第一部 第一章 混沌の風 その2-2
カオスとメテアの安眠を妨害したのは、遠くから聴こえてきた悲鳴だった。
森での興奮が二人の眠りを浅くしていたために聴こえた程度の小さな音だった。
部屋の前で出くわすカオスとメテア。
「何かしら今の……」
「さあ……でも、昼間のことがあるからね。危険なことは、いつ、何処で起こるかわからないから」
「そう簡単に危険なことは起こらないわよ。でも、気になるからちょっと出てみる?」
「そうだね」
軽く考えていた二人は、外に出て驚愕することになる。
大自然とのバランスの取れた生活。仮面がもたらしてくれた平和。これからの未来。すべてが一変する。
村の端にある一軒家から炎が上がっている。それを囲む人々の影。
燃えている家の隣から飛び出してくる人物を、影たちが襲いかかる。
カオスとメテアはその瞬間、何が起こっているのかを理解した。
「襲撃だ~!」
誰かが叫んだ。
家々から村人がゾロゾロと起き出してくる。
キリシ村の男たちは漁で鍛えられている猛者ぞろいだ。肉体もそうだが、仮面の能力も戦闘向きなモノが多い。これまでにも何度か賊の襲撃があった。しかし、そのことごとくを撃退してきたのだった。
「おい、お前ら、人が気持ちよく寝ていたのに、よくも邪魔してくれたな。それにタジの家も燃やしやがって、覚悟は出来ているんだろうな」
ズイと前に出たのは、腕ッ節のいいコクシュだった。五十代も半ばに差し掛かるが、肉体の衰えは感じられない。樹の皮で覆われたような仮面で、能力も樹である。
コクシュの視線が、地面に向けられた。
「お前ら……シリーに何をしやがった!」
絶命している村人を見下ろし、コクシュの眼が怒りに燃える。
「許さんぞ、お前ら! モノモノを串刺しにしろ! エイティブ」
怒号とともに、コクシュの周りに、無数の宙に浮く木の矢が発生した。
それらが勢いよく飛んで行く。
賊は全員が黒いマントを羽織っている。背には赤い三叉の矛の紋章がある。カオスとメテアは嫌な予感がした。こいつらは……組織化されている集団、今までの賊とは違うと。
矢は賊に命中することなく、空中でスポンジに刺さるようにしてゆっくりと止まった。
その矢の中をかいくぐり、ひとりの女性が前に出てきた。
綺麗な仮面だった。ダイヤでコーティングされているような美しい仮面で、星の明かりを七色に反射させている。
「我々は三叉の矛。我々の目的はプロメタの仮面、この村にあるか? 隠し立てすると村を焼きつくし、すみずみまで調べさせてもらう」
「それがお願いする態度か? だったら最初から、ありませんかと訊けばいいじゃないか」
コクシュの隣に、イザナが並んだ。
シャイアの次に強い男だ。能力は爆弾。触れたモノを瞬時に爆弾に変えてしまう能力。
「我々の目的は仮面だけではない。世界の統一も目的のひとつ。いちいち探している暇はない。手っ取り早い方法を我々は選択する」
固唾をのんで見守るカオスとメテアの肩を、優しく抱くショカ。彼女もこの騒ぎで眼を覚ましたようだ。
「ふたりとも、逃げるのよ」
ショカは小さく震えていた。
「私の名はエラ」ダイヤの女が声を高らかに宣言する。「世界の海を支配するもの。文句のあるヤツはかかってこい」
「上等だ、このやろう」
「キリシの男たちをなめるな」
コクシュとイザナに呼応するかのように、村中の男たちがずらりと並んだ。
ショカはその隙をつき、二人を連れて村から出ようと駆け出した。
「ま、待ってよ、ショカおばさん。みんなといっしょにあいつらを追い出さないと」
「ダメよ、メテアちゃん」
「どうしてよ。カオスからも何か云いなさいよ」
しかし、カオスは黙ったままだった。それはあのエラという女性から放たれる禍々しいモノを感じ取っていたからだ。おそらくメテアも同様に恐怖を汲み取っているのだろう。しかし、彼女の負けん気の強さが恐怖心を抑圧しているにすぎない。
カオスは予感した。
もう、キリシ村は……。
「エラ様。何もあなたが自ら手を下さなくとも、私でジュウブンですが……」
エラの背後から、クモのような仮面を被った男が出てきた。
「そう急くな。ワタシもヒマをしていたのだ」
「そうでしたか……ならば、思う存分破壊して下さい」
「何をいう、そんなことをしたらプロメタの仮面がここにあった場合、仮面ごと破壊してしまうではないか。ほどほどに手を抜く」
「何をゴチャゴチャ云ってやがる。シリーのかたきをとらせてもらうぜ」
コクシュが吠える。
エラはここで微笑を浮かべた。
「これから世界は戦乱の渦に見舞われるだろう。大地は焦土と化し、空は黒雲に覆われる。苦しまずに一瞬で死ねることを、幸せだと思え」
エラが右腕を天にむけた。
「降り注げ、慈愛の光よ。ワレの前に未来を……スリーヤ」
漆黒の雲を切り裂き、一条の光が大地を照らした。
その刹那、無音のまま、キリシ村は塵と化した。
