7-1:「東へ、さらに東へ」
闇の中に、7つの椅子が置かれた円卓だけが浮かび上がっていた。
黒曜石で出来た冷たい円卓の席は現在、2つまでその席が埋まっていた。
「それにしても、驚いたよ」
その内の1つを占める青年、ヴァリアスが口を開いた。
彼はいつもの混合服では無く、よりローブに近いゆったりとした衣装を身に纏っていた。
肩回りや袖に銀細工を仕込んだ豪奢な物で、実用性よりも見栄えを重視した衣装だとわかる。
しかしそんな衣装も、見目麗しい彼が着ると嫌味なく様になって見えた。
「任地へ戻る途中で呼び戻されるとはね。しかも全<魔女>への強制召集なんて、僕が<魔女>に就いてからは初めてのことじゃないか?」
独り言のように見えて、それは円卓に座るもう1人に向けられたものだ。
だがそのもう1人、イレアナは、目を閉じて座したまま何も語ろうとはしなかった。
どうやら、ヴァリアスの相手をするつもりは無いらしい。
「やれやれ」
そんなイレアナの様子に気付いたのか、ヴァリアスは肩を竦めて椅子に背中を寄せた。
この椅子も何らかの金属で出来ているようで、押し当てた背中には衣服越しに冷たく固い感触があった。
円卓の置かれた部屋も相当に広いはずなのだが、照明が円卓周辺にしか無いために、暗闇の中に円卓が浮かび上がっているかのように見えてしまうのだ。
気のせいか、空気も冷たく澄んでいる。
息を吐けば白くなるのではないか、そんな気さえする程に。
あるいは、用意された「場」の持つ独特の空気がそうさせるのだろうか。
何しろこの円卓は、大公国でも選ばれた7人しか座ることを許されない席。
大公国の長である公王ですら、この円卓に座すことは出来ない。
「……強制召集とは言っても……」
その時、高い少女の声が響いた。
聞く者に安堵を与える柔らかで穏やかな声音はイレアナのものでは無く、それは自然、3人目が現れたことを意味していた。
「強制召集とは言っても。同志ノエルは特命を得て欠席。同志ユノも立場の特殊さから来ず……全員が一堂に会する、と言うわけにはまいりませんね」
キィキィと車輪が回るような音と共に、彼女はやってきた。
「おや。これは珍しい顔を見れたものだね」
「ふふ、わたしは貴方程に皆に好かれていませんから」
微笑みと共にやってきたのは、小柄な少女だった。
まだ10代前半だろう小さな女の子で、若い。
立てば足首に届くだろう長い金色の髪に、着ていると言うより飲み込まれていると言った方が正しい黒の衣装――これはヴァリアス、イレアナと同じ意匠のもの――を身に纏っている。
しかしそれ以上に見る者の印象に残るのは、2つの特徴だ。
第1に彼女は車椅子に乗っている、車輪に赤い<アリウスの石>を嵌めた特別なもので、乗っている者の意思で自在に動かすことが出来るようだ。
彼女はその車椅子の背もたれに、布でもかけるかのように長い髪をかけていた。
「同志イレアナ、同志ヴァリアス。息災のようで何よりです」
そしてもう1つ、彼女は目を閉じていた。
盲目であるためか、あるいは他に理由があるのかはわからない。
ただ彼女はともかくに目を閉じていて、その菫色の瞳を外界に晒さずにいた。
彼女は車椅子から椅子へ移るのを手伝おうとしたヴァリアスを手で制すると、目を閉じているにも関わらず、正確にイレアナの方を向いた。
「それで、何かあったのですか? それも、我らが<大魔女>が他の6名を召集せねばならない程の何かが」
ここで初めて、イレアナは目を開いた。
彼女はまず円卓の上に置いた金属製の本――イレアナが常に持ち歩いている物だ――に視線を向けた後、そこからすいと少女の方を見やった。
怜悧な菫色の瞳が、車椅子の少女――<魔女>の白面を見据える。
「同志キア」
少女の名はキアと言うらしい、イレアナは続けてこう言った。
「<魔女>が1人、斃れました。斃したのは、我が大公国の元公女」
イレアナの言葉に、ヴァリアスが真顔になり、キアが眉を顰めた。
