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8-3:「ミノスの王」

 そこは、泉のように見えた。

 しかし泉では無い、岩場から湧き出ているのは水では無く湯であり、温かな水が湧くことから温泉と呼ばれている場所だった。

 と言って整備されているわけでは無く、複数の層に分かれた大きな樹木に囲まれた屋外の温泉だ。

 どうやらどこかの森のようで、自然に湧き出ている温泉のようだ。



「~~♪ ~~♪」



 低い声の鼻歌が、自然の湯殿に響き渡っていた。

 岩場に背中を預け、樹木の陰の下に筋肉質なたくましい裸体を晒す男がいた。

 鼻歌は、彼が歌っていたものだった。



「あら王、随分とご機嫌ですのね」

「うふふ、今度はどんな面白いことを考えているのかしら?」

「ん~♪ それはもちろん、お前達と楽しんでいるからさ」

「まぁ、王ったら」

「うふふ、またそんな心にも無いことを言って」



 男は、「王」と呼ばれていた。

 左右の腕でに野生的な容貌の美しい女性を抱いていて、女達は王の厚い胸板に顔を寄せ、妖艶に笑みながらその豊満な肢体を男の身へと摺り寄せていた。



「おいおい、本当だって。いつも政務で忙しいからな、こんな時くらい好きなことをしていたいんだ」

「うふふ、いつもハレムに篭っておられるのに?」

「いったい、どんな政務をなされているのかしら」

「お、じゃあ実践してみせようかなぁ……?」



 褐色がかった肌に湯の雫を滴らせながら、王と呼ばれた男が両手を妖しく動かした。

 薄い湯着に覆われた女達の腰から下を撫でる手はいやらしく、女達がきゃっきゃっと嬌声を上げる。

 邪魔する者はいない、大自然の中の湯殿での情事。

 真昼間だと言うのに、何とも背徳的な時間が流れていた。



「ヤレアハ」



 ……ところが、どうやら邪魔をする者がいたらしい。

 男はあからさまに気分を害した顔をした、精悍な顔を顰めさせて傍らを見上げた。

 そこには女が1人いた、湯着では無く温かな毛織物の衣服に身を包んでいた。

 腰の締め布に曲がりの大きな短剣を差していて、柄の部分に大きな赤い宝石が嵌め込まれていた。



「何だセーレン、今いい所なんだ」

「変化があれば知らせろと言ったのはあなた」



 セーレンと呼ばれた女が岩場に膝をつくと、王の傍に侍っていた美女達が怯えた顔で離れていった。

 それを残念そうな顔で見送りつつ、王は溜息を吐いた。



「……それで?」

「イサーバ様が戻った」

「息子が1人戻って来たくらいで、わざわざ俺に知らせに来たのか」

「客人を連れて」

「……客人?」



 その単語を聞いた時、王の雰囲気が変わった。

 不満そうだった顔に野生じみた獰猛な笑みを浮かべ、瞳から先程までの浮かれた光が消えた。



「ほう、客人か。客人は盛大に迎えなければな」



 そんな王の言葉に、1人、セーレンだけが頷いた。

 その後、王はまた鼻歌を歌い始める。

 今度の鼻歌は、より音程の低くなっているような気がした。



  ◆  ◆  ◆



 ムバーラザと言うのが、その村の名前だった。

 険しい山々で大陸側と隔てられたミノス半島、北部に位置するムバーラザは半島の首都的な存在とされている。

 しかし、規模は都市と言うより村と言った方が良い様子だった。



 葉が大きく断層構造になっている樹木に囲まれた森の中に、ムバーラザはある。

 不思議なことに地面に接している建物は数える程しかなく、ほとんどの家々は高床式の構造になっていた。

 そして家々は木製の細いみちで繋がっていて、人々はその上を歩いていた。



「うわぁ……」



 泥に汚れた自分の姿を気にもせずに、リデルは山の上から見える村の景色に目を奪われていた。

 美しい、素直にそう思った。

 土地は不毛だ、土はほとんど湿気を孕んだ泥で、そこに根を張る植物は異様に大きく毒々しい。

 動物や虫もそうだ、リデルの島にいた物とは大きさも勇猛さも強さも違う。



「ねぇ、アーサー! あれがイサーバの村!?」

「そこは僕に聞かれても困りますよ……」

「何よ、もう! イサーバ、あれがアンタの村?」

「そーだよー。ボクらの王様がいるんだ」



 リデル達と違って泥に汚れていないイサーバ、やはり地元故の慣れと言うのがあるのだろう。

 道中も水や食糧の確保は彼がいなければ出来なかったろう、想像もしない食べ物を食べさせられたのには驚いたものだ。

