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7-4:「旗揚げと足音と」

 右手を上げると旗が振られ、それを合図に兵達が動く。

 兵の塊がうねるように動き、離れたかと思えば幾本の線となって再集合した。

 人の集団は訓練されるとこんなにも柔軟に動くのか、そう感心せざるを得ない動きだった。



「調練を1ヶ月も受ければ基礎は覚えられます。さらに1ヶ月で陣形も。1ヶ月を反復に使うとして、合計で3ヶ月。さらに模擬戦を中心とした実戦訓練に3ヶ月で、半年が調練の1つの区切りとなります」



 あれから、ファルグリンは調練には必ずと言って良い程リデルを連れ出すようになった。

 今日も聖都郊外で行われている調練に出向き、リデルに見学させていた。

 どうやら行軍訓練のようで、2千程の兵達が別れたり合流したりしながら駆け続けていた。

 たった半年の訓練であそこまで組織化されるのだから、大したものだと思った。



 しかも聞く所によれば、連合では国民全てが兵士なのだと言う。

 徴兵制と言って、定められた年齢以上の国民は一定期間を兵士として過ごすことが義務付けられているのだ。

 国民全てが兵、連合の人口は1億に届くとファルグリンが豪語していたから、1億人の軍隊だ。

 ……どんな国が相手でも打ち破れるのでは無いか、そんな風にも思った。



「それにしてもリデル、驚きました。乗馬の経験があったのですか?」

「え? ああ、無いわよそんなの」



 リデルは馬に乗っていた。

 徒歩では行軍についていけないため、馬を駆けさせてついて来ているのだ。

 ファルグリンとリデルの他、ラタを含む十数騎が周囲にいる。



(と言うか、馬に乗るってのが良くわからないのよね)



 実際、リデルは馬に乗っていると言う意識は無い。

 それでは訓練を受けた乗り手達に遅れることが無いのは何故か、理由は単純で、馬が彼女を乗せてくれているだけだ。

 馬に限らず、自分では無い何者かを思い通りに出来るはずが無い。

 そう思って接すれば動物は自ずから力を貸してくれるのだ、少なくともリデルはそう思っている。



「さぁ、敵が見えました」



 ファルグリンの声が、馬の走る音と風を切る音の中で一際大きく聞こえた。

 すると、前方に別の集団が見えた。

 数はほぼ同程度、小さな兵の集団が集まって大きな三角形を形成していた。



(……魚鱗ぎょりん



 リデルはその陣形を知っていた、父の本にもあった、古来から使われている陣形だ。

 見た目は三角形で、頂点がこちらを向いている。

 全員で密集するのでは無く100人単位での横隊を編成することで、布が幾重にも重なっているかのように部隊をスライドさせることで次々に戦力を投入できる陣形となっている。



「リデル、ラタ。貴女達ならどう攻めますか?」



  ◆  ◆  ◆



「直前で兵を散らし、敵を包囲します」



 即答したのはラタだった。

 先日の調練の時と同様、いわゆる鶴翼の陣形で攻めようと言うのだろう。

 確かに魚鱗の陣形は包囲に弱く、囲んだ上で締め上げていけば勝利するのは容易い。

 しかし、リデルはその策が有効だとは思わなかった。



「リデルは? 貴女ならどうしますか?」

「戦わないで済むなら戦わない。戦闘を避けて逃げるわ」

「はぁ? 何を言って」

「あはは! それは良い、それが出来るなら1番でしょう」



 リデルの答えがよほど面白かったのか、ファルグリンが声を上げて笑った。

 傍にいたラタはそんなファルグリンに驚いていたが、彼女は機嫌良さそうに続けた。



「けれど今日は調練です。戦わなければならない、と言う前提で」

「シュトリア卿、リデル……様は軍師ではありません。そのようなことを聞いても」



 と言うか、このラタと言う女は自分のことが嫌いなのだろうか?

