8-1:「未開地よりの使者」
ほんの数ヶ月離れていただけで、随分と変わるものだ。
それが、アーサーが久しぶりに旧市街で過ごす中で得た感想だった。
「よーし、絞るぞ――!」
「しっかり押さえるんだよ、止め木を忘れないでね!」
「せーので行くぞ!」
「せーのっ……あ、せーのの「せ」で行く? それとも「の」って行くのか?」
「「どっちでも良いよ!?」」
街の形は変わっていない、むしろ数ヶ月前の戦いの跡を随所に見ることが出来る。
石造りの街路は相変わらず土と泥で汚れていたし、家々は石と漆喰の粗末な造りだ。
中心の時計塔も、相変わらず半分崩れているような有様だった。
臭いだってそうだ、慣れていはいるがけして快適と言うわけでは無い。
だが、内実はまるで違っていた。
ヴェルラフ通りと呼ばれるメインストリートには露天や市場は無い、その代わりに様々な仕事に励む人々がいた。
小さな花が摘まれた木箱がうず高く積み上げられ、それを木材を組み合わせた器具に流し込み、数人がかりで押し潰している。
何をしているのかわからないが、ああした仕事が行われている場面を本当に久しぶりに目にした。
「気をつけろよ、石油を入れた樽に火を近づけないように!」
「おうよ、燃え広がったら止めようが無いからな!」
「にしても、ひでー臭いだなこりゃ……」
それから、地下から石油を運び出している様子だった。
石から漏れ滲む油、石油。
旧市街の地下道の製作者、ウィリアム・フォルカークが発見した資源だ。
魚や植物から取れる油よりも良く燃えるので、良い燃料となっているようだった。
「本当に、変わるものですねぇ……」
感慨深く、呟く。
メインストリートを少し歩くだけで、それだけの変化に気付けるのだ。
気だるげに道に座り込む者はもういない、皆が自分から何らかの仕事や事業に取り組んでいる。
表情は、明るい。
貧しいことに変わりは無いが、明日は今日よりも良くなると信じている。
それがどれ程に大切なことなのか、アーサーは良く知っていた。
自立宣言は黙殺こそされているものの、新市街からの干渉が無いのも大きかった。
どうやら新たな総督が就任していない上、目下の所、宗主国である大公国自体が何かフィリアリーンに注意を向けていないようなのだった。
「それにしても、リデルさんはどこに行ったんですかね」
アーサーは暇を持て余して街を歩いているわけでは無い、リデルを探していたのだ。
「あのソフィア人の嬢ちゃんなら、農場の方にいるよ!」
「あ、どうも」
聞こえていたのか、親切に教えてくれた住人にぺこりと頭を下げた。
農場と言うのは、アーサー達がいない間にレジスタンスの仲間達が郊外に作った農地のことだ。
まだ規模は大きくは無いが、あの荒れた土地から作物を収穫することが出来るとは夢にも思わなかった。
街の外に出れば、それはすぐに見ることが出来た。
緩やかに続く丘陵地帯、丘の斜面から平地に至るまで、耕された茶色の土が向こう側まで続く。
その内の半分程に何らかに作物が実っている、まだまだ豊作とはいかない。
旧市街の人間全員の食糧を供給するには、まだ時間がかかりそうだ。
「えーと……」
木製の鍬を古い、畑を広げようとしている者。
出来た作物を収穫し、農道の隅に縛って並べる者。
荷車に乗せて街に築かれた貯蔵蔵に運び入れる者。
泥と汗に汚れた、しかし不思議と嫌悪感を抱かない人々の群れ。
「ああ、いたいた」
そしてその群れの中に、ひときわ目立つ金色があった。
色鮮やかな世界にあって、ここでは煌くようなその金色は一つしか無い。
それは、至上の宝のように思えてならなかった。
「リデルさん」
声をかけると、畑の中で金色が動いた。
もぞもぞと動いていたそれは、勢い良く立ち上がると。
「きゃんっ!?」
そのままの勢いで、尻もちをついた。
◆ ◆ ◆
「不思議だわ」
「え?」
尻もちをついた体勢のまま、呟くようにリデルは言った。
