7-8:「軍師、ふたり」
客観的に見て、アレクフィナは限界に達しつつあった。
精神はともかくとして、肉体的に限界だった。
度重なる拷問と疲労、渇きと飢え、そして痛みによる睡眠の不足と衰弱。
奇しくもそれは、彼女がこれまで虐げてきたフィリア人が友としている感覚だった。
「……くそが」
精神が折れていないから、瞳の光だけは鋭い。
声も、何とか出る。
だがそれは何とか出ると言うだけで、掠れていてとても聞けたものでは無かった。
もちろん、アレクフィナは屈する様子など露とも見せていない。
拷問と尋問は日に日に厳しくなってくるが、「自分はソフィア人である」と言う心意気だけで耐えていた。
肉体的には、いつ屈していてもおかしく無かった。
「つっても、ちっとヤバいかもな……」
精神で耐えていると言えば聞こえは良いが、要するに肉体の限界がいつ来てもおかしくは無いと言うことでもあった。
アレクフィナもそのあたりのことはわかっている、わかっていて冷静にその「いつか」がいつなのかを測ろうとしている。
完全に限界を迎える前に何かをしなければならない、故にこそその「いつか」を測っていた。
その時だ。
俄かに外が騒がしくなった。
1つしか無い小さな窓から仄かに白い光が差し込み始めた、夜明けだ。
今夜も碌に眠れなかった、だが今回重要なのはそこでは無かった。
騒がしい、いつも静寂に包まれているこの牢獄にしては珍しいことだ。
「お偉いさんでも来たか……?」
いや違う、歓声では無く破壊音が混じっていた。
何かが起ころうとしている、いや、何かが起こっている。
「いつか」が来たのか、それは今なのか。
冷たい床に寝ていたアレクフィナは、右手――が無理なことを思い出して、左手1本で身を起こした。
ちょうどその時、一番騒がしい音が聞こえた。
それは声だ、最初は何の音かと思った。
しかし良く良く聞いてみると、それは自分が良く知る音、声だと言うことに気付いた。
そして。
「あ゛ね゛さ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ん゛ッッ!!」
「ぶびび~、き゛た゛そ゛~っ!」
「って、お前らかよ……」
突如細いのと太いのが鉄格子に張り付いてきて、さしものアレクフィナも引き気味に言った。
あまつさえ大の男が涙と鼻水を散らしながら鉄格子の隙間に身を入れようとしているのだ、「いや落ち着けよお前ら」とも言いたくもなる。
逃げろと言ったはずなのに、とか、それはもうどうでも良かった。
「……おぅ」
そしてそんな2人から少し距離を置いて、丸い輪に鍵を連ねた鍵束を持った少女がいた。
アレクフィナと同じ金色の髪、ソフィア人の少女だ。
また奇妙な所で出会うものだと、そう思った。
◆ ◆ ◆
ここで、1つ疑問を思い浮かべてみよう。
リデルと行動を共にしている1千の兵――もはや兵と呼んで差し支え無いだろう――が、何故、逃げ出すここにいるのか?
