
僕がすべきことは、小説を書くことだ。
それを邪魔されているだけではいけない。
文学とは何か、ということだ。
四十八
いいことはない、と思っていたけど、十年くらい前は幸せだったことを思い出した。
神様の恵みを受けなくなったことが原因かもしれない。
神と人間の関係は切れてはいけない。
堕落以前の楽園のアダムのごとく、幸せを味わっていればいい。
そう思ったのだが、その後でネットをしていたら、「いや、違う」と思った。
この世界は災害でたくさんの人が死んでいく世界だし、多くの人が病気で死んでいく、そういう悲惨な世界なのである。
僕は、自分だけ、楽しい世界に住んでいる気持ちでいた。
この世界はそんな世界ではないのだ。
だからこそ、僕は一度はやめようと思った小説の執筆を続けたほうがいい。休んでいる場合ではない。
僕と広子さんは結婚式を挙げなかった。
団地の部屋で、デコレーションケーキと焼肉でパーティを開いた。広子さんと僕、そして加奈ちゃんだけのパーティ。
広子さんの実家と広子さん自身の関係は悪く、そして僕との関係も悪かった。
男は性機能に関連して痛みがあるわけではないので、女性よりも楽観に傾きやすいかもしれない。
楽観論が危険であるなら、原稿を書きながら、2リットルのアクエリアスゼロや、1.5リットルのコカコーラゼロを空けてしまうのはよくないかもしれない。
ルイボスティーだって一日に何リットルも飲んでいる。
多分腎臓に悪いと思うのだ。
ショーペンハウアーは「共苦」と言った。「自分も悲惨な世界に生きているという認識」を共苦というかもしれない。人と苦しみを分かち合うことを共苦というかもしれない。
そして。
僕は悲観的にならなければならない。
五〇万部も売れる小説など、僕には書けないかもしれない。多くの売れない作家は二百万円台の年収で生活しているとの文章をネットで見た気がする。
二百万円台。
それでも仕方がない。僕には小説しかない。他の仕事、例えばスーパーのアルバイトとか、そんな仕事で年収が三百万円を超えるとも思いにくい。作家のほうがいいだろう。さいわい、精神保健福祉士の友人のKがバックアップしてくれるとのことだ。
単位を取り、卒業論文を書き、大学を無事卒業していればいい会社に入ってそれなりの収入も得られたのかもしれないが、現実は悲惨だった。神経症と統合失調症によって二十代は失われてしまったし、二十代の時にはまだ仕事もしていなかった。
(三十代になって新聞配達などをしたが、新聞配達自体、七ケ月程度しか続かなかった。解雇されたのである。解雇の理由を聞かなかったのは失敗だった)
四十九
こうして思春期にも青春時代にもまともな恋を一度もしたことのない童貞が、運命によって作られた。
しかし四十歳になって、広子さんに奪われた。あまりにも遅いが、それが本当に不幸なことなのか。
世間の、いや世界の水準からみて、私が本当にとりわけ不幸なのかというと、そうでもない気がする。
東日本大震災でも大勢の人が亡くなった。
皆が不幸であるこの世界。
もし不幸な気持ちでない人がいるとしたら、彼は、最近までの僕と同様に、親戚や家族の病気を意識の外に追いやっている冷たい人間なのだ。親戚や家族が病気なら、自分も不幸な気持ちになるはずである。
今年、母の生まれた島根に住んでいたおばが死んだ。「また遊びにおいでね」と何度も僕に伝言してくれていた。でも僕は行かなかった。分裂気質者には冷たいところがあるというが、こういうところがその「冷たさ」なのかもしれない。
広子さんが帰ってきた。僕が玄関まで彼女を迎えに行くと、彼女は両手に買い物袋を提げていた。そしてこう言った。
「日本酒、二本買ってきたよ」
僕は答える。
「ありがとう。……でも、僕らもそろそろ病気に気をつけなきゃいけないね」
「そうだね」
僕が買い物袋を受け取ると、広子さんは靴を脱いでバスルームの方に行った。
僕はたずねた。
「風呂に入るの?」
広子さんは答える。
「そう。いまはなぜかすぐにお湯を浴びたくてね」
バスルームの扉が閉まり、シャワーの音が聞こえてくる。
僕は買い物袋の中身の一部を冷蔵庫に入れ、残りをちゃぶ台に残した。
僕は本当にこれでいいのだろうか。
幻聴の主が神であり、私が神に選ばれし者、神と直接交流できる特別な存在だとわかったとしても、それはシャーマン的な物の見方だけであり、精神医学は依然として神の声が聞こえる者を差別し、虐待し続ける。
いつか精神科のクスリをやめよう。
そのためには弁護士に依頼するためのお金が必要だ。
本当に、人生は悩みに満ちている。
アイスクリームを買いに行こうとしたが、今日は無駄なものをいっぱい買ったので、やめにした。カロリーのとりすぎも病気のもとだ。
僕はカロリーゼロの飲み物ならいいだろうと思って、団地から出てすぐの場所にある自動販売機でペプシネックスを二本買ってきた。そして部屋に戻ると、一本を冷蔵庫に、もう一本を自分で飲んだ。
加奈ちゃんが言う。
「なっちゃんオレンジは?」
僕は答える。
「ああ、忘れてた。もう一度買いに行ってくるね」
五十
僕の統合失調症は巫病であり、シャーマンに相談すれば快方へ向かうらしいと知ったので、少し救われた気持ちになった。
でもシャーマンなんてどこにいるのだろう。沖縄?
ネットで調べたら、実際の沖縄のシャーマンの方々は存在を隠しているのだということだった。
ますます困難。
どうしよう。
午後の執筆中だったが、気分転換も兼ねてミックスナッツでも買いに行くことにした。
コンビニは橋の先にある。
橋の真ん中あたりに来たとき、きれいな風景が見えた。
太陽が輝き、川の水が日の光を反射して光っている。
橋のたもとには交番があり、いつも信号無視を戒めている。
コンビニでは、ヘルシア(ジュース)の青と、ミックスナッツを買った。フランクフルトも買いたかったのだが、際限なく食べると太りすぎるので、買わなかった。
また川の光を見てから、橋を渡り切り、河川敷に下りた。わりときれいな川の水。
僕がただ川を見ていると、左手からカモがやってきて、すいすい泳いで行った。そのカモがかわいくてたまらなかった。
さらにサギのような白い鳥が対岸に着陸した。
ヘルシアを飲みながら自分のアパートへ帰った。
僕は救われるようだ。シャーマンを探して相談すればいい。参拝(神社だろうか)や社会奉仕も巫病を軽減するという。
コンビニのフランクフルトが食べたい。
最近はいつも肉類を食べたがっている。食べると満足するが、ある日鶏肉を四百グラムくらい食べたら、翌日尿が泡立っていたので、肉の食べすぎもいけないのかなと思った。
死ぬまで「統合失調症」から解放されないのかと思って絶望していたが、統合失調症ではなく「巫病」と呼ぶことが正しいとわかり、僕は安心した。
これなら、生きていける。
とりあえず一、二日に一回、神社を参拝しよう。もう年末。
元旦はYと、明治神宮に初詣に行くことにしてある。
精神科がはめた心の枷が外れて、僕は安心するに至った。
五十年後には、僕の体は焼かれて灰になる。無へと帰る。そして僕の残した作品が、僕の生きた証。
五十一
人生は苦味ばかり。ペルシャの詩人ハイヤームの説いたとおり、この世に生まれなかった者こそ幸せなのだと思う。
つらいことばかり起こるのがこの世界なら、自殺して世界を出て行くのが正しい。でも苦しくない自殺の方法などない。
何より、自殺すれば家族や広子さん、加奈ちゃんたちを悲しませることになる。
広子さんを専業主婦にし、加奈ちゃんを養う。僕はこもって小説を書く。
そうでないとだめだ。
小説を書く能力は少し持っているけど、対人関係能力が低いし、他の才能は何もないので、作家になるしかない。
僕ら三人は、東京都内にある広子さんの実家を訪れた。
広子さんのご両親は電話に出たときの声と同じで、不機嫌そうだった。
お父さんが広子さんに向かって言った。
「お前、二人目のダンナ、男前かもしれないけど、ダメ人間を拾ったな。色男、金と力はなかりけりって昔から言うからな」
広子さんは答える。
「そんな。仁さんはいま作家になろうとして一生懸命原稿を書いている時期なの。もう十個も新人賞に応募したんだよ」
「小説なんか、食えねえだろ。ま、長い目で見てやることにするわ」
そう言って広子さんのお父さんは家の中に戻った。
広子さんのお母さんは少なからず僕のハンサムさかげんに酔ってしまったようだった。女性のうちの七十パーセントくらいはそうなるようである。
彼女は僕に向かって言った。
「電話では失礼なことを言ってしまって……」
僕は答える。
「いえ、いいんですよ」
「さ、上がってください。よければ、夫の飲んでいる純米酒もありますから」
僕らは家に上がらせてもらった。
広子さんのお父さんはこたつにあたっている。僕らもこたつにあたらせてもらった。
広子さんのお母さん(清子さんというそうだ)は台所で何か作り始めた。もともと昼時に着くような時間に出発したのだ。
広子さんのお父さんは徹というのだと広子さんは教えてくれていた。
彼は言った。
「おい、何作ってんだ」
清子さんは答える。
「タラ鍋でも……」
「そんなものなんで作るんだ。俺のためにノシイカしか出さなかったじゃないか」
「せっかくのお客さんだし……」
「じゃあたくさん作れ。俺もたくさん食うから」
