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7-7:「王と軍師」

 ――――この人はママじゃ無い。

 そう思った時、少女の胸には確かにうずくような痛みが生まれた。

 それだけ、その女性が占める位置が大きかったと言うことだろう。



(思えば、おかしかったもの)



 ファルグリンはリデルに会った時、こう言った。



『きっと私は、そのために貴女と出会ったのだから』



 まるで初めて出会ったかのように、そう言ったのだ。

 そうだ、良く考えればおかしなことばかりでは無いか。

 ファルグリンは自分が「頭のおかしい女」に攫われたと言っていたが、聖都においてそんな話は聞いたことが無い。



 <東の軍師>の、父の話は、いくらでも出てくるのに。

 一国の軍師の娘を攫える程近くにいたと言うのならば、少しはそう言う話が出てきても良さそうなものだ。

 だが、無い。

 始めはファルグリンが痕跡を消したのかと思ったが、今にして思えば……。



(そんな女は、最初か(・ ・ ・)らいな(・ ・ ・)かった(・ ・ ・)



 いや、むしろ逆だ。

 自分にフィリア人の血が流れていない以上、純血のソフィア人だ。

 そして父はソフィア人の公子、ならば母親は当然。



「私のママは、ソフィアじ」



 言葉は、止められた。

 両肩を掴まれていた、あまりに強い力で掴まれたので、肩を窄めているような状態になった。

 そして目の前に、女の顔があった。

 言うまでも無くファルグリンの顔だ、だが一瞬、それがファルグリンの顔だと認識できなかった。



「いいえ、貴女の母は私よ」



 声、威厳に満ちていた声はしわがれていた、聞くだけで背筋に冷たい怖気が走った。

 目、自信に彩られていた瞳には力が無い、まるで何も写していないかのようだ。

 顔、優しい微笑みはもう無い、虚無を表現したかのような真顔がそこにあった。



「だってそうじゃない。私は全てを捧げてあの人に、そしてあの人の娘である貴女に尽くしているのに」



 恐ろしい、それは何よりも恐ろしい何かのように思えた。

 『施設』で見たドクターの豹変にも似た、しかし異なる何かがそこにあった。

 ドクターの狂的な変貌とは違う、それよりももっとドス黒く、ドロドロとした何かだ。



「それなのに私以外の誰を母と呼ぶの? 誰をあの人の伴侶はんりょと呼ぶの?」



 ドクターのそれを川の氾濫とするなら、ファルグリンのこれは川底の汚泥だ。

 汚泥の底には、何があるのかわからない。



「まさか」



 動けなかった。

 女性の手とは思えない程の力で掴まれていて、少しくらい身じろぎした程度ではビクともしなかった。

 そしてそれ以上に、危うい光が見え隠れするファルグリンの目に見入られていえて、動けなかった。



「まさか、貴女もあの女(・ ・ ・)を選ぶと言うの?」

「あ、あの女……?」

「あんな、あんな汚らわしい(・ ・ ・ ・ ・)ソフィア(・ ・ ・ ・)人の女を(・ ・ ・ ・)?」



 汚らわしいソフィア人の女。

 そう聞いた瞬間、リデルはある恐ろしい考えが脳裏に浮かぶのを止められなかった。

 震える唇が、その考えを現実に響かせる。



「アンタ……アンタまさか、私のママを」

「違うわ、あんな女は最初からいなかったの。最初からあの人には相応しくなかった。だって、だって、そうじゃない。だって」



 娘を攫って逃げ出したのでは無い。



「アンタ! 私のママを――――!」



 娘を守って(・ ・ ・)、逃げ出したのだ。

 銃後の母をそうさせたのは何が、安全な聖都から娘共々追い出したのは誰だ。

 記憶など無いのに、フラッシュバックのように脳裏に映像が浮かんだ。

 自分を抱いて、必死に荒野を走る誰かを。



「フィリア人を! 私を! 私を絶望から救ってくれたあの人が! ソフィア人なんかを選ぶわけが無いじゃないッッ!!」



 真顔のまま、ファルグリンは叫んだ。



「だってあの女に何が出来た? 糧食を整えられた? 情報を集められた? 兵を揃えられた? 連合を創られた? 出来るわけが無い! あの女は何もしなかった、全て私がしてあげたのに!」