その手には今抜いたのだろう、小さいが丸々としたカブが握られていた。
濃い茶色の土に汚れたそれを、しげしげと眺める。
「同じ種から作られてるのに、大きさが全然違うの。あっちのはこれの3倍は大きかったのに、こっちのは見ての通り。どうしてこんなに差が出るのかしら?」
「別に転んだことを笑ったりはしませんよ」
「…………」
「……え? あ、痛い!?」
足先に痛みを感じると、案の定リスに噛み付かれていた。
何だか、久しぶりすぎて懐かしさすら感じる。
「別に誤魔化そうとしたわけじゃないわ。同じ作物で出来がこんなに違ったら、配給の時とか困るじゃない」
「は、はぁ。まぁ、そうですね」
「ま、これは収穫ごとに調整するしか無いのかな」
尻もちをついたままだったリデルの身体が、もぞりと持ち上がった。
良く見てみれば、作物の葉の間に溶け込んでいたが、明らかに植物では無い質感の細長い生き物がいた。
大蛇だ、『施設』で巨大化してからしばらくヘバっていたようだが、ここに来て復調しているらしい。
リデルはその大蛇の胴に乗っていた、どうやら尻もちをつく時にクッションになったようだ。
「燃料については、ウィリアムが石油の掘削のチームを作ってくれてたから。まぁ、しばらくは大丈夫でしょ」
「臭いは凄いですけどね」
「アレさえ何とかなればね。そのうち病気になる人とか出てきそうだから、アレはアレで何か考えないと……」
息を吐きつつうねうねと近付いてくるのに若干引きつつも、アーサーはとりあえず頷いた。
実際、考えるべきことはいろいろと多い。
目の前に山積する課題はもちろん、先々のことも考えておかなければならない。
何しろ、ウィリアムのような知見を持つ者が圧倒的に足りないのだ。
そして今、新たな問題が発生していた。
いや、問題になるかもしれないこと、だ。
アーサーはそのために、リデルを呼びに来たのである。
「リデルさん、ちょっと来て頂きたいのですが」
「何? それってこのカブの大きさよりも大事なこと?」
「さぁ、どうなんでしょうね。僕ではちょっと判断がつきかねます」
ひょい、と肩を竦めて。
「判断については、軍師様の考えに任せますよ」
「ふ~ん。じゃあ、しょうがないわね」
その言葉に、少女はニヤリとした笑みを返したのだった。
「それじゃ、聞きましょうか。何があったの?」
◆ ◆ ◆
ガツガツ、ガツガツ。
そんな擬音が出そうな程の勢いで、その少年は椀の中身を掻き込んでいた。
椀の中身は蒸した後に乾燥させた穀物で、これはお湯を入れるとふやけて、食べることが出来る保存食だ。
「……で、誰なのこいつ」
旧市街に用意された食糧の配給所で、リデルは無遠慮にご飯を食べる少年を指差しながら言った。
すでに3食分は平らげているだろう、旧市街では軽蔑されるべきタイプの人間だ。
1人の人間が1食を確保するのもギリギリなのに3食である、しかしそれでも彼が許されているのは、彼が「行き倒れ」であったからだ。
見つけたのは、マリアである。
農業に続いて漁業も再開できないかと、新市街との境界である大河を見て回っていた時だ。
上流からどんぶらこと、この少年が流れてきたのである。
最初は死んでいるかと思ったが、生きていたので助けたのだ。
「誰なのかはわからないけど。でも、少なくともこのあたりの出身じゃないね」
「そうなの?」
これには少し驚いた。
マリアの言葉を信じるのであれば、彼はフィリア人では無いことになる。
と言って、ソフィア人であるようにも見えない。
だが言われて見れば、癖のある赤毛に動物の毛を刈って作ったのだろう毛織物、確かに彼の容貌はフィリア人でも無ければソフィア人の土地でも見たことが無い。
「ねぇ、アンタ。どこから来たの?」
声をかける。
考えるために声をかけた、すると反応が返って来た。
彼は椀から顔を上げると、リデルを見て猫のように笑った。