夫婦の仲は険悪なようである。
五二
徹さんは言った。
「純米酒、俺のだぞ。お前達はビールでも飲め」
そうして徹さんは純米酒を自分の背後に押しやった。
加奈ちゃんは清子さんの出したサイダーを飲んでいる。少し遅れて、僕らのところに五百ミリリットルの缶ビールが二本届いた。
僕は遠慮せずビールを飲む。
若い頃なら徹さんのような人とは話をするのもいやだったが、今の僕には彼が悪い人間でないことがわかる。
やがて鍋ができた。広子さんはこたつの上の板に焦げた鍋敷きを置いた。清子さんがそこに土鍋を置く。中はぐつぐつ煮立っている。
清子さんは言った。
「タラと豚肉の鍋です」
タラと豚肉の他には、白菜、しいたけ、結ばれた糸こんにゃくが入っていた。そして清子さんは取り皿を五つ持ってきて、そこにポン酢しょうゆを注いだ。
徹さんは言う。
「俺、ゴマだれのほうが好きって言わなかったか?」
広子さんが攻撃に出る。
「私ポン酢好きだけどな。母さんだってポン酢好きだけどな」
徹さんは言う。
「広子は口ばっかり達者になったな。お前、専門学校に行った学費、返せ」
「……返す。いつか返すから」
「すぐ返せ」
「今すぐには無理なんだよ。いまお金貯めてるところなんだ。もう少し待って」
徹さんは鍋を食べる。そしてまた口を開く。
「あー、ポン酢しょうゆはおいしくねえ!」
一同は沈黙してしまった。
僕が一本目のビールを飲み終わる頃、徹さんが僕に向かって言った。
「あんた、無口だな」
僕は答えた。
「はい。よく言われます」
僕は特にそれ以上話すことも思いつかなかった。
徹さんはさらに言った。
「加奈、お父さんはどこかに連れて行ってくれるか」
加奈ちゃんは、ううん、と答える。
ダメな父親だなあ、と徹さんは言った。
よしもとばななさんの小説である「アルゼンチンババア」に出てくるお父さんは、怒りを抱えていたんだと思う、みたいなことが書いてあった。徹さんも何かの怒りを抱えているんだ。僕はそう思った。
五三
徹さんに向けて言った。
「ゴマだれ、買ってきましょうか」
彼は意外そうな顔をして答えた。
「ああ、いいのか。それなら買ってきてくれ。待ってるから」
清子さんが言った。
「私が行きます。ゴマだれだけでなく牛肉と水菜も買ってきたいので」
結局僕は買い物に行かなくていいことになった。
そしてしばらく、徹さんと僕、広子さん、加奈ちゃんの四人の時間が続いた。徹さんは加奈ちゃんのことは嫌いでないようである。
徹さんは、若い頃に会社で失敗して解雇されたこと、一人っ子の広子さんが生まれたときはとてもかわいかったことなど、色々語ってくれた。
(ああ、この人はやっぱり悪い人じゃなかった)と僕は思った。
やがて清子さんが買い物から帰ってくる。
清子さんはスパークリングワインも買ってきていた。
徹さんは言う。
「何だそれ。シャンパン?」
「スパークリングワインですよ」
「高いんだろう」
「六百八十円」
「みんなで飲もう」
徹さんの顔には微笑みが見て取れた。
僕らは牛肉と水菜の味を楽しんだ。やっぱり肉は牛肉がおいしいなあ、と、僕はそう思いながら鍋を食べていた。
広子さんが暑そうにして、窓の方に行った。彼女が窓を開けると、涼しい空気が入ってくる。今は一月。寒い風だが、鍋で温まりすぎた体には心地よい寒気だった。
広子さんはすぐ満足したらしく、窓を閉めた。
彼女がカーテンを引こうとしたその時、外では雪が降り始めた様子だった。
僕らはおいとますることにした。
玄関まで迎えに来た徹さんは言った。
「仁君、広子を頼むぞ」
そう言って徹さんは干し柿を持たせてくれた。
手を振ってお別れした。だんだん小さくなる植田邸。
ますます執筆のほうをがんばらなければ、と思う僕だった。
統合失調症を「聖なる病」とみなし、その人は霊能者である「ユタ」に相談する、そんな文化が沖縄にはあるとかないとか。現代でもそんな文化が残っているのだろうか?
色々な文書を読むと、統合失調症はユタのようなシャーマンが相談に乗るものだということだ。精神病院は何か的外れなのである。
五十四
僕は自分に洗練を戒めた。
ローズヒップがどうの、アールグレイがどうのと言っている。そしてきれいな文章を心がけるも……
小学生時代の友達にSという少年がいた。彼は素朴な少年であり、僕と仲が良かった。
その少年のことを思い出した。
人間は洗練を強めると嫌味になるし、ボロも出やすい。Sのような素朴さが大事だと思った。
僕はその日の早朝、一人でカップラーメン(わかめラーメン)を作って食べていた。
ずるずる言う音で目が覚めたのか、広子さんが起きて、眠そうな目をこすった。
僕の伴侶。優しい妻。
広子さんは言った。
「わかめラーメン食べてるの? まだ一個あったよね?」
そう言って彼女は戸棚を探しに行った。
加奈ちゃんはまだ起きないようだ。
僕の人生は決して最低ではなかった。
苦しいことも多かったけど、いま、パソコンから聖剣伝説2の懐かしい音楽が聞こえている。いま僕は幸せな気持ちだ。
「聖なる病」もいつかは解決するかもしれない。(ただ、この街にシャーマンがいるかどうかはわからないのだ。精神保健福祉士のKに相談してみよう)
広子さんはわかめラーメンを食べると歯を磨いて、髪をすき、化粧をした。そして「行ってきまーす」と言って出ていった。
僕はなぜあんなにも豊かな心と体の広子さんを自分のものにすることができたのだろう。
それは基本、僕が素朴な人間だからに違いない。かっこつけも多いがもともとは素朴な人間なのだ。
加奈ちゃんが起きた。そして言った。
「わかめラーメンないの」
僕は答える。
「カツ煮があるから、ご飯に乗せてカツ丼にしな」
「うん」
「本当はわかめラーメンが食べたいんだろう」
「うん。本当はね」
「カツ煮で悪かったね」
「カツ丼も好き」
僕は台所に立った。
冷蔵庫からタッパーに入ったカツ煮を取り出して、電子レンジで温める。それをただ、炊飯器から丼に盛ったご飯に乗せた。
加奈ちゃんはおいしそうにカツ丼を食べた。
とても素直な子だが、自分の本当の気持ちを自分の中に押し込めてしまうところがあるのかもしれない。
僕も小さい頃は自分の思ったことを親の前で言えない子だった。
でも、どんなに子供時代の体験がつらかったのだとしても、人それぞれに苦労がある。
人生に不服なだけだった僕だけど、少しづつ納得できる心境になってくるのだった。
五十五
そろそろ体に気をつけなければならない年齢になった。
若い頃のような暴飲暴食もできないし、ただお腹一杯食べたというだけの食事も体重増加につながる。
色々と自由にできない。
でも、新人賞をもらってデビューしたら、お金を貯めて、屋上のある三階建ての家を建てるんだ。
いくら文章を洗練しても、いくらブログを洗練しても、僕という肉体と心、いまここにある僕自身は、弱くてかっこ悪い自分なのだ。
だから、小説もかっこ悪めにして構わない。
僕は広子さんのものだ。僕という捧げものは彼女に捧げられたのである。僕という人間の体には欠陥のある場所が一つあるが、それを言うことはできない。そんな欠陥があっても広子さんは僕を大事にしてくれる。
僕は気分転換に缶コーヒーを買いに行った。空はよく晴れていて、雨の降りそうな気配は全くなかった。
自動販売機から出てきた缶コーヒーには「糖類ゼロ」と書いてある。
人口甘味料のアセスルファムカリウム、スクラロースを発明した人はどれだけのお金を手に入れたのだろう。
僕は缶コーヒーを飲んだあと、昼間からスパークリングワインを飲んだ。買い置きしておいたのだ。でもスパークリングワインは甘口でおいしくなかった。買うときにちゃんと「辛口」であることを確認しておかなかったのがいけなかった。
甘口のスパークリングワインにコンビーフを出すのももったいなくて、僕はつまみなしでスパークリングワインを飲んだ。でも結局残り半分は流しに捨ててしまった。
作家に向いていないのではないかと思うことがよくある。
でも、(最初からそうだったが)純文学を目指せばいいのだ。それなら道はある。
太宰治の「人間失格」を買ってきてお手本にしようと思う。何より、お手本は面白い小説がいい。
中学時代に人間失格を読んだらとても憂うつな気分になったのを覚えている。当時だって人生が苦しいことは知っていたけど、薬物とか心中とか「間違いを犯した」とか、そういうので憂うつになった。
いま一度人間失格を読んでみたいと思う。
たくさんの素晴らしい曲をミニディスクごとなくしてしまった。引越し業者は何をやっているのか。
大切なものがなくなった。
でも、一番のなくしものは文鳥だ。
手塩にかけて十ヶ月育てた文鳥が、原因不明の死を遂げたのだ。
でも文鳥の死からもう九年も経つ。本当は忘れたいのだが、毎日文鳥のことが頭に浮かんでしまう。
五十六
昨晩食べた牛ステーキが大変おいしかった。牛肩ロースだった。味付けはにんにくじょうゆにした。
値札を見ると百グラムあたり百四十八円。こんなに安いのにかなりおいしかった。加奈ちゃんも帯状に切った肉をぱくぱく食べていた。
牛肉は肉の王様。本当においしいと思う。だからベジタリアンにはなれない。
カニも、エビも、貝もおいしい。だからベジタリアンにはなれない。
