第一話(一章~四十章)
今の私には書けない作品ですし、長さの面から言っても原稿用紙260枚くらいのものは今の私には書けません。ドストエフスキーの「地下室の手記」にも似て、結末以外は重いです。
一
僕は黒田仁。
僕は何も変えることができない。
変わることもできない。
(ただ、「変わる」という言葉は外向型の性格の人の口癖で、内向型の性格にまでその言葉があてはまるわけではない。外向型の法則は内向型にはあてはまらない)
僕は人生がギリギリで、お金もギリギリで、今日の昼ごはんは炊飯器でゆでたじゃがいも一袋分。塩をつけて食べる。バターは高いし、カロリーも多いから。ただ、じゃがいもはカロリーが低く、腹持ちは悪い。
希望が持てない。
仕方がないので、去年の花火の残っていたのを、河原でやった。そうしたら、犬を連れた近所のおばさんらしき人から「駄目じゃないの。ここは花火禁止なんだよ?」と言われてしまった。たしかに立て札を見ると花火は禁止とはっきり書いてある。僕はすいませんと言ってその場を離れ、アパートに帰った。
もう出会いへの希望もなくした。今まで一五回くらいの恋愛を悪魔によって壊された。次の一つも妨害されて壊されるに決まっているんだ。でも悪魔は、仕事をするならお前を一人前と認めてやる、という態度もあるので、それが本当なら、恋人を作るためにも仕事をするしかないということになる。
小説の原稿は結構前から書いている。でも新人賞は三つ落ちた。まだ原稿を書かなければならない。
僕は対人恐怖傾向があるので、スーパーなどで働けない。
それに作家が売れたときの収入は、スーパー店員などをやった場合よりもはるかに多いはず。夢かもしれないけど、僕はなんとしても屋上とガレージの付いた三階建ての家を建てたい。金で気を引いて二十代前半くらいの処女と結婚したい。四十だけど。
ビッチいらねー。
二
四十歳になってまだ2ちゃんねるを見ているというのもどうかと思うのだが、2ちゃんねる的な言葉で言えば、僕は「コミュ障」(人との付き合いに支障をきたしている人)であり、「処女厨」(しょじょちゅう。処女を好み、処女でない人をひどく嫌う人)でもある。
でもそれは僕が担任と親によって無理やり男子高に行かされたからで。
三十六歳くらいになってようやく「ハンサム」だの「いい男」だの言われるようになった。ということは、高校入学の十五歳の頃から数えれば、二十五年も自分の真価に気づいていなかったことになる。
だから人生を失敗したのだ。
共学高に通っていたなら、僕はプレイボーイになっていたかもしれない。
僕がおどおどしているのは共学高で可能性を開花させなかったからだ。
時々涙をこぼしながら生活している。それでも三時の紅茶とクッキーは欠かさない。午後三時過ぎから小説を書き始め、三時半ごろにティータイム。小説が行き詰まると、オンラインゲームやブログをやって、やる気を回復させる。
僕はまるっきり駄目で。
精神科の薬の副作用か、でなければ人口甘味料の弊害から、九六キロまで太った。
最初に精神科に行って処方された薬品のせいで、五八キロの細い体が六三キロまで太った。
一九九〇年代には、よく深夜の台風情報を録画して、音だけテープに録音していた。その他、ラジオからも録音した。そうしたすばらしい曲の数々があったのだが、引越しの時に曲の入ったミニディスクがなくなった。あんなにもいい曲ばかりだったのに。
恋もなくした。大分県のTは純粋な性格だったが、僕は彼女の周辺にいるかいないかさえわからない「男」に激しく嫉妬した。それをぶちまけたら、さよならを言い渡された。何もない青春だけが残った。
そして悪魔により青春(二十九歳まで)は全損させられた。
不幸な星のもとに生まれたのかもしれない。
もうこんな人生要らない、と思っても、自殺はできない。痛いのも苦しいのも嫌だ。胃洗浄も嫌だ。だから自殺はできない。
人が浮かれているのは(全員ではないにしろ)セックスを知っているからだ。僕には浮かれるような気持ちはない。なにせ四十年、体の恋がなく、文通やメール交換ばかりだったのだから。
最近まで毎日、きゅうり三本とりんご一個を食べていた。お通じはすこぶる良かった。しかし毎日の出費を抑えるためにきゅうりとりんごをやめたら、またお通じが悪くなった。金がないのだから仕方ないが…… また、りんごだけでも食べてみようか。
生活保護の十五万円という額はきつい。だから作家になって……
三
僕は大学を中退したくなかった。
でも、大学二年の頃にスチューデント・アパシー(学生の無気力症)になり、三年のときに強迫性障害(不潔恐怖)になった。のち、僕は統合失調症に。
いいことのない人生だった。これからもいいことはないのかもしれない。
悪魔が言いたいことは「働け」「税金を納めよ」というものだとわかったので、僕は毎日原稿を、原稿用紙十枚分書くことにした。
僕はアパートを出て、駅前広場に向かった。そこにはいつも鳩がいるのだ。鳩とアイコンタクトを取る。そうすると鳥である鳩に心があることが伝わってくる。
僕は鳩を見にきただけではない。駅の改札のすぐ横にあるコンビニで、「レモングラスティー」というお茶を買うためでもあった。
レモングラスティーは、味はないのだが、すばらしく香りがいい。
僕は五百ミリリットルペットボトルに入ったレモングラスティーを買い、それを飲みながら、焼き鳥屋のほうを目指す。ここの焼き鳥はとてもおいしく、ニワトリが好きなため鶏肉を避けている僕でもつい買ってしまうほどだった。
僕は人生の後半に入った。人生の前半、とくに子供時代は、楽しいことがいっぱいあったかもしれない。スライスチーズを載せてガスレンジで焼くパンも、マーマレードを塗ったパンもときめきだった。でも父は僕に心理的虐待(アダルトチルドレン論でいう「心理的虐待」)を加える暴君であり、本当を言えば心の休まる暇もなかった。ずっと悲しかった。
レモングラスティーを買っても行く場所はない。なじみのスナックでもあればいいのだが。でなければ、ゲームセンターでも。
この近辺にはゲームセンターがないのである。(僕が知らないだけかも?)
思春期のまだ新しい体液は、同級生の手のひらも、セーラー服も汚すことはなく。
体の恋を知らないまま、僕の精力は衰え気味になってきた。もう四十だから。
僕は遠くの公園にまで足を延ばしたが、それは無駄なことだった。鳩とスズメがいたのは嬉しかったが、別にこういう場所に出会いがあるわけではない。
現代の日本には公園での出会いなどない。
ナンパができる男なら違うのかもしれないけど。
ナンパなんて。
僕はいつもと同じ「散歩は空しい」という思いを抱えたまま、自宅へとUターンした。僕に幸せはない。
家に帰れば、食べるのはトラウトサーモンの刺身や、かつおのたたきばかり。肉は少量だけ売っている店が遠いので、あまり食べない。
そして風呂に入り、夕飯を食べ、テレビを見て寝るだけだ。
四
落ち葉舞う秋の明治大学のキャンパスでも、恋はしなかった。大学生になればもうセックスも公認だ。僕は恋人がいない悲しさから、大人向けの雑誌ばかり買っていた。
以前、神保町のスーパーではおいしいカクテルも売っていた。いまはどうなのだろう。
すっかり神保町に行かなくなった。それは、引っ越したために僕の最寄り駅が都営新宿線からJRに変わったせいでもあるが、精神科のクスリの副作用で、時々つらい気持ちになるためでもある。外出先でつらい気持ちになったら大変だ。だから、神保町には行かない。秋葉原にも行かない。
お金がないというのも理由の一つだ。学生時代や神経症(強迫性障害)だった頃には使える金はたくさんあった。だから神保町の三省堂で気軽に本を買ったり、秋葉原のソフマップでゲームソフトを買ったりしていた。
大学中退後は強迫性障害のため苦しい生活を送っていたが、それでも恋の芽吹きを待ち、祈るような思いで眠りにつく毎日だった。
でも恋は来なかった。僕の全ての恋は消え去った。窓を開けたまま眠る僕の耳には、毎夜、背の高い木の葉が風で揺れる音が聞こえていた。
せめて今日は、買ってきたりんごがすこぶるおいしいことを喜びたい。時々、自分が地味で内向的なために悪魔がついたのではないかと思うときもある。何千年も続いた外向文明のもとでは、内向的な者は羽ばたけない。
内向型にはつらいこの世だ。
僕はきょう、自分が内向的なために外向的な悪魔に虐げられているのだという気がした。内向の何がいけないというのだろう。
人生なんていいことなんか何もないけど、この考えは「論理的には」間違っている。いいこともたくさんある。でも要するに「いいことなんか何もない」という僕の言葉は、つらいことがいっぱい、と言っている。
ショーペンハウアーの時代もやはり人生はつらかった。現代でも同じのようだ。
僕は人よりもいくらか多く苦労を背負っている。外向型の悪魔という荷物を。
絵画や文学をやる人が精神障害になることがある。僕の創作活動の何が悪いのか。
「真実は劇薬、嘘は常備薬」と河合隼雄が言っている。外向型の悪魔の言いたいことは、真実をあまりに赤裸々に見せつけるような作品は書くな(描くな)ということなのだろうか。
真実は劇薬。
見る人、読む人にとってはつらい作品。
ムーミンで知られるトーベ・ヤンソンの初期作品の作風はおどろおどろしいものだったとか。僕も「初期作品」を卒業し、少し進歩しなければならないかもしれない。
切り干し大根とひじきを水に漬けておいた。これを取り上げて鍋に入れ、めんつゆで煮る。だんだんおいしそうな匂いがしてくる。大豆も入れればなおおいしいだろうが。
今日の夕食はこの煮物と、コンビーフひと缶、そしてご飯。質素な食事だが、普段より栄養はありそうだ。三時に紅茶を飲みながら食べたコーヒークッキーはもう胃の中でこなれている。
食事中、ふとしたことでわかった。
悪魔は「子供の心」を持っているのだと。
前にもそう思うことがあったが、腹の立つことが多く、なかなか彼を容認できなかった。
五
いじめられて統合失調症になったので加害者が賠償金を支払ったという件が、以前、新聞に載っていた。私も精神科にかなりいじめられた。
悲しんだり苦しんだりしている暗い顔をした被害者を、悪魔(僕の心は再びこの存在を否定した)はいじめたいのかもしれない。ということは、もう嘆きの作風をやめたほうがいいのかもしれない。そうすることで悪魔もいなくなるかもしれない。
僕は薄いコーヒーを入れて、クッキーを食べた。僕の執筆作業にはティータイムが欠かせない。
いまユーチューブで聞いている歌は小林明子の「恋に落ちて」。いつも、四十曲くらいあるブックマークから聴きたい曲を選んで聴いている。
僕は、また笑って過ごせる毎日を取り戻せるだろうか。
でも――悪魔の口癖「暗い性格やめてください」の「暗い性格」とは、貧しい人の暮らしを指している可能性もある。もしそうなら、なるべく早くプロの作家になってそれなりの収入を得なければならない。以前、簿記三級の勉強をしていたとき、悪魔の声が完全に止んだことがある。僕が勉強が得意であることを悪魔は知っていたから、「こいつ経理になる。ならもう貧乏人じゃないや」と彼は思ったのかもしれない。
悪魔の心理は複雑すぎて、僕には理解が困難だ。
悪魔は明治大学にいる少々ハンサムな学生だった僕を見つけて「顔も頭もいい奴の人生なんてめっちゃくっちゃにしてやる!」と思ったに違いない。だから在学中の僕をスチューデント・アパシーにした。
大学を中退して転落者となった僕は、四十歳の今日まで精神科や行政に引き回され続けたけど、これからはリカバリーを考えることができる。経理と同じかそれ以上の収入を得る身分になりたい。頑張っていこう。
でも、自動販売機に行ってジュースを買って帰るまでの間に、悪魔お得意の「苦痛を与える」いやがらせを受けた。
やっぱり僕の人生は暗いままだ。
どうすることもできない。
六
その晩、苦痛を与える嫌がらせは継続した。僕はへとへとになって床に就いた。
そして朝起きると、少し疲れが残っている自分に気づいた。
悪魔はいつになったら嫌がらせをやめるのだろう。
悪魔は敵対的態度と友好的態度を何度も繰り返して出してくるが、この友好的態度を本物と思ってしまうから、悪魔は腹が立ってひどい嫌がらせをするのかもしれない。
自分から友好的だと誤解されようとしているくせに。
僕は以前悪魔にコントロールされて原稿を削除したり、ユーチューブの好きな曲のブックマークを削除したりした。そういう行動がなくなったということは、それだけでも少し向上があったとみていいだろう。
また笑顔の日々を取り戻すんだ。
僕は布団を出ると、パジャマを脱いで普段着に着替えた。塩酸クロルプロマジンやオランザピンなどの薬品の副作用のため(でなければコーラなどの人口甘味料のせいで?)太った体には、LLの服は小さく、今では3Lの服を着ている。
精神科と縁を切りたくても、服薬をやめると病院か移送サービスの人々が拉致しに来るのだ。患者に問題行動があっても人間の基本は話し合いではないのか。なぜ精神科は「住居侵入」「略取」「監禁」「暴行」のような犯罪を犯すのか。彼らに捕まえられたら、何ヶ月も精神科病棟に監禁される。
精神科という異常な風習と縁を切るためには、僕はなんとしても作家にならなければならない。
僕のような「統合失調症患者」のために色々な事務処理をしてくれる「保健師さん」は、服薬をやめたら生活保護は受けられないよ、と言った。
逆に言えば、仕事をして収入を得て、生活保護を切ったらもう服薬は強制されないのかもしれない。「あなたは統合失調症ですから、精神科を受診して、あなたの収入のうちから料金を支払ってください」とはさすがに言えないのではないか。
僕はタイマー予約で炊いておいたご飯にポタージュの粉をかけ、水道の水を混ぜてポタージュライスを作った。これはまあまあの味だ。
僕の前には希望が広がっているはずで。
「はず」としか言えない。
悪魔のつきまといは一生続くかもしれず。
でも、今日を生きるんだ。
ユーチューブの曲が心に響く。
干した布団も取り込んだ。今日はこのあと友人のところに遊びに行って、その次に「書き物同好会」に出てくる。
ゆうべは豚肉が変色していたので、捨てた。だから仕方なく梅干をおかずにご飯を食べた。
今日も豚肉を買ってこようか。ナツメグで味付けした肉が好きなのだ。
書き物同好会に行ったら、いろいろと「コネ」の話が出た。新人賞だけでは確率低いでしょ? とのことだった。
ここから本番が始まる。僕は自分の作品を直接編集者に見てもらうかもしれない。
出版社への持ち込みをすると「いい作品ほど酷評される」ともいう。怖いな、と思う。
酷評されても、何としても小説を自分の仕事にしていかなくては。
頑張るんだ!
