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7-5:「リデルとラタ」

 準備のために当てられた1ヶ月は早々と過ぎ、ついに模擬戦の日と定められた当日がやってきた。

 いつものように聖都郊外、いつものように晴れた荒野には、一千余の人々が集まっていた。

 残りの一千の姿は、未だ見えない。



「――――遅い!」



 ラタの苛立ちは極限に達しようとしていた。

 彼女と兵達はすでに1時間前には集合していた、ラタ自身はもちろん、他の兵達にも緩みや苛立ちが容易に見て取れるようになっていた。

 良く見れば、彼女はこれから戦――模擬戦だが――に挑むにしては、少し華美な衣装に身を包んでいた。



 連合には統一された軍装と言うものは存在せず、軍服の上に白銀の鎧を着けるのが慣例となっているだけだ。

 聖都の軍服は濃い赤茶色の詰襟型の物で、今はラタだけは鎧を身に着けていなかった。

 と言うのも、今の彼女は軍装では無く軍礼装を身に着けていたからだ。

 要するに戦場に出る格好では無く、式典などに参列する際に着る服装だったのである。



「あの小娘、いつまで待たせるつもりだ。私だけならまだしも、シュトリア卿もおられると言うのに」



 荒野で行軍していたにしては艶のある黒髪に、これもまた荒野には似つかわしく無い銀細工の髪飾りなどを身に着けている。

 顔にも、どうやら薄く化粧を施している様子だった。

 軍服の生地は厚い上に通気性が悪いが、代わりに胸元に銀製の勲章が下げられていた。



「まして、教皇聖下ご臨席の模擬戦など滅多に無い」



 ちらりと見上げた先には、小高い丘がある。

 以前ファルグリンがリデルを連れてラタの調練を見学していた丘だ、そこには今、ある集団が見学に来ていた。

 この模擬戦をセッティングしたファルグリンとその幕僚団、そして連合の元首である教皇がいる。



 教皇は絹の敷物の上に置かれた椅子に座っており、強い日差しを遮るために簡易の覆いがかけられている。

 白い石を削って作られた椅子には翡翠の石がいくつも嵌め込まれており、荒野と言う状況にはまるで合っていなかった。

 特徴的なのは、国家元首であるはずの傍に誰もついていないことだ。



「シュトリア卿。時間はもう過ぎていますが……」

「この後の予定もありますし、そろそろ……」

「そもそも、ラタ殿の相手を務めるのは誰なのですか?」



 集団のほとんどは、教皇から少し離れた位置に立つファルグリンの傍にいたからだ。

 彼らは皆、ラタと同じかそれ以上に華美な軍礼装に身を包んでいる。

 勲章の数も多く派手で、どうやら連合の高級将校であるらしかった。

 彼らはファルグリンの幕僚団で、つまりは部下にあたる。

 当のファルグリンは彼らの不満だか進言だかわからない言葉に一切、耳を貸していない様子だったが。



 しかしそうは言っても、彼らは全て聖樹教の教皇を元首と仰ぐ兵の1人に過ぎないはずだ。

 それが教皇の傍にはおらず、軍権を握るファルグリンの傍にいると言うのは、何とも言えない事実を示していた。

 ――いや、1人だけいた。

 それは教皇の隣に席を用意された青年であり、連合の民では無い男だ。



(……なるほど)



 アーサーだった。

 彼はフィリアリーンの王子と言う肩書きでここにいる、教皇の招待と言う形でだ。



(教皇は傀儡。ここまであけすけにするといっそわかりやすいですね)



 教皇の隣に用意された椅子に座りながら、アーサーは教皇を見た。

 何の表情も無い。

 いつものお茶会の時のような柔和さもそこには無く、一切の感情と表情を殺していた。

 ただそこに座っている、美しい人形のように。



「……。……」



 何か声をかけようかと迷って、しかしやめた。

 教皇の物言わぬ横顔を見ていると、何かを言うのが躊躇われたのだ。

 彼女・ ・は今、ここには(・ ・ ・ ・)いない(・ ・ ・)



「――――来たぞ!」



 その時だった、誰かが声を上げた。

 見れば、荒野の山岳地帯からこちらへと駆けてくる集団が見えた。

 リデルだ、間違いない。



(あっちはあっちで、どこで何をしているのかと思えば)



 別れ際にリデル自身から模擬戦の話は聞いていたものの、クロワ達とも連絡が取れずにいたのだ。

 教皇から稀に話を聞くだけでは、細かな状況はまったくわからなかったのだ。

 1ヶ月の間に2回だけ、リデルの鳥が来て無事がわかるくらいだ。

 ちなみに、ファルグリンはそうした情報を一切、アーサーに伝えてきていない。



(これはリデルさんの言っていた通り、飼い殺しにする気満々、と言うことでしょうね)