聖書では、神様が人間に動物達を支配させるようにしたとのことで、肉を食べることは問題ない。仏教とは異なるところだ。
最近は神社に行くことが多い。お賽銭は自分の少ない小遣いから五十円を入れている。一、二日に一回通っている。
明日は節分。「大きい声で鬼は外なんて言いたくないよ」と言ったら、広子さんは「やらなくてもいいよ」と言ってくれた。最近では豆をまかない家も多いかもしれない。
往年の歌謡曲のすばらしさは何だろう。
私の源流なのだろうか。
最近の歌には、CDを買おうと思う曲が一曲もない。もう若い人の時代なのかもしれない。
だんだん歳を取っていく。
神仏にお参りしているのだから、日常生活であまり失礼なことはできない。僕は広子さんがいるからいいが、一人身の人は相手がいなくて困るだろう。自慰行為は神仏に失礼でセックスは失礼にあたらないというのでは不公平もはなはだしいが。
ある日、Kから「黒田さん、今年厄年だよ」
と聞かされた。
そういえば、前の厄年のとき、尻込みして厄除けをしなかった覚えがある。
今年こそは。
末吉のおみくじにも、近々病気が完全に治ると書いてあったのだ。
りんごの常食を再開した。本当はりんごときゅうりを併用すればお通じが完全と言っていいほど良好になるのだが、生活保護からりんご代とキュウリ代の両方を出すのはきつい。
きゅうりを食べることは(僕にとって)ドレッシング代まで出すことを意味するからなおさら無理だ。
つらい人生だったけど、今年の厄除けで、何とか僕の悩み苦しみは解決しそうな気もする。神社にそれだけの力があるなら。
神ほとけなどいないと思っていた。
神ほとけが存在するなら、そもそも僕が父親から心理的虐待をされたり、母が父にいじめられて泣いているのを見ているとか、そんな状況は生まれようはずもない。
では僕が苦しんでいた少年時代、神ほとけは何をしていたのか。
きっと、忙しすぎて手が回らなかったのだろう……
五十七
厄除けをすれば、破壊された僕の人生が二十五年ぶりに心安いものに戻るかもしれない。
男子高に行った年から人生が壊れていった。
とりわけひどかった時期は十九年前から今年までの時期だったが、高校時代に初めての恋人ができなかったのは痛恨である。高校時代という時期は恋人がいないだけで不幸だと言うに値する。
この二十五年間は一体何のためにあったのか。
とりわけ、二一歳からの三、四年間、何のために神経症になったのか。
フランクルという人は苦しい体験に意味があるとしているそうだが、僕は苦しい体験になど何の意味も見出せない。
気がついてみたら四十歳。
恋もなく。
僕は広子さんに満足しているが、やはり処女を一度も抱けなかったことは残念だ。
処女はほとばしりを初めて見るし、「それ」を把持するのも初めてだ。
僕は人生をやり直せない。
だから、まだ夕方だというのにラム酒の瓶を開け、氷を入れて飲む。
人生からつらいことがすべて消え去ってくれればいいのに。
広子さんという重荷を背負って僕は生きていく。
ついでに僕は、悲しく苦しい気持ちを紛らすために、塩味のカップラーメンを食べた。酒を飲むと食欲が増して困る。だから僕はカップラーメンだけでなく、コンビーフも食べた。
夕食はおいしく食べられそうにない。
午後五時五十分ごろ、広子さんが帰ってきた。加奈ちゃんはテレビを見ている。
僕は風呂でお湯に浸かっていた。
広子さんの「ただいまー!」という声が聞こえてきた。僕は大きな声で「おかえり!」と言った。加奈ちゃんも「おかえり」と言った。
広子さんはバスルームの扉の向こうから言った。
「今日は水餃子だよ」
僕は答える。
「ああ、水餃子は好物だよ」
僕は気遣いが細やかな広子さんがやっぱり好きだった。処女の方がいいという思いは気の迷いかもしれない。
五十八
厄除けをすればいいという私の考えは吹き飛んだ。
神社に毎日通っても、何も好ましい兆しがないからだ。
きっと、悪魔は存在しても、神など存在しないのだろう。
もしかしたら、精神疾患だけでなく、体の病気も「病魔」に蝕まれて起こるのかもしれない。きっと苦しみを受けているのは僕だけじゃない。
僕に対するいじめが楽しい間は、悪魔は僕に対するいじめを続けるだろう。何しろ、悪魔の居所がわからないのだから、そこを砲撃することも銃撃することもできない。警察に通報することもできない。手も足も出ないから、悪魔(非殺傷性兵器を使う犯罪者)は図に乗っているのだ。
非殺傷性兵器を使った犯罪でも大規模なものは戦争と呼んで差し支えないかもしれない。
でも、神はいない。
日本も戦場であるとは。
絶望に襲われる。
自衛隊は守ってくれないのか。
生活保護で税金を納めていない者を守ることはないというのか。
(そして読者は「統合失調症の妄想を垂れ流すな、クスリちゃんと飲め(笑)」と、病気だと証明されていない『幻聴現象』を病気と呼んで僕を侮蔑するのだ。精神医学は証明を欠くから、科学ではない)
翌日、僕はまた前と同じ考えに戻った。
原稿を書いているときは幻聴を減らしてくるし、Yのところに遊びに行っているときは幻聴が多い。つまり、悪魔(犯罪者)は原稿を書くという行動を増やそうとしているのだ。つまり犯罪者は国である。そんなにも人の人生を台無しにしてまで、税金を支払わせたいらしい。
二十一歳のときに僕は大学を卒業するはずだったが、実際には神経症になって休学しただけだった。
つまり、税金を納め始めると推定される時期に、国は僕を神経症にして税金を支払わないことへの罰とした。
国税庁か税務署かわからないけど、税金を納めろと言いたいなら電話か郵便で督促すればいいんだ。
国というものはよくないものだと、ベテランの作家の何人もが言っている。
それなら、書いていこう。税金を納めるための小説を。本来生活保護世帯には税金を納める義務はないはずなのだが、論理を超えた存在である「国家」に対しては、どんな正論も通じないのである。
僕は机の前に戻った。本当なら涙を流しながら原稿を書いているところだが、長くつらい年月のために、涙はもう涸れてしまった。
五十九
六時に広子さんが帰ってきた。
彼女はきつねうどんを作ってくれた。食べてみるとなかなかおいしい。
国家は成人しても税金を納めない者に対して厳しい罰を加える、それが神経症や統合失調症だとわかったので、僕はYに電話して、「もう土曜日にしか会えない」と伝えた。理由もちゃんと言った。
あつものに懲りてなますを吹く。
僕は国家からあまりに厳しい罰を加えられたため、その夜は十二時まで原稿を書き続けた。本当は原稿はたくさんの枚数を書くほど、内容が悪くなると思っている。だからハイスピードで書いていけばいいというわけではないのだが……
でも、名作を数日間で書き上げた作家の話もある。
まあ、僕は国家の罰を免れるためだったら何でもする。原稿くらい、十二時まで書いていてもいいだろう。
もともと、人間はこの世で仕事に使役される運命である。働きバチのように働いたっていいじゃないか。
いつか、ADSLから光回線に乗り換えるように説得しに来た人は、まさに忙しいビジネスマンという感じだった。
仕事をする者は急がしいということか。
郵便局では心が冷え、新聞配達をしたときには新聞を入れない失敗(不着という)が多くて解雇された。コンビニでは汚れた流しの周辺を善意のつもりで掃除したりしていたが、店長に「もっとチームワークを」と言われた。僕の心遣いは理解してもらえなかった。
まさに、仕事は心を殺す。
その次の日曜、広子さんとホテルに行った。
広子さんはいつもどおり僕を激しく求めてきた。僕は処女への思いを残しながら、でも熟女ならではの色気に酔い、そんな場所にも口づけた。
でも、始めのころの二人のセックスと違って、だんだんルーチンワークになってくるきらいがあった。
そしてある日、広子さんは嘔吐した。
広子さんは言った。
「きっと子供ができたんだ」
僕は答える。
「そうか……広子さん、頑張って子供生んでね」
「そんな勝手に言われても困る。出産も妊娠も……」
その瞬間広子さんはまた嘔吐した。
「……出産も妊娠も大変なんだからね」
「そうだね。ごめんごめん」
僕はできるだけのことはやろうと思い、料理と買い物だけは僕が担当することにした。
そのため、一家の食卓は貧しいものになった。
ほうれん草とベーコンの炒めもの、ゆでとうもろこし、山芋となめことオクラのとろろ、サンマの開き――ある一日の夕飯はこうだった。
毎日、一日あたり八時間書いていると、文筆業もやはり労働なんだなと思う僕だった。
六十
超音波で赤ちゃんの映像を見た。
医師が「ちょっと男の子か女の子か、わかりませんね」と言った。
僕はどうしても女の子が生まれてほしいのだが、こればかりは仕方がない。願いは叶うとは限らない。
僕のうちは男だけの三人兄弟。そして長兄のもとに男の子が、次兄のところには二人の男の子が生まれた。
もはや呪われているとしか思えない。
僕は男より女の方が好きなのだ。男はやたら荒々しく、四十歳までの人生では、男と気持ちを通じ合うことは難しかった。
女は僕を見ると笑顔を見せてくれることが多い。それはもしかしたら僕の顔がうるわしいせいではないのかもしれないが。
僕は次の日、髪を切りに行った。カットだけで千五百円の美容室。