 リデルはさほどでも無かったが、大陸育ちのアーサーやアレクセイ達には厳しかったようで、腹を下した者も何人かいたようだ。



 足元に島の大蛇が這っている、最近は鎌首をもたげてリデルの肩に乗せるのが好きらしい。

 そのせいでまた衣服が汚れるが、リデルはそれを気にしたことは無い。

 それに見てみれば、山の中腹から見えるムバーラザの村の中には複数の動物の姿も見える。

 放されている所を見ると、家畜と言うわけでは無いようだ。

 そのことがまた、リデルをわくわくとさせた。



「アーサー! イサーバ、早く行きましょ!」

「はーいはい、もうちょっとだよ」

「いやちょっと待って下さい、何かアレクセイさんがお腹を押さえて蹲ってるんですが」

「や、やべぇ……これやべぇよ……」

「あーもう! だからキノコは色の綺麗な方が危ないって言ったのに!」



 また1つ、新しいものを。

 そんな事実に、リデルは胸の高鳴りを押さえられずにいるのだった。



  ◆  ◆  ◆



 村に下りると、湿度が高いせいかで思ったよりも気温は高く感じた。

 天険を越えた先にこんな世界があるとは、旧市街のある大陸側とは世界が違った。



「皆、ただいまー!」

「おやまぁ、イサーバ様じゃないかい」

「今日はまたどこに行ってきたんでぇ?」



 本当はゆっくり見て回りたい所だが、村につくや否やイサーバが駆け出したものだから、リデル達も走って後を追いかけなければならなかった。

 しかしその間にも声をかけられるイサーバを見るに、どうやら彼はこのムバーラザの村では良く知られた存在のようだった。



「イサーバちゃん、良かったらこれ食べて行ってねぇ」

「お、おばちゃんありがとー!」

「一緒にいるのはお客さんかね? 良かったら一緒にどうぞ」

「え? えーっと」



 閉鎖的な村かと思えばそうでもなく、余所者であるリデル達にも声をかけてくる。

 走り去り際に差し出された皿の上には何か――まぁ、食べ物だろうが――が載っていて、イサーバは走りながらそれを一つ掴んでいた。

 少し迷った末に、リデルも一つ取った。



 薄く伸びたパンのように見えたが、口に含むと予想外にべたべたとした食感に驚いた。

 一口齧って引っ張ると、細い糸のような物が口とパンの間に垂れてくる。

 初めて食べる、何だこれは。

 飲み込むのに苦労したが不味いわけでは無い、んぐんぐと飲み込みながらイサーバの後を追いかける。



「ちょっと、どこまで行くの!?」

「ま、マジでそれだぜ。こちとら腹の調子が……」

「アンタ、何しに来たのよ」



 今はアーサーに引き摺られているような状態のアレクセイ、本当に何をしに来たのだろう。

 アーサーの胃が意外と丈夫なのは、彼がそれなりに旅慣れているからだろうか。



「あそこだよ! ボクの家さ!」



 イサーバが指差した先には、この村で唯一の石材で作られた建物だった。

 と言ってもそんなに精巧なものでは無く、四角く削った石を積み上げて作った簡素な建物だった。

 だがそれは防壁のような物でしかなく、壁の向こうはやはり他の建物と同じ木造の高床式建造物だった。

 ただし普通の家より随分と大きい、まるで宮殿のようにも見えた。



 しかし、流石に疲労を隠せなくなってきた。

 島育ちであることもあってリデルも体力には自信があったのだが、天険の山々を越えるとなると話は別だ。

 ぜ、ぜ……と息切れを始めた頃、ようやくイサーバが止まった。

 見上げてみるとその建物は本当に大きかった、公都や聖都の建物程では無かったが。



「すぅ……」



 アーサー達が追いついてくる頃、イサーバが大きく息を吸って。



「皆ぁ――っ、ただいまぁ――――っ!!」

「わっ……」



 大声量で叫ばれたそれに、思わず耳を塞いだ。

 びりびりと空気が震える程だ、村中に聞こえたかもしれない。

 すると、変化が起こった。



 石材の防壁と宮殿の間には他と同じく高床の橋がかかっているのだが、その橋は跳ね橋のような構造になっていて両者を繋ぐ道が断絶されていた。

 防壁の門にあたる部分に滑車があり、それによって上げ下げされる仕組みになっているようだ。

 そしてイサーバの声に反応したのか、ゆっくりと橋が下ろされていった。



「あれー? セーレンさん? 珍しいね、と言うか他の人は?」



 橋が降りた先に、1人の女がいた。

 長い黒髪に褐色の肌、赤い毛織物の衣服に身を包んでいて、腰布に短剣を差している。