特に最初の200人、彼らはあろうことかソフィア人の土地まで踏破しているのである。
「クロワ殿! アレクセイから報せが来た!」
「急ぎか?」
「囚人を全員解放! 急ぎ撤退に入って頂きたい!」
「わかった。――――シャノワ、退くぞ」
「はい」
クロワは、1人で戦っていた。
大剣を振り回して戦う彼の場合、1人で戦う方が効率が良いし、何より派手なので囮にもなれる。
しかし1人では無かった、シャノワだけが彼の傍にいた。
いつしか呼び捨てにするようになった少女は、クロワが良いと言っても離れようとはしなかった。
「エテルノ殿、囚人は何人いたのかな」
「目標を含めて7人だけです。重要政治犯だけが対象と言うことで、収監者自体は少なかったようです」
「ふむ、なるほど。それで警備の兵も少なかったと言うわけだ」
ぐるり、頭の上で大剣を1度回した後、地面に縦に突き立てた。
柄を逆手に持ったまま、正面を見据える。
「ぐ……き、貴様ら、何者だ!」
「何、名乗る程の者では無いさ」
実際、名乗るべき集団としての名は無かった。
収容所の外の一角でクロワと戦っていた兵達は、クロワが魔術を使うと言うだけで怖気づいている様子だ。
無理も無い、フィリア人にとっては天敵のようなものなのだ。
むしろそれを狙って、リデルはクロワを内部への突入班には入れなかった。
元々、アレクセイの調査で中にはほとんど兵がいないことはわかっていた。
収容所に詰めていた兵も500は越えない、相手よりも兵が多いと言う状況は珍しいと言えた。
持ち手に力を込め、地面を抉り取りながら剣を振り上げた。
「う、うわあああああぁっ!?」
抉り飛ばされた地面や岩に打たれて、敵兵が怯む。
怯んだ隙に、撤退した。
逃げ出した、1つしかない出入り口を塞がれる前に逃げなければならなかった。
そう言った意味で、リデルは目前の勝敗に拘る軍師では無かった。
クロワ自身が崩した門目がけて、駆けた。
「く……追え! 追え――っ!」
追って来るのが声だけだと確認して、クロワは駆けた。
逃げ出す直前、牽制のつもりで大剣をもう一振りしたのが功を奏したようだった。
フィリア人は魔術の気配に臆病、その性質を利用したと言える。
しかし、それはシャノワ達旧市街出身者のフィリア人も同じはずだ。
それでも彼らが逃げ出さずにここまでついて来たのは、1つの感情による。
それは数ヶ月前の旧市街で、自分達を守って1人降伏した少女の存在に端を発している。
その感情の名は、後悔と言う。
「ようやく、少しは幅を広げられたと言う所かな」
ここだけを見れば完全勝利、旧市街の時とは違う。
これこそ、200人の仲間達が望んだ光景でもある。
つまり彼らは、悔しかったのだ。
たった1人で大公国の戦力をどうにかしようとした少女を、助けられなかったことが。
今まで卑屈に逼塞していて何も出来なかった自分達に、「そんなことは無いんだ」と言ってくれた人間。
そんな相手1人助けられない自分が嫌で、そう言う人間が集まったのが今の200人であり、1千の兵なのだった。
――――つまるところ、負けず嫌いだった、と言うだけの話。
◆ ◆ ◆
思ったよりも、策が立てやすかった。
クロワと言う戦力が光っていたのもあるが、他の仲間達の動きがリデルの予想を超えて素早かったのだ。
山越えと国境の踏破で体力はついていたが、各人が自分の役割を認識して動けていた。
特に旧市街の200人は、他の800人を気遣う素振りすらあったのだ。
(兵が精強なのは、良いことだわね)
頼もしい限りだ、リデルは鼻歌でも歌い出しそうな程に上機嫌な様子だった。
今は収容所からさらに数キロ東へ離れた山の中にいる。
切り立った崖に囲まれた隘路で、すでに昇った太陽の光もさほど届かない。
荒野にしては湿度も高く、休憩する分には良い場所だった。
「それにしても、ねぇアンタ大丈夫?」
「……五月蝿いね。アタシがこの程度でどうにかなるわけ無いだろうよ」
そして、今はアレクフィナである。
岩に背を預けるようにして座っている女は、島に来た時に比べると見違えていた。
まず、髪が白い。