 いや、それはもはや喚きに等しかった。



「あの人こそがこの世の王に相応しいと、そう思って! そう思って全てを捧げたのに。あんなソフィア人の女があの人を誑かして……!」

「そんな、そんなことのために」

「そんなこと!? いいえ、たとえあの人の娘でも……あの人の娘だからこそ、貴女にそんなことは言わせない。貴女は私が、私の手でこの世の王になる、ならなければならないのよ。あの人の意思を継いで」

「私は!」



 喘ぐように身をじたばたさせながら、リデルは叫んだ。



「私は王様になりたいんじゃない!」



 きっと、父もそうだった。



「私は、私とパパは――――軍師に、なりたかったのよっ!!」



 全ての者を導く王様では無く、王様ひとびとを支える。

 そんな人間に、なりたかったのだ。

 きっと、そうなのだ。



  ◆  ◆  ◆



 軍師とは戦争に勝てば良いのだと、そう思っていた。

 敵を制し、戦を制せば全てを制することが出来る。

 どんな手を使ってでも最終的に勝てば良いのだと、そう思っていた。



 だが違った、戦に勝った所で味方が死ぬことに変わりは無いからだ。

 戦わずして勝つ、つまり戦をしない軍師こそが理想とされる理由を初めて知った。

 それは島の中にいては、けして掴めなかったことだった。

 そしてリデルは、聖都で父の遺した本を読んだ。



「戦に勝つためには、兵法や軍学で十分よ。この間の模擬戦が良い例じゃない、兵法だけなら私は誰にも負けない!」



 子供の頃から、絵本の代わりに兵学書を読んできた。

 だから紙の上のことなら誰にも負けない、そんな自信がある。

 だけど、兵は紙の上にいるわけでは無い。

 先の模擬戦、旧市街や『施設』の人々と共にで無ければ、勝つことなど出来なかっただろう。



「一緒に戦いたいから、戦うんでしょう! そう言う人達を勝たせるために、軍師わたしたちがいるんじゃ無いの!?」



 皆のために軍師がいる。

 軍師のために、皆がいるわけじゃない。

 だから父は<東の王>では無く、あえて<東の軍師>を名乗ったのでは無かったか。



「違うわ」



 戦を制そうと敵を制そうと、最終的に勝たなければ意味が無い。

 勝者こそがこの世で唯一、意味のあるものなのだ。

 そうでなければ、ファルグリンがこれまで築いてきたものが意味が無くなる。



「見なさい、私が貴女達のために築いてきたものを!」



 煌びやかな都、数十万の兵馬、1億と称される人口、厳しいが不毛では無い広大な土地。

 各地で殖産する産業、各地を流通してやまない物資、豊かでは無いが飢えはしない生活。

 歴史、文化、芸術に音楽、人々とそれを含んだ膨大な資源。

 全て、ファルグリンがこの10年で築き上げてきたものだ。



「見なさい! フィリア人が差別されることの無い理想郷を!」



 フィリア人には自由がある、「豊かになる」こと以外の自由が。

 何を言っても良い、何を望んでも良い、他人の自由を侵さない限り。

 飢えは無い、ソフィア人の気まぐれで虐げられることも無い。

 フィリア人にとって、聖都と連合は完全な安全圏だった。



「虐げる人種と虐げられる人種が変わっただけじゃない」



 ソフィア人とフィリア人の関係が、逆転しただけ。

 それにフィリア人の間も平等とは言えない、何故ならば。



「アンタは連合と言う国を作るために宗教を使ったわ。皆の心の中にあるだけだった聖女フィリアへの信仰心を、聖樹教なんてもので具体化したわ」



 ソフィア人は恐怖でフィリア人を押さえつけていた、そしてそれは効果的な支配の方法の1つだ。

 だがフィリア人の国を作るには恐怖ではダメで、しかもそれは畏れを抱くソフィア人への反発以外の何か、より生産的なものでなければならなかった。

 それが宗教、それが聖樹教、それが古の聖女フィリアだったのだ。



「つまりアンタは、宗教家と平民と言う新しい階層を生み出したのよ」



 差別をさせないために、新たな階級差を生み出す。

 それはまた、どうしようも無いことだったのかもしれない。

 信仰と言う、誰もが心の中に抱くものを国の支柱に据えてしまった以上は。



「私は嫌よ、そんなごまかしみたいな方法で皆を騙したりしないわ。私はもっと、皆と――――皆と一緒に戦って、そして皆と一緒に勝ちたい。私1人が得をするためにやるような、そんな戦争に、絶対に協力したりなんかしない!」