 異邦の美女、そう言う言葉がぴったり合うような女だった。

 セーレンと言うその女は、イサーバから視線を外し、リデル達のことを視界に入れながらゆっくりと歩いて来た。



「セーレンさん、他の皆は?」

「城の人間は皆、宴に行ってる」

「宴? 今日って何かあったっけ」

「何も無かった。でもあった」



 頭の上に「?」を重ねているらしいイサーバの横を通り過ぎて、セーレンはリデル達の前に立った。

 長身だ、リデルより頭2つ、アーサーよりも頭1つ大きい。

 見下ろされると威圧感がある、リデルがぐっと身構えて、そして睨み返した。

 それに対して小首を傾げて見せて、相手は言った。



「ようこそ、異邦の客人」

「は?」



 す、と身体を斜め後ろに引いて、手指の先を宮殿の方へと向けるセーレン。

 どこか抑揚の少ない独特な口調で、彼女は言った。

 続けられた言葉に、リデルはぽかんとした表情を浮かべた。



「もう宴が始まってる」



  ◆  ◆  ◆



 客人のために歓迎の宴を催すことは、ままあることだ。

 だがその宴を客人が来る前に始めると言うのは初めて聞いた、礼を失していると取られても仕方ないだろう。

 そう言う意味で、リデルは自分の感情を隠せない性分の少女だった。



「不機嫌そうですね、リデルさん」

「アンタは相変わらず暢気のんきそうね」

「まぁ、特に気分を動かすことでもありませんからね」



 無人の廊下――壁に囲まれた通路では無く、外に面した廊下である――をイサーバとセーレンを先頭に歩きつつ、リデルはアーサーとそんな会話をしていた。

 実際、アーサーから見ればリデルの不機嫌さは明らかだった。

 ちなみにアレクセイはまたふらりとどこかへ消えた、下した腹を抱えたままで何をしているのやら。



「アンタって、怒ることってあるの?」



 思えば、リデルは彼が怒る所を見たことがあまりなかった。

 例外は『施設』でドクターを前にした時だろうが、あの時も「怒り」と言う点では物足りない気もする。

 と言うより、感情と言うものを本気で発露する姿をあまり見たことが無い。

 はたしてこの青年は、怒ったことがあるのだろうか。



「ははは、それは僕だって怒ることもありますよ」



 疑わしげな目を向けてくるリデルに、アーサーは苦笑した。

 アーサーの方は逆に、リデルが大人しくじっとしていることがあるのかと聞いてみたかった。

 彼女は感情のアップダウンと起伏が激しく、感情を発露させる時ははっきりとそうする。

 わかりやすいと言えばわかりすい、もしかしたら軍師には向いていないのかもしれない。



 しかし嘘は言わない、だからアーサーは彼女を軍師に選んだのだった。

 それに、上手く噛み合っているでは無いか。

 それなら冷静になるべき場面で冷静になるのはアーサーの役目だ、そう思えるのだった。

 例えば、アーサーのことを蔑ろにされて拗ねている時などは。



「イサーバ王子、宴の間はここ」

「ああ、うん」

「え」



 前方で行われた会話に反応したのは、リデルだった。



「アンタって、王子だったの?」

「え? うん、そうだよー」

「聞いてないわよ!」

「あれ、言って無かったっけ」



 聞いていない。

 と言うか、王子が1人で国を出て旅に出るなどあるのだろうか。

 ……すぐ傍に実例がいたので、リデルはあっさりと「あるな」と思った。

 そうこう考えていると、セーレンがある部屋の前で止まった。



 扉が無い大広間のような場所だった、扉が無い代わりに分厚い布で仕切られている。

 セーレンが手で持ち上げたその下を潜って、イサーバが中へと入って行った。

 視線で促されて、互いに見合った後、リデルとアーサーもそれに続いた。



「……!」



 まず、むわっとした熱気を感じた。

 それから、音だ。

 広間には床に赤い布が敷かれていて、その両側に動物の毛皮で作られた座席があって、それぞれの座席の前に獣の肉を中心とした焼き物の料理が並べられていた。

 香辛料の濃い香りがつんと鼻をさして、リデルは眉を顰めた。



 そしてそれぞれの座席に座っている面々もまた、濃かった。

 まず、1人として同じ格好をした者がいない。

 老若男女いろいろあるが、驚く程肌が黒い者、身体に動物の骨を縫い付けている者、異様に身体の一部が長い者、常人の倍は身体の大きな者……そんな者達が何十人と宴に興じていた。

