10-4:「シテイ」
フィリア人とソフィア人は、結局は同じ「人間」なのだ。
ノエルがそう結論付けたのは、東部叛乱の後遺症――フィリアリーンを巡って大公国と連合が戦火を交えていた、動乱の最中のことだった。
<東の軍師>による東部叛乱が収束した数年後、アナテマ大陸の2大国、大公国と連合は南で衝突した。
「この遺体」
連合との戦争で敗色濃厚となったフィリアリーン首脳部は、飾り物の王家を生け贄に差し出すことで、かつてき大敵である大公国に援軍を求めた。
大公国は、これに応じた。
魔術師を主力とした大軍がフィリアリーンに送り込まれ、連合の軍勢は駆逐された。
戦ったのは、大公国と連合の軍だ。
しかし戦場は大公国本国でも聖都周辺でも無く、いわば他人の土地だった。
街は焼かれ、農地は荒れ、人が死んだ。
そんな地獄の中で、この日、ノエルは大公国本国に比較的近い街に駐屯していた。
援軍の一隊を率いて、周辺の敵軍を掃討する中での出来事だった。
「どちらがソフィア人で、どちらがフィリア人だ」
元は何千人かが暮らしていた、それなりに大きな街だったのだろう。
だが戦火に巻き込まれたせいで、街は半ば崩壊していた。
建物の半分が崩れ、3分の1が焼け、周辺の農地は踏み荒らされて作物が折れ、水場には遺体が積み重なって水源を犯している。
何とか残った通りには怪我人が溢れていて、そこかしこから肉の焼ける嫌な臭いが立ち込めていた。
奇妙な音が聞こえるのは、声帯を潰された人間がそれでも叫び声を上げようとしているからだ。
そしてノエルは、通りに転がる2つの遺体と、その遺体の前に座り込む少年の傍にいた。
「…………」
少年は、ノエルの言葉に返事を返さない。
虚ろな目で、目の前に転がっている2つの遺体――どちらも身体のほとんどが焼け焦げていて、部位の欠損も見える――を眺めている。
遺体は男女、両親だろう、おそらくは。
「……私が」
混血児だ。
茶色の髪に菫色の瞳、少年の特徴は混血であるノエルと合致していた。
境界線に近い街では、まったくあり得ない話では無い。
だから目の前のこの2つの遺体は、どちらかがフィリア人でどちらかがソフィア人なのだろう。
……もっとも、ここまで焼けてしまえば人種の差など見分けもつかないが。
「私達が、憎いか」
そしてこれには少年は応じた、ふるふると首を横に振った。
街を焼いたのは、ノエル達と連合の軍の両方だ。
どちらの攻撃で両親が死んだにせよ、恨まないはずが無いだろうに。
「何故だ」
問えば、そこで初めて少年は顔を上げた。
ガラス玉のような菫色の瞳が、真っ直ぐにノエルを見上げていた。
「うらめば、みんながいきかえるのでしょうか」
「…………」
ノエルは、確信した。
この少年は、自分達を恨んでいる。
そしてその上で、恨んでいないと言う。
恨むだけでは何も変わらないと、戦火に巻かれた一夜で悟ってしまったのだろう。
「……ふん」
「え?」
ノエルは、腰に下げていたナイフを1振り、少年の前に投げ落とした。
柄に<アリウスの石>がはめ込まれた、魔術用のナイフである。
この時代、とても稀少なものであった。
「え、え?」
その後は何も言わずに、ノエルは背を向けて歩き出した。
<アリウスの石>のブーツが奏でる金属音は、人々の呻きの中にあっても一際良く聞こえた。
少年はしばし逡巡した、ナイフと両親を交互に見て、ノエルの意図を図りかねている様子だった。
後に、ノエルはこの時「五分五分だと思っていた」と話していたが……。
「……!」
これが、2人の出会い。
後に<魔女>となるノエルと、後に「クロワ」と名付けられることになる少年の、出会い。
それは運命と呼ぶには聊か血生臭く、偶然と呼ぶにはやや出来すぎていて。
