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6-4:「少女研究」

注意!

残酷な表現があります。ご注意下さい。

 心と身体を、引き離す必要があった。

 身体が感じていることを、心まで感じてしまえば、壊れてしまう。

 しかし、心と身体を引き離すことなど出来るはずが無かった。

 出来なければ、壊れるしか無い。



「あ、が……が……」



 口が、顎が、下が動かなかった。

 今、自分は倒れているのだろうか、立っているのだろうか、それすらもわからない。

 何も見えない、いや、視界が照明のようについたり消えたりしている、しかも赤い。

 何も感じない、いや、肌の上を常に大量の蟲に這われているかのような感覚が断続的に襲い掛かってくる。



「……あ……ぇ……」



 口を、閉じれなかった。

 麻痺したように痺れていて、舌の感触が無い。

 熱い。

 火がついたかのように身体が熱い、逃れようともがくが、身体が動かない。



 黒いワンピース、と言うより袋のようにも見える服に身を包んでいる。

 手指を出す部分が無く、代わりに腕は腹の部分と繋がっていて、しかも何本もの革ベルトで固定されていた。

 いわゆる拘束衣と言う物だろう、それを着て、顎と膝を床に押し付ける形で、彼女はそこにいた。



「な……で……」



 呻いた。

 身体が、口が動かないものだから、声が呻きのように聞こえるのだ。

 顎と膝が床についているため、唯一持ち上がる形になっているお尻が不規則に揺れていた。



 見れば、首に何かが刺さっていた。

 あれは注射だ。

 透明なチューブが繋げられており、側の台車に備えられた小さな袋から何かの液体を身体の中に流し込まれているようだった。

 液体の色は薄い赤だ、袋の底に石の粉のような物が沈殿ちんでんしていた。



「なん、で……こん、ぁあ……」

「んん~? 反応が悪くなってきたな。ヒヒッ、動物では上手くいったんだが。人体はまた違うようだ」



 何故、何故、何故。

 どうして、どうして、どうして。

 何故、どうしてと言う声だけが頭の中に響き続けている。

 毎日のように続けられるコレは、いったい、何のために。



 不意に、音が聞こえた。

 それは声だった、自分の声だと気付いたのは叫び終えてからだった。

 首に、2本目の注射がされていた。

 身体の中に、冷たく重い液体が流れ込んでくるのを感じた。



「えぇ……ぁが」



 身体の震えが止まらなかった。

 いや違う、震えているのはギチギチと音を立てている拘束衣だけだ。

 呻き声が、大きくなっていく。

 身体の中で何かがはち切れそうになっていて、呼吸が浅く、早くなっていった。

 その呼吸の浅さと早さは、明らかに危険だとわかる。



「……ぇて、すけ、ぇ……すけて、たすけ、て……」



 誰に助けを求めているのだろう。



「ヒヒッ、だいぶ馴染んで来たか。なら、そろそろ」



 わからなかった。

 もう、何もわからなかった。



「そろそろ直接、石を埋め込んでも良いだろう……ヒヒッ。そうそう、あのソフィア人の素材も別の実験に……」



 地獄としか思えない、そんな場所で。

 ルイナは、心と身体を引き離すことが出来ない己が身を呪った。

 出来なければ、心を壊すしかないのに。



  ◆  ◆  ◆



 3日。

 3日だ。

 それが、リデルが『施設』の全容と研究員達のスケジュールを把握するのにかけた時間だった。

 早いか遅いかで言えば、早い方だだろう。



「思ったより、随分と広いのね」



 まずこの『施設』は漏斗状に地下へ地下へと続いているが、その階層は12に上る。

 最も深い場所で約400メートル、円状に広がる『施設』の外郭は最大直径約3キロに及んでいる。

 内部には数十からなる研究施設があり、研究員は約300名。

 しかし『施設』には、その10倍以上の数の「素材」と呼ばれる収監者達がいる。

 彼らは『施設』内の4ヶ所に分けられて収監されており、別々に管理されていた。



 ルイナがいるのは、その内の東側にある収監スペースだ。

 そして研究員達は皆、それぞれ小さなグループに分かれて生活している。

 研究の時間、食事の時間、巡回の時間、就寝の時間、全てが定められている。

 いくつもの小グループが同時多発的に役割の交代を繰り返すことで、隙間無く効率的に「研究」をするためのシステムだった。



「流石に、覚えるのに時間がかかったわよ」



 情報自体はすでに初日の段階で手に入れていた、後の2日は膨大なその情報を頭に叩き込むのに使った時間だ。

 この『施設』には何人の人間がいて、どう言う立場で、またどう言う構造になっているのか。

 資料にして約80枚、読み、覚えるのはなかなかに骨だった。



(それにしても、何を考えているのかしらね)



 おかしいとは思わないだろうか。

 いくらリデルがソフィア人であり、あのドクターがリデルに異常なこだわりを持っているとしても、『施設』の機密情報とも言える構造図や研究員のスケジュールを見せるような真似をするだろうか。

 答えは、否であろう。

 では、リデルはどうやってその情報を得ることが出来たのか。



(あの、ハウラって言う人は)



