8-2:「戦争」
残酷・暴力表現があります。
苦手な方はご注意下さい。
イレアナは山の突き出た部分を兵に削らせ、戦場全体を見渡せる場所を作った。
さらに帷幕を張り、台座と宝石を散りばめた椅子を置いて簡易の玉座とした。
普通、戦場に出てこんな無駄な施設は造らない。
イレアナは戦場でする贅沢に関心は無かった、幕舎も他の兵と同じ物を使う程だ。
「それでは、公王陛下」
「……うむ」
しかし今回の戦に限って言えば、多少の無駄と贅沢が必要になるのだった。
それは、恭しく傅くイレアナの前で玉座に腰を下ろす人物の存在が大きい。
枯れ木のような細い身体に豪奢な衣装を身に纏い、震えながら玉座に座す老人。
アナテマ大陸最大の国、アムリッツァー大公国の王の存在が。
「皆の奮闘を期待する」
「は……必ずや、公王陛下の御意に添うてご覧にいれましょう」
「「「はっ、公王陛下の御心のままに!」」」
周囲の近衛兵や世話人、イレアナについている参謀の魔術師達が、自分達の王へと礼を取る。
一言を放った後、王は沈黙する。
長く、いや浅い呼吸を繰り返すその姿は、とても一軍を従える王の姿とは思えない。
そもそも、こんな所に来るような体力は無いのだ。
(戦の帰趨より先に、こちらの方を心配した方が良いかもしれませんね……我が<大魔女>よ)
心の「王」に問いかけるようにして、イレアナは靴音を響かせながら前に出た。
突き出た先端に立ち、眼下――山々そのものを要塞化した――のソフィア人の軍勢を見下ろし、宣誓でもするかのようにもう片手を前へと掲げた。
もう片方の手には、いつものように金属製の本を抱えている。
彼女の姿が見えたのだろう、眼下の兵達が歓声を上げた。
ざわめき、叫び、イレアナの名を呼ぶべく声を上げている。
先程、公王が声をかけた時には起こり得なかった現象だ。
無理も無い、ここに「国軍」は1人もいないのである。
「全軍、全将兵に告げます」
すでに3万にまで膨れ上がった兵力は、全て協会の私有戦力だ。
大公国において「国軍」は存在しない、全て協会によって賄われている。
例外はフィリアリーンのような属国軍だが、今、この場にいるのは魔術協会の直属戦力だ。
<アリウスの石>で武装したソフィア人と、生粋の魔術師による軍勢が彼らだ。
「作戦計画は各々の部隊長を通じ、すでに伝えられている通りです。各人が己の役割を再認識すると共に、最善を尽くすことを期待します」
地平線の向こう側に顔を出し始めた太陽が、荒野の山々を赤く照らし始める。
冷えていた空気が、次第に熱を孕みだした。
美しい、美しい景色だった。
太陽の輝きで黒から赤へと色を変える荒野、煌きを跳ね返す河の水。
そんな中、透き通るような女の声が山々に響き渡る。
ぽぅ……と、赤く淡く輝くのは彼女が抱える金属製の本だ。
訴えかけるようなその輝きに、誰もが目を奪われた。
「目標――――叛徒共が聖都と崇める本拠、エリア・メシア」
ざわめきは次第に小さくなり、やがて荒野の山々から音が消える。
漆黒の軍勢、数万の人間が口と噤み、掲げられた腕が振り下ろされるのを固唾を呑んで見守っていた。
そして、その時はすぐに訪れた。
「それでは」
くんっ……と、勢い良く、しかしあっさりと、その腕が振り下ろされる。
眼鏡の奥のキレ長の紫瞳を細め、すっと息を吸い。
「――――開戦!」
イレアナの声の直後、山々を鳴動させる程の怒声が響き渡った。
