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10-2:「ティエル」

 フロイラインのことはブランとスコーランが面倒を見てくれるとのことなので、一行はティエルの地下へと向かった。

 最初、尖塔の中には何も無いように見えた。

 黒い石材で出来た倉庫のような場所で、光源も無く、薄暗く埃っぽい場所だった。



「何をぼやっとしてるんだい。こっちだよ、白線の内側に入りな」

「白線なんてねーじゃねーかよ。真っ黒だぜ」

「お前はお呼びじゃ無いよ。とっとと消えなフィリア人」



 実際、白線は無い。

 広い空間の真ん中に立っているアレクフィナの傍に行くと――彼女はアーサー達フィリア人の存在を鬱陶しげに睨んでいた――異変が起きた。

 石同士が擦れ合う、独特な音が空間中に響く。



 具体的に言えば、床が割れた。

 しかもただ割れたわけでは無く、円形にくり貫くような形で割れたのだ。

 そして、くり貫かれたのはリデル達が立っている場所だった。

 割れ目から薄く赤い輝きが漏れて、黒い倉庫の中を満たしていく。



「な、何よこれ!?」

「騒ぐんじゃ無いよ。これから地下に入るのさ」



 アーサーの袖を掴んだ所で、床が大きく動いた。

 下がった。

 地下に行くと言うだけあって下がるのは予見できたが、いきなりではやはり驚く。

 ぐらりと揺れる床に慣れている者は少なく、アレクフィナとルイナ以外の人間は大小の差はあれどよろめいていた。



「えっと、鉄馬車みたいな物?」

「まぁね、<アリウスの石>に……魔術に不可能は無いってね」



 <アリウスの石>を馬車に乗せることで、馬も御者も必要ない乗り物が出来る。

 これも同じ原理なのだろう、<アリウスの石>の力で上下に動く乗り物なのだ。

 そう思えば、少し落ち着いてきた。

 そして、落ち着きを取り戻した矢先のことだった。



 それは、突然やって来た。



 最初は地面の中を潜っていると言う状況に相応しく、赤い輝き以外には何も見えなかった。

 しかし突然、光に溢れた。

 四方から叩き付けられる暴力的なまでの赤い光に、誰の物か呻き声が上がる。

 原因は急に視界が開けたからだ、分厚いガラスの筒のような物があって、リデル達はその中を進んでいたのだ。



「こ、これは……」

「……街! 街があるわ! 地面の下に、本当にこんな街があるなんて」



 そこに、都市があった。

 広い、広い空間だ、地下だと言うのに岩盤は見えない、全て黒の金属や石で覆われている。

 上下左右から突き出るような形で黒く細長い建物が林立しており、規則正しく並んだ窓から赤い輝きが見て取れた、中に人がいるのだろう。

 黒一色の世界に赤い輝き、夕闇と暗闇が混ざったような空間がそこにあった。



 何よりも目を引くのは、眼下だ。

 眼下にも先程言ったような黒い建物が不規則に建ち並んでいるのだが、問題はその奥行きだ。

 果てが、見えない。

 底が見えないのだ、ぽっかりと開いた大穴がどこまでも続いている。

 黒の建物と赤い輝きが、底へ底へとどこまでも続いている。



「これが魔術都市ティエル。アタシらの――――故郷さ」



 ――――ようこそ。

 アレクフィナの声が、降り続ける小部屋の中に静かに響いた。

 深い深い、闇の中で。



  ◆  ◆  ◆



 動物達が怯えているのは、そこかしこに漂う魔の気配のせいか。

 鳥の羽根を撫でつつ下を見ていると、ティエルの構造が漏斗状になっていることに気付いた。

 リデルもそうだが、地下に潜る経験の無い動物には辛いだろう。

 ……何か、蛇だけは調子が良いようにも見えるが。



「……『施設』に似てますね」

「そう、ね」



 ルイナの言葉に頷く、『施設』も漏斗状の構造をしていた。

 あまり思い出したくない記憶だが、忘れるべきだとも思えない記憶だった。



「ティエルはさっきの入り口も含めて大きく12階層、さらに分けて36階層、さらにさらに細かく分けて72階層ある。入り口と最後の階層以外は、検聖邪省って役所みたいな所だ」