十分ほどソファで待つと、「どうぞー」と呼ばれた。回転する椅子に座ると、椅子は美容師の手でくるりと回され、僕の前に鏡が来た。
美容師は言った。
「今日はどうなさいますか」
僕は答えた。
「普通の長さにしてください」
「普通ですか。耳は出しちゃっていいですか」
「お願いします」
そして十五分ほど、ただ座り続けているというちょっとした苦痛に耐える。
でも、世間の人たちは、こういう時、美容師と話をするのだろう。僕にはできない。
カットが終わり、ほうきの先っぽのようなもので髪の毛を払われる。
千五百円を渡すと、僕はすぐに店を出ていった。
人間関係がうまく取れないのは生まれつきなのだろうか。それとも家庭の不和に耐え続けて神経系が壊れたのだろうか。
僕は四歳くらいの小さな頃から、自分は人生を生きていけないと思っていた。それは実際四十歳まで続いた。
僕をどやしつける父や、父にいじめられて泣いている母。僕に行き場はなかったし、人が恋をし始める中学時代にも花はなかった。
そして四十歳。悪魔によれば、生活保護世帯が税を免除されているといっても、僕は自力で税金を納めないといけないらしい。
広子さんのパソコンデスクには、僕が一人暮らしをしていた時に買ったモノクロレーザープリンターが置いてある。僕が机に飲み物の入ったコップを置くので、ところどころ汚れている。
このプリンターは印刷が速く、二百枚程度の原稿の印刷もそれほど待たない。
……そうだ。学生時代だ。
学生時代には、宿題やテスト、単位などをこなすことで生きていた。
人間は仕事や家事など今しなければならないことをすることで神経症から回復する、とは森田療法の考え方。
これは統合失調症にもあてはまるかもしれないと僕は思った。
学生時代のように、問題をクリアしていける自分を楽しめばいい。
もっとも、大学時代は岩である必修科目のフランス語や体育実技があって、とても学生生活を楽しめる状況ではなかった。
人の夢は運命の前に崩れ去る。
ちょっと印刷してみた一編の詩。
プリンターはすぐに紙を吸い取り、受け皿に吐き出した。
六十一
そう。
結局は統合失調症とは、郵便局では心が冷えていくからやめるとか、新聞配達を解雇される理由を聞きもしない、そういうダメ人間、おのれを鋼に変えて職場の矛盾に耐えていくことのできる普通人よりも弱い人間のかかるものである。
土曜日、僕はYのアパートに行った。
扉を開けたYは実に嬉しそうな顔をして僕を迎えてくれた。彼は僕より二十歳ほど年上で、実の父よりも僕の父らしいところがあった。本当の父のように思っている。
Yは言う。
「入れよ。いつもは黒田さんが買ってくるけど、今日は俺がコーラ買ってきた」
事実、ちゃぶ台の上にはコカコーラゼロの1.5リットルボトルが載っていた。
Yは言った。
「飲もうよ」
僕は自分のコップを冷蔵庫から取り出し(僕はコップを冷蔵庫に保管する癖がある)、そのコップでYの注ぐコーラを受けた。
Yは自分のコップにもコーラを注ぎ「コラいかんな」と仕方のないダジャレを言うのだった。
人生を語り合った友達はYが初めてだった。
そもそも、問題行動から精神病棟に監禁され、クスリの苦しさに耐えながら病院生活を送っていたとき、女の精神保健福祉士のKが助けに来てくれたのだ。
それは「退院促進支援事業」という名目だった。
僕はグループホーム(精神障害者が暮らすためのアパートなど)に入るための審査を受け、審査に通った。
審査に通ったとき、Kは「おめでとう」と言ってくれた。
あれから何年経っただろう。六年くらいだろうか。
僕は長い付き合いの末、Kと友達になった。
苦しみの多い人生だったけど、幸せもいっぱいあったのだということを、いま思い出した。
だからこそ一歩進んで、僕は作家になる。毎日八時間書いていく。
そうこうしているうちに新人賞を一つくらい受賞するかもしれないし、僕のペンネームが話題性を帯びることもあるかもしれない。
僕は区内を自転車で走り、臨海公園まで走って、公園の海岸でぬるい赤ワインを飲み、コンビーフやチーズなどを食べて帰ってくる、そういう時期もあった。
臨海公園までの道に警察官がいたために、自転車のナンバーを確認されたこともあった。
アパートにいた頃、自転車のタイヤに画鋲が刺さっていたことがあった。新聞を盗まれたこともある。
きっと恨まれているのだろう。僕が幻聴に言い返す大声がその人の怒りの原因になったのかもしれない。
画鋲が刺されるのは一度だけかと思ってパンクを修理してもらったのだが、それでもまた何度もパンクした。
だから僕はもう自転車を修理しないし、乗らないことにした。
負け惜しみのようだが、歩くことは健康のためにもなる。だから、自転車を放棄した。
Yは言った。
「黒田さん」
僕は答える。
「何」
「いつか春は来るって」
「ありがとう」
僕はその言葉に心の底から暖かさを感じた。
六十二
神社や寺にお参りするようになって数日。
ちょっといいことがあった。
つらい気持ちで歩いていたら「こんにちは」と声がした。それが大家さんご夫妻だったのだ。
人間関係がつながっていき、私も晴れて「町の一員」になれるといい。
神社やお寺をお参りしていれば、平癒祈願のためにそうしているのだと人に知られることにもつながる。
僕の人生が開けるのか。
僕の人生が、本当に。
十五歳の時男子校に入らされたのはあまりにもつらかったが、その後無意味な時間が過ぎ、四十歳にもなった。
人生は苦しいことばかりだと思ったが、これからは……
……もう遅い!
思春期も青春も二度と帰ってこない。
前半生を失った悲しみを抱えて生きていく。
(分裂気質者の人生は後半から幸せなものになる、というのは本当なのかもしれない)
あんなに好きだった中村由利子さんの曲が、最近あまり好きでなくなった。
何が起こったのだろう。
僕は好きな曲を失ったにも等しく、それが残念だ。
だから、去年買ったウォークマンにも、中村由利子さんの曲は入れない。
時が経つと好みも変わるのか。
悲しい。
季節は移り変わり、また冬が来た。
広子さんのお産は無事に済み、僕はKやMの赤ちゃんだけでなく、広子さんの赤ちゃん、つまり自分の子供まで目にすることになった。
生まれたばかりの赤ちゃんはあまりかわいいとは思えなかったが、日が経つうちにだんだんかわいらしい顔に変わっていった。
赤ちゃんは女の子だった。
性別を聞いたとき、女の子でよかった、と思った。嬉しかった。
これから人生がいいものに変わっていく。
分裂気質者の人生が後半からいいものになるのは、一つには、病気にならない食生活の仕方を知っているからだろう。(「りんごは医者要らず」とか、緑茶は病気のもとである活性酸素を消すとか)
僕はそれほど不幸ではないのかもしれない。今までは不幸そのものだったが。
広子さんが病院から帰ってきたその日は、スーパーで買ったマグロのたたき(半額だった)を一人につきひとパックずつ食べることにした。
赤ちゃんは栄養強化豆乳を飲んでいる。
実際、粉ミルクを飲んだことがあるが、あれはとてもまずかった。数年前、栄養強化豆乳というものが出てきて、市場を席巻したのだ。
六十三
人間は人付き合いを断って長い間孤独な生活をしていると、精神障害が出てくるのだという。
つまり、すべきことは、地上への生還。
僕はずっと孤独だったけど、多分もう大丈夫だ。
お寺や神社に通い続けよう。
今日は黒豆茶を買って来た。ガストにあった黒豆茶がおいしかったので、スーパーで見かけて買ってきた。香ばしく、のどごしもいい。
広子さんは育児休暇を取っている。
赤ちゃんの名前は桂子。広子さんのお父さんの徹さんがつけた名前だ。黒田桂子。
僕の人生は、果肉が落ちて種だけ残った果実のように、希望が落ち、中の苦労だけが残ったようになった。
大人なら仕事をしよう。金持ちなら働かなくても生きていけるが、僕は広子さんと加奈ちゃん、そして桂子を支えなければならない。小説でそれを行うのは並大抵のことではないかもしれない。
せめて、年収三百万円くらいは欲しい。
だけど、できれば、一つの小説で五千万円くらい稼ぎたい。
でもそれは夢かもしれない。
人間は夢などかなわずに現実に耐えながら生きていくのかもしれない。
八十歳になったとき、重い病気にかかったり、満足に歩けなくなったりしていなければいいではないか。毎日知識を蓄積している分裂気質者にはそれができるはずだ。
無職や生活保護が恥ずかしいという人は一体何なのだろうか。
他人のことなどどうでもいいではないか。
僕は無職で生活保護だった。でも生活に不満を感じたことはあまりなかった。小説を書く技能を高めて、小説で稼いでいけるまでは生活保護を受け続けようと思っていた。
今でも作家になろうとして頑張っている。
それから、仮性包茎や童貞が恥ずかしいとか。
そんなもの、社会が勝手に決めた価値観ではないか。
仮性包茎より加齢臭のほうが恥ずかしいかもしれないし、知能が低いことのほうが童貞より恥ずかしいかもしれない。
人のことなんてどうでもいいではないか。
ある日、僕は幻聴さんを嫌わなくなった。
幻聴さんは私が笑っていると機嫌がよくなるらしいのである。
長かったケンカにも終止符が打たれるかもしれない。