しかし言葉を放った当人は平静に、冷静に、それでいて常よりも固い声で。
「――――アナテマの<大結界>に、綻びが」
イレアナは、視線をどこかへと向けた。
それはキアとヴァリアスを見ておらず、いや円卓や部屋の中すら見ていない。
彼女はその先の遥か向こう側、都市も、国すらも超えた先を見据えていた――――。
◆ ◆ ◆
群れ。
植物の少ない赤い荒野を、無数の人間の群れが歩いている。
老若男女問わず、病人であるかどうかも問わず。
そんな群れの中を、短い黒髪を揺らしながら1人の女性が駆けていた。
「連合」の軍人、ラタである。
「……アーサー殿!」
群れのほとんどは、痩せ細り今にも倒れそうな者達ばかりだ。
いや、実際に倒れている者もいる。
足取りは遅く、そして重く、ラタが少し駆ければ見る見る追い抜いて行ける程だった。
「アーサー殿!」
そんな彼女が向かった先は、群れの中程にいる青年の下だった。
ラタは水先案内人に過ぎず、群れの主はアーサーと言うことになっていたからだ。
2000とも3000ともされる群れを率いる青年は、ラタの来訪に視線を向けて来た。
「やぁ、ラタさん。どうかしましたか?」
「どうかも何も! 『施設』を発ってもう5日! こんな遅い進みではいつ本隊と合流できるか……!」
「まぁ、そう言われてもですねぇ」
そこで、アーサーはちらりと自分の隣へと視線を移した。
目の前で飛ぶ鳥に指先を突かせていた少女は、アーサーの視線に気付いたのか、顔を上げた。
「仕方ないじゃない、置いて行くわけにはいかないんだから」
む、と言う目をラタがした。
それも仕方ない。
彼女はアーサーが『施設』に救いたい人物がいると言うことは知っていたが、それが金髪菫瞳のソフィア人だとは露とも思っていなかったのである。
そして少女――リデルにとっても、ラタは新しいタイプの存在だった。
フィリア人と言うことだが、ソフィア人である自分への畏れの色合いが少なく見えたのだ。
アーサー達とはまた違う地域に住むフィリア人とのことだが、そう言うことも関係しているのだろうか。
「それに、アンタの言う「連合」とやらの勢力圏まで、あと少しなんでしょ?」
ラタの情報では、『施設』は大公国でもフィリア人の土地に近い位置にあるのだと言う。
それは『素材』を効率的に運ぶためであって、ルイナ達が収監されていたことからもわかる。
そして南に行けば旧王都クルジュがあり、東へ進めばラタの言う「連合」の勢力圏があるらしい。
理由はわからないが、そこの指導者がアーサー達を呼んでいると言うのだ。
アーサーにはその理由に心当たりがあるようだが、今はまだ話してくれてはいない。
「しかし、報せを放ってからの時間を考えると、我が本隊は待ちくたびれているはずなのです」
「だから、仕方ないじゃない。皆を置いて行けって言うの?」
『施設』から救い出したドクターの被害者達は、人数の多さもあってそんなに早く移動は出来ない。
まして健康状態が歩く、数少ない鉄馬車はすした人々の輸送に使わなければならない。
歩みが想定よりも遅くなるのは、仕方の無いことだった。
「ですから、せめてアーサー殿達だけでも。他の者達は後からでも……」
「なら、アンタが保障してくれるの? この人達が、私達がいなくても群れを維持して移動できるって。私達を迎えた後でも、アンタの言う本隊がこの人達を待っていてくれるって」
「ほ、保障とかそう言うことでは無く」
「そう言うことよ、私達にとっては。残念だけど、これ以上のペースで進むのは無理よ」
自分やアーサー達と一緒だからこそ、この群れには価値がある。
酷い言い方だが、しかしそれは事実だった。
行く当ても生活力も無い数千の人々を受け入れてくれる所があるなどと、そんな甘い考えは持っていない。
アーサーに用があると言う「連合」の指導者は、当然、それ以外の者達の優先順位は低いはずだ。
