1-6:「敵の敵は?」
あれは何だ、とリデルは自問する。
彼女が「あれ」と呼んでいるのは、今まさに迫り来る赤い炎だった。
アレクフィナの手指から放たれたそれは、成人男性の腕ほどの太さを伴って疾走する。
(何――――っ!?)
火はわかる、だが火は人の腕から放たれたりはしない。
だからこそ思う、何だあれはと。
だが考えている間に、炎はリデルの前に迫っていた。
「危ないっ!」
「ひゃ……っ!」
炎線に撃たれる直前、横にいたアーサーがリデルを押し倒した。
押し倒すとは穏やかでは無いが、直後にアーサーの背中を炎線が薙いだことを思えば、穏やかでいられるはずも無かった。
背中とお尻を地面に擦る独特の痛みに片目を閉じながらも、肌の上を滑る炎の熱を確かに感じた。
「ちょ……アンタ! 大丈……ッ!?」
「だ、大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけ無いでしょ、火傷してるじゃない!」
「ま、まぁ、火に触ったわけですからね」
「そう言うことじゃなくて!」
アーサーの衣服は変わらず父のお古だが、右の肩甲骨のあたりが焦げていた。
焼け剥がされたのか肌が露出していて、蚯蚓腫れになってしまっている。
火傷の程度は低いようだが、それ以上に「自分を庇った結果そうなる」と言う事態に耐性の無いリデルの衝撃は強かった。
さらに……。
「ききっ、きききき――――っ!?」
「ッ!? 皆!」
さらに、森が燃えていた。
炎が走ったのだから当然だ、だが不味い。
森には動物達がいる。
まだ燃えているのは数本の木と根元の草だけだが、その周辺にいた動物達が逃げ出し始めていた。
不味い、不味い、絶対に不味い。
島で火災など起きたことは無い、まして孤島では逃げ場も無い。
火を消すだけの設備も、当然、無い。
だからこれは、絶対的な危機だった。
「アッハハハハハァッ! 燃えろ燃えろぉ、皆燃えちまいなぁっ!」
「あ、姐御ぉ! 俺らがいることも忘れないでくだせぇ!」
「ふひひ、危ないんだぞ~」
「ああん? 男がごちゃごちゃ言ってんじゃないよ! って、何だいこの石……邪魔だ、ねぇっ!」
アレクフィナが足元にあった大きな石を蹴り転がすのを見た時、リデルの目つきが変わった。
この場にある石の意味を知る人間ならば、この時の彼女の心境を理解できるだろう。
だが彼女の喉が何かの言葉を吐き出す前に、リデルは己の身が再び宙に浮かぶのを感じた。
「な、何!?」
「すみません、でも、今は……!」
アーサーだった。
彼が火傷の痛みに耐えながらリデルを抱え、アレクフィナと男達のいない方向へ駆け出したのだ。
しかも、である。
「え……?」
文字通り、滑るような走りだった。
普通の走りでは無い。
地面に足裏がついているようにも見えない、まるで……そう、まるで坂を上から下へ滑り降りるかのような。
ふわり、と身が浮かぶ錯覚を覚える。
アーサーの速度はどんどんと上がる、足を大して上げもせず、全力疾走の様子も無いのに。
振動も無く、本当に……滑るように。
気のせいで無ければ、アーサーのグローブの赤い石が鈍く光っているようにも見える。
(な、何……何なのよ、本当!!)