 検聖邪省とは、かつてヴァリアスがベルフラウとの婚姻を画策した時に手を回した場所だ。

 魔術師達の管理を行っている場所で、大きく10の課に分類されている。

 第1階層は1階、と言う風にだ。

 第一から第十の課はそれぞれに管轄があり、役割分担が成されている。



 ちなみにアレクフィナの所属は第七課、ここは協会の外で活動する魔術師を管理する部署だ。

 ぐんぐんと下がり続ける視界の中、それぞれの階層で無数の人間が、魔術師が動いているのが見えた。

 彼らが何をしているのかをここから図ることは出来ないが、それでも多くの魔術師が存在していることはわかった。



「ここで魔術の研究をしたり、鉄馬車みたいな道具を作ったりしてるの?」

「ああ、そうだよ。<アリウスの石>は北の大山脈で採れる鉱石でしか作れない。ここは唯一の精錬所があるから、研究するのにも良いのさ」

「本当に、ここって魔術師の都なのね」

「協会が大公国を統治を肩代わりする前から、ここは自治都市だったんだ。だから外と内じゃあ、まるで違う世界なのさ」



 誇らしげに語るアレクフィナの様子は、どこか優しい。



「アタシらの、故郷さ」

「故郷……」



 まさに故郷を自慢しているような、そんな様子だった。

 降り続けると言う感覚にも大分慣れて来た、が、漏斗状の穴はまだまだ底が見えなかった。

 そしてふと気付く、入り口を含めて12階層あって、入り口と10の課を含めれば11。

 残り1つには、何があるのだろう。



「ねぇ、アレクフィナ。ここって、一番下には何があるの?」

「ああ、底には…………」

「……アレクフィナ?」



 急に声が途絶えたので顔を上げると、アレクフィナはどこか虚空を見つめていた。

 一瞬、時でも止まったのかと思う程に固まって見えたが、すぐに動いた。

 無事な方の手指に嵌められた指輪――<アリウスの石>付き、新調したのだろうか――が、鈍い輝きを放っていた。



『「……ああ、ソコにはね」』



 ニタリ、と、嫌な笑みだった。

 過去のどの時点のアレクフィナが浮かべたことも無い、嫌な嗤い方。

 そんな笑みを浮かべて、「彼女」は言った。



『「ソコには、ボクらの家があるんだよ。リデル公女――――本物(・ ・)のお姫様」』



 アレクフィナでは無い誰かが、そう言った。



  ◆  ◆  ◆



 本能的とでも言うべきだろうか、「別人」だと確信した。

 不思議そうな顔で首など傾げているが、ますますもってアレクフィナはそんなことはしない。

 今、自分達の目の前にいる人間はアレクフィナでは無い。



『「ようこそ」』



 皆が警戒する中で、アレクフィナは――他に呼びようも無いので、アレクフィナと呼ぶが――リデルを見て、にっこりと微笑んだ。



(正直、気持ち悪いわね)