背後で消滅する村を見たカオスとメテアは言葉を失い、呆然とその光景を見守った。
喜びも悲しみも、いろいろな思い出がいっぱいつまった故郷。これから旅に出ることがあっても、かならず戻ってくると誓っていた場所。ずっと、世代を超えて残って行く村だと思っていた。そんなキリシ村が今、眼の前で消滅したのだ。
噴煙が引くと、見るも無残な残骸しか残っていなかった。心のよりどころを土足で踏みにじられたような気がした。
メテアは声を殺して泣き……カオスはエラの顔を心に焼き付けた。
「早く、早く……」
ショカは二人を牽引する。
三人はもつれながらも森へとたどり着いた。
夜の森は、ラーマと出会うのと同等の危険を伴う。が、エラと対峙するよりも遥かに安全だろう。ショカの選択は的確だった。
安堵感と焦燥感が注意力を散漫にさせたのは仕方のないことだった。
先に森へ足を踏み入れたショカは、そこでピタリと歩をとめた。
「どうしたの母さん?」
動こうとしない母親を怪訝に思うのも無理はない。一刻も早く、村から……否、エラから離れなくてはならないのだ。
「ああ……許して下さい。この二人はまだ子供なのです。私の命はささげます。だから、どうか、この二人だけは見逃してください」
ショカは哀願した。
誰にお願いしているのか、しかしそれは、すぐにわかった。
森の影から男がひとり、音もなくぬっと現れた。
三叉の矛のマント。先ほどエラの背後にいた男だ。
クモのような仮面がイビツさを増長させ、その笑いも陰険だった。
「くっくっく。じゃあ、訊きますよ。プロメタの仮面はどこにあるのでしょう?」
「ああ、そんなものは知りません。だから、二人だけは許して下さい」
「どうしましょうかねえ」
カオスとメテアはこのとき、ショカが何故動かないのか理解した。ショカは動けないのだ。木と木の間に無数の細い糸が張り巡らされ、ショカの四肢はそれにからめ取られている。まさにクモの巣であった。コクシュの矢を止めたのも、まさにこの糸だったのだ。
「ひとつ教えてあげましょう。私の名前はデメテラといい、三叉の矛に入った理由、それは、暴れられる、と訊いたものですから」
三人はこのとき確信した。この男は何があろうと、ひとりも逃がすつもりはないと……。
「二人とも今のうちに逃げて。すべてを白日の元に……アージョン」
ショカが叫ぶと同時に、ショカの額の単眼から、ものすごい閃光がきらめいた。
眼が八つあるデメテラは硬直した。しかし、カオスとメテアはショカの精神集中を訊いて何をするのかわかっていたため、眼を閉じて難を逃れた。
だが、ふたりは逃げない。
「樹液よ伝え、スルトラ!」
「閃光よ、ほとばしれ、ユグドラ」
森の木々から樹液が棘のように伸びて、ショカを呪縛していた糸を切る。メテアの能力だ。続いて、再び閃光が走る。
カオスの能力、コピー。発動には条件があるのだが、それは後ほど語られることだろう。
「早くつかまって。全力で逃げるわよ」
メテアがショカの肩を抱き、駆け出す。
カオスはひとりだけ歩を止めて振り返った。
「逃がすか」
デメテラが咆哮する。
「束縛し、自由を殺せ、ハソカミ」
「映し出せ、ユグドラ」
クモの網同士がぶつかり相殺する。
「早く! 逃げるのよカオス」
「カオス……カオスか。俺は何処までも追っていくぞ。逃げられると思うなよ」
デメテラはまだ眼を覆っている。視界が戻っていないようだ。カオスはそのままデメテラと戦う予定だった。しかし、敵は彼一人ではないのだ。やがて騒ぎを訊きつけ、仲間が駆けつけてくるだろう。
メテアの云うとおり、ここは逃げるのが得策だと、カオスは踵を返し駆け出した。そのときふと、視界の隅に一本のヒモが見えた。無色透明の糸は、ショカの身体につながっていた。
「メテア。糸で追跡されている。切断して」
了解、と地面から氷の刃を出し、それを切る。
カオスとメテアの注意がデメテラから糸へ向けられた、まさにその瞬間だった。
するどい一本の糸が飛んできて、ショカの背中を貫いた。
悲鳴を上げるショカ。
「糸によく気づいたな。だが、俺の能力がこれだけだと思うな」
眼もなれてきたデメテラは、三人を追おうとするが、彼の両足は糸でからめ取られ、一歩も動けなかった。
カオスが施した罠だった。
「くそ、いつの間に。だが、俺は何処までも追っていく。覚えたぞ、カオスにメテアだな。次だ……次にあったときは容赦しない」
デメテラの声は夜の闇に消えていった。
☆
平和だった時代に今、終止符がうたれた。
三叉の矛が宣戦を布告し、世界に戦いを挑んだ。
能力者同士の争いは熾烈を極める。三叉の矛が支配に成功するのか。それとも何者かが阻止するのか。
そして、彼らの探しているプロメタの仮面が何処にあるのか。
怒りに震えるカオスとメテアには、何もわからなかった。
第一章 完
つづく