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10-6:「イレアナの心」

 今さら言うまでも無いことだが、イレアナは静かな女だ。

 いかなる時でも取り乱すことなど無く、一方で愛想の良い笑みひとつ見せない。

 そして、どこまでも職務に謹厳な女だった。



「久しぶりね、イレアナ。と言っても、正直そんな時間も経っていないと思うんだけど」



 世間話をするようなキャラクターでは無い。

 しかしそれでも出会い頭にそう言ったのは、挑発か嫌味の意味合いもあったのかもしれない。

 もちろんのこと、リデルとアーサーの2人を出迎える形になったイレアナは眉一つ動かさなかったが。

 とは言え、理由はもう一つ別にあったかもしれない。



 ――――くるる~。



 と言うのも、その時、そのタイミングで、その場に何とも言えない小さな音が響いたからだ。

 音の出所は、リデルのお腹である。

 反り返るようにして喋っていたリデルの顔が、徐々に朱に染まっていった。

 無理からぬことではある。



「……いや、あの」



 前に食事をとってから、いかほどの時間が過ぎただろうか?

 しかもこれまでの運動量を思えば、例え空腹を覚えたとしても、不思議では無い。

 責められることでは無い。

 それでも、何とかフォローしようとするアーサーの姿を見ると、羞恥を覚えざるを得なかった。



 理由はもう一つある、場所だ。

 黒と茶を基調にしたシックな造りの大部屋、これは良い。

 壁にはいくつもの絵画が飾られ、中央にはイレアナ自身が席についている大きなテーブルと椅子、これも良い。

 問題は、白のテーブルクロスと木籠に飾られた花々と共にテーブルの上に並べられた品々の方にある。



「そろそろ、食事をお摂りになられた方が良いでしょう」



 食事、そう、食事である。

 サラダがあり、スープがあり、パンがあり、魚料理と肉料理があり、フルーツとデザートがある。

 本来は1品ずつ出てきてもおかしくは無いようなそれが、テーブルの上で温かな湯気を立てていた。

 これが、実に良い匂いを立てているのである。



「……何のつもり?」

「特には何も」



 相手が特に指摘してこなかったので、リデルは先の失態――かは微妙だが――を無かったことにしようとしていた。

 しかしイレアナが指摘しなかったからと言って、例えばアーサーの記憶を改竄できるわけでは無い。

 とは言え、彼も今後の平和を考えて追及はしなかったので、結果として上手く誤魔化すことが出来たのかもしれない。



「軍師にとって空腹とは敵。兵が飢えるようなことがあっても軍師が飢えることがあってはならない」



 そう言って、対角線上に座るイレアナが初めて動いた。

 頭脳を動かすのに空腹はいけないと、そう言って手を上げた。



「どうぞ、席へ」



 席を勧める、2人に。

 食事のための席を。



「食事にしましょう」



 そこには、2人分(・ ・ ・)の食事と食器が用意されていた。



  ◆  ◆  ◆



 とりあえず、残さず食べてやった。

 個人的には野菜のスープが良かったが、子羊肉のローストも悪くは無かった。

 公都で似たようなタイプの食事を経験していたから、味の濃さにも驚くことは無かった。



 むしろアーサーが驚くだろうと期待していたのだが、そんなことも無く、普通に食べていた。

 正直がっかりしたし、逆に食器の置き方を教えて貰ったりした。

 良く考えてみれば元王子、そのあたりは幼少時にクリアしてきたと言うことか。

 アーサーのくせに生意気だと、そんなことを思った。



「口に出てますけど」

「うっさいわね」



 ナプキンで口元を拭いつつ、悪態の一つも吐く。

 そうしながら、ちらりと正面を見た。

 そこには当然、イレアナがいる。

 リデル達と同じように食事を摂っていた彼女は、やはり同じように食後のお茶を口にし、それを置いた。



「さて」



 口火を切ったのは、意外にもイレアナの方だった。



「食事を摂り、休息を摂り。十分に脳は働くようになったかと」



 出来れば、昼寝の1つも出来れば最高だろうか。

 空腹と渇き、軍師にとって唾棄だきすべき2つ。