何か、自分の知りようも無いことが起こっている。
そう自覚しながらも、自分の知識の中から答えを見つけ出せない事実に苛立つ。
それに、だ。
(本当に、何で、こんな)
ぐんぐんと遠ざかるその場所、毎日のように訪れている場所。
リデルにとって最も神聖な場所が火に包まれようとしていると言う現実に、唇を噛む。
せめて動物達が無事に逃げ出せれば良いと、そう祈る。
そうするしか、今は出来なかった。
◆ ◆ ◆
部下の2人が情けない顔で自分を見てきた時、アレクフィナは激怒した。
碌に追いかけることも出来ずに獲物を逃がしたのだ、無理も無かった。
「何をやってるんだい、この愚図共!!」
「す、すいやせん、アレクフィナの姐御」
「ふひひ、は、速かったんだぞ~」
確かに、と、アレクフィナは部下の言葉に首肯した。
速かった、と言うのは、もちろんアーサーのことだ。
島の住人だと言う――こんな孤島にあんな少女がいるとは――ソフィア人の少女を連れて、島の奥へと姿を晦ました。
ちっ、とアレクフィナは舌打ちを隠さなかった。
部下の2人がビクビクしているようだが、それには苛立ちの篭った視線を向けるだけで、それ以上のことは何もしなかった。
それよりも、と彼女はアーサーの逃げた方角へと視線を向ける。
「ちっ、劣等人種の分際で石の力を使いやがって……」
表情を嫌悪に歪め、心の底からの侮蔑を込めてそう言う。
石の力、と言うのはこの時点ではわからない。
だがアーサーが、まるで地面の上を、いや森そのものを滑るように逃走したのは確かだ。
後には、撫で付けられたかのように雑草が折れている様しか確認できない。
「ど、どうするんですかい、アレクフィナの姐御」
「ふひひ、あの子がいるとやりにくいんだぞ~」
「今考えてんだよ、ガタガタぬかすんじゃないよ愚図」
部下の声さえ今は苛立たしい、だが鬱陶しげに手を払ったのはそのせいでは無い。
木々の燃えカスが飛んで来たので、払っただけだ。
アレクフィナ自身が「石の力」で放った炎のせいで、盛大な山火事……いや島火事が発生しつつあっ
「しょうが無いね、アタシらも移動するよ。浜辺に出て小娘ごと舟に乗られても困……」
「アレクフィナの姐御?」
「ふひひ、急に黙ったんだぞ~」
「……そうだねぇ、火が回れば移動しないとねぇ」
首を傾げながら自分を見る部下2人、それに今度は笑みを見せる。
だがその笑みは、笑顔と言うには余りにも残忍に過ぎた。
「――――あぶり出しだよ、劣等人種と民族の恥晒し」
炎と熱で空気が揺らぐ中、陽炎のような女の嗤い声が響く。
◆ ◆ ◆
「ちょっと! ねぇ、ちょっとってば!」
一方で、森の中を駆ける――駆ける、と言って良いのかは微妙な所だが――とにかく、駆ける中で、少女の声がやかましく響いていた。
当然、リデルである。
この島において、少女と言えばまず彼女だ。
翻って、彼女を抱えて駆けている――と言うより、滑っている彼、アーサーはと言えば、リデルの声に応じることなく移動を続けていた。
しきりに後ろを気にしているのは、アレクフィナ達の存在があるからだろう。
ただリデルの声に反応できないあたり、冷静なように見えてかなり慌てている様子だった。
「ねぇ、ちょっと――ちょっとで良いから止まって、ねぇ、だから……止まりなさいよっ!!」
「痛い!?」
「え、あ……ひゃああっ!?」
誰が想像しただろう、リデルが抱えられた体勢からアーサーの頭を蹴った。
そして想像できるだろう、アーサーが突然の事態に驚き、成す術も無くその場に倒れることが。
つまり、蹴ったリデルも巻き添えである。
「……ったぁ~。もう、何なのよ……!」
したたかに打ち付けたお尻を撫でながら、その場に手をつく。
だが目尻に涙を浮かべ悪態を吐くのも、一瞬のことだ。
燃えている場所からは随分と遠ざかったと思うが、それでも狭い島である。
漂ってくる火の気配と匂いに、リデルは顔を顰めた。
「い、いたたた……酷いじゃないですか、何も蹴らなくとも」
「そんなこと、どうでも良い!」
顔を撫でながら文句を言ってきたアーサーに、リデルは食って掛かった。
当然だろう。
「何なのよアイツら! 冗談じゃないわ!」
「それについては……申し訳ない。貴女を巻き込んでしまいました」
「そんなことはどうでも良い!」
