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1-7:「終わりもまた沼の味」

 今日は暑い日だ、と、リデルは思った。

 やけに空が赤く、気温も高く、そして空気が乾いている。

 肌をジリジリと焼かれるような感覚は、けして気のせいでは無い。



 島が、燃えている。

 そして島に火を放った元凶の女は、自分の姿を認めて笑みを浮かべている。

 凄絶な、獲物を見つけた獣の目だ。

 悪意に満ちている。

 そして悪意それは、リデルが今まで受けたことが無い感情だった。



「…………」



 んぐ、と唾を飲み込んだ。



「大丈夫です」

「……何がよ」

「いざとなれば、投降とうこうすれば良いんです。彼女達はソフィア人を傷つけることが出来ませんから」



 その割に、自分まで含めて焼き殺しそうな勢いで放火しているように見えるのだが。

 常なら言えるだろう軽口も、今は言う気にはなれない。

 呼吸が苦しいのは、周囲の空気が燃焼しているからに違いない。

 そうとでも思わないと、今にも卒倒してしまいそうだ。



 リデルには、実地でも経験が無い。



 当たり前だ、島の外に一歩も出たことが無いのだ。

 頭の中に父の教えの全てはある、が、それを実践したことは無い。

 先日アーサーを嵌めたのとは、状況が違う。

 相手は、自分を殺しに来ているのだから。



(……いけませんね)



 やはりと言うか何というか、予測した通りの事態にアーサーが息を吐いた。

 チリチリと葉が燃える音が聞こえる中、彼は横に立つリデルを心配していた。

 安心させようにも、それが出来る程の材料はアーサーも持っていない。



(でも、今の彼女には僕しか……)



 いない、そう思い、もう一言声をかけようとした時。



「……ん。ありがとう、大丈夫よ。私はパパの娘だもの……パパは臆病者を育てたりなんかしない、わかってるわ」



 首元、とどのつまりはリデルの衣服の中から這い出て来た蛇――他の動物は火を恐れて近寄れない、が、これはこれでどうなのだろう――に頬を撫でられて、爬虫類独特の冷たさにそう言った。

 もちろんアーサーは何の言葉も告げていない、むしろ蛇の登場によってリデルから視線を逸らした程だ。

 どうやら、彼がリデルにしてあげられることは何も無いらしかった。

 けして蛇が苦手なわけでは無い、断じて。



「じゃあ……やるわよ」

「良いんですか?」

「良いも悪いも無いわ。このままじゃ私達の家が燃えちゃうし、何とかしなきゃ」



 この島は、リデルと動物達の「家」だ。

 だから、「何とかしなきゃ」。

 それは、わかりやすい程にわかりやすい理由だ。

 だからこそ、心に響く。



「それなら」

「うん」



 すぅ、とリデルが息を吸った。

 そして。



「スンシ曰く!」



 どん、と擬音がつきそうな程の声量で、叫んだ。

 あらかじめ知っていたアーサーはともかく、突然叫ばれる形になったアレクフィナ一党は驚きの表情を浮かべた。



「『兵は、詐を以って立つ』……!」



 ――――は?