だが何を頼むにしろ命じるにしろ、アーサーと群れが一緒である限り、アーサー以外の者達への配慮を怠ることは出来ないだろう。
アーサーが「ノー」と言えなくするためにも、そうしなければならない。
「~~アーサー殿!」
「はは。いやぁ、まぁ。リデルさんがそう言うなら仕方ありませんね」
「~~~~ッ!」
憤懣やるかたなし、まさにそう言った風にラタは顔を紅潮させた。
ラタには理解できない、どうしてアーサーがソフィア人の小娘の言に従っているのか。
この2人がいったい、どういう関係にあるのか。
まるで理解できないでいた。
だが、彼女にも本隊から与えられた役目がある。
ラタはアーサーを連れて行くと言う役目を最優先に考える、だから彼らを少しでも早く先に進ませなければならない。
重ねてそう進言しようとした、まさにその時だった。
「アー……ッ、な、何事ですかっ!?」
「ああ、やっぱり来たわね……」
驚くラタと、冷静に受け止めるリデル。
対照的な反応を見せる2人は、しかし同じように後ろを振り向いた。
そして群れの後方、轟音と立ち上るもうもうとした砂煙の柱を見た。
――――追っ手、だ。
◆ ◆ ◆
3昼夜駆け続けて、ようやく見つけた。
最初のその報を受けた時、ノエルは二重の意味で驚いたものだ。
第1に、リデルが『施設』にいるとは思っていなかった。
そして第2に、まさか彼女が、いや彼女らが――――……。
「こうなれば、この管区の<魔女>が斃れたと言う報は真実であると受け入れるしか無いか」
ノエルは今、馬に乗っていた。
専用に鍛えられた馬で、鞍と轡の部分に小さな<アリウスの石>がつけてある。
ソフィア人は都市や都市間の移動では鉄馬車を使うことが多いが、鉄馬車は個人の移動や素早い移動には向かないため、こうした動物を使った移動手段も存在するのだ。
もちろんただの馬では無い、鞍や轡に備えられた<アリウスの石>の力で自分の手足のように操ることが出来る。
ただ馬自身の感情は消えてしまうので、動物愛護団体からは抗議の対象となっているとか。
まぁ、ノエルとしてはそこはどうでも良かった。
重要なのは今、このタイミングで群れに追いついたと言うことだ。
「群れの進むこの方角。なるほど」
ノエルの管轄は大公国の極東部、異民族――公式には存在を認められていない――が多い地域だ。
なので直接の接触は無いが、人口の少ない荒野部が多い大陸東部に別の勢力がいることは知っている。
と言うより、その勢力は大公国から独立を果たしたと言う歴史的経緯があるのだ。
20年前、ないし12年前に。
(……討つのか)
数十騎の部下を背中に引き連れながら、思う。
(討てるのか、あの方の娘を)
出来る。
確信があった、自分は討とうと思えば討てる、討てない相手などいないと言う自負がある。
『はたして世界は、キミの足よりも小さいのかな?』
脳裏に、『彼』の言葉が甦る。
今さらだと頭ではわかっているのだが、リデルのことを考えるとどうしても掠めてしまうのだ。
しかし、それは弱さだ。
手綱を引き、目前に迫った群れの最後尾を追った。
荒野と言っても、何も無いわけでは無い。
アナテマ大陸は東へ行く程に道は荒れて険しくなる、ここもそうだ。
左側は徐々に高くなり、すぐ近くに山々が広がっているのが見える。
右側は逆により低地になり、遠目に河の流れる小さな渓谷を挟んで赤い荒野が続いている。
渓谷は斜め左へと伸びていて、高地にあるこちらへと河が繋がっているようだ。
「総員……む」
不意に、馬の頭に影が差しかかった。
直情の太陽を遮るそれは、何者かが上にいることを示していた。
「ノエル様!」
「――――!」
部下の声よりも早く上を見る、すると太陽が歪んで見えた。
いやそれは、水晶を通して見ているからだ。
「はあぁっ!」
次の瞬間、大剣ごと宙を舞っていたクロワが、勢いそのままに剣を振り下ろし、叩きつけた。
轟音と共に、砂煙が立ち上った。
