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9-2:「預言の<魔女>」

 いつかと逆になってしまったなと、ぼんやりとそんなことを考えた。

 まさかここまで感極まるとは思わなかったので、泣きじゃくるベルを宥める方法など考えていなかったのだ。

 そのため、しばらくはオロオロと泣き止むのを待つしかなかった。



「ぐすっ、ぐすっ」



 だがその代わり、ベルの周辺がいかにのっぴきならない状況に陥っているのかを知ることが出来た。

 泣きながらの説明だったから聞き取りずらかったが、概ねリデルの考えている通りだった。

 父である公王が遠征に出た次の日に、ヴァリアスとの結婚が決まったこと。

 そして父の詔勅があるわけでも無いのに、着々と準備が進められたこと。



 城下は奇妙な集団が人々に睨みをきかせていて、遊びに行けなくなったこと。

 知己の使用人達が全員どこかへ消えて、代わりに怖い人達が使用人としてやってきたこと。

 皆が口を揃えて、ヴァリアスとの結婚がいかに素晴らしいかを言い続けること。

 誰も助けてくれなかったこと。



「うぇっ、うええぇ」

「わ、わかったから。わかったから私の服で顔を拭くのはやめなさい」

「ご、ごべんん……」



 ぐすぐすとドレスの袖で拭き始めるベルに何とも言えない視線を向けつつも、リデルはしっかりと理解した。

 今のこの状況は、思ったよりも不味い。

 リデルの予想では、せいぜいヴァリアスに味方する派閥が独自に動いた結果だと考えていた。



(あいつ、何か取り巻きとか一杯いたしね)



 だがベルの話を聞いていると、どうも違う様子だった。

 話に、ヴァリアス以外の派閥の姿が見えないのである。

 それどころか公都を完全に押さえてしまっているようにも見えて、不気味だった。

 これが、<魔女>の権力だとでも言うのだろうか。



「でも、良かった」

「え?」

「リデルが来てくれたから、もう寂しく無いもの」



 こちらの手を握って、そんなことを言われた。

 特にそれに何かを感じるわけでも無い、リデルは冷静に言った。



「ささ、寂しいとかさみ、寂しく無いとか。そ、そう言うこと言ってる場合じゃ無いでしょ!?」

「あら、リデルは寂しくなかったの?」

「ふ、ふん。アンタのことなんか、考えてる暇も無いくらい忙しかったもの」

「ふふ、そうなんだ」



 そして、こんなことを話している場合では無い。

 落ち着いたのであれば、こんな所でお喋りをしている場合では無いのだ。



「ベル、落ち着いて良く聞きなさい」

「え? え?」

「……アンタを、公都から連れ出すわ」



 きょとんとした顔をするベルに、説明する。



「アンタをパパのところまで送ってあげるって言ってるのよ」



 このまま公都に置いておけば、大公国はヴァリアスの物になる可能性が高い。

 と言って旧市街まで連れて行くわけにも行かない、距離が遠いし、連れて帰っても扱いに困るのが目に見えている。

 亡命政権でも出来れば別だが、ベルには政治の能力は無いのだ。

 最悪、旧市街のフィリア人に殺されてしまうかもしれない。



 だから、公王の下なのだ。

 いかにヴァリアスと言えど、王の庇護下にある公女をどうこうは出来ない。

 だからこそ、公王が遠征で離れた隙を狙って公女との婚姻を図ったのだろう。

 その後どうするつもりだったのかまでは、リデルにはわからなかったが。



「今度は」



 だが、そう言う打算的な何もかもは二の次として。



「今度は、私が貴女を外に連れて行ってあげる」



 手を引いて、立たせる。

 最初は驚いていたベルだったが、言葉の意味を理解したのだろう、また泣きそうな顔になった。

 泣き笑いのような顔で、また抱きついてきた。



「あ、ありが……」

「か、勘違いしないでよ。この前の借りを返そうってだけなんだから」

「……ありがとう、リデル~」



 借りを返す、それだけだから、お礼などいらないのだ。

 そんなことを思って、リデルはベルに見えないように笑みを浮かべた。

 ――――さぁ、逃げよう!