 それらを取り去って、イレアナは十分だろうと言った。



「つまり?」

「ここは私が任されている階層。私の許しなく奥へ……<大魔女>の下へ行くことは出来ません」

「そうね」

「そして私は<魔女>である以前に、<大魔女>の軍師」



 とん、と、イレアナの指先がテーブルを叩いた。

 すると聖人の前で海が割れるかのように、テーブルが割れた。

 縦に2つに割れて、代わりに床下から新たなテーブルがせり上がって来た。



 そのテーブルは、正しくはテーブルでは無かった。

 テーブルの上には自然の地形が再現されていて、実際の地形を縮小化したかのような光景が広がっていた。

 再現された地形の上には兵種を表す駒があり、それらは手元の<アリウスの石>で操作できるようになっている。

 リデルは、これを知っていた。



「それでは始めましょうか、リデル殿下。軍略には軍略を、兵法には兵法を」



 それはかつて、イレアナがリデルに勧めたもの。



「あの時の続きを致しましょう。それをもって、私からの試練とさせて頂きます」



 シミュレーション用の、道具だった。



  ◆  ◆  ◆



 そのシミュレーションは、7メートル四方の盤の形をしている。

 南北の対面に操作する者が座り、それぞれの軍を動かす。

 動かせる兵種は歩兵・騎兵・砲兵・工兵・車兵、それぞれに兵数がある。



 そして現在、盤の上には7割が河川と言う「戦場」が映し出されていた。

 つまり渡河戦であって、先に川を越え、相手の陣地を占拠する必要がある。

 もう一つ。

 これはかつて、リデルがイレアナと行っていたシミュレーションの続きだと言うことだ。



「シミュレーションの状況は、あの時のままにしてあります」



 リデルが打った最後の一手は、渡河を行おうとする自軍部隊を三手に分けた所だった。

 3方向に分けた駒、それを見て、リデルは思った。

 あの時は確か、イレアナに渡河点をことごとく読まれて、どうにかしなければと思ってこの手を打った。

 だが――――。



(ど、どうしよう……)



 席に着きながら、思う。

 いや、別に覚えていないわけでは無い。

 あの時は確かにこれしか無いと思ってやった、やったのだが。



(こ、この後の手、何も思いついて無い)



 そう、実はほとんど無意識でやった手のため、この後どう動くかを決め兼ねていたのだ。

 渡河できなくて、機先を制されて。

 それでも何とかしようとしたのだが、この後の考えが無かった。

 あの時、どうして軍を3方向にバラしたのだろう。



(と、とにかく、何かしないと。このままじゃ負けちゃう)



 あの時とは状況が違う。

 あの時は負けても特に失うものは無かったろうが、今は違う。

 今は、負けるわけにはいかないのだ。



「……動けませんか?」

「…………」

「それならば、私から」



 不味い。

 膝の上で拳を握り締める。



(どうする? どうすれば良い!)



 古今の兵法では、イレアナは必ずそれに対応した兵法を打ってくる。

 通常の状態にしておくことは、この戦場をイレアナに支配されると言うことだ。

 イレアナ程の軍師に戦場を支配されると言うことは、すなわち敗北を意味する。



 握り締めた拳に、汗を握る。

 あの時の自分に問いたかった、どうしてこんな軍の分け方をしたのか。

 この後、どうやって勝利をもぎ取るつもりだったのか。

 この、圧倒的に不利な状況から。



「……これは川ですか?」



 その時、アーサーがそんなことを言った。

 見たらわかるだろうに、何を言っているのかと思った。



「いやぁ、こんな風に見たことはありませんでした。川って、蛇みたいにうねってるんですね」

「まぁ、ね」



 そう言えば、この盤のように天からの視点で川を見たことは無い。

 シミュレーションの設定を知っているリデルだから川だとわかるが、知らない人間が見れば、何なのかわからないのも無理は無い。

 しかし、蛇か。



 そう、あの時もイレアナの駒の動かし方を見て「蛇のようだ」と思ったのだ。

 打てば頭が、他の部位を庇うように動く。

 こちらの動きに反応して、動くのだ。

 ――――こちらに、反応して?