 余計なことは知らなくて良いと、そう言うことか。

 ならばそう思っているが良い、と、アーサーは思う。

 そうやって侮られている間は、いくらでもやりようはあるものだ。



  ◆  ◆  ◆



「待っていましたよ、リデル。それにしても……」



 教皇達のいる丘の上まで行くと、ファルグリンが両手を広げて出迎えてくれた。

 太陽のせいか知らないが、やけに輝く笑顔で、だ。

 どうやらかなり期待ワクワクさせているらしい、そう感じた。



「それにしても、随分と野生的ワイルドな格好ですね?」

「あー、山登りしてたからね。シャワー浴びる時間とかも無かったし」



 指摘されて始めて、リデルは自分の格好に気が付いた。

 金髪の輝きこそくすんでいないが、頬や手等、肌には土がこびり付いている。

 衣服など、所々に痛みや破れがあった。

 少なくとも、年頃の少女らしい格好とは言えなかった。



 そしてそれは、リデルだけでは無い。

 ラタの兵士達が新品の鎧に身を包んでいるのとは対照的に、リデルと一緒に駆けて来た一千は皆、泥や土に塗れたボロボロの姿だった。

 クロワやシャノワら、旧市街から数百キロを踏破してきた者も例外では無い。



「さて、リデル。改めての説明は必要ですか?」

「前の説明から付け加えることが無いなら、必要ないわ」

「よろしい。では下に戻り、開始の合図を待つように」



 ファルグリンとの会話の最中、リデルは不意に視線を感じた。

 それはファルグリンの陰からこちらの様子を窺う幕僚団――「あれが、ラタ殿の相手か?」「いや待て、あれは確か先日、シュトリア卿が」「何、ではあれが<東の――」等々――の視線はどうでも良かった。

 そちらを見れば、まずアーサーがいた。



(……あれはちょっぴり、怒ってる、かもね?)