 表情が言葉を作る、今のアレクフィナ達の様子を説明するとそうなる。

 いや実際、いきなり何を言うのかという話である。

 虚を突かれたとかそう言うことでは無い、そう、心の底からの「は?」の時間である。

 「は? の時間」、新語の誕生の瞬間だった。



「……って、こらぁっ!」



 当然、それを互いに共有することは無い。

 アレクフィナ達が反応に困っている間に、アーサーとリデルが背を向けて駆け出したからだ。

 左右二手に分かれた2人に、アレクフィナは舌打ちする。

 面倒な、彼女は未だにまごついているブランとスコーランを見ると、八つ当たりのように声を荒げた。



「何やってんだい、逃がすんじゃないよ!!」

「へ、へいっ!」

「ふひひ、わかったんだぞ~」



 アレクフィナの叱責に押されるようにして、ブランとスコーランが駆け出した。



  ◆  ◆  ◆



「良いかい、逃がすんじゃないよ!」

「へいっ、アレクフィナの姐御!」



 上司の声に飛び出し、2人の内ガリガリ細身の男――スコーランが追いかけたのは、リデルの方だった。

 島全体の視点から見て、南側に向けて走る形になる。

 ちなみにこれは2人なりの気遣いである、どうやら先にリデルがブランのことを「気持ち悪い」と言ったことを気にしているらしい。



「おらぁっ、待てぇ――――えっ!!」



 もちろん、待てと言われて待つ者はいない。

 現にリデルは減速しない、全力疾走で島を駆ける。

 南側は火の回りが早い北側と異なり、まだ放火はされていない。



 だがその分、自然らしい自然、つまり道なき道を駆ける必要があった。

 純粋な身体能力の話ならば、痩せているとは言え成人男性のスコーランがリデルに追いつけないはずは無かっただろう。

 しかし、リデルには地の利がある。



「ぬおっ、くそ……邪魔な木だぜ!」



 わざと木々の密集した場所を走り、茂みに飛び込んで身を隠し、そして南端の海岸まで来ると方向転換。

 西へと駆け出したリデルを、やはりスコーランは追いかける。



「逃がすかぁっ!」



 海岸――と言っても、崖だが――近くに出たのは間違いだったな、とスコーランは思った。

 何故かと言うと、島の南端は森の外れでもあるからだ。

 これまでリデルにアドバンテージを与えていた障害物が減り、自然の中を走り慣れていないスコーランも少しはマシに走れるようになる。



 10メートル、5メートル、3メートル……徐々に距離が詰まっていく。

 スコーランの顔に笑みが浮かぶ、上司になじられてばかりだった彼にもようやく春が来るのだ。

 だが、彼は知らない。

 春とは、来ないからこそ焦がれるものなのだと。



「……いてっ」



 彼の手がいよいよリデルの髪に触れようかと言う時、彼は不意に痛みを感じた。

 チクリ、とした特有の痛みだ。

 そう、特有の、だ。



 最初は無視した、無視できる程度の痛みだったからだ。

 ちょっとした痛みを気にしてリデルを逃がしなどすれば、アレクフィナに大目玉を喰らってしまう。

 彼の脳裏には「何をしてるんだいこの愚図!」と言われアレクフィナに踏まれる未来が見えている、意外と良いかもしれないと思うのは、この際は余計な思考だ。



「痛っ、いてぇ! 畜生、何だ……よって」



 だが何度も痛みが続けば、無視し続けることは難しい。

 反射的な反応として、痛みが発生した首筋を叩く。

 すると、だ。



「……虫ぃ?」

「虫じゃない、島アリよ」



 小さな、本当に小さな黒い虫だった。

 小指の爪の先にも満たない大きさの昆虫が、スコーランの骨ばった掌の中央で潰れていた。

 いつの間にか、リデルもスコーランも足を止めていた。

 そして、痛みはまだ続いている。

 ちくちく、チクチクと――――。



「いてっ、いてててっ……うおっ、うおわっ!」



 パンパンと衣服を払うと、ポトポトと落ちる落ちる。