長かった髪は男のように短く刈られていて、美しい金髪は見る影も無く白い。
たった1ヶ月余り、されど1ヶ月余り。
それだけの時間で人間はここまで変えられてしまうのかと思う程、アレクフィナは痩せ衰えていた。
特に右腕が酷い、手の甲から肘にかけての肉が削がれていて、壊死し始めてしまっていた。
もう、まともに動くことは無いだろう。
「ったく、お前達もお前達だよ。こんな奴らに助けなんて求めるんじゃあ無いよ」
「す、すいやせん、姐御」
「ふひひ、でも良かったぞ~」
「何が良いもんか。あっつ、いつつ……」
「「あ、姐御~~!」」
まぁ、気だけはしっかりしているようだから、とりあえずは大丈夫なのだろう。
本人が何も言わないことを勝手に斟酌する程、リデルは自信過剰では無かった。
「礼は言わないよ。アタシらはそう言う関係じゃ無いんだ」
「いらないわよ別に。言いたいなら受け取ってあげるけど」
「吐かしやがれ」
目だけは、以前のままだ。
「まぁ……アレだ。こいつらの面倒を見てくれたことには、感謝してるよ」
「「姐御……」」
それから、部下2人に対する態度だけは同じだった。
何というか、嫌いにはなれない。
いや嫌いなのだが――島と家を焼かれているのだ――まぁ、憎めない3人だった。
とりあえず、それで良しとした。
「それで、次はどうしましょうか?」
「少し休んで、移動よ。とにかく連合の領域から出ないと。大公国との境界線近くを通るのが1番なんだけど、逆にノエルなんかが出てくると面倒だしね」
アレクフィナを救うと言う約束は果たしたし、それに伴い現在の戦力の確認も出来た。
小規模な兵しかいなかったとは言え、1つのれっきとした拠点を攻略したのである。
奇襲とクロワと言う戦力のおかげでこちらのダメージは極めて軽く、無傷と言っても良い。
上機嫌と言ったが、あれは策が嵌まったと言うこと以上に、仲間達の成長が嬉しかったのかもしれない。
いずれにしても、とにかく移動する必要がある。
背後のファルグリンの動向が掴めない以上、最悪のケースを頭に置いて行動した方が良い。
リデルが改めてそう思った、その時だった。
「リデル殿」
身軽そうに岩肌を蹴って、シャノワがリデルの傍に着地した。
膝をついた姿勢で顔を上げて、彼女はリデルにあることを報せた。
旧市街からついてきた200人は本当に成長している、シャノワもその1人で、彼女はもはやいなければなら無い人材の1人になっていた。
「アンタが来たのね」
それを聞いて、リデルは振り向くように岩場の間から見る空を見上げた。
「ラタ――――……!」
どうやら、再戦の時は想像以上に近いようだった。
◆ ◆ ◆
前とは違う、ラタはそう考えていた。
今、彼女は3千の兵を率いてひたすらに駆けていた。
速度は戦時の速度、リデルとの模擬戦の時の倍近い速度だ。
装備は華美さを一切捨てた実戦用の鎧であるし、剣の刃は潰れていない。
すでに襲撃された収容所は見てきた。
恐るべき速さで奇襲を受け、そして囚人7人を奪われたらしい。
責任者をその場で処罰して、ラタは襲撃者を追った。
集団で移動している以上、痕跡は必ず残る。
「今度は模擬戦じゃない」
「は、はぁ?」
「いや、気にするな。独り言だ」
訝しげな部下にそう声をかけて、切り立った崖に挟まれた隘路の先を見つめる。
地面には無数の人間がこの山中の隘路に入った証、つまりは地面を踏み荒らした痕があった。
この荒野で集団で移動するのは巡礼者か軍隊しかいない、そしてここは巡礼のルートでは無く、まして軍隊の訓練ルートでも無い。
随分と入念に行き先を調べているらしい、あの少女なら何の不思議も無かった。
「500は北、500は東の隘路の出口を塞げ」
ラタが指揮する聖都の兵が、山を囲み始める。
水源も植生も少ない山だ、篭もるとは考えにくい。
加えて言えば、ラタはリデル達が山から出てくるのを待つ気など無かった。
攻めていながらに攻められている心地、ラタの気持ちはまさにそれだ。
「2千は私に続け。敵を追う」
「危険なのではありませんか? ここは囲んで少し様子を見ては……」
