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7-3:「聖都エリア・メシア」

新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

 温かく、柔らかい。

 そうした心地の中で目覚めるのは、久しぶりのことだった。



「……ん」



 ぱちり、と目を開ける。

 部屋の窓から差し込む太陽の光が顔に当たって、そのせいで目覚めたようだった。

 上手い具合に設計されているのか、上半身を起こすと日陰になるようになっている。

 常に同じ時間に起きれるようにとの、そう言う配慮が見えた。



(ああ、そっか。昨日はここで寝たんだった)



 ぼんやりとしたまま頭を回せば、昨夜の宿、ファルグリンの寝室が見えた。

 結局、昨夜はここで眠ったのだ。

 ベッドは部屋の隅にあるから、今いる位置からなら寝室全体を見渡すことが出来る。

 部屋は縦に長く、ベッドからドアまでの間に簡素な造りの鏡台、衣装入れ、机、本棚等が並んでいる。



 荒野の街において未だ木造と言う建物はファルグリンの地位故の物であろうが、それを差し引いても、一国の最高司令官の寝室にしては少し質素なように思えた。

 公都でベルの部屋を見ている分、余計にそう思った。

 そして鏡台の前のスツールに座っているのは、ファルグリン本人だ。



「ああ、起きましたか。良く眠れましたか?」



 どうやら髪を整えていたらしい。

 朝はよりウェーブが強くなっている様子で、木製の櫛で何度も梳いていた。

 自分の髪は癖一つ無いストレートなので、そうしたことで悩んだことはあまり無かった。

 公都でも、ベルに羨ましがられていたくらいだ。



「さぁ、いつまでも寝ていてはダメですよ」



 ベッドの上で身を起こした状態のままでいるリデルに、そう言って来た。

 何となく居心地が悪くなって、ベッドから降りた。

 と言って、そこからどうすれば良い、と言う考えがあるわけでは無かった。



「さぁ、こちらへ」



 それがわかったのだろう、ファルグリンはクスクスと笑いながら手招いた。

 何かと思いつつも近寄れば、先程まで彼女が座っていたスツールに座らされた。

 前には鏡、手には櫛。

 何をされるのか予感して、流石にリデルは抵抗を示した。



「ちょっと、自分で出来るわよ」

「ええ、そうですね」



 肩に手を置かれてしまっては立ち上がれず、不満の声を上げるだけ。

 しかしそれだけでは相手の行動を制せもしない、せいぜいが櫛を持ったファルグリンの手を払いのける程度だった。

 それを受けて、ファルグリンは苦笑しながら。



「今まで出来なかったことを、してみたいのです」



 そんなものは、私には関係ない。

 そう言ってやれば良いと頭ではわかっているのだが、どうしてかそうしようと言う気力が湧いてこなかった。

 肩に手を置いたまま、ファルグリンが身を屈める。

 甘い香りが、鼻腔から胸の中へと通り抜けていく。



「……ね?」



 鏡の中で、2人の顔が並んでいた。

 何となく考えるのが面倒になってきて、大きく溜息を吐いた。



「好きにしなさいよ、もう……」

「ええ、そうします」



 軽やかな声と共に、自分の髪に何かが差し込まれるのを感じた。

 ほつれや枝毛の無い直毛の中を、櫛の歯がすーっと抜けていく。

 それを何度か繰り返されて頭が小さく揺れる、リデルは鏡の中でされるがままになっている自分を見つめていた。

 そして、どこか幸福そうな顔で自分の髪を梳いているファルグリンの顔を。



(出来なかったこと、ね)



 何が楽しいんだか、そう考えつつ、鏡の中の2人を見る。

 黒髪の女性と、金髪の少女が並んでいた。



(――――あまり、似て無いわね)