 最初に会った時から不快な目で自分を見ていたが、こうして直接態度に出されると流石にカチンと来る。



「……包囲するのは良いと思うわ。でも1つか2つ、逃げ道を開けておくべきよ。そして敵の大将を討つ。魚鱗は最後尾の横隊に大将を置くことが多いから、そこを叩けば良いわ。指揮官さえいなくなれば、残りの兵は開けてある穴から逃げていくはずよ」



 スンシ曰く、『囲師は必ず開け』。

 完全に包囲してしまうと、敵は窮鼠きゅうそ猫を噛むの気持ちで反撃してくる。

 そうなればこちらの消耗も馬鹿にならない。

 そして多くの場合、戦は1度では終わらない。

 必ず次の戦が予定されていて、無駄な消耗は避けるべきだった。



「ふむ」



 ファルグリンは1つ頷くと、手綱を引いて1人離れていった。

 そして直進する兵達の中に入ると、手を挙げ声を上げて、瞬く間に兵を統率して見せた。

 ラタと他のメンバーが、おお、と感嘆の声を上げてしまう程の手際の良さだった。



 兵をまとめるファルグリンの姿は堂々としていて、確かに様になっていた。

 その姿を、リデルはじっと見つめていた。

 自分を娘と呼ぶ女性の勇姿を、見つめていた。



(……ママ)



 本当に、ファルグリンが自分の母なのだろうか?

 時間が経てば経つ程に、そう言う考えも出てくるようになる。

 馬に揺られ、ファルグリンの戦ぶりを見つめる。



 どうやらファルグリンは、リデルの策を採ったらしい。

 兵を広げて敵を包囲し外側から締め上げる、同時に1箇所包囲に穴を開けておく。

 後方に主力を回し、最後尾の横隊を集中的に叩いた。

 やがて包囲に耐えていた敵は崩れ始め、開いていた穴から算を乱して逃げ出し始めた。

 勝利だ、それも実に容易く。



(私の策って言うよりは、ファルグリンの兵のまとめ方が上手かったってだけの気もするけど)