口元や頬に穀物の欠片をくっつけまくっていて、行儀としてはあまり良くない。
「なるほど、キミがそうなんだね」
「は?」
「ボクはキミに会いに来たんだよ、<東の軍師>……の、娘さん」
「パパを知ってるの?」
「会ったかどうかって意味なら知らないよ、てかボクの年考えてよ」
確かに、目の前の少年が10年以上前に歴史の表舞台から消えたリデルの父と面識があるはずも無い。
眉を立てて先を促す、最近はもう<東の軍師>の名前で人が寄ってくることに慣れて来た。
だからそんな風に自分を見なくても良いのだと、リデルはリスを通じてアーサーに伝える。
「……噛むのはやめてくれませんかね……」
そこは聞かなかったことにして。
「それで、アンタは私に会いに来たの?」
「そうさ。まぁ、途中で道に迷ってお腹へって動けなくなっちゃったんだけど」
言いつつ、彼は懐から何かを取り出そうとごそごそやり始めた。
そこで、リデルはふとした調子で言った。
「アンタ、名前は?」
「イサーバ」
「ふぅん、私はリデルよ。で、こっちがアーサーで、こっちがマリア」
「家臣かい?」
「私は王様じゃないから、むしろ私が家臣ってことになるんじゃないかしら」
ふぅん、と言いながら、イサーバと名乗った少年は小さな木の板のような物を取り出した。
どうやらそこには文字が書いてあるらしく、紙代わりに木の板を使っているのだろう。
ただ、その板の表面には――――……。
「あ」
……何かが書かれていたらしいそれは、文字が滲んで何も読み取ることが出来なくなっていた。
川を流れている時に、文字が滲んで消えてしまったのだった。
◆ ◆ ◆
何なのこいつ、と、リデルはそんな感想を得た。
イサーバは頭を抱えてうんうんと唸っている、どうやら相当に困っているらしい。
「ぐえ」
一方で、リデルは蛙が潰れる時のような声を出した。
何故かと言うと、ズルズルと這っていた大蛇が頭をもたげて、彼女の肩に乗ってきたからだ。
小さかった頃ならともかく、今それをされるのはなかなか厳しかった。
それでも足を踏ん張って立つあたり、受け止めていると言うことなのか。
「へぇ、見たこと無い種類の蛇だなぁ」
「まぁ、そりゃ元々は島ヘビ……って」
気が付けば、イサーバが蛇の顎下に触れていた。
シューシューと言う音は、大蛇の気持ち良さそうな鳴き声だ。
「アンタ、慣れてるのね」
「まぁ、ボクの国はこう言うのがたくさんいるからね。それにしても、これが島ヘビだって? 冗談キツいなぁ」
「たくさん……」
リデルの大蛇のような、そんな動物がたくさんいる所から来た。
実際、イサーバは誰もが忌避するこの大蛇に触れることに忌避があるようには見えない。
つまり本当に慣れているわけで、彼の言葉が本当だと言うことの証明にもなる。
「それで、貴方はどうしてここに? と言うより、どこから来たんでしょう?」
「さっきも言ったけど、このあたりの奴じゃないね」
「え、うーん……ボクはこれを届けに来たんだ、王様に頼まれて」
「……でもそれ、もう何も読めなくなってるじゃないの」
「…………うん」
リデルの指摘に、イサーバは本気でしょんぼりとしていた。
「と言うか、王様? アンタの王様って誰よ」
「王様は王様さ、ボクらの中で1番偉い人だよ」
「アンタらって言われてもわかんないんだけど」
「そう言われても、ボクらはボクらとしか言いようが無いじゃん。そっちだってお前ら何? って聞かれたら困るでしょ?」
それはそうかもしれないが、他にも何か説明のしようはあるだろうと思った。
しかし本人がわからないと言っている以上は、これ以上聞いても仕方の無いことだった。
そうすると、彼は本当に何をしに来たのだろうと言うことになるのだが。
「うーん、王様の木簡が無事だったらな……」
そんなことを言われても、もうどうしようも無い。
このまま事態は闇の中に落ち込んでしまうのかと、そう思った時だ。