 他に何を思うでは無く、何となく、そして素直に、そう思った。

 そう、思っただけだった。



  ◆  ◆  ◆



 木製の食器が床に叩き付けられ、乾いた音が響き渡った。

 場所は早朝の聖都、朝日が風と砂に塗れた荒野の都市を照らし出し始めた時間帯だ。



「良いから、もっと持って来いって言ってんだろうが!」

「で、でも、おかわりは出来ない決まりで……」

「これから仕事なんだよ! 毎日毎日、かゆと不味いスープばっかでやってられるか!」



 聖都にある通りの一つ、周囲の建物と同じく赤の混じった白い石造の建物の中から、野太い男の喚く声が聞こえてきた。

 どうやらそこは街の食堂らしく、多くの人々で賑わい、彼らの手元には朝食らしき料理があった。

 喚いているのはその中の1人だ、日に焼けた赤銅色の肌と鍛え上げられた筋肉が薄い生地の衣服を盛り上げていた。



 彼の横には木の丸テーブルが倒れており、足元には空の器が2つ転がっている。

 どうやら量が少なかったことが気に入らないらしく、給仕の少女に対して激しく怒鳴っている様子だった。

 よほど恐ろしいのか少女の目尻には涙も浮かんでいるが、他の人間は助けようともしていなかった。



「で、でも、でも」

「でもじゃねぇ! 良いからとっとと――!」



 しどろもどろな少女に苛立ち、男が少女の襟首を掴もうとしたその時だ。



「すまないが」



 男の腕に、別の手が触れた。



「ああん? 何だてめ」



 そして次の瞬間、男は膝から床に崩れ落ちた。

 腕を取られ、膝の裏を軽く蹴られ、崩れ落ちた所で後頭部を叩かれた。

 それだけで、男は呆けた様子で動かなくなってしまった。



「え、え? ……え?」

「すまないが、良いかな」

「え? あ、え……あ、ああ、はい!」

「昨日この街に来たばかりなのだが、ここならお金を持っていなくても食事の提供を受けられると言うのは本当かね?」

「は、はい! はい、そうです!」

「では、とりあえず3人分良いだろうか」

「わ、わかりました! すぐにお持ちします!」



 慌しく奥へと駆けていく少女を見送り、未だ呆けている男の横でテーブルと椅子を直していたシャノワとカリスへ視線を向けた。

 彼――クロワは、こちらの様子を窺っていた周囲の人々の手を挙げて詫びとすると、自分もどこからか椅子を確保して、それに座った。



「ふむ、とりあえずは朝食にありつけそうだな」

「そ、そうですね。良かったです」



 クロワ達は昨日は都市の入り口付近に留め置かれていたのだが、今朝になって行動の自由を得ていた。

 てっきり街への出入りを制限されるかと思っていたのだが、そんなことも無かった。

 どうやら昨日はあくまでも聖樹教の高位者達が市街に出てきたから通行が規制されただけで、実際に聖都への人の出入りが制限されていたわけでは無いらしい。

 むしろ各地から巡礼に来る信徒を受け入れるため、基本的にはオープンな都市らしかった。



「カリス、地図は作れそうかね」

「は、はい。そうですね……歩ける範囲なら、も、問題なく」

「そうか、それは良かった」



 一方で、リデルとアーサーはまだ戻ってきていない。

 だから現状、2人が引き連れていた集団はクロワに委ねられていると言って良かった。

 アーサーが旧市街から率いてきた200名弱と、リデルが『施設』から連れ出した3000人弱だ。

 合わせて3200人弱、しかも過半は病人か怪我人という状態だ。



 しかし僥倖ぎょうこうと言うか、不幸中の幸いと言うか、聖都への出入りを許されたおかげで光明が見えた。

 旧フィリアリーンではフィリア人は誰の庇護も受けられなかったが、ここ聖都、より言えば連合ではそうでは無かった。

 ここではフィリア人は最低限の生活が保障されている、聖樹教の存在が大きい。



「豊かな者と貧しい者では無く、過ぎた豊かさを皆で捨てる、か」

「こんな場所があるなんて」

「い、意外でした。連合って、もっと酷い所かと……」

「ふむ……」



 お金を持っていない、クロワの言った言葉は本当だ。

 と言うか、到着されたばかりの彼らが連合の通貨を持っているはずがない。

 ここは大公国の公都では無いから、住民が無料で生きていけるような楽園では無い。

 しかしここでは、代わりに教会が貧しい人々のための施設を運営しているのだ。

 この「共同食堂」と言うのも、その一つだ。



