9-3:「ヴァリアス」
彼が生まれたのは、頂点に最も近い場所だった。
両親は先々代の<魔女>だった、<魔女>が子を成すことは珍しくないが、<魔女>同士の間に生まれた子供は歴史上で彼が最初だった。
だから当然のように魔術師としての教育を受け、当然のように<魔女>になった。
『血統書付きの<魔女>』
『大公国始まって以来の天才』
『<魔女>になるべくして産まれた男』
だが、彼がそれらの言葉に満足することは無かった。
彼は<魔女>だが、魔術師として最高の位置を占めているわけでは無い。
気に入らなかった。
最も優れた人種の、最も優れた血統の、最も優れた才能を持つ自分。
そんな自分が占めるべき場所は、唯一にして至高のもので無ければならない。
自分よりも上位にいる存在を許せない。
だが彼は、ひとりではそこへ登りつめることが出来ないことを知っていた。
物事には条件があるものだと、それを認識できる程度の謙虚さはあった。
『ヴァリアス様』
だから彼は、演じた。
人当たりの良い笑顔を浮かべ、誰にでも分け隔てなく接した。
困っている者がいれば援助してやり、病んでいる者がいればこれを救った。
与えられた管区の統治にも気を配った、知恵ある者の意見を良く聞き、現場の者達を労わった。
その結果、彼には多くの味方が出来た。
公都の魔術師達はもちろん、地方の名士達の多くも彼の友人で、およそ反逆と取られかねない今回の騒動でも彼を支持してくれている。
今の公王が政に関心が薄く、支持者が多いとは言えないイレアナが事実上の宰相として振る舞っていたことも幸いした。
「素晴らしいよ、同志キア」
そして彼の最大のアドバンテージ、それは同じ<魔女>の中にすら味方がいると言うことだ。
ドクターが生きていれば、条件次第で味方に出来ただろうが、それは仕方ない。
<魔女>は7人、生存しているのは6人。
その内で、イレアナとノエルが公都の外に公王及び軍勢と共にいて、ヴァリアスとキアが公女を抱えて公都にいる。
「大公女殿下だけで無く、あの公女を捕えるなんて。流石は<魔女>だ、何にも増して頼りになる。素晴らしいよ」
「いえ、たまたま運が良かっただけです」
「それもキミが正しいことをしていたからさ。僕にはそれが良くわかる」
だから、ヴァリアスがキアのことを手放しで褒めるのも無理は無い。
目下のところ彼女はヴァリアスの最大の味方であり、今まさに最大の利益をもたらしてくれているのだから。
ベルフラウ、リデル、この2人を手中に収めることが出来た。
「体面と血、実と名。これでどちらも手に入れることが出来る」
ヴァリアスにとって、それは最も重要なものだったからだ。
「特にリデル公女が戻って来たのが良い、助かったよ」
知っている者が聞けば、ふと首を傾げたくなっただろう。
リデル公都から追放したのは彼自身だ、そのヴァリアスがリデルの帰還を何よりも喜んでいる。
(あの時は知らなかったとは言え、迂闊なことをした)
確かな反省の下、そう思った。
知らなかったのだ。
まさかベルフラウ公女に「あんな秘密」があるとは、付き人を堕としておいて良かった。
「ところで」
終始上機嫌そうなヴァリアスを涼やかに見つめながら、キアが言った。
先程から彼は2人の公女のことしか喋っていないが、捕えた人間はもう1人いた。
「一緒に捕えた旧フィリアリーンの王子については、どうしますか?」
「ん? ああ……まぁ、それはキミに任せるよ」
「はぁ」
アーサーは、どうやらおまけですら無いようだった。
◆ ◆ ◆