 そして、最奥にして中央に座している1人の男。



「わはははは、愉快愉快。兄弟達よ、今日は無礼講だ。どんどんってくれ!」



 赤い毛織物の衣装に身を包んだ、筋肉質の男。

 片手に盃を持ち、赤らんだ顔で両側に半裸の美女を侍らせている。

 セーレンが横を通り過ぎてその男の後ろに立つと、何故か美女達が少し緊張した様子だった。



「お? セーレンが来たと言うことは……兄弟達よ、少し宴の手を止めて聞いてくれ。俺の18番目の子が客人を連れてきてくれたようだ」

「王様、ただいまー!」

「おお、息子よ。良く帰ったな。で……」



 王様と呼ばれた男は、美女の肩を抱き、酒盃を軽く掲げながらリデルとアーサーを見た。

 そして、どこか品を定める商人のような目で2人を――特にリデルのことを見つめてきた。

 リデルは、怯むことなく見つめ返した。



  ◆  ◆  ◆



「遠くから良く来た、客人。まずは歓迎しよう、我が城へようこそとな」



 何と言うか、軽い雰囲気の男だった。

 正直に言えば、この時リデルはむっとしていた。

 酒を飲み、女を抱き、半ば寝転がりながらの応対が客人を迎える姿とは思えなかったからだ。

 それにあのへらへらとした笑み、何と無く癪にさわった。



 同時に、この始めて抱く感情の動きに戸惑ってもいた。

 今までは不当な扱いを受けたり、理不尽な言動を目の当たりにして怒ることはあった。

 自分の思うとおりにならずに苛立つこともあったし、どうにもならないことに悲しみもした。

 しかし未だかつて、会った瞬間に癪に障ると言うのは無かった。



「やぁ、これは初めまして。フィリアリーンの王子、アーサーと申します」



 かと思えば、アーサーは酷くにこやかだった。

 加えて言うならば人前ではっきりと「王子」と名乗ったのも初めてに思えた、それを思うと、不思議とリデルは己のささくれだった心が凪いでいくのを感じた。

 そうだ、「王」が了とするなら何をやいわんや。



「リデルよ。私の名前はリデル、アーサーの軍師をしているわ」



 胸を張ってそう言うと、非常に気分が良かった。

 隣から苦笑の気配を感じたが、それが今は心地よかった。

 子供じみていると言われればそれまでだが、リデルはそれで良かったのだ。



「――――ふ」



 しかしそんな高揚も、長くは続かなかった。

 何故ならば。



「ふふ、ふふふ……ふはっ、はははははははははっ!」



 目を丸くした、王様が大口を開けて笑い出したからだ。

 手に持っていた酒を取りこぼす程で、しかも酒を零された美女の方もクスクスと笑っていた。

 それは次第に広間全体に広がり、笑っていないのはリデルとアーサーを除けば、イサーバとセーレンだけだった。



 あはは、あははと笑い声が響く。

 喜悦による笑いでは無い、明らかに侮蔑の色が見え隠れする笑い方だった。

 アーサーはだからと言って、いちいちそんなことを気にはしなかった。

 フィリア人の彼にとっては、それはもう日常ですらあったからだ。



「……なにが」



 しかし、彼の隣にいる少女は違う。



「何がおかしいのよ!!」

「はははは! いや、すまない。こんなに笑ったのは久しぶりだ」



 目尻に涙すら浮かべて、王様が言った。



「名乗られたなら、名乗り返すのが礼儀。俺はヤレアハ、ここの王だ」



 酒盃を投げ捨て――その酒盃はセーレンが拾っていた――王は自分の名を名乗った。