本来なら私のような特殊能力者(神の声が聞こえる)はシャーマンになるほうがいいのだが、現代の日本ではシャーマンは「精神障害者」という不名誉な名前をつけられ、「神と直接交流することができる者」として特別視されることもない。
悪い時代に生まれてしまった。
六十四
何を書いても幻聴さんとのケンカのことばかりになるのが嫌で、作家になるのをあきらめようと思ったこともあったが、幻聴さんがいい人であるのなら、話は別だ。
僕は絶望から解放された。
これからは「統合失調症患者は本来シャーマンになるべき人間なんだよ」とそこここで説明していけばいい。
幻聴が聞こえることは私が背負った「障害」ではない。だから僕は「精神障害者」ではない。
生活保護費は、もらえるうちはもらうけど。
作家になって十分な収入を受けられるようになったら、生活保護を切る。そして弁護士に相談し、精神科が押し付けてくるクスリを以後ずっと飲まなくていいように交渉する。
(弁護士がついていなければ、僕は精神科のクスリをやめただけで精神病棟へと拉致監禁されるのだ)
今までに何度も拉致監禁をされた。
刑法犯罪を行っている精神病棟や警察(拉致は警察が行うこともある)がなぜ罰せられないのか。
精神保健をめぐって時代はどう変わっていくだろう。
希望を持ってその成り行きを見守っていきたい。
今日は、僕は買い物のついでに、チェーン店でない小さな店でハッカ飴とニッキ飴を買ってきた。
加奈ちゃんにニッキ飴をあげたら、「変なにおい」と言って僕に返した。
他方、広子さんの懐にいる桂子は必死に手を伸ばして僕の手の上のニッキ飴を取ろうとするのだった。
僕は言った。
「桂子、桂子にはまだニッキ飴は早すぎるよ」
広子さんは言った。
「飴自体、まだムリだからね。成長してから食べようね」
シャーマン受難の時代である。
本来ならシャーマンとして仕事もあり、人目に対して立派でもある。社会の隅に追いやられた「精神障害者」とは大違いだ。
僕は仕方なく小説を書く。
でも、精神疾患の人が集まる「べてるの家」の知識によると、幻聴さんをていねいに扱うと励ましの声をかけてくれるようになるそうだ。関係改善は望めるかもしれない。
飴はつい噛んでしまう。ニッキ飴をなめているのだが、他の飴と同様に、我慢しきれなくなって噛んでしまう。よくない癖だ。
春。
母や次兄(僕は三人兄弟で、長兄はアメリカに住んでいる)と会うことになった。母は桂子や加奈ちゃんが見たいらしいのだ。
電車で実家に行った。
(僕は運転免許を取らない。教官の隣で練習するとか、耐えられない。それに車は原則走りっ放しではないか。直進しているときに勝手に横から何かが突っ込んできたらおしまいだ。事故が起きる可能性は他人の手に委ねられている)
母は実家の庭で植物に水をやっていた。
母がアザミにまで水をやっているのを見て、僕は言った。
「やめなよ母さん。そんな痛い植物に水をやるのは」
母は答える。
「アザミだって立派な花だぞ。アザミを差別しちゃいけない」
六十五
その直後、家の前に赤い車が走ってきた。次兄だ。
僕ら四人家族と次兄は実家に上がり、ちゃぶ台についた。
すぐにぬるい野草茶が運ばれてくる。
次兄は言った。
「氷、入れてもいい?」
母は言う。
「ぬるいからいいんだぞ? 冷たいものを飲んで体を冷やさない方がいいんだ」
「そっか」
母は桂子と加奈ちゃんのほうを見ている。母は加奈ちゃんと顔を合わせたことはあるが、桂子とはまだ会ったことがなかった。
母は言った。
「桂子ちゃん、始めまして」
そしておどけたしぐさをする。
桂子は広子さんの懐で笑った。
母は「今日はちらし寿司です」と加奈ちゃんに向かって言った。加奈ちゃんはちらし寿司があまり好きではないのか、ただ「はい」と言うだけだった。
母は言う。
「ちらし寿司、嫌いなの?」
「好きでも嫌いでもないんです」
「そうですか。もう用意しちゃったから食べていってくださいね。ばあばは悲しいです」
そう言っておどけて、母は台所に引っ込んだ。
次兄は言った。
「仁、最近ゲームとかしてる?」
僕は答える。
「してない。謎解きしたりレベルを上げたりはもう嫌なんだよ」
「そうか。面白いオンラインゲームがあるんだけど、やらないよな?」
「そうだね」
「今年、進が小学校に上がるんだ」
進とは次兄の息子の名前だ。
「もうそんな年になるんだ? 学費とか、大変でしょう」
「そうなんだよ」
母がちらし寿司の入ったおひつを持ってくる。子供の頃、おひつを洗おうとしたら米粒が取れなくて苦労したことを思い出す。
おひつから皿に盛られたちらしずしを見ると、エビ、鮭、錦糸卵、絹さやが入っていた。
僕らはちらし寿司を食べ始めた。
母は料理が上手いので、無論このちらし寿司もおいしかった。
広子さんの抱えている桂子の前で母は言った。
「ばあばはちらし寿司を桂子ちゃんに食べさせてあげられないんだ。また今度、桂子ちゃんが大きくなってから食べようね」
桂子は一時、ベビーベッドに託された。広子さんにちらし寿司はおいしいかと聞いたら、おいしいと答えた。
僕は少し前までの自分の苦労を思った。
現実は、小説を書くのも、その技法の発展も、苦労である。
六十六
一日間続いた幻聴との蜜月は、はかなく消えた。
僕は今回もだまされているだけだったのだ。
何度も何度も僕をだまし、洗脳し、フェイスブックやブログに、他人からよく思われない混乱した文章を書かせた。それが幻聴の陰湿な作戦だ。幻聴は僕が人から嫌われるよう画策したのだ。
今日はカルビを買ってきてしまった。
調べると、カルビのカロリーは百グラムあたり五〇〇キロカロリー以上だった。
たまにはいいか、と思いながらも、やはり脂肪の少ない肉を買うべきだな、と思う。
広子さんに味読される僕という歴史。僕は自分をすばらしいと言ってくれる広子さんという存在、そして加奈ちゃんや桂子が大好きだ。
新聞を見たら、よしもとばななさんの新刊の広告があった。彼女の作品は当たりはずれがあるけど、立ち読みして面白かったら買ってみよう。
幻聴(幻聴の主)というものの邪悪さ、底知れぬ邪悪さを僕は推定した。自殺に見せかけ何人もの人間を殺しているのではないかと思った。
犯罪心理学によれば、犯罪者の心はタフではなく、おびえているのだそうだ。今まで僕は幻聴の主が非常にタフな存在だと誤解していた。
原稿を書きながら、昨日の残りのニッキ飴をおいしく食べている。筆のノリはまあまあだ。
しかし急な展開が訪れた。
ある日、何かのきっかけで(それはもう忘れてしまった)、僕に病識が生まれたのである。
(病識とは、統合失調症患者が病気の原因を「遠くから機械で観察している犯罪者」などと思うのではなく、脳に原因があると理解すること)
統合失調症は病識が生まれると治りやすいそうだ。期待したい。
今日は早くもコカコーラゼロを飲みきってしまった。コーラの次はルイボスティーだ。ルイボスティーはいつも買ってきていて、やかんの中で浸出している。
もし統合失調症が治ったら。
僕は、誰からも監視されず、頭の中で声が聞こえない当たり前の生活がどんなに大きな幸せであるかを知らなかった。日曜日、捨てられたゴミのように冷蔵庫のそばに寝転がっていたり、ウォークマンに入れた音楽を聴きながら電車で神保町に行ったりということはかけがえのない日常だったのだ。
六十七
まただまされた。
幻聴の主は存在するし、決してこれは病気などではない。
精神医学は証明なしに幻聴を「病気の症状」としている。
たしかにそういう意味では、「幻聴は犯罪者が聞かせているもの」という僕の言い方も正しいとは限らないことになるが。
たくさんの苦痛に僕の罪がすすがれていくこともなく。
そもそも贖罪が「幻聴」の解決法であるとも限らず。
幻聴の主はことあるごとに「Eさんに謝りなさい」と言ってくるが、僕を説得できたためしがない。「その件について良心を持って僕を批判してください」といつも言っているが、そもそも幻聴の主には良心がなく。
二〇歳ごろ、スチューデントアパシーになり、二一歳ごろ、神経症になった。
そして二五歳ごろ、統合失調症になった。
もう今の僕は荒れ果てた心になり、広子さんに見せる笑顔も少なくなり、美術品のようだった二〇歳ごろの自分は消え去った。
美術品のようだったから壊したのかもしれないが。
画家や作家が精神障害になる。
そこにはギリシャ神話的事情があるのだろうか。つまり、神は人を憎んで殺したり、苦しめたりする。
一日経つと、少し落ち着いた。
錯誤的行動をすると、邪悪な幻聴の主は喜ぶ。
錯誤的行動(何々をしたら幻聴の主が萎縮して幻聴が消える、ということを期待して行う行動。その全てが無駄に終わる)をしなければいいと、あらためて僕は自分の心に言い聞かせた。
今日の夕飯は麻婆豆腐とサラダ、湯豆腐。
サラダにはヤングコーンが付いている。
小説が幻聴の話ばかりになって内容が荒れるので、もう小説を書くのはやめようかと思った。
でもそれこそが幻聴の主の思うつぼなのだ。
加奈が言った。(最近、加奈のちゃん付けをやめた)
「やんぐこーん大好き!」
僕は言う。
「そうか。歯ごたえがいいもんな」
「うん。私、おこづかいでやんぐこーん買ってこようかな」
広子さんが言う。
「ヤングコーンなら私かお父さんが買ってくるよ? お小遣いで買うのはやめな?」
加奈は「うん」と言って、ヤングコーンの最後の一本を食べた。