 教会に集められた寄付を元手に運営されており、日々の食事に困窮する人々に最低限の食を与えるための施設なのだ。

 連合各地から聖都へ巡礼に来る旅人の多くは貧しく、そうした人々にも開放されている。

 日に数千人が聖都を訪れることもあると聞く、その意味で、クロワ達3000人を受け入れる素地はあった。

 そう言う意味では、本当に「不幸中の幸い」と言えた。



「お、お待たせしました……!」



 その時、少女が盆に載せた料理を運んできた。

 葉物の野菜スープと、穀物のお粥。

 どうやら品はそれしか無いようで、他の人々も同じ物を同じ量だけ食べていた。

 そう、ここでは同じ物を食べるのだ。



「ありがとう」

「は、はい……」



 礼を言うと、少女ははにかむような微笑を見せた。

 少女が着ている衣服は、やや砂と土で汚れた白い簡素な衣服だ。

 そして、周りで食事を取る他の人々も同じ衣服を着ている。

 せいぜい、男女のデザイン差がある程度だ。



(皆同じ、か)



 味の薄いスープに口をつけながら、そう思った。

 どうやら、もう少しこの国について知る必要がありそうだった。



  ◆  ◆  ◆



 鼓の音が響く、白銀の鎧を来た集団がその音に反応して縦横無尽に動く。

 およそ一千程か、全員徒歩(かち)だ。

 右と左に同程度の人数がいて、今は右側の集団が左側へと攻めかかっている所だった。



「今攻めかかっている部隊は、ラタが指揮している部隊。守っているのは連合参加国の部隊です。ちょうど、今日は平地での模擬戦の日です」

「ふーん……調練の予定って決まっているものなの?」

勿論もちろん、そうでなければ兵が効率的に育ちません。ただし兵には知らせません、突発的な事態への即応力を養うためにそうしています」



 聖都郊外の荒野で、2つの軍が土煙を上げて駆けていた。

 模擬戦とは思えない程に鬼気迫る雰囲気で、離れた位置から見ているだけのリデルにもその緊張感が伝わってくる程だった。

 当のリデルはと言えば、ファルグリンと共に小高い丘の上から調練の様子を見ていた。



 朝、朝食が終わった後にファルグリンに誘われたのだ。

 よければ我が軍の調練を見学しませんか、と。

 見ておいて損はしないだろう、そう思ってリデルも了承した。



(良く考えたら、軍隊の訓練ってまともに見るの初めてだわ)



 加えて言えば、周囲を囲む200人余りの兵の存在も想定していなかった。

 だが良く考えてみれば、軍で1番偉い人間が視察となれば護衛がつくのは当然だった。

 じろじろと見られているような気がして、居心地が悪かった。

 しかしそれを差し引いてもなお、ワクワクしている自分がいるのも事実だった。



鶴翼かくよくって待ちの手みたいなイメージがあったけど、攻め手でも使うのね」

「そうですね。実戦では複雑な陣形はむしろ使いません。こうした基本の陣形を多様な状況に応用する力の方が、実戦指揮官には求められます」

「なるほど」



 鶴翼の陣とは、正面の相手に対して部隊を左右に広げる陣形のことだ。

 ラタが攻撃の際に採った陣形がそれで、普通は攻めてくる敵を迎撃する際に使うものだ。

 右側――ラタの部隊が左右に広がって、密集している敵の外側の陣を交互に衝いていく。

 執拗な衝きだった、陣形には性格が出ると言うから、案外ネチっこい性格をしているのかもしれない。



 土煙が上がる、叫び、剣戟の音。

 歩兵だけの戦闘である分、より血生臭く見える。

 少なからぬ脱落者を出しながらも、幾度目かの衝きでラタの部隊が相手の守備の壁をこじ開けた。

 中央を抉られた左側の部隊が、算を乱して崩れていく。



「左の方はどうして反撃しなかったの? そう言う訓練だから?」

「いえ、出来なかったのでしょう。ラタは相手が守りを固める前に決断して、速攻を仕掛けました。戦においては、陣の完璧さよりも迅速さが優先される場合があるのです」

「スンシ曰く、『兵は拙速を尊ぶ』ってやつね」

「その通り。勿論、機と言うものはありますが」



 新鮮だった。

 流石に実戦のような「勝利か敗北か」の瀬戸際の精神性を感じることは無かったが、兵を実際に動かして、陣形や指揮のことを確認したり、学んだりすることは面白かった。

 自分だったらどうするだろう、そう考えるだけで高揚を感じるのだ。



(相手が鶴翼で来るなら、同じだけの兵力があるなら)