「――――!」



 リデルの手が、自然と動いていた。



  ◆  ◆  ◆



 イレアナの採った戦術は、「蛇」と呼ばれる兵法に分類される。

 渡河の予測地点に兵を横に配置し、敵の渡河に合わせて柔軟に部隊を動かす戦術である。

 そしてこの横に並べた陣形と部隊の動きが蛇に似ているために、そう表現されるのである。



(頭を打たれれば尾がこれを払い、尾が打てば頭がこれを払う。胴が打たれれば頭と尾がこれを払う)



 うねりのある川の構造上、渡河しやすい地点は限られてくる。

 イレアナの見る所それは3ヶ所あって、以前のシミュレーションではリデルの部隊はそのいずれかから進撃してきた。

 来ることがわかっている敵を打ち払うのは、そう難しいことでは無い。



 だからリデルが3手に分けた部隊の1つで渡河をかけてきた時も、イレアナは冷静に対処した。

 蛇で言う頭の部分から渡河して来たその部隊を、騎兵を先回りさせて迎撃し、打ち払おうとした。

 その時だ。

 以前のシミュレーションでは起こらなかったことが、起こった。



「む……」



 まず、渡河していた敵部隊が後退した。

 変わって突出する形になった騎兵が、敵の砲兵による砲撃で攻撃を受けた。

 渡河の条件の1つは川幅が短いこと、だから射程の短い大砲でも届く。

 しかし、やはり冷静に、騎兵を下げて損害を最小限に留めた。



 そして、今度は別の地点で渡河が開始される。

 当然、イレアナは騎兵を先回りさせて迎撃する。

 すると渡河が中止されて、先回りした自軍部隊が敵の砲兵による攻撃に晒される。

 この時点で、イレアナは異変を読み取っていた。



「なるほど」



 ひとつ頷き、言う。



「私がリデル様の動きを呼んで部隊を動かしている以上、私の部隊の動きもまた読まれる。そう言うことですね」

(も、もうバレたわ!)