◆ ◆ ◆
さして大河と言うわけでは無いが、河は河である。
兵にとっては障害であり、対岸の敵を討つには当然、渡河しなければならない。
「急げ、もたもたするな!」
「フィリアの屑共に、ソフィア人の偉大さを思い出させてやれ!」
「「「うおおおおおおおおおぉぉっ!!」」」
イレアナの命令に従い、数千人の兵士達が先陣を切った。
荒野の大地を踏み荒らしながら駆け出し、河を超えて敵を殲滅すべく水辺へと殺到する。
いかに小さくとも河は河だ、まさかそのまま飛び込むわけも無い。
ではどうするか、その答えはすぐに戦場に現れた。
「良し、降ろせ!」
怒涛のような勢いで、兵達の間を無人の鉄馬車が走る。
快速そのものの勢いで進むそれは、勢いそのままに河へと飛び込んだ。
沈む、誰もがそう思っただろう。
だが陽光煌く水面を散らしても、石よりも重いだろう鉄馬車が水底に沈むことは無かった。
何故なら鉄馬車の天井と四方の壁が、まるで折りたたまれた便箋を開くように開放されたのだ。
鉄馬車の中、宝物のように封じられていたそれは――――金属の舟だった。
鉄か、あるいはそれに類する金属で出来た、<アリウスの石>を動力に持つ舟である。
「良し乗り込め! 急げ急げ急げ!」
「機関全速! 対岸に向かって全速前進だ!」
「もたもたするんじゃあ無いっ!」
そしてその舟に、続々とソフィア人の兵士達が乗り込んでいく。
鉄馬車の大小の大きさに合わせて、100人乗り、30人乗りと言うように分けられているようだ。
大きさは違うが共通していることもある、それは指揮をする人間が全て軍服とローブの混合服を着た魔術師であると言うことだ。
「進め! 我らが<大魔女>のご威光を再び大陸全土に!」
ソフィア軍――「国軍」では無いので、「協会軍」とでも呼ぶべきか――の特徴は、何と言っても魔術によって補強された兵器群にある。
それこそはフィリア人がけして到達できない領域の兵器であり、決定的な戦力の差であろう。
そして、戦場においては1人で雑兵100人に比するとも言われる魔術師の存在だ。
イレアナはこの戦いで戦に役立つ能力を持った魔術師を3000人、連れて来ていた。
先陣の数千の中にも数百人の魔術師がいる、彼らの存在は嫌が応にも兵達の士気を高めた。
何故なら彼らは人智を超えた力の行使者であり、ソフィアの繁栄の象徴であるからだ。
「へっ、軽い仕事だ。フィリア人なんざ一捻りだぜ」
「ああ、明日には聖都とか言う田舎を陥落させてやる」
「全く、奴隷を躾けるのも大変だぁな」
「違ぇねぇ」
ために、どこか緩い。
弛緩している、と言っても良い、彼らの気持ちにはどこか余裕が、油断があった。
それも仕方ないだろう、ソフィア人にとってフィリア人とはまさに奴隷――一方的に蹂躙し、踏み躙るべき相手だったのだから。
「渡河、開始ぃッ!!」
そして、ついにソフィア軍の船団の先端が対岸へと乗り出した。
渡河の最中に妨害らしい妨害は無かった、当然だ、魔術の舟を前に腰が抜けていたのだろうとソフィア人の誰もがそう思った。
そんな彼らが対岸へ足を踏み入れると共に目にしたもの、それは――――……。
◆ ◆ ◆
ソフィア軍の船団が対岸へと上陸を始めたとは言え、彼らの本陣近くに布陣している部隊の中には、聊か弛緩したような空気が流れている舞台があった。