七
僕はネットのあるサイトを思い出した。
それは霊について書いてあるサイトだった。
あらためてそれを検索してみると、もうそのサイトはなくなっているようだった。
仕方がないので別のサイトを見た。
「高い波動」に触れていると悪い霊は離れていくということだった。また、感動したり感謝したりすることは自分自身の波動を上げるとのこと。
神社仏閣に行くことも、波動を上げてくれるそうだ。
波動を上げれば、いいことがあるのだろうか。波動が高くなると神仏とのつながりができてくるという。
恋人が……
恋人ができない。
精神福祉の女性たちとの間には、きっと決して越えられない壁がある。
でもいいんだ。僕は処女を求めているだけだから。
僕がお茶を飲みながら小説を書いていると、公園で知り合った小学生の女の子・植田加奈ちゃんが来た。
もともと、シングルマザーの加奈ちゃんのお母さんといい仲になりそうだった。彼女は僕を信用しているから、加奈ちゃんがうちに来ることを止めていない。
僕はパイナップルの缶詰を開けて加奈ちゃんにあげた。加奈ちゃんは素朴な口調で「おいしい」と言った。僕にもこんな子にしてあげられることがあるのか。
パイナップルを食べたら、加奈ちゃんはポケットからビー玉五個を出して、僕にくれた。
嬉しかった。
加奈ちゃんのお母さんに童貞だと言ったら、彼女は笑った。そして「私が取ってあげようか?」と言ってきたが、僕は「困ります」とだけ言って退去したのだった。
いま思えば、もったいないことをした。
ただ、加奈ちゃんのお母さん(植田広子さん)とそういう仲になってしまうと、のちのち「結婚して」と言われそうで怖かった。
八
植田広子さんは、僕が彼女のマンションから退去する直前、僕の左頬に手を当てて、「その気になったらいつでも連絡してね」と言った。
据え膳食わぬは男の恥?
据え膳なのだろうか。
きっと、結婚してくれって言われそうな気がするんだ。それもまた、幸せかもしれないけど。僕はちょっとぜいたくの言いすぎなのかもしれない。
僕が、他人からハンサムだと言われるようになったのが五年前。自分がハンサムかもしれないと思い始めたのが三年前。ハンサムや美人は得をするということに思い当たったのが今年。
遅すぎた春。
共学高に行ってさえいればこんなことにはならなかったのに。
僕は「イケメンの誇り」によってやせようと試みた。太っていても異性の笑顔を引き出せるくらいだから、やせたらなおさらだろう。
一食五百キロカロリーで行こうと思う。間食も控えめにしなくては。
そう思ったら、昨夜母から送られてきた箱入りのイカ焼き、つまり粉物のイカ焼きが「要冷蔵」であることに気づき、急いで食べた。
一食五百キロカロリーにできなかった。
翌日。
今日は友人のYのところから帰ってきて、また原稿を書いている。いま書いている原稿とは別に、完成した原稿があるので、封筒に入れて書留で送らなければならない。
ずっと結婚を夢見てウエディングドレスを着ていたら、ドレスがセピア色に変色するまで誰からも選んでもらえなかった王女。僕はそんな王女のような気持ちだった。
もう四十。
これからどうする、と自分に問いかける。
小説を書いていくだけだ、と自分に答える。
誰からも選んでもらえなかった僕の心と体。
気がつけば周りはみんな経験者ばかりで、そういう女たちを結婚の対象として選ぶことなどとても考えられなかった。
セピア色にすり切れていった半生。
中学三年の頃はまだよかった。でも、共学高でなく男子高に通うことが決まった。担任と両親の三人が結託して僕をツーランク低い理系の男子高に入れたのだ。本当は共学高、つまり江東区の城東高校に通いたかった。
僕の破壊された人生については言うことがいろいろあるので、小説のネタが多いことを喜ぼう。
その男子高――東京電機大学高等学校は、いまでこそ共学だが、当時は男子高だった。
僕はその学校の食堂で生卵を落としたけんちんうどんを食べたり、すうどん二杯を食べたりした。食堂ではパンを売っていたので、それを食べることもあった。
この食堂のそばは弾力があり、ある上級生が「ゴムそば」と呼んでいた。でも僕はそのそばが好きだった。
東京電機大学高等学校、つまり「電高」の学校のアルバムには、学校の近くの公園にあるジャングルジムのような構造物にクラス全員で取り付いて撮った写真が載っている。僕は端っこで寂しく笑っている。なくなった青春を思うと涙が出てきそうだが、涙はもう涸れているようだ。
体育の授業のときは、屋上からいつも東京の灰色の空と灰色の街並みを眺めていた。その向こうに夢や希望があり、そして恋人もいるのだと思っていた。灰色の青春はやがて暗黒にまで至ったのだが、それについては述べるかどうか。
九
金曜日は僕の「ごちそうの日」だ。
ごちそうの日にはうなぎや刺身を食べることが多い。
今度、いつか焼き鳥五本を金曜日のおかずにしようと思っている。駅の近くにとてもおいしい焼き鳥屋があるのだ。ニワトリが好きだから卵や鶏肉はなるべく食べたくないのだが、焼き鳥は鶏肉のおいしさを最大限に引き出しているので、つい誘惑に負けてしまう。
でも今日は、夕飯ではなく昼ごはんを「ごちそう」にしようと思い、ファミレスに行った。
選んだのは焼き魚定食。イシモチ一尾、カイワレ大根と「ふ」の入ったすまし汁、おひたし、ご飯という内容だ。これで七百円。イシモチが好きな僕にとっては嬉しいメニューだった。
精神医学は幻聴という現象が「病気の症状」だと決め付けている点が間違っている。病気だと証明できていないのである。
僕は物欲しそうに周囲のテーブルを見た。男女の二人連れ、騒いでいる女子高校生たち、そして一人でいる女。
自分の運命を自分で切り開くことができなかった。文通をしていたころ、僕の知らないところで、少女達は経験者になっていった。僕は一人、また一人と女になっていく彼女達にさよならするしかなかった。
食事を終え、伝票を持ってレジに行った。レジにいた少女は僕の手を、両手で上下から包むようにして、釣り銭とレシートを手渡してくれた。
気があるのだろうか? 前にもこの子かこの子に似ている女の子に同じことをされたんだ。「好き」ってこと?
でも僕はそのチャンスを生かす蛮勇をふりしぼることはできなかった。
スーパーでゼロカロリーのコーラの1.5リットルペットボトルを買って、寂しく自分のアパートに帰った。人口甘味料はこれが最後と思って。
このアパートには住み慣れている。でもいつか中古マンションに引っ越すか、家を建てるだろう。
恋のイロハがわからない。
僕はすぐに手を洗い、うがいをしてからパソコンを立ち上げ、原稿を書いた。
今日のイシモチはおいしかったなあ……
夢はだんだんしぼんで僕の人生からこぼれ落ちていく。そのかわりに現実が僕の人生を塗りつぶしていくかもしれない。
十
「カロリーゼロ」の飲み物に含まれる人口甘味料には大きな害があるというネットの記事を読んで、僕は人口甘味料の摂取を一切やめようと思った。それら人口甘味料を摂取すると逆に太るとまで書いてあった。
十年以上前、ゼロキロカロリーのジュースを飲むようになった。だから、人口甘味料の入った飲み物を飲んでいる期間は十年以上にも及ぶ。それらジュースを飲むようになってからひどく太った。僕はもう自分の太った体がいやだった。太る原因がわからなかったし、たいして食べていないのに太るのはおかしいと思っていた。
もう人口甘味料の入った飲み物は飲まない。だから今日はもうペットボトルは机の上にはない。
僕は今日も三時に帰ってきた。
お茶と菓子を机に置いて、原稿を書く。
(でも、やっぱり小説なんか書いても芽は出ないんじゃないだろうか)
そうやっていつもネガティブな考えが僕の中に生まれ、僕を悲観的にする。
そもそも百倍以上の倍率の新人賞など、そう簡単に受賞できるものだろうか。はなはだ心もとない。
きっと緑茶より紅茶のほうがクッキーには合うが、紅茶の渋が歯につくことを恐れて、最近ほとんど紅茶を飲んでいない。
世間の人は歯科で歯を白くしてもらっているのだろうか。歯に過酸化尿素を使うと、白くはなっても、もろくもなると新聞に書いてあった。だから僕の歯は黄色いままだ。
僕はずっとやせられないと思い込んでいたが、肥満の原因が人口甘味料にあるかもしれないという情報を得て、少し楽観的になった。人口甘味料をやめれば、好きなものを食べたり飲んだりできそうだ(?)。
中学時代、ファミコンやMSXコンピューターを買ってゲームに夢中になっていた。特に初代の「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」が驚異的に面白かった。
そのため、僕はだんだん空想的な人間になっていった。だから、男子高の東京電機大学高校にいた時期には、友達と女をひっかけに行くなどということもなかった。
空想ばかりの寂しい青春だった。
もう四十歳だけど、これからは現実の中を生きられるように――
せめてたった一人だけの、かわいい処女に出会えるように。
僕はそしてその夜、シリアルを牛乳に沈めて食べあさった。気晴らし食いをしてもいいんだ(?)。もう、肥満の原因と推定される人口甘味料は摂らないのだから。
十一
絶望に落ち、僕はどうすることもできなかった。
恋人(処女)も見つからない。
精神福祉のスタッフに「今度一緒に買い物に行こうよ」などと誘わないのは、ひとえに彼女らが処女ではない(と推定される)からだ。
確実に処女を手に入れるために、作家になってたくさんの金を稼ぐんだ。屋上とガレージの付いた三階建ての家をちらつかせて、金持ちと結婚することのお得感で処女を引きつけるんだ。
それは絶対に必要なことなんだ。
いつから処女を「必要」だと思うようになったろう。
二十一歳の時知り合ったSは処女ではなかった。だが、セックスの相手になってもいいと言ってくれた。結局Sとは何もしないままお別れしてしまったのだが、当時はセックスをしてあげてもいいという言葉だけで、大変な嬉しさを感じたものだった。
四十歳の今では、もう処女でない女は僕にとっては無意味だ。
これ以上悪魔のことは言わないようにしていきたい。悪魔は私に対していろいろな苦しめを行ってくるが、そのことをいちいちブログやフェイスブック、そして小説の中に書いていたのでは、悪魔という存在を世の中に広めていることになる。悪魔などというものはなるべく黙殺する方向で進めていきたい。
今日はかき揚げ丼を食べた。かき揚げ丼は安上がりでおいしい。
それから、今日はめばちまぐろの刺身が半額だったので、買ってきた。
半額といえば、神経症だった時代に、閉店間際の時間にスーパーに行って、よく半額の寿司や半額のローストビーフ、半額のエビの唐揚げなどを買ったものだ。
あの頃も大変だったが、いまもやはり大変だ。
次の日、僕は考え方が変わっていた。
以前ネットにこんな文章があった――恋愛をロールプレイングゲームに例えると、最初は「スライム」のような簡単に落とせる相手と恋愛をし、だんだん経験を積んで最後には「ドラゴン」のような強敵、つまり魅力ある女性に挑むのがいい、と。
僕の周りに一人だけ、その「スライム」さんがいるのだ。こちらにベタ惚れなのである。
このチャンスを逃がす機会はない。
Bまでにしておけば、妊娠のリスクも少ないだろう。
理想とする女性、つまり生涯の伴侶はそうそう出てくるものではないかもしれない。
最初はあまり美人でない人と恋愛をして練習を積み、つぎに処女やきれいな人を狙っていくといいのかもしれない。
十二
友人のYに頼んで買ってきてもらったルイボスティーは、以前手に入れて飲んだルイボスティーよりおいしくなかった。
僕は彼に言った。
「何だよあれ、あんまりおいしくなかったよ」
彼はこう答えた。
「俺もお茶には詳しくないんでね。買ってきてもらえただけでもありがたいと思えよ」