「彼は、ミノスに住む部族の出自でしょう」
落ち着いた声が降って来た。
「あ、ウィリアムじゃない。アンタ、こいつの国のこと知ってるの?」
「と言って、話に聞いた程度ですが」
ウィリアムだった、赤銅色の肌に精悍さが増している。
彼はリデル達に会釈すると、言葉を続けた。
「アナテマ大陸の南西の端に、小さな半島があります。山脈に隔てられたそこは昔から未開の地とされていて、ソフィアやフィリアの文化・文明とは切り離された土地であるとか」
あ、これは不味い。
アーサーは直感的にそう思った、そしてその直感は的中する。
何故かと言うと、「未開の地」と言うワードに目を輝かせている少女がいたからだ。
「ねぇ、アンタの国ってどんなところ? 何が面白い? どんな物があるの?」
「え? そりゃあ面白い所さ! このへんじゃあんまり見ないけど、でっかくて入り組んでて、毎日飽きないよ!」
「大きいって、動物が?」
「動物だけじゃないよ。山とか木とか、そう言うのがずっと大きいんだ」
思えばだ、リデルが行った土地はアナテマ大陸全土から見れば、ごく一部に過ぎない。
この大陸にはまだ見ぬ場所が数多くある、わかってはいたことだ。
だがこうして実際に自分の知らない土地から来た人間を前にすると、改めて興味が湧く。
世界には、いったいどんな物があるのだろう、と。
「そうだ!」
イサーバが不意に閃きを得て、言った。
「キミ、一緒に来てくれよ。そうすれば、王様が何を伝えたかったのか聞けるしさ!」
「え、えー……っと、行きたいのは行ってみたいんだけど」
島を出たばかりの頃であれば、おそらく興味を引かれるまま動いただろう。
しかし今は、この旧市街を離れるわけにはいかなかった。
心情的にもそうだし、大公国と連合、2つの大国がいつ攻めて来るかわからない情勢なのだ。
自慢するわけでは無いが、そうした場面では自分がいなければ話にならないだろう。
「どうしてさ、何かあるの?」
「あるって言うか……まぁ、お隣さんと微妙って言うか」
「お隣さん? ソフィア人とフィリア人のこと?」
首を傾げるイサーバ、しかし彼は打ち返すように言った。
「でも何か、ソフィア人とフィリア人がまた戦争を始めたって王様が言ってたけど。それとはまた別なの?」
――――何?
◆ ◆ ◆
大公国と連合が戦争を始めた。
そして、「未開の地」からの使者。
これらの情報を前に、リデルは再びの決断を迫られることになった。
「行くべきだと思うわ」
そして決断する時、リデルは迷うことが無かった。
「せっかく戻って来たのに、また出て行くのか?」
「ごめんなさい、マリア。でも今後のことを考えると、これはチャンスだと思うのよ」
「……チャンス?」
レジスタンスのアジト、つまり旧市街の地下に集まっての緊急会議の場だ。
来ているのはリデルとアーサー、マリアとウィリアム、そしてクロワだった。
薄暗い石造りの部屋を、松明――では無く、石油を燃料にした小さな灯りが煌々と照らしていた。
「大公国と連合が戦争を始めた。この情報の裏づけは残念ながら取れないわ、将来的には間者チームみたいなのも作らないとね」
「ですが事実であるとするなら、ここの所の両者からの攻勢が無いことへの理由付けにはなりますな」
「そうね、それにその部分を疑ってたら何も出来ないし。リスキーだけど、そこはイサーバの王様とやらを信じるしかないわ」
不確実なものを信じると言うのは、かなりリスクが高い。
だがそのリスクの高さを承知した上で、リデルは策を積み上げなければならない。
(スンシ曰く、『諸国の謀を知らざる者は、交を予めする能わず』ってね)
外国の事情に詳しくない者が、外国との関係を組み立てられるわけが無い。
一方で、リデルは大公国と連合の中枢にいる人々のことを知ってもいるのだった。
だから2つの大国が衝突したと言う話を聞いて、実はそれなりに驚いているのである。