例えば本陣後方の麓に布陣している部隊などがそれで、怠惰とまでは言わないまでも、戦場にいると言う認識は薄いように見えた。
「先陣の奴らは、もう戦いを始めてるんだよなぁ」
「どうでも良いさ。俺らはここで本陣を守ってれば良いんだからよ」
「こんな所までフィリアの奴らが来るわけねぇだろ」
本来は厳重な警戒と見張りが必要なはずだが、見回りにしろ見張りにしろ、どこか適当にこなしている風であった。
例えば陣営周辺の見回り中は雑談に興じ、見張り台にいる兵の半分は座り込んでいる始末だ。
誤解の無いように言えば怠けているわけでは無く、彼らは彼らなりに士気を上げてはいた。
しかし、本陣の守備兵である彼らが戦う時は敵に攻撃を許した時だけだ。
実の所、彼らはそんな時が来るなどと思ってもいなかった。
ソフィア人の軍がフィリア人の軍に攻撃されるなどあり得ない、どうせ一方的に蹂躙して終わる。
士気は高くとも、そうした気持ちが彼らを弛緩させているのだった。
「ふあぁーあ、退屈だなぁ」
「俺も前線に行きたかったぜ」
「良く言うぜ、志願を募る時に行かなかったくせによ」
そして、天頂から見て本陣の斜め後方の部隊。
鉄製の柵で覆っただけの簡易の陣営で、同じ素材で出来た見張り代の上にいる彼らもまた、そうした弛緩した兵達の1人だった。
陣営周辺の様子を窺える高台にいても、座り込んでいては意味が無い。
まして彼らの手にはゲームに興じていたのだろう、カードが握られていた。
賭け事でもしていたのか、コインも何枚か置かれている。
全くもって暢気なものだが、これはソフィア人の軍においては珍しいことでは無かった。
「……あ?」
その時だ、見張り台への昇降口から騒々しい音が聞こえてきた。
カンカンカン、と、金属製の梯子を駆け上がってくる者がいる。
「――――おい、大変だぞ!」
「お、何だお前か。お前も一発、賭けてくか?」
「そんなことしてる場合じゃねぇ、外を見ろよ! お前ら何やってたんだ!?」
「ああ?」
駆け上がってきた同僚があまりに泡を食っていて、見張り台の兵達は一様に首を傾げていた。
しかし同僚の男が唾を飛ばして怒鳴り散らすし、それに何だか下が騒がしいような気もする。
怪訝に思いつつもゲームをやめて立ち上がり、見張り台の縁から外を、果てしなく広がる荒野を――――。
「……あ?」
「な、何だぁありゃあ!?」
「何だって、決まってるだろ!?」
――――見ることは、出来なかった。
「敵だよッ!!」
大地を埋め尽くし、こちらの陣営へと猛然と進む白銀の軍勢の姿によって。
◆ ◆ ◆
それは、完全な奇襲だった。
「ぎゃっ!」
「ぐえぇっ!?」
手に剣を持った白銀の集団が、ソフィア軍陣営の後方を攻撃した。
見た目の割に切れ味の悪い刃が、ソフィア兵の頭を割り、胴を薙ぐ。
脳漿が飛び散り、割かれた腹から臓器が溢れ出る、悲鳴が響き渡った。
次いで、空を雨のように何かが飛来した。
矢だ、しかも火のついた火矢である。
それがソフィア軍の陣営に降り注ぎ、燃えやすい材質で出来ている建物等に燃え移っていった。
人に当たった火矢は、より飛散だった。
「ど、どうだぁ! ソフィア人め!」
「わ、笑ってみろ! あの時みたいに笑ってみろよぉっ!!」
すでに事切れたソフィア兵に剣を突き刺しながら、フィリア兵が狂的な笑い声を上げる。
例えば自分を苛めている奴に反撃が出来たなら、それはどんなに快感だろう?