重要なのは、そこでは無い。
彼女らが誰を狙って何をしに来たのかなど、今のリデルにはどうでも良かった。
「島が、皆が……パパのお墓が! 何もかも滅茶苦茶よ! 何でこんな……!」
理不尽。
あまりにも理不尽な現実に、リデルは震えた。
哀しみのためか怒りのためか、それすら定かでは無い程に。
リデルにとって、最も大切なものを汚されたがために。
「アンタは知ってるんでしょ、あいつらが何なのか」
苦い顔をするアーサーに、苛々とした口調で言う。
実際は苛々どころでは無いのだが、興奮が焦りや不安を上回っているような状態だった。
そして先例があるように、こう言う時の彼女には容赦は無い。
妥協も無い。
あろうはずも、無い。
なので、アーサーとしては諦める他なかった。
もとより、ことここに及んで誤魔化しなど不可能だ。
だから彼は、瞬きもせずに自分を睨み続けるリデルに、嘆息するように告げた。
もしかしたら、本当に溜息を吐きたかったのかもしれない。
「彼女達は――――大公国の魔術師です」
◆ ◆ ◆
リデルは、知らない。
だがそれも無理は無いと、アーサーは思っていた。
何故ならそれは、おそらく<東の軍師>が意図的に娘に隠していたことだろうからだ。
娘に教えなかった、唯一のことだろうからだ。
リデルの、つまり<東の軍師>の家を見た。
軍略や歴史の本が多くある中で、「その分野」の本だけが巧妙に排除されていた。
魔術。
それはこのアナテマ大陸で、無くてはならない「技術」だ。
「大公国……はわかるとして。大公国の、魔術師? 魔術師って何よ」
「待ってください、順をおって説明しますから」
説明、そう、それは説明だった。
今の状況をどうにかするために、必要な説明だ。
命だってかかってくるかもしれない。
だがその時、リデルは不満そうな顔をしていた。
当たり前だ、ここでウキウキワクワクな顔をしていたらどうかしている。
だがアーサーの目には、その顔に別の感情が潜んでいるようにも映った。
その感情に名前をつけるなら、「好奇心」。
そこには確かに、未知の知識に対する興味があった。
「魔術とは、普通の人間の手で成し得ないことを成す技術。そしてそれを扱う「資格」を持つ人間のことを、魔術師と呼びます」
そう言って、アーサーは自分の手の甲を見せた。
正確には、グローブに嵌め込まれている赤い石だ。
沼の中に落ちてなお、鈍い輝きを失わなかった石。
不思議な輝きがそこにある気がして、吸い込まれるように見つめる。
「この石、見えますか?」
「見えてるわよ、馬鹿にしてるの?」
「失礼。この石は……アリウス鉱石と呼ばれる物を加工して作った宝石です」
「宝石? 宝石にしては……」
赤い石をじっと見つめるリデル、疑わしげな眼差しだ。
場違いながら、アーサーは苦笑する。
確かに、宝石と言うには輝きが不十分だ。
グローブに嵌め込まれている石は、今も鈍い光沢を放っている。
「まぁ、この石は純度が低いので……仕方ないんですよ」
「純度って?」
「ええと、そこを話すと長くなるので」
「話して」
力強く、言われた。
「ちゃんと話して」
「いや、本当に長くなりますから……」
「良いから」
妙にギラついた目で言われて、アーサーは少しばかり驚いた。
と言うか、少しだけ怖かった。
好奇心か、いや好奇心だけではこうはなるまい。
ならば何か、何がリデルの瞳を輝かせているのか。
それはアーサーにはわからない。
誰にも、わからない。
もし、理解できる人間がいるとするならば、それは。
「大事な情報かもしれないから、きちんと話して頂戴」
「……わかりました。その代わり、移動しながらで」
それはきっと、彼女の父である<東の軍師>だけだったろう。
何の根拠も無いが、何故か確信があった。
◆ ◆ ◆
「――――なるほど、良くわかったわ」
アーサーにしてみればやきもきする時間だった、とだけ言おうか。
それでも魔術という技術の基本的な情報の受け渡しには成功した、あくまで基礎だが。
だが、少なくとも今のリデルは「知っている」。
今、自分の島を焼いている力が何によって齎されているのかを知っている。
知っているということは、力だ。
知識は何者にも縛られない、この世で最も自由な力の一つなのだ。