 何となくそう思った、でも鳥を飛ばして連絡はしていたはずなのだが。

 正直な所わからないが、あの笑顔は危ない。

 視線を合わせない方が良いと判断して、リデルはアーサーから目を離した。

 何だかますます良い笑顔になった気がするが、それは後で考えることにした。



 それに、感じていた視線はアーサーの物では無いのだ。

 感じた視線はアーサーの隣、教皇と呼ばれる少女から注がれていた。

 ファルグリンに適当に応答して丘を降りる時、2人の視線は交錯した。



「何かしら、ね」



 人形みたいな少女だと、1ヶ月前に見かけた時には思ったものだ。

 今も感情を殺したような無表情のままだが、目だけはリデルを見ている。

 まとわりつくような、切ないような、嫌では無いが背中を撫でられるかのような視線。

 それが何なのか、教皇の姿が視界から切れるまでわからなかった。



 そして丘から降りた瞬間、別の視線がリデルを貫いた。

 こちらはわかりやすい、ラタの放つ視線だったからだ。

 遅れたことに苛立っているのだろうか、かなりキツい目つきで睨んできていた。

 これは対処しやすい、リデルはクロワ達が待っている所までゆっくりと歩きながら、ひょいと片手を上げて見せた。



「~~~~っ!」



 どうやらその仕草が癪に障ったらしい、ラタは怒りで顔を紅潮させていた。

 それにしても、やけに気合の入った格好だなと思った。



「整列だ! モタモタするんじゃない!!」



 憤然とした様子でラタが兵達に指示を出す、長く待たされていた兵達の列はすでに乱れに乱れていたからだ。

 ラタの怒声に近い指示に驚き、慌てて兵達が整列する。



「急げ! 整列だ!」

「遅れるなよ、遅いと罰則だぞ!」

「急げ急げ……って、おい! そこのお前! 何ぼんやりしてんだ!」



 兵達はすでに7ヶ月の訓練を受けている、流石にキビキビとした動きだった。

 駆け足で集まってきて、たちまち規則正しく並んでいく。



「ん? お前どこの班だ? 見た覚えの無い顔だな」

「んあ? ああ、俺ぁ元々別の班だよ。ただ今日入るはずだった奴が病欠でな、補充だよ補充。これ辞令な」

「ふーん。まぁ、ラタ様の配下は他に何千人もいるしな。徴兵だっていろんな地方出身の奴の方が多いから……」



 叱責が飛ぶ、列の中での私語は慎めとのことだった。

 喋っていた者達が首元を竦めて、さらに低く声を落とした。



「おー、怖ぇ怖ぇ。すまねぇな、まぁ、勝てば褒美を貰えるってぇから。頑張ろうぜ」

「へへ、お前もな」

「おう。……ところで、お前名前なんてんだ?」

「俺か? 俺はな……」



 ラタが兵達に向けて声を上げている。

 なかなかに気合が入っているようで、ほとんどの兵達はそれを黙って聞いていた。

 慣れたもので、檄の聞き方と言うものを心得ている様子だった。



「俺はアレクセイ。短い間だが、よろしく頼むぜ」



 そして、リデルとラタによる模擬戦が始まった。



  ◆  ◆  ◆



 この1ヶ月でリデル達が何をしていたかと言えば、山登りの一言で終わる。

 登って降りて登って降りて、掘って積んで削って運んで、谷を越え川を越えて――だ。

 それを1ヶ月間、ひたすらに続けていた。



「さぁ、皆! ――――逃げるわよ!」

「「「おおおおぉ――――!」」」



 ファルグリンの開始の合図があると同時、リデルは一千人の仲間達に後退を号令した。

 1度もぶつかることなく、いやそもそもぶつかる素振りさえ見せずに、退いたのだ。

 よほど驚いたのだろう、ラタ軍はすぐには動けなかった。



「とりあえず、虚は突けたと言う所かな?」

「そうね。剣が900に弓が100、矢の数は1人20本。条件は同じよ」

「ならば主導権を握った方が勝つと?」

「主導権ってのは、何も攻めるだけで手に入るわけでは無いわ」



 駆けながら、クロワが話しかけてきた。

 後ろの様子を窺いながら、リデルはそれに頷きを返した。

 ちなみにクロワは例の大剣を使っているが、他の面々は連合支給品の刃を潰した銅製の剣と弓矢を使っている。



「1つ、聞いても良いだろうか」

「何よ。見ての通り忙しいんだけど」

「それは私も同じことだ」



 ああ、とリデルは何かを思い出したように。



「アンタ、今回はあんまり前に出ないでね」

「ほう」

「アンタが出たら勝っちゃうでしょ。それじゃあ意味が無いのよ」

「高い評価で嬉しい限りだが……それでは、意味のある勝ち方とは何かな?」



 微笑みながら首を傾げて、クロワは言った。

 言葉の通り、リデルは意味のある勝ち方をしようとしている。

 その勝ち方は、例えばクロワのような突出した戦力によってもたらされるべきものでは無かった。



「この勝負、どうして受けたんだ?」



 勝負を受ける必要があったのか、と問われれば、無かったと答えるだろう。

 リデルとしてはわざわざこんなことをする必要は無かった。



「やってみたいって、思ったからよ」

「ほう」

「この皆でやってみたいって思ったから、やるのよ」



 後付で良いなら、理由ではいくらでもつけられる。

 軍を育てるため、軍略を実践するため、飼い殺しの状況を脱するため。

 あるいは、母親・ ・に良い格好を見せたかったのか。



 だがそれは、例えばファルグリンが用意する配下では意味が無いのだ。

 リデルはクロワと、クロワ達とやりたいと思ったのだ。

 そして、アーサーとも。

 今まで負けて流れて逃げてきた彼らと、やりたいと思った。

 それが、1番の理由だった。



「何よ、悪い?」

「いいや」



 むしろ笑って、クロワは言った。



「悪くない、そう思うとも」

「ふんっ」



 その時、羽ばたきと共にリデルの鳥が彼女の肩に止まった。

 リスは服の中にいて、その温もりを感じることが出来る。

 蛇は身体が大きくなってからこっち、傍にいるのが難しくなってきていた。

 ほぼ同時に、音も無く1人の少女がリデルとクロワの間にぬっと姿を現した。

 髪をハーフテールにしたフィリア人、シャノワだ。



「そろそろです」

「ええ、アレクセイからも報せが来たわ」



 鳥の足が持っていた紙を広げて、リデルは頷いた。

 次の瞬間、リデルが次の号令を発した。



  ◆  ◆  ◆



 まさか、いきなり逃げ出すとは思わなかった。

 徒歩かちで逃げる敵を追いかけながら、ラタは予想外の展開に苛立ちを感じていた。



鋒矢ほうしの陣! 前衛は第2から第4!」

「「「おおぉ――――っ!」」」



 ラタは一千の兵を10の部隊に分けて運用している。

 全体的に矢印のような形に兵を纏めていて、10の部隊がほぼ縦に並んでいる形になっていた。

 正面へ進むには最適の陣形だ、何しろ場所は平地であり、山岳地帯では無い。

 だが、それでもリデル達には追いつけない。



 ラタ達が鎧を着込んでいるのに対して、リデル達は身軽な格好だった。

 走る速度にはそれだけ差が出る、だからなかなか追いつけなかった。

 逃げる、そう、それだけだ。

 あれでどうやって勝つつもりなのか、ひたすらに追いかけながらラタは唇を噛んだ。



(いったい、どう言うつもりなんだ……?)