彼らは今、まさにその気分にいた。
突然の攻撃に逃げ惑うソフィア人を追いかけ、後ろから刺し、殺し、倒しながら彼らは笑った。
そして今また1人、地面に倒れたソフィア兵に剣を――――。
「――――<魔女>だッッ!!」
そうしようとしたフィリア兵の首から上が、爆裂したかのように吹き飛んだ。
衝撃が後から来て、次の瞬間には身体が数メートル吹き飛んで倒れた。
ビクビクと、首の傷口から血が噴水のように噴き出す。
「こ、混血の<魔女>……!」
助けられた形になったソフィア兵の前から、1人の女が疾風のように駆けて消えた。
両足に赤い金属製のブーツを履いた魔術師の姿は、あまりに速く、後には赤い軌跡だけが残った。
その軌跡の先には、ソフィア軍の陣営に襲い掛かるフィリア軍部隊の姿があった。
「ひっ……!」
その<魔女>、ノエルの姿を彼らが捉えた時は、すなわち次の一瞬で倒される時だ。
衝撃音、そして悲鳴。
ノエルが踏み抜いた地面が砕け、捲れ上がった岩と共にフィリア兵達が吹き飛ぶ。
至近距離で受けた者はより酷く、肉体が千切れてバラバラになった様など目も当てられない。
瓦礫を蹴倒し、ノエルが爆煙の中から姿を現す。
するとどうしたことだろう、先程まで思う様ソフィア兵を蹂躙していたフィリア兵達が悲鳴を上げて逃げ出した。
無理も無い、1踏みで地面を砕くような人間を前にすれば誰でも逃げ出すだろう。
「じ、冗談じゃねぇ、こんな化物……ぎゃっ」
しかし、ここでまた奇妙なことが起こった。
火矢が飛来し、逃げ出したフィリア兵達を打ち倒し始めたのだ。
味方から放たれた火矢で倒されるフィリア兵、それを目にした他のフィリア兵達は。
「う……ち、畜生ぉ!」
顔色を青くして、悲壮な顔でノエルに向かってきた。
たった今、ノエルの尋常で無い力を目にした所だと言うのに、だ。
「督戦隊か」
呟いて、それでもけして手加減せずに大地を踏み砕く。
地面が砕かれる衝撃でフィリア人がゴミか何かのように吹き飛ぶ、勝てるはずが無かった。
しかし、死に物狂いで攻めかかってくる。
それは、逃げれば後方の味方に射抜かれると言う恐怖心からだった。
俗に言う、督戦隊と言う舞台だ。
協会と言う組織によって半ば職業化されている大公国と違い、寄せ集めな上に徴兵軍である連合の兵は錬度が低く士気も後ろ向きになりやすい。
戦争の勝利が自国の繁栄に繋がると確信しているソフィア人と違い、彼らは戦争の勝利が自分達の繁栄に繋がると言う意識が薄いのが特徴だった。
「こちらは何とでもなるが……」
敵の血潮を正面に受け、味方からの奇異の視線を背に受けながら、ノエルは彼方を見やった。
いくつものクレーターが出来た陣営の中、無数のフィリア兵の死体を足の下に踏みしめながら。
前線で起こっているだろう事態を想像し、瞼を伏せた。
◆ ◆ ◆
「な、何だぁ、アレは?」
一方で、鉄の舟でもって一挙に渡河を果たしたソフィア軍は、渡河した所でその歩みを止めていた。
彼らは川を渡ると同時に敵との戦闘――最も、フィリア人とまともな戦闘になるとは思っていなかったが――に入るものだと思っていたのだ。
何故なら渡河後にはフィリア軍の陣地があるはずで、彼らの任務はその制圧だったからだ。
「そりゃあ、フィリア人共の陣地に決まってるだろうよ」
「じ、陣地……って言うか」
戸惑うように立ち止まる彼らの前には、長大な建造物があった。
造り自体は簡素な物で、丸太を縛って作った柵と土を掘って作った堀に囲まれた陣地だ。
しかし、規模が違う。
ソフィア軍が陣営を築いた側と違い、聖都へと続くフィリア側は山も低く、比較的平地に近い地形になっている。
晴れた日には荒野の向こうの地平線が見渡せる程なのだが、今はその地平線が見えない。
地平線があるべき場所に、フィリア軍の築いた柵が連なっていたからだ。