毎日と言っていいほどこの友達のアパートに行っている。コカコーラゼロとアクエリアスゼロの大きいボトルを各一本持っていき、それらを空けてしまうと、近所のコンビニや自動販売機でさらに次の飲み物を買ってくるのだ。タバコも吸う。(ただ、僕は煙を肺に入れてはいない)
途中、十二時になるとコンビニに食べ物を買いに行く。ほとんどの場合約四百円(中華丼、カツ重など)かかってしまうが、今日は百六十八円の赤飯と百三十円のおにぎりを買った。三百円程度であれば昼ご飯としては痛い出費ではない。
フロイトが「自己愛神経症」と言っていることは本当だろうか。大人になっても自慰行為ばかりで、現実の異性との性行為をしない人が自己愛神経症、つまり統合失調症であるというのだ。
僕は手ごろな女(T)と交際しようと思った。
今度うちのアパートに来たときは、「キスしようか」と言って唇を奪い、「B」に持っていきたい。
Tはあまり美人ではないし、歳もだいぶ上だと思う。だからセフレということにして、「C」まではしないようにしようと思う。つまり、Bまでで一番ディープな行為は顔射やイラマチオ、シクスティ・ナインくらいになるだろうか……いや、これは童貞の空想だ。
僕は突然、統合失調症の核心をつかんだ。
だがそれは誰にも言えない。
公共の利益のために隠しておこう。
でも、その「核心」をつかんだおかげで、僕はだいぶ過ごしやすくなった。
そしてまた、僕は手ごろな女であるTと交際しようという考えをあらためた。本当に好きと言うわけではない相手を妊娠させたらコトだ。妊娠の可能性をゼロにするには、何も身体的接触をしなければいいのだ。
遊びで付き合うのでは、Tの心も傷つくかもしれない。
僕は……
僕はプロの作家になって、色々な人と知り合う中で恋人を見つけたい。
とにかく、次々書いていくんだ。
学生時代は、がんばって好成績を出していたじゃないか。
明大生になれたんだ。作家にだって、なれるはずだ。
ネットの女友達のNには悪いが、僕はやはり処女と結婚することしかできない。
十三
僕は二つに折った布団の上に寝転んでいる。
小説もネタがなくなり、何を書いていいかわからなくなった。
最近母が食品を送ってきた。その中に菓子やそばが入っていた。菓子やそばを存分に食べたせいで、いっそう太ってしまった。
恋人や妻がいないとやせることは難しく思える。何より、恋人がいないということは、女の前で脱ぐ必要がないということだ。交わりという嬉しいことがないのなら、なぜやせる必要があるだろう。やせることほど難しいことはない。
体質上太らない人がうらやましい。
原因不明の車の出火で死んだ父。
原因不明なまま死んでいった文鳥。
僕の人生には耐え難いことが多すぎ、心はどんどん固くなっていった。
苦しみばかりの人生!
もうその呼び名は呼ばないが、そいつのせいで僕の人生は台無しにされた。
なぜ警察は彼を逮捕しないのか。
もともと、精神科と組んで僕を拉致し、精神科病棟での監禁を助けたのは警察だ。
なぜ被害者を監禁して加害者を立てるのか!
「隠れた薬害? ××××病(統合失調症)」という本があった。その本に書いてあったのは、医師である著者が医局の教授たちに逆らったときから運命が壊れ始めたこと。
僕も誰かを怒らせたのかもしれない。
ともあれ、僕の精神医学への見方はだんだん不信へと変わっていった。
病気の症状である幻聴が感情をこめて悪口なんて言うわけがない。
いつか夜起きると、「きれいな姉ちゃん」に話しかけるような幻聴が聞こえた。そしてその直後幻聴の主は取り乱して「黒田さんじゃないですかぁ」と恥ずかしそうに言った。
だから幻聴という呼び名は便宜であり、実際には、監視装置の使用者である幻聴の主がいるものだと思う。幻聴の主がお気に入りの女をのぞき見しようと思ったのだが、観察する部屋を間違えていたことに気づき、取り乱したのだと思う。
僕は疲れ切って、生きる希望すら失いそうだ。
立ち上がって、ジュースを買いに行くことにした。糖分や香料になぐさめてもらおう。
がんばり続けるんだ。
僕はきっと作家になって、屋上つき・庭付きの三階建ての家を建てる。
でも、その後で気づいてしまった。
幻聴さんは別に僕を全面的に嫌っているわけではないと。彼はいつでも笑う準備はあるのだと。
十四
その翌日、ネットで偶然見つけた。
統合失調症は霊的問題であるというサイトを。
前世のカルマが統合失調症の原因であり、苦しくても、その苦しい体験をしていくことでカルマは解消され、再び幸せな人生を生きられるときが来るのだという。統合失調症は不幸なことではないのだそうだ。
でも、現世にもカルマがある僕はどうなるのだろう。その分二倍のカルマがあるのかな……
僕はネットの情報を必死に探し、いつもそれらの情報に惑わされ、だまされて気を落とすだけだった。
僕はあのエヴァンゲリオンのDVDをテレビに映した。小説を書く机の横にテレビとブルーレイレコーダーを置いて、ただ流した。 二十代の頃、エヴァンゲリオンは僕の青春だった。悲しくてきれいなエヴァンゲリオン。
恋もしたが、文通だけだった。
いま思うのは、恋をするには工夫が必要だということ。
駆け引きというか、何かもっと相手に近づくことのできる方法があるはずだ。お釣りをもらう僕の手を両手で包んだ女の子は、本当に好意を伝えたのかもしれないし。
遅まきのスタート。
僕は暗い世界と縁を切り、光あふれる日常を目指すことにした。
そのために、パソコンのピクチャーフォルダーから、アブノーマルな写真を削除した。
今日、忘れていた素敵な音楽を鳴らしながら、多分灯油販売業と思われる車が、僕のアパートの近くに来た。それはNHKラジオが放送終了時に流していたメロディーだった。
もっとドラマチックに。
もっと楽しく。
今日から新しい人生を歩んでいける気がする。
引き寄せの法則というものがある。
多分僕は悪いものを引き寄せていた。
もう、やめよう。暗い情念は自分を傷つけるだけだ。
僕はかつて真面目だったことを思い出した。
学生時代は、真面目でありさえすれば地球はうまく回っていた。
でも、大学からドロップアウトし、認められるような何事もしないでいた。
そして統合失調症になり、信じていた自分の価値は消え去った。
僕は真面目であるところに価値がある。
真面目さは僕のルーツだから、失ってはならない。
幻聴が消えたら、また神保町に行って、本を何冊か買って帰りたい。
秋葉原もいい。買うものは特にないけど。
秋葉原の街もだいぶ変わってしまった。新しい店ができたり、広場がなくなったり。
神保町の三省堂の裏にあったシャノアールはもうなくなってしまっただろうか。あの店のケーキが好きだった。
三省堂書店二階の文庫本のコーナーで文学少女と出会うことはなかった。
苦しい人生だったけど、誰とも出会えなかったことはそれでよかったのかもしれない。これから出会うのだから。
仕事を通じて誰かに出会えればいい。
十五
でも、身の周りで恋人を見つけるのは、作家になって作家業界の中で恋人を見つけるより早い。
もしそうするなら、自分の力で女に接近しなければならない。
自分の力で。
一匹狼の僕のような人間にそれが可能だろうか?
きょう僕は理解した。
幻聴として語りかけてくる者が、人の心を持たない残酷な存在であることを。
人の心を持たないのは「情性欠如者」である。容易に犯罪を犯す者だ。
今までは、幻聴の主が人の心を持っているという前提で彼を理解しようとしてきた。
しかしそれは間違っていた。
八〇年代の歌謡曲が懐かしい。
今はユーチューブで何でも聴ける。ユーチューブはありがたい。
小坂明子の「あなた」を聴いた。
歌謡曲というものは消滅してしまったが、あの時代の歌はなぜああも情感に満ちているのだろう。
最近の歌はあまり知らない。
近所の焼き鳥屋に行って焼き鳥を買い、さらにスーパーに行って「大人のキリンレモン」を買って、帰った。
統合失調症で生活保護だけど、いつかは「治癒」して、小説で稼いでいけたら……
そして、薬をやめるか、そこまで行かなくとも、薬が一日あたり一、二錠くらいになる日が来るといい。
統合失調症で生活保護というのは、作家を目指すには本当にいい状況だ。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
本当は幻聴が聞こえず、サラリーマンでもしながら小説を書くほうがいい。でも僕は統合失調症になってしまった。だからこの好機を逃がさない。
人との出会いを重ね、運命が開けていったら。
分裂気質者の人生は後半が幸せなものになる、と本に書いてあった。本当にそうなりそうだ。
缶入りのポタージュを買いにアパートの外に出ると、金色の光が太陽から降り注いでいた。
神保町や秋葉原もいい。でも、池袋にもまた行ってみたい。東急ハンズくらいしか知っている場所はないけど。
世界には苦しみや悩みが多いけど、その人その人の努力で人生はどうにか末広がりになる場合もあるかもしれない。
十六
僕は毎日一個、りんごを食べている。
「りんごは医者いらず」という言葉を信じてのことだ。
実際、りんごには整腸作用があるという。
そして毎日、緑茶を急須一杯分飲んでいる。
緑茶に含まれる抗酸化物質が、病気のもとである体内の活性酸素を消すのだそうだ。
だから僕は病気の不安を感じない。
太ってはいるが、いつか見たメタボリック症候群の診断基準にはあてはまらない。病院で検査したら、血糖値も問題なかった。
きっと、病気によって死ぬのではなく、老衰によって自然な死を遂げられるのではないかと思う。
バラ色の人生ではないか。
だから僕は他人にもりんごと緑茶をすすめたい。知識が嫌いな友人には言っても無駄なので、ほとんどすすめていないけど。
アパートの僕の部屋は1Rで、ユニットバスだ。でもこの部屋は気に入っている。脚を延ばして寝て入れる風呂は、作家になったら家の中にしつらえよう。
それまではこの部屋を活用するのだ。
部屋を出て行くときには名残惜しさを感じるかもしれない。
部屋にはタンスと冷蔵庫、壊れた靴箱、食器棚、洗濯機、机、椅子、パソコン、炊飯器、テレビ、ブルーレイレコーダー、ガステーブルなどがあり、僕の毎日の生活はこれらを使って営まれる。
僕の一日。
朝、八時に起き、朝のクスリを飲んだらもう一度寝る。
八時半ごろ、友達に電話で起こされる。
八時五十分ごろになると起き出して、お茶漬けなど簡単な朝食を取る。(食べない日もある)
そして近所のスーパーに行って、コカコーラゼロとアクアエリアスゼロの大きいボトルをそれぞれ一本、そしてりんご、夕飯のおかずなどを買って友達の家へ赴く。
一二時にクスリ。
しばらく友達と話して、午後三時になると僕はまたスーパーに行き、今度は自分の分のゼロカロリーの飲み物を一本買って、アパートに帰る。
そしてユーチューブの音楽を聴きながら小説を書く。
行き詰まるとオンラインゲームなどして創作意欲を回復し、また小説を書く。
四時五十分ごろになると、洗濯をしながら、そしてそれと同時にウイルス対策ソフトを実行しながら、風呂に入る。(入浴剤はバスロマンの緑が気に入っている)
風呂から上がって服を着たら、食事を取る。最もよく食べる夕飯のおかずはかつおのたたきとトラウトサーモンの刺身だ。いつかかつおたのたきやトラウトサーモンの刺身は飽きたなどと嘆いたが、本当は好きなのだ。
そのあと、小説が三枚まで書き上がっていない場合には、書く作業を続ける。
午後九時にクスリ。
そして十時ごろになると布団に入る。
十七
知り合いに小説を読んでもらった。
好評だった。
僕は勇気付けられ、自信がついた。
だから、「こんな小説でいいのかなあ」という悩みとは一歩距離を置けそうだ。