 自らも兵の中で駆けながら、ラタは考える。

 敵の指揮官、つまりリデルの考えを見抜くためにだ。



(まさかこのまま逃げ続けるわけじゃ無いだろう。どこかで反転してくるはず……)



 どこかで反転するのか?

 それとも、ぐるりと回ってこちらの背後に回るつもりなのか?

 それとも、2手に別れてこちらの動揺を誘うのか?

 今の段階ではどれとも言えない、ならばその全てに対応できる状態を整えるしかない。



「前衛はひたすらに敵の後衛を追え! 相手は動きにばらつきがある、じきに後ろから崩れていくはずだ!」

「「「おおっ!」」」



 とにかく、離されないことだ。

 体力は7ヶ月の訓練を積んだこちらが有利なはずだ、いずれ敵は疲れて遅くなるはず。

 ラタが狙っているのは、そこだった。

 それまでは、ひたすらに追い続けるしかない。



(シュトリア卿の前で倒す! 完膚なきまでに!)



 正直、敬愛する師が何故あんな小娘に肩入れするのかわからない。

 それでも期待していた面が無かったとは言えない、だからこそ苛立ちも増した。

 敵を前に即座の逃亡を選ぶ人間など、ファルグリンには相応しくない。

 本当は正面から堂々と破るつもりだったが、こうなっては仕方が無い。

 固く熱い荒野の土を踏み、散らせ、駆ける。



「――――勝つ!」



 その時、部下が声を上げた。

 顔を上げれば、敵の最後衛が徐々に近付いてきているのが見えた。

 口元に、自然と笑みが浮かんだ。

 何だ、何の策も無かったのか。



 奴はただ逃げていただけ、1ヶ月たらず訓練では自分達に勝てる策を見出せなかったのだろう。

 やはりファルグリンの目が曇っていたのだ、あんな奴はただの小娘に過ぎない。

 さぁ部下に、兵に号令を発そう。

 あと一度の加速で、最前衛の部隊が敵の後衛を捉える――――。




「――――裏切りだっ!!」

(……え?)




 ――――捉える刹那、すぐ近くからそんな声が聞こえた。



  ◆  ◆  ◆



 どこかで反転するのか?

 ――――「イエス」だ。


 どこかでぐるりと回ってこちらの背後に回るつもりなのか?

 ――――「イエス」だ。


 それとも、2手に別れてこちらの動揺を誘うのか?