 だが、そんなものはリデルにはもはや大した問題では無かった。

 重要なのは、この男が自分を、ひいてはアーサーを侮っていると言うことだ。



「それで、お前達は何をしに来た?」

「何をしに? それはアンタの方が良く知ってるでしょう!」

「俺が? 何故?」

「イサーバに手紙を持たせて使いに出させたじゃない!」

「俺が? イサーバをミノスの外に?」



 ヤレアハが視線を投げると、当のイサーバはもごもごと言うだけだった。

 何故かと言うと、ヤレアハに侍っていた美女に口元を押さえられていたからだ。

 この時点でアーサーは嫌なものを感じていたが、激高しているリデルはそれどころでは無かった。

 冷静になった後でなら気づくだろうが、それでは襲い。



「――――知らんな」



 それはつまり、アーサーにとっても遅すぎると言うことだった。



  ◆  ◆  ◆



 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 じんじんと頬が痛みを訴えていなければ、まだしばらくはぼんやりしていたかもしれない。



「な、なに……」



 リデルは自分の状態を確認した。

 まず、自分は床に顔を押し付けられている。

 次に背中に固い感触があり、片腕が後ろへと捻り上げられていた。

 そして最後、これが最も重要だが――――首筋に、短剣の刃が当てられていた。



「何、する……の、よ!」

「動くな」



 セーレンに上に乗られていると気付いたのは、刃を当てられた後だった。



「動けば刺す」



 今の言葉は自分と言うより、アーサーに向けて言った言葉だろうと判断できた。

 実際、助けに動こうとしたアーサーはそれで動けなくなってしまった。

 リデルはと言えば、片腕をさらに捻られて二の句を告げずにいた。

 そして思うことは1つ、急速に冷えた思考によるものだった。



(何てこと! やられたわ!)



 予断だ、最悪のケースを思考の外に置いたまま行動してしまった。

 無防備に敵か味方もわからない相手の前に出たわけだ、愚行としか言いようが無い。

 だが手紙を貰った上、使者であり王子でもあるイサーバの招待と言う形を取っていたことが災いした。

 まさか、相手がその手紙そのものの存在を否定するとは思わなかった。



「お、王様!?」

「息子よ、男がそんなことで動じてはダメだ」



 しかもだ、そのイサーバも美女2人に羽交い絞めにされていた。

 男として嬉しいだろうと思いきや、艶かしく絡められた腕や足は彼の関節を絶妙に極めているようで、イサーバはもはや1歩も動けなくなってしまっていた。

 手紙が無いと言う以上、リデル達を連れて来た彼も同罪と言うことになる、つまり。



「しかし哀しいな、息子よ。まさか我が子を王を謀った罪で処刑せねばならなくなるとはな」

「え、ちょ、王様。ほんとに?」

「ちょ……アンタ、自分の子供を殺す気!? いだっ……!」



 身体を上げようとすると、セーレンがより強く腕を捻り上げてきた。

 ぐ、と強張る身体。

 動けず声も出せない、その代わりに睨み付けた。

 だがヤレアハはそれを悠々と受けて、動じるところが無かった。



「ちなみに俺には28人の妻がいて、息子だけでも37人いる。そこにいるイサーバは俺の18番目の子にあたる。1人減ったところで、哀しくはあっても国の行く末には影響しない」