 リデルが、部隊を3つに分けた理由。

 それはつまる所、イレアナが部隊を横に広く伸ばしているのと同じような理由だった。

 つまり、渡河に適した3点で兵を機動的に動かそうとしたのである。



 まずリデルの部隊が渡河を開始する、するとイレアナの部隊が先回りする。

 先回りする場所は当然、リデルの部隊が目指すべき対岸の渡河地点。

 つまり、イレアナの部隊の位置を事前に知ることが出来るのである。

 まさに逆転の発想、最初の渡河部隊はいわば囮だ。

 囮を餌にイレアナの部隊の位置を特定、もとい誘導し、これに強かに損害を与える。



「ならば、私はこうしましょう」



 ならばと、イレアナはさらに発想を逆転させた。

 渡河を予測して先回りする自分の部隊、そしてそれを読んで動くリデルの部隊、さらにその部隊に攻撃を加えるための部隊を動かす。

 これによって、イレアナはリデルの部隊に逆に損害を与えようとした。



「それはどうかしらね、今度はそう上手くいかないと思うわよ?」



 だがそれは、果ての無い読み合いの始まりに過ぎなかった。

 そもそも、策の狙いがバレた所で、もうどうすることも出来ないのだ。

 この策の肝心な所は、知られた所で相手が対応しようが無い所にある。



「何しろ、この戦いはもう、終わらないんだからね……!」



 告げられたリデルの言葉、彼女の策。

 イレアナはシミュレーションを操作しながらも、その意図する所を的確に理解していた。

 理解していたが、同時に理解していてもどうすることも出来ないことに気付いた。

 明晰な彼女は、リデルの仕掛けた策を正確に見抜いていたからだ。



 要は、行動と反応の連続である。

 Aの行動に対しBが反応し、Bの反応に対してCが対処する、Cの対処に対してDが対応し――――。

 その連鎖に、確かに終わりは無い。

 終わりようが、無い。



「さぁ、勝負よイレアナ。私かアンタ、どっちの方が先まで読んで先回りを続けられるか」

「……どちらが先に」

「打つ手を、間違えるか!」



 唯一、決着がつく可能性があるとすれば。

 それはどちらかが相手の手を読み違え、相手の部隊の行動を阻害できなかった時。

 すなわち、互いの頭脳のどちらがより優れているのか、それが決された瞬間であろう。

 そしてそれは、けして遠い未来のことでは無い。



「――――勝負!」



 甲高く響く、リデルの声。

 声の響きはそのまま、少女がこの状況を楽しみ始めていることを示していた。

 危機ピンチに楽しみを見出した者を止めることは、至難の業である。

 腕まくりしながらこちらを見据えてくる少女に対して、イレアナは目を閉じた。



(……<大魔女>よ。この娘が貴女の……)