 ――――「イエス」だ。



「全員反転! 遮二無二しゃにむに突っ込むのよ!」



 イエス、リデルはラタが自問した問い全てに対してイエスと回答した。

 ずっと後ろを追いかけて来ていたラタの部隊、その前衛部隊と後続の部隊の間が離れた瞬間を見極めての反転だった。

 この時点でラタの部隊の前後が離れたことには、2つの理由がある。



 まず1つは、ひたすら追いかける前衛とついていくだけの後衛とで足の速さに差が出たことだ。

 これは単純に部隊が縦に伸びることを意味する、兵は目の前の仲間以外の状況がわかりにくくなる。

 そしてもう1つ、重要なのはむしろこちらだ。

 すなわち、敵部隊の中程で叛乱(・・ )が起こった。



「裏切りだ! 裏切りだ! 第6隊で裏切りが出た! 味方の中に敵がいるぞ!」



 そんな声がラタの部隊の中で響き渡り、後続が乱れ始めたのである。

 ラタは一瞬の自失の後、まず全員に停止を命令した。



「全ての隊に伝令! 敵の流言に惑わされるな!」



 まず思いついたのは流言飛語、つまりは嘘の流布だ。

 だがそんなもの、ラタが兵を掌握できていれば何の効果も無い。

 一時追撃を止め、縦に伸びた隊列を縮小し立て直せば良い。



 ところが、すぐにはそれが出来ないことに気付いた。

 後続の部隊が集まってこない、一部だが、確かに戻ってこない。

 理由は明白だった、戦闘状態になっていてそれどころではなかったためだ。

 敵と衝突しないままに戦闘が始まっている、これの意味する所は1つだ。



「だ、第6隊の一部が第7隊に攻撃を仕掛けています!」



 同士討ちである。



「どう言うことだ! 何が起こっている!?」

「第6隊の中に離反した兵がおり、それにより混乱が生じた模様です!」

「だ、第5隊にも、流言を叫ぶ兵を確認! 後続で動揺が広がっています!」

「な、何だと……?」



 この時点のラタではわからないことだが、実はこの時、ラタの部隊の中にはリデル側の兵が2人混ざっていた。

 アレクセイ、そしてエテルノの2人である。

 彼らはラタの部隊の中にあって、敵――ラタの兵にとっては味方――に攻撃し、あるいは流言を飛ばし、周囲の兵を同士討ちさせるまで煽ったのである。



「て、敵! 敵だぁ――――っ!」



 そして、リデルが味方を反転させたのはこのタイミングだった。

 ラタはぎくりとした、この時点で味方の中に敵が混ざっていることを確信したからだ。

 いつからだ、そう考えることに意味は無かった。

 事態はすでに動いている。



「ラタ様! 急反転した敵が2手に別れて突っ込んできます!」



 そしてその報を聞き、ラタは拳を握った。

 奴はこのタイミングを待っていたのだ、ラタの部隊が縦に伸びきり、かつ前後の部隊で動きに齟齬そごが出るだろうこのタイミングで、だ。

 紛れ込んだ敵兵も寡兵には違いない、時間は長くは稼げない。



 しかも左右からラタの部隊の中央を狙っての突撃、狙いは明らかだ。

 まず中央を潰して前衛を襲い、しかる後に混乱の残る後衛を討つ。

 つまり、擬似的な各個撃破戦法である。

 ラタはリデルの策に嵌まったのだ、逃げていたのはそのためだった。



(この戦の進め方は、どこか……)



 正攻法の中にからめ手を混ぜるこの戦術は、どこか自身の師に似ていた。

 正面からの突破にこだわる自分――自覚はある――は、こうした戦法は採らない。



(や、やれれた)



 アツくなり過ぎた、今にして思えばそうなのだろう。

 目の前の戦に集中していなかった、ファルグリンや教皇の目ばかり気にしていた。

 叩き潰してやると、意気込みが過ぎた。

 それに対して敵は集中していた、逃げると言う単調な動きの中でチャンスを窺っていた。

 ファルグリンや教皇の目など、露とも気にせずに。



(だが、まだ負けていない……!)



 すでに味方の後衛は混乱している、味方同士が相打ち合う戦場と化している。

 前衛と中央も、動きに齟齬が続くようなら各個に叩かれてしまうだろう。

 この模擬戦、ラタは自分が敗北しつつあることを悟った。

 ――――だが!