◆ ◆ ◆
一瞬の判断で、馬は捨てた。
大剣の一撃でひき潰された馬の肉を踏み、空中でもう一度跳ぶ。
声をかける必要も無く、残った部下達がさっと離れていくのが気配でわかった。
「クロワか」
あの集団で自分の足止めに来るならば、クロワ以外にあり得ない。
ノエルにはそれがわかっていたし、わかっていたからこそ対応も楽だった。
つまり、蹴るだけだ。
空中で前に1回転し、そのままの勢いで舞い落ちた。
一方のクロワは大剣を盾に、受け止める。
ノエルのブーツに覆われた足は、大剣に音も立てずに触れた。
しかし衝撃は凄まじかった、魔術を付与した剣で無ければ砕けて折れていただろう。
だが、衝撃そのものはクロワの身体を抜けてきた。
「ぐふっ……!」
足の下の地面が砕け、周囲の土が捲れ上がった。
砕けた石が跳ねる中に、ぽたぽたと赤い雫が滴り落ちる。
ひらりと少し離れた位置にノエルが着地するとほぼ同時に、クロワはその場に膝をついた。
手の甲で口元を拭い、汗が流れるのを堪え切れない顔でノエルを見た。
(周りに部下がいるせいで、威力を絞ってくれたのが幸いしたか)
着地ついでの蹴りに込められた魔術の威力だけで、身体の内側を引っ掻き回されたかのような感覚を得たのだ。
全力の蹴りであれば、おそらくクロワの身体はこの世から消し飛んでいただろう。
しかし一撃を受け止めただけの価値はあっただろう、おそらくだが。
「ノエル様! 敵が2手に別れます!」
「何?」
部下の声に、ノエルがクロワから視線を外した。
苦笑したが、今は侮ってくれていれば良いと思った。
そして実際、リデルとアーサー達が率いていた3000に別の動きが出ていた。
少数の鉄馬車が東の河へまっすぐに向かい、大多数が北東の山の方へと移動を開始したのだ。
普通に考えれば、重要人物達が群れから離れて先行したと考えるべきだろう。
しかしノエルの知る限り、リデルはそう言うことをする性格はしていなかったはずだ。
となると、あの離れた鉄馬車の小集団はいかにも妖しい。
「うあっ!?」
「む」
その時、他の部下が悲鳴を上げて馬から落ちた。
走っている最中の馬を奪うと言う器用な真似をしてのけたのは、もちろんノエルの部下では無い。
ハーフテールの黒髪の少女、シャノワだ。
彼女は意識の無い馬を苦労して曲げ――シャノワは<アリウスの石>による操作が出来ない――クロワの方へと向かった。
膝をついていたクロワは、顔をしかめながらも跳んだ。
着地先はシャノワが奪った馬だ、彼女の後ろに着地し、そのまま座り込む。
そして少女の手ごと手綱を握ると、腕の中にシャノワを収めるようにして鞍の<アリウスの石>に触れた。
「良し、行こう」
「……はい!」
そのまま、2人は駆けて行った――河へ向かう、少数の鉄馬車の方へと。
ノエルは即座には反応せず、クロワ達が逃げるその背中を無言で見つめていた。
部下が新たな馬を引いてくるまで、ずっと。
◆ ◆ ◆
冴え渡っていると、アーサーはそう思っていた。
以前から頭の回転の速さと行動力に舌を巻いていたものだが、数ヶ月ぶりに見ると、以前よりも煌きがあるように思えた。
自分がいない間に、リデルもまた何かを得たのだろうか。
「アレクセイさんも行かせたんですね」
「怪我人だしね」
先行させた鉄馬車には、アレクセイを含む負傷者や病気の者など、動けない者達を乗せている。
その集団はラタに委ねた、元々先に行きたがっていたようだし、ちょうど良かっただろう。
弱い者から先に行かせると同時に、五月蝿い目付け役のラタを自分達から引き離す。
走れる者だけが山へ向かい、後方ではクロワが時間を稼ぐ。
「それにアレクセイなら、上手く潜り込めるでしょ」
「……なるほど」
こう言う所が、冴えていた。
と言うより、以前のリデルならやらなかっただろう。
いかにアレクセイが潜入に向くとは言え、1人で先に行かせるのは危険に過ぎる。