 そんな酷いことを少し考えて、しかし嫌な予感は継続している。

 目の前の存在が誰なのかは、わからない。

 しかし味方では無い、そんな予感がするのだ。

 元より魔術都市ティエルは敵の本拠地、真っ只中、今さら感は拭えない。



『「ようこそ、リデル公女。歓迎するよ」』

「……アンタ、誰?」

『「さぁ、誰かな。皆はボクのことを色々な呼び名で呼ぶからね。ただ、最近で言うなら」』



 <大魔女>



『「……と、呼ばれることが多いかな」』

「<大魔女>……」



 ちらりとアーサーを見るが、小さく首を横に振った。

 良く知らない、と言うことだろう。

 だが単語自体は何度か聞いた覚えがある、イレアナ達が口にしていた単語だ。

 我らが<大魔女>、彼女達は一様にそう言っていた。



 だがそれがどう言った存在なのか、それについては何もわからなかった。

 だが<魔女>達が敬う存在なのだ、<魔女>か、あるいはその中で頭一つ上の存在なのかもしれない。

 だとするなら、この<大魔女>は魔術協会の頂点に位置する……。



「ベルは、どこ?」

『「ベル?」』

「とぼけるんじゃないわよ、アンタ達が幽閉したんでしょうが!」

『「幽閉? ああ、ベルフラウ公王のことかな。確かに、彼女はボクの下にいるよ」』



 ゆっくりとした動作で、アレクフィナがリデル達の後ろを指差した。

 同時に、床が大きく揺れる。

 止まったのだ、底に。

 いつの間にか街並みは消えて、周りは黒い金属質な物に囲まれた空間になっていた。

 出口の方向だけが、ぽっかりと口を開けて――その先に続く、真っ暗な通路を見せている。



『「待っているよ、リデル公女。この先の、ボク達の家(ホーム)でね」』



 そう言うと、アレクフィナは――<大魔女>はまた笑った。

 見ている者に不快感と、言葉に出来ない不安を煽るような、そんな笑みだった。

 そして、彼女は言った。



『「キミに会いたいと思っていたよ、リデル公女……アクシス公子の娘」』



  ◆  ◆  ◆



 塔だ。

 塔と言う他は無い、円錐の形に近い構造をしており、最上階に近付くにつれて胴回りが細くなる形をしていた。

 ただしその塔は普通のそれと異なり、逆さまだった。



「そりゃあ地下に潜ってるんだから、逆になるって言われるとそうかもしれないけど」

「これはちょっと……」

「無いよなぁ」



 アーサーとアレクセイが共に頷く、逆さまの塔の存在はそれだけ異様だった。

 異質だったと言っても良い。

 天井から塔が生えていると思えば、その異質さ、おかしさはわかってくれるかと思う。



「あー……あれ? アタシって、今まで何してたっけ?」



 通路を通ってしばらくすると、広い空間と目の前の塔がある場所に出た。

 案内したのはもちろんアレクフィナなのだが、彼女は頭をしきりに振りながらブツブツと呟いていた。

 どうやら、途中で記憶が飛んでいるらしい。

 原因は何となくわかる、先程の<大魔女>だ。



 正直、何が起きていたのかはわからない。

 だがあの瞬間、確かにアレクフィナは<大魔女>になっていた。

 なっていた、と言うのもおかしな表現だが、他に言いようが無い。

 あれも何かの魔術だとは思うが、この考えも結局、他に考えようが無いからそう考えているだけだ。



(まぁ、そもそも本当にベルがここにいるのかどうかもわからないわけだけど)