 何かを想うように、瞑目した。



  ◆  ◆  ◆



「――――同志イレアナにとって、<大魔女>は特別な存在なのです」



 星空の空間の中、リデル達の帰りを待つ面々を相手に――アレクフィナも含めて――キアは、イレアナのことを語っていた。

 ルイナとアレクセイは、それを黙って聞いていた。

 他に聞く話も無く、ただ聞いている、と言う風だったが。



 キアも、特に話すことも無かった。

 しかし何も話をしないと言うのもどうかと思い、<魔女>のリーダーとも言うべきイレアナの話をすることにしたのだ。

 と言って、今の代の<魔女>の中で最も年若いキアが知っていることは少ない。



「特別って、どう言う意味でだよ?」

「お前ッ、<魔女>様に対してフィリア人如きが話しかけてるんじゃないよ!」

「話しかけてきたのはあっちだろーがよっ!?」

「……同志イレアナにとっての<大魔女>は」



 おそらく、リデルにとっての<東の軍師>に近い。



「わたし達魔術師は、才能を見出されると協会に引き取られます。多くは大人の魔術師に師事して修行を積み、自分だけの魔術を見出すのですが」



 イレアナは、<大魔女>に直接師事を受けている。

 これは長きに渡る魔術協会の歴史の中でも唯一の事例で、そう言う意味で、イレアナは<大魔女>のただ1人の直弟子なのである。

 イレアナの魔術が他に比べて特異なのは、そのためもあるのだろう。



「ああ、あの遠くに移動するやつな。あれは驚いたな」



 アレクセイは、公都からティエルまで飛ばされたことを思い出していた。

 徒歩や馬では何十日とかかる道程を、一瞬で移動してしまう。

 今まで数多くの魔術を見てきたが、イレアナのあの魔術は群を抜いているように思えた。

 しかしアレクセイの言葉に対して、キアは首を横に振った、否定である。



「あれは、確かに同志イレアナの魔術の一端を示すものです。しかしそのものではありません」

「えっと、イレアナって人の魔術は、もっと別の物ということ……なんですか?」

「その通りです」



 リスの背を擦っていたルイナが問うと、肯定が返って来た。

 あの移動の魔術は、イレアナの力の一部でしか無い。



「そもそも同志イレアナが何故、事実上の宰相として差配を振るえるのか。それはひとえに、同志イレアナが大公国の「すべて」を知っているからです」

「すべて?」

「そう、すべて。その場にいながらにして、辺境のことを知る。同志イレアナには、そう言うところがありました」



 もちろん、キアとてイレアナの魔術の全貌を知っているわけでは無い。

 しかしその魔術が、例えばノエルの個人的武勇とは比較できない程の巨大さを持っていることは感じていた。

 キアのような曖昧な力とも、ドクターのような方向性の無い技術とも違う。



 情報力、一言で言えばそう言う力だ。

 その力、他の<魔女>を含む魔術師を凌ぐ魔術は、<大魔女>の直弟子であればこそだろう。

 そしてイレアナは、幼少時から<大魔女>の傍で育った。

 直弟子であるのだから、近くで過ごすのはむしろ当然のことだった。



「お母さん、ってことですか?」

「そうですね……同志イレアナの口から直接そう聞いたわけではありませんが、そのように想っているのだと思います。そして、だからこそ」



 ふぅ、と溜息を吐いて、キアは天を仰いだ。



「だからこそ、同志イレアナはどこまでも<大魔女>に誠実であり続けるでしょう」



 年若い<魔女>であるが故に、最もイレアナの近くにいたキア。

 もしかしたならイレアナは、最年少のキアを自分の後継にと考えていたのかもしれない。

 だからその分、キアの眼はイレアナの心をずっと視ていた。

 イレアナの心が公王家や民では無く、<大魔女>の方を向いていることを知っていたのだ。



「けれど、特別であることと唯一であることは違う。同志イレアナの不幸は、そこから無意識に目を逸らしてしまったことなのでしょう」



 その言葉を聞いて、ルイナはふと思った。

 それは、キアの語るイレアナの姿が誰かに重なったからだ。

 父を師とし、父の与えてくれたせかいだけで生涯を終えるはずだった少女に。

 その少女を想って、ルイナは先へと視線を向けるのであった。



  ◆  ◆  ◆



 やがて、シミュレーション上では何も動きが起こらなくなっていった。

 当然と言えば、当然である。

 互いに先手を取らんと先回りを続ける以上、やがて動けなくなる。

 睨み合いに終始し、膠着するのが当然だった。



「――――状況にもよるでしょうが」



 そうした状況を見て、イレアナはポツリと零すように言った。



「あの戦況からこの状況に持ち込まれると言うのは、事実上の敗北、と言うべきなのでしょう」



 実際、戦況はイレアナの優位に進んでいた。

 しかし優位と勝利はイコールでは無い、勝ち切れない優位など何の意味も無いのだ。

 それ故に、彼女はこの膠着を事実上の敗北と受け取った。

 逆転されたわけでは無いが、勝利したわけでも無い、そんな状況。



「そんなこと言ったら、私だってここから先の手は思いつかないわよ」



 一方でリデルにとっても、不満の残る結果ではある。

 負けないことを第一、兵法の基本だが、しかし勝ち切れない悔しさは残る。

 しかし無理押しをすれば、あっと言う間に敗勢に立たされることは間違いない。

 だから、リデルももう動かなかった。



 外から見ているアーサー等には、「どうして動けなくなっているのか」はわからない。

 どこかを動かして、たとえそれが打たれても、状況が流動的になればまた変わると思うからだ。

 しかし軍師にとって、流動的な状況こそ最も忌むべきものなのだ。

 状況が自分の把握の外に行ってしまった段階で、軍師の存在意義は消えるのである。



「それにアンタ、私達のこと、最初から通すつもりだったんじゃないの?」



 首を傾げながら、そう言う。