「前衛3隊! 中央4隊! 前進せよ!」

「「「え!?」」」

「ど、どう言うことですか!?」

「後衛を切り離して部隊を再編成するんだ! 敵は両翼から突っ込んで来る、急げ!」



 前衛と中央のみで前進し、後衛を見捨てる。

 ラタは即座にその決断を下した、遅れながらも各隊がラタの命令に従い始めた。



「んなっ!?」



 これにはリデルも驚いた。

 彼女自身は左右の内の右側の部隊を指揮している、左側はクロワに任せた。

 彼女の策ではこの左右からの突撃で中央を潰すはずだった、が、ラタは寸での所で後衛を捨てて残りの隊をまとめて見せたのだ。



「後衛を捨てても7割は無傷。その7割の戦力で戦おうってわけね、1ヶ月しか訓練していない私達なら、7割の戦力で十分に対抗できると踏んだわけね」



 舐められたものだ、とは思わない。

 むしろ舐めてくれた方が良いのだ、付け入る隙が多くて助かる。



「こうなったら仕方ないわね、次の策で行くしかないわ」

「な、何か嫌な予感しかしないんですけど……」

「何よ、何か文句あるの?」

「い、いやそんな文句とか別に」



 隣にいたカリスに絡みつつ、リデルは周囲の仲間に見えるように手を振った。



「全員、そのまま吶喊とっかん! 敵を引き裂くわよ!」



 ラタがあんな大胆な策を採った以上、後衛にかかずらわっているのは得策では無かった。

 面がダメなら点狙いだ、リデルは全員を集めてただ一点、ラタのいる本陣を突くことにした。

 アレクセイ達の効果は長続きしない、だから短期決戦だ。



 しかし、それはラタも望む所だった。

 彼女は前衛と中央の兵を合流させると、そのまま反転させて迎撃の構えを取った。

 天頂から見れば、広がるラタの部隊と突撃するリデルの部隊が良く見えたはずだ。

 そして、ここから。



「敵が我が中央に入る! 後衛と連携して囲め!」


「今よ! そのままクロワ達と合流せず、通り過ぎなさい!」


「くっ、やり過ごす気か……前進を止めろ! 密集しろ、壁を作れ!」


「相手が密集するわ! 反転! もう1回突っ込むのよ!」


「敵は絶えず2方向より突撃を試みてくる! だがいずれ呼吸が乱れる、それまで鶴翼陣を背中合わせに築いて凌げ!」


「突っ込みなさい! 突け! 突け! 突けったら突きなさい!」



 ここから、リデルの軍師としての道が始まる。

 彼女自身の、そしてそれを強く望む者の手によった、それは始まるのだ。



「――――素晴らしい!」



 すなわち、強く望む者。

 ファルグリンと言う、女の意思によって。



  ◆  ◆  ◆



「素晴らしい! 2人とも、実に素晴らしかったですよ」

「光栄です、シュトリア卿」

「はいはい、どーも」



 模擬戦終了後、2人はファルグリンの称賛の声に迎えられた。

 迎えられたと言うよりは、ファルグリンが幕僚団を引き連れて降りて来たと言った方が正しい。

 ラタは驚きつつも礼を取り、リデルは特に興味も無さそうにそっぽを向いた。

 しかし、ファルグリンが気に入ったのは後者の反応であったらしい。



「うふふ、リデル。貴女は特に頑張りました。わずか1ヶ月で良く兵を鍛えましたね、後でご褒美をあげましょう。ああ、ラタ。貴女にも何か取らせましょう」

「あ、有難き幸せ!」

「いや、私別に何もいらないんだけど……」



 客観的に見れば、リデルもラタもファルグリンの期待に応えたと見るべきだろう。

 ファルグリンは大層満足そうであったし、幕僚団の反応も概ね好意的なようだ。

 セッティングしたファルグリンの贔屓目はあるにしても、見習いの戦としては十分だったのだろう。



 頬に温もりを感じて、ふふっ、と笑った。

 襟からリスが身を乗り出したためだ、そしてその顔の傾きでラタと目が合った。

 また何か言って来るのかと思ったのか、特に何も言わずに視線を戻していた。

 ツンとはしているが、悪い感情は抱かなかった。



「ふ、まぁ、俺様の活躍のおかげだな……」

「否定はしないけど、アンタ早く治療してもらいなさいよ」



 模擬戦と言えど怪我はする、死人が出ることだってあるのだ。

 幸いにして死者はいないが、その代わりに怪我をした者は何人もいる。

 例えば敵の真ん中で離反兵を演じていたアレクセイなどは、顔面がボコボコの状態になっていた。

 一緒に活動していたエテルノが綺麗な姿でいるのに対し、やけに泥臭いのがこの男だった。



 だがそれを抜きにしても、皆の表情は明るかった。

 口々に互いの労を褒め合い、興奮を分かち合っている様子が見て取れる。

 リデルが欲しかったのは、これだ。

 ソフィア人に怯える彼らに、「出来る」と言うのを知ってほしかった。



(ま、そのために色々仕込んだり考えたりはしんきゃだったけど)



 それは良い、自分の仕事だ。

 遅刻もスパイも逃走も、全てそのためのものだ。

 そして胸を張る、1ヶ月の山生活――島での生活以来の――の成果として、胸を張った。



 視線の先には、誰にも見向きもされず己の足で丘から降りて来た教皇と、それを傍で見つめているアーサーに向けられていた。

 その時、アーサーと教皇が少なくとも初対面の関係で無いことは察せた。

 彼もまたこの1ヶ月間、何かをしていたと言うことだろうか。



「リデル」

「わぷ」



 その時、甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 ファルグリンである、彼女は軽くリデルを抱擁していた。