「魔術、魔術、ね……正直イマイチ実感は湧かないけど。でもアンタの言う条件だと、アンタがその魔術とやらを使えるのはおかしくない?」
現に、理解の過程で発生する疑問をぶつけてくるまでになっている。
ちなみに2人は今、島の西側……つまり砂浜とは逆方向に向けて歩いていた。
アーサーは即座に砂浜に向かおうとしたのだが、リデルによって逆方向に行くことになったのだ。
彼としては、捕らえられているルイナのことも気になったのだが。
「敵が来るだろうなと読んでいる所に行ったって、何の意味も無いじゃない。スンシだって言ってるわ、相手の読めない行動を取りなさいって」
正直な所、アーサーには軍略のことはわからない。
いや、軍略と言うよりは戦術と言うべきか。
あるいは、他の何か。
「第一、ここは私の島よ。舟のある所に行って何になるって言うの? 大体、パパが……」
そこまで言った所で、リデルは言葉を止めた。
カリ、と音を立てるのは、噛んだ爪である。
見ないようにして、アーサーは周囲の様子を窺った。
今の所、追っ手の様子は無い。
ただ妙に木々――木々の向こう側――が騒がしい、火の手は迫ってきてるのかもしれない。
何度も言うが狭い島だ、そう長くは保つないかもしれない。
「スンシ曰く、『火を発するに時あり、火を起こすに日あり』」
不意に、リデルがそんなことを言った。
「火攻にはタイミングがあるってこと。今日は風も無いし、それに」
ちらと木々の間から覗く空を見上げて、また言葉を切る。
それ以上の説明の必要性は無いと感じたのか、そこまでだ。
デコボコの地面の上を危なげなく、慣れた足取りで歩いていく。
かく言うアーサーとて、慣れこそしていないが足取りに澱みは無い。
歩き慣れている、からだ。
島では無く、ただ単純に歩くことに慣れているだけだ。
「……それで?」
「はい、何でしょう」
「誤魔化さないで、あいつらアンタを狙ってんでしょ? ――――王子様?」
「ははは……元、ですよ」
この時アーサーが浮かべた苦笑を、どう表現すれば良いのだろう。
哀しみ? いいや違う。
見つめるリデルは、何を見たのだろうか。
「アンタの国……フィリアリーン? それが東部反乱の後に生まれた国だって言うのは知ってる。今は別の名前になってるってことも」
「ええ、まぁ。僕が話しましたしね」
「記憶力は良い方なのよ」
「確かに」
読んだ本の内容を全て覚えているなら、それは確かに記憶力が良いのだろう。
「あいつらはアンタのことを犯罪者と呼んでいたわ、叛逆者とも。そしてアンタは言ったわ、あいつらが大公国の魔術師だって」
あの女、アレクフィナは確かに言った。
自分達ソフィア人の国が滅ぼした、フィリア人の国の元王子だと。
劣等人種の、リーダーだと。
十数年前の東部反乱の後の独立と滅亡、そして叛逆者の元王子。
それこそ、御伽噺、だ。
「そんなに格好の良い話ではありませんよ」
相変わらずの苦笑を浮かべて、アーサーが言う。
「本音を言えば、僕は王子様なんてガラじゃ無いんですよ」
「何よ、私はこの島の女王様よ」
「ははは、そう言うことでは無くて……」
何かの対抗心を燃やしたのか、そんなことを言うリデルにアーサーは笑う。
「実際、僕は……僕の家族は、まぁ、庶民でしたから」
「庶民? 王子様でしょ?」
「ええ、まぁ……王族、なんて呼ばれてはいましたが」
ふぅ、と息を吐く。
「でもね、リデルさん。はたして、過去数十年間、庶民として生きていた家族が……大昔の王家の末裔らしい、なんて言われて担ぎ上げられて。それで自分達は王族だなんて、どうして言えるんです?」
それはどこか、独白のようにも見えた。
「そんなもので――――どうして、王子だなんて言えるんですか?」
「……わからないわよ、そんなの」
「そう、ですね。すみません」
「ただ」
ただ、とリデルは言った。
その瞳は、どこか静かだった。
立ち止まって、じっと見つめてくる。
「ただ、それもでアンタは……この島に来たんじゃない」
◆ ◆ ◆
リデルは思う、それでもアーサーはこの島に来た。
<東の軍師>の下に、彼を頼ってやってきた。
自分がソフィア人と言うならば、当然、父もソフィア人と言うことになる。
自分達(ソフィア人)を差別する人種、その出身者に会いに来たのだ。
何をしに?