ユーチューブでテレビドラマ「ケイゾク」のオープニングを見ていたら、そのドラマに映っていた柿ピーが食べたくなってしまった。
「太るから」といって柿ピーを食べないのもいい。でも僕ももう四十だ。お腹の出たおじさんであってもいいではないか……
僕は柿ピーを買いに近所のコンビニへと急いだ。柿ピーは百十八円だった。
コンビニからの帰りに見た川の上の夕日はきれいだった。川沿いの鏡のようなビルに夕日が反射して、オレンジ色に光っていた。
僕は結婚について考えた。
まず仕事に就き、収入を得なければならない。話はそれからだ。
相手は、別に処女でなくてもいいのではないかという気持ちが僕の中に生まれた。
気持ちが通じる異性であれば、処女でなくても構わない。
まず中古マンションを借りて、その後三階建ての家を建てるのがいいだろうか。
僕の本が二〇〇万部くらい売れたら、印税で家を建てるのもいいが。
結婚を考えるには少々遅い年齢だ。それでも結婚しなければ。
もうこの歳では、遊びの恋をしている暇はない。第一回目の「体の恋」自体が結婚そのものでなければならない。妊娠させてもいい相手でなければ。
世間には不幸が渦巻いていて、だんだん僕の気持ちまでつらくなる。ちょっとしたことで怒る人は、そのイライラの背後に人生の問題を抱えているのかもしれない。
オンラインゲームをやめた。
ゲーム内での出会いが全くなくて、意味がないと思ったから。もう一つの理由は、一ヶ月千四百円程度の料金がかかるというもの。出会いがないなら続ける理由もない。
以前、そのゲームにはたくさんの人が参加していて、とてもにぎわっていた。今では「過疎」とまで言われる有り様なのだ。
僕もそのゲームを捨てていく一人になった。料金の期限がもうすぐ切れる。もう次のチケットは買わないことにした。
十八
今日の夕飯のおかずは明太子だ。
出世してうな重の出前でも取れる身分になりたい。
一度上まで上がったのである。明治大学にいるとき、僕は幸せな気持ちだった。でもスチューデント・アパシーになり、さらには強迫性障害に陥って、エリート人生から転げ落ちてしまった。
そして十九年ほどの歳月が過ぎていった。
いま、僕は作家になろうとしている。
五〇万部とか一〇〇万部売れると嬉しい。
短編や中編が多いので、二作品、もしくは三作品がセットになった本が出るかと思う。
いま食べたいものはピザ。でも太っているので、ピザ一枚出前してもらうわけにもいかない。買うとすればパン屋で一切れずつ売っているピザか、ファミレスの小さいピザだ。
朝は四百キロカロリー、昼と夜は六百キロカロリーの計算でやっている。夜食に食べるきゅうりやキャベツのサラダは計算に入れていない。それはドレッシングと野菜を合わせて八十キロカロリー程度だろうか。
昨日の夜買ったバニラ味のコーラがおいしい。
アメリカの貧しい社会階層の人々は太っているとか。貧しいほうが太っているとはどういうわけなのだろう。書いてあったのは、「安価なジャンクフードを食べるから」という理由。
本当言えば、上流階級はプライドが高いので、太らない努力、やせる努力を成功させるからではないか。
とにかくバニラのコーラがおいしい。人生とはこうして一人で部屋にいて、何かチープな考えをめぐらしながら本を読んだり、ネットをやったりしているのが一番楽しいのではないかとさえ思えてくる。
ホットケーキが食べたい。
でも、ホットケーキミックスと卵、牛乳、バター、メイプルシロップを調達してくるのはいいけど、ホットケーキ自体カロリーが高いので、少ししか食べられない。それなら作らない方がましだ。
明太子をおかずに夕飯を食べた。
たらこや明太子はカロリーが少ないので、夕飯一食あたり六〇〇キロカロリーという縛りがあっても、ご飯を結構多めに食べられる。
脂の多いトラウトサーモンの刺身や肉ではこうはいかない。トラウトサーモンは百グラムあたり二百キロカロリーを超えるし、脂身のある肉もそうなのだ。
今日は僕の誕生日。
フェイスブックでも、まだ誰も祝ってくれていない。(そのうち祝うコメントが入ってくるとは思うが)
母はプレゼントとして米を送ってくれた。米が一番家計が助かるだろうから、という理由で。たしかに米は五キロで約二千円。一ヶ月の家計がかなり助かる。
誕生日に僕の部屋に彼女が来て、ジュースを飲んだりケーキを食べたり、といったことは今までに一度もなかった。
十九
人がその身に引き受けた美しくない容貌、肥満、対人恐怖傾向、病気への恐れ……
生きることは苦痛が多いけど、一方では呪われずに生きている人たちもいる。
なぜ、頑張って小説を書いている僕が幻聴の主に呪われるのか。
一般人と何が違うのか。
何も違わないと思う。
ただ、幻聴の主は僕の誇りをけがし、「どうしたら助かるんだろう」と迷い悩む僕を見て笑っているに違いないのだ。
幻聴の主は異常者でサディストだから、仕方ない。そんな人間、どうすることもできない。
これから何年か、もしかしたら一生、苦しみ続けることになるのだ。
幻聴の主のことを書くから、小説の質も悪くなる。こんなことでは稼げないではないか。
幻聴が病気の症状だと証明されたわけではない。幻聴が犯罪者の聞かせている声でないと証明されたわけではない。
ねたみ深い幻聴の主に恋愛を妨害され続けたため、今まで一度も女と寝たことがないけど、でも、独り身で陽の光を受けながら買い物に行き、帰ってくるのも、それもまたいいものだ。分裂気質的な時間がある。幻聴の主の声によって質が低下するけど、それでも幸せは残る。
幻聴の主が話しかけて来なかったなら、どんなにか素晴らしい毎日だろうに!
僕は食事制限こそが肥満の原因であるという仮説を立て、好きなものを好きなだけ食べ、また飲むことにした。いつまで続くかはわからないが。
栄養欠乏が肥満の原因であると言っている人もいる。貧しい社会階層の人が太っている原因も、ぶどうなど、高い品物を買えないことからくる栄養欠乏のせいなのだろうか?
まったく、やせる方法というのは困難な問題だ。
スポーツジムになど通うと確実にやせていくというけど、通うお金がない。
東鳩のハーベストを食べている。飲み物は紅茶。他のお茶がいっぱいあるのでティーバッグ十個入りの紅茶を買って来た(紅茶を久々に少しだけ飲みたくなっただけなのだ)。百九円だった。
スーパーには二百円くらいのステーキ肉もあり、買おうかとも思ったが、昨晩豚肉を三百グラムくらい食べたので、肉は食べたくない気分だった。だから買わなかった。
太ったねえ、と男が言ってくるのは僕の顔やモテ具合に対する嫉妬からだということに、最近気づいた。
あるとき友人が「太ったね」と言った。そして彼はその十数日後にまた「太ったなあ」と言った。太ってもいないのに太ったなどと言うのは要するに悪意なのである。
でも「友情は対立である」という言葉もあるそうで。たしかにその通りだと思う。
多くの男が僕に対して嫉妬の感情を向けてくる。
精神病棟で、ジュースをもらう列の僕のすぐ手前に割り込んでくる男がいた。また、別の精神病棟で、僕が変えたばかりのチャンネルをことさらに別のチャンネルに変えて、リモコンをキープするしょぼくれた感じの男がいた。
嫉妬とは関係ないが、近所の集会所で、香料入りの紅茶を「おいしいよねー」などと言いながら飲んでいるつまらない女もいた。香り物の紅茶に香料入れちゃだめじゃん、と僕は思う。
……いや、僕もその紅茶をおいしいと思っていた時期があったのだった。忘れていた。
二十
ルイボスティーがおいしい。
ルイボスティーにはカフェインが入っていない。タンニンも少ないという。
麦茶を水出しにするのもいいのだが、麦茶を入れるピッチャーをこまめに洗わないとまずくなる。その手間が嫌なのだ。
緑茶や紅茶はタンニンが強いので、たくさん飲むのには向かない。
幻聴の主(幻聴さん)が僕と一緒にいたい理由は「面白いから」だということがわかった。僕自身は静かな時間が欲しいのだけど、幻聴さんはとにかく僕と一緒にいたいらしい。
こんなの、病気じゃないじゃないか。
病気じゃないってことは、薬で治せないっていうことだ。
精神科は強制的にクスリを飲ませるけど、作家になって収入が多くなったら、弁護士に相談して、クスリを飲まなくていいようにしてもらおう。
先立つものは金だ。
アパート暮らし。今日も窓から西日が見える。
僕に暴力をふるったり、監禁したりした精神科。弁護士に相談して、過去九回の監禁事件について慰謝料を支払わせたい。
金がなければ弁護士に相談できず、精神科からの被害は泣き寝入りだ。そして金がなければ、精神科と縁を切ることもできない。 クスリをやめたいのだ。クスリをやめて精神科と縁を切る。
僕が失った十四年は何だったのか。それは精神科の看護師たちによる暴力から始まった苦しみの歳月だった。
そしてより良い生活を思い巡らす。きっと作家になって、いい弁護士のお得意様になって、これ以上犯罪を受け付けない人生にしたい。犯罪被害はもうたくさんだ。
警察も、幻聴によって混乱して問題行動を起こした僕を拉致し、裁判も受けさせずに精神病棟に引き渡した。以後僕は警察が信用できなくなった。
いったん仲直りしたと思った幻聴の主には失望させられた。
彼はただ僕といるのが面白いのだと思った。だがそれは僕の錯覚だった。
幻聴の主は不純だった。決して、楽しいから僕といるのではないのだった。
作家の年収が高くなったとき、何が起こるかということがわからない。なぜ画家や作家が精神障害になるのかということがわからない。
自分で言うのも何だが、一つ言えるのは、このような被害を受ける人は純粋だということだ。
書簡とか習作がいくらいくらで売れるとか、犯罪者はそういうことを考えているのだろうか。
世紀の一大画家、作家を見つけたとき、メシのタネにすることしか思いつかないのか。
作家はいろいろ発言するし、思想を広めるから「あいつが『人工肉の普及を』とか言い出さないように潰してやってくれ。うちら畜産業が困る」と依頼金を出すような人間もいるかもしれない。
ⅰps細胞の研究により、人工肉の培養はますます現実に近くなったような気がする。
大きく生きたら苦しみのうちに死ぬかもしれない。芥川氏や太宰氏の二の舞になって自殺することは免れたい。
あまり大きい者にならずに。
二十一
男は愛する人を見つけて戦いをやめるのである。
僕には見つかった。多分見つかった。
動物を去勢するとケンカしなくなるという。つまり一人身の男は戦闘的になりやすい。恋人に悪いものを抜いてもらっておとなしくなるのがいい。
もう戦うのはやめよう。好きな人がいるのだから。
昨晩はお茶漬けを食べてしまった。だから寝苦しかった。そうしてだんだん、食べすぎが体によくないことを学習していく。
最近ではジュースを飲むときに、その糖分を忌まわしいもののごとく感じるようになった。
今日はファミレスに行ってハンバーグとグラタンを食べてくる。昨日はごちそうの日だったのだが、つい刺身用のトラウトサーモンを買ってしまったので、「ごちそう」は今日食べることにしたのだった。
精神福祉の人の訪問があり、三十分ほど雑談をしてから、僕は駅の向こうのファミレスに行った。
十二時十五分。店は込んでいた。
ここで見知らぬ女と知り合うことを空想して、ドリンクバーだけで何時間もとどまっていたこともあったっけ。
ファミレスで男女が知り合うなんて聞いたこともない。
とにかく、出会いというものは困難なのだ。
……でもいいんだ。
僕は好きな人を見つけたから。
僕は「神社には高い波動が満ちている」という情報を信じて、神社に行った。
水がたまっている石のそばの貼り紙を見て、「二拝二拍手一拝」というものがあるのだと知った。二回おじぎをして、二回手を叩き、お祈りをしたら、さらにおじぎを一回。
あの神社には通いつけよう。
そうすればもしかしたら、低い霊から救われるかもしれない!