一方で、おまけ扱いすらされなかったアーサーはどうしているのか。
まぁ、それでも旧フィリアリーンの王子と気付いて貰えただけマシなのだろう。
その結果として、宮殿の地下牢に囚われているわけだが。
「まぁ、いつも通りと言われればそうなのですかね」
カビ臭い石造りの小さな部屋、通路の壁に設置された<アリウスの石>のぼんやりした灯りだけが光源の、テンプレートと言えばテンプレートな牢だ。
他の牢と違う点と言えば、ソフィアの牢は他と違い個室と言うことだろうか。
それに使われること自体があまり無いので、見張りなどのシステムが今一つ身が入っていない。
まぁ、そうは言っても牢は牢――それも、フィリア人奴隷用の。ソフィア人用の牢は他にある――である、快適さとは程遠い。
とは言え旧市街を生き延びたアーサーにとって、今さらどうと言うことも無かった。
唯一、いつも傍で何かしら賑やかな少女がいない、と言うだけだ。
「むしろ、またかって感じすらします」
拷問すらされずに放置と言うのも、また珍しい。
「それだけ、僕に関心が無いと言うことでしょうけど」
有難いが、少しだけむっとする自分がいることに驚く。
リデルといる内に、王様としての自分でも認識し始めたのだろうか。
それはまた、何とも苦笑すべき事実ではあった。
『貴方の心の世界は、鏡』
そして、思い出す。
あの時、リデルが心の世界を覗かれていたように、アーサーもまたあの<魔女>、キアによって自分の心を覗かれていたのだ。
そこで<魔女>は言った、アーサーの心の世界は「鏡の世界」だと。
『身の丈にあった世界しか映し出しはしない、鏡の国の王子様。それが、貴方です』
切り立った水晶のように屹立する無数の鏡、アーサーの心にはそれだけがあった。
それら全てはアーサーを映し出していた、今のままの姿のアーサーを。
しかし、それ以外の物は何も映し出してはいなかった。
つまり、アーサーの中にはアーサー以外のものが何も無かったのだ。
「…………ふむ」
それは、少しばかりショックな事実だった。
またそう言うことにショックを受ける自分と言うのにも、アーサーは意外を覚えた。
「リデルさんだったら、何と言って言い返したんでしょうね」
あの時、自分はキアに対して何も言い返せなかったが。
とりあえずはそう考えて、アーサーは目を閉じた。
ひとまず、自分の中のリデルに問いかけるように。
はたして、彼の心にリデルは住んでいるだろうか?
◆ ◆ ◆
何たってこんな苦労をしなければならないのか、アレクセイは改めてそう思った。
これまでも彼は相当の苦労を強いられてきたわけだが、今回はわけが違う。
「宮殿に忍び込むとか、もうこれ意味わからねぇな」
唸るようにそう言って、路地裏で頭を抱える。
元々、彼は今日には公都の外に出ているはずだったのだ。
だが朝になっても約束の場所にリデル達は現れず、いくら待っても意味が無いと判断して人気の無い場所に移動したのだ。
何かあったのは、間違いない。
しかし何が起こったのかを知っているわけでは無いので、リデル達の安否を知りようが無い。
何をどうするにしろ、とにかく彼女らがどうなったがを知らねば始まらない。
始まらないのだが、これがまた難儀なのである。
「やっぱ、どう考えても忍び込むのは無理だよなぁ。はぁ」
公都に入るのは、言う程難しくは無い。
大国の首都だけあって人の出入りも多く、人の波に紛れて入り込めば良いのだ。
しかし、宮殿となると話は別だ。
「いくら俺様っつっても、今回ばかりは分が悪い所じゃないぜ」
