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第一部 終章 絶望の糸 その4-1

     4


 王室にはラデスがひとり、大きな腰掛にリラックスした様子で座していた。右手には赤ワイン。

 ラデスはしかし、ゆっくりと、誰もいないはずの部屋の陰に声をかけた。

「いい加減、出てきたらどうだ?」

 それに呼応するかのように、柱の影からひとりの男が姿をあらわした。

「わかっていたのですね」

 カオスであった。

「そんなことだろうと思ったよ」

 ラデスはグラスを置き立ち上がった。

「初めまして、俺が三叉の矛総帥ラデスだ。君は……カオスくんかな?」

 ラデスの仮面は黄金に輝いていた。頬から伸びるたくましい角は、前方に大きく湾曲していて、額には《五本》のツノが生えている。

 カオスは慎重に間合いを取った。

「そんなに警戒しなくてもいい。なぜならば、俺が姿を消せば、簡単に近づけるからな」

「三叉の矛を解散してくれませんか?」

 ラデスは驚いた様子で、カオスの顔を凝視した。

「俺を倒すためにここに来たのではないのか?」

「初めはそのつもりでした。でも、話し合いで解決できれば、それにこしたことはないと思って、ボクは単身、あなたの元へきたのです」

 ラデスは肩を大きく揺らした。

「面白い男だなお前は。それで、お前を無事に帰すと思っているのか?」

「それはどうでしょう。あなたの人格を信じるしかありませんね」

「見逃してやりたいところだが――ララクレス……」

 この二人を外から見ている者がいれば、何をやっているのか不思議がることだろう。

 ラデスの姿は消えてはいない。そこにいるのだ。だが、カオスの眼には映っていないようである。カオスにとっては、ラデスは実際、消えているのだった。そして、カオスは今何をしていたのか、誰と話していたのか、これから何をしようとしていたのか、すべてが忘却の彼方へ。

 ラデスは悠々とカオスに近づいた。眼の前まで来て止まると、そっと手を伸ばし、仮面を剥ぎ取った。

 そこでカオスは我に返った。両手で顔を触るが仮面がない。眼前にはラデス。その手には自分の仮面……。

「お前がバカでよかったよ。ハッハッハッハ」

 ラデスは急に笑いをやめ、カオスに詰め寄った。

「ただ殺すだけなら簡単だ。それでは面白くない。だから、お前を支配して何か楽しいことをしようと思う。さあ……どうしてくれようか……」

 仮面を失った今、カオスになす術はなかった。今まで如何に仮面に依存していたか。人間とはなんと無力なのか。それが、身にしみてわかった。

「決めた。お前が下にいる仲間たちを殺す、というのはどうだ? 裏切りにゆがむ顔を見たくはないか? お前の意識だけは残しておいてやろう。仲間が絶望に嘆く様を見るがよい。すばらしい余興だ。俺を楽しませてくれよ」

 ラデスは意識を集中した。今思いついた遊戯を夢想した。

 仮面を被っていないカオスに、それを防ぐことは出来ない。


     ☆


「二次元へ、ハーバータ」

「敵を切り裂け、アヌー」

 ナトの剣がカシャルを狙う。カシャルは身体を横に向けた。するとどうだろう、彼の身体が消えた。ナトの攻撃が空を切る。そして、ナトの身体が前方に流れると、トリックの謎が解けた。カシャルは消えたのではない、彼の身体は絵画のように薄くなっていたのだ。

「チカラが弱くなったとは思わないでください」

 カシャルが水平にはらった剣を、ナトはかろうじて防いだ。その衝撃は普通の人のそれであった。

「不思議な能力だ。だが、種がわかってしまえば簡単に対策を立てられる」

「そうですか、なら、これはどうですか?」

 カシャルはそう云って距離をとった。

「二次元から四次元へ、ハーバータ」

 突然、ナトはめまいをおぼえた。頭痛とともに空間がグニャリとゆがむ。

 カシャルの動きが急に俊敏になった。眼で追うのがやっとだ。背後にまわったカシャルがナトの背を切りつける。咄嗟に前方へ身体を倒すが間に合わない。熱い痛みが背中を走る。

「さすがですね致命傷をさけるなんて。でも不思議でしょう? これは私のスピードが速くなったわけではありません。あなたの時間の流れを遅くしただけですよ」

「どういう意味だ?」

「簡単なことです。この世界は三次元ですよね。私だけが四次元の存在になったのです。時間というものは止まることはありません。かならず流れている。それを、私は少しだけずらすことが出来るのです。つまり、私の時間だけを早送りしているわけですよ」

 ナトは痛みをおくびにも見せず立ち上がった。

「やはり、種さえわかれば大したことのない能力だ。小手先だけではない、本物というものを見せてやる。地獄滅殺流の奥義をな」

 カシャルは青ざめた。

「何ですか、そのしゃれたネーミングは」

「良さがわかるようになれば、一人前の男になるだろうよ」

「ふふ。まあいいでしょう、十分楽しみました。もう終わりにしましょう」

 カシャルの身体が揺れた。

 ナトの視界がぼやけているせいかもしれなかったが、彼にはそう見えたのだ。

「どうしました? 私の動きについてこれないようですが」

 カシャルはナトをいたぶるようにして、切り傷をつけていく。ナトはそれに反応できず、かろうじて急所を避けるだけだった。

「見せてくださいよ、えっと、地獄滅殺流でしたっけ?」

 ナトが攻撃を繰り出すが、カシャルにとってはスローモーションでしかない。当たるはずがなかった。

「やはり噂は尾ひれがつくものですね。もっと期待していたのですが……いや、私が強すぎるのかもしれませんね。次は伝説のサラノスに戦いを挑むとしましょう」

 満身創痍となりながらも、ナトは笑顔をくずさない。

「おいおい、俺に勝ったつもりなのか? 逆だよ。お前はもう終わっている」

「口だけは最強のようだ。それではサヨウナラ」

 カシャルがグニャリと動いた。それを迎え撃つナトは、大きく跳躍した。カシャルはナトの背後に高速でまわり、その攻撃をやり過ごす。むなしく地面に剣を突き立てるナト。カシャルは剣を逆手にもちかえ、ナトの背に突き立てた。舞う血飛沫。

「さすがですね。この状況でなおも急所をさけるとは――」

 と、そのとき、カシャルが小さくうめいた。

「その余裕が隙を生むのだ。俺がわざと地面に剣を突き刺したことに気づかない油断。お前はたしかに強い。しかし、能力におぼれれば、それはいわば、チカラをもてあます、ということなのだ」

 カシャルの背に、地面から生えている剣が突き立てられていた。ナトの剣は地面を貫き、大きく湾曲し、また地表から出ていたのだった。

「初めにこれを見せていれば、お前は警戒していただろう。だが、油断が、俺の攻撃方法は剣を振り回すだけと判断したのだ」

 ナトが立ち上がり、カシャルは地面に崩れ落ちた。


つづく

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