「重厚な囲みを作れる程の兵力は無い、せいぜい隘路の出口を塞ぐくらいだ。ネズミは尻を叩かねば頭を出さない、進むぞ」
出方を窺っている間に、相手が何らかの策を巡らさないとは限らない。
特に相手はリデルである、こちらから仕掛け続けなければ何を考えるかわかったものでは無い。
行動の発端、つまり主導権を握り続けるには攻めるしかない。
そのために、多少の危険には目を瞑る必要があると思っていた。
(不思議と、裏切られたと言う感覚は無い)
短い付き合いだが、あの少女がそう言う人間では無いことはわかっていた。
話をしたとか、そう言うことでは無い。
同じく軍師を志す者として、交わした策で互いを知った。
策は言葉以上に人間性を表す、リデルの放つ策は姑息さや卑劣さとは無縁のものだった。
だからこそ、急な出奔劇に驚きもした。
何があったのか、気にならないわけでは無かった。
だがそれはリデルにと言うよりも、彼女の師の方にこそ当てはまるのかもしれない。
『リデルを連れ戻しなさい。他は要りません』
彼女の師、ファルグリンは自分にそう命じた。
明らかに様子がおかしかったが、ラタが何かを言う前に部屋を追い出されてしまった。
2人の間で何かがあったことは間違い無い、しかしそれが何かはわからない。
「ラタ殿。斥候が敵と思わしき集団を発見したとの報告が入りました。数はおよそ数百です」
「わかった」
部下の報告に、ラタは気を引き締めた。
先程自分で言った、これは模擬戦では無いのだ。
今は目の前の戦場に集中しなければならない。
多数の部下の命を預かる者として、彼女には責任があった。
「突入の2千、続――――」
そうして、彼女が兵を隘路に突入させようと手を挙げた時だ。
ラタはそのままの姿勢で目を見開いた、直後、先頭から叫び声が聞こえた。
――――敵が、大挙して隘路から飛び出して来たのである。
◆ ◆ ◆
リデルは、ただ逃げると言う選択を採らなかった。
逃げた所で追撃を受けるのは目に見えている、どこへ逃げるにしろそれは避けたい。
ならばまだ元気のある内に一当てし、追撃を不可能な状態にさせる必要がある。
「無理すんじゃないわよ……」
リデルは、崖の上から戦いの様子を見下ろしていた。
隣にはアーサーとクロワがいて、彼らも眼下の仲間達の戦いを見ていた。
拳を握り締めて、腰を浮かせながら。
リデルもまた、唇を噛んでいる。
いくら体力があるとは言っても、正規の軍隊――兵力差を隘路で補っているとは言え――を相手にぶつかって、いくらも保つとは思えない。
しかし、逆に言えば少しの時間なら保たせることが出来る。
「リデルさん」
「まだよ、もう少し……」
焦りを孕んだ声に、そう返す。
眼下では仲間達が戦っている、剣戟と怒声が崖の上まで聞こえてくる。
勇敢だ、そう思う。
誰もが逃げ出すことなく戦っている、いや、そもそも逃げ出すような者はとうに群れに見切りをつけていた。
仲間が1人、血飛沫を上げて地面に倒れるのが見えた。
犠牲。
ルイナの村で初めて見て、そして今再び自分の策の結果として犠牲が出た。
2人、3人……兵の錬度、武器の質、どちらもこちらが劣っている。
だから、犠牲が出るのは策の中に織り込んである。
(とは、言っても)
胸の内に広がる苦いものは、消しようが無い。
これを忘れずにいよう、リデルはそう思った。
この苦さを忘れない限り、自分はきっと人間でいられるだろうから。
「リデルさん!」
「……! 打ちなさい! 早く!」
緊迫したアーサーの声に、今度は反応した。
近くにいた仲間達が手製の太鼓を叩く、一斉連打、それを行う。
興奮状態にある味方がこれを聞いてくれるかが問題だったが、幸い、ほとんどの仲間は聞いてくれた。
1ヶ月の山篭りの効果は、こう言う所でも出てくる。
「敵が追って来ている」
「そりゃそうでしょうよ。でもまだよ、まだ……」
太鼓の音を聞いて、味方が元来た道を戻る。
つまり隘路の奥へと退き始めた、殿近くの仲間が背中から斬られるのが見える。
だがまだだった、まだだとリデルは耐えた。
「……今よ!」
「承知した!」
刹那、クロワが跳んだ。