 次々と地面に落ちる黒いアリにスコーランはぞっとした、そしてチクチクとした痛みが衣服の中にまで及んでいることに気付いてさらにゾッとした。

 しかも、である。



「な、なんだこれぁ……か、かゆい!?」

「島アリには弱い毒があるのよ、噛まれたら――――とても痒いわ」

「ぐ、ふ……だ、だったら何だ!? 痒いから何だって……う」



 びくり、とスコーランが身を震わせるのをリデルは見ていた。

 それは痒みのせいだろうか、それとも自分の足元で蠢く黒い塊を見たからだろうか。

 そして彼は見た、リデルの指先に数匹の島アリが乗っていることを。

 もちろん、彼女は噛まれた様子は無い。



 別の意味で、ゾッとした。



 何だこいつは、そう思わずにはいられなかった。

 アーサーの方は良い、奴は石を持っている、忌まわしいフィリア人だがやむをえない。

 だがリデルは、ただの小娘ではないか。

 なのに何故、とスコーランは思わざるを得ない。



「て、てめぇ……いったい」



 まるで、島の全てが彼女の味方をしているような。

 だとすれば、彼らはリデルのテリトリーに入ってしまったとでも言うのか。

 そうなのだとしたら、いったい彼女は何者だと言うのか。



 だがその問いにリデルは答えない、その代わりに彼女は言った。

 スコーランに襲いかかろうとする虫達に、茂みから集まる動物達に、空から見張る鳥達に、地面を這う蛇達に、島の全ての「家族」達に。

 リデルは、ヘレム島の「姫」は言った。



「皆、やっちゃえ――――っ!」

「う、うおおおおおおおっ、姐御ぉ――――っ!?」



 静かな海岸に、絹を裂くような男の悲鳴が響き渡った。



  ◆  ◆  ◆



「良いかい、逃がすんじゃないよ!」

「ふひひ、わかったんぞ~」



 従うべき上司の言葉に、ブランはいつものように応じた。

 何故、などとは言わない。

 彼は自分が鈍い人間であることを知っていたし、何かを考えても上手くいかないことを知っていた。



 だから彼は、アーサーが火の回りが早い北側に逃げても躊躇ためらわなかった。

 低いとは言え山登りは厳しいが、別に構わなかった。

 アレクフィナがそう言うのだから、だから彼はそのように行動した。

 いささか肉付きの良すぎる身体を揺らしながら、えっほえっほと駆けていく。



「ま、待つんだぞ~……ごほっ」



 とはいえ、足は早くない。

 火勢の強い場所は流石に避けているようだが、黒煙の立ち込める森の中を走るのは危険が伴う。

 身を低くして走ろうにも、贅肉ぜいにくが邪魔でそれも出来ない。

 第一、待てと呼ばれて待つ人間など……。



「お、追いついたんだぞ!」



 ……いた。

 山と森の間、標高が高ければふもとと呼べそうな場所で、アーサーが立っていた。

 ぜいぜいと息を吐きながら、ブランも立ち止まる。

 そこまでの距離は走っていないはずだが、なかなか難儀な体力を持っているようだ。



「さ、さぁ、観念するんだぞ……ぶごっ!?」



 背中を向けて押し黙るアーサーに近付いた時、ブランが転んだ。

 それはもうまさに「足が滑った」としか言えないようなコケ方で、丸々と太った身体がたわむ程の転び方だった。

 打ち付けた腹を――肉が邪魔で顔を打つこともできない――撫でようと地面に手をついたなら、今度はその手が滑ってまた転んだ。



「ふ、ふひひ、何だこれは~」

「ああ、そこ、滑りますよ」



 まるで凍った池の表面か何かのように、ブランが触れている地面が滑る。

 そして、視界の隅に2本の足がある。

 アーサーの足だ、本当に目と鼻の先に捕らえるべき相手がいるのだ。

 だが、今やブランは立つことすらできない。

 いったい、何故。



「お……」



 いや、答えなど最初から明らかだった。

 彼の上司と同じ、見る者を畏怖させるような感覚、その正体。

 ……同じ?