「そ、そりゃ無いよ王様ぁ」

「ははは、そんな哀しい顔をするな息子よ。さて、次はお前だな」



 アーサーを見て、言った。



「さて、どうするね? アーサー王子。頼みの軍師はあの様だが」

「……好きにすれば良いでしょう」

「ほう?」



 アーサーは考えていた、これは不味い事態だと。

 リデルは思った、この事態を打開するにはどうすべきかと。

 この状況を覆すには、いかなる言動を行う必要があるのか。



 手紙があったと言い張ることは簡単だ、しかしある事情でそれは出来ない。

 手紙の中身を知らないからだ。

 偶然か故意かは今となってはわからないが、手紙を貰ってここに来たと言い張るのであれば、最低限その中身を説明できなくてはならない。

 適当に言い繕うか? いや危険だ、傷口を広げる結果にしかならないだろう。



「そちらがリデルさんに危害を加えるのであれば、僕にも考えがあります」

「ほう? 俺を攻撃してみるか? 俺は強いぞ? ついでに言えばそこのセーレンも強い、さっきその娘を取り押さえた動きを見ればわかるだろうがな」

「そうかもしれませんね。もしかしたら、僕など遠く及ばないのかも」

「ならばどうする、アーサー王子」



 どうするつもりか、それはリデルも考えていることだ。

 アーサーはこの状況を、どうするつもりなのか。

 表面上は冷静なようだが、足の裏に込められた力が彼の焦りを表しているようにリデルには思えた。

 同時に、彼の行動次第で自分の運命も決まる。



「……リデルさんに危害を加えるなら、好きにして下さい」



 ちょ、と少しだけ思ったのは内緒だ。



「ただしその直後、ここにいる誰かに僕が危害を加えます」



 脅しに対し、脅しで返した。

 ざわ、と言うざわめきがその場に広がった。

 この場にいるのは王の「兄弟」、おそらく国にとって重要な位置にいるような存在なのだろう。

 その中の誰かに王の前で危害を加える、子は切り捨てられても兄弟を同じようには出来ないだろう。

 何故なら、この兄弟は結局は他人なのだから。



(こ、これが通じないとなると、もうどうしようもありませんよ)



 アーサーとしても、内心冷や汗を流していた。

 彼としては今出来る精一杯のハッタリをしたつもりであって、これが通じないともう打つ手が無かった。

 幼少時を王子として過ごした彼は、誘拐等の事態への対処法を学んでいた。

 要するに、「テロには屈しない」姿勢だ。



 人質を取られたとしても、要求を聞いたり怯んだりしてはならない。

 むしろ人質に効果が無い、価値が無いと思わせる。

 それでいて人質を粗雑に扱わせないように、「人質に手を出したならば」と条件付けを行う。

 使い古された手だが、効果的だからこそ陳腐にもなるのだ。



「何を馬鹿な!」

「我らを愚弄するか!」

「まぁ待て、兄弟達よ」



 騒然とする場を、ヤレアハが治める。



「しかし困ったな。これでは下手なことができないな」

「何を言う、王よ!」

「我ら、このような若造に遅れを取るまいぞ!」

(実際、そうなんでしょうけどね!)