――――いくつか美化して覚えているのかもしれないと、そう思った。
◆ ◆ ◆
いや、きっと美化しているに違いないとクロワは思った。
実際はきっとこうだ、両親の死に激高した馬鹿な子供がたまたま近くを通りがかった魔術師に挑みかかり、ボコボコに蹴られたあげく、無理矢理従卒にするために連れて行かれた。
例えば、そう。
『「あはは、何だ。キミ、弱いね」』
ノエルに後頭部を踏まれて、土の味を口一杯に感じていたことだろう。
「ぐ……む」
『「弱いね。圧倒的なまでに――――弱い」』
新公王幽閉。
その報はアナテマ大陸全土を震撼させ、全ての勢力をその場に釘付けにした。
誰もが大公国の、いや協会の次の一手が読めず、動きたくとも動けなかったのだ。
唯一動きが取れたのは、仕掛け人である協会だけだった。
<魔女>達がティエルに集結している中、ノエルだけが己の直属の部下を率いて平原を疾駆し、クルジュまで再侵攻をかけてきたのである。
奇襲である。
1度は見逃した地を再び攻め下って来たのだ、クロワに言わせれば、ノエルらしく無い行動だった。
しかも、だ。
「お、お前は、お前は、何者だ……!」
『「いやだな、自分の師匠を忘れるだなんて」』
ははは、はははと、不快な嗤い声が響く。
頭の奥を引っ掻かれるような、腹の底を撫でられるような、そんな不快感だ。
頭を踏まれた体勢のまま、力尽くで何とか視界を確保する。
赤い<アリウスの石>のブーツの間から、ノエルの顔を見る。
――――何と言う軽薄な笑みか。
ノエルは笑っていた、いや笑い声を上げているのだから当然だが、これは彼女にしては珍しい、いやあり得ないことだった。
クロワが知るノエルと言う<魔女>は、敵と甚振って笑うような人物では無かった。
それは、周囲を囲む彼女の部下達の戸惑いの表情を見てもわかる。
(こ、これはいったい!?)
人が変わった、いやまさに人が変わっているとしか思えない。
逆光になっているせいか、瞳の輪郭がうっすらと赤く輝いているようにも思える。
その目は、明らかにノエルのそれでは無かった。
正直、ノエルが相手なら折衝も可能だろうと踏んでいた。
実際、ノエルはリデルとの折衝――単独降服を折衝と言っていいかは微妙だが――によって、旧市街から兵を退いた過去がある。
だから今回も、クロワ自身は別として、無辜の民や田畑を焼くことは無いと思っていた。
だが、その目論見は外れた。
「何を馬鹿なことを、お前が私の師なわけがあるか!」
『「おや、酷いことを言う。同志ノエルが聞いたら哀しむだろうね」』
「何……!」
語るに落ちるとはこのことだが、当のノエル――他に呼びようが無い――自身がそう言った。
彼女は相も変わらずの軽薄そうな笑みを浮かべると、クロワの後頭部から足を上げた。
不意にやってきた解放に一瞬戸惑うが、次の瞬間には考えを改めざるを得なくなった。
『「そんな酷いことを言う悪い子は」』
ぞっとして、クロワは考えるよりも早く身体を動かした。
『「死んじゃいたまえよ」』
ノエルの一撃が、大地を砕いた。
◆ ◆ ◆
赤い爆裂が走った。
クルジュ郊外の大地が陥没し砕け散る、陥没しなかった外延部も盛り上がり罅割れた。
最も外側にある田畑の柵が巻き込まれて倒れるのを見て、クロワはぎょっとした。
「畑を巻き込むわけには……!」
クロワは市壁に座したまま、クルジュの人々が荒地を耕していたのを知っている。
現在、クルジュは川に面している側を除く3方向を開墾していて、その範囲は旧市街を中心にすでに2キロに及んでいる。
やっと収穫の見込みが出てきた大切な田畑だ、壊させるわけにはいかない。
――――もとい、それこそ自分が仲間達に託された役目であろう!