「そこまでだっ!!」



 だがその直前、第3の声が中庭に響き渡った。

 リデルは、その声を良く知っていた。



  ◆  ◆  ◆



 短い付き合いではあったし、正直最後の記憶のせいで良いイメージは無かった。

 それでも、フロイライン・ローズラインと言う女は常に、常にベルの味方だったはずだ。

 それが今やどう言うことなのかと、リデルは瞬時には理解できなかった。



「随分とやつれたじゃない? フロイライン」



 自分の顔を見た時、フロイラインの表情に動揺が生まれるのを見逃さなかった。

 その表情は「生きていたのか」とありありと告げていて、驚くと同時に少しほっとしているようにも見えるのが不思議だった。

 しかしその表情も、すぐに厳しいものに変わる。



「貴様、公女殿下をどうするつもりだ!」



 さっと周囲を見渡せば、軍服とローブの混合服を着た魔術師や武器を持った侍女達が取り囲んでいた。

 ベルが言う通りなら最近人員が入れ替わったようだから、ベルのことを知っている者はいないのだろう。



「アンタこそ、何でベルを助けないのよ」



 背中にベルを隠しながらそう告げれば、またフロイラインは苦渋の表情を浮かべていた。

 いったい、あのフロイラインに何があったのだろう。

 ベルのためなら自分の手を汚すことも厭わなかったフロイライン、その彼女がどうして。

 そしてベルを見る、震えていた。

 泣いているのかもしれない、知らず、リデルは唇を噛み締めていた。



 だが、何かがフロイラインに決意させたのだろう。

 彼女は周囲を囲む部下達に号令を発した、一匹の獣のように集団が動く。

 徐々に狭まっていく包囲の中で、リデルとフロイラインは互いのことをじっと見つめていた。

 包囲を狭めつつ、しかし「捕縛せよ」と言葉を続けないフロイライン。



「り、リデル……」

「大丈夫」



 自信をもって、リデルは言った。



「何も考えずに来るわけ無いじゃない」



 息を吸う、そして叫ぶ。

 リデルがしたことは、それだけだった。



「アーサーッ!!」



 次の瞬間、リデルが出てきた抜け道から何かが飛び出して来た。

 それは空中で体勢を整えると、少女達の前に膝をついて着地した。

 フィリア人だった。

 宮殿内にフィリア人がいる、その事実にざわめきが広がった。



「失礼」

「え、きゃあっ!」



 しかも、そのフィリア人が公女――それと、もちろんリデルも――を抱えて跳んだものだから、混乱は拡大した。

 包囲を突破し、2人の少女を抱えたまま壁を駆け上がって逃走した。

 誰も、すぐには反応できなかった。



「……ッ!」



 はっとして、フロイラインが悲鳴のような声を上げた。



「お……追え! 追えええぇ――――ッ!」



  ◆  ◆  ◆



 ミノスでの経験がこんな所で役に立つとは思わなかったと、アーサーは思った。

 リデルの後に抜け穴から出ようとしたらタイミングを逸したわけだが、まぁ、結果的にはその方が良かったのだろうとも思った。

 それでも、これは無いだろうなぁと思った。



「いやぁ――っ! 離しなさいこの変態! 女の子を攫うだなんて紳士のやることじゃないわ!」



 運ぶ少女の数が1人から2人に増えたのは良いとして――両脇に抱えると言うのは、割とレアな出来事だろうが――ベルが予想以上の剣幕で抵抗するので、走りにくいことこの上なかった。