それを先ず選択できてしまうあたり、以前とは違う。
そしてそれは、ある1つの事実を示している。
リデルは、ラタの言う本隊が想像よりも近くに来ていると考えているのだ。
境界の具体的な位置はわからないが、遠くは無い。
そしてラタが報せを放って5日、おそらく、迎えとやらもこちらへ近付いているはずだ。
「もしかして、こうなることを?」
「わかってたかって? わかるわけ無いじゃない、ただ考えてただけよ。追いついて来るとしたら何日後か、何人で、どんな奴が来るのか」
アーサーの腕の中、魔術ですいすいと進んでいく。
リデルが伸ばした手に鳥が降りて来て、羽根を一撫でされるとまた飛んで行った。
「幸か不幸か、知ってる奴だったのは助かったけどね」
「僕としては、出来れば違っていてほしかったんですけど」
「何でよ、新しい奴だったら動きが読めなくて面倒じゃない」
「……読めるんですか?」
「まぁ、一応は何週間か付き合ってたわけだしね」
ぎょっとするようなことを、さらりと言ってくれる。
頼もしいと見るべきか、あるいは危ないと考えるべきか。
「それにラタにはああ言ったけど、この群れだってあと2日もすればどうなってたかわからないわ。いつものことだけど食べ物も無いし、それに皆元気ないし」
リデルは、ある意味でノエルを信じていた。
彼女はきっとリデルの意図を呼んで、先行した鉄馬車が囮だと気付くだろう。
それでいて警戒も怠らない、さほど遠くないあの山々の麓に到達する頃にあの騎馬達は追いついてくるだろう。
リデル達の群れは、一部が散り散りになっても山に向かって進むだけで良い。
ノエルは彼らを追いはしても討ちはしない、討つことに意味を見出すとすれば自分やアーサーくらいだ。
あの<魔女>は、そう言う人間だ。
群れの全員が山に到達する必要は無い、山に逃げ込もうとしているわけでは無いからだ。
(このへんの山の形は、わかってるつもりよ)
この渓谷と山々に挟まれた荒野を歩いて5日、山も2つ超えてきた。
どの山も高くは無いが道が険しく、岩壁が乾いて崩れやすいのか、大きな岩がごろごろと道に転がっていた。
道幅が狭い所では、崖下へと岩を落として道を作ったりもした。
「スンシ曰く、『夫れ地形は、兵の助けなり』」
「と言うと?」
「つまり、地の利を生かせってことよ。さ、早く登って頂戴」
『施設』で加わったメンバーの足は思ったよりも遅い、やはり旧市街からのメンバーが頼りのようだ。
アーサーの腕の中で、リデルは静かに考え続けていた。
◆ ◆ ◆
罠だと思う程度には、罠だと思っていた。
国境側から嫌な気配を感じつつも後を追えば、群れにはすぐに追いついた。
「どうしますか、ノエル様」
「捨て置け。所詮は流民だ」
しかしそのほとんどをノエルは無視した。
数十騎で3000を捕縛できるものでも無いし、そもそも彼らは1人の少女に統率されているのだ。
頂点を討てば、それで容易く瓦解するだけの群れだった。
群れの人々はノエル達を見ると、算を乱して逃げ出した。
先に言ったようにノエルもあえて追おうとはしない、高地へと馬を走らせる。
3000の人々を次々に追い抜きながら顔を上げれば、予想よりも山々は急で険しかった。
馬を走らせるに足る幅はあるが、土が脆く岩がごろごろしていて、注意が必要だった。
「速度を落とせ」
進む速さを緩めた、意思は無いとは言え馬の走りには限度がある。
前の馬が土を蹴るとそれだけで数センチ抉れる、本当に脆い土だ。
左右を観察していると、両側の岩壁が徐々に高くなってきていることに気付く。
どうやら谷間になっているらしい、すでに群れの人々は遥か後ろだ。
そして、追ってくるような者もまさかいないだろう。
「縦列。1馬身ずつ間隔を開けよ」
やはり罠だろうと、ノエルは思った。
この谷間は徐々に道幅が狭くなっている、群れの大半はこの隘路に入る前に追い抜いていた。
ここまで追ったのは、当然、リデルとアーサーを追ってのことだ。