 兵達の動きを見ていればわかる、彼らは一様にファルグリンの命令をこなすために懸命になっていた。

 やや表情に固さがあるのが気になったが、概ね機敏な動きを見せていた。

 半年の訓練でここまで動けるなら、人間の能力と言うのは本当に馬鹿に出来ない。

 ファルグリンは母なのか、そう考えつつも、リデルは冷静にそう言うことを考えてもいた。



 他の面々はと言えば、馬を止めて口々に鮮やかな手並みを見せたファルグリンを称えてばかりいる。

 ファルグリンが指揮した兵達も、勝ち鬨の中に彼女を称える言葉を混ぜていた。

 兵の中心にいてそれを受けるファルグリンは、手を挙げてそれに応えている。

 その姿はまさに、人の上に立ち、軍を統べる者のものだった。

 その場にいる誰もがファルグリンを見つめ、声を上げていた。



「……くっ!」



 ただ1人、リデルを睨みつけていたラタを除いては。



「納得が出来ません……!」



 実際、戻って来たファルグリンに対してラタがそう叫ぶのをリデルは聞いた。

 やはりどうも嫌われているらしい。

 ただ、リデルにはその理由がどうにもわからないのだった。



「私の策でも十分に勝てました。なのに、どうして私の策が採られなかったのか」

「ラタ、私が策を選んだのです」

「選ばれなかった理由に納得が出来ないのです……!」



 ラタの策は悪くは無かった、無かったが故に納得が出来なかったのだろう。

 戦をこの1度に限定し、敵を殲滅しなければならない局面なら、リデルもラタと同じ策を使ったかもしれない。

 しかしその策を選ばなかった、それを差と言うのか個性と言うのかはわからない。



「困りましたね。どうすれば納得するのです?」

「……機会を」



 リデルを睨みつけて、ラタが言った。



「リデル様と私。より優れているのはどちらか――模擬戦の機会を、頂きたく存じます!」



 それは、まさしく決闘の申し込みだと理解された。

 求めたのはラタであり、受けたのはリデルだ。

 ファルグリンが「どうする?」と言った目で自分を見つめてきた段になって、小さく息を吸った。

 緊張感が垣間見える、そんな息の吸い方だった。



  ◆  ◆  ◆



 ファルグリンは上機嫌だった。

 何しろ全てが思い通りに進んでいるのだ、機嫌が良くもなろうと言うものだった。



「ふふ、うふふふ……」



 <東の軍師>、つまりは彼女のと別れて12年も経つ。

 この12年間の間に、ファルグリンは全てを整えてきたのだ。

 軍を、国を、宗教を、王を、民を、兵を。

 いずれ来るその時(・ ・ ・)のために、全てを準備してきたのだ。



 そしてその時は、着実に近付いている。

 今日の出来事は特に、その時が近付いているのだとファルグリンに確信させた。

 その鍵はリデル、あの娘が握っている。



「全く、全てはあの人のお望みのままに、と言うわけですね」



 ファルグリンには、願いがあった。

 彼女には望みがあった、それはずっと以前からの望みだった。

 それを叶えるためであれば、手段は選ばない。

 目的は手段を正当化する、それが彼女の真理だった。



「貴女もそう思いませんか?」



 そこには、光源は一つしか無い。

 鉄格子が嵌められた小さな窓が一つだけ、そこから漏れる日の光だけだ。

 反対側には壁一面の鉄格子、ファルグリンは鉄格子を潜って中に入っていた。

 鉄臭さとかび臭さの充満しているその部屋は、つまるところ牢屋だった。

 もちろん、囚人はファルグリンでは無い。



「へっ……お前らフィリア人の考えなんてわかりゃーしないね」

「うふふ。まぁ、聖女フィリアの恩寵も理解できないソフィア人には難しいでしょうね」



 その中には、女が1人いた。

 金髪の女、連合の領土内――聖都で捕縛された。

 目つきの鋭さは未だ力を失っていないが、左肩を負傷しているらしい。

 しかも手当てをしていない、微熱もあるようだし、このまま放置し続ければ腐ってしまう恐れもある。



「ソフィア人の土地にフィリア人が少数ながらいるように、我が連合内にもソフィア人はいます。が、貴女は連合の外から来たソフィア人ですね」

「さぁ、どうだろうねぇ」

「誤魔化さなくても結構ですよ」



 ファルグリンの掌の上に、鈍い赤い宝石を嵌め込んだ指輪があった。

 <アリウスの石>、大公国の魔術師のみが所有する秘宝だ。



「貴女は大公国のスパイ、そうですね?」

「さぁ、どうだか、ねぇ」

「……その怪我、随分と辛そうですね」



 小首を傾げるようにして、ファルグリンは言った。

 実際、女の怪我は今も血が滲んでいて、鈍痛に今も苛まれているだろう。

 捕縛の際に抵抗したためと聞いているが、辛いことは間違いない。



「仲間があと2人いるそうですね、どこにいるんですか? 聖都に潜入した目的は? 手引きした者は誰ですか?」

「…………」

「素直に教えてくれれば、怪我の手当てをして差し上げますよ?」

「……はっ」



 は、と女は強気な笑みを浮かべた。



「馬鹿にするんじゃあ無いよ。このアタシが、お前らフィリア人に仲間を売るとでも思ってんのかい?」

「いいえ、ちっとも」



 女がファルグリンを睨み上げて来るが、衰弱しているせいか迫力には欠けた。

 じゃら、と音が鳴っているのは鎖が。

 壁に打ち込まれた杭に結ばれた鎖は、それぞれ首、手、足の枷と繋がっている。

 鎖の枷で拘束されている女に、ファルグリンは微笑みかけた。

 微笑みかけて、そして負傷した肩を踏みつけた。



「……ッ!」

「ああ、残念ですね。悲鳴を上げないだなんて」



 グリグリと踵で踏み躙りながら、愉しげな声で言う。



「まぁ、最初からペラペラ喋った所で結果は変わりません。貴女は大公国の魔術師で、聖都に潜り込んだスパイだったのでしょう。他に聞きたいことは実はそれ程ありません」