 一度など、バタつかせた足が顔に当たった程である。

 と言って、広い宮殿内を敵の目を逃れて駆けているアーサーにベルを説得している暇は無いので。



「だ、大丈夫よベル。アーサーは味方だから!」

「きゃーきゃーぎゃーっ! ……え、そうなの?」

「そうなのよ」

「この男の人、アーサーって言うの? 誰?」

「えーっと、説明すると長くなるんだけど……」

「あっ……待って、待って! わかっちゃった、私、わかっちゃった!」

「え、えぇ~……」



 リデルの一言で、ぴたりと止まった。

 素直と言うか、フィリア人に対する悪い意味での偏見が少ないのだろうか。

 いや、どちらかと言うと関心が無いのかもしれない。

 ソフィア人の都市には割とこう言う子供がいる、差別するとかでは無く、「そう言うもの」として関心無く過ごしているのだ。



「この男の人、リデルの恋人さんなのね!」



 それでも、この反応は予想の斜め上であった。



「恋人って、何?」

「恋人さんは恋人さんよ。つまりこの人はリデルの王子様なんでしょう?」

「まぁ、確かに王子様だけど」

「きゃ――っ!」



 状況を忘れて黄色い声を上げるベル、実は神経が図太いのかもしれない。

 ついさっきまで危機的状況にあったと言うのに、そして今もまだ脱し切れていないと言うのに。

 そしてリデルの言う「王子」とベルの言う「王子」では意味がまるで違うのだが、アーサーはそこをあえて指摘しようとは思わなかった。



「ね、ねぇ、何でそんなテンション高いの?」

「だってだって、恋人さんなんて初めて見るんだもの! ねぇ、もうキスはすませたの?」

「アーサーとおやすみのキスはしたこと無いわ」

「んもぅ、そう言うのじゃなくってぇ!」



 さっきまでの緊迫した空気はどこに行ったのだろう。

 すぐ傍で繰り広げられる少女達の秘密の話を聞かないようにしつつ、アーサーは宮殿の屋根の上を駆けて行った。

 出口は、まだ見えない。



  ◆  ◆  ◆



 宮殿は広い、小さな街ほどもある。

 だからアーサーは出口を探すべく駆け回らなければならなかった。

 入ってくる時はリデルが抜け道を教えてくれたが、出口となるとそうは行かない。

 ちなみに、抜け道はリデルの持っている髪飾り――になっている首飾り――で開いた。



(宮殿にある抜け道の鍵、となると、あの話の信憑性は高いのでしょうね)



 リデルは、今の公王の孫である。

 本人はあまりピンと来ていないようだが、こう言う事例を前にすると強く認識してしまう。

 <東の軍師>の正体、リデルの生い立ち、それに対するアーサー自身の感情。

 それらは複雑に絡まり合って、アーサーをして色々と考えさせた。



 フィリア人にとって、<東の軍師>は解放と抵抗の象徴だった。

 それがソフィア人、それも公子となると、自分達の抵抗が所詮は大公国の内乱にすぎなかったのではないか、それはアイデンティティの崩壊にも繋がりかねない毒を孕んでいるのだった。

 とは言え、不思議とアーサーの心は落ち着いていた。



(まぁ、僕達も似たようなものですしね)



 何しろ、軍師役がソフィア人のリデルなのだから。

 そう言う意味では、先人達に倣っているのかもしれない。



「リデルさん、とりあえず下に降りようと思います」

「そうね。私もいつまでも屋根の上って精神衛生上良くない気がしてきたもの」

「『リデルさん』……『そうね』。きゃーっ」



 三者三様の様子を見せる中で、アーサーは宮殿の外壁を伝って地面を目指した。

 不思議と人の姿は無く、そこは庭園から宮殿周囲にある森へと通じる場所だった。

 森の中にも色々とあるだろうが、木を伝っていけば通常の罠は潜れるかもしれない。

 アーサーの魔術ならそれが出来る、いつまでも屋根の上を駆けているよりは良いだろう。



「さて、と。とにかく宮殿の外に出ないと」

「そうですね」



 一旦、2人の少女を地面に下ろした。

 流石にアーサーも少女2人を抱えているのは辛い、口には出さないが。

 さてこれからどうやって宮殿の敷地の外に出るかと、そう言う話し合いをしようとした時だった。

 3人の耳に、「キィキィ」と言う音が聞こえてきた。



「……誰?」



 庭園でも散歩していたのだろうか、彼女は森の方からやってきた。

 キィキィと言う音は、彼女が乗っている車椅子の車輪の音だった。

 銀細工を施した黒いローブに身を包んでいるその少女は、リデルよりも少し年下に見える。

 恐ろしく長い金色の髪に、閉ざされた目が特徴的な少女だった。



「ベルフラウ大公女と、リデル公女。そしてフィリアリーンのアーサー王子ですね」



 その少女は、まるで最初から知っていたかのようにリデル達を呼んだ。

 目が見えているはずが無いのに、正確にそこに誰がいるのかわかる様子だった。



「貴女方がここを通るだろうことは、わかっていました」

「アンタ、誰!?」

「わたしの名は、キア」



 落ち着いた声音で、キアと名乗る少女は言った。



「預言の<魔女>です」



  ◆  ◆  ◆



 <魔女>、その言葉に警戒心が立つのは仕方の無いことだろう。

 しかし目の前のキアと言う少女は、一見すると脅威には見えない。



(そもそも、<魔女>の選定基準って何よ!)