彼は水晶の大剣を岩壁に突き刺すと、魔術の赤い軌跡を残しながら一気に切り裂いた。
それを2度繰り返すと、岩壁の出っ張りが切り崩された。
後は重力の成すままに落ちる、すなわちただでさえ狭い隘路に切り崩された岩が落ちていく。
「な、何だ!? 落石か!?」
「う、うわあああぁっ!?」
味方を追いかけて隘路へ入り込んで来た敵の上に、岩が落ちていく。
人為的な物で大した量では無いが、狭い隘路にとっては十分な量だった。
1つ2つと岩が落ちていき、道を塞いで行く。
そこには当然、味方を追っていた敵兵がいる。
「――――はぁっ!」
もう1回転、それで山の一部が完全に崩れた。
滑り落ちるように岩が落ちていく、それらは瞬く間に下の敵集団の半ばを飲み込んでいった。
肉が潰れる音、悲鳴、それらが山中に響き渡った。
リデルをそれを、耳を塞ぐことなく聞いていた。
◆ ◆ ◆
退路を塞がれた、ラタがそう判断するには十分すぎる状況だった。
そして同時に、読まれた、リデルがそう判断するにも十分な状況だった。
「クロワ、悪いけど下に降りて」
眼下の戦況を見つめていたリデルは、立ち上がりながらそう言った。
「隘路に閉じ込められた相手を叩けば良いのかね?」
「残念だけど違うわ。味方の進路……じゃないわね。退路を確保してきて欲しいのよ」
「退路?」
「そう! お願いね。えーと、アーサー!」
「はいはい」
続けて他の面々にも矢継ぎ早に指示を出す少女を、アーサーは抱え上げた。
抱え上げられた体勢でリデルが声を上げると、空から彼女の鳥が降りて来た。
その時にはすでにクロワ達は動いていて、胸元からはリスが飛び出して来た。
それは言葉の前半と後半でシリアスとメルヘンが飛び交っていて、奇妙な姿にも見えた。
そして、アーサーはクロワ達とは逆に山をさらに登った。
彼の魔術なら岩壁の傾斜等あって無いようなものだ、リデルを落とさないようにしながら素早く高地へと登る。
そうしている内に、戦況全体を見渡せる位置を見つけた。
最初の位置はもう見えないが、代わりに隘路の出口近辺が良く見える位置だ。
「行って、あそこよ。クロワ達を連れて行ってあげて」
指先に嘴を当てて、鳥をクロワの下へ飛ばす。
下に降りろとは言ったものの、どこへ降りるべきかは現場では判断できないだろう。
「どうしたんですか? 敵の退路を断って、残った敵を挟み込んで殲滅する予定だったのでは?」
「そうしたかったんだけどね」
「あれは……」
リデルが指差した先に、隘路の出口があった。
この隘路には2つ出口があるが、仲間達が向かっているのは東の出口だ。
そしてそちらには仲間以外の集団が見えた、当然、敵だ。
「出口を塞がれてたのね。こっちが向かってない方の敵も合流に動いてるでしょうから、たぶん、見えてる分の倍はいるでしょうね」
ラタはリデルの策を読んでいたのだろう、模擬戦の時にはリデルがラタの動きを掴んだが、今回は逆のようだった。
だが策が破られたわけでは無い、事実、ラタに軍は2つ――隘路の出口を塞いでいるのを含めれば3つ――に分断されている。
「出口に1千、隘路に1千、外に1千。外の1千の動きがわからないから何とも言えないけど、出口の1千をとにかく突破しないと逆に挟み討たれるわ」
「隘路の外に出ると、平地になりますが」
「仕方ないわ。最初は道の狭さを利用して数の差を埋めるつもりだったけど……」
野戦、倍する敵を前にあまり採りたくは無い策だった。
しかし軍師の実力が1番出るのもまた平地での合戦だ、何しろ基本なのだ、それは。
「やるしか無いわ。幸い、敵の動きにはタイムラグがあるわ。これはラタの癖みたいなものね、自分の直属とそれ以外の動きを調整するのが苦手なのよ」
個人としては似ていますね、と言う言葉をアーサーは飲み込んだ。
何しろ両手が塞がっている、不用意なことを言えばただ叩かれるしか無かった。
そう思っていると、襟元をぐいぐいと引かれた。
「何ぼうっとしてんのよ、私達も行くのよ。ほら、隘路の出口! 皆と合流して、敵を各個撃破するわよ!」
「わかりました。しっかり捕まっていて下さい」