群れの中で特に素早く移動したあの集団は、クルジュから引き連れてきた精鋭だろう。
(どこかで見たような状況だが、だからこそらしい)
脳裏に、リデルの綺麗な顔が浮かぶ。
旧市街の地下で1人で降服した彼女は、この隘路で自分と部下を罠に嵌めるつもりだろう。
隘路、切り立った岩壁、脆い土と固い岩。
ある意味でわかりやすい、失望と同時に期待も覚える。
そして期待に応えてくるにしろこないにしろ、ノエルにはこの脚がある。
(さぁ……)
また一歩、馬が地面を駆け砕く。
パラパラと、岩壁の上から小石が落ちてくる。
手綱を握る手に、力を込めた。
「……来るか!」
そして、ノエルとその一団は。
◆ ◆ ◆
どんなに険しい岩壁でも楽に昇り、そして降りることが出来る。
アーサーの魔術はそう言う場面で便利だ、リデルは彼の首に腕を回しながらそう思った。
「それにしても、驚きましたね」
「何がよ」
「僕はてっきり、あの<魔女>達を迎え撃つものとばかり」
とんとんと岩肌を駆け下りながら――摩擦係数の操作で、滑り落ちることは無い――そう言うアーサーに、リデルは「何だ」と返した。
「アンタが正面からあいつと戦って勝てるなら、そうしたんだけど?」
「ははは、無理です」
「でしょ?」
リデルとアーサーは岩壁を登り、山を越えて、そしてU字を描くようにして元の道の近くで降りていた。
基本的には魔術を使って移動するアーサーがリデルを抱っこしているような状態で、リデルは特に疲れることも無く、ただ喋り続けていた。
要するに、彼女はノエルをその気にさせた上で、放置したのだ。
「罠があると思えば、ノエルはそれごと踏み潰しに来ると思ったわ。あいつはそう言う奴だもの」
旧市街でもそうだった、あえて罠の真ん中に入り、そして踏み潰して来た。
あまりにもインパクトが強すぎて、リデルが1人で降服に踏み切らなければならなくなった程だ。
そしてそんな風にノエルを語るリデルに、アーサーは少し複雑な気持ちを得た。
しかし今は、何も言うべきでは無いと思った。
事実として、リデルの策は見事に嵌まった。
ノエルは群れの人々に脇目も振らずにリデル達を追い、隘路へと駆け込んできた。
彼女はこの隘路に誘い込むこと自体が罠だと思っただろう、アーサーもそう思った。
だがリデルは違った、ノエルが「罠と認識して飛び込んで来る」ことを読み切り、その上でやり過ごしたのだ。
「戦わずして勝つ、王道よね」
勝ったかどうかは微妙な所だと言うのは、言わない方が良いのだろう。
「さぁ、早く皆の所に……って、思ったより早かったわね」
岩壁の中腹を過ぎた頃、地平線の彼方を見るように額に手を当てて、リデルが言った。
その視線の先には、渓谷と河の向こう側に立ち上る土煙を見ている。
想像以上に長い距離、その土煙は地平線を染めている。
地鳴りがここまで聞こえてきそうだ。
方角と状況からして、ノエルの援軍と言うわけではあるまい。
思ったよりもラタの言う本隊とやらは近くにいたようだ、意外な程に。
ソフィアとフィリアの境界の状況を把握しているわけでは無いが、この辺りは思ったよりも曖昧な土地だったのかもしれない。
「……ん? 何よ、人の顔じっと見て」
「え? あ、ああ、いえ」
ざりざりと靴裏で岩を削りながら、アーサーは慌てて言った。
しかし何を言おうか、胸中にある複雑な感情はまだ言葉に出来る程に確固たるものでは無い。
だから彼はしばらく考えた後、少女の背中と膝裏に回した腕を不意に意識して。
「えーと……あ、そう言えば」
「何よ」
「何だか、少し重くなりまし」
「……ッ!」
今日1日で、最も命の危険を感じる一撃がアーサーを襲った。
◆ ◆ ◆
「どうした、その顔は」
「いえ……」
合流には意外と時間がかかった、気が付けば日が地平線に随分と近付いている。
しかしそれでは説明できない赤みを頬に抱えながら、アーサーはクロワに乾いた笑みを向けた。