「……ッ、へぇ、そうかい。そりゃあ随分と、サディスティックなことで」

「ええ、まぁ、だからせいぜい……」



 足を離し、特に感慨深そうでも無く、ファルグリンは牢から出た。

 入れ替わりに中に入ったのは、牢番と思わしき女性が2人。

 彼女らは手に盆を持っている、その盆の上には様々な、見るからにおぞましそうな道具がいくつも乗っていた。



「せいぜい、早く私が知らないことを喋ってくださいね」



 同性に尋問・ ・を任せるのは、もしかしたらファルグリンなりの優しさだったのだろうか。

 しかし女――ファルグリンは知ることになる、と言うよりすでに知っているのかもしれない。

 頬を一筋、汗が流れ落ちる。

 ――――同性だからこそ、より恐ろしいのだ。



  ◆  ◆  ◆



 この世には、不思議な関係と言うものが数多くある。

 自分と教皇の関係も、そう言ったものの1つであろうとアーサーは思った。



「聖都には元々、聖樹教の名前の元となった木があったそうです。伝承によれば、聖女フィリアが天に召される際に横たわられた木だとか」



 すでに馴染みになったオープンカフェから、2人は通りを行く人々を見ていた。

 誰もが何らかの労務についており、怠けている者は誰もいない。

 重い荷を運ぶ男、織物を織る女、家畜の世話をする少年、衣類を洗う少女。

 人々は額を汗の玉を作りながら、聖都を形作る仕事に懸命に取り組んでいた。



 人の営み。

 教皇が彼ら彼女らを見る目は優しく、温かだった。

 彼女はこうして聖都の人々の営みを見るのが好きなのだろう、年少の少女とは思えない深みがその瞳から垣間かいま見えた。



「今はもう戦火によって失われてしまって、その姿を見ることは出来ないそうです。聖樹教の教皇に祀り上げられながら、私は聖樹教の名の基となった聖樹を知らないのです」



 数千万、いや1億の信者達の頂点に立ちながら、聖樹教も聖女フィリアも知らない。

 教皇、いや今の聖樹教に残されているのは、古の聖女フィリアの遺したと言う僅かな言葉だけだった。



「アーサー様は、聖都の大聖堂をご覧になったことはありますか?」

「いえ、まだです」

「そうですか。大聖堂は聖樹教があった場所に建てられた建物で、聖都の中心にあります。わたしはそこにいることが多いのですが、綺麗な所ですよ」



 綺麗な所と言う割に、その口調は淡々としていた。

 大聖堂と言う響きはなるほど宗教らしい、だが宗教の長たる教皇の声に明るいものが無いのが異質だった。



(……哀しい目をする人だ)



 アーサーも様々な人間を見てきたが、10に満つるかどうかと言う少女がこんな目をするのを見たことが無かった。

 絶望に沈んだでもなく、世を恨んでいるのでもない。

 ただ哀しい、そう言う目だった。

 リデルとは、また違う。



 輪をかけてわからないのは、教皇、つまりこの少女がアーサーと会うのが何のためなのか、と言うことだ。

 大聖堂にいるはずの彼女が民と同じ服を着て、このような場で元王子と言えど流れ者のアーサーと会っているのか。

 何かを望んで会っているのだろうが、その理由がわからなかった。



「そう言えば、アーサー様のお国はどのような所なのでしょうか」



 この少女は、アーサーに何を期待しているのだろうか。

 その答えは、教皇の言葉の端々にあるはずだった。



「わたしたちが滅ぼしてしまった、アーサー様のお国は」



 アーサーは言葉少なく、民を見つめ続ける教皇を見つめていた。



  ◆  ◆  ◆



 今日も教皇の真意はわからず、アーサーは居室を与えられているファルグリンの邸宅へと送られて来た。

 民の服を着ていてもやはり教皇、周囲にはそれとなく護衛がついていた。

 彼らが手配した馬車で、カフェとファルグリンの邸宅を行き来するのが最近の日課だった。



 そして、ファルグリンである。

 リデルの言う通り、ファルグリンは表向きアーサーを迎えるために軍を動かしたが、聖都に入れてからはほとんどアーサーに会うことが無かった。

 このことから、アーサーは何となくファルグリンの真意は何となくわかっていた。



「その意味では、むしろファルグリンさんの方に親しみを感じてしまいそうですね」



 皮肉と言えば、皮肉だった。

 と言うより、使い古された手と言えた。



「そうね。大方、ファルグリンがアンタを呼ぶ時はアンタを担ぎ上げる時だけでしょう」

「……何と言うか、人の耳を本当に気にしない人ですね」

「良いでしょ別に、今さら気にする物でも無いんだから」



 門から玄関へと歩いていると、逆に玄関から門へと歩いていたリデルと会った。

 彼女はアーサーと違い、ここの所ファルグリンに頻繁に呼び出されていた。

 軍の調練に呼ばれ、図書館で兵学書を読み耽っていると言う。



「気をつけなさいよ、アンタいつも微妙なんだから」

「び、微妙ですか」

「今日も何か知らないけど、カフェ……だっけ? そこに通ってるみたいだし、何か楽しいことでもあるの?」

「……楽しくは無いですね、特には」

「ふーん」



 実際、楽しくは無い。

 ただリデルにじっと見つめられると、何となく居心地は良くは無かった。

 そこでふと、アーサーはリデルが荷物を背負っていることに気付いた。

 服装も、動きやすそうなものに着替えていた。



「どこかへ?」

「え? ああ、うん。ちょっと、しばらく帰って来ないかもしれないから」

「帰って来ない?」

「……うん」



 リデルが心の奥底で悩みを抱えていることを、アーサーは知っている。

 そしてその悩みがリデル自身の手では無く、アーサーによって解決し得ないことも知っていた。

 知っていながら、アーサーには覚悟が無かった。

 悩みの原因を知らずに彷徨っているリデルを目の前にしながら、何もしない自分。



(さて、どうすれば良いのでしょうね)