「ターン制じゃあるまいし、私が最初に駒を動かす前にさっさと攻め込めば良かったじゃない」



 言われて、しかしイレアナは否定しなかった。

 彼女にとってすれば、<大魔女>がリデルをと望んでいる以上、自分の手でこれを止めることは好ましいことでは無かった。

 それでも、イレアナは彼女に試練を与えた。



「たとえそうであっても、私は手を抜いたわけではありません」



 これはシミュレーションだ。

 現実には様々な状況と言うものがあり、国家の総合力を駆使するイレアナからすれば、この膠着を外部要因から打ち破る方法は10や20は考え付く。

 だが、イレアナはそれを言わない。



「……わからないわ」



 そんなイレアナに、リデルは疑問を覚えた。



「アンタみたいな奴が、どうして<大魔女>に従ってるの?」



 理を好み、不条理を嫌う。

 リデルの見た所、イレアナはそう言う性格だ。

 それが何故<大魔女>のような、お世辞にも条理を尽くしているとは言えない人物に従っているのか。



「私は<魔女>です、リデル様。<魔女>は<大魔女>に仕えるものです」



 イレアナは、知っていた。

 数多いる魔術師達の中で、そして<大魔女>を除く6人の<魔女>の中で唯一、知っていた。

 <大魔女>の正体を。

 誰も知らない、大公国の闇を。

 そして、彼女の口からそれが語られることは絶対に無い。



「<大魔女>に比べれば、我ら<魔女>は屑星のようなもの。協会において、<大魔女>の意思は全てにおいて優先されるのです」

「そこにアンタの意思は無いわけ?」

「そのようなものは、余分なだけです」



 <魔女>キアは、イレアナにとって<大魔女>が特別なのだと言った。

 ルイナはそれに、<東の軍師>を父に持つリデルを重ねた。

 そしてそれは、いずれも間違いでは無かった。

 だが、やはりこの2人は全く違う人格を持つ別人だった。



 リデルは、イレアナのように自分の全てを殺して仕えると言うことは出来なかった。

 だって、感情があるから。

 リデルは自分の激しやすさを知っている、それが短所であり長所であることも。

 良くも悪くも己の内に溜め込んでいられない、それがリデルと言う少女だ。



「理解できないわ」

「必要の無いものです」



 だから、2人の線が重なることは無かった。



「私は<大魔女>の意思を代行し、それを形にするためにここにいます。ですが、今では……」

「……?」

「……いえ」



 静かに首を振って、イレアナはシミュレーションを消した。

 盤上から何もかもが消えて、無機質な空間だけが残る。



「さぁ、どうぞ先へ。我らが<大魔女>が、リデル様。貴女を待っておいでです」



 結局。

 結局、この<魔女>は本心を見せることが無かった。

 自分は勝ったのか、そもそも本当に試されていたのだろうか。

 それすらもわからないままに。



「行くわよ、アーサー」



 そう言って、リデルは席を立った。

 イレアナは何の反応も示さない、その横を腹立たしそうにリデルが歩いていく。

 そんな様子をひとり見ていたアーサーは、肩を竦めた。



「……今では、私にも<大魔女>のお考えはわかりません」



 そうして、おそらく独り言であったろうイレアナの呟き。

 求められてはいないだろうと判断して、アーサーは静かにそれを聞かなかったことにした。

 それが出来るのが、アーサーと言う青年だった。

 静かに一礼して、彼はリデルを追いかけた。



 リデルには、父だけでなくアーサーがいた。

 イレアナには、いなかった。

 この2人の違いは、ただそれだけのことだったのかもしれない。

 それを差と言うべきなのかどうかは、誰にも断定の出来ないことだった。



「リデルさん、1人で先に行かないで下さい」

「五月蝿いわね! 私の方がアンタより足が遅いんだから、最終的にちょうど良くなるでしょ」

「何ですか、その理屈」



 そして、リデルは進む。

 最後の階層、<大魔女>とベルがいるだろう階層へ向けて、疲れの残る足を上げて。

 いい加減に何か一言、言ってやらなければ気がすまない。

 そう言う激情を胸に秘めて、リデルは最後の階段を駆け上っていった。



  ◆  ◆  ◆



 ――――寝室で、彼女・ ・は目覚めた。

 壁、床……ベッドのシーツすら黒で統一された寝室で、1人の少女・ ・が目を覚ました。

 煌く金糸の髪、輝く白い肌、それらが黒いシーツの海の中からゆっくりと起き上がる。



『「…………」』



 どこがまどろむような顔で、顔にかかる前髪を払う。

 そして、胸元。

 豊かなその上に、冷たい光を湛える赤い宝石が一つあった。

 首飾りに加工されたそれは、小さくしかし確実に、淡い光を放っていた。



 それを気にせず、髪を払った手をそのまま顔の前で開いた。

 閉じ、そしてもう1度開く。

 まるで、感触を確かめるように。

 いや、実際に感触を確かめていた。

 身体の、肉体の感触を。



『「……ふむ」』



 一つ頷いて、少女は笑んだ。

 少女の名は、ベルフラウ。

 ……の、はず。



『「まぁ、使えなくは無い……かな?」』



 そう言って笑う少女。

 だがその笑みは、何故だろう。

 少し前までのベルフラウのそれとは、比べることも出来ない程に。



『「仮宿としては、十分だね」』



 どこか、歪んでいた。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

何とか今年中には完結させようと努力していますが、今の所、割と微妙な流れですね。

諸々含めると10話くらいは残っているはずなので、あと3ヶ月くらいは続くと思いますので……。

よろしければ、もうしばらく、お付き合い下さい。

それでは、また次回。

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