 ノエルのような純粋な武力から、ドクターのような異常な知力まで。

 幅が広すぎる、唯一の共通事項は「人智を超えている」と言うことだろう。

 だが魔術師とは大なり小なりそう言う側面を持つ。

 <魔女>とはいかなる存在であるのか、実の所、リデルは知らなかった。



 しかし、このキア。

 見るからに武闘派と言うわけでは無さそうだ、どちらかと言えばドクターに近いのかもしれない。

 目を閉じているのに見えているように見えるのも、また不気味だった。

 だからだろう、アーサーも次の手を決めかねている様子だった。



「リデル公女」



 涼やかで、少女らしく高い声だった。

 背中の後ろに隠れているベルでは無く、何故かリデルに声をかけてきた。



「貴女は何故、ベルフラウ大公女をこの公都より連れ出そうと言うのでしょうか」



 まるで全ての事情に通じているかのように、そんなことを言う。

 どう言う意図の問いかけなのか。

 いや、そもそも車椅子。

 このまま、脇を通り抜けて逃げることが可能では無いのか。



「友情からでしょうか?」



 だが、キアは最初から明確な返答を期待していなかったようだ。

 そしてリデルはそれを否定しなかった。

 リデルがベルを連れ出すのは、大公国とフィリア人の関係を考えればそれがベストだと思ったからだ。

 ベルならば、彼女が王の国ならばと思えばこそだ。



 でもそれ以上に、ベルが「初めてもお友達」だったからだ。

 庇護者のいない公都で、彼女がどんな扱いを受けているのか。

 最初の涙が無ければ、リデルは連れ出そうなどと考えなかったかもしれない。

 だが今、大公国を追おう陰謀の犠牲になろうとしているのであれば。

 リデルは、ベルを助けることに躊躇する気は無かった。



「――――愚かです」

「……何ですって?」

「貴女は愚かです、リデル公女」



 キアは言った。




「貴女は、乱を呼ぶ者です」




 公都からベルを離すことが、大公国にとってどれ程の災いをもたらすか。

 ベルを公王の下へ連れて行けば、主無き公都と外のソフィア軍――イレアナ軍がどう言う関係になるか。

 表に出た<魔女>同士の権力抗争が、この国においてどのような結果をもたらすか。

 そこに考えの及ばぬリデルでは無い、が、しかし。



「なら、この子を見捨てろって言うの!」



 それでは、ベルが不幸になる。

 彼女は公王以外に後援者を持たない、ヴァリアスの陰謀に抗する術が無いのだ。

 逆にヴァリアスには味方が多い、公都をコントロール下に置いていることからもそれがわかる。



「今、ベルフラウ大公女を公都から連れ出すこと。それは大公国全土に乱の種を撒くことに他なりません」



 だが、たじろくこと無くキアは言った。

 ベルを公都の外に出してはならない、と。



「貴女の目は、小さな世界しか見えていない」



 目が見えないお前が何を言うのか、そう思った。

 それを口にしなかったのは、キアの次の行動のためだった。

 いや、行動と言うのは大げさだったかもしれない。

 何故なら彼女の行動とは、普通の人間であればそれこそ普通にする行為だったからだ。



「それでは、天下において何を成せもしないでしょう」



 しかし。



「天下とは、目の前以外に広がる全てを言うのです。そう、例えば――――」



 例えば。



「このに映る、人の内に広がる天下のように」



 目を開く。

 誰もが普通に行うだろうその仕草に、何故かたじろいだ。

 すなわちキアが開いた眼、菫色の瞳、その中に。

 リデルは、無数の星空を見たような気がした。



  ◆  ◆  ◆



 どくん、と、胸の鼓動が大きく体内で響き渡った。

 そう感じた瞬間、リデルは目の前の光景が裏返ったような錯覚に襲われた。

 いや、錯覚では無い。



「うぁ……!」



 強烈な吐き気が胸を焼く。

 キアがいる場所を基点に、視界の全てが一旦、真っ黒に塗り潰された。

 これは魔術だと気付いた時には、視界一杯を光が覆った。

 あまりの眩しさに眼を閉じ、顔を庇い――――そして。



 気が付けば、リデルは見知らぬ図書館にいた。



 何を言っているのかわからないと思うが、実際にリデルは図書館にいたのだ。

 だがこの図書館、普通では無かった。

 先が見えない階段が放射状に広がり、階段の段差に合わせて並べられた無数の本棚。

 造りはどこか古めかしく、階段を形作る石材は細かな罅に覆われていた。

 日の光は見えず、不思議なことに、火の無い陶器の灯りがいくつも浮遊していた。



「ここは……?」



 不思議な心地だった。

 歩いているのに、歩いている感覚が無い。

 息をしているのに、呼吸をしている感覚が無い。

 どこか身体がふわふわとしており、まるで夢の中にいるかのようだ。



「……っ、誰!?」



 その時、高い音がした。

 それが足音だと気付くのに数秒とかからず、そして足音の主が事のほか近くにいることに気付くのには十数秒もかからなかった。

 そして、それが車椅子の少女――<魔女>キアであることも。



(立って、る?)