救いを求めにだ。
東部の民を再び救ってほしいと、頼み込みに来たのだ。
――――何のために? どうして? 如何なる背景で?
(……私には、わかんないけど)
そう、リデルにはわからない。
アーサーが今何を考え、どんな想いでいるのか、本質的な所ではわからない。
わかるはずも無い。
父以外の人間と接した経験の無い彼女には、心の機微などわかるはずも無いのだ。
しかし、である。
「でも一つだけ、私にもわかることがあるわ――――アーサー」
初めて。
初めてのことに、彼が顔を上げた。
目が合う。
今度は、逸らすことは無かった。
「アーサー・テブル・スレト・フィリア、アンタは島を焼かなかった。でもあいつらは島を焼いたわ、私にもそれはわかるつもりよ」
そう、理由はどうあれアーサーに自分に危害を加えなかった。
敵では無かった。
それはリデルにとっては重要なことで、唯一と言って良い判断基準だった。
いや、彼女だけでは無い。
「私はね、怒ってるのよ。ううん、私だけじゃない、私「達」は怒ってる」
葉が揺れて、次いで歌声を奏でるような鳴き声が響く。
茂みが凪いで、次いで大小の毛皮に覆われた塊がのそのそと出てくる。
そして地を這うものがリデルの足を這い上がり、羽持つ小さきものが手指に止まる。
いつの間に囲まれたのか、と普通なら危惧を覚えるのだろう。
だが、もはやアーサーであっても驚かない。
この島において、リデルの周囲はいつだって賑やかだった。
「私「達」は許さない、島に害を成す奴を絶対に許してやらない。たとえそれが、大公国の魔術師とか言うご大層な奴だったとしてもね」
鳥が歌う、動物が身を揺する、蛇や蜥蜴達が足元を這う、昆虫達が舞う。
その全てが、リデルの味方だ。
リデルだけの、味方だ。
他には誰の味方もしない、島の住人達。
この「島」の、意思だ。
「……?」
その時、動物達との触れ合いで身体を傾けたことで、薄い金の髪が背中を流れた。
アーサーには、その中で何かが光ったように見えた。
そう言えば、最初に会った時も――あの追いかけっこの最中にも――同じように、何かが光るのを見た気もする。
「アーサー、私、アンタのこと嫌いよ」
「あ、あはは、そうなんですか」
「でも、あいつらのことはもっと嫌い。大嫌い、人の家で好き勝手して、嫌な奴ら」
だが、そのことに注視している暇は無かった。
気のせいでなければ、視界の中に黒ずんだ空気が流れているように見えたからだ。
つまり、火が回りつつある。
思っていたよりも回りが早い、もしかしたならアレクフィナ達が何かをしているのかもしれない。
と言うより、十中八九そうに違いない。
ならば当然、時間も無い。
移動を止めてすでに何分経過したのか、だがリデルに焦った様子は無かった。
「と言うわけで、アンタも手伝ってよね。アンタだってあいつらがいたら困るんだから」
「は、はぁ……それは構いませんけど」
「ふふん、大丈夫。任せておきなさい、この島のことで私達が遅れを取ることなんて無いんだから」
「ええ、まぁ、それは身をもって知っていますけどね」
むしろ願ったり叶ったりだが、何をするつもりなのか。
そう思って首を傾げると、返って来たのは笑みだった。
笑顔と言うには少し意地の悪そうな、そんな笑みだ。
だが、どこか頼り甲斐がありそうにも見える。
「私はパパの娘よ、もしパパが<東の軍師>だって言うなら……」
それならばと、リデルは笑った。
「私も、世界最高の軍師よ」
それは、とても魅力的な。
「――――策を作るわ」
笑みだった。
◆ ◆ ◆
笑みである。
それは紛うことなく、笑みだ。
それ以外には見えない。
サイドを後頭部に回した長い金髪は、ともすれば深窓の令嬢に見えなくも無い。
だが浮かべている笑みは残忍に過ぎたし、行っている所業はもっと残忍だった。
焼いている。