 いいや、同じなどあり得ない、だって。



「お前、フィリア人のくせに……!」



 アーサーのグローブの石が、鈍い輝きを放っている。

 アレクフィナが指輪から放つ光に良く似たそれは、「フィリア人には使えない」はずの魔術の発動の証明だ。



「ええ、すみません。フィリア人なもので――――ソフィア式の作法は知りません」



 だから、フィリア式の作法で。

 その次の瞬間、ブランは顔面に強烈な痛みと音を感じた。



  ◆  ◆  ◆



「んー……ああもうっ、重いわねコイツ!」

「う、うぅ……。姐さ~ん……」



 骨と皮だけにしか見えないが、スコーランも成人男性である。

 ちなみに今は万歳のようなポーズを取り、背中と後頭部で地面を擦っている。

 何故かと言えば、リデルが両足を脇に抱えるようにして引き摺っているからだ。



「ったく、軽そうに見えて。アーサーよりは軽いけど、あの時は皆に手伝って貰ったからなぁ」



 ブツブツと愚痴を言いながら手を放し、ほうと息を吐く。

 もう良いと判断したのか、スコーランの足をその場に放り出した。

 虫に刺されまくって膨れ上がった顔は見るに耐えないが、リデルは特に気にした様子も無かった。

 むしろ彼女が想うのは、ここにはいない誰かだ。



「……文句言ってんじゃないわよ」



 ぽつりと、呟く。



「パパの方が、軽かったじゃない」



 誰にともなくそう言って、顔を上げる。

 北側だ。

 木々の上、空を舞う鳥達が鳴いたためだ。

 するとどうだろう、見覚えのある顔がやってきた。



「遅い!」

「あはは、すみません」



 アーサーである。

 彼もまた片手にブランを、スコーランの5倍は重そうな男を軽々と引き摺っている。

 ――いや、滑らせている。

 それに対して、リデルは少しだけ羨ましそうな顔をした。



「いいわよね、それ。本当に便利そう、外では普通なの?」

「外ですか? そうですね、大きな街では割と……ああ、いえ」

「?」



 リデルの言葉に少しだけ意地悪く微笑ほほんで、彼は言う。



「そういったものは、自分の目で確認してみると良いと思いますよ」

「…………」



 ジト目で睨むと、アーサーは降参でも示すかのように両手を挙げて見せた。

 だが実際、重いものを運ぶ際には重宝しそうな能力ではある。

 アーサーの「魔術」は。



「まさつ、って言う概念は私にはわからないけど。でも、本当に便利よね」

「正しくは摩擦係数、ですね。まぁ、僕も専門家では無いのでそれ以上の説明は出来ませんけど」



 魔術とは、「技術」だ。

 石を専門の精錬法で囲うし、石に蓄積された――長年、鉱脈の中で蓄えた自然の――エネルギーを現実の効果として発現させる「技術」だ。

 ただ発現する効果は石、あるいは使用者、加工者によって異なると言う。

 リデルが初めて触れる、「外」の技術だ。



「摩擦と言うのは、接触している物体で発生する抵抗のこと。例えば斜面で後ろに滑らずに上れるのは、靴と地面の間で抵抗、つまり摩擦が生じているからです。僕はこの摩擦の抵抗率を任意操作できます」

「ふーん、そうなの」

「まぁ、もちろん限界はありますけどね……逆に摩擦を強めて火をつけたりも出来ますよ?」

「あっそ、何だか微妙よね。物語だと主人公にはなれそうにないタイプ」

「うぐ」



 少しは気にしていたのか、アーサーが少しショックを受けたような顔をする。

 だが、リデルがそれを笑うことは出来なかった。

 何故なら彼女が笑う前に、事態が動いたからだ。



 ピイィ――――ッ!