 アーサーとしては、ヤレアハの英断に期待するしか無かった。

 懸念としては、さほど彼に慌てている様子が無いことだ。

 とは言え他に手は無い、アーサーとしてはここで賭けるしか無いのだ。



「そうだ、ではこうしよう」



 来た、身構える。

 そんな彼に対して、ヤレアハは言った。



「この村には伝統の勝負法がある。それで決着をつけることにしようか」

「伝統の勝負……?」



 それが何かはわからない、が、周りのざわめきの仕方が変わった所を見るに良く知られているのだろう。

 勝負法とやらが何なのかはわからない。

 だが、今の一方的な状況からは脱したように思う。



「お前が俺に勝てれば、娘は無事に返そう。だが俺がお前に勝てば……」



 その勝負とやらでアーサーが勝てば、リデルを返す。

 わかりやすいルールだ、そこにもちろん異論は無い。

 しかし裏を返せば、アーサーが負ければ――――。



(当然、リデルさんは……)

「あの娘は俺の妃になって貰う」

(そう、当然ただでは……って、え?)



 今、何と言ったか?



「か……」



 リデルを抑える腕の力が緩んで――どうやら、セーレンも驚いたらしい。

 それはそうだろう、捕えろと言った娘を何にすると言ったか?

 妃、そう妃だ、つまり王の妻である。

 要するに、このヤレアハと言う男はプロポーズしたのである。



 こんな最悪のプロポーズが、かつてあっただろうか。

 色恋に疎いリデルと言えど、それくらいのことはわかる。

 だから彼女は緩んだ拘束から身を乗り出し、最後だけは自分で言った。

 今回はヘマのため、本来は自分がすべき駆け引きを全て任せてしまった。



「勝手なこと言うなあぁ――――ッ!!」



 だからその言葉には、いろいろな感情が込められていた。



  ◆  ◆  ◆



 戦時とは言え、公都の賑やかさが変わることは無かった。

 人々の口に遥か東で行われている戦のことが昇ることは無く、公都の通りには多くの店と人々の姿を見ることが出来た。

 たとえ戦争が起こっていても公都は豊かであり、人々は享楽的な日々を過ごしている。



 好きなように出かけ、好きなような服を着る。

 好きな物を食べ、好きな物を飲む。

 好きな時に遊び、好きな時に眠る。

 このアナテマ大陸において、ソフィア人にのみ許された生活だった。



「なぁ、聞いたか…」

「えぇ、本当なのかしら……」

「でも、宮殿で働いてる奴が確かに聞いたって……」



 そんな人々の間、最近まことしやかに囁かれている噂がある。

 それは公王の親征軍が公都から煌びやかに出発した時から人々の口に上り始めた物で、今や公都全体に広がっていると言って良かった。

 市井の隅々にまで、知らぬ者の無い噂話。



「けど、戦争してるんだろ……」

「フィリア人との戦争なんてすぐに終わるさ……」

「むしろ、戦勝と一緒にって言う方が納得できる……」



 最初は細々と、その内に大きく。

 まるで噂そのものが生き物であるかのように。



「まぁ、お年頃だから……」

「結婚相手の候補もいないし……」

「そう言う意味じゃ、お似合いのお2人なのかも……」



 誰かの意思に煽られるかのように、公都の人々の口に上り続けていた。

 もはやその噂は、出会い頭の挨拶のようになりつつあった。

 それだけ人々の関心を引く噂なのだろう、己の生活以外への興味が薄い公都の人々にしては珍しいことと言えた。



 ――――おい、聞いたか? ああ、聞いたとも。

 ――――ねぇ、聞いた? ええ、知ってるわ。

 ――――本当かな? どうかしら?

 そんな会話が、方々で聞こえてくる。



「でも、もし本当なら素晴らしいことだよな」



 誰かが言う、その噂が本当であれば良いのにと。

 いや、本当であるべきなのだと。

 むしろ本当のことなのだと。

 誰かが、雑踏の中に染み込ませるかのようにそう言う。



「いいや、きっと本当だろう」



 いつしかそれが、真実であるかのように語られるようになる。

 数日か、数週間か、数ヶ月か。

 まるで、鍋の中で熟成されるシチューのように。

 ――――噂に、いわく。




「ベルフラウ大公女殿下と、<魔女>のヴァリアス・シプトン様がご結婚なさるとか――――」



最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

今回から第3の国、ミノスの登場です。

何というか、未開の地の部族達、みたいなのをイメージしています。

それにしても、文化表現ってやっぱり難しいですね。

次回も頑張ります。

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