焼いている、焼いている、焼いている。
赤い炎風が、木々を舐め溶かすように広がりを見せていた。
「アァッハハハハハハハハアァッッ! 良く燃える木だねぇっ! アタシゃ気分が良くなってきたよ!」
そしてその中心にいるのは、先の髪型の女だ。
笑い声、嗤う声、哄笑、何でも良いが、声を上げて炎を放ち続けている。
射程距離はそう遠く無いようだが、木や葉という可燃物についた火は止めようが無い。
自然のままに、燃えるばかりだ。
人間に魔まる力を与えると言うアリウス鉱石、それを精錬して作られた宝石の指輪。
鈍く赤いその輝きは、周囲の炎色に照らされてなお赤く輝いていた。
そしてその輝きの中に、女――アレクフィナはいた。
輝く指先を前後左右に振り、移動しながら放火し続けている。
北から南へ、山を抜け降りるようにだ。
「あ゛あ゛ぁ゛~……気持ち良いねぇ~!」
「へへへ、さ、流石はアレクフィナの姐御ぉ……」
「ふひひ、で、でもちょっと暑いんだぞ~」
「ああん?」
アレクフィナがふと振り向くと、自分の後をついてきている2人の部下が汗だくでフラついているのが見えた。
細いスコーランはどうだかわからないが、丸々と太ったブランは今にも煮えそうな顔をしている。
情け無い連中だねぇ、と思った。
しかしこの場合、異常なのはアレクフィナの方だろう。
今も周りでは火が回り、木々の枝が燃え落ちて煙を吐き出し、火の葉と化した小さな火種が視界を覆うような勢いで舞っているのだ。
熱が伝わり始めたのか、気のせいか地面も熱いような気さえする。
「ったく、情け無い愚図共だねぇ……そんなことだから、碌な石を貰えないんだよ」
「い、いやでも姐御、これ、俺らもヤバいんじゃあ」
「ふひひ、逃げ道が無いんだぞ~」
「逃げ道ぃ? そんな心配ばっかしてるから、お前らはいつまでたっても愚図なんだよ」
吐き捨てるような口調でそう言って、指先を振るう。
すると地面に線を引くように火線が走り、木々や茂みから燃え広がる火を塞き止めた。
自然の火を、自然ならざる火で線引きしたのだ。
結果として、僅かながら火勢が抑制された。
「まったく、仕方の無い奴らだねぇ」
「へへへ、流石はアレクフィナの姐御!」
「ふひひ、頼もしいんだぞ~」
「調子の良いことを言ってんじゃないよ」
はん、と鼻から息を吐いて、移動を続ける。
移動し続けないと火に囲まれてしまうからで、アレクフィナに問題は無くとも他の2人はそうでは無い。
だから移動が必要なのだ、が。
「――――あ?」
声を上げたのは誰か、明確にはわからない。
だが明確にわかっていることもある、舞い散る火の葉の中でそれを見たからだ。
少年と、少女。
ブラウンと金色が、赤い空気の中で佇んでいるのが見えたのだ。
「おやおや……おやおやおやおや。おぉやぁあ~?」
それに対して笑みを浮かべたのは、アレクフィナだった。
唇を三日月の形に歪めて、両手指の指輪から熱気を放ちながらの笑みだった。
むしろ、後ろにいる2人の部下の方が戦々恐々としている程だ。
「あぶり出されて出てきたってわけかい。良いね、潔いじゃないか。嫌いじゃないよ、そう言うのはね」
火の葉の世界の中、アレクフィナは相手を迎え入れるように両手を広げた。
受ける2人は、静かなまま表情を動かさない。
何も言わない。
だから言葉を発するのは、アレクフィナの方だ。
「さぁ……アタシの糧になりなぁ!」
向けられた言葉と圧力に、受けた側は何も言わない。
ただ、菫色の瞳を細めただけだ。
何かの思案を、するように。
――――何かの、思案を。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
良し、後半は何となく私らしく描けたような気がします。
波が出てきたのであれば、それに乗って行きたいですね。
それでは、次回も頑張ります。