 おそらく、いるとは思う。

 あの<大魔女>はリデルに会いたいと言っていた、これも理由はわからないが、ベルフラウを幽閉したのはそのためなのだろうか。

 正直、そんな重要人物になった覚えは無い。



 考えても仕方の無いことかもしれないが、しかし考えるのが自分の仕事なのだ。

 わからないことは、嫌いだ。

 不安になる。

 そしてその不安は、もはやリデル1人のものでは無いのだ。



「リデルさん」



 悶々と考えていると、肩を叩かれた。

 そして呼吸するように、リスがその指に噛み付いていた。



「……えーと、考えるよりも進んだ方が良い時もありますよ?」

「ふ、ふふ。そうね、そうかもしれない」



 リスをぷらぷらと揺らしながら、引き攣った顔をするアーサー。

 そんなアーサーを見ていると、胸中の深刻さが少し軽くなったような気がした。

 考え続ける、が、情報の無いことを考えても消耗するだけだ。

 今は先に進もう、そうするより他に道は無い。



「おーい、こいつはどうやって開ければ良いんだ?」

「ああん? だからフィリア人がアタシに話しかけんじゃ無いよ」

「何? どうしたの?」



 またアレクセイとアレクフィナが揉めている、名前は似ているのに反りは合わない2人だ。



「ああ、この扉、超重いんだわ」

「いや、その大きさの扉を素手で開けようとするアンタった何よ」



 アレクセイは、塔の出入り口だろう大扉を押していた。

 しかしおそらくは金属製――黒い金属など聞いたことも無いが――しかも扉と言うよりは壁と言った方が良い巨大さだ。

 何やら奇妙な紋様や見たことも無い文字が描かれているが、それが何なのかはわからなかった。



「ぐ、ぬ……うおおおぉぉ」

「いや、アンタね。そんな押したって開くわけ無いでしょ」



 おそらく、何か魔術的な仕掛けがあるのだろう。

 それを力尽くでこじ開けようとするなど、脳みそまで筋肉で出来ているわけではあるまいに。

 いや、仮に脳みそまで筋肉であったとしても、そんなこと出来ようはずもあるまい。

 と言うか、どうしてそんなことをしようとしたのだろう。



「ねぇ、リデル」

「はいはい、なーによ。ルイナ」

「ここを開ければ良いの?」

「そうよ、中に入る気があるならね。アレクフィナ、早く開けて頂戴」

「あ? 知らないよ、開け方なんて」

「は?」



 ちょっと待て、何を言ってるんだこいつは。



「知らないって、じゃあアンタ何で私達を案内してたのよ」

「アタシはお前だけ連れて来いって言われたんだ。他は知らないし、この先はアタシみたいな下っ端魔術師が来て良い場所じゃないんだよ」

「何よそれ、馬鹿じゃないの?」

「五月蝿いねぇ、アタシだってこんな最深部まで来るのは初めてなんだから、知るわけ無いだろ」



 どうやら、アレクフィナも扉の開け方を知らない様子だった。

 つまり開け方がわからない。

 言い直すまでも無く、詰みだった。

 呼んでおいて詰ませるとか、何だその展開は、と思った。



「ねぇ、アーサー」

「何か久しぶりですねこれ。いえ、まぁ、僕の魔術なら壁伝いに行けそうですが……これは多分、そう言うことじゃ無いんでしょう?」

「そうよねぇ……」



 アーサーの魔術なら、確かに塔を外壁に沿って「登る」ことは出来るだろう。

 だがそれが正解なのかと言われると、やや、いやかなり自信が無かった。



「開ければ良いのね?」



 ただ1人だけ、暢気な顔で扉に近付く者がいた。

 ルイナは鼻歌でも歌うかのような軽い足取りで扉に近付き、この時アレクセイが驚いてどいているが、片手を当てた。

 軽くノックの真似事をした後で、掌全体で扉の表面を掴むようにする。



「……ル」



 一瞬、何のつもりかと思った。

 しかし何事かを発しようとした口は、「ビギ」と言う、形容しがたい音によって遮られた。



「ル、ルル、ル」



 それは扉の音か、それともルイナの身体が発する音だったのか。

 気のせいで無ければ、こちらに背を向けるルイナの片側の肩のあたりが、一瞬、僅かに盛り上がったような気がした。

 そしてその盛り上がりは、不思議なことに動きを見せた。



 まるで心臓が血液を全身に行き渡らせるかのように。

 ルイナの身体の中で何かが生まれ、そしてそれが肩から腕に、腕から手に、手から指に。

 ――――そして。



「ルル、ルルル、ゥ」



 罅割れ。



「ルル、ルルルルゥウ――――ッ!」



 そして、砕けた。

 握り潰した後、引きかけた掌を再び前に押し出して、潰してしまった。

 傍目には、爆発したようにも見えたかもしれない。

 アレクセイなどは驚きの余り腰を抜かしていたし、アレクフィナも目を丸くしていた。

 リデルだって、ちょっと受け止め切れなかった。



 音を立てて崩れる大扉、ぱっと見ただけで厚みは数十センチはあっただろう。