 答えを知っているくせに、そんなことを考える。

 ああ、何と言う不実さか。

 そう思い、アーサーはリデルの頬へと手を伸ばした。

 求めるような、あるいは何かを押し付けるように伸ばしたその手に――――。



「リデルさん、僕は…………あ」

「あ」



 ――――リスが、噛み付いていた。

 何と言うか、いつものことだった。

 蛇で無いだけマシなのだろうか、いや同じようなものだろう。

 どちらにせよ、噛まれていることには違いない。



「……ふふ。あはは、あははは」

「いや、笑ってないで何とかして下さいよ。痛いんですから」

「だって。あはっ、あははははっ」



 楽しそうに笑うリデルを見て、アーサーもやがて笑みを見せた。

 何と言うか、不意に訪れた「いつも」に笑いたくなったのだ。

 それは、教皇とのお茶会では起こり得なかったことだった。



  ◆  ◆  ◆



 勝負は1ヵ月後、兵力は互いに一千。

 半年と1ヶ月の調練を経た相手に、1ヶ月の訓練で対抗しなければならない。

 と言って、リデルはその点について特に心配はしていなかった。

 これまでの戦いに比べれば、随分と易しい条件だったからだ。



「今日、皆に集まって貰ったのは他でも無いわ」



 どの部隊を使いたいか、と問われて、リデルは迷い無く選んだ者達がいる。

 それは、旧市街から自分を助けに来てくれた200人と。

 そして、『施設』から共に逃げ出した3000の中から比較的健康で動けそうな800人だ。

 合計、一千。



「アンタ達には、今日から兵になって貰うわ」



 聖都郊外、荒野が夕焼けに沈みかけている赤い世界で、リデルは一千の人間を前に言った。

 今日からお前達は軍だ、と。



「見てよこれ、凄いでしょ?」



 リデルの左手側には、うず高く積み上げられた資材があった。

 これは連合の軍が野営の時に使うもので、有体に言えばキャンプのための道具である。

 簡易ながら屋根を張ることが出来、寝床もある。

 今まで経験してきた生活を思えば、十分すぎる程に十分だった。



 そして右手側には、食糧がある。

 穀物があり、家畜があり、貴重なことに水もあった。

 これらは全て、リデル達のために供出されたものだった。

 ファルグリンはこの1ヶ月間、リデル達の要求には優先的に応じるとしてくれている。

 せめてものハンデと言うわけだろう、それはそれで都合は良かった。



「でも、これは1ヶ月だけよ」



 この数日、聖都の生活を見ていればわかる。

 聖都の人々はけして、豊かな生活を享受しているわけでは無いと言うことを。



「1ヵ月後の結果次第で、私達がその後もご飯が食べられるかどうかが決まるわ。私の言いたいこと、わかるわよね?」



 1ヵ月後、食糧の供給が止まるかもしれない。

 その意味が通じたのだろう、その場に集まった者達の間の空気が一気に緊張した。

 そして「兵になれ」と言う言葉の意味も、一気に浸透した。

 兵になり勝利する、そうする他に無いのだと一度に理解したのだ。



 リデルは、ご飯がいかに大事なものか知っている。

 島で自給自足の生活を送っていた時代には知らなかった、集団が食べていくためにどれだけの食べ物が必要なのか。

 そして飢えると言うことが、どれだけ醜い人々を生み出すのかをすでに知っていた。

 ご飯のためなら、人は、獣にもなれるのだ。



「スンシ曰く、『之を往くところなきに投ずれば、則ち諸けいの勇なり』。飢えたく無ければ勝ちましょう、追い詰められたねずみが猫を噛むんだってことを教えてやりましょう」