「威力はまさに我が師、だが」
跳ぶ。
身体を1度横に回し、背中から縦に回転する。
逆さまの視界の中で、ノエルの姿を捉える。
クロワを踏み抜き損ねた足は、足首から先が地面の下に埋まっていた。
「我が師の脚は、もう少し速い!」
ノエルの蹴りの衝撃で跳ね上げられたそれを掴む、馴染んだ重みを掌に感じた。
次いで、肌を介してソフィアの血を感じ取った<アリウスの石>が輝く。
石から生み出された魔力を水晶に良く通る、クロワは水晶の大剣を振り下ろした。
赤い軌跡が走り、地面が割り開かれた。
『「あはは。惜しい惜しい」』
「ちぃ、速さもそのままか!」
クロワの一撃も、軽いものでは無い。
大剣で割り裂かれた地面は数メートルに及び、隆起した土が弾け飛ぶ程だ。
だがノエルは軽やかに跳びずさって避けてしまった、大振りな分避けやすいのだろう。
しかも、ノエルの一撃に比べれば5分の1の威力でしか無い。
何故、そこまでの威力の差が出るのか?
魔術の使用には石と血の2つが要るが、混血の場合は魔術の効果範囲が著しく狭くなる。
例えばアレクフィナのように、遠くに炎を飛ばしたりは出来ない。
だから混血の魔術師は汎用性が低く、どうしてもノエルやクロワのように武術的な使い方に偏ってくる。
『「同志ノエルの身体は良く動く、たまには運動も良いね」』
「お前は何者だ、何故こんなことをする!」
『「さぁ、どうしてだろうね。気まぐれかもしれないし、何か理由があるのかもしれない。深刻な理由かもしれないし、どうでも良い理由かもしれない」』
――――長さ。
魔術の威力は――効果の高さと言っても良いが――<アリウスの石>を使用している長さ、つまり時間に比例すると言われている。
言われている、と言うのは、専門家の間でも意見が別れているためだ。
だがそう的外れな理屈でも無いと、クロワは思う。
混血の魔術がソフィア人のそれより汎用性が低い理由は、<アリウスの石>が感知できるソフィアの血が薄いためだ。
<アリウスの石>は自らの力をより外に出そうと、混血の中にあるソフィアの血を探るようになる。
そして時間が経てば経つ程に混血の中のソフィアの血に馴染み、威力を増していく。
『「いや、大体にして」』
大剣を仰ぐように斬り上げると、ふわりと跳んだノエルがその上に乗った。
手首を返して振り落とし、次に横薙ぎに振るう。
鈍い音が響き渡る。
ノエルが足裏で大剣を受け止めた音だ。
『「キミは理由があれば、何をされても良いと思っているのかい? だとしたら奇特なことだなぇ」』
それだけに終わらない。
ノエルは大剣の威力を完全に止めた後、自分はその反動を利用としてその場で回転した。
そして大剣を止めたその脚を、そのまま。
『「そう言う子は、やはり死んじゃいたまえよ」』
そのまま、クロワの身体を蹴り飛ばした。
2度目となると、流石に笑えなかった。
◆ ◆ ◆
咄嗟に剣を戻してガードしたが、防御しようとしてやり切れるものでは無い。
(2、3本、折れたか)
脇腹に走る痛みを無視して起き上がると、そこはノエルの部下達の最中だった。
吹き飛ばされて突っ込んだらしいが、<魔女>の蹴りの衝撃は当然、周囲をも巻き込んでいる。
倒れた仲間を庇って武器を――混血児の部隊なので、当然<アリウスの石>由来の――構える彼らを見て、舌打ちしたい心地になった。
ざっと数えて約200人、これら全てを相手に出来ると思う程、思い上がっていない。
しかも全員がノエルの育てた兵だ――クロワと同じように。
だがその心配は杞憂に終わった、何故ならば。
『「ああ、ちょうど良いね」』
ノエルが手を、もとい足を止めること無く跳んでいたからである。
落下するのは当然、クロワの上。
つまり、己の部下達の最中に。
『「皆まとめて、死んじゃいたまえよ」』
「この……!」
皆が騒然とする中、クロワはその一撃を受け止めた。