まず、出入り出来る人間が極端に限られる。
宮殿に常駐している人数もけして多くない、近衛兵を含めて、常に顔と名前を互いに確認している。
つまり、新顔が存在しないのだ。
徴兵で初めて会うような者達ばかりの連合の軍とは違う、ああ言う手はここでは使えない。
そうなってくると、手は限られてくる。
しかも、どれも出来れば採用したくない手段ばかりだ。
理由は、下手をせずとも命に関わるからである。
いや、まず間違いなく死ぬだろう。
「あー……くそっ!」
自分のお人好しさ加減とか、責任感とか、そう言うのがこう言う時は鬱陶しくなる。
しかしそれを無視して保身に走れるような精神性を、彼は持っていなかった。
もやもやしたものを抱えながら行き続けるより、やるべきことをした充足感を持って死んだ方がマシだ。
他に適当な手段を思いつけず、彼が足を向けたのは、路地の出口だった。
覗いてみれば相変わらず人通りはまばらで、通りには例の奇妙な魔術師達の姿が見える。
一度気を落ち着けるように息を吐き、カツラを注意深く被り直した。
そして、意を決して路地を出る。
瞬間、毛色の違うソフィアの世界がわっと目の前に広がった。
「男は度胸。ま、それで死んじまったらマヌケってことか」
自嘲気味にそう行って、彼は急いで、しかし目立たぬよう他の人々に合わせながら歩き出した。
公都の中枢、本当の意味でそう言われる場所に向けて。
ひとりで。
◆ ◆ ◆
自慢では無いが、捕まるのはこれが初めてでは無い。
よって、リデルには何も恐れる所は無かった。
「むうぅ、シーツが足らないわ」
苦虫を噛み潰したような顔で見ているのは、テラスの端にくくりつけたシーツだった。
白いリネンのそれは陽光に照らされて美しくもあるが、パタパタと風に煽られて揺れる様はどこか滑稽にも見えた。
定番と言えば定番、シーツや布を結びつけて即席のロープにしようとしたのだ。
しかし、結果は芳しくなかった。
リデルが目を覚ましたのは以前彼女が使っていた部屋で、つまりテラスの下には広い庭園が広がっているのだが、いくらロープを作っても半分の高さにもならなかったのだ。
そして飛び降りるには、少しばかり勇気がいる高さではあった。
「と言って、中を進んでも捕まっちゃうだろうし」
前回も結局、中庭までしか行けなかった。
公都の外に出れたのは、ひとえにベルの好意とフロイラインの謀が噛み合った結果だ。
だから、宮殿の中を歩いて突破と言うのは諦めるしか無い。
しかしアーサーでもあるまいし、壁伝いに移動することも出来るわけが無い。
「待って、待つのよ私。万策尽きるにはまだ早いわ、まだ百策くらいよ」
うーんうーんと部屋の真ん中で頭を抱えてみても、妙案は思い浮かばない。
アーサーがいつも通り助けに来てくれる、と信じるのは楽だが、だからと言ってそこに全て乗っかるわけにもいかない。
むしろ、こちらが助けに行く、くらいの気構えで無ければ。
「って、気持ちだけでどうにかなったら世話無いのよ!」
ひとりでいるからなのか、妙にテンションが高い様子だった。
その時、はっとした顔で部屋の扉の方を見た。
足音、誰かが近付いてきていた。
彼女はそれに気付くとすぐにあたりを見渡して、何を思ったのか、軽食用のショートブレッドが入れられた籠を手に取った。
それから扉の横に張り付き、誰かが入ってくるのを待った。
正直、編み籠一つで何が出来るとも思えなかったが、何も無いよりはマシに思えた。
そして、その時はあっさりとやってきた。
「……せやっ!」
「おっと」
そして、あっさりと受け止められてしまった。