日曜日、久々に植田さんのいる団地に行ってみた。
彼女は紅茶を出してくれた。加奈ちゃんは学校に行っていて、今はいない。
植田さんは言った。
「コーヒー嫌いだったよね? 紅茶でよかったよね?」
僕は答えた。
「はい。コーヒーはあまり好きじゃないです」
「ねえ」
「何ですか」
「人生って楽しいものじゃないのかもね」
「え?」
「子供の頃は、大人になったら自由があるんだと思って希望に目を輝かせてたけど、実際に大人になってみると、気苦労のほうが多くて……」
「そうですね。そう思います」
「この世界は悲惨な世界よね」
彼女は僕のひざに手を載せてきた。
僕は言った。
「実はいま好きな人がいるんです」
「私じゃ駄目?」
「……」
僕は迷った。
ネットに、自分に自信のある(自信が文章に表れている女性は容姿が人並み以上だと思うのだ)三十代の女、つまりNがいる。その子がいいなと最近思っていた。
でも植田広子さんもなかなかいい。
甲乙つけがたい。
植田さんは手を引っ込めながら言った。
「もう。だから人生は面白くないのよ」
そして広子さんは自分のティーカップから紅茶をすすり、皿の上のバタークッキーを取って食べた。
二十二
広子さんは「クッキー、遠慮なく食べてね」と言って立ち上がり、台所に行った。そして台所からこう呼びかけた。
「もうすぐお昼でしょう。何か作りましょうか?」
僕は答えた。
「はい、お願いします」
我ながら口調も態度も硬い。
「生ラーメンでいい?」
「はい」
やがてフライパンの上で何かを炒める音が聞こえてくる。
そういえば、子供の頃こうだったな。
子供時代の僕はコーヒー(砂糖とクリーミングパウダーをたっぷり入れたドロドロのコーヒー)を飲んでいる。すると、夕飯の時間になり、すぐ目の前の台所で母が料理をし始めるのだ。その当時は、幻聴の主にとりつかれて人生がこんなにも破綻するとは思っていなかったし、自分が四十歳まで結婚せず、色っぽいこともしないなんて、そんな運命は想像しなかった。
ゼロ歳代から四十歳まで、長かった。
目の前に丼が来た。
広子さんはこう言った。
「野菜と肉を炒めてラーメンの上に載せると、味わい深くならない?」
「なりますね」
「当たり前か」
そう言って広子さんは笑った。
僕は言った。
「広子さんって何歳なんです?」
「四十」
「ああ、どうりで。年下にも年上にも見えないから」
「まあとにかく、食べようよ」
ラーメンは味噌味だった。僕らは七味唐辛子をかけてラーメンを食べた。
突然広子さんはテレビのリモコンのボタンを押し、テレビをつける。
いつもどおりにいつもと同じような番組が放送されていて、安心する。
僕は汗をかきながらラーメンを食べ終えた。
僕は言った。
「おいしいラーメンだった」
広子さんは答えた。
「私と結婚すればいつだってこのラーメンが食べられるよ」
「実は、好きな人がいるんです」
「そっかあ…… うん、あきらめるね、私」
広子さんは悲しい笑顔でそう言った。
僕は広子さんをひどく傷つけてしまったと感じた。
でも、好きな人と結婚するしかない。それをあきらめてはいけない。
僕は言った。
「そろそろ帰りますね。ラーメンごちそうさま」
「おいしく食べてくれてありがとね」
「はい」
靴を履き、ドアを開けて僕は出ていった。
十二月の空気が冷たい。
広子さんを振ってしまったんだ。もうあの部屋を訪れることもできないし、広子さんに会うこと自体、もうできないかもしれない。
悲しかった。
二十三
僕は高みを目指した。
合格した大学は明治大学。早稲田や慶応には負けるらしいが、悪くないと思った。明大の大教室はいつも僕の心を落ち着けてくれた。
そして。
精神科との戦いに並行して、小説を書き始めたのが二〇〇一年。最初は原稿用紙十枚以内のものばかり書いていた。いつかはデビューできると思って、書いていた。
その後何度も精神科に監禁された。私は家族に対して迷惑な行為もしたのだが、それには理由があったから、こちらの言い分くらい聞いてもらいたかった。
いつしか中編小説が書けるようになった。一日あたり原稿用紙一枚分書けるようになった。
(何か迷惑行為をしたら警察は人を精神病棟まで拉致するのではなく、裁判を受けさせるべきだ。誰にだって裁判を受ける権利はあるはず。結局は精神病棟に入れるのだから、刑務所に入れているようなものではないか。裁判によらず人を監禁していいのか)
僕は疲れを覚える。いろいろと嫌な事があった。統合失調症で初めて監禁されたのが二十六歳。いつの間にか四十歳になった。長い長い苦しみの旅だった。
ネットのあの子(N)は僕と付き合ってくれるだろうか。
疲れた。
すり切れたぼろ雑巾が僕だ。
精神科は有効な治療法を行使できないまま十四年間も、ただルーチンワークのように、僕にクスリを飲ませたり、暴行、監禁などをしてきた。
精神科には幻聴に対する有効打がない。
僕は気分転換のためにアパートのすぐ近くの自動販売機に行って、暖かいココアを買った。
「仕事」、つまり執筆の合間にならカフェオレかな、とも思ったのだが、コーヒーがあまり好きでない。
部屋に戻り、ユーチューブから八神純子の「みずいろの雨」をかける。
懐かしい八〇年代の歌は僕の心になじんだ。一九八〇年には、僕はまだ七歳だった。人生が壊れるなどとは想像していない小学一年生だった。
恋愛下手な人が統合失調症になっていることが多いような気がする。
ネットのあるサイトには、修道院の禁欲主義者が特に「悪魔つき」になりやすかったと書いてあった。
ある精神病棟には、妻との仲がうまくいっていない六十歳程度の男性患者がいたし、別の精神病棟には、欲求不満らしい五十代後半くらいの女性患者がいた。
僕の友人の男性患者も、「セックスしてえなあ」などと言うわりには、いつまでも相手を見つけられないでいるようだ。
禁欲や欲求不満が統合失調症の原因ではないだろうか。
そう思ったら、僕の荷は軽くなり、過ごしやすくなった。どのみち、恋はしたほうがいい。大人ならセックスを禁止されているわけでもない。
恋人を探せばいいのだ。見つからないと思ってあきらめるのではなく。
今日は豆腐の味噌汁でも作ろうか。豆腐の半分は冷奴、半分は味噌汁だ。
運命が変わるといいけど。
注目しているネットのあの子。
二十四
午前三時。
僕は統合失調症を味わいつくした結果、統合失調症を「病気」、幻聴を「症状」と呼ぶほうが得策だと思った。世間はそれがスタンダードなのである。
クスリも甘んじて飲もう。副作用で体液が減っているが、それは恋人ができたら「何とかしてください」と医師に相談すればいい。
僕は「好きな人」、つまりネットのNにどう近づいたらいいかわからなかった。Nはつれないわけではないのだが、僕と交際する気があるのかないのかよくわからない。男性にリードされたいタイプなのかもしれない。
それならNは切ろう。リードされたいタイプなんて嫌いだ。
広子さんのほうがいい。
僕の幻聴に対する考えは二転三転する。
今はもう「禁欲や欲求不満が統合失調症の原因」だとは思っていない。
幻聴の主はサディスティックで。
漫画「じみへん」の世界が幻聴さんの世界なら、「エヴァンゲリオン」の世界が僕の世界だ。こんなにも違う二つの世界、重なり合うわけがない。
僕は日曜日の昼時、広子さんの携帯電話に電話をかけた。
広子さんは「はい」と言って電話に出た。
僕は言った。
「すいません。意見を取り消します。好きな人がいるって言いましたけど、その人は煮え切らない人なので、やっぱり広子さんがいいと思って」
「都合のいい言い訳ね」
「でも、この前お別れするとき、お別れする寂しさをすごく感じてたんです。悲しかったんです」
「そっか……」
「僕とまた会ってくれますか」
「いいよ。今日おいでよ」
「わかりました」
「じゃあ、切るね。会えるの楽しみにしてるから」
「はい。何か持っていきますよ」
「はーい」
「失礼します」
「失礼しまーす」
僕の中に幸せな気持ちが広がった。
多分広子さんは僕にとって一番いい人なんだ、と思った。
団地は僕のアパートから十五分ほど歩いた場所にある。その途中に、洋菓子店でショートケーキを三つ買っていった。
十五分歩くのは苦にならない。
団地の建物に「7」と書いてある。7号棟だ。ここの五階に広子さんと加奈ちゃんは住んでいる。
僕は広子さんの夫になるのかな……
初めての情事が怖かった。
チャイムを鳴らすと、広子さんが出てきて扉を開けた。彼女はとても嬉しそうな顔をした。そして言った。
「入って。……昼ごはん食べた?」
「まだ何も。……これ、持ってきたんだ」
そう言って僕はケーキの入った紙箱を掲げた。
「ケーキ? ありがとう。お礼に何か作るね。ラーメンとそばどっちがいい?」
「そばがいいな」
「じゃあ待っててね」
広子さんは台所に引っ込んだ。
リビングにはちゃぶ台があるが、その向こうに加奈ちゃんがいた。加奈ちゃんは六歳で、いま小学一年生だ。加奈ちゃんは言った。
「仁おじさん、またきてくれてありがとう」
僕は答える。
「この前ビー玉くれてありがとね。机の上に置いて飾ってるよ」
そうして加奈ちゃんと話していると、広子さんがちゃぶ台の上に丼を持ってきてくれた。そして言った。
「かいわれと大根おろしとなめこのそば」
僕は「おいしそうだね」と言って、広子さんから箸を受け取った。
ぎりぎりのところで、自暴自棄にならなくてもいい可能性が見えた。僕は自分の幸せを追求していけば、幻聴さんも一日中話しかけてくる現在の僕への働きかけ方を改めてくれるのではないかと思った。
別に僕は幼稚ではないけど、僕のことを幼稚だと思っている幻聴さんにとって、僕が「より大人になる」ことは不愉快なことではないだろう。そばをすすりながら、そう考えた。
二十五
広子さんは言った。
「今日泊まっていったら」
僕は答える。
「うん。そうするよ」
「三人で買い物に行こうよ」
「いいですね」
僕がそばを食べ終わると、僕らは外に出た。
冬の空気は最近は霜柱も立てない。
でも最近の東京は土のある場所を探す方が難しいけれど。氷もあまり張らなくなった。
僕が子供だった一九七〇年代には、洪水もあったし、雪もたくさん降った。
地球が温暖化したせいなのだろうか。
僕ら三人はスーパーに着き、食品売り場に行った。
広子さんは言った。
「ほら、見て。百グラム百二十八円のカツオ」
僕は応じる。
「お値打ち品って書いてあるね」
「買っていこう」
売り場を歩いていくと、鶏肉のコーナーで鶏もも肉が百グラム六十八円で売られていた。
広子さんは言った。
「ほら見て! もも肉が百グラム六十八円だって!」
僕は応じる。
「僕……鶏肉あんまり好きじゃないんだ」
「唐揚げも?」
「焼き鳥なら食べるけど、それも最近は抵抗がある。ニワトリとか鳥一般が好きだから、卵も鶏肉も苦手なんだよね」
「それなら、やめとく……」
加奈ちゃんが言った。
「仁おじさん鶏肉嫌いなの?」
「嫌いっていうか、僕はニワトリが好きなんだよ」
「ふうん」
その後広子さんはカナダ産カラスガレイを買い、パイナップルの切ったのを買い、さらに牛ステーキ肉を二枚買った。野菜と酒も買った。
レジの手前で、僕は言った。
「何かね、僕の人生のゴールは広子さんとの結婚であるような気がするんだ」
広子さんは答えた。
「ゴールかあ。たしかに本当に好きな人と結婚できたら、それはゴールだよね」
レジで商品が計算されていき、四千二百十五円という合計額が出た。
広子さんは焦った様子で言った。
「お金が足りない…… 仁さん、千円貸してくれる?」
「いいよ」
僕は千円札を何枚も入れておく二つ目の財布から千円札を取り出して、広子さんに渡した。
広子さんは言った。
「今度返すから」
団地の広子さんの部屋に帰ると、時間は二時半だった。