 それを片手で握り潰し、破壊してしまうとは。

 島で、漁村で出会った頃の彼女とは、明らかに違う。

 何か別のものに変わってしまったのだと、改めて思った。

 あの『施設』で、ルイナと言う少女は変わってしまったのだと。



「……ルル♪」



 金属の破片が散る中で、ルイナは笑って振り向いた。

 その笑顔だけは、最初に会った頃と何も変わっていなかった。



「…………ふぅ」



 息を吐く。

 皆が固まっている中で、リデルはまず息を吐いた。

 変わることは悪くない。

 大なり小なり皆、何かが変わる。



 ルイナの場合、それが少しばかり特殊だっただけだ。

 と言うか、特殊と言うなら自分だって負けてはいないだろう。

 島育ちの小娘が、今やこんな所でこんなことをしているのだから。

 そう思えば、胸の中で張っていた何かも多少は緩んだ。



「ルイナ」

「はい、何ですかリデル」

「あんまり調子に乗らないでよね」

「ええ!?」



 ツンと顎を上げて、横を通り過ぎる。

 自分とルイナの関係は、これで良いのだ。

 きっと、そうなのだ。



  ◆  ◆  ◆



「え、おい……まさかこれ、アタシの責任になるんじゃないだろうな?」



 アレクフィナが顔を青ざめさせる横を通り過ぎて、塔の中へと入った。

 やはりと言うか塔の中は暗く、入り口周辺以外は見通すことが出来なかった。

 流石に暗闇の中に飛び込むつもりは無く、入ったは良いが、先に進めない。

 そう言う意味では、今日はストレスを溜めやすい1日であると言えた。



 と言うか、呼んでおいて放置とかどう言うことなのだろうか。

 一応アレクフィナは迎えに来ているが、彼女も多くは知らされていない。

 事実上、リデル達と立場は変わらなかった。



「ねぇ、アーサー。これって大声出して呼んでも大丈夫だと思う?」

「個人的には良いかなと思いますが、それも少し危機意識に欠けるとも思えます」

「リデル、リデル。何かいます」

「何かって何よ。と言うか、何も見えないんだけど……」



 どうやらルイナは夜目も効くらしい。

 リデルの目には何も見えないが、じっと暗闇の中を見つめている様子を見るに本当に見えているのだろう。

 目を細めて暗闇を見つめる、やはり何も見えなかった。



「何が見えるの?」

「多分、女の子」

「女の子?」

「……だと、思う」

「どっちよ」

「うーん」



 しかしそのルイナも、どうやら自信が無い様子だった。

 まぁ、この暗闇では仕方ないだろうが。

 ――――その時だ、足元で何か金属音がした。



「あ? 何、今の」



 音、と続けようとして、言葉を失った。

 足元、それこそ靴先スレスレの位置に、何かが刺さっていた。

 繰り返すが床は黒い金属で出来ている、踏みしめる限りではかなりの硬度だ。

 そこに鈍い銀色に輝く刃物が、形状としては円形の、細かな突起がついた歯車のような刃物が刺さっていた。



 金属を造作も無く貫く刃物きんぞく、リデルには信じ難い現象だ。

 だがここは魔術都市、信じ難い現象など起きて当然。

 そう思い直した時だ、腕を引かれた。

 アーサーだった、ルイナも飛びずさって離れる、次の瞬間だ。



「避けなさい!」



 反射的に叫んだ瞬間だ、床を張っていた蛇がその巨体を跳ねた。

 ロープの端を持ち、上下に大きく揺さぶった時のような動きを想像してくれれば良い。

 奇跡的なことに、身体のうねりの隙間を縫って鈍い銀の閃きが擦過していった。

 そして、金属の床に歯車形の刃物が連続で突き刺さる。



 ――しゃきん、しゃきん――



 アーサーに抱えられて着地すると、奥の方から鋏が擦れ合うような音が聞こえてきた。

 気のせいでなければ、高速で回転しているようでもある。

 そしてその回転に合わせて、暗闇の中に火花が見える。

 1度意識してしまえば、後は不思議と見えるようになってきた。



「誰かいるわね」

「その情報は少し古いですね」

「わかってるわよ」



 それは確かに、女のように見えた。

 金の髪が僅かな光に煌いていて、闇の中に2つの菫色の輝きが浮かんでいるのがわかる。

 ソフィア人、だがあの回転音と火花は何だ?

 回転音は非常に耳障りで、鼓膜が引き攣るような錯覚を覚える程だった。

 しかもその回転音は、気のせいでなければ女の全身至る所から聞こえるようで。



「な、何だぁ、ありゃあ!?」



 アレクセイがぎょっとした声を上げた。

 それもそのはずだ、誰だってそうだろう。

 人間の身体が、何と表現すれば良いのか――――「開いた」のだ。

 ために一瞬、女の身体が急に膨れたようにも見えた。



 蓋が開くように肌の部分が割れ、内側から回転する歯車が飛び出し、そしてまた戻った。

 何だ、あれは。

 明らかに人間では無い、だが形はまさに人間なのだ。

 人の形(ヒトガタ)