 自分ならこうする、と言う考えはすぐに頭の中に浮かんでくる。

 小高い丘の上から見下ろしているせいもあるのだろうが、兵の動きも良く見える。

 一丸となっているように見えて、実は兵と言うのはいくつもの小グループに分かれているのだ。

 編成としてそうなっているわけでは無く、多分に兵の心理的要因による所が大きいのだろう。



 本格的な調練だ、怪我をする者もいるだろう。

 実際、脱落する兵も1人や2人では無い。

 兵も人間だ、恐怖心もある。

 そうした微妙な心理や感情が、陣形の一部を乱したりもする。

 一糸乱れぬ完璧な動きなど、それこそあり得ないのだ。



「しかし、そうした兵の心の動きをも織り込むのが軍師。軍師の策が敗れれば軍は敗北し、軍の敗北は国家の存亡を危うくするのです」

「そうね……そうね、その通りだわ」



 旧市街やルイナの村で、僅かだが集団を率いたことがある。

 いかに人が思い通りに動かないか、その中で少しだけ経験した。

 策は容易く変質し、崩れる、移ろいやすく儚いものだ。

 それを操り、いかに勝ちを収め、いかに戦を収めるか。



「さぁ、ラタが追撃の陣を敷きつつありますよ」



 調練はまだ続く。

 リデルは兵の動きの隅々までを追おうと、戦場をじっと見つめていた。

 そしてそんなリデルを、ファルグリンが見つめている。

 まるで玩具を与えられた子供のように瞳を輝かせる少女の横顔を見て、ファルグリンは小さく口元を笑みの形に歪めていた。



  ◆  ◆  ◆



「どこに隙があると思いますか?」

「え?」



 平地での模擬戦の後、休憩を挟んで別の状況での模擬戦が始められていた。

 リデルはファルグリンと共に変わらず小高い丘にいて、それを見下ろしていた。

 どうやら陣地戦を想定しているらしく、堀と土堤で囲まれた簡素な陣をラタの部隊が攻撃する形だった。

 どことなく、ルイナと行った農村の防備に似ている気がした。



「もしリデルがあの陣地を攻めるなら、どこから攻めますか?」

「そうねぇ」



 土堤は直径約1キロの円状に組まれている、荒野だから高低差は考えなくて良いだろう。

 堀は土堤の外側に沿うようにジグザグに掘られているが、そこまで深くは無く、2メートルは無いだろう。

 それから堀から陣内へ至る門は3つ、1つの門に対し堀に土の橋が2つ架けられていた。

 天候は快晴で雲一つ無い、風は強いが砂で視界が覆われる程では無い。



 防御側と攻撃側の兵数は同じで、しかも防御側は陣地の中で守りを固めている。

 土堤は分厚いが脆い、登ろうとすれば足場から崩れていくだろう。

 どうやらラタは門の1つに狙いを定めて、全ての兵力をそこに投入するつもりらしかった。

 一点突破、わかりやすいと言えばわかりやすい。

 すぐに、激戦が始まった。



「……50人で良いわ」

「ふむ?」



 狭い門に攻防合わせて2000の兵がひしめき合っている、物凄い勢いの殴り合いが発生していた。

 はっきり言って膠着しており、決着はしばらくつきそうに無かった。



「50人、攻めている門の反対側へ回り込ませる。何なら2箇所でも良いわね。敵はこちらの正面部隊に気をとられていて陣地の他の場所を守っていないわ。中に兵を入れてしまえば、正面の防御も容易く崩せる」

「なるほど、確かにその通りですね」



 敵も味方も門に集中している今なら、少数の部隊を回り込ませることは簡単だ。

 回り込ませてしまえば、背後の陣地を破壊するなり、他の門を占拠して味方を引き入れることも出来るだろう。

 そう言った意味で、リデルの策は短期戦向きの策と言えた。



「しかし、それをするには少し早い」

「早いって。早くしないと味方の方が耐えられないでしょうが」

「それは全力で攻め続ければ、の話でしょう?」



 リデルの横に立ち、ファルグリンは手で戦いの続く荒野を示しながら。



「今は敵も疲弊しておらず、元気いっぱいの状態です。それでは例え後背に回っても対処されてしまうかもしれません。だから今はその策を採るにはまだ早いのです」

「じゃあ、いつなら良いのよ」

「それはもちろん、敵を疲れさせた後です」



 良いですか? と指を振り、ファルグリンがリデルの耳元まで近付いて言った。



「陣地戦は攻める側にとって損耗の大きくなる可能性が高い戦いです。だからまず使者を立てて降伏の交渉をします。成功する必要はありません、その間に攻める準備を進めれば良い。ラタはその時間を自ら捨てた。態勢が整う前に攻めるから、あんな風に消耗戦に陥って膠着してしまうのです」