 甲高い鳥の鳴き声が頭上から響くのと、火線が走るのはほぼ同時だった。

 これもまた、見覚えのある炎。

 大公国の「技術」、魔術による火炎の舞だ。



  ◆  ◆  ◆



 アレクフィナは激怒していた、当然である。

 何もかもが上手くいっていない、そんな時にこそ人は怒るものだ。



「よくもやってくれたねぇ……!」



 3方、すなわちリデルとアーサーの左右と後ろを火で塞いで、アレクフィナは2人を睨んだ。

 2人の足元に転がっている2人の部下については、特に視線を向けようとはしない。

 代わりに、リデルへと視線を向けた。



「お前も変わり者だね、そんな小汚いフィリア人に手を貸すだなんて」

「まぁ、汚いのは否定しないけれど」

「え」

「だってのに、そいつろ突き出すでもなく……何がしたいんだい、お前は?」



 アレクフィナにとって見れば、リデルがアーサーを、つまりソフィア人がフィリア人を助けるなどあり得ないことなのだ。

 ましてソフィア人の追っ手と敵対してまで、というおまけつきでだ。

 まさしく、理解できない。



 そしてリデルにしてみれば、その理解できないと言う姿勢こそが腹立たしいのだ。

 アレクフィナは、自身が何を燃やしているのかと言う認識が無いのだ。

 ごくごく、何でもないこととして、自分の能力で島を、山を、森を焼いている。

 理不尽、あまりにも理不尽。

 自分達の住処すみかを焼かれた者として、その無造作さは怒りを誘わずにはいられないものだった。



「誰が! アンタみたいな! 私達の島をこんなにして! 許さないんだから!」

「島? ああ、何だそこかい? 別に良いじゃないか。お前だってソフィア人なんだから、届け出れば無人島の一つや二つくらい貰えるだろうに」

「か、代わりなんて無いのよ!」

「何をそんなにムキになってるんだか。アタシには理解できないねぇ……こんな島、自然ばっかりで汚いだけじゃないか」



 自然ばっかりで、汚い。

 その言葉に、リデルは激怒を通り越して気を失いそうになった。

 価値観が違う、あまりにも違いすぎる。

 アーサーはそんなことを言わなかった、動物達に脅かしてもらったりもしたが、それでもそんなことは言わなかった。



 これが、ソフィア人か。

 こんなものがソフィア人か。

 失望、そう、意外なことにリデルの胸に去来したのは失望と言う感情だった。

 自分の、そして父と同じ人種に対する期待、それに対する失望だ。



「ま、何でも良いさ」



 怒りのあまり震えることしか出来ないリデル、しかしそんな彼女を気にした風も無く、アレクフィナは言った。



「どの道、こうなりゃアタシのもんだ。もう逃げられないよ、諦めな」

「……この」

「さて、それはどうですかね?」



 激昂しかけたリデルを制して、アーサーが応える。

 アレクフィナは2人の足元の部下を指で示しながら。



「なんだい、もしかしてそいつらを人質にでもするのかい? フィリア人はこれだからやり口が下品なんだよ」

「あはは、まさか。ソフィア人じゃないんですから」

「ああん?」



 苛立つアレクフィナに笑い顔を見せて。



「へ?」



 先のように、リデルを抱き抱えて。



「あ?」



 驚く少女と女の前で。

 背面の炎へと、身を躍らせたのだった。



  ◆  ◆  ◆



 馬鹿じゃないのか、とリデルは思った。

 アーサーの行動はそれ程に愚かな行為だった、囲みを抜くために火の中に自ら飛び込んだのだ。



「あ、アンタねぇ!」

「だ、大丈夫ですよ。魔術でダメージは軽減しましたから」

「そ、そんなこと言ったって……」



 その魔術とやらについては門外漢だが、プスプスと服や髪の端から煙を上げているのを見ると、どう見ても大丈夫なようには見えない。



「うわっ!?」

「きゃっ!」

「待ちなぁ! 逃がしやしないよっ!」



 だが口を開こうとすると、後ろから新たな火線が迫ってきてそれも出来なくなる。



「リデルさん、僕は貴女に謝らなければいけません!」

「はぁ!? 何よこんな時に!」

「僕は――――貴女を利用するつもりでした!」

「…………」



 腕の中から見上げれば、アーサーの表情は固い。

 状況以外の理由でそうなっているのだろう、リデルは開きかけた唇を閉じた。

 思わず、そうした。



「さっきはああ言ったものの、僕だってあいつらとそう変わりはありません。利己的で、自分勝手な理由で貴女のお父さんの力を借りようとした。貴女の言った通り、僕は勝手だった」



 それは違う、と、リデルは思った。

 本能で思った。

 アレクフィナとアーサーは違うと、そう思ったのだ。

 島を燃やしたかそうではないか、と言う理由だけでは無い。

 それだけでは、無いのだ。



「くっ……!」

「いった……って、アーサー!?」



 轟、とすぐ側を炎が駆け抜けた時、リデルは地面に投げ出された。

 回避し損ねた、頬には火線の熱がそのまま残っている。

 だがそれも、倒れたアーサーの靴から煙が上がっているのを見れば吹っ飛んでしまった。



「あ? アッハハハハハッ、その足じゃもう走れないねぇ!」

「……ッ!」



 苛立ちのままに顔を上げて、そしてやはり苛々するほどゆっくりとした足取りで近付いてくるアレクフィナを睨む。

 だがそのままにも出来ない、なにしろ、30センチも横で火の手が上がっているのだ。

 アーサーの腕を自分の首に回し、掴んで、引き摺るようにして歩き始める。



 まだ、まだ先に行かなければ、もう少し西へ、ここではダメだ。



 アーサーは言った、先に逃げてくれと。

 それにリデルは答えた、ふざけたことを言うなと。

 置いて行く?

 そんなことは出来ない、だって自分は。



「パパの娘なんだから……!」



 今ここでアーサーを見捨てたら、きっと父は自分に失望するだろう。

 だから、置いてなどいかない。

 逃げない。



「リデルさん、僕は大丈……」

「うるさいわね、黙ってなさいよ!」



 もう少し、もう少し西へ。

 西へ。

 それにしても火が熱い、服の下は嫌な汗でいっぱいだ。

 この火の勢いでは動物達も近づけない、今は近付いてほしいとも思わないが。



「アンタがどう言うつもりだったのか知らないけど」



 そしてアーサー、先程、何やらつまらないことを言っていた。



「私は、楽しかったんだから!」



 すぐ横で驚く雰囲気、それにすら腹が立つ。

 楽しくもないのに、不快を感じるのに、それなのに3度も会う人間に見えるのだろうか。

 自分はそんな出来た人間では無いし、そんな我慢を楽しむ趣味も持っていない。

 だから、アーサーの理由なんて何でも良いのだ。



 初めて、父親以外の他人と喋った。

 初めて、父親以外の他人と喧嘩した。

 初めて、父親以外の他人から物を教えて貰った。

 初めて――――島の外に興味を。



(何とか、何とかしないと……)