 キアは車椅子に乗っておらず、立っていた。

 本棚の一つから古ぼけた本を手に取り、パラパラとページをめくっている。

 文字を追っているだろう菫色の瞳は、やはり、小さな星が見え隠れするかのように煌いていた。

 違和感。



 だが何より違和感を感じるのは、キアがここ(・ ・)にいると言うことだった。

 何故かはわからない。

 だが、キアがこの場にいることに強い違和感と、そして拒否感を感じるのだ。

 先程からどうもおかしい、感情がより鋭く表面化しているような気がする。



「ここはどこ!?」

「わかっているのでしょう」



 本をめくる姿勢のまま、キアが答えた。



「ここがどこなのか、貴女が一番良く理解しているはずです」



 理解、そう、理解している。

 本当に不思議なのだが、リデルはここ(・ ・)を知っている。

 知っている、気がした。



「もしわからないのであれば、それは貴女の視野の狭さが原因。気を落ち着け、周りを良く見ることです」



 はっとして、リデルは後ろを振り向いた。

 放射状に広がる図書館の底、当然そこには床がある。

 だがそこにあるのは床では無く、1枚の絵画だった。

 油絵と言うものだろうか、凹凸のある描かれ方をしたそれは、彫りの深い顔立ちをした金髪の男性の肖像画だ。



「ここは、貴女の心の世界なのですから」



 それは、リデルの父の肖像画だった。



  ◆  ◆  ◆



 父の肖像画、父の名が刻まれた古ぼけた本。

 それが、リデルの心の全て。



「私の、心の世界?」

「わたしの魔術は、人に自身の心を見せる力を持ちます」

「なら、今私は自分の心の中にいるってわけです」

「はい。でも、貴女がこの世界に来るのが今が初めてでは無いはずです」



 一種の催眠術に近い。

 医学的に、人の意識はいくつかの階層に分かれているとされる。

 起きている時の意識、寝ている時の意識、意識していない意識――色々だ。

 キアの魔術は、その内の最も深い意識を自覚的に意識させることだ。



 無意識の意識化。

 普段、人が意識していない、しかしある状態の時にのみ見ることの出来る場所。

 すなわち、この世界は。

 こころの、世界なのである。



「貴女は、毎夜眠る時にここを訪れているのですから」

「……馬鹿じゃないの」



 口ではそう言いつつ、リデルは感じていた。

 違和感、そして不快感。

 キアの姿を見て違和感を感じ、本を読む姿に不快感を感じた。

 彼女がページをめくる度に、何かを覗かれているような心地になった。

 何だ、この感覚は。



「お父様のことを、尊敬されているのですね」



 不意に、キアがそんなことを言った。

 年齢的に、キアが父のことを直接知っているとは考えにくい。



「幼い頃から2人きりで、絶海の孤島で過ごされていたんですね。お父様の膝の上で、お話を聞くのが大好きだった。可愛らしい。でも御伽噺より歴史や軍学のお話の方が好きだったと言うのは、お父様の素性を思えば仕方なかったとしても、少し変わった子供だったのかもしれませんね」



 なぜ知っているのか。



「小さな頃、島で動物達と遊んでいて怪我をしたことがありますね。動けなくなった折、お父様に背負われて家まで戻った。痛かったけれど、お父様に薬草を煎じた薬を手ずから塗って貰ったのが嬉しかった」

「あ、アンタ……」

「初めて動物を日々の糧として頂いた時、泣きながら食した味を今でも覚えているのですね。命を頂くと言うことの意味を教えてくれたのも、お父様」

「な、何で」



 なぜ知っているのか、それはリデルの思い出だ。

 かつて父と過ごした日々の、今ではリデルしか知らない記憶だ。

 汗がどっと噴き出してきて、気分が悪くなってくる。



「貴女にとって、お父様への想いはもはや、信仰の領域に達しているのですね」



 嗚呼、と溜息を吐くキア。



「だから、貴女の心にはお父様以外のものが何も無いのですね」



 そんなことは無い、と、反芻しようとした。

 だが、と一歩を踏み出せなかった。

 はたして反芻できる程に、自分の中に父以外のものがあるのだろうか。



 あると、思う、思いたい。

 でも、本当に?