いったい何がしたかったのだろう、思わず自分でそう思ってしまう程だった。
バラバラと、零れたショートブレッドが床に落ちる。
「これは、また随分とご挨拶だね」
「あ、アンタは!」
しかもそこにいたのは、ヴァリアスだった。
随分と久しぶりに会うが、相も変わらずの優男だった。
やや評価に棘があるのは、パーティーの時のイメージが強いからだろう。
「何でアンタがここにいるのよ!」
「うん? そんなこと、決まっているじゃないか」
腕を掴まれたまま、そっと身を引き寄せられた。
そして、耳元で囁かれるように。
「――――妻を迎えに来たんだよ、リデル公女」
は? といぶかしむと、ヴァリアスはにこりと微笑んだ。
そしてリデルの細腕を掴んだまま、己の唇をリデルの口元に寄せてきた――――。
◆ ◆ ◆
乾いた音が響く。
リデルが頬を打った音で、予想していたのか、ヴァリアスは特に驚いた様子を見せなかった。
息を荒げて、彼を睨みつける。
「酷いじゃないか」
それは、酷く平坦な声だった。
リデルの睨みに気圧されたわけでは無論無く、一方の彼女の腕を今も掴んでいる。
少女の力では、外せなかった。
いったい何のつもりなのか、リデルは改めて目の前の男の情報を思い出した。
ヴァリアス、ノエルやイレアナと同じ<魔女>。
どんな魔術を使うかはわからないが、それなりに人望はありそうだった。
まともに会ったのは、あのパーティーの時くらいか。
それ以外のことはあまり良くわからない、つまり、何もわからないに等しい。
ただ、気になることは言った。
「アンタ今、私のことを妻だって言った?」
「ああ、言ったね。キミは僕の妻に相応しい女性だ」
「ふぅん。良くわからないけど、私のどこをどう見て妻に相応しいと思ったわけ?」
「そうだね、血筋かな」
娘だとか妻だとか、最近は人の価値を勝手に決めてくる相手が多い。
戯れに理由を尋ねて見れば、これまた戯れのような答えが返って来た。
「僕はね、キミのことを愛しているんだ」
まるで温もりを感じない声音で、そんなことを言った。
「顔の造形も悪くない、僕の隣にいても十分に映えるだろう。スタイルには多少の物足りなさを感じるけれど、まぁ、そこは他に求めるから気にしないで良いよ」
「はぁ? アンタもしかしなくても私のこと馬鹿にしてんの?」
「まさか! むしろ逆だよ、公王家の血を後世に残せる女性はキミだけなんだ。これは稀少なことだよ、誇っても良いことだ」
だがそれ以前に、この男はベルと結婚するのでは無かったか。
いや、リデルはそれを阻止しに来たのだが。
だが、不思議に感じた。
公王家の血を、と言うのなら、ベルの方がリデルより適任であろう。
それを何故、この男は自分などを妻にするなどと言うのだろう。
「ああ、もちろんベルフラウ大公女との婚姻はするよ」
そうしたリデルの思考を読んだのか、ヴァリアスは言った。
「でも、子供を産ませるならキミだ。リデル公女」
ベルと結婚し、リデルと子を成す。
一言で言うとそう言うことだが、ぱっと聞いただけでは意味がわからなかった。
彼はリデルのことを愛しているのだと言う、リデルの中の血を愛しているのだと言う。
情報を纏めよう。
第1に、ヴァリアスはリデルの中に流れる公王家の血が欲しい。
第2に、ベルではそれに不足だと思っている。
この2つを並べて見た時、矛盾と言うか、意味の無さが半端じゃないことに気付く。
「さぁ、リデル公女」
この人当たりの良い笑顔を浮かべる、何かが薄い男。
この青年は、何を考えている?