「――侵入者ヲ発見」



 カラクリ仕掛け。

 奇妙な表現だが、それが一番近いのかもしれない。

 リデルも余り詳しくは知らないが、そうした物があるのはどこかで読んで知っている。

 まぁ、それでも人間大と言うのは聞いたことも無いが。



「――排除行動ヲ開始」



 そして不味いことのこのカラクリは、リデル達に襲い掛かってきた。



  ◆  ◆  ◆



 まず最初に、アーサーは懐から小さな瓶を投げた。

 蓋が開いたそれからは、黒い粘り気のある液体が飛び散っていた。



「アレクフィナ! 火!」

「は、はぁ!?」

「早く! 何よ、もしかして出来ないわけ?」

「んなっ!? いやそれ以前に、アタシに命令してるんじゃないよ!」



 それでもアレクフィナ魔術を発動した、炎が一瞬、空間を明るくする。

 それは空中に飛び散る液体に燃え移ると、一気に火炎が大きくなった。

 瓶が割れ、床にドロリと広がった石油に火が入る。

 旧市街から持ち込んだ優れものだ、蓋を外すとツンとした匂いが鼻につくのが困りものだが。



 そうして視界が確保された所で、リデルは改めて「敵」の姿を認識した。

 金の髪に白い肌、菫色の瞳、いずれもソフィア人の特徴だ。

 しかし意外なことに、そこに立っていたのはソフィア人では無かった。

 いや、むしろ人間ですらない。



「な、何よ、アレ……!」



 薄く輝く髪、硝子の瞳、陶器の肌、金属の関節。

 服に見えた部分は塗装か何かのようで、石油に燃え移った炎の光で鈍く光沢を放っていた。

 そして回転音の正体もわかった。

 彼女(・ ・)の肌が――おそらく、体内の機構なのだろう――断続的に割れ、鋭い刃を持つ歯車が回転する様が見えた。



「アレクフィナ! アレは何!? あれもアンタ達が作ったの?」

「い、いや、あんな物は知らないよ!」



 事実だった。

 そもそもアレクフィナは魔術師の中では下層の人間である、そもそもが最奥部の「塔」に何があるのかなど、聞いたことすら無い。

 だから、彼女の情報レベルはリデル達とそう差が無かった。



「リデルさん!」

「え?」



 不意に、回転音の質が変わった。

 目の前の女――あえて女と言う表現を使うが――の両腕に、ノコギリ状の小さな刃が並んでいるのが見えた。

 そしてそれが回転していた、激しく、豪快なまでの音を立てて、だ。

 何と言うか、お肉が良く切れそうだな、と馬鹿みたいなことを考えてしまった。



「リデルさん、避けて!」

「ちょ、アーサーッ!?」



 気が付いた時には突き飛ばされていて、同じようなことがいつかあったな、などと思った。

 しかし次の瞬間、潜り込むようにして駆け込んできた女が、刃を回転させた状態で腕を振るった。

 下から、逆袈裟懸け。

 避けきれずに、アーサーの脇腹から肩にかけての衣服が引き裂かれた。



「アーサーッ!!」



 リデルの視界の中で、衣服の切れ端が舞った。



  ◆  ◆  ◆



「大丈夫です! それよりも離れていて下さい!」



 リデルに叫びにそう返して、アーサーは後ろに大きく飛んだ。

 衣服は派手に裂けているが、そこから覗く肌は切れていなかった。

 当然、血が流れることは無い。

 無傷だ、刃が触れる瞬間に魔術で防御した。



 まさかいきなり戦闘になるとは思わなかったが、石油の火のおかげで視界は通っている。

 だからこそ、相手の姿を捉えて戦えるのだ。

 ……まぁ、捉えられたからと言って、事態が好転するわけでは無いが。



「――排除。――排除。――排除」



 空振りに終わった形の女の身体が、グリンッ、と勢い良く回転した。

 先に首が回り、次いで胴体が回り、最後の下半身が回って振り向いた。

 これで確信した、これは、人間では無い!