「とりあえず、マリアとウィリアム。それからクロワ達には、旧市街に残っていて貰いたいの。あんまり大勢で行っても身動き取りにくいし」
「おや、僕は一緒に行っても良いんですね」
「何言ってんのよ」
どこか拗ねたように、リデルは言った。
「王様に会いに行くのに、アンタがいなくちゃ話にならないでしょ」
おやと思ったのは、クロワだけでは無かっただろう。
マリアなど特に驚いていた、彼女はアーサーが「そう言うこと」を忌避していることを知っていたからだ。
だが今のアーサーは、それに笑みさえ浮かべて見せていて。
「そうですね」
と、あっさり答えている。
これはマリアからすると不可思議なことに見えた、が、例えば共に旅をしてきたクロワからすると首肯するに足る光景ではあった。
そして、ウィリアムは軽く瞑目するのみだった。
「それで、ミノスに行かれて何を?」
「大公国と連合が争ってる間に、盟を結ぶのよ」
「盟……同盟ですか。大公国と連合に対する同盟ですな、それは」
「そうよ」
大公国と連合の2つの大国のみが屹立している状態では、リデル達のような弱小勢力に生き残る場所は無い。
しかし大公国・連合何れでも無い勢力と結べば、どうか。
それが天険に守られた未開の地の国であり、国力の程が不明でも、同盟国がいるとなれば対し方はまるで違うものとなるだろう。
「それに万が一、大公国と連合のどちらかが勝てば……将来的には、そのミノスって国も勝った側に攻められる。だから接触してきたとは、考えられないかしら?」
「そうですな。実際、大公国が大陸を一時とは言え制覇した折には、ミノスへの侵攻も幾度か画策されたと聞き及んでおりますし」
実際、それ以外にミノスの王が接触してくる理由が考えられなかった。
「だからイサーバの提案に乗って、ミノスの王様に会って来るわ」
大公国が連合との戦争で身動きが取れないのであれば、その間に旧市街周辺のフィリア人集落と連絡を取ることもできるだろう。
フィリアリーン全土の自立宣言、狙っているのはそれだ。
だがまたノエルのような軍が派遣されてくれば、潰されてしまうだろう策でもある。
だからこそ、ミノスとの同盟は大公国に対する牽制にもなる。
「私達の未来のために、必要なことのはずだから」
久しぶりに来た変化だ、これに乗らない手は無い。
「だから、行くわよ! アーサー!」
「重々承知、お供しますよ」
「違うわよ、私がアンタのお供をしてあげるんでしょうが!」
「はいはい、そうでしたね」
アナテマ大陸に、次の変化が起ころうとしていた。
◆ ◆ ◆
小舟なだけに、波に揺られただけで身体に響く。
小さく呻き声を上げると、船頭役のスコーランが心配そうな目を向けて来た。
「あ、アレクフィナの姐御。大丈夫ですかい?」
「五月蝿いね。良いから前を見てな、間違っても転覆なんてさせるんじゃないよ」
「へ、へい!」
焼きが回ったものだと、アレクフィナはそう思った。
自慢だった髪は短く、そして白くなってしまって、<アリウスの石>の指輪も失ってしまった。
石はまた協会から支給されるだろうから良いとして、右腕は戻らないだろう。
もう、全盛期には戻れない。
今も、舟を沈めかねない程の体重のブランに支えて貰わなければ舟にも乗れないのだ。
身体を思うままに動かすことが出来ない。
部下2人の手前、顔には出さないが、それはアレクフィナにとって相当のショックであるはずだった。
(まぁ、自分の不始末のせいって言ったらそれまでなんだけどな)
実際、聖都で捕まったのはアレクフィナのミスだ。
返す返すも、あの自分をいたぶっていた女は腹立たしい。
復讐が出来るものなら、間違いなくそうしてやっただろう。
「それにしても、姐御。黙って出てきちまって良かったんですかい?」
「ふひひ、びっくりするかもなんだぞ~」
「ああ? 別にあんな奴らに断りを入れる必要なんざ無いだろうが」