 じゃあ、何がある?

 ――――何がある?



「借り物の知識。借り物の理想。貴女自身の物は、何も無い」



 そんなことは。



「そんなことは、ありませんか?」



 言葉にしていないのに、キアはリデルが何を言いたいのかを察していた。



「では、お聞きします。どうしてこの図書館には、貴女のお父様に関する以外のものが何も無いのでしょうか」



 ゆっくりとした動作で、キアは読んでいた本を裏返した。

 何故だろう、とてつもなく嫌な予感がした。

 見てはいけない、本能がそう叫び出すのを聞いた。

 見ては、いけない。



「……やめて」



 知らず、口をついて出たのはそんな言葉だった。

 キアは哀しそうな顔で、しかし拒否した。



「だめです」



 裏返したそれを、本のページを、リデルに見せた。



「やめてって、言ってるじゃない……!」

「だめです。わたしは」



 リデルの心の図書館。

 彼女の全て。

 そこに収蔵されている本は、彼女の意識……いや、思想の源流とも言うべきもの。

 しかし、そこには。



「わたしは、きっかけに過ぎないのですから」



 そこには、何も書かれていなかった。

 白紙。

 全くの、白紙だった。

 ただの1ページも、何も、何も書かれていない。

 何も――――何も、だ。



 ――――今は、まだ。



  ◆  ◆  ◆



 ――――現実。

 現実と、言うべきなのだろう。

 世界は何も変わってなどいない、空も、大地も、そして人も。



「……わたしは、きっかけに過ぎない」



 ぐったりと車椅子にもたれかかりながら、キアの呟きが聞こえてきた。

 額には汗が滲んでいて、唇は青ざめて、見るからに疲労している様子だった。

 消耗している、と言っても良いだろう。



 だがその場には、彼女以上に青白い顔で倒れている人間が3人いた。

 リデルであり、ベルフラウであり、アーサーであった。

 彼らは皆一様に、気を失っていた。



「貴女の行く末には、大きな苦難が待っていることでしょう」



 自分の言葉がはたして届いているのか、キアには確証が無かった。

 だが彼女の言葉は確かにリデルに向けられているものであり、それは彼女の様子や言葉を見れば良くわかった。



「しかし天は、大きなことを成すべき人に障害を与えるもの」



 キアは、大公国の人々から<預言の魔女>と呼ばれている。

 だが預言をすると言っても、未来が見えるとか神様から啓示を受けるとか、そう言うことでは無い。

 今のように、彼女は他者の心の中に意識を潜らせることが出来るのである。

 他者の精神世界への接触ダイヴ、それが彼女の魔術の正体だった。



 彼女の言葉が「預言」に見えるのは、本人ですら認識できない意識の奥の真実に触れることが出来るからだ。

 本来は、相手が望んでいることやを言い、間違いをそっと正すことで人々を導くための力である。

 それを今、彼女はリデル達に使用した。

 嗚呼、さしもの彼女も3人同時に魔術を行使して、すっかり疲弊してしまっていた。



「眠りなさい、今は」



 今一番睡眠が必要な顔色で、そんなことを言う。

 しかし、答える者はいない。

 もしかしたら、答えを求めてなどいないのかもしれない。



「今は眠り、考えを整理しなさい。そして、自分の本当の使命を。どうすれば良いのかを、考えなさい」



 人には、すべからく天の定めた使命がある。

 キアの魔術の本質は、人にそれを認識させることにある。

 キアは、リデルの中に何か大きな使命を見出したのかもしれない。



「世界は、貴女が思っている以上に広く、そして――――優しく、残酷なのですから」



 そしてキアと呼ばれるこの少女もまた、使命を持つ者。

 彼女は使命に従う者、今こうしていることもその中に含まれるのだろう。

 その全容は、預言の力を持つキア以外には知る由も無かった。

最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

いきなり脱出されると困るので、主人公達の邪魔をしてみました(え)

良く捕まってるイメージがありますが、これも試練。

主人公達には、まだまだ頑張って欲しいです。

それでは、また次回。

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