僕は幸せなはずだ。それなら何を迷う必要があるんだ。
幻聴の主などに負けない。
六十八
ひと晩眠り、夕方まで悩むと、幻聴さんを悪く言ってばかりでもいけない、と思った。
今日は広子さんがどうしても外せない用事、つまり会食があるということなので、長芋とまぐろを買ってどんぶりにした。
加奈は何でもおいしいと言って食べる。好き嫌いがないのだ。色々なおいしいものをおいしいと言って食べられることは幸せなことだし、親も幸せだ。
広子さんは桂子を連れて行った。
僕は広子さんと出会って、子供を作って、恋がかなった。セックスは色恋というだけではなくて、子供ももたらすのだった。
四十一歳。
ある日曜、僕らは千葉の磯に行った。僕は運転免許を持っていないので、車は広子さん頼みだ。
空はよく晴れていた。
磯にはトコブシがたくさん付いていたので、ナイフで切って、わさび醤油に付け、みんなで食べた。(無論桂子は食べられない)
広子さんは栄養強化豆乳を桂子に与え、その後でトコブシを食べた。
彼女は言った。
「なかなかおいしいね」
僕は答える。
「そうでしょう。トコブシは市場にも出回るくらいだからね」
その後僕と加奈の二人で釣りをして、名前のわからない魚を五尾、アジのような魚を三尾、イシモチを二尾釣り上げた。僕はウロコをはがす器具で魚のウロコを取った。魚は全てその場で塩焼きにした。
加奈はイシモチを「信じられないほどおいしい」と言った。僕は「高級魚だからね」と答えた。
加奈は将来料理人にでもなるのではないか。
車で帰って、焼き魚が六尾並んだちゃぶ台を囲んだ。
僕は、こんな僕でも父親になれるんだな、と妙な感慨に浸った。
夜、パソコンデスクに向かい、古いアニメのテーマソングを聴いた。(リンドバーグの「この空にちかって」)
涙が出た。そのアニメを見たなつかしい思い出は十代の頃のものだ。
いつになったら新人賞が受けられるのだろう。
長兄は自分の写真家業について「俺だって有名になるまで八年かかったんだぞ」と言っていた。僕も芽が出るまでには時間がかかるかもしれない。
六十九
分裂気質者というものは、少数の親しい友人はいても、原則人間と仲良くなれないのである。
昨晩、テレビで「コボちゃん」(アニメ)を見た。コボちゃんもサザエさんもそうだが、そううつ気質的なその世界には暖かみがある。分裂気質者はそういう内的体験から離れている。
ミンコフスキーという人が統合失調症の本質について言ったらしい「現実との生ける接触の喪失」という状態を脱するのだ。
いや。
分裂気質らしさがまだなかった小学生時代のような心に戻ればいい。当時はセンチメンタルでもなかったし、せつなさもほとんど感じることはなかった。
青年期危機があった。青年期危機のある人とない人がいる。もちろん青年期危機はないほうがよいのだが、僕は運悪く危機に陥った。
つまり僕の中のせつなさやロマンチシズムは「失うこと」から来ている悲しいものなのではないのかと思った。それなら、そういう悲しいものは心の中の箱に入れて片付けてしまおう、と僕は思いかけている。
たしかに、神経症体験も、父の悲惨な死も、飼っていた文鳥の原因不明の死も、精神病棟に拉致監禁されるなどの被害体験も、過去の出来事になった。だんだん悲しさは感じなくても済むようになると思う。それなら、これからの僕が見る夕日は、せつない夕日ではなく、優しい夕日。
マンゴー・オレンジ風味のフレイバリーティーを入れて、ラングドシャを食べる。そして原稿を書く。
僕が痛苦に耐えるために自分に与えていたせつなさや感傷は、もう過去のものになった。フレイバリーティーを飲む意味合いも少し違ったものに感じる。
マンゴーの香りから、マルチ・ヴィタヴィーノという酒を思い出した。僕はスナックなどに行かず、もっぱら一人酒だった。だからスーパーや酒屋、コンビニで買う酒が酒の全てだった。ヴィタヴィーノは特に好きな酒だった。今度また買って来ようか。
午後六時、広子さんが帰ってきた。
彼女は言った。
「今日はカニだよ」
僕は答える。
「カニ? 高かったでしょう」
「五五〇〇円だった」
「すごい値段だね」
「その分、おいしいと思うよ」
僕らの革命は、幸せの革命だ。
いつかこの家庭から、貧乏神を追い出すんだ。
七十
カニは焼きガニで、タラバガニだった。
広子さんと僕と加奈はカニ肉にむしゃぶりついた。焼きガニはゆでたカニより味が濃い。
なんという食の幸せ!
ただ、こう思う――ああ、この貧乏神さえ追い払えれば、僕の人生にも七〇点くらいはあげてもいいのだが。
悲しみを箱に入れなければならない。貧乏神が僕を不幸にしようと待ち構えているから。
悲しみは傷。貧乏神は、海で傷から染み出る血の臭いをかぎつけるサメのようだ。
カニの甲羅の中のカニみそを三人で分けた。試しに桂子にも与えてみたが、まずそうな顔をしたので、すぐにやめた。
広子さんは棒状に切ったキュウリを用意してくれていたので都合がよかった。キュウリにカニみそをつけて食べた。その濃厚な味は容易には表現できかねる。
そして僕らは順々に風呂に入り、床についた。
明日もまた貧乏神に支配された一日なのか、と思ったが、傷を見つけるサメが貧乏神だというのなら、傷を見せないのが一番である。
いじめっ子というものは、悲しんでいる人を見つけてはいじめのターゲットにするものかもしれない。
だから、悲しみをたたえた生徒は、小学校や中学校でいじめられやすかった。
中学時代に僕はいじめこそしなかったが、いじめられている女生徒について担任から意見を求められたとき、僕は「じっとこっちの顔色をうかがっているような気がする」と述べた。
つまり僕は当時、いじめられている人がどんなに悲しんでいるか気づかないだけでなく、彼女を何か異様な存在として受け取っていた。
それが躁的防衛(浮かれ騒ぎ、自分の悪の側面が未解決である状態)である。
貧乏神は躁的防衛に陥っている。
「暗い性格やめてください!」と彼は言う。
しかし、明るいとか暗いとかで人を分けようとするその人が一番暗いのである。
暗い人とは、悲しんでいる人だ。
なぜ悲しんでいる人を「暗い」などと言って、ことさらその人の傷に塩を塗りこむようなことをするのか。
荒れ狂い、自分の責任でこうむった苦しみについても人のせいにする、そんな何も現実が見えていないような人(幻聴の主)が、加齢によって優しくなった者(私)をいじめる。
これはなぜ起こるか。
あまりにも前者が愚かなのである。
後者は、痛み、悩みから学んで優しくなった者。もはや怒りの渦の中にはいなくて、心は静かだ。
それをなぜ怒りの人は苦しめるのか。
怒りの人(幻聴の主)はあまりにも愚かだと言わざるをえない。
僕は敵と戦うことを行政に助けられており、ひと月あたり約十五万円の生活保護費を支給されている。
クスリを飲むのは不本意だが、幻聴の主との言い争いのときに大声を出してしまうことがある。メジャー・トランキライザー(抗精神病薬。いわゆる強力精神安定剤)がなければもっと怒りも強くなるかもしれないから、それを飲む意味も全くないとは言えないのかもしれない。怒りのやり場がなく投げた椅子が窓にぶつかって割れたら大変である(実際、実家でそれをやったことがある)。普段僕はそのくらいの厳しいストレスと戦っているのだ。
七十一
春。
今日はふと、ビーフカレーを作ろうと思った。その旨を広子さんに伝え、スーパーへ買い物に行った。
牛小間切れ肉、三百五十グラム。
にんじん一本。
玉ねぎ二個。
じゃがいも三個。
セロリ五本。
カレールー、ひと箱。
オリーブオイル、少々。
以上が材料である。
スーパーで買ったものは他にもある。
僕の包丁さばきは拙いので、切り方は雑になる。それでも味はいいだろう。箱に書いてあるとおりに作るから。
一時間ほどかけてカレーが出来上がった。
広子さんが味を見にくる。小皿に取ったカレーをすすると、広子さんは「おいしい」と言ってくれた。
人間は色々な「お気に入り」の人を見出し、その人たちとの関係を切らないように気をつけて生きていく。
僕は二十代の時、(精神障害のため)混乱して、切る必要のない文通友達の人たちとの関係を切ってしまった。手紙もすべてはさみを入れるか、焼却処分にした。
親しい人たちとの関係を切るなんて悲しい。もしかしたらそのトラウマで統合失調症になったのかもしれない。
そして僕の知り合いがいる場所は文通からネットに変わった。今ではネットに三人ほどいる友達との関係は切ってはならない大事なものになっている。
午後六時、食事になる。
白飯の上にカレーをかけるが、セロリが嫌いな人はうちの家族にはいないようだ。(桂子については不明というのが正しい)
窓を開け、網戸にして、夕方の空気を入れた部屋でカレーを食べる。
セロリの味が出ていて非常においしい。
飛んできた蛾さんは網戸にとまるが、中には入れない。
小さい頃、田舎でオオミズアオという青緑色の蛾を見たことがある。田舎にはクワガタやカミキリムシ、バッタなどがいて、虫好きだった当時の僕にとっては素晴らしい場所だった。
カレーは三分の一程度が残った。これは明日の食事になる。
幻聴さんを、僕にすがりついている水子のように感じることがある。