王になると宣言した青年と、軍師を目指す少女。
王と、軍師。
しかしどうも、2人の間柄が変わったのかどうなのか、そのあたりの判別は難しかった。
◆ ◆ ◆
ラタは深追いをしなかった、敵が平地に出るならばその方が好都合だったからだ。
と言って隘路に閉じ込められることも許容できず、出口へとひた走る敵軍の後輩を追い討った。
「魔術師がいる、気をつけろ」
他に注意すべきことがあるとすれば、そこだろう。
模擬戦の時には大人しくしていたが、リデルの傍には混血の魔術師がいる。
アーサーも魔術を使うが、こちらは戦局を左右するような巨大な力と言うわけでは無い。
しかしあの混血の魔術師が別だ、事実、先の落石もあの男の力によるものだった。
魔術師がひとりいるだけで、戦術は全く違うものになってくる。
ラタは魔術師を恐れない、しかし兵は違う。
ラタは直属の兵を率いて真っ先に隘路に飛び込んだから、周りの兵は最もラタの思想の影響を受けている兵だ。
それでも部隊の進みは遅々としている、敵の殿に例の混血の男がいるからだ。
「怯むな! 数で押せば何ほどのことでも無いでは無いか!」
数と言っても、分断された数である。
そんなことはラタにもわかっている、一方で、分断されていても数は数だった。
それに隘路を抜けなければ話が始まらない、何も出来ないのだ。
「ラタ様!」
その時だ、分断され隘路の外側に放置された部隊の兵がラタの下にやって来た。
どうやらラタが敵の混血の魔術師に足止めされている間に、岩を越えて来たらしい。
そしてその兵がもたらした知らせに、ラタは震撼した。
――――リデルは、隘路の出口付近で仲間達と合流した。
そこで殿のクロワ達を待ち、隘路の出口近辺にいる敵を突破して平地に出て、ラタに決戦を挑む腹積もりだった。
ところが、そこで予想外のことが起こった。
「敵が、いない?」
「はい」
先行して隘路の出口を偵察したシャノワが、出口に敵の姿が無いと報告してきたのだ。
何かの罠かとも思ったが、どうやらそうでも無いらしい。
「……撤退?」
再び、アーサーと共に――と言うより、運ばれて――山に上がった。
そしてそこから見えたもの、それは荒野の向こう側へと消えていくラタ軍の後ろ姿だった。
隘路の中に閉じ込めた部隊も、落とした岩をよじ登って外に出ているのだろう。
反転してこれを討とうと言うつもりは、リデルには無かった。
「何かあったんでしょうか?」
「さぁ……」
何かあったのだろうとは思う、それ程尋常では無い退き方だった。
ラタの性格を思えば、攻めはしても容易な転進はしないはずだ。
だがあの怒涛の撤退、味方の体勢もそこそこに撤退するとは穏やかでは無かった。
今のリデルには知りようも無い変事が発生したと、そう判断するには十分だった。
(ラタがあんなに急いで戻らなければならないような変事)
不思議と「勝った」と言う気持ちにはならなかった。
ラタとは短いが薄くない付き合いをしてきた、同じ人間の下で一時とは言え学んだ。
才で負けているとは思わない、だが、軍略において圧倒しているとも思っていない。
だから、勝った気にはならなかった。
ただ、助かったとは思った。
少なくともこれで、リデル達の受ける圧力は相当に軽くなったのだから。
だからリデルは、今はそれで良しとすることにした。
「……まぁ、今は気にしても仕方が無いわ。後で調べるなり、何とかしましょ」
それより、と、リデルはアーサーの襟を引いた。
それから南東の方角を指差して、促すように。
「帰りましょ」
「どこへ?」
「決まってるでしょ」
ふんっ、と鼻を鳴らして、リデルは言った。
「――――旧市街へ」
リデル達の、始まりの街へ。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
ふぅ、ようやく旧市街まで戻れそうです。
7章もこれで終わり、次は8章です。
さて、旧市街に戻って何をしましょうか。
ラタが撤退した理由についても、また描かなければなりません。
まだまだ続きますが、どうぞ宜しくお願い致します。




