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八咫烏  作者: 夜香蘭
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揺らぎと陽炎

我らが生きた国は怨念、雑鬼…。あらゆる『負』の感情が世を満たしていた。何年と続いた内乱が国や人を苦しめ壊し世界のじゅ盤すら揺るがそうとしていた。目にみえぬ怨念からは『妖怪』と名のつく存在がうまれた。そんな中で記憶は揺らぎ揺らぎ、何もかもが喰いつくされようとしていた。


朝露がみどりをあおにして、うっすらと、立ち込めた霧が全てを覆い隠し幻を見せるように少年に囁く。風の音が遠い場所から何かを運んでくるようだった。少年は耳をすませるようにベッドから体を起こして柔らかなまつ毛が揺れる目をあけた。周りからは物音一つしない。誰も目を覚ましてはいないようだ。本当に自然の声が聞こえるようだった。こんな時には1人でどこかに行きたくなるのがこの少年の心境だった。寝まきの帯が少し緩んでいたが少年がそれを気にすることはなかった。自然の声を消してしまわないようにギィっと音なりのする腐りかけた床板を器用に飛び超えて、小さな玄関にたどりつくと肩をギュッと縮めて声が響かないようにして笑った。扉を開けると冷たい新鮮な空気が少年を包みこんで、心が満たされていく。遠くで煙が上がっていた。少年は父親に言われたことを思いだす。そして、心が満たされたのか今度は体内にたまった悪いものを全て吐き出すように長い息を吐いて考えた。僕が希望であるとはどういうことなのか。戦乱のない世とはなんなのか。『お前はその優しい心のままで良いんだよ』と父親に言われた時は照れくさくて、単純に嬉しくて言葉の意味を深く考えはしなかった。けれど、時間がたつにつれて人を憎まずに優しい心だけで生きる難しさを知るようになった。遠くで煙があがるたび、自然の営みに紛れて鼻の曲がるような火薬のにおいが流れてくるたび、少年の心は表現しようのない痛みに苛まれて、苦しくなるのだった。この時にはまだ、この痛みの正体を少年は理解していなかった。

ぼんやりと霞んだ空を見上げる…すると砂ぼこりと落ち葉を巻き上げながら大きな風が一通り吹き、開け放してあったはずの、玄関の扉を乱暴に閉めていった。扉がしまると同時に少年は1人になってしまった気がした。元々、濃い霧につつまれていて人の声は聞こえない。

「きっと、森の中は、綺麗だろうな…。」

霧の濃い日は森が輝く。静けさに紛れて何かがおこりそうな気がする。この世のなかで人間がいかにちっぽけな存在であるかを知ることができる。それは、見失なってはいけない事だ。あの煙の向こうがわでは誰しもが考えず、感じることすらないことだ。少年は揺れ動く森を見つめて指笛を吹いた。空をつき抜けていくような澄んだ音だった。遠い遠い森の奥から馬のひずめの音がする。少年はその音を聞いて心を踊らせた。皆は馬鹿にするけれどあの子は僕の友達だった。ずっと会っていないから忘れられてしまったかと心配をしていたがあの子は僕の指笛に応えてくれた。それは、僕にとってとても大切なことだった。野生の馬らしいせいかんな顔をした少年の友は頭を少年にすり寄せた。少年も友に体をあずけるようにして、馬の頭をなでた。

「よかった。無事だったんだね」

少年の周りの時間がゆったりと流れていく。山奥の方で鷹が鋭いコエで鳴いた。何がこの鷹に捕食されたのだろうか。そうやって、何でもないことが積み重なって日々は繰り返されていく。少年はくつわを付けていない素肌の馬に飛び乗ると勢い良く走らせた。少年は馬の走る心地よいリズムが大好きだった。少年と馬は心を通わせているようだった。少年は呼吸を友である馬に合わせていく。少年が透明になっていくー。

そして、森の中にわけいってゆく。


馬のひずめの音がする。逞秋(はるあき)(けい)の気配が家の中にないことを感じて目を覚ました。

「………。俺ももう年だな。」

逞秋は自分の感が鈍っていることを再認識した。『昔は眠っている間でも半径2,30メートルで起きていることには反応できたのにな』とため息をついて苦笑いをする。息子のいたずらや好奇心には手を焼いていたが、逞秋は慧のそんな所を愛していた。可愛くて仕方がなかった。素直で優しい慧に希望を見ていた。そして、その心を守ってやりたいと思っていた。

「馬を乗りまわして、どこにいったんだろうな。」

逞秋は冷えた床に座ると目を閉じ神経を集中させた。慧の意識や気配を一つ一つたどっていく。人間やその他の動物の意識や気配は細い糸のような形で空気中を漂い、その糸が折り重なり世界をその形にし包みこみとどめている。ある研究者は、意識の糸の形が変われば世界は崩壊してしまうかもしれないといった。逞秋は、眉間にしわを寄せ複雑な顔をするとつぶやいた。

「慧は森の中か……。」

逞秋は静かに立ち上がり足音を消して歩きだした。逞秋自身意識して足音を消していた訳ではなかったが、昔していた仕事で備わったくせは慧という息子を持ったあとも、抜けることはなかった。

両親に愛されること…それを一番求めたのはこの男であったのかもしれない。

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