重い。
しかし耐えた、大剣が激しく明滅する。
足の下で、地面が砕ける音がした。
「どう言うつもりだ!」
衝撃が身体の中を抜けたのだろう、口の端から血が流れていた。
胃の中が煮え滾る、これは比喩では無く物理的な意味でもそうなっているのだが、とにかく気持ちがそうだった。
だからクロワは言わずにはいられなかった、師に向かって叫ぶ。
「ここにいるのは、貴女の部下達では無いのか!」
だがはたして、彼は師に語りかけたのだろうか。
部下を自らの戦闘に巻き込むことを厭わぬ姿勢は、ノエルのものでは無い。
彼女は過去の工場や旧市街での戦いの際も、自分の部下に犠牲を出していない。
そんな彼女が今、クロワの言葉に暗い笑みを浮かべている。
くっくっ、と、喉の奥で嗤っている。
『「それらはこの子の部下かもしれないけれど、ボクの子供では無いからねぇ」』
「どういう意味だ、それは!」
『「さぁ、どう言う意味なのかな。どんな意味でも、キミ達には関係無いだろう?」』
だって、と、彼女は嗤いながら言った。
その様子は明らかに常軌を逸していて、ノエルの部下達も唖然として、クロワへの警戒を解いていた。
クロワは当然、その隙を突くような真似はしなかった。
『「あの子のことを知っている人間は、全て消しておかないといけないからね」』
どう言うことかと考える暇は、クロワには与えられなかった。
何故ならノエルは彼と会話をするつもりは無く、まして周囲の部下に興味が無い。
再び跳び上がる相手に対して、考える間も無く防御しなければならない。
――――ビキッ。
不吉な音が聞こえた。
それは大剣の半ばに走った罅の音だった、クロワは一瞬それに気を取られた。
先程からの攻防でそれ程のダメージを負ったのか、それとも蓄積のせいなのかはわからない。
そんなことは、今考えても仕方の無いことだ。
「ぐぉ!」
直後、剣を上げずに足から力を抜き、身を折ることで蹴りを避けたのは正しい判断だった。
鼻先を掠めるようにして、蹴りの威力が飛んでいく。
だが後方の空気が裂けて小さな乱流が生まれて、引っ張られるようにして倒れた。
不味い、と思った時にはすでに遅い。
『「じゃあね、混ざり物の子」』
その場でスピンして、着地する。
着地の時点でもう、ノエルは片方の脚を上げていた。
ふわり、と衣服の裾を舞わせながらの動きが、場違いながら美しいとすら思った。
だがその美しさは、同時にクロワの死をも持ってくる。
バランスを崩して倒れた彼には、避ける術が無かった。
――――そんな彼の視界の端に、黒い影が滑り込んできた。
◆ ◆ ◆
その時、何が起こったのかを理解した者は少なかったろう。
構図としては、ノエルがクロワがとどめを刺しに来た一瞬だった。
「……シャノワ?」
クロワは、自分の前に飛び出して来た少女の名前を知っていた。
旧市街で隠密のようなことをしている少女で、何かとクロワと行動を共にすることが多い。
そのシャノワが今、クロワに背を見せる形で両腕を広げていた。
庇っているように見える。
いや、クロワを庇っていた。
正直に言って自殺行為だった、武闘派の魔術師を前に生身を晒すなど、愚かしいとすら言える。
特に彼女は生粋のフィリア人だ、魔術に対しては本能的に恐怖するはずである。
「何をしている、そこをどきたまえ!」
「…………」
実際、シャノワの肩や手は震えていた。
まさに鼻先にノエルの脚がある、呼気は荒く冷たい汗は止まらなかった。
だが青ざめた顔で、彼女は首を横に振った。
どかない、そう意思表示をしたのだ。
「シャノワ……!」
はっとした。
見えたのはシャノワの足だった、膝の震えが止まらず、カタカタと言う音が聞こえてきそうだった。
倒れたクロワを庇っているため膝立ちで、だがこの足の震えでは、もう動けなかったろう。