「僕の子供を、産んでくれるよね?」
わからない。
わからないが、ふとこう思った。
この男はきっと、今までほとんど誰かに願い事を拒否されたことが無いのでは無いだろうか。
きっとそうだ、根拠も無いがそう思った。
だからリデルは、言った。
戦略的な意図も戦術的な意思も無く、半ば嫌がらせのような意味で。
ふんっ、と鼻を鳴らし、気の強い眼差しで相手を睨みながら、言ってやった。
「ぜっっっったいっ、嫌ッ!!」
自分は、嫌だと言える女なのだから。
◆ ◆ ◆
乾いた音が響いた後、何かが床の上に落ちた。
リデルが床に倒れた音で、ヴァリアスはそれを冷ややかな目で見下ろしていた。
きっと睨み返すリデルの頬が、微かに赤く腫れていた。
「僕としては、どちらでも良いんだよ」
近付いてきて、髪を掴まれた。
痛い、抵抗する。
何をする、離せ。
だが、力では敵いようも無かった。
「妻でも……そして、奴隷でもね。子供を産んでくれさえすれば良いんだから」
「きゃっ……!」
再び突き飛ばされて、床に倒れ込む。
その際、何本か髪の毛が抜けたような気がする。
「まぁ、それでもいずれキミの方から望むようになる」
ヴァリアスの手に握られた物を見て、あっと声を上げた。
それはリデルが無理くり髪飾りにしていた首飾り、高純度の<アリウスの石>を嵌め込んだ宝石、つまり父の形見として肌身離さず持っていた物だ。
今となっては、リデルの身を守るための唯一のアイテムでもある。
「か、返しなさい!」
痛みを忘れ、飛び掛る。
だが元々力で敵うものでは無い、あっと言う間に腕を捻り上げられ、突き飛ばされる。
しばらくの間は似たようなことを繰り返したが、結局取り戻せず、最後には体力の方が先に尽きてしまった。
島育ちで体力には自信があったはずだが、これは毛色が違うと言うことだろう。
いずれにせよ、彼女は息を荒げて床に突っ伏した。
肌が腫れる以上の目だった怪我は無いが、それがかえってヴァリアスの「上手さ」を表しているようでもあった。
「きっとキミは、自分から僕の妻になりたいと言うようになる」
「だ、誰が……!」
「なるとも、確実にね。キミはそうしなければならなくなる」
そう言って笑みを浮かべるヴァリアスだが、リデルにはそれが酷く不快感な物に見えた。
人を馬鹿にして、見下して、何もかもが自分の思い通りになると信じている顔だ。
いや、信じていると言うよりは、確信しているのだろう。
世の中、自分の思い通りにならないことなど無いと。
しかし、何も言い返すことが出来なかった。
何を言っても負け惜しみにしかならないような気がして、リデルは唇を噛んでいた。
目尻に透明な雫が浮かんでいるあたり、胸中に渦巻く感情を上手く処理できていないのだろう。
それを見て、ヴァリアスは笑み一つ零して、少女を置いて部屋から出て行った。
踵を返した後は、一瞥もしなかった。
「ま、待ちなさいよ!」
慌てた、父の形見を奪われたのだ。
「返して! 返しなさいよ! この変態! 泥棒!」
いくら叫んでも、ヴァリアスは振り返りもしなかった。
そして、扉がしまる。
まるで世界を分けるように、あっさりとだ。
閉ざされた扉を見て、リデルは全身から力が抜けるような感覚を覚えた。
「……返してよぉ……」
人も、宝石も、動物もいない。
ただひとりきりのその部屋に、少女の声だけが響いた。
◆ ◆ ◆
リデルの部屋を出たヴァリアスだが、その足で別の場所へ向かった。
もう1人の公女、ベルフラウの部屋である。
なお、彼はアーサーのことは本当に気にもしていない。
「ヴァ、ヴァリアス様……」
「やぁ、フロイライン。どうかしたのかな、顔色があまり良くないね」
しかしその直前、フロイラインが彼の前に現れた。
だが彼はフロイラインの出現に驚いた様子も無く、にこやかに体調を気遣ってまで見せた。
実際、フロイラインの顔色は悪かった。
ここ最近の彼女の衰えは言葉にし難い程であり、それはヴァリアスの手に握られた赤い宝石を見ると、さらに悪化した様子だった。
「き、今日も、ベル様の部屋へ行かれるのですか」
「そうだね。今日こそは、ベルフラウ大公女も僕との結婚に同意してくれるだろうと思うよ」
フロイラインは青ざめた、そしてその場に膝をついた。
手を床につき、跪くような体勢を取る。
ヴァリアスは驚いた風も無く、それを見下ろしていた。