「でも、それって敵も守りを固めちゃうんじゃないの?」

「緊張させ続けることが重要なのです。追撃の際に敵の中に味方を数人紛れ込ませておいて、敵側の兵達に厭戦えんせん気分や降伏論を吹き込むのも良いでしょう」



 この女は、自分に兵法を教えようとしているのか。

 そう気付いた時、こちらが気付いたことを察したかのように微笑を浮かべた。



「リデル、貴女の戦場を見る目は素晴らしいものがあります。流石はあの人の娘。でも貴女は戦の機を見る目が足りません。どんなに素晴らしい策も、タイミングを誤れば凡策と成り果ててしまいます」



 戦の機、軍の呼吸、兵の状態、地形と陣形。

 いくら急所を見抜いても、そのタイミングが掴めなければ意味が無い。

 これまで瞬間的に敵を驚かせることは出来ても、最終的な勝利を得ることはなかなか出来なかったリデル。

 何となく、足りなかったものを教えられた心地だった。



「降伏の使者を送り、内側に不安の種を撒き、しかる後に攻める。この攻めも、例えば1000人で1度に攻めるのでは無く、200人で5つの隊を作り交互に攻めましょう。そして遊軍の200は正面の門の左右を行ったり来たりさせ、敵の注意を引くのも良いでしょう。そうすれば後方の備えはますます薄くなり、また敵はこちらの第2の攻勢地点が読めず、混乱することは必定」



 策に対するお膳立てのバリエーションが違う、この時リデルはそう思った。

 その場の閃きだけでは無く、その閃きの成功率を上げるためにどこまで貪欲になれるのか。

 ファルグリンは自然にそれを知っている、そう思った。

 これが、一国の軍を率いる者なのか。



「こうした戦の方策は、全てあの人に学んだことです」



 この女の中にも、父の軍略がある。

 知りたい。

 強烈にそう思った、この女の中にある父の軍略を知りたいと思った。

 それを悟ったのか、ファルグリンは頷いた。



「教えましょう」



 何故ならば。



「きっと私は、そのために貴女と出会ったのだから」



  ◆  ◆  ◆



 調練から戻って次にやって来たのは、聖都にある図書館だった。



「ここは聖樹教の大図書館! ここには連合で読むことが出来ず全ての本が収蔵されています」



 島の本棚とは比較にならない、公都の図書館と比較しても遜色ないような蔵書の数々だった。

 違いがあるとすれば、蔵書の傾向と質だ。

 公都の蔵書は革装丁で美しく整えられ、本も定期的に新しくされていた。



 一方で聖都の図書館の蔵書は全て原本、写しは無い。

 保存状態も良くは無いから紙は黄ばんでいて、中には触れるだけで崩れてしまいそうな物もある。

 いや紙では無く、粘土板で保存されている文章や絵まであるのだ。

 図書館と言うよりは、博物館に近いかもしれない。

 そして公都の図書館と比較した時、最大の違いはある1点にあった。



「この図書館の蔵書の半分以上は、古今の兵法書や戦史。その検証の論文や見解書などで構成されています。中には私が書いた兵学書の注釈などもあるので、良かったら見てみると良いでしょう」