 1人だけのための戦い、リデルはファルグリンの戦争をそう評した。

 ファルグリンが進める戦争は、どこまでもリデルを王にするためのもの。

 それは、リデルの望む「軍師」の姿とはけして重なることが無かった。

 そして今、ようやくわかった。



「だから、きっとパパは――――」



 きっと、父も。

 そんなファルグリンの戦を憂いたからこそ、聖都を去ったのだろうと。



  ◆  ◆  ◆



 ファルグリンの手から力が抜けて、リデルは彼女から離れることが出来た。

 あまりにも不意に行われたので、よろめくようにして離れた。

 掴まれていた二の腕を擦りながら、俯いて顔の見えなくなったファルグリンを見る。



「……あのひとが……」



 全ての感情が抜け落ちたかのような、そんな声だった。

 先程まで感じていた異常な圧力も無い、波打つ髪もどこかしおれて見える。



「……あのひとが、わたしを……」



 生気が抜けていた、生きていくための活力が失われていた。

 それ程の状態に、ファルグリンは陥っていた。



「あのひとがわたしを、すてたというの……?」



 捨てたと言う言葉は、はたしてどこまで正しいのだろうか。

 父は捨てたと言う意識があったのだろうか、今となってはわからない。

 だけど、娘の目線は入るにしても、だけど父がそう考えたとは思わなかった。

 父はきっと、ファルグリンを捨てたなどと思っていなかったはずだ。



 そうで無ければ、聖都に戻らずに島に隠棲した理由がわからない。

 いかにファルグリンが狂的な優秀さを持っていて、また思想が異なっていたとしても、父がファルグリンを抑えられなかったはずが無い。

 だからきっと、父は聖都をアレクフィナに任せても大丈夫だと思ったのだ。

 今なら、そうだったのでは無いかと思える。



「パパは」



 パパはきっと、アンタに自分以外を見て欲しかったのよ。

 その言葉はしかし、現実の音として現れることが無かった。



「……あなたも」



 近付いてはならない。

 本能がそう叫ぶのを感じた、踏み出しかけた一歩が止まる。

 それは久方ぶりに感じる気配で、肩の上のリスの毛並みが膨れ上がった。

 島を出てからは、初めて感じた。



「あなたも、わたしをすてるの……?」



 前髪の間から、鈍い光を発する瞳が見えた。

 目が合ったその瞬間、リデルは言いようも無い悪寒が背筋を走り抜けるのを感じた。

 離れよう、今すぐに。

 ゆっくりと伸ばされてきたファルグリンの手、それから逃れるように、大きく後ろに跳んだ。

 自分はこんなに跳躍できたのかと驚く程に、跳んだ。



 怖い。

 そう、リデルは今、ファルグリンに恐怖を感じていた。

 だから彼女はこれだけでは足りないと思った、跳んで逃げるだけではダメだと。

 だから叫んだ、求めたのだ。



「――――ッ!」



 助けを、求めたのだ。

 そしてそれは叶えられる、ファルグリンの部屋の窓ガラスが全損すると言う形で。



  ◆  ◆  ◆



 気が付いた時、リデルはアーサーの腕の中にいた。



「大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫よ」



 夜風の冷たさに意識がはっきりとして来た、すっかり見慣れた聖都の夜道だ。

 厳密に言うと建物の上を駆けている、アーサーの魔術の赤い輝きが足跡のように後ろへと流れていく。



「皆は?」

「日が暮れると同時に移動を始めています」

「そう、全員じゃ、無いわよね?」

「そうですね。『施設』組の一部はこのまま聖都に留まるそうです。どうやらすでに聖樹教に入信している人もいるそうで」



 ファルグリンの寝室の窓を割ったのはアーサーだ。

 外に待機していた彼は、リデルの合図で室内に飛び込んだのだ。

 彼はそのままリデルを攫い――やや語弊ごへいがあるが――ファルグリンには一瞥もくれずに、夜の聖都へと跳んだのである。



 そしてリデルは、この時点で聖都を離れる決心をしていた。

 先程の会話はいわば決裂の宣言のようなもので、このまま聖都に居続けることは危険でしか無い。

 とは言え聖都に流れ着いてはや1ヶ月余り、リデルと共に聖都へやって来た者達全員を引き連れてどこかへ移動することは出来なかった。

 この連合と言う国を、己の居場所にすると決めた者達がいるからだ。



(1000か、1500って所かしらね)