ケーキを食べ、紅茶を飲み、けだるい午後を過ごした。
広子さんが言った。
「仁さん、小説書いてるんだよね」
僕は答える。
「うん、書いてるよ」
「結婚したら私を食べさせてくれないかな」
「うん……でもまだ新人賞も受賞してないんだ」
「いつごろ受賞できそう?」
「そればっかりはちょっとわからないね」
「そう。いま派遣の会社で働いているんだけど、きつくてね」
「そっか…… 僕がデビューできたら広子さんには家事だけやってもらうよ」
広子さんはいたずらっぽい視線をこちらに向け、微笑みながら「頑張ってね」と言った。
二十六
小説の道。
仕事にしろ何にしろ、すべてがそうなのかもしれないが、真面目にやっていくのではなく、「お客様」からの高い評価を得ることが仕事の真の目的なのではないか。
そのためには、小説に保存料でも着色料でも混ぜよう。楽をして、簡単な工程で、お客様から高い評価の得られるかまぼこ、つまり小説を作れるなら、それでいいではないか。
天才は後の時代になっても読み継がれるが、そこまでする必要はない。現代の人に本が売れればそれでいい。
広子さんがトイレに行っている間、そんなことを考えながら唐辛子せんべいを食べていた。
そして広子さんはトイレから戻ってくる。
「数千万円か数億円の儲けのためだもの、小説、がんばってね」
「買いかぶりすぎだよ。四百万円が関の山かもしれない」
「そうなの?」
「売れっ子になれたら幸せだね」
「そうでしょ?」
加奈ちゃんは言った。
「仁おじさん、私のお父さんになるの?」
僕は広子さんのほうを見た。
彼女は言った。
「多分そういうことになるんだと思う」
僕は言った。
「広子さん、その言葉、本気にしていいの」
「何よ、今さら。もう乗りかかった船でしょ」
「そうだね……」
広子さんは僕の手を握った。
「こんないい人が現れるとは思ってなかった。前の夫は駄目な人だったから、絶望もした。でももうそんな運命はないんだ。優しい夫が現れてくれた」
広子さんは右手に持ったティシューで涙を拭った。
僕は暖かい気持ちで、広子さんの左手を握り返していた。
その夜。
加奈ちゃんがいるので、情事は営めない。
隣の布団に寝ている広子さんはこう言った。
「一緒にホテルに行くのは日曜がいいね。加奈には鍵を持たせてあるから大丈夫。日曜日は、『今日は遅くなる』って加奈に言っておかないとね」
僕は「そうだね」と答えて、広子さんの手を握った。
静かな夜だった。
朝、僕が目を覚ますと、だしの匂いがした。味噌汁というより、すまし汁? そんな予感がした。
トイレに立つと、広子さんが「おはよう」と言ってきた。
僕は答えた。
「大変だね。毎日仕事だなんて」
「仁さんだって仕事くらいしたことあるでしょ」
「アルバイトならね。それもほとんどの場合、すぐやめちゃったんだ」
「そうなの」
「色々な職業を遍歴したけど、結局どれも合わなくて作家になった人がいるって」
僕はトイレのドアを内側から閉めた。
トイレの中まで包丁の音が聞こえてくる。包丁のリズミカルな音が出せるってことは、広子さん、料理の腕がそれなりのものなんだろうな、と思った。
二十七
作家は権力に負けてはならない。
作家が小説を書くのをやめても、権力は彼に対する追及をやめないだろう。
書き続けるしかないのだ。むしろ書き続け、より大きく強い存在にならなければならない。
朝ごはんは「ふ」と小松菜の入ったすまし汁、サンマ、肉野菜炒め、ご飯というメニューだった。
小松菜はあまり好きでなかったのだが、すまし汁の中の小松菜は純な味で、僕はその日から小松菜好きに変わってしまった。
僕と広子さん、加奈ちゃんは三人で団地の部屋を出て、それぞれの道を行った。
その時道の脇にあった自動販売機に「オレンジフレーバー」と書かれた暖かい紅茶があったので、僕は迷わずそれを買った。
オレンジ果汁の甘さも酸味もないが、香りが良かった。道を後戻りして五缶買いだめしたほどだった。
僕は自分のアパートに戻ると、その紅茶を飲みながら小説を書いた。
作家は権力をしのぐほど大きなもの、龍になるのだ。そうしなければ生きる道はない。
僕は別に権力に対して反抗心があるわけではない。静かな小説を書いていたいのだ。
それでも権力は私を、金を受け取って相手を悪く書く三流ジャーナリストか何かと勘違いしているのである。もともと権力を突っつくつもりはない。
僕はYのうちに行った。
Yのアパートの部屋のチャイムを鳴らすと、彼は出てきて「おう。入れよ」と言った。
僕は言った。
「今日は手土産が何もないんだ」
「いいよ。気にすんなよ」
そう言ってYはインスタントのコーヒーを入れてくれた。僕はごく薄いコーヒーが好きなので、そのようにしてくれた。
そしてYは言った。
「親戚が送ってきたんだ」
Yが手に持っているのは、箱入りの洋菓子だった。
僕は「うまそうだな」と言って、箱を受け取り、開封した。
箱の中には、バウムクーヘンのような固めの生地に白いコーティングのかかった菓子が二十四本入っていた。
僕が菓子を食べるとYは「うまいだろ」と言って同意を求めた。
僕は「うまい」と言って、薄いコーヒーをすすった。
これもまた幸せだな、と思った。
日本もまた恐怖政治の社会と変わらない。それでも、そんな日本にも小さな幸せがある。僕は小説で儲けて屋上付き三階建ての家を建てても、僕を助けてくれた色々な人たちからの恩を忘れまいと思う。
ささやかな幸せ。
でも僕はそのささやかな幸せに一パーセント混じった「権力からの締め付け」を排除したいのだ。
僕のテリトリーに侵入してきた権力を排除できる「龍」にならなければならない。
二十八
真面目に生きることは何の幸せももたらさなかった。それなら真面目さなど捨ててしまおうと思ったこともあるが、結局やはり真面目に生きるのが一番確実な生き方だと思う。
でも、文芸公募は試験ではない。
どんなに出来が良くても、新人賞が受賞できないこともあるだろう。
だからこそ、真面目でも、努力しても、意味がないと思う。
そんな四十年間だった。
報われない。
この世界に生きることが苦しみでしかないのなら……
でも、自殺するのでない限り、ただ苦しみの中を生きるしかない。
なんというシビアな現実。
まるで治らない身体病にかかったかのようなシビアな現実だ。
それこそが人生の意味であると。
それでも僕はやはり夢を追いたいのだ。屋上とガレージのついた三階建ての家を建てて、そこに妻と一緒に住みたい。
無理かもしれない。
もし無理なら、人間は何のために生きるのか!
こんな苦痛な世界を作り出した神がいるなら、その神は罰を受けるべきだ。
僕は体を認識して、この世界の不完全さと冷たさを理解した。
病気だけは防がなければならない。
かといって、カロリー制限のためにやめた一日一個のりんごを、もう食べる気はしない。おいしいと思って食べているのではない。ただ「りんごは医者要らず」と呼ばれているから。理由はそれだけ。
僕は抗酸化作用のある緑茶だけで健康を保っていこうという考えに切り替えた。
一日の摂取カロリーとしている二千キロカロリーの中に、あのおいしくないりんごを含めたいとは思わない。
健康だけなら緑茶で守ればいいんだ。
「苦痛な世界」がこの世の現実。
道徳はときに法を侵すから、無価値なものだ。道徳は倫理に劣る。
次の日曜日、僕は広子さんの部屋に行った。
そして僕は話した。
「この世界は悲惨な世界で、夢もかなわないんだ。だから、僕が作家になって数千万円とか数億円をもうけることなんてできっこないんだよ」
広子さんは答える。
「そう思うの?」
「せいぜい年収二百八十万円程度が関の山だと思うんだ」
「そっかあ……」
広子さんはこの世のつらさを受け止めているような表情だった。
僕の中に悪魔の味が広がり、絶望を呼び起こす。悪魔はおびえた者ではあっても、その力は強大だ。
だから、僕は広子さんと結婚しない方がいいように思えた。悪魔が僕のもとを去らないのなら。
二十九
僕は神らしい存在から恩恵を受けたようだった。
悪魔に苦しめられているとき、Yから電話がかかってきて「あさって、カレー作ろうよ」と言った。カレーを作ることが希望に思えた。
そしてまた、精神疾患の患者のための集会所に行くと、Yが嫌っているDという男と仲良くなれた。
僕は「友達が一人増えたのかもしれない」と思った。
Dはその集会所で毎週行われる「書き物同好会」の一員なのだ。
自分の自閉を解決し、たくさんの友達、知り合いを作り、世界を広げていくこと。そうすることで、統合失調症は治癒するように思えた。
これからが本当の人生だ!
仲の良い友達というものは、一緒にいて気を使わない相手だ。それが何人もいたら、かなり幸せが増すように思われる。
僕はしばらく街を散歩し、コンビニで生ハムを買って、駅前広場の座れる段差に座って食べた。そのカロリーは七十八キロカロリー。
きょう昼食に食べた寿司が五百四十キロカロリーくらいだったので、六百キロカロリーから差し引いて六十キロカロリー余分に食べられる計算だった。毎日チロルチョコ(たしか六十キロカロリー程度)を食べているので、それを食べなければ、合わせて百二十キロカロリーくらい、余分に食べられた。だから生ハムを買った。
生ハムは、味覚や嗅覚の鋭敏さが衰えてきた四十歳の僕にとっても、大変なおいしさであり、ぜいたくだった。そんなものが百円台で買えるのだから、日本はよほど豊かな国なのだと思う。
日本には人を監禁する精神病棟がたくさんある。それは患者との対話の可能性を捨ててしまっているのだ。むしろ精神科は、混乱状態の患者と会話する技術をこそ開発していくべきだ。気持ちを察してあげるように話すのがいいと思う。精神病者は「暴れる人」ではなく「困っている人」なのである。
日本はひどい国だと思っていたが、むしろこれからは日本を好きになり、日本がさらにいい国になっていくのを見届けたいと思う。僕が死ぬ年、つまり四十年後か五十年後くらいに日本がどんな国になっているか、楽しみだ。
そしてその日の夜、スーパーで買ってきたまぐろのたたきをご飯に乗せて食べた。植物油脂などが添加されているらしいが、原材料名の欄を見る限り、体に悪いものは特に入っていないようだった。
まぐろのたたきにしょうゆとわさびを混ぜ、ご飯に乗せて食べた。
なんというおいしさ!
しかもそれは半額の品だった。百四十九円で買えたのだ。
まぐろのたたきを買ったスーパーでは、コカコーラゼロの二リットルペットボトルが百六十八円という破格の値段で売られている。友人も「あのスーパーは庶民の味方だからね」と言ったことがある。
三十
すべきことは全て終わった。
何をしても、努力によって幻聴を止めることはできない。
むしろ、惑わされて色々な努力(幻聴を止めるための努力)をする方が良くない。それは徒労なのだ。幻聴はその徒労を笑っているはず。
今日は日曜なので、広子さんの部屋に行った。広子さんはホットケーキを焼いてくれた。ちゃんとメイプルシロップもかかっている。お茶はルイボスティーだった。
加奈ちゃんは言った。
「ルイボスいやだ」
広子さんは答える。
「冷たいルイボスがいやなんでしょう」
「冷たいルイボス?」
「うん。冷たいのはクセがあるけど、あったかいのはおいしいよ。飲んでごらん」
「うん」
加奈ちゃんは暖かいルイボスティーをひと口飲んで、「おいしい」と言った。
広子さんは続けた。
「そうでしょ? ルイボスはあったかいのはおいしいよ」
僕もルイボスティーを飲んだ。僕もこのお茶が気に入って、週一回ルイボスのティーバッグを買っている。
ホットケーキにナイフを入れ、ひと口づつ口に放り込んでいく。これもまた昨日のまぐろのたたきに負けず劣らず美味だった。
僕は僕の夢を!
二〇万部とか五〇万部、売れるように!