右から左へ、地面が描く線に沿うように長く、大きく。
「で、でかい……」
足を止めたソフィア兵の誰かが、呆然と呟く。
地平線隠すほど巨大な陣地――砦、いつの間にこんな物を築いたのか。
農村の囲みに使われるような装備でも、規模が拡大するだけでこうも違うのか。
ソフィア人としてあるまじきことだが、彼らはフィリア人の建造力に圧倒されていた。
「ん? お、おい見ろ! 堀の中にいやがったぞ!」
「フィリア人の奴らか!」
しかし、1番外側の堀の中から白銀の鎧を纏った一団が姿を見せたことで、ソフィア兵達も気持ちの再起動を果たした。
堀の中から姿を現したフィリア兵達は、手に持っていた小さな瓶を一斉に投げた。
蓋の部分に紐をつけた小さな瓶で、それはソフィア兵の中に次々と落下した。
「うわっぷっ。な、何だこれ?」
「気をつけろ! 頭にでも当たったら面倒だぞ」
地面に落ちて割れる物が大半だったが、中にはソフィア兵の身体に当たって砕ける物もあった。
しかし瓶の中身は同じだったようで、どの瓶にも黒い粉のような物が入っていた。
「お、おい、これもしかして」
「火矢だ!」
誰かが叫び声を上げて、不思議そうに粉を触っていたソフィア兵達がはっと顔を上げた。
「へっ、そんな時代遅れの矢が当たるかよ!」
鏃に油を塗り、火を維持したまま飛来する矢。
それはソフィア兵には当たらなかった、その代わりに地面に落ちた。
瓶が割れ、大量の黒い粉がぶちまけられた地面の上に。
「え――――……?」
その瞬間、この世のものとは思えないような轟音が響き渡った。
轟音だけでは無く、空気の層を砕くが如き衝撃波が走った。
次いで、何かが焦げ付いたような嫌な臭いが漂い始める。
「ふふふ、火薬――火を吐く薬とは良く言ったものです」
幾重にも張り巡らされた堀と塀の向こう側、突貫工事と人海戦術で建造した砦の高楼で、フィリア軍の司令官であるファルグリンが笑んでいた。
彼女の目には濛々と立ち昇る黒煙が見えていて、その根元には黒焦げになった「何か」が無数に転がっていた。
「さぁ、ラタ。前衛の部隊を動かしなさい。敵を川岸まで押し返すのです」
「はっ!」
目の前に築かれた戦果を前に、フィリア兵の士気は膨れ上がった。
10万の軍が砦を飛び出し、ソフィア軍を一呑みにせんと地面を埋め尽くした。
◆ ◆ ◆
「問題はありません」
本陣内に上がってくる状況報告に対して、イレアナは2度ほどそう言った。
1つは陣営後方を突かれたことに対してであり、もう1つは敵が備えていた大規模な砦に対してだ。
<アリウスの石>を備えたソフィア軍の通信はフィリア軍の比では無い、本営にいながらにして戦場の全てを管理することが出来る程だ。
イレアナは開戦当初と同じ場所に立ち、淡々とした様子で目の前の戦場を見据えていた。
1歩も動いていないように見えて、全ての戦場の指揮を執っているのは彼女1人だ。
公王はすでに帷幕に下がっていた、体調が優れないためだが、軍に与える影響は驚く程に無かった。
「後方の攻撃は敵の捨て駒でしょう、あまり大規模な部隊を渡河させればこちらの哨戒にかかる危険がありますから」
その程度の規模の敵であれば、<魔女>きっての武闘派であるノエル1人で殲滅することは難しく無い。
むしろ、戦闘の余波で陣地が壊されることの方を心配した方が良い。
「それに、ちょうど良いでしょう。後方はとかく緩みやすい、これで気持ちが引き締められたでしょう」
砦についても、イレアナを驚嘆させる程では無かった。
長大な防衛設備、ハードとして考えるなら目新しい要素でも無い。
火薬に至っては使い方を工夫しただけだ、策とも言えない。
使い古されたネタだけに、対応策を考えること自体は負担では無かった。
「とは言え、勢いずかれても面倒ですね」