 それくらいが、ちょうど良いのかもしれない。

 自分と一緒に行ってくれる人間がそれくらいはいる、そう言うことだ。

 世の中では、そう言う人間のことを馬鹿と呼ぶらしい。

 島の外には意外と馬鹿が多い、リデルはまた1つ学んだのだった。



「道はわかってるわよね?」

「ええ、リデルさん達が1ヶ月も周辺を駆け回っていたおかげで、カリスさんが地図を作ってくれましたから」

「地図を作らせたらピカイチだからね」



 リデルとて、別に無駄に1ヶ月を山登りをしてきたわけでは無い。

 まして1000人が1000人共に体力に自信があるわけでも無い、向き不向きを見抜いて役割を分担するのも軍師の仕事だ。



『じゃあカリス、アンタ、聖都の地図とか描いてよ』

『え? ぼ、僕1人で、ですか?』

『いや、だってアンタ以外に地図描ける人いないじゃない』

『え、でも流石に1人は……』

『ついでに周りの地理とかも調べて頂戴』

『え?』

『え?』

『……え?』

『うん?』

『……あ、はい。頑張ります……』

『うん!』



 何だろうその流れ、と、アーサーは話を聞いて思った。

 しかしそのカリスの地図と地道な調査のおかげで周辺の地理を把握できているのだから、彼の頑張りも無駄では無かったと言える。

 まぁ、啜り泣きも混ざっているのかもしれないわ。



「とにかく、こうなったら急ぐしか無いわね!」

「了解です。舌を噛まないようにして下さい」



 ぐっ、とリデルの身体を持つ手の力を強くして、アーサーは寝静まった聖都の街を跳んだ。

 リデルは彼の衣服を掴みながら、彼が駆けた聖都の道を振り返った。

 彼女の母を名乗っていた女の姿は、もう、夜の闇に消えて見えなくなってしまっていた。



  ◆  ◆  ◆



 聖都郊外で追いついた時、そこには聖都から離れる集団が2000人近くいた。

 リデルの見立てよりさらに数百人程、馬鹿が多かったと言うことだ。



「皆ゴメン! また逃げなくちゃならなくなったわ!」



 アーサーの腕の中から降りながら、旅装を整え歩いていた仲間達に声をかける。

 すると群れの中から「いつものことだろぉ」とからかい混じりの声が聞こえて、リデルは苦笑した。

 全く、確かに「いつものこと」だ。



「でも今回はちょっと違うわよ。何たって今回は……帰るんだから!」



 向かう先は南西、聖都とは違うもう1つのフィリア人の故郷だ。



「旧市街へ、帰るのよ!」



 クルジュへ、そして旧市街へ。

 マリア達が待つ、始まりの街へ。

 リデルを救うために街を離れた200人の仲間にとっては、特に胸に響くものがあっただろう。



「でもその前に! 助けておかないといけない人達がいるわ」



 この言葉に反応したのはブランとスコーランだったろう、その視線を感じながら、リデルは言った。



「非武装の1000人は、200人ずつのグループに分かれて移動を開始して頂戴。編成はキャンプを出る時に決めてあるわよね? それぞれ北西、西、南西、南南西、南の方角に別れて進発!」