なぜ僕たち一部の人間だけがこんな苦労を背負わなければならないのか、と思うが、もし水子なら、本人も好き好んでそんな運命を選んだのではないことになる。
僕が特殊ではなく普遍的な人間だと思うことが必要であるように思う。普遍的な人間なら、いつか人並みの幸せが来て、幻聴さんともさよならする時が来るかもしれない。
七十二
みな女性だが、EさんもKさんもMさんも僕のことが好きであるようだ。
そして小さい頃から何度も何度も、男からの意味不明な攻撃を加えられてきた。
それは嫉妬だったのだ。
誰々ちゃんが僕・黒田仁のことを好きでいる。そのことを知った男が、怒りを僕にぶつけてきていた。それだけだ。
世界は三角関係でできている。
それは幻聴さんとて例外ではないように思われた。
男からの攻撃のほとんどは、嫉妬から来ている。
広子さんと結婚してから、幻聴さんの攻撃は弱まったようだった。
結局、特定の相手と結びついたから、幻聴さんは「このハンサム野郎は無害!」と判断したのかもしれない。
ハンサムに生まれていいことなどあっただろうか。
近くにいる女という女が僕に魅了されていたようではあった。でも恥ずかしくて、誰かに「付き合ってください」とは言えなかった。
そして、公園で広子さんと出会った。
彼女の方から声をかけてきた。
僕はそのとき、赤ワインを飲みながらバゲットを食べていた。
酩酊状態で広子さんの呼びかけに応え、彼女をベンチに座らせて、話した。
広子さんの傍らには加奈がいた。
僕はこの一回の恋だけで一生が終わると思った。彼女はそのくらいきれいだった。「上の中」くらいの美人。
そして僕らは恋に落ち、ホテルにまで行くようになった。
加奈を連れた広子さんは「仁さんが子供好きでよかった」と言っている。
僕の人生が後半に差しかかろうとしている……
共学高に通っていたなら。
同じクラスの女子一人と帰り、親がいない時間を見はからって、恋に耽る。女子の予備のハンカチには私の体液が包まれ……その若い精気を胸いっぱいに吸い込んで女子はくらくらとなり。
そんな運命があってもよかったはずだ。
しかし人生は何につけても「完璧にはいかない」ものだ。
不完全な運命でも、広子さんには満足している。
広子さんの運転で、臨海公園に行った。
太陽は輝き、海面はそれを反射してまぶしかった。
僕ら家族は海岸沿いのベンチに座り、広子さんの作ったサンドイッチを食べた。僕と広子さんは瓶入りの赤ワインをラッパ飲みした。
色々大変なこともあるけど、やっぱり人生っていいものかもしれない。
今までつらいことが多すぎたけど、ようやくそこから脱出することができたように思う。
七十三
エヴァンゲリオンが僕の希望。
二十代の時、僕は神経症が治って時間をもてあましていた。当時の僕を「家事手伝い」とは言えないだろう。でも食事を作ったりはしていた。
二〇世紀末に、エヴァンゲリオンの旧劇場版が放映された。その感動は僕のそれまでの人生のどんな体験よりも大きかった。
夢を見て生きる。
以前のように「現実なんて要らない」なんて言わないけど、でも夢を見る。
父が幼い息子を恫喝するようなダメな家に生まれたので、僕の心は壊れてしまった。その壊れた心で生きてきた。
壊れた心には夢の充当が必要。
夢に比べて、現実の退屈さといったら。
きっとどこかのリゾート地に行っても、退屈すると思う。
楽しいのは磯。ウニやトコブシ、エビ、カニなどを取って、加熱が必要なものは網焼きにして食べる。釣りが出来るなら釣りをして、塩焼きにして食べる。
でも、やっぱり夢がいい。
僕の人生がしっかり構成されていく!
信じられない。
破壊されただけだと思っていた僕の人生が可能性をはらんでくる。
原稿を書きながら飲むルイボスティーはおいしい。
きょう二本目のコカコーラゼロ(1.5リットル)を飲んでいる。
いま書いているのは、海岸で男女が出会う話。
筆の乗りがいい。どんどん書き進めて一二枚も書いてしまった。
そして横にいる広子さんと桂子に気づく。
もう四時だ。あと二時間で夕飯。
そして加奈が帰ってきた。どこに行っていたのか聞くと「図書館」と答えた。本は楽しいか、と聞くと「うん」と答えた。
広子さんは僕を一番風呂に入れようとするが、僕は「最後に入るよ」と抗った。
でも結局「順番を気にしないで入ろう」ということになった。
僕は内向型の、つつましやかに生きる、おとなしい人間。
それを幻聴の主は理解しなかった。
小説を書いて何億円ももうけ、酒池肉林の宴を開くような、外向型のきらびやかな作家になろうとしているかのように、錯覚した。
彼は僕が明治大学に在学したことが気に入らないらしく、「明治大学」を思い出すと「過去の栄光!」とばかり言う。
僕は内向型のつつましやかな人間だったのだ。幻聴の主が思うような派手な人間ではない。
七十四
季節は巡って、十一月の末。
小説を書くことに徒労感を覚える毎日だった。
そもそも、新人賞を発表する雑誌自体を買う必要はない。受賞者には連絡が来るからだ。
四つの新人賞に落ちた。審査が終わっていない新人賞は六つ。
もう、やめたほうがいいのだろうか。
空しい努力はやめたほうがいいのだろうか。
たしかにあと六つの小説が残っている。
でも、受験のようにはいかないではないか。
受験なら、自分の偏差値より三くらい低いところには高確率で入れる、といった判断ができる。
でも新人賞は……
空しい努力をやめたい気分。
時代の純度を上げるため、僕らは僕らの中で火を精錬する。
その火は魂であり、魂は物語によって純度を増す。
いくつもの物語が時代を作っていく。
僕は、真面目なのに罪びととされた。つまり法学に頼らざるを得ない。そんな者のための物語もあるようだ。
いつまでも苦痛ばかりの時代ではないかもしれない。
時代が変わり、僕が役目を終え、免罪される時が来るかもしれない。
桂子が、パソコンデスクに向かって原稿を書いている僕の足元まで歩いてきた。そして僕の脚につかまった。
僕は言う。
「桂子。お前、もう歩けるようになったか」
僕がそう言うと、桂子はUターンして広子さんのところに行ってしまった。
燃え尽きない炎。
厳密な法学。
僕は時代を精錬する者の一人。
幾多の物語は、受け手の心を動かし、次の時代に幸福をつないでいく。
午後六時。夕食の時間。
今日は山芋とオクラとまぐろのぶつ切りを和えたもの、それからほうれん草のおひたし、焼いたはんぺん、お吸い物、カマスの開きだった。
加奈には小さい頃から焼き魚の食べ方を知っておいてほしいというのが広子さんの願いだった。あまり上手に食べられていないようだけど、そんなものだろう。人生、何事も完璧主義はよくない。
桂子はだんだん大きくなってきて、もうすぐ自由に歩けるようになりそうだ。
七十五
十一月三十日。桂子の一歳の誕生日。
僕は桂子にシュークリームをプレゼントした。
僕は言った。
「甘みが強すぎるかな」
広子さんは答える。
「いや、大丈夫じゃないかな」
桂子は不思議な表情でシュークリームを食べていた。
窓を開け、遠くを見ると林が見える。その上に、うっすらと雲のかかったオレンジ色の太陽がある。
この地域は過ごしやすいし、街の風景、川沿いの自然の風景もきれいだ。
でもいつかは一戸建てを建てたい。屋上付きで三階建ての家を。そのためには他の街に引っ越さなければならないかもしれない。
「ジュース買ってくる」と言って部屋を広子さんに任せ、近所の酒屋にジュースと缶詰を買いに行った。
僕は内向型の性格なので、あまり広く浅く色々な人と絆を結ばない。少数の友達や知り合いと深い付き合いをする。だから酒屋のレジでも何も話さないで品物とお金を交換するだけだった。
買ったのは焼き鳥の缶詰とコンビーフ、それから一リットル入りの紙パックに入ったジュース。果汁が一パーセントしか入っていないが、レモンの香りがしてとてもおいしいのだ。
帰りに犬を連れたどこかの奥さんとすれ違ったり、学校帰りの中学生とすれ違ったり。
僕は静かな幸せを感じている。分裂気質者は人生の後半が幸せなものになるって、先人が書いていた。
そんな幸せに、僕は歩きながら少し目を閉じてみたり。
僕は人生の最終目標すらすべて獲得した思いだった。
それなら、今後は何を目標に生きよう。
もちろん自分の小説を世に出すことだが、これは心もとない。
自分の小説のクオリティが低いとは思わない。むしろそれなりだと思っている。でも新人賞というものは倍率が高すぎるのだ。
精神保健福祉士のKがコネを作ってくれるという。ありがたいものは友達。
でも、小説を酷評されそうで怖いなあ……
団地に戻ると、鯛が焼いてあった。
僕はふと思い出した。小さい頃、実家のテーブルの上に鯛の塩焼きが置いてあったのを。
僕が小さい頃、まだ家庭は崩壊していなかった。その暖かい家庭、母の優しさを思い出し、僕は涙を流しそうになった。
七十六
ある日、電話がかかってきた。
あなたは新人賞を受賞しました、おめでとうございます、との知らせだった。
広子さんは僕と手を取り合って喜んだ。
そうか。ようやく芽が出たか。
これからはいい人生を送れるかもしれないと思った。思ったけど、幻聴の主が……(この苦痛な現実は気の遠くなるような現実であり、それを精神科医や看護師にまでわかってもらおうとは思わない、きっと理解できないから!)