クロワは自分達2人の前で腕を組んで立っている少女の背中を見て、納得したようにふむと頷いた。
何を思ったのか気になる所だが、リデルはいちいち聞かなかった。
それよりも今は、1度散り散りになった群れの人々が集まってくるのを待っている所なのだ。
加えて、河の対岸にやってきた軍勢の様子を窺っている所でもある。
「凄い数ね、何人くらいいるのかしら」
「そうだな……およそ1万と言った所か」
「見ただけでわかるの?」
「コツがある」
クロワにはたまに妙な特技があるものだと、感心した。
しかし1万人とは、俄かには想像できない人数だった。
確か旧市街の人口が5万と言うことだったが、なるほど、相当に多いということはわかる。
実際、対岸を埋め尽くさんばかりに銀色の鎧を纏った人々が集っていた。
比べてみれば、群れの3倍か4倍の規模があるように見えた。
「……誰か来ますね」
その時、1隻の小船が河を渡ってくるのが見えた。
乗っているのは銀色の鎧を着た男が2人と、そして女だった。
長く波打つ黒髪が特徴的な女で、細身の割に肉付きの良い肢体に小綺麗な衣装を纏い、その上に銀製の軽鎧のようなものを身に着けていた。
「――――してやられた、か」
そして、その様子を見ていたのはリデル達だけでは無かった。
それは高地にまで至り、策に嵌められたことを悟ったノエル達だった。
彼女らは河から山の上に馬を進ませていて、遠く河の両岸に集結した人々を見下ろしていた。
「どうなさいますか、ノエル様」
「事ここに至っては、私の判断で行動すべきでは無い」
例え相手が1万に膨れ上がろうと、<魔女>……特に7人の<魔女>の中でも武闘派の自分ならば、その気になれば殲滅できる自信があった。
しかし、それはすなわち戦争と言う名の扉を開くことになる。
東部叛乱以来の大乱となるだろう戦争の、だ。
「引き上げる」
彼女の鶴の一声に、部下達は速やかに山を降り始めた。
それを特に見やることも無く、ノエルは目を細めて河にいる人々を見つめていた。
彼女はここで、あの集団に飛び込むという選択をしなかった。
確かに戦争の扉を叩くことを避けたためだが、本当にそれだけだったのだろうか。
言葉にしない以上、他人には彼女の胸中を想像することしか出来ない。
そしてそんな彼女の見つめる中で、河にいる人々の間にもさらなる変化が生まれていた。
対岸から、黒髪の女が渡河してきたのだ。
「……ふぁっ!?」
――――リデルが驚いた点は、2点。
まず1点目は、河を渡って来た女が意外と美人だったと言う点だ。
気の強そうな目元など何となく共感を覚えたものだ、上背も思ったよりもあった。
ただそのせいか、相手に威圧感を与えるタイプの美人だった。
「嗚呼……やっと、やっと、会うことが出来ました」
そして2点目、むしろそちらの方が重要だった。
何故、この女は他には目もくれずに自分に近付いて来たのか?
どうしてこの女は、いきなり自分を抱き締めているのか?
その点について、アーサーもクロワも呆気に取られている。
「リデル、私の娘」
何で、自分の名前を知っているのか。
どう言うつもりで、自分を「娘」と呼んだのか。
突然の事態に、その場にいる全員が動けずにいた。
これから何が起こるのか、何者にもわからなかった。
「あ、姐御。姐御! あれぁいったい」
「ふ、ふひひ。どうなってるんだな~」
「シッ! 大きな声を立てるんじゃないよ。バレるだろうが……!」
何者にも、だ。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
その気にさせておいて、フる。
リデルにはどうやら悪女の素質があるのかもしれませんね(え)
と言うわけで、出ました母親です。
前章との矛盾に首を傾げられるかもしれませんが、これにもわけがあるのです。
か、考えがあるんです、本当ですよ!?
それでは、また次回。