 小グループに分けて、巡礼者を装って移動する。

 リスクを減らすと同時に、移動速度を上げるための方策だった。

 おそらく、連合の追っ手があるとしても彼らには行かないだろう。

 何しろ、より派手なことを別でやるのだから。



「武装の1000人はこのまま西進! 夜明けまでに、この先にある収容所を攻撃するわ!」



 収容所の襲撃、それは聖都の目を釘付けにするだろう。

 そこは政治犯罪者――連合の政策に反対するフィリア人や、外から来たソフィア人――を収容する牢獄がある、聖都に近いそこには兵も詰めていた。

 だが連合の中心で攻撃など予想もしていないだろう、戦う集団で無い兵など烏合の衆でしか無い。

 そして全ては、夜陰やいんに乗じての作戦決行となる。



「時間が無いわ、急いで!」



 背後のファルグリンの行動は、もはや読めない。

 そうである以上、速さが何よりも重視されるはずだった。



「……ふぅ」



 とりあえずの指示を出し終えた後、溜息を吐いた。

 頭をがしがしと掻く、それから髪が痛むからやめた方が良いとシャノワに言われたことを思い出して、代わりに爪を噛むことにした。

 が、それも良くないと仲間の誰かに指摘されたことを思い出して、やはりやめる。



 記憶力が良いのと妙な所で素直なので、そうなるのだった。

 そう言う意味ではアーサーはあまりそう言うことを注意はしてこない、そもそも彼は注意と言うのをあまりしない人間だった。

 案外、子育てには向かないのかもしれない。



「どうしました?」



 それでも、リデルの様子が違うことには誰よりも早く気付いた。

 注意はしないが見ていないわけでは無く、むしろ1番良くリデルを見ているのは彼だった。

 島を出てからの変わりようを、1番良く知っているからかもしれない。

 そして実際、リデルは落ち込みもしていたし、何より不安にも思っていた。

 例えば……。



「ねぇ、アーサー。アンタさ」

「はい?」

「……結婚、しなくて良かったの?」



  ◆  ◆  ◆



「まぁ、それは冗談なんだけど」

「ああ、良かったです」



 割と本気で答えに窮していたアーサーは、この時心の底からほっとしていた。

 幸か不幸か、リデルがそれを察することは無かった。

 代わりに、彼女はあることを聞いた。



「ねぇ、アーサー」

「はい、何でしょう」

「……私って、王様に向いてると思う?」



 ふむ、とアーサーは一旦考えた。

 このリデルの問いはいつもと同じようでいて、少し違うようでもある。

 荒野の山越えの用意をしながら、考えた。



 リデルが、王に向いているかどうか。

 確かに彼女には決断力がある、戦を視る眼があり、そして必要であれば政を学ぶ姿勢もある。

 独断的なようでいて、他人の言を聞く耳もある、そしてその根本は周囲の人間への思いやりだ。

 周りの人間を守るために何かを考えることが出来る、リデルはそう言う人間だった。



「そうですね。どちらかと言えば、向いていないんじゃないでしょうか」



 だがあえて、アーサーはそんな言い方をした。



「どうしてそう思うの?」

「だってリデルさんが1番になってしまったら、誰の手にも負えないじゃないですか」

「……は?」

「だから、王には僕がなります」



 一瞬、剣呑になりかけた空気が変わる。

 リデルは目を丸くしてアーサーを見つめた、彼は笑顔を見せた。

 そして歩き出した彼の背を、少し慌てるようにして追いかける。



「もう知っているでしょうが。子供の頃に、ただの子供だった僕は王子になりました」



 アーサーが自分のことを話そうとしている、リデルはそう察した。

 だから彼女は何も言わず、まずは聞くことにした。



「僕は両親が好きでした。貧しくはありましたが、温かで優しい両親のことを愛していました」



 ある日、戦争が始まった。

 20年に始まったの東部叛乱の影響がついに南部にまで及び、独立戦争が勃発したのだ。

 アーサーが子供の頃の話で、リデルは生まれるか生まれていないか、微妙な頃だった。

 そしてその中で、戦争を指導していた人々が家を訪ねて来たのだ。



『王家の末裔として、どうか民を導いて欲しい』



 即位は善意で行われたものでは無かった。

 人々は独立の旗頭が欲しかっただけで、両親は名ばかりの国王だった。

 学のがの字も無い両親に政治など出来るわけが無い、だが両親は国王の地位に溺れた。

 贅沢と言う、それまでの人生で味わえなかった世界に溺れたのだ。



 豪華な料理を食べ残せると言う贅沢、豪奢な衣装や高価な宝石をとっかえひっかえ出来ると言う贅沢、美男美女を思いのままに出来ると言う贅沢、自分達の行動を咎める者がいないと言う贅沢、働かなくとも民が税と言う形でお金を献上すると言う贅沢。