「お願いします。どうか、どうかもう、ベル様を苦しめないで下さい!」
切実な、そう、切実な懇願だった。
切羽詰っていたと言っても良い、フロイラインの心はそれ程に追い詰められていたのだ。
何においても、それこそ自分自身よりもベルフラウのことを大切に想う彼女にとって、今の状況は耐え難いものであった。
まして、それが己の責任でそうなっているとなればなおさらだ。
たった1度、他人を陥れたと言うだけで。
たった1度、ヴァリアスに助けを求め、そして利用されたと言うだけで。
いや、今にして思えばそのたった1度の過ちが致命だったのだ。
そして1度の過ちは、より大きな過ちを止めることが出来ない。
「心外だね、フロイライン」
ヴァリアスは言った。
にこやかに、優しく、慈しみ、慰めるように。
嘲笑い、嘲り、嘲弄し、嘲笑するように。
「僕はね、ベルフラウ大公女を守って差し上げたいだけなんだよ」
だって、危ないじゃないか。
「あんな秘密を抱えたまま玉座に上るだなんて、知ってしまったら助けずにはいられない」
秘密。
その言葉に、フロイラインは身を震わせた。
それはフロイラインにとって、あってはならないことだったからだ。
ベルフラウの、公王家の「秘密」。
それは、ベルフラウが死ぬまで誰にも打ち明けてはならないもの。
いや、たとえ死した後でも公になってはいけないもの。
ヴァリアスに知られてしまった、しかも自分のせいで。
死にたい気持ちだったが、自分が死ねばベルフラウはどうなるのかと、その気持ちだけが彼女を支えていた。
「申し訳ありません。ベル様、ベル様……ベル」
窓の外では日が落ち始め、赤く染まる世界の中、野生の鳥達が宮殿の庭から飛び立っていた。
自由に飛ぶことが出来たなら、そう思っても、もうどうすることも出来ない場所まで来ていた。
もう、どうすることも出来ない。
全ては、行き着くところまで行くしか無いのだった。
◆ ◆ ◆
公都から、陽の光が地平線の彼方へと落ちていく。
窮屈さを感じながらも外に出ていた公都の市民達が、家路を急ぐ時間だ。
そんな中、何人かは赤く焼けていく空を見上げて、明日の晴天を予感する者もいたかもしれない。
「ひゅい――――っ」
鳥。
一羽の鳥が、公都の空を飛んでいた。
公都に普段いるような鳥とは種類が違うようで、飛び方も大きさも違っていた。
見る者が見れば、その鳥がリデルの鳥であることに気付いただろう。
リデルの鳥はしばらく公都の周りをうろうろしていたが、目的の物か人を見つけられなかったのか、徐々に旋回の距離を増やしていった。
それでも見つけられなかったのか、やがて郊外に至った。
公都の郊外には、何やら物々しい人間達がぞろぞろと集まっていた。
それがイレアナの率いてきた軍勢であると言うのは、もちろんリデルの鳥にはわからなかった。
「ひゅい――――っ」
その時、リデルの鳥が急降下した。
何かを見つけたのだろうか、物凄い速度で何かを目指していた。
「ルルゥ?」
それは、女性だった。
公都と、郊外に集まった軍勢、そのいずれからも距離をとるような位置に彼女はいた。
ルル、ルルゥ、と、降りて来た鳥と会話するように、鳴き声のような声を発している。
茶色の髪にスカーフ、見た目には淑やかな女性。
「あなた、確かリデルの……」
ただ、街道に植林された針葉樹の頂に腰掛ける女性を淑やかな女性と言って良いものかどうか。
ともすれば落ちそうな身体を腕一本で支え、しかもそれを表情に出すことなく、むしろ木の幹の方がみしみしと悲鳴を上げている。
そんな彼女のことを、リデルの鳥は知っていたのだろうか。
しかし少なくとも、彼女はリデルの鳥を知っていたらしい。
何事かを伝えようとするそれに頷きを返すと、優しく胸元に抱き、そして大きな枝を掴んで跳んだ。
木が、彼女の体重を受けて大きくしなる。
前、それから後ろへ、大きくしなって、そして。
「――――ッ!」
まるで、放たれる矢の如く。
木のしなりを利用して、女の身体が何処かへと跳んだ――飛んだ。
やがて日は落ち、後には僅かに揺れる木だけが残された。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回はヴァリアスの悪い奴っぷりを描いてみました。
もう少し突っ込んで描写しても良かったかもと思ったり。
それでは、また次回。