僕は冷蔵庫から発泡酒をふた缶取り出してちゃぶ台の上に置いた。
長い長い四十年だったが、まだ苦痛の種である幻聴の主が僕につきまとっている。
広子さんは豚汁の鍋を鍋敷きの上に置いてから、焼きシイタケと湯豆腐を持ってきた。
加奈が言った。
「新人賞って何」
僕は答える。
「新人賞を受賞すると、これから小説の仕事がもらえるんだ」
「仕事が見つかるの?」
「そう。お金も手に入るよ。もう少しぜいたくな生活ができるようになるかもな」
「そうなんだ」
聖書によれば、人間が地上のすべての生き物を支配するようにというのが神の御心らしい。それが本当なら、ニワトリや豚、牛などを食べてもいいのだろう。
僕は何々をすれば悪魔(幻聴の主)の声が消える、などと考えてきた。でも悪魔の声は消えなかった。何をしても無駄なのだろうか。
統合失調症患者のための集会所がある。そこには軽症患者が結構いる。幻聴のいやがらせの言葉を聞かされていればアパートの部屋で大声で言い返しもするのが当たり前だと思うが、大声など出さない彼ら軽症患者も存在している。
彼らは次の二つのうちのどちらかではないかと思っている。
(一)幻聴が聞こえると嘘をついて生活保護を受けている。
(二)幻聴の主は顔が十人並みの人やあまり知能が高くない人が好きなので、彼ら軽症患者にいやがらせをしたりしない。だから大声も出さない。
七十七
未開発国ではクスリの使用者が少なく、その分統合失調症の回復率が高いという。強制的投薬をすれば製薬会社などが儲かるから、先進国の警察はそういう筋の汚れた利益を守るために、「患者」(被害者)を精神病棟まで拉致するのだろう(仮定)。そして、精神病棟のスタッフが行う暴力や監禁などの犯罪は警察によって取り締まられることはない。
まさに、統合失調症になった不幸と、日本という国に生まれた不幸を二重に背負っているのが僕たちだ。
午後五時半ごろ、パソコンデスクの上で頭を抱えていると、加奈が「お父さん、大丈夫?」と言ってきた。僕は「ダメ。お父さん、大丈夫じゃないよ」と言った。そうしたら加奈は泣いてしまった。
人の生活をこんなにまで不幸にする邪悪な幻聴の主!
七十八
でも、いじめならいじめの終わり方というものがあるだろう。
軽症患者は社交的で、その多くは集会所に足しげく通い、いつも仲間達と雑談をしているのである。
統合失調症の中核には自閉があるといった言い方をする文書もネットでよく見かける。
社交性が大事なのかもしれない。
「共同体(社会)に戻れたときに治る」という意味合いのことを言っている文書もネットには多かった。
いじめも終わるときが来る。そう思って生きていこう。
新人賞の授賞式に行ってきた。賞金は五十万円。マイクの前で僕は、二十代の頃のように固くもならず今後の抱負を述べることができた。
授賞式の後に、出版社の人たちと僕で居酒屋に行った。
僕は枝豆や湯豆腐、イカ焼きなんかを頼んでいた。酒はビール。
編集者の人が言った。
「黒田さんの小説は、何ていうか、綺麗ですよ」
僕は答える。
「綺麗?」
「繊細って言うか」
「ああ」
出版社の女性がこう言った。
「黒田さんは結婚されてるんですか」
僕は答えた。
「はい、結婚してます」
彼女は僕と同じくらいの歳に見えた。
「今後は黒田さんを全面的にバックアップさせてもらいますから」
「よろしくお願いします」
その後、仕事の話はほとんどせずに雑談をし、夜九時に帰途についた。
僕は団地に帰ってきた。
広子さんは「風呂、電源入ってるから入りなよ」と言った。
僕はうん、と答えて、風呂に入った。
でも、僕の人生は一体何だったんだろう。
今後、幻聴の主からのいじめは減っていくかと思うけど、十九年もの時間がなくなってしまうなんて。
でも、人生の途中にがんなどの身体病にかかってしまう人もいる。僕は健康なので、逆に運のいいほうかもしれない。
風呂に入れてある入浴剤はもう香りが消えている。だから僕は入浴剤を足した。
お湯から鮮烈な香りがしてくる。
三歳の頃のことを思い出した。僕は台所の前にいた。そしてちゃぶ台の上のイチジクを見ていた。
僕は万能感も自信も失い、ダメな小説しか書けない自分を受け入れることができないまま、風呂に浸かって休んでいた。
七十九
ベッコウ飴を口の中に入れる。
だんだん溶け出して、独特の風味が口の中を満たす。
飴をなめながら小説を書く。
人間は、みなちっぽけな存在なのではないか。分裂気質者も老化の法則には勝てない。若い頃の美貌も記憶力も、どんどん衰えていく。惜しむらくは、若く美しかった頃に文通ばかりして肉体を伴う本当の恋をしなかったこと。
この世は諸行無常なのではないだろうか。
酒を飲め、とハイヤームが言う。
ほとんどの人の関心事は恋だ。
そんなことに気づかずに生きてきた。どうすれば異性の気を引けるのかわからなかった。共学高に行かなければ恋のいろはなど習得できるわけもなかった。
正直、本当のところを言うと、広子さんに完全に満足しているわけではない。
僕はもともと処女がよかった。それなのにシングルマザーの彼女と結婚を交わした。
処女への思いはずっとずっと残ったままで。
でも、もう結婚してしまったんだ。浮気は許されない。
それに四十一のおじさんに振り向いてくれる十八か十九くらいの処女なんているだろうか?
あきらめなければならないことがある。
多くの人はその制約の中で生きていく。
?
本当にそうだろうか? 離婚する人だっているではないか。
――でも僕には離婚などできそうにない。広子さんには八〇点の点数をつけている。だから離婚などできない。
僕が成長すれば幻聴の主は僕から離れていくかもしれない。
僕が歳の割には幼いので、面白いと思って僕の傍らにいたのかもしれない。成長すれば、僕の面白みも消えるだろう。
ネットには、人生経験を積んだら幻聴は消えていった、と書いている人もいた。
残念だが、僕が四十年生きてきた年輪が、幻聴さんには見えないし、そしてそれは彼にとって存在すらしていないのだろう。
大学は意味がなかった。
高校の担任が「黒田はこぢんまりした大学が合うと思う」とせっかく言ってくれたのに、僕はマンモス大学の明治大学にした。それは間違いだった。何もケアしてくれない、単位が取れなくても何もしてくれない大学だった。簡単に言えば、冷たい大学。
大学三年の時に神経症になり、大学を休学した。地獄のような三年間を過ごした。一生治らないのではないかと思った。
三年が過ぎたころ、僕は小康状態を取り戻し、ワープロに向かって小説など書き始めたが、やがて統合失調症に陥った。近所からひっきりなしに聞こえてくるクラクションの音(幻聴かもしれなかった)がつらくて、やり場のない怒りを、小皿や湯呑みなどを自分の部屋の壁に投げつけて割ることで紛らしていた。
そして都内の某病院に監禁された。
精神病棟にはあまりいい思い出がないので、それについては何も述べないくらいのほうがいいのかもしれないが。
八十
苦しみと喜びを生きた神経症時代。
ラジオから流れてくる音楽を録音し、深夜のテレビの台風情報の曲を録音した。
(親からもらった金で)半額の寿司や半額のエビの唐揚げを食べ、発泡酒を飲み、コーラの焼酎割りを飲んだ。
何不自由ない生活だった。(それでも神経症のつらさはあった)
それは実存的な年月だった。「そんな年月を耐え抜いたことは何ものよりも尊いことだ」とか、V・E・フランクル氏はそういう言い方をするそうだ。
深夜、僕は目を覚ました。
ルイボスティーのやかんを火にかける。ルイボスの味にはすっかりなじんでしまった。
そしてパソコンのモニターに向かう。
即席ラーメンを食べたって構わない。誰も文句は言わない。
でも、即席ラーメンを食べる前にまずベッコウ飴を食べた。
ルイボスティーのティーバッグを入れたやかんのお湯が沸騰すると、火から下ろし、しばらく冷ます。
昨日、広子さんが「一戸建てに住みたいね」と言った。子供達の寝ている場所では二人の時間は営めないからだ。
まだ儲からないけど、作家としての仕事が軌道に乗り、儲かるようになったら「二階建て屋上つき」の家を建てようと思う。
欲しいのは必ずしも三階建ての家ではなく、屋上つきの家なのだ。それなら二階建てだっていいではないか。
今は原稿用紙百枚の短編を頼まれている。新人だから最初は短いものを注文してくれたのだろう。それは僕としても助かる。
「純露」という飴はベッコウ飴なのだが、何割か紅茶味の飴も入っていて、とてもおいしい。コーラ飴と同じくらい好きだ。
八十一
しばらく時が経って。
幻聴の弁護をしたい。
幻聴(幻聴さん)は、感情に従って嫌がらせの言葉を言ってくる。
その感情は妥当なものであり、仕方がないのだと思う。
今では心身両面の苦しみを与える虐待すらしてくるが、それも感情面からのことであり、幻聴さんは冷たい心ではないのだと思った。
そういう意味では、僕自身にも悪いところがあるのかもしれないが……
(終)
お読みくださりありがとうございました。