 ありとあらゆる欲望を充足させてくれる、そんな生活に両親は変貌した。



「醜かった……。何より、優しかった両親が贅沢に慣れ、日に日に傲慢になっていく姿を見るのが辛かった」

「ああ、だから」



 だからアーサーは、王を名乗らなかったのか。

 亡命政府の首班を名乗るわけでも無く、レジスタンスの一員と言う地位に甘んじていたのも、そう言う事情があったのか。

 リデルはようやく、理解と納得を得ることが出来た。



「だから僕は、王になんてなりたく無かった。王になることで自分が変わってしまうのが、怖かったんです」



 同時に、胸が痛んだ。

 自分はそんなことも知らずに、アーサーを王にすると息巻いていたのだ。

 こんなに恥ずかしい、そして悔しいことは無かった。



「……でも」



 唇を噛んで俯くリデルの頭を2度叩いて、アーサーはそれでも笑顔を浮かべていた。



「でも、今は王になるのも悪く無いかな、と思っています」

「……どうして?」

「リデルさんのおかげですよ」

「私の?」

「ええ」



 首を傾げると、こんな言葉が降りて来た。



「自分の欲望のためでは無く。一緒に戦ってくれる、共に生きてくれる人達のために何が出来るのか。そう考えると、不思議と王になるのも悪く無い。そう思えるんです」



 王とは、誰にでもなれるものでは無い。

 王だと名乗っただけで人はついてこない、そこには人々に王位を納得させる何かが必要なのだ。

 だからこそアーサーの両親は「王家の末裔」と言う肩書きを利用されたのだ。

 そして今、アーサーにとってもそれは活きる、「亡国の王子」「王の血」がそれだ。



 他人に比べて王になりやすい、それは自覚していたのだ。

 自覚していて避けていた、嫌だった。

 でもそれは、どこまでも自分の心を守るだけの行為だった。

 <東の軍師>を求めたのも、そう言う心理だったのかもしれない。

 そして今にして思えば、マリア達は自分にそうしたことを求めず、ただ見守ってくれていた。



「ねぇ、リデルさん」



 アーサーは、リデルに尋ねた。

 いつもと逆だ、荒れた山の土肌を踏みながら、2人の視線が絡んだ。

 月夜だけが、2人を見ている。




「――――僕の軍師に、なってくれますか?」




 リデルが悩んでいたのを、知っている。

 どんなに頑張って策を練ろうとも味方に犠牲が出る、そのことに悩んでいたのを知っている。

 知っていてアーサーは何もしなかった、甘えていたのだ。

 けれど、今日からは違う。



「ばっ……~~ッ」



 言葉に出来ない。

 顔は熱く、そして赤く。

 眉を寄せて、立てて、そしてまた寄せて、唇を戦慄わななかせて。

 そして。



「――――おそいっ!!」

「はは、すみません」



 何が「おそい」で、何が「すみません」なのか。

 他の誰にも、きっと、わからなかっただろう。



  ◆  ◆  ◆



 聖都から数キロ離れた山間部に、それはあった。

 山を削り窪地にし、岩壁をくり貫いて中の空間を活用しているようだ。

 岩肌にはいくつもの小さな穴があり、鉄格子が嵌め込まれているのが見えた。

 窪地への唯一の隘路あいろは厚い岩の門に塞がれていて、まさに堅牢な牢獄と言える。



「うん? 何だ、お前は?」



 夜明け前、そろそろ宿直が終わるかと門番の兵達が気を緩めていた時――と言うか、脱獄も襲撃も無いので仕事は形だけだ――その門の前に、1人の青年が現れた。

 隊長を含む十数人が一応の警戒を見せるが、緊張しているようには見えない。

 どちらかと言えば、こんな辺鄙な場所に来るような変わり者の姿を見ようと出てきたように見えた。



「おい止まれ、道に迷ったんなら引き返すんだな」

「いや、私の目的地はここで合っているよ」

「ああ?」



 隊長の言葉に、青年はそう応じた。

 彼は門へと歩きながら、そっと背中へと手を回した。

 だがその背中には何かがあるようには思えず、兵達は首を傾げた。



「お、おい……」



 青年の行動の意図がわからず、戸惑ったように声をかける隊長。

 今の所強硬手段に出る様子は無いが、武器を手に、何かあれば取り押さえるつもりのようだ。

 しかし青年は止まらず、むしろ悠然とした足取りで巨大な門の前まで歩いた。

 何のつもりかと兵達が本気で測りかねていた、その直後。



 青年が両腕を振り下ろし、門が袈裟懸けに斬り砕かれた。



 何が起こったのか、飛び散る岩の破片を浴びながら兵達は混乱した。

 彼らのために説明するのなら、彼の名はクロワと言う。

 彼が振り下ろしたのは目に見えぬ水晶の大剣であり、魔術を伴ったそれは薄く赤い軌跡を空間に描いていた。



「て、てて、てて、て……敵だあああああぁぁぁっ!!??」

「まぁ、そうだな」



 突然の事態に腰を抜かした隊長の言葉に、クロワは素直に頷いた。



「さぁ、救出作戦と行こうか」



 まるでピクニックにでも行くかのような気軽さで、そう言った。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

7章もいよいよ佳境と言うことで、予定では次で終わる予定です。

そろそろ8章の準備をしなければ。

それでは、また次回。

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