イレアナがすっと手を上げると、山の麓から新たな鉄馬車が進み出てきた。
大砲と言うものがある、先程フィリア軍が手投げ爆弾の要領で使用した火薬の爆発力を推進力に、鉄の砲弾を高速で飛ばす兵器だ。
昔から使用されている兵器で、フィリア軍も質は悪いが装備している。
「戦う馬車――略して「戦車」。本来は渡河した後、平地で使うつもりだったのですが」
これまでの大砲は人の手で運ぶのが常だった。
麓から現れた鉄馬車は普通の物よりも背が低く、有体に言えば平たい造りをしていた。
そしてその上に、鉄製の大砲が乗っている。
無人かつ自走の大砲、それが何両も連なって川岸に進む様は壮観だった。
「放ちなさい」
人の手では運べない、巨大な砲塔に火が入った。
火薬では無い赤い輝き、明らかに<アリウスの石>による魔術砲だった。
右から左へ、同時では無く順繰りに砲撃が行われる。
先程の火薬の爆発にも負けない、膨大な音が立て続けに戦場に響き渡った。
――――着弾。
魔術の力で放たれた砲弾が、対岸の敵の中に着弾した。
10数万もいる敵だ、狙いをつける必要も無かった。
巨大な土柱が幾本も立ち上り、その1つ1つが数十人から数百人のフィリア兵を吹き飛ばした。
「ぐぎゃっ」
「ぶ!?」
「う、うぐうぅ……」
悲鳴、呻き、怨嗟、叫び声。
砲弾が降った後にはバラバラに吹き飛んだ死体と、身体の一部が消えた負傷者の姿があった。
死屍累々。
傷の痛みを訴える者、失った臓物を求める者、母親の名を呼ぶ者……。
「怯むな! 数を恃みに押し上げろ!」
そして、前衛でひたすらに兵に突撃を命じる者。
ラタは自分のすぐ近くに着弾する敵の砲弾に冷や汗をかきつつも、表情にはおくびにも出さなかった。
彼女は一介の兵士では無く、そうである以上、一介の兵士に出来ないことを求められているからだ。
しかし、そうは言っても敵の兵器の威力には驚嘆する。
「これが戦だ! これが!」
兵達への言葉は、そのまま自身への言葉でもあった。
戦闘は、まだ始まったばかりだ。
今日この日、この瞬間の戦闘に限ったとしても。
まだ、終わりすら見えないのだった。
◆ ◆ ◆
――――この殺戮の応酬は、その日が終わるまで繰り返された。
フィリア軍が渡河を試みれば、ソフィア軍はこれを魔術砲による大火力で打ち払った。
逆にソフィア軍が攻めれば、フィリア軍は砦の防御力と犠牲を恐れない物量でこれを押し潰した。
俗に言う、消耗戦の様相を呈していた。
消耗戦、古来からある戦争形態の1つだ。
互いに戦局の決定打を持たず、戦闘が延々と継続される状態のことを指す。
両者が陥っている状況は、まさにその消耗戦だった。
そしてこの状況は、およそ軍師だとか参謀だとか呼ばれる人種が最も嫌う状況でもあった。
「同志イレアナ、これ以上の戦闘継続は……」
「……そうですね。1度、戦線を縮小しましょう。対岸の橋頭堡を放棄、部隊の再編を行います」
「はっ! 各部隊に連絡を飛ばします」
第何波かわからない攻撃の後、山の上から戦況を見下ろしていたイレアナが、部下の言葉に頷いた。
即座に前線の部隊に後退の指示が出され、ソフィア軍側の川岸を制圧している部隊にはその支援の命令が出された。
後退するソフィア軍部隊を追撃に来たフィリア軍は、対岸の支援部隊によって手痛い打撃を受けた。
「ファルグリン卿、あれでは!」
「……まぁ、打ち払えただけで良しとしますか。前衛のラタに伝えなさい。追撃部隊の増派は不要、今の敵部隊が対岸まで下がるのを確認したら、現在の追撃部隊の撤退を許可しなさい」
「はっ。え、あの、ただちに撤退の命令を出すのでは……」
「敵が反転したらどうするのです? 何なら、貴方が敵を阻みに行きますか?」
「あ、いえ、その……」
フィリア軍もまた、再びの渡河は行わなかった。
