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八咫烏  作者: 夜香蘭
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時と変化

時は戻らない。

自然と共に生きるものの耳に届く多くの音。守りたい。その思いは永遠に変わらない

俺が教えられることは、全てあの子に教えよう。霧の濃い森は逞秋の視界を奪って慧の姿を覆いかくす。風の音が人間の音を消してしまう。逞秋は全神経を集中させて慧の気配と音を探し始めた。すると、風の音に紛れて微かに弓矢を引く音が聞こえてきた。逞秋はわずかに聞こえるその音を頼りに森の奥へと進んで行くと地面に馬のひずめの跡を見つけることができた。頭の端が何かを捉えた気がした。慧の息遣いが聞こえる。自然と共に生きる者の耳には沢山の音が届いている。生い茂った木々をかき分け強引に前へと進むと、あっと思った矢先に目の前がひらけた。この森は人間の手が及んでいないと思っていたが、何者かがいつの間にか木々を伐採していったようだ。その場所だけぽっかりと穴が空き、切り株だけが、こちらを見つめている。時は確実に過ぎているのだと感じた。慧はその空間で切り株に向けて矢を引いていた。以前弓矢を教えたばかりの頃よりも上達していたが、独特の癖があり必ず左側に矢がそれてしまう。逞秋はひたむきに弓を引き続ける息子の姿を切り株に腰かけて見つめていた。慧はそんな父の姿も顔も見たことはなかった。気配を消して息子を見つめる父の真意を後に慧は知ることになる。慧は首を傾げてため息をつく。矢が左側に逸れてしまう理由が分からないようだ。逞秋はそっと立ち上がって慧の後ろにまわると、弓矢をひく息子のてを握り力を加えた。弓はギリギリと鳴りながら大きく開き矢が慧の頬まで近づいてきた。慧は、一瞬体を強張らせたが、逞秋の声を聞いて安心したように肩の力を抜いた。

「慧、俺が合図したら手を離すんだよ。」

慧は切り株の方に顔を向けたまま小さく頷いた。

「今だ!」

慧は思い切りよく右手を弓矢から離した。矢は真っ直ぐと飛び、切り株の中心を射抜いた。

「やった!

やったよ父さん!すごいよ」

慧は無邪気に喜びを表現した。慧の両面性や不安定さを逞秋は十数年の月日で気づくことはできなかった。正確には見てはいなかった。慧ですらあらゆる『業』や迷いから逃れることはできないと思いたくはなかったのだ。慧が表す無邪気さだけを見ていたかったのだ。だからこそ、慧が喜ぶ姿を見ていると何も言えなくなってしまう。かつて村人から怖がられた逞秋の姿はそこにはなかった。逞秋は1人の人間であり慧の父親だった。『霧の深い日に1人で森に入ってはいけない』といって強く怒ることができない。逞秋はそんな風に慧を怒ることで慧が今のままでいられず、変わってしまうことを恐れていた。母親似の色素の薄い瞳と髪。自分自身が過ごせなかった時を慧は過ごせるかもしれない。けれど、その時の過ごし方を知らない逞秋は、何が正しい選択なのかわからなかった。時間はいつの間にか過ぎて、子供はあっと言う間に大きくなっていく。慧は大きくなっていく。それでもこの子の本質は変わらない。慧が弓を引くのも剣術を習いたがるのも、馬を乗りまわすのも、森に勝手に入るのもただの好奇心でその先に行きつくはずの欲望がこの子にはない。俺はそんなこの子になにをあげられるのだろう。それは、父としてこの子の心を守ることだ。この子の何にも縛られない心を守ることだ。

「慧、これからは一人で森に入るな」

慧は喜びに満ちた顔をくもらせて、不満そうな顔を逞秋に向ける。逞秋は命令口調とは裏腹に優しい表情で慧を見つめかえす。

「父さんが弓を教えてやる」

慧は霧の中で微笑んだ。嬉しそうに、少し照れくさそうにー。そして、逞秋に抱きついた。

「毎日だよ。約束だよ。」

少しこもった声で慧はつぶやいた。

「ああ。」

逞秋は慧の頭をなでる。慧は母親に似て人を惹きつける。目に宿った光がいつまでも消えないことー。それが、俺の心からの願いだ。

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