 何か、策を考えなければ。

 そう思考を進めるのだが、状況が厳しい。

 頭の中に知識を求めても、変化する状況に対応できる策は少ない。



「あ……!」



 再び肩越しに振り向けば、そこには火炎があった。

 人間が出して良い火力では無い、そんな炎を両手から放とうとしているアレクフィナがいた。

 鈍く輝く赤の石が、妙に視界に残った。

 ぐるぐると回るそれは幾重にも火のカーテンを揺らめかせて、女の両腕を這うように生まれる。



「最大火力だよ!!」



 火の粉が雨のように降る世界、赤い色、迫り来る炎線、すでにある炎を抉る程の火勢。

 それが視界いっぱいに広がった時、軍師の娘とあるまじきことに、リデルは考えることを放棄した。

 そして、結果だけが残る。

 思考の先にある、運命とも――いや。

 過去の、そして現在の行動における、結果が。



  ◆  ◆  ◆



 哄笑こうしょう

 アレクフィナの笑い声が、島に響き渡っていた。

 今、彼女自身は火に包まれている。



 だが問題は無い。

 彼女は火勢が強かろうと弱かろうと、自らの火でもって薙ぎ払えば良いのだ。

 まぁ、煙やら何やらには流石に困るが……。



「……うん?」



 不意に、アレクフィナは哄笑を止めた。

 そして次の瞬間に視界に現れたものに、彼女の昂揚した気分は台無しにされる。

 何故ならそこには、先程彼女が炎に飲み込んでやった2人がいたからだ。

 少女が青年に肩を貸し、引き摺るように走るという変わらない光景が。

 馬鹿な、と言うのが自然な感情だった。



「――――何でだッ!?」



 そしてその声を、アーサーは聞いていた。

 動きにくくなった片足を必死に動かしながら、自分に肩を貸してくれる少女を見る。

 いや、正確には少女の髪を見た。



(……アレは……)