飛び出して、しかしそこからは動けない。
場違いだとは思ったが、木の上に登った猫を想像した。
『「おや……?」』
一方で、気付いた。
どう言うわけかノエルが脚を止めていたのだ、シャノワの鼻先で赤いブーツが止まっている。
華奢な少女をひとり踏み潰すことなど、ノエルの力なら容易いことのはず。
だが、何故か今一歩の所で足を止めている。
『「いけない子だね。こんなことで、拒否してしまうだなんて」』
理由はわからない。
わからないが、ノエルの身体が攻撃を躊躇っている。
自分を庇うシャノワに何かを感じたのか、思い出したのか、それはわからない。
わからないが、クロワは咄嗟に動いていた。
――――ノエルの足を、掴んだ。
先にも言ったが、<アリウスの石>は触れる時間が長い程に馴染んでいく。
この石に触れている時間が長ければ長い程、石への干渉力は高まる。
たとえそれが、幼い頃から「修行で蹴られ続ける」と言う形であったとしても。
「……クロワ?」
その瞬間、ノエルが彼を呼んだ。
まるで夢から覚めたかのような――瞳に浮かんでいた赤い輪郭も、消えていた――顔で、この時クロワは、自分の目の前にいるのが師だと確信を持った。
しかし確信を持ったとしても、遅かった。
すでに彼の魔術は発動していて……。
◆ ◆ ◆
大の字で倒れる師と言うものを、初めて見た。
彼にとって、ノエルと言う存在は山の頂のような存在だ。
見上げるばかりで、見下ろすことは出来ない。
「貴女が「貴女」であったなら、こうはならなかっただろうな」
倒れて動かないノエルは、当然のことだが答えない。
実際、ノエルが何者かの意思に支配されておらず、ノエルとして戦っていたなら、立場は確実に逆だったはずだ。
右掌、深い火傷のために肌が爛れた自分のそれを見る。
ノエルの片足もまた、同じような状態だった。
ブーツの1つが2人の魔術によって爆ぜ、互いの手と足を焼いたのである。
その衝撃でノエルは気を失い、クロワもまた戦闘の継続が不可能になった。
水晶の大剣も今にも折れそうで、とても魔術を使える状態では無かった。
「シャノワ……」
そして気が抜けたのだろう、シャノワも倒れていた。
心地よくは無さそうな汗を顔に浮かべて、熱に浮かされたような顔をして気を失っている。
クロワとしては言いたいこともあったが、それ所でも無かった。
じりじりと、ノエルの部下達が武器を構えて彼らを囲んでいたからだ。
(さて、これは参ったな)
流石のクロワにも、もはや出来ることは無かった。
しかし、不思議と焦りは感じなかった。
何故か落ち着いた心地で、クロワは自分を囲む者達を見つめることが出来た。
助かる見込みも、死の予感も、どちらも感じなかった。
そうしてノエル部下達がさらに1歩を踏み込んで、包囲の輪を縮めた時、それは起こった。
最初は小さな、しかしそれは次第に大きなものとなった。
多くの人間が大地を駆ける時、それは起こる。
地響きだ、座り込んでいるクロワにはそれが良くわかった。
「どうですか、師よ」
ノエルの部下達の間に動揺が走るのを見て取りながら、彼は言った。
そんな彼の後ろには、旧市街から駆けて来る数千人の人間の声があった。
ラウドの農耕馬の集団が特に速く、先頭にはマリアとウィリアムの姿もあった。
大きく息を吐いて、クロワは言う。
「私の友人達が撒いた種は、良い穂を実らせたと、私はそう思っています」
それは、人を恨むばかりでは不可能だった道。
クロワには、結局は出来なかったこと。
だから彼は、こんな状況下でも笑うことが出来た。
「ああ、しかし今回ばかりは……流石に、疲れ……」
べしゃり、と音を立ててクロワが倒れた。
すでにしてダメージは深刻だったのだから無理も無い、シャノワ同様、張っていた気が緩んだと言うのもあるのだろうが。
いずれにせよ動けぬ身、後は仲間達に任せる他は無い。