「本当に良く頑張りましたね、リデル。流石はあの人の娘です」

「ちょ……はな、離しなさいよ!」

「ああ、ごめんなさい」



 羞恥を覚えて押し離せば、苦笑が返って来た。

 独特の甘い香りが離れて、リデルはほっと息を吐いた。

 たまったものでは無い、本当に。



「さぁ、リデル。こちらへ」

「えぇー……今度は何よ」



 その代わり、肩を抱かれるようにして連れて行かれた。

 服の中で、リスが嫌がるように身動きしているのを感じた。



「教皇聖下」



 連れて行かれたのは教皇の前だった、一応、どこにいるのかは把握していたらしい。

 丘を降りて息を上げている教皇に対し、ファルグリンは言った。

 ファルグリンの方が背が高いので、見下ろすような形で。



「臣より謹んで上奏致します」

「……許します」



 許可を得るのが当然と言う顔で続ける、そんなファルグリンに教皇は表情の無い顔を向けていた。



「ご覧の通り、兵は整いました。そしてこの10年で国も豊かになり、民は安らかです」

「信徒達の努力に感謝しています」

「光栄です」



 まるで光栄など感じていない口調、不思議を感じた。

 これは何なのだろうと、リデルは思った。

 これが王と軍師の会話なのだろうかと、そう思った。

 だとすれば、何て寂しく冷たいのだろう。



「それでは、謹んで申し上げます。どうか臣の胸中を慮り、ご裁可を賜りますように」



 皆が固唾を呑んで見守る中、その宣言は成された。



「全軍数十万を動員し、大公国へ侵攻。公都トリウィアをとし、大陸全土を解放・ ・する」



 出師の表、つまりは戦争の許可を求める言葉だった。

 ラタを含めた幕僚団からどよめきが起こり、それはリデルの仲間達も例外では無かった。

 戦争、その響きに自然に宿る畏れ。



「そして」



 いや、続きがある。

 皆が、教皇が、リデルが見つめる中、ファルグリンは手を誘うように向けた。



我が戦(・ ・ ・)の最初の1手として、大陸南部のフィリア人諸勢力と同盟を結ぶのが良策。すなわち――――……」



 ――――アーサー。



「我らが盟主、教皇聖下。そして旧……いえ、連合加盟国『新』フィリアリーンの次期国王アーサー殿とのご婚姻を、謹んで上奏致します」



 連合への加盟。

 『新』フィリアリーン国王。

 そして婚姻――結婚。



 それらの言葉の意味を瞬時に呑み込めた人間が、この場にどれだけいただろうか。

 しかし瞬時には無理でも、徐々にその意味は浸透していく。

 ざわめきはどよめきを生み、疑問は驚愕を生み、最後には理解へと昇華される。

 そして。



  ◆  ◆  ◆



 戦争と、結婚。

 どちらも国と国の関係においては重要な物で、リデルも本の中の項目では何度も目にしたことがある。



「……何か言いなさいよ」



 ファルグリンの邸宅へ戻る馬車の中、不機嫌そうな声音でリデルが言った。

 隣に座るアーサーはと言えば、頭に乗った鳥にひたすらつつかれながらも、小さく唸るようにしながら。



「そう言われましてもね。僕としても初耳だったんですよ」



 アーサーとしても、文句の1つも言いたいことはあった。

 例えばこの1ヶ月のことであるとか、あまりにも連絡が少なかったのでは無いかとか。

 攫われてここまで来なければならなかった身としては、少しは自分の身を案じてほしいと思うのも仕方が無かった。



 しかし、ファルグリンの言葉が全てを引っ繰り返してしまった。

 大公国への侵攻と、そして自分と教皇の結婚である。

 理屈としては、まぁわかる。

 要するに連合に参加していないフィリア人を連合に取り込み、団結させようと言う戦略だ。

 だがそれは、リデルにもわかっているはずだが。



「私、良くわからないんだけど」

「はぁ」

「……結婚って、もっと嬉しいものじゃないの?」



 そこか、と、アーサーは思った。



「いやだって、本じゃ大体結婚したら幸せになるじゃない」



 ガラガラと馬車の車輪が音を立てる中、アーサーは額に指を押し当てた。

 そうだった、リデルは基本的に本で常識を学んでいるのである。

 そして本は往々にして良い部分しか書かない、と言うか歴史書ともなると悪い部分は省かれる。

 つまり「結婚=幸福になりました」なのだが、現実がどうかと言うと微妙なのだ。

 その微妙さを、リデルは理解できていない。



(いや、でも「結婚て微妙な物なんですよアハハ」って、それはそれでどうなんでしょうね)



 久しぶりの感覚だった。

 リデルは古くて新しい問いをしてくるので、アーサーとしては新鮮でもあり困惑もする。

 旧市街にいた頃までは、これが普通だったのだと今思い出した。

 どう答えたものか、アーサーはまた一つ悩みを抱えた。



「でも、アンタは全然嬉しそうじゃないわ」

「はぁ、まぁ」

「それにこの街に来た時も、アンタ凄く微妙な顔してたわ」



 案外、他人のことを良く見ていると思う。

 あるいは軍師を志しているのだから、当然と思うべきなのだろうか。



「何か理由があるの? 同じフィリア人なのに、そんな顔をする理由が」



 どうやらリデルは結婚云々よりも、そちらの方が気になっている様子だった。

 もしかすればこの1ヶ月間、ずっと考えていたのかもしれない。

 考える。

 それはきっと、この娘にとっては生きることと同義だ。

 