「凄いわね、ここ」

「ええ、そうでしょう。そしてこれが……」



 ドサドサと音を立てて、本が積まれていく。

 少し古い物が多いそれらは図書館の長机を一つ占拠する程で、ファルグリン自らが本棚から集めてきた物だった。



「そしてこれらの本が、あの人が聖都に残していった物です」

「パパが?」

「そう、私はこれで軍学を学びました。内容は全て頭に入っています」



 ふむと頷いて、一冊を手に取り読んでみた。

 古代から現代に至るまでの有効な戦術と、実際に使用された戦の記録、そしてそれらに対する注釈。

 島で読んでいた本はあくまで本であって、こう言った「同じ内容を様々な方向から眺める」と言うようなことはなかった。



「……この字」



 直接に本に書き込んである文字、その中に見覚えのある筆跡をも見て取れて、リデルの胸は高鳴らずにはいられなかった。

 父の字をリデルが見間違えるはずが無い、たとえ少し古く、消えかかっていたとしてもだ。

 本当に、父はここにいたのだ。

 かつて父がいた場所に自分がいる、胸の奥にほんのりと熱が灯るのを感じた。



「リデル、貴女はまず。これらの内容を全て頭に叩き込まなければ……」



 リデルの様子に気付かず喋り続けていたファルグリンは、途中で言葉を止めた。

 それはリデルが自分の話をもう聞いていない、そう理解したからだ。

 実際、リデルは手元の本に没頭していてファルグリンのことなどもはや眼中に無かった。



「……ふふふ」



 笑って、ファルグリンはその場を離れた。

 自分が何かを言うまでも無く、リデルはあれらの、いや図書館中の蔵書を読み漁るだろうと言う確信があったからだ。

 だから彼女はリデルの邪魔をしないよう、静かにその場を後にした。



「……シュトリア卿……」

「ああ、ラタ。先程の調練は見事でしたよ」

「シュトリア卿、どうしてあんな小娘を気にかけるのです」



 そこにラタがやって来た、調練の疲れも見せず、昨日から気になっていたことを我慢出来ずに聞いてきたと言う風だった。

 彼女も<東の軍師>の娘と言う話は聞いているはずだが、それでも納得は出来なかったらしい。

 それも仕方ない、ラタにとってリデルは振って湧いたような存在なのだから。



 それにラタの軍学の師はファルグリンである、気に食わないとしても無理は無かった。

 ラタにとってファルグリンは尊敬の対象であり、自分を軍師として育ててくれた母のような存在でもあるのだ。

 そのファルグリンが理由も無く良く知りもしない娘に執心しているとなれば、気分がささくれ立ちもすると言うものだった。



「……!」



 しかし、ラタは知らなかった。

 いや、見誤っていた。



「黙りなさい」



 ファルグリンの執心の度合いが、彼女の想像を遥かに超えていたと言うことを。



「あ……」

「お前ごときが口を出すことでは無い。黙して控えていなさい」

「は……は」



 何を見たのか、ラタは怯え切っていた。

 耐え切れずにその場に崩れ落ち、床に膝をつけ、頭を垂れた。

 その様に鼻を鳴らし、ファルグリンが図書館を出て行く。

 ラタはそれを止めることはおろか、声をかけることすら出来なかった。



 代わりに彼女は、顔を上げて長机を占拠して本を読んでいる少女へと視線を向けた。

 まるで親の仇でも見るかのような眼差しで、リデルの背中を睨んでいた。

 足の震えが収まり、立つことが出来るようになるまで、ずっと。

 ギリリ、と、奥歯を鳴らしながら。



  ◆  ◆  ◆



 アーサーは困惑していた。

 ファルグリンに連れて行かれたリデルのことはもちろん、街に残してきたクロワ達のことも気がかりな時だった。

 彼は、ある少女にお茶に誘われたのだ。



「さぁ、どうぞ。最近、聖都で解禁された香草のお茶なんです」

「は、はぁ……」



 場所は聖都のカフェ、熱気のある空気と風の中で、通りに面したオープンなカフェだった。

 周囲には多くの人々がいて、誰もが似たような砂色に塗れた白い衣服を身に纏っていた。

 同じようなテーブルに座り、同じ飲み物を飲んでいた。

 何でも無い、昼下がりの一時である。



 カップには蓋がついていて、飲む時以外には蓋をして置くのが一般的なようだった。

 巻き上げられた砂が中に入らないようにするためで、お茶の中には薄い緑色の葉が浮かべられていた。

 茶葉の変わりに香草を入れているらしいお茶は、香り豊かで、口に含むと喉から鼻にかけてすっとするような感覚を得ることが出来た。

 好き嫌いの別れそうな味だが、アーサーとしては嫌いでは無かった。