 薄い金の髪、首の後ろで一本結びにした綺麗なそれ。

 だがその黄金の海の中に一筋だけ、赤色の輝きがあった。

 髪飾り――いや、それは首飾りだった。



 紅い、そう、アーサーやアレクフィナが持つものとは比べ物にならない程に透明感のある赤い宝石。

 まさかネックレスを知らないわけでも無いだろうに、何故か首飾りで無理矢理に髪を縛っている。

 髪の中に埋もれて見えなかったが、今は赤く輝いているために良く見える。

 赤い石、ソフィア人、それらが表すキーワードはたった一つだ。

 先祖にソフィアの血が混じっているだけのアーサーとは、そもそもが違う。



「――――飛ぶわよ!」

「え、あ……!」



 そうか、ここは……と思うよりよりも早く、アーサーは浮遊感を感じた。

 次の瞬間、茂みの葉々の中に飛び込み、目を閉じなければならなかった。



「あっ、このぉ……逃がさないよっ!」



 アレクフィナから見れば、2人が茂みの中に突然消えたように見えるだろう。

 だから彼女は全力で駆け、茂みを飛び越えるようにジャンプした。



 それが間違いだった。



 何故なら、飛び越えた先に道が無かったからだ。

 いや、無いわけではない。

 ただ、急だった。

 角度にして60度以上、そんな急勾配きゅうこうばいがそこに広がっていた。



「なぁ……!?」



 着地したアレクフィナは当然のように足を踏み外し――と言うより、虚を突かれてバランスを崩し――倒れて、そして、落ちた。

 どうすることも出来なかった、リデル達と同じように斜面に生えている木を掴もうにも、咄嗟とっさのことに混乱して反応出来なかったのだ。

 視界が、回転した。



「な、ななな、な、ぬぁあ――――っ!?」



 落ちる、転がる、そしてそのまま下へ。

 下に何があるのか、それを知っているアーサーは僅かにアレクフィナに同情した。

 何しろ、下に何があるのか気付いて引き攣ったアレクフィナの顔を見てしまったのだ。

 経験者だけに、敵とは言え同情して……。



「まぁ、必要ありませんかね」

「当たり前よ、馬鹿」



 酷いことを言って、地面に、斜面に寝転んだアーサーは掌を上げた。

 そしてその掌に、隣に寝転んだリデルが掌を合わせた。

 掌を打ち合う軽い音が、粘着質な水の跳ねる音と共に響く。

 それから、もう一つ。



「あ……」



 ぽつ、ぽつぽつ。

 ぽつぽつと降ってきたそれは、天よりもたらされる雫。

 ――――雨である。

 それは、火事の天敵だ。



  ◆  ◆  ◆



「畜生、覚えてなよ……この落とし前、次に会った時につけてやるからね!!」

「あ、姐御ぉ~」

「ふひひ、臭いんだぞ~」



 雨は3時間程で止んだ。

 海が荒れることも無い通り雨だが、島に放たれた火を弱めることには役に立った。

 しかしそれでも、小規模な火はそこかしこに残っていた。



 そして夕焼けに染まろうと言う時間、1隻の漁船が島から出航した。

 ただし、舟に乗っている3人は縄でグルグル巻きに縛られていたが。

 しかも1人は、まるで沼にでも落ちたかのように泥だらけだったが。



「せいぜい今の内にいい気になってな! 王子様、お前を狙ってる奴は大陸中にいるんだ! きっとアタシらに捕まってた方がまだマシだったと……ぐへっ、かっ、喉に泥が……」

「あ、姐御ぉ――――!?」

「し、しっかりするんだぞ~」



 騒がしく去っていく――沖に流されると言う意味で、このあたりの潮の流れはそれこそ漁師の案内が無ければ厳しい――3人を見送るのは、こちらも3人だ。

 青年が1人に、年上の少女と年下の少女が1人ずつ。

 青年――アーサーは、やれやれと言った心地で肩を竦めた。



「毎度のことながら、疲れますね」

「こんなことを毎回やってるって、アンタ何よ。あ、王子様だったわね」

「ええ、王子様かっこわらい、なのですよ」

「自分で言ったわ……」



 砂浜に残ったリデルは、アーサーの言葉に苦笑を浮かべた。

 彼女としては燃えた島の様子を見て回る必要もあるが、その前に「見送り」に来たと言うわけだ。

 どの道、火が収まるまで安全な場所にいる必要があったわけだが。

 そんなリデルの前に、1人の少女が進み出てきた。



「えっと、久しぶり……で、良いのかな?」

「え……」

「あ、ああ、やっぱりそんな反応なんですね……」



 がくり、と残念そうに肩を落としたのはルイナだ。

 実は12年前に一度会っているのだが、どうも覚えていないらしい。

 リデルは2歳以下の時期なので、仕方ないと言えば仕方ない。

 だが、怯えたような目で見られると流石にショックだった。



「リデルさん」



 そんなルイナの様子に苦笑しつつ、アーサーはリデルの前に立った。

 片足を未だ引き摺っていたが、それでも無事だった。

 無事であること、そのことにリデルは心からほっとしていた。

 良かった、と心から思う。



「今日は……いえ、今回は本当に」

「謝罪なんていらないわ。私は私達の島を守りたかっただけ、それだけよ」

「あはは、なるほど。貴女らしいですね、リデルさん」



 アーサーの謝罪は、何故かリデルを苛立たせた。

 それが何故なのかはわからないが、リデルはそれを我慢するつもりも無かった。

 そしてそれを、アーサーも何となくだが理解していた。

 まだ3度しか会っていないが、それ以上の長い時間を共にしたかのような感覚がある。



 だから、多くを語る必要も無い。

 いくら言葉を重ねた所で、余計になるだけだった。

 その代わりにアーサーは――しょんぼりと落ち込むルイナを横目に――リデルに問うた。



「リデルさん」

「何よ」

「……これから、どうするんですか?」



 いつかも聞いたその問いに、リデルは瞑目めいもくした。

 以前に聞かれた時、リデルは僅かの迷いもなく答えたものだ。

 この島に残ると、彼女はそう言った。

 そして今、再び問われた同じ質問に対して彼女は。



「――――」



 何と、答えたのだろうか。



『兵は、詐を以って立つ』:孫子の兵法より。

意味は、「戦とは、相手を騙すことで成り立つ」。



最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

気力との勝負でした、そして微妙に負けたような気もします(え)

次回は一章のエピローグの予定です、大体、このような形で章を重ねていこうと思います。


応援と感想、いつもありがとうございます。

おかげで頑張れます。

それでは、また次回。

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