 どう答えたものか。

 実の所リデルの明察通り、アーサーはこの連合と言う国に隔意がある。

 受け入れがたい谷が、心の中にある。

 ここでアーサーが話さずとも、いずれは耳に入るだろう。



(本当に、どう説明したものでしょうね)



 事実は1つだ、故にシンプルだ。

 だが人は、シンプルなことを説明する時にこそ困難を覚える。



「リデルさん」



 それでも何とか言葉を選び、説明しようとした。

 その時だった。

 馬のいななきが響き、馬車が大きな音を立てて、衝撃と共に止まった。



「……ッ。何よ!」



 頭を打ったらしいリデルの肩を抱き寄せ――「ひゃっ」――アーサーは、馬車の扉を蹴破った。

 あたりはすでに夜だったし、御者の気遣いの声が無かったことから緊急性を要すると判断したためだ。

 元々こう言うことには慣れているので、経験がそうさせたとも言える。



「って、え?」



 しかしその彼をしても、そこで止まらざるを得ないものがそこにあった。

 そこには2人の人間がいた、やけに痩せた男と太った男だった。

 しかも、アーサーはその2人を知っていた。



「アンタ達……」

「頼むッッ」

「ふひひ、お願いなんだな~」



 島で出会い、そしてこれまでに何度も会ってきた。

 だから彼らの名前も知っている、それを口にしたことは無かったが。



「姐御を――――アレクフィナの姐御を、助けてくれッッ!!」



 ブランとスコーラン、2人の男が道に額を押し当てた懇願の姿勢で、そこにいた。



  ◆  ◆  ◆



 深夜、ファルグリンは邸宅の寝室にいた。

 北進の上奏と言う一大事を行った後だ、本来なら家に戻っている暇も無いだろう。

 だが彼女はどれだけ忙しい時でも、家に戻り、そして眠る。

 体力のためでは無く、頭脳と心を十分に休めるためだ。



「ああ、リデル。来ると思っていましたよ」



 そんな彼女がベッドで横になること無く、鏡台の前に座って待っていた。

 手には1冊の本を持っている、それを指先で撫でながらファルグリンは視線を向けた。

 視線の先には、部屋に入って来た少女が1人いる。



 リデルだ、だがその姿にファルグリンは片眉を上げた。

 てっきりリデルも就寝の格好でいるものと思っていたのだが、彼女はまだ外から帰ってきた時の服装のままだった。

 そのことが不思議に思えて、ファルグリンは首を傾げた。



「どうしたのですか、リデル?」



 ファルグリンとしては、今日の模擬戦の戦果を褒め、ご褒美を渡すつもりだったのだ。

 今彼女が持っている本がそれで、彼女自身が編纂した最新の軍学書である。

 ところがリデルの様子がおかしく、困惑していた。



「ねぇ、教えて欲しいことがあるんだけど」

「ええ、何でしょう」



 先を促すように問い返せば、リデルが言った。




「この街って、ソフィア人はいないの?」




 それを聞いて、ファルグリンは「ああ」と得心した。

 そして笑顔を浮かべる、何だそんなことか、と言うような笑顔を浮かべる。

 スツールに座ったまま身体をリデルの方へと向けて、ファルグリンは言った。

 子供の疑問に答える母親のように、言った。



「勿論、幸福に暮らしていますよ」



 曇り一つ無い笑顔で、そう言った。

 その姿はどこか、迷える者に教えを授ける宣教師のようにも見えた。



「たとえソフィア人と言えども、我が連合の民ですから」

「そう、じゃあ質問を変えるわ」



 その笑顔に対して、リデルもまた応じる。

 クルジュの総督や『施設』のドクターにそうしたように。



「ソフィア人は、どこにいるの?」

「いますよ、ここに(・ ・ ・)この(・ ・)聖都に(・ ・ ・)



 ソフィアの地にフィリア人がいたように、フィリアの地にもソフィア人はいる。

 だがこの聖都において、リデルは自分以外のソフィア人を見たことが無い。

 いや正確には、今日、始めて見たのだ。



「ソフィア人に限らず、この国の民は全て――――平等なのですから」



 誰もに平等な国、聖都エリア・メシアとバルロップ連合。

 そこにおいては、ソフィア人とて例外では無い。

 そう笑顔で言うファルグリンを、リデルはじっと見つめていた。

 笑顔でしんじつを言う「母親」の顔を、見つめ続けてた。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

楽しくなってきましたが、まだまだ描写力が足りません。

場面場面にこう、もっと臨場感を持たせたいのですが。

小説を書くのは本当に難しいですね。

次回も楽しみにしております。


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