だからだろうか、危機にあってその顔は穏やかだった。
そしてもう1人、彼と対になる形で倒れているノエルもまた、どこか微笑んでいるように見えた。
2人の表情は不思議と良く似ていて、それは師弟と言うよりは、どこか姉弟のようにも見えるのだった――――。
◆ ◆ ◆
――――一方、ところ変わって魔術都市ティエル・<塔>。
「や、やっと5階ね」
「そうですね……」
げっそりとやつれた様子で、リデル達は塔の5階へと至った。
ヴァリアスの階層と同じように3階と4階も無人だった、そしてやはりヴァリアスの階層と同じように、それぞれの主のこともわかった。
いや<魔女>と言うものは、こんなにもわかりやすかったのか。
「3階はたぶんノエルよね。部屋って言うより道場と言うか、戦場みたいだったけど」
気分の悪そうな青い顔で、リデルがそう言った。
事実、3階は何も無い廃墟も同然の状態だった、焚き火の跡すらあったのだから尋常では無い。
まるでどこかの自然の一区画をそのまま持ち込んだような、草木すらもそのままで、そう言う意味では魔術らしい空間と言えばそうなのかもしれない。
ただ何となく、あの「夜道」には覚えがあるような気がする。
整備されていない小石のような道、生い茂るままの雑草、夜のような暗さ。
ただ1本道の、それだけの空間だった。
誰かの背に負われて、歩いたような記憶。
――どこにでもある、良くある勘違いだろう。
「そっちは良いよ別に。つーか、さっきの階は何と言うか、もうマジで勘弁してくれよ」
げんなりとした様子で言うアレクセイに、誰もが頷いた。
アーサーですら否定する気になれない様子で、どうも具合を悪くしたらしいルイナに気遣わしげな視線を向けていた。
ルイナの顔色は青を通り越して白い、思い出してしまったのだろう。
今もアーサーの肩を借りて、ようやく歩いているようなものだ。
(あえて言うなら、お肉屋さん……うぷ。ダメ、想像しちゃう)
4階は、ドクターの階層だった。
そうで無ければ<魔女>にもう1人悪趣味な者がいることになる、正直、嫌過ぎる想像だった。
正直、思い出す気にもならない。
自然、4人の足は速まった。
「ま、まぁ良いわ、もう。次はもう少しマシな所が良いわね……」
「同感です」
「つーか、ここってマトモな所とかあんのか?」
「…………ルル」
口々にそう言いつつ、4人は次の階層に上がった。
5階である。
不思議と階段だけはどの階層も同じ造りで、そして同じ長さだった。
次の階層に足を踏み入れた途端、世界が変わったかのように全てが変わるのだ。
5階層目も、同じだった。
最後の一段を登り終えると同時に、視界に映る何もかもが変わる。
天井が、壁が、いや床すらも消えてしまう。
青ざめていた表情を一気に驚きに変えて、4人は一瞬の眩暈に襲われた。
動物達がパニックを起こして――唯一、鳥だけは普通――リデルにまとわりついた。
期せずして大蛇に締め上げられる形になって、リデルは気を入れることが出来た。
「な、何なのよ、ここはぁ!」
思わず叫ぶ、無理も無いだろう。
誰だって、「夜空」の真っ只中に放り出されれば、まともな精神状態ではいられないだろう。
上に星、横に雲、下に大地。
そこはまさに夜空の中、リデル達はあまりのあり得なさに二の句を告げないでいた。
「――――ようこそ」
幼い声が響く。
はっとして顔を上げれば、そこに、いた。
どこまでも広がる星空の中に、車椅子に座った少女がひとり。
「わたしの星空へ」
<魔女>の少女、キアが、瞼を閉ざした笑顔でそこにいた。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
すでにお気づきでしょうが、今章は<魔女>を突破していく章です。
ただ全部が全部突破できるかは、わかりませんが。
それでは、また次回。