人が車で乗り付けても車を停められるように、ガレージの付いた家を建てる。僕は当分免許は取らないと思う。
三階建ての家の屋上で、時々バーベキューでもやりたい。
幻聴なんかに負けたくない。
昼のホットケーキを食べ終わると、僕らはスーパーに買い物に行った。毛布が駄目になったから買いに行くとのことだ。
スーパーの二階に毛布があった。それはポリエステル百パーセントで、値段は二千円ほどだった。
加奈ちゃんは毛布をさわり、「ふわふわ!」と言った。そして毛布に顔を押し付けた。
広子さんは「気に入ったの?」と言い、そのブラウンの毛布をかごに入れた。
僕らは色々なものと戦って生きているが、人生はたしかに、苦労ばかりではない。幸せをどんどん増やし、お邪魔虫をのけて進んでいこう。
昨日、僕の部屋のユニットバスの電球が切れた。明るい方がいいが、かといってLED電球は高すぎる。だから蛍光灯の入っている電球を買った。
僕らはいったん広子さんの部屋に戻り、お茶を飲みながら話した。加奈ちゃんはテレビを見ていた。
そして午後五時ごろ、三人でレストランに行ってスパゲティを食べた。広子さんはボンゴレ、加奈ちゃんはカルボナーラ、僕はペペロンチーノを食べた。
僕らはレストランの前でさよならを言い、別々の方向に歩いていった。
コンビニで買ったノンアルコールビールを飲みながらアパートに帰った。
郵便受けを確かめたが、そう、今日は日曜。日曜は夕刊がない。忘れていた。
三十一
別の日。
妄念→実行
そういう流れがある。それこそが精神病の本体だと思った。
たとえば、昔の医師が説いた「精神病は白砂糖病である」という説を信じ込んで、砂糖類を摂らないようにする。そういうのが妄念の実行である。これを繰り返していればいつまでも幻聴の主はサディスティックな喜びを感じ続けるだろう。そういうことではいけないのだ。
今日は火曜。深夜に好きなアニメが放送されるので、録画予約してある。最近はアニメがつまらなくなったので、その一つの番組しか見ていない。でも、アニメがつまらなくなったというより、歳をとったせいでアニメを楽しく思わなくなったのかもしれない。
最近はダイエットがうまくいっている。
一日当たり二千キロカロリー。
朝は三百、昼と夕飯は六百、ティータイムのクッキー類は三百、そして一日一本と決めているジュースが約二百。そんな感じだ。
ただ、夜食に食べる野菜の味噌汁は度外視している。野菜にも味噌にもカロリーはあまりないはずだから。
僕は「妄念→実行」が精神病の本体であるという考え方を作り出したので、少し気持ちが落ちついた。これからはただ小説をたくさん新人賞に応募する。何としてでも豊かな生活がしたい。もう月収十五万円なんて嫌なのだ。
好きな時に好きなものが食べたいし、外食を増やしたい。自分で料理を作るのは手間がかかるし、栄養バランスのいい食事を作ることは難しい。外食の方が栄養のバランスが取れている。
四十歳。
広子さんと知り合えてよかったけれど、幻聴に対して怒りすぎたせいか、髪の生え際が後退してしまった。最初のまともな恋が四十歳で、しかもその最初の恋の時に生え際が後退しているなんて。
僕の人生は苦痛に満ちていて、生きるに値しないものだった。これからだってそうだ。広子さんと抱き合おうにも、もう僕の左の生え際ははげかかっているのだ。
人生は無意味だ。今まで光を求めて生きてきたけど、文通の恋は二十回くらい、幻聴の主によってすべて失敗させられた。
悪魔がこの世にいる限り、人生は無意味だ。
生きるに値しない。
人口の半分は、整った顔立ちでない。
顔立ちはともかく、僕はもうはげかかっている。容姿に恵まれない人の気持ちが少しわかった気がした。世界の主人公だった僕が急に脇役に回った。女にキスをしようとしてもハゲでは様にならない。いっそスキンヘッドにでもしてしまおうか。作家業ならスキンヘッドでも叱られないだろう。
スキンヘッドを維持するのもなかなか大変そうだ。少し髪を剃るのを怠ったら、生えてきた毛がみっともない。
三十二
人生は無意味で、自分は人生の脇役。
容姿に恵まれない人はそういう人生を生きてきたのか?
僕は突然脇役に落とされ、どうしていいかわからない。
大学時代はプリンス気取りだった。太ってもいなかった。
でも、神経症に侵食され、僕は駄目になっていった。
青春を有意義に過ごさなかったのは僕だ。大分や福島の、女の文通相手のところへ飛行機で飛んで行かなかったのは僕だ。
青春が全損したのは、僕自身が恋をしようとしなかったから。
これからは脇役の人生。
美しい主役である広子さんの哀れみを受ける。
次の日、入ったことのない近所の中華料理店に入ってみた。
ラーメンのおいしい店を探しているのだ。
その店には「鶏そば」というものがあった。
「鶏そばってラーメンですか」と聞いたら、そうです、との答えが返ってきた。
本当は「ねぎラーメン」を注文したかったのだが、突き動かされるように鶏そばを頼んでしまった。
ニワトリが好きだから、普段から鶏肉や卵を食べないようにしている。だから、ラーメンの上の鶏肉を食べるとき、食べ物だと思うことができなかった。
麺は少し伸びた頃においしくなった。
今度この店に来ることがあったら、チンジャオロースーの定食を食べようと思う。
帰りに見た夕日は優しかった。僕は夕日の左手に見えるスーパーに入り、広子さんが買ったのと同じ毛布を買った。
その日の終わりに、幸せな気持ちで布団に潜った。エアコンをつけなくても暖かい。気持ちも暖かい。
眠りに落ちながら、宗教的現象を引き起こす幻聴の主は違法な宗教団体なのではないかと思った。
子供の頃から宗教が嫌いだった。世界は自然界が最大のサイズで、神という存在は自然界より小さく、自然界に従属するものだと思っていた。もちろんキリスト教も信じられなかった。
少し前まで、救いを求めて教会に行ったりもしたのだが、イエス様がいるとは信じられないまま、僕の信心は終わった。
小さい頃、実家の本棚にあった「イエスさま」という絵本を僕は読まなかった。その絵本は色あせて、いつまでも寂しそうだった。
三十三
今日は緑茶を買わなければならない。
緑茶は買い物ノートの上で「特殊費」に分類している。
特殊費とは、緑茶、洗剤、入浴剤、ゴミ袋など、一回で使い切らない品物である。特殊費は一ヶ月あたり一万五千円から一万六千円程度になる。
その他に、日々の飲み物・食べ物代が一日あたり千九百円程度。
ガス代、電気代、ネット代などは、使ってしまわないように封筒に入れてキープしている。
僕はきのう、しらたきをラーメンスープで食べた。しらたきラーメン。
あまりおいしくなかった。もやしの方がまだおいしいかもしれない。
ただ、ダイエットはうまくいっているので嬉しい。
でもハゲだけはどうにもならない。
知人のすっぴんの顔を写真で見たり、色々な面から、空想を現実に戻される。
空想の世界から現実へ。
現実の中でもとくにすばらしいのは赤ちゃんだ。半年くらい前に女の友人が赤ちゃんを産んだのである。その女の赤ちゃんはとてもかわいくて、僕はその子の前に行くとすぐ笑顔になってしまう。
ゲームに溺れ、ゲームの中の少女に恋し、現実を生きなかった。
いま、エヴァンゲリオンの劇中の歌をユーチューブで流している。僕はなつかしさも合わせて一九九〇年代を振り返る。エヴァンゲリオン旧劇場版の新聞広告が一面まるごと使って打たれたこともあった。あの頃は青春真っ只中だったが、やはり女と付き合わなかったのが一番いけなかった。
友達のところから帰ってきて、僕はティータイムを営む。普通の紅茶とアーモンドクッキー。アーモンドクッキーは百八十円だった。
そしてお茶とクッキーの写真をフェイスブックに上げる。
ネットで本名を出す時代に僕が追いつくのは遅まきだった。
過去の文通相手の名前をフェイスブックで検索してみるが、それらしい人は見つからなかった。僕の昔の恋人たちはSNSなどやらないタイプなのだろうか。
一部の美男(かつて僕もそうだった)、美女だけが、恋を存分に楽しめる主人公としての人生を生きられる。でも僕ははげてしまった。脇役として生きなければならない。もともと人口の半分くらいは美しさに恵まれていない。彼らはそれでも結婚するし、子供も作る。
僕もそういう「美とは関係のない」世界を生きなければならないのかと思うと、惨めな気持ちになってくる。
増毛でもしようか。
三十四
僕はちっぽけな人間。
沖縄で、心身に異常をきたした人がユタというシャーマンのところに行き、神と直接交流することのできる生まれつきのユタである「ウマレユタ」と認められ、ユタになることを求められるのだという。現代の沖縄でも事情は同じなのだろうか。
「神と直接交流できる者」と「統合失調症患者」では大きな違いがある。そこに差別が生まれる。
僕らは毎日「クスリ」を飲むことを強制される。それはもう「暴発してほしくないから」であり、治療のためではない。クスリの薬理作用によって苦しみを感じさせ、それを「鎮静作用」と呼んでいる。
そもそも暴発するのは、本人が精神障害になり始めた時に周囲が彼や彼女に優しくしてあげなかったからではないのか? 彼や彼女が精神科に反抗するのは、精神科が優しくしてあげなかったからではないのか?
何はともあれ、僕はちっぽけな人間。
イケメンはブイブイ言わせるもの。でも僕は自分が美男だと気づくのが遅かった。気づいたのは三十四歳ごろだった。その頃初めて「ハンサム」「美男」などと言われるようになった。僕はずっとそれに気づかずに生きていたのだった。
共学の城東高校ではなく、当時男子高だった東京電気大学高等学校に入学した。
共学高に入っていたなら、もっと自分に自信を持って生きていたかもしれないし、いい恋人にも出会えたはずだ。
もう、遅い。
今日はYのアパートでシチューを作り、二人で食べた。彼は「黒田さん料理うまいよ」とさかんに言う。僕は「箱に書いてある通りに作るからだよ」と答える。Yは自己流で作るそうだ。
別にそんなに料理がうまいわけではない。主婦の包丁さばきは一流だが、僕はせいぜいチャーハンや豚汁、味噌汁、炊き込みご飯くらいしか作れない。初級者と言うべきだろう。
それにしても。
失った青春に嘆息する。
父は僕に愛情を注がず、いつも僕をどやしつけた。母は父にいじめられて泣いていた。
生まれた家が悪かった。
いつか、父の運転でドライブに行ったとき、車内でうぐいすパンを父からもらった。でも僕はうぐいすパンが嫌いだった。
過去を思い出せば涙が出そうになるが、ドライアイだろうか、涙は出てくれない。
高校時代にアンドレ・ギャニオンの曲を見つけた。クラシックをやめて、そのかわりによく聴くようになった。
すべてのルーツは過去にある。
遠い過去の、涙が出そうな思い出の数々。
僕は色々失ったけど、思い出の中で生きていける。
三十五
昨晩、ワインを飲んだ。
クスリを飲んでいると酒がまずく感じる。
だから昨晩も、白ワインはおいしく飲めなかった。つまみは中にチーズの入ったおかきと、小さいスルメ二枚。
吐かなかったが、食欲が増してそばを二束食べてしまった。
翌日、早朝に目が覚めて、のどの渇きから水を飲んだ。
僕は今朝の幻聴の毒づきによって、自分をウマレユタと同様のものと考えるのをやめた。つまり、毒づいてくるような邪悪な存在は神ではありえないし、十五年前、クラクションの音の幻聴で執拗に僕を苦しめた異常な者は神ではありえない。
毎度毎度、洗脳がかかって意見がころころ変わってしまう。だから僕はブログやフェイスブックで信用を保つのに苦労する。
今日買ってきたのは、入浴剤、銀鮭、コカコーラゼロ(Yのアパートに持っていって二人で飲む)、アクエリアスゼロだ。
ラーメンスープに漬けて食べるしらたきともやしを毎日買っているが、ゆうべはそばを食べたため、しらたきやもやしは食べなかった。
右手の中指と薬指の裏が堅くなっているのは「マウスだこ」だろうか。ちょっと嫌だが、マウスを使わないわけにもいかないので、仕方がない。
クリームを塗ったら軟らかくなるだろうか。とりあえずニベアを塗った。
そんな朝、広子さんから電話がかかってきた。
「はい」
広子さんは言った。
「植田です。おはよう」
「おはよう」
「次の日曜、ディスカウントショップに行かない?」
「いいね。面白そうだね」
「でしょ」
「でも、すぐ見終わっちゃうかもしれない」
「その後で食事をしようよ」
「うん」
僕らは日曜日、ディスカウントショップで待ち合わせた。
僕は言った。
「みんな『現実に帰れ』とか言って現実重視だけど、空想的な人間もいると思うんだ」
広子さんは「うん」と答える。
「空想的な人間にとっては空想は食事のように必要なものなんじゃないかと思って」
「うん」
「空想の中で人生をどう生きたらいいか、考えてると思うんだ」
「そう。私はそういう意味では現実派だね。仁さんは空想家なんだね」
「うん」
僕らはディスカウントショップに入った。
店に入ってすぐのところに紫水晶やコハクなどが置いてあり、美しく光っていた。