もうすぐ夜になることもあり、大規模な軍事行動を控えるべきと判断したのだろう。
後退する両軍の行動は迅速だが、ソフィア軍が整然と後退するのに対し、フィリア軍はやや算を乱しながら砦へと撤退した。
「……しかし」
「それにしても……」
山の上でイレアナが、砦の中からファルグリンが。
事実上、この戦場をコントロールしている2人の女は、互いに互いがいるだろう対岸へと鋭い視線を向けていた。
前者は淡々と、後者はやや口惜しそうに。
「「……強い」」
こうして、後世において「ソ・フィ戦争」又は「両岸戦争」と呼ばれることになる戦争が始まった。
史上稀に見る膠着戦と呼ばれるこの戦争は、まだその犠牲の一端を示したに過ぎない。
アナテマ大陸における2大国の戦争、この局面が変わるには、また次の歴史の1頁がめくられるのを待たなければならなかった。
◆ ◆ ◆
ヒューッ……と、空の上から鳥の鳴き声が聞こえる。
島にいた頃に比べると、やや鳴き声の高さが変わったような気がする。
「別に、私とアーサーだけで良かったのに」
高い、高い空の下、険しい山々の中に少女の声が響いた。
長い金糸の髪を首飾りで無理くり縛った少女、つまるところリデルである。
彼女は今、傾斜の厳しい斜面を登っている所だった。
「いやいや。つったってお前ら、ほっといたらまた何かしでかすだろうよ」
他にも数人程、一緒に来ている。
1人はアーサーである、彼は魔術によって斜面も平然と登っているが、他の数人については完全に自分の力で登っている。
なおリデルはアーサーが抱き上げて運んでいた、ある意味で定位置と言える。
「ここは俺様に任せときな。ミノスだか何だか知らねぇが、人がいるなら入り込めるからよ」
「それはまた、まぁ頼りにさせてもらうけど」
「おう、頼れ頼れ。……だが、この蛇は何とかならねぇの?」
「何でよ、可愛いじゃない」
「…………あ、ああ」
数人の内の1人、アレクセイが自分達の傍をするすると登る――と言うより、這う――大蛇に嫌な顔をするが、リデルの言葉に引き攣りながらも頷いた。
何と言うか、彼らにとってリデルの動物達の存在は「あ、はい」で済むようになっているようだ。
その様子に、リデルを抱えるアーサーは最近ではもう苦笑すらしなくなっていた。
まぁ、彼は彼でリデルの衣服の胸元から顔を覗かせるリスに戦々恐々としているわけだが。
それにしても、険しい山だ。
旧市街から西へ進み、旧フィリアリーン領を横断して進む形になった。
大陸側とミノスの部族が住むという土地の間には険しく長い山々が連なっており、切り立った崖をいくつも進まなければならなかった。
「お――いっ! 早く早く――っ!」
そしてそんな道無き道を、あのイサーバと言う少年は事も無げにひょいひょいと進んでいる。
こんな斜面で後ろを向き、手を振る余裕がある程だ。
魔術を扱えるアーサーはともかく、アレクセイ達にとっては辛い道のりになるだろう。
それを見越して、リデルは自分と2人で良いと言ったのだろうが。
「……ん、何よ?」
「いえ。先を急ぎましょうか」
「……? そうね、早い方が良いわ」
「はい」
情勢が厳しい、だから急いで。
しかし、仲間に無理をさせない範囲で。
それを両立させるのが仕事だと、アーサーはリデルを抱える腕に力を込めた。
(この山の、向こうには……)
山の向こうに山があり、そのまた向こうに山がある。
そんな天険の地を思って、アーサーはまた1歩を山に刻んだのだった。
自分達の、明日のために。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回は戦争のシーンでした。
次回からはまたリデル達の方へ視点を戻します。
さて、リデル達の向かった先には……?