彼女らが今いるのは、クルジュの新市街と旧市街の間を流れるあの川の上だ。
旧市街で小舟を1隻失敬して、それに乗って対岸を目指しているのだった。
と言って、別にこそこそと逃げ帰っているつもりは無い。
「……このままじゃ済まさねぇぞ」
「アレクフィナの姐御、何か言ったっスか?」
「ふひひ、聞こえなかったんだな~」
「五月蝿いってんだろ。良いからお前達は舟を進ませな!」
「へ、へいっ!」
「ふひひ、わかったんだな~」
カムバック。
いずれ、いやすぐにでも戻ってきて見せる。
旧市街にいたのではそれは無理だ、だから新市街に戻る必要がある。
何ヶ月かかるのかわからない、だが、以前と同じことが出来るように。
いや、以前よりも強くなって、戻ってくる。
「せいぜい、それまでちゃんと命を繋いで……で、ててて。畜生、舟が揺れやが」
「だ、大丈夫ですかいアレクフィナの姐御ぉ!?」
「ふひひ、心配なんだな~」
「五月蝿いって何度言わせるんだい!? 良いからさっさと……あだだっ」
「「あ、姐御ぉ――――ッ!!」」
その時まで、命は預けておいてやる。
そう思いながら、アレクフィナは振り向いて旧市街の風景を見やった。
まるで、その風景を心に刻み込んでおこうとするかのように。
◆ ◆ ◆
公都から見て東、聖都から見て西。
かつてとある『施設』から逃げ出した逃亡者達が通ったこともあるそこは、アナテマ大陸に覇を唱える2つの大国の事実上の境界線となっている場所だった。
奥に行く程高く険阻になっていく山々、高地へと河水を流す渓谷、赤い土の荒野。
「同志イレアナ! 陣営の建造ですが、当初の予定通りに進捗しております!」
「大義です。陛下のご到着までに、幕舎の建造を急がせなさい」
そして河を挟む形で、2つの集団が向かい合っている。
1つは西側、険阻な山々に連なるように十数キロに渡って無数の人間が集まっている。
多くの者は黒を基調とした衣装を着ていて、遠めに見ると薄い赤色を纏っているように感じられた。
正確な数はわからないが、山脈1つを占拠する勢いで数万人はいるだろうか。
「シュトリア卿、敵は西の斜面20キロに渡って布陣している模様です!」
「ご苦労様です。数日後には連合加盟国の軍部隊も到着します。それまでに陣営を築きなさい」
もう1つは東側、河向こうの比較的平坦な場所に白銀の鎧を纏った集団がいた。
地平線の彼方まで埋め尽くさんばかりの大軍勢だ、山側にいる集団の数倍はいるだろう。
ただこちらは何とか到着しばかりのようで、どこか無秩序に広がっているように見えた。
しかしそれもすぐに収拾され、一部の兵が陣営の構築に取り掛かり始めた。
西側は、<魔女>イレアナ・ケリドウィン率いる大公国・魔術協会の軍勢。
東側は、連合軍最高司令官ファルグリン・シュトリア率いる聖都・聖樹教の軍勢。
互いに河を挟んで向かい合い、その後、両軍は膠着状態に入ることになる。
――――イレアナ軍1万、ファルグリン軍6万と対峙!
その報はアナテマ大陸全土に即座に伝わり、人々を震撼させた。
何故ならそれは、過去十数年間続いていた平和が仮初の物に過ぎなかったことを証明するものだったからだ。
そして今度の戦争がいつ終わるのか、誰にもわからなかったからだ。
今度こそ、どちらかが滅ぶまで続くのでは無いのか?
何年続くのか、あるは何十年続くのか。
2大国の衝突は、人々を恐怖と不安の底に陥らせるには十分すぎる報だった。
人々は怯えながら、固唾を呑んで戦争の行く末を見つめることしか出来なかった――――……。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
ここに来て新しい国が出てきました、3つ目ですね。
個人的な話ですけど、こういう第3勢力的なものは大好きです、三国志的な。
的が3回連続で出ましたが、とにかくそう言う流れにしてみたいですね。
それでは、また次回。