加奈ちゃんが「きれーい」と言って紫水晶に手を伸ばす。値札には六百円と書かれている。
僕は加奈ちゃんの背後から「買ってあげようか」と語りかけた。
広子さんは「悪いよ」と言って僕を制止した。加奈ちゃんは「欲しいなあ」と言って広子さんの顔を見る。
広子さんは言った。
「仁さんは生活保護だもんね。ひと月十五万円の中から六百円出すのも大変でしょう」
「まあね」
広子さんは「私が買ってあげるよ」と言って紫水晶の入った箱を拾い上げた。
三十六
紫水晶を手に入れた加奈ちゃんは満足げだった。
広子さんは言った。
「なくさないように、帰るまではお母さんが持ってるからね」
加奈ちゃんは「うん」と答える。
僕は買い物かごを持ち、プルーン、ピーナツ、いちじくジャム、ノートなどを買った。
広子さんは広子さんで別のかごを持ち、自分の買い物をしていた。
加奈ちゃんは紫水晶がよほど気に入ったらしく、それ以上何かをせがむことはなかった。
そしてファミレスに行く。
僕はホイコーローとライスを注文した。
広子さんと加奈ちゃんは春巻きとチンジャオロースーを一緒に食べることにしたらしい。ライスは二人分注文した。
何だか、なぜかはわからないが、運命が青空のように晴れ上がっていくような気がする。
僕はその予感から、少し涙が出た。それをティシューで拭いた。
僕はようやく、幻聴の主の「優しいふり」を見極めた。DVをする男のように、幻聴の主は優しさといじめを交互に使ってくる。
その優しさが嘘だとわかった。
いつかは、雨の中、ジンチョウゲの花の香りを楽しむような自由な時間、そんな時間が帰ってくるかもしれない。
本当の意味での日曜日が帰ってくるかもしれない。
僕らはファミレスを出て、広子さんの団地に行き、お茶を飲んだ。そして四時間ほど過ごし、僕は帰った。
人生はいいもの、なのだと思う。
そう思わないと、幻聴の主が喜ぶと思う。そしてつけあがる。彼は、私が落胆したり絶望したりするのを見ているのが楽しいのだろう。
いま、応募して結果の出ていない新人賞が七つある。少しづつ前進して、一つでも受賞しなければ。そのために毎日原稿を書いている。
今日はYが風呂に入りに来た。Yの部屋には風呂がなく、いつも銭湯に通っているからだ。
「黒田さんのところに来ると銭湯の四百五十円が浮くんだ」
たしかに四百五十円の節約は大きい。実際、Yを風呂に入れてあげたかわりに、僕は百円のジュースをおごってもらった。
Yは感謝して帰っていく。
人と人の心のつながり。そんなものは三十三歳ごろまでなかった。文通は少女がこちらに好意を寄せてくれているようでも、他の男にナンパされて経験してしまったりと、悲惨なものだった。文通は悲惨だ。
だから、最初の精神病院から「退院促進支援事業」を仕事にしている女性によって助け出されたときまで、つまり三十三歳ごろまで、人との心のつながりはなかった。その女性とは今では友達である。
もう、苦難、苦難と言うのはやめよう。今の僕の生活は決して人々の平均的な幸せに比べて下ではない。苦難だと繰り返し言っていれば、幻聴の主はつけあがる。
三十七
絶望することはないのだ。
幻聴はいつか消えると思ったほうがいい。消えないという根拠もないからだ。
絶望をやめる。
いじめっ子というものは、いじめられている子が暗い顔をしているのを見て喜ぶものであるはず。
ある水曜日、広子さんからホテルに誘われた。
加奈には外で泊まってくるって言ってあるから、と彼女は電話で言った。
僕は着るものに気をつけてアパートを出た。そしてホテルの近くの大学の前で広子さんを待った。僕はようやく奪われるのか。
タクシーやトラックなどが行き交う広い道路が目の前にある。ホテルは大学の横の坂道を進んだ奥まった場所にある。
広子さんが来た。
僕は手を掲げて広子さんを迎えた。広子さんは「お待たせ!」と一言言った。
僕らは多分これで夫婦になる。一生連れ添うのだ。そんな新しい人生が始まることが僕は嬉しかった。人生の展望はこのビル街の空のように明るく感じられた。
ホテルへの道を二人で歩いていく。今は午後二時四十分だ。
僕らは近くのコンビニで食べ物と飲み物を調達したが、避妊具は買わなかった。
広子さんは言った。
「いいでしょ? 子供ができても」
僕は答える。
「うん。でも、僕はまだ新人賞を受賞してなくて、無職なんだ」
「私の収入だけでもなんとか食べていけるよ。心配しないで」
「うん……」
大学の横の坂道を歩いて上るとホテルがある。
フロントで鍵をもらい、僕らは部屋に入った。
僕は今になって「セックスは汚い感じがする」と、自分の偽らぬ感情を述べた。
広子さんは「そのうち慣れるから、やってみよう」と言った。
そして僕は広子さんに導かれ、彼女と一つになった。
優しい愛撫と、耳元でのささやき。
終わったとき、僕はなぜか涙を流していた。
僕ら二人はベッドに座ってとりとめない会話をした。僕らはいつしか話すことにも飽き始めていた。
気がつくと午後五時を過ぎていた。僕はサンドイッチとクッキーを食べ、広子さんは弁当とフルーツヨーグルトを食べた。飲み物は二人とも緑茶だった。
僕は言った。
「夢がかなった感じがするんだ。僕、ずっと一人ぼっちで、寂しかった。文通をしても裏切られることの方が多かった。だから、初めてセックスができて、嬉しくて」
「ね、言ったでしょう? セックスは楽しいものだって」
「……でも、コンビニも便利になったよね。フルーツヨーグルトなんて売っててさ」
「そうだね。私達七十三年生まれは、コンビニがなかった時代を知ってるからね。そんな時代ももう遠い昔になった」
「もう、コンビニがなかった時代の街の風景は忘れちゃったよ」
三十八
僕は広子さんを部屋に残して一人でコンビニに行き、缶ビール四本とサラミ、コンビーフを買い、部屋に戻った。
僕はビールに少し酔ったらしく、ふらふらした。だからベッドに横になった。
広子さんは言った。
「仁君、酒に弱いの?」
僕は答えた。
「精神科のクスリを飲んでると、酒に弱くなるんだ」
零時頃目が覚め、何か食べたいと思った。そうしたらちょうど広子さんが帰ってきて、カップラーメンをよこした。
夜食べるカップラーメンはおいしいよね、と僕は言った。
広子さんは「酒を飲んだからなおさらおいしいでしょ」と言った。
僕はまだ体重が九二キロある。精神科のクスリであるオランザピンは、副作用で太ってしまうことのあるクスリなのだ。広子さんは九二キロの僕に優しかった。
ああ、何だか赤ワインが飲みたい気分だなあ、と思ったが、口に出さなかった。これ以上飲んだら吐くかもしれないから。
翌日。
自分のアパートに戻った僕は、それまで一日あたり原稿用紙三枚書いていたのを、無制限にした。その日は枚数が十二枚に達した。
本気で小説を仕事にしていくんだ。
塞翁が馬。統合失調症で生活保護なのを強みにして、新人賞にどんどん応募していくんだ。
仕事の合間には缶コーヒーを飲む。そして午後三時半ごろにはティータイムを持つ。
缶コーヒーのカロリーは計算外なのだが、僕は「仕事のためのエネルギーだからいいだろ」という調子だ。
広子さんに裸を見せること。それがやせていくモチベーションになりそうだ。
ある日曜日から、僕は広子さんの部屋に住み付いた。加奈ちゃんには「お父さん代わり」と認識されている。料理は煮物や温野菜など、野菜の多いメニューを作ってくれる。それもあって僕の体重は順調に落ち、今では七十九キロ。六十キロを目指して頑張ろう。
僕は自分のアパートの部屋を引き払うことにした。保健師さんに「生活保護をやめる」と言ったのだ。
タンスやパソコンデスク、冷蔵庫、洗濯機などは実家に送った。こまごまとした物も使うものと使わないものに分け、それぞれ実家と広子さんの部屋に宅急便で送った。
三年間過ごしたアパートの部屋が愛おしかった。僕を幻聴の主から守ってくれた頼もしい部屋だった。僕は最後の掃除をして、部屋を出て行った。
三十九
夫は妻を食わさなければならない。
一日に書く原稿も十五枚程度になり、キーボードを叩く行為もいっそう仕事らしくなった。
広子さんは夜九時、僕が借りているパソコンデスクの端に、自分で焼いたクッキーやホットケーキを紅茶と一緒に置いてくれる。
現実から逃げてはいけない。
現実から逃げたらだめだ、と言っているのは森田療法も同じだ。精神疾患とは、現実から逃げたときに重くなるものかもしれない。
神経症になったのは二十一歳の時だったが、これは学業から退却したのだった。
必修科目のフランス語(フランス文学専攻だった)や体育実技がネックだった。学業を頑張ってこなし、留年してでも大学を卒業すべきだったのだ。
大学を休学していた頃は神経症が続いた。大学を中退した一年後くらいに、神経症が治った。
それからしばらく、「一日八時間ワープロに向かって小説を書く」と自分で決めて、実践していた。その頃は症状らしいものはあまりなかったように思う。
でも、小説は何も受賞できなかった。
そして一九九八年十一月に、統合失調症になった。
僕は好きな人と結ばれて一戸建てに住むとか、そういった夢を実現するためには仕事(作家でもその他の仕事でも)を頑張らなければならない。現実から逃げてはいけない。
K病院で出会った大工が言っていた。ゼロから工務店の仕事を始めたのだと。彼にできるなら僕にもできるはずだ。
底力を出すんだ。そうすれば小説という事業を起こせる。
僕の小説は次々、選考にもれた。三つの小説が「没」になった。でも今は、審査結果の出ていない作品が七つもある。
とにかく一つでいいから新人賞を受賞できればいい。
僕が原稿を書いていると、加奈ちゃんが「遊んで」と言ってくるが、「大事な仕事なんだ。後で遊ぼうね」と言ってかわしている。でも原稿を書く作業の後で、実際におもちゃで遊んであげるのである。
僕自身がコンピューターゲームに毒されて育ったから、広子さんに「ゲーム機は買ってあげないほうがいいと思う」と言った。でも本当は、夢想家でなければ、コンピューターゲームにはまり込んで抜け出せなくなることはない。最近の人はオタクでなくてもゲームをする。「モンハン」がいい例だ。彼らの場合、ゲームに毒されることはない。
原稿を書くのを休んで、西側にある窓を開け、夕日を見た。美しい夕日。そして芳しい風。僕はいい場所にたどり着いたな、と思った。
妻は処女でなければ、と思っていた頃もあった。でも、この世に生まれてしまった恋を、そういう理由で消し去ってしまうのは惜しかった。だから広子さんを選んだ。
それに、人間には寿命がある。四十歳ともなると、もう恋のチャンスはいつ巡ってくるかわからない。
四十
精神病院は「統合失調症」と「診断」して監禁や点滴、注射、強制的投薬、暴力などを行う。
私が「統合失調症」(幻聴が聞こえる現象は今でも原因不明であり、病気だと証明されていない)になってから行った最初の迷惑行為は、何度も繰り返し聞こえてくるクラクションの音(幻聴だったかどうかは不明)がつらくて、自分の部屋の隅で皿やコップを壁に叩きつけて割っていたというものだ。
それが人を精神病棟のベッドに拘束するほどいけないことだろうか?
最初に入った精神病棟は三ヶ月で出られたが、すぐにその病院の系列の、他県の病院にある精神病棟に監禁された。
その精神病棟では向精神薬副作用がひどく、つらい体験をした。個人差はあるが、クスリを服用していたら僕は心と体がすさまじいまでに苦しかった。
その後も七回、精神病棟に監禁された。
そもそも最初の迷惑行為(クラクションの音がうるさくて食器を割っていたという行動)はそれほど他人に害を及ぼすものではない。精神病棟で虐待されなければまだ心の傷は浅かった。
しかし精神病棟に何度も監禁されたり、看護士から暴力を振るわれたりすることで、僕は深い心の傷を負った。だからこそ迷惑行為はエスカレートし、分別していないゴミを大量に出したり、窃盗を行なったり、窓からパソコンとモニターを投げ捨てるなどの行動をするようになった。
つまり、精神科が病気を作っているのだ。
明日は精神保健福祉士の女の友人との面談がある。面談は集会所で行われる。彼女と僕はきっと、日本の精神福祉の潮流を作っている。
声が聞こえるというこの現象は、一生続くのではなく、いつか終わるのだと思えた。
いつかあのすばらしい自由の日が帰ってくる。本当の意味での日曜日が帰ってくる。ティータイムも。
もちろん、回復してくれば、強制的に投与されているクスリだって減らされるだろう。
パソコンデスクに置いている香料無添加のオレンジジュースがおいしい。
いつか始まるはずの自由な人生。
声は、消える。
未開発国(発展途上国)のほうが「幻聴が聞こえる現象」のある人(統合失調症患者)は回復しやすいとのこと。先進国に生きる不幸である。
でも、1Rの小さな部屋でも、ガスレンジも使えるし、エアコンもあり、風呂にも自由に入れる。そして店にあふれる品物の豊富さ。
入浴剤を入れた風呂に毎日入れるぜいたく。
先進国にもいいところがあるから、日本と東京の今後を期待しながら見守っていこう。
後半(第二話)もお読みください。