 だが、勝てば良いのだ。

 勝てば全てを得、負ければ失う。まさにオール・オア・ナッシングだ。

 戦う理由としては申し分ない。

 いや、これ以上無い。



「でも安心して頂戴。アンタ達と私が負けたら、また一緒に流れるだけのことだから」

「い、いや、それはむしろ安心できないんじゃ……」

「はいそこ! 口を挟まないでくれる!?」

「ひぃっ! す、すみません!」



 流石に旧市街からついて来ている者は慣れがあるのだろう、カリスのツッコミにツッコミを返した。

 しかし、彼らは同時に知っているはずだ。

 旧市街からついて来た者達は、旧市街でのリデルの行動を知っていた。

 『施設』から共に逃げて来た者達は、リデル達によって逃がされたことを知っていた。



 だから彼らは、リデルを信じることにした。

 他に信じられる者が無く、彼女の頭脳だけが自分達の行くべき先を知っているのだと。

 彼らは、リデルをの信じるしか無い。



「……それで、具体的には何をするんだね?」

「そうね。まぁ、そうは言ってもまずは――――ご飯よね!」



 クロワの言葉に、腰に両手を当てて胸を張った。

 集まった者達が一様に「は?」と言う顔を見せる中、リデルは「だって」と笑った。



「この1ヶ月はどれだけ食べてもオーケーって言われてるのよ? だったらどんどん食べていかないと損じゃない! さぁ、キャンプ張ったらすぐに炊き出しよ。動いて、働いて!」



 歓声が上がり、千人がぱっと散って資材の山に群がり始めた。

 キャンプ張れば、ご飯だ。

 穀物と水だけで無く、貴重なことにかちくまで支給されているのだ。

 苦難を超えてきたフィリア人達にとっては、それだけで原動力になる程魅力的だった。



(ま、とりあえずはこんなものかしらね)



 これを機会に、リデルは1つの軍を持つことになるだろう。

 だがそれが誰の、何のための軍となるのか。

 リデルには未だ、それだけが見えていないのだった。



  ◆  ◆  ◆



 聖都より遥か遠く、アムリッツァー大公国・公都トリウィア。

 現在、大陸随一のこの都の最奥部では、まことしやかに流れている噂があった。

 曰く、公王陛下が東方への親征を望んでいる――――。



「陛下が?」



 車椅子の少女――<魔女>の1人、キアが見えぬはずの目をイレアナへと向けた。

 そこはどこかの書斎のようで、無数の本棚に囲まれた部屋だった。

 キアは執務用の机の前に車椅子でいて、机についているのはイレアナだった。

 指を組んで両肘を机についていて、いつも手に持っている金属製の本を机の上に置いていた。



「私はまだ<魔女>となってから日も浅く、詳しくは存じません。ただここ数年来、戦火は遠く、民は安んじていたものと承知しております」

「それが陛下と我らが<大魔女>のご意思だったからです」

「……つまり、陛下か我らが<大魔女>、あるいは両方のご意思が変わられた、と?」



 キアの言葉に、イレアナはイエスともノーとも答えなかった。

 どちらの意思がどう変わったのか、あるいは両方の意思が変わったのか。

 それとも。



「それとも、何か別(・ ・ ・)の意思(・ ・ ・)が働いた(・ ・ ・ ・)、と?」

「……露骨過ぎますね、その表現は」

「申し訳ありません。都の言葉遣いには慣れていくて」



 顔を上げて、イレアナは初めてキアへと視線を向けた。



「同志ノエルからの報告で、ある者が東の叛徒共の下にいます」

「なるほど」



 その一言で、キアは頷いた。

 頷き、イレアナがそれだけを求めていると気付いてのことだった。

 キアはイレアナとノエルが言う「ある者」のことは知らない。



 だが今、その者は東にいて、このタイミングでの公王の親征の噂――と言うより、イレアナに打診が来ている様子だが――だ、この話の流れで想像できないわけが無い。

 問題はいつ誰が、公王にそのことを吹き込んだか、だ。

 それも、いろいろといらぬ尾ヒレをつけて。



「わかっていますね、同志キア」

「勿論ですわ、同志イレアナ」



 立てはしないが、それでもスカートの裾を摘んで頭を下げてみせる。

 幼い容貌と相まって可憐に見えるが、忘れてはいけない。

 彼女キアもまた、協会を代表する7人の<魔女>の一角なのだ。

 協会の”協約は絶対”と言う理念を守るために行動する、最高位の魔術師。



「……それで、私は何を?」

「それを今から説明するところです。同志キア、まずは……」



 2人の<魔女>の密談は、そのまま深夜まで及んだ。

 そしてその4日の後。

 大公国公王により、協会へ東方征伐の要請が成された。


最後までお読み頂きありがとうございます。

今年もこんな調子で頑張ろうと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

よーし、描くぞー。

それでは、また次回。


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