「こ、この野郎!」

「――目標固定」

「って、ぐおぉ……! か、硬ぇ!」」



 後ろからアレクセイが殴りかかる。

 その拳は確かに女に直撃したが、すぐに顔を歪めて離れた。

 擦ると嫌な柔らかさがあり、右拳が砕けたことがわかる。

 鉄の壁を殴ったかのような音と衝撃、明らかに人間を殴ったそれでは無かった。



 しかも、女が目標を変えることは無かった。

 自分の攻撃を凌いだアーサーの方が脅威が高いと認識したのか、そちらを向いたままだった。

 そしてアレクセイの存在を完全に無視して、女がアーサーに突撃する。

 ただし両腕の刃の回転は止まり、代わりに肘のあたりから鋭利な黒い刃物が3本、鉤爪の如く飛び出して来た。



「3本の剣!」



 それを見て、リデルは気付いた。

 フロイラインの身体の傷、平行した切り傷の正体はあれか。

 だとすれば、フロイラインはあの女にやられたことになる。



「こ、これはかなりヤバそう、です、ねっ」



 魔術の発動を継続しつつも、アーサーは次々に切りつけられる。

 えげつないのは、床や壁に女の刃が触れるとチーズか何かのように切られてしまうことだ。

 摩擦係数操作で刃を滑らせていなければ、おそらくアーサーの身体は綺麗にスライスされていたはずだ。

 正直、ぞっとしない。



 そして正面から攻撃を受けているアーサーだから、見えた。

 女の首にチョーカーにも見えるプレートがあって、そこに文字が刻まれていた。

 そこにはソフィアの言葉でこう書かれている、「 ユ ノ 」、と。

 おそらく名前か、それに近いものだろうと思う。



「うわっ!?」



 それに気を取られていると、顔を切られた。

 魔術が切れていたら、顔が1対2くらいの割合で裂けていただろう。

 切られはしないが、しかし衝撃は受ける。

 正直に言って、衝撃だけで気を失えそうだった。



 おまけに速い、回避できていないのが何よりの証拠だ。

 さらに身体の関節の動きがおかしく、次の攻撃を予測できない。

 つまり現状、手も足も出ていない状態だった。

 今はアーサーが標的になっているから良いが、これが他の者に変わると、危ない。

 要するに、いきなりの絶体絶命と言う奴だった。



「こう言うのは……!」

「……こう言うピンチは、久しぶりね!」



 叫んで、リデルが立ち上がった。

 久しぶりだ、こう言う追い詰められ方をするのは。

 そして最初は、常にこう言うピンチの連続だったではないか。

 これを受けて、リデルは久しぶりにその台詞を口にした。



「――――策を作るわ!」



 状況は劣悪、情勢は不穏。

 大いに結構、いつものことだ。

 少なくともリデル達にとっては、劣勢と言うのは本当の意味で劣勢では無い。

 何故なら彼女達は、いつだって劣勢な状況から全てをスタートさせてきたのだから。



  ◆  ◆  ◆



 ――――協会のイメージカラーは、黒と赤である。

 黒とは魔の色、赤とは生命の色だ。

 そしてその部屋もまた、その2つの色で構成されていた。



「…………」



 寝室、そこは寝室だった。

 黒の壁と黒の床に囲まれた、家具や調度品の全てがほぼ黒一色で整えられた寝室だ。

 窓は無い。

 暗闇だけが、いや、所々で<アリウスの石>の赤い輝きが明滅している。

 夜と、星のように。



 寝室の中央には、豪奢な造りのベッドがある。

 豪奢とは言っても、黒基調の造りのベッドはどこか棺のようにも見えた。

 枕のフリルも真っ黒、シーツも真っ黒、天蓋から垂れる厚めの布も真っ黒。

 装飾も細かな細工が施されているようだが、色合いが闇に溶け込んでいて、あまり意味があるようには見えない。



「…………」



 だがその中にあって、1つだけ違う色があった。

 それはベッドの中にある。

 色は、白と金。

 黒のシーツに胸から下を覆い、その上に手を組んで眠っている少女だ。



 白は肌の色、金は髪の色。

 黒と赤の世界の中で、笑ってしまう程に場違いな色だった。

 まして目鼻立ちの整った美しい造形の少女、より華やかな場所でこそ映えるだろう。

 だが現実として、少女はこの闇の世界にいる。

 囚われている、闇に絡め取られている、まるでたゆたっているかのように。



「…………」



 公王ベルフラウは、その身をこの国の最も置く深い場所に置かれていた。

 緩やかに上下する胸元、組んだ手の中に一際大きな赤い宝石があった。

 拳大の大きさで、しかも透き通る程に純度の高い<アリウスの石>だ。

 赤く明滅を続けるその様子は、何かを吸い取っているようにも、逆に何かを注ぎ込んでいるようにも見えた。



「…………」



 規則正しい寝息だけが、その空間で聞こえる音の全てだった。

 まるで時が止まっているかのように。

 童話の世界が現実に現れたなら、このような世界なのかもしれない。



 ――――違う。この子は、偽物だね……。



 不意に、童話の世界が崩れた。

 少女めいた高い声が聞こえて、ために静止した世界が動き出したのだ。

 それでもベルフラウは、黒いベッドの上で眠り続けていた。

 その胸元で、<アリウスの石>が鼓動のように明滅を繰り返していた。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

今回からティエル編、本格スタートです。

なるべくホットスタートを心がけてみたのですが、いかがでしたでしょうか。

それでは、また次回。

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