「うっ……けほっ」



 しかし目の前の少女は違ったらしく、一口飲んだ途端に咳き込んでいた。

 少女が勧めてきた飲み物のはずだが、どうやら得意と言うわけでは無いようだった。



「けほっ、けほっ、けほっ」

「だ、大丈夫ですか?」

「けほっ……だ、大丈夫です」



 目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、少女が顔を紅くして言った。

 長い茶色の髪を首の後ろで束ねた少女で、束ねた髪を左肩にかけて胸元へと流していた。

 薄い緑の瞳はくりくりとして愛らしく、羞恥で赤らんだ頬と相まって、酷く少女めいて見える。

 衣服は他の者と同じなのだが、不思議と品を感じる容貌をしていた。



「あの、それで何故僕を?」



 少女が落ち着いた頃、アーサーはそう聞いた。

 アーサーがファルグリンの邸宅で時間を持て余した際、わざわざ訪ねて来たのが彼女なのだ。

 護衛も連れず、兵の姿もなく、当たり前のように玄関から入って来た彼女。

 ――――彼女には、名前が無い。



「昨日お見かけした時から、お話を、と思っていたんです」



 唯一あるのは、<教皇>と言う肩書きだけだ。



「フィリアリーン王国のアーサー王子、貴方とお話がしたかった」



 フィリア人は誰もが、古の聖女フィリアを信仰している。

 聖樹教はその聖女フィリアを信仰する宗教であり、アナテマ大陸東部のフィリア人はほぼ全員が聖樹教の信者だ。

 教皇はその聖樹教の頂点に立つ存在であり、その身は清らかで無ければならず、その心は常に聖女フィリアの下に在ると言われている。



 神聖にして不可侵 清廉にして無垢。

 本来なら教会の奥の院にいるべき存在であって、少なくともこんなカフェで香草のお茶など飲んでいるような身分では無い。

 昨日ファルグリンに伴われて顔を合わせた時には、そんな雰囲気はまるで無かった。



「わたしは、貴方とお話がしたかった。だって貴方の母国は……」



 だが南部のフィリア人――旧フィリアリーン――は聖女フィリアを信仰しているが、聖樹教の信者では無い。

 何故ならば、彼らは聖樹教を、より言えば聖都と聖都が率いる連合を信頼していないからだ。

 出来るはずが、無かった。



「……貴方の母国は、わたし達が滅ぼしてしまったのですから」



 哀しい眼差しを向けられて、アーサーを天を仰いで目を閉じた。

 蓋を閉め忘れたお茶の水面に、砂粒がゆらゆらと揺れていた。



  ◆  ◆  ◆



 どこにいても、夜は来る。

 それは大陸の極東だろうと荒野だろうと同じことで、しかも聖都の夜は公都に比べると長く寒い。

 何よりも暗い、公都にあるような灯りが聖都には無いためだ。

 蝋燭の火よりもまばゆきらめくく月と星々の光が、街灯りの代わりだった。



「……畜生が!」



 そんな街の片隅で、唾を吐くような声が響いた。

 路地裏には月星の光も届かない、闇の中で音だけが聞こえてくる。



「全くとんでもない所だよ、ここは!」

「あ、姐御。どうしやすか!?」

「ふひひ、もう走れないんだな~」

「五月蝿いね! 情け無いことを言うんじゃないよ!」



 声だけでは無い、はぁはぁと荒れた息遣いまでもが聞こえる。

 その中で一つ、女の声だけが確かで、硬く、そして気丈だった。

 しかしその声も、「しっ」と鋭く呼気と共に制してからは小さくなった。



 静寂。

 そして、遠くから何かが近付いてくる音が聞こえ始めた。

 それは行進のようであり、這っているようであり、まるで百足を思わせた。

 ちっ、と言う女の舌打ちが響いた。



「こうなったら仕方ないねぇ。別れて逃げるよ」

「あ、姐御ぉ!」

「ふひひ、ブラン達だけじゃ逃げ切れないんだな~」

「知ったことかい! お前らも男なら自分の身は自分で守りな!」



 近付いてきている、音だ、いや声もする。

 女の声が離れた、それは近付いてくる音や声の方に自ら近付いていた。

 残された2つの声は女の意図を察して、いつまでもその女の名を呼んでいた。

 ――――アレクフィナと、そう呼び続けていた。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

昨年に続き、今年も定期更新で頑張ります。

おそらく今年中には終わるとは思うので、と言うか半分は過ぎているような気がしますので、頑張ります。

それでは、今年も宜しくお願い致します。


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