 ハウラ、ドクターの助手のようなのだが、扱いを見ているとそうとも思えない部分がある。

 良く、わからない。

 自分の世話を何かと見てくれるのは、ドクターの命令のためだと思うのだが。

 そうだとしても、解せない所はある。



 構造図とスケジュールを始めとする情報をリデルに与えたのは、ハウラなのだ。

 特にこれと言ったことはしていない、ただ、ダメ元で頼んでみただけだ。

 この『施設』のことが知りたい、だから資料を見せてほしいと。

 ハウラは、その場で首肯した。



「アンタ達のこともあるしね」



 そっと首元に指を向ければ、その指先にふんふんと鼻を押し付ける小さな塊が3つ。

 マウスだ、『施設』で研究員達が使っていたものだ。

 それが3匹、リデルの首元、衣服の中に潜り込んでいた。

 これもハウラだ、何を思ったのかリデルへと持ってきてくれたのだ。



 リデルのことを気遣うのはドクターの命令、そう思っていた。

 しかし考えれば考える程、疑問は湧き出て止まらなかった。

 ハウラと言う女は、ドクターの命令以上の所でリデルに手を貸してはいないだろうか、と。

 不思議だった、何のためにと思った。



「……良し」



 そんなことを考えている間に、状況が動いた。

 物陰から様子を窺っていたリデルの視線の先で、数人の研究員が金属製の扉から出てくるのが見えた。

 そうして反対側へと去っていく彼らに見つからないよう注意しながら、今しがた研究員達が出てきた扉の前に立った。



 この扉の向こうには、東の収監スペースがある。

 リデルは研究員達のスケジュールの隙間を縫うようにしながら、誰にも見つからずにここまで来た。

 ハウラの情報提供が無ければ、不可能だったろう。

 研究員達の交代のタイミングは効率的だ、だからこそ、交代の間にはどうしても僅かな隙間が出来る。

 そこを衝く形で、ここまで来た。



「……ルイナ」



 共に旅をした――少しも懐いた覚えが無いが――年上の少女を探すため。

 疑念を胸にしたまま、しかしリデルは意を決して、その扉を潜った。



  ◆  ◆  ◆



 そして、地下へ。

 扉の向こう側は行き止まりになっていた、しかし一度ハウラに連れられて地下から上がって来たリデルは知っていた。

 扉横のボタンを押すと、この狭い部屋は上下の階層に動くのだ。



「えーと……」



 理屈は良くわからないが、これも<アリウスの石>由来の技術なのだろう。

 一度階層を間違えて見つかりかけたが、何とか資料で読み込んだ階層まで辿り着いた。

 そして、帰って来た。



 ――――呻きの、世界へ。



 昏い、昏い世界だ。

 無数の「鳥籠」が眼下に見える、リデルが出たのはあの天井の道だ。

 ハウラに引き上げられた時には気付かなかったが、良く見れば縁の方に金属製のプレートが貼り付けてある。

 そこに番号が振ってあって、何番から何番の「鳥籠」を引き上げるになっているのだ。



「資料を読んで無かったら、確実に迷ってたわね」



 天井近くにかかる道――もはや橋と言っても良いが――も一本では無く、その道ごとに番号が振られていた。

 ただ資料でわかるのは何番の道のどのあたりか、と言うことまでだ。

 素材と呼ばれるフィリア人は、収監された順番や出身地などで一括で管理されていて、名前等はあまり考慮されていないようだった。



「えーと……」



 研究員がいない時間は僅かだ、急がなければ。

 とにかく、ルイナの「鳥籠」を探して引き上げる必要がある。

 リデルはプレート横に突き出しているレバーを引いた、何本もあるそれを手当たり次第に引いて行く。



「あががっが、あばばばば!」

「ひっ!」



 ほとんどは「鳥籠」の隅で大人しくしているのだが、中には「鳥籠」越しに飛び掛ってくる者もいて、そう言う場合は心臓に悪かった。

 だが、皆フィリア人だ。

 それも旧市街の工場群から連れて来られた人々もいるのかと思えば、怖がってばかりもいられなかった。



「ブツブツブツブツブウブツブツブツブツブツブツ」

「……………………」

「ヒュイイイイッ、ヒュイイイイイッ」

「あははははははははははははははははははははは」



 次へ、次へと引き上げていく。

 この区画にいる収監者だけでも数百人からいるのだ、一度で引き当てられないのは仕方が無い。

 とは言え番号で判別する限り、小グループとして当たりは引いているはずなのだが。



「何で、いないのよ!」



 いつまでも、ルイナを引き上げることは出来ない。

 声を出して呼んでみたい衝動に駆られるが、そんなことをすれば他の研究員に気付かれるかもしれない。

 しかもこの呻きの世界の中で、どこまで声が通るものかもわからない。

 地道に、引き上げていくしか無かった。



「まったく……」



 文句を言っても仕方が無い。

 だがいくら引き上げても、ルイナには出会えなかった。

 最後には堪えきれずに呼んでも見た、しかし返答は無かった。

 一つ引き上げ、上がってくる道の端に手をついて覗き込みながら、上がってくる「鳥籠」を祈るような心地で見つめた、その度に違うことに落ち込んだ。



 次こそは、と思い引き上げる。

 疲れもあったが、気にもしなかった。

 とにかくルイナを引き上げることしか考えなかった、とにかくそこからだと思っていた。

 後で思うと、少し、子供じみていたかもしれない。

 そして結局、ルイナはいなかった。



「おおっと、こいつぁスゲェな」



 しかし、代わりに引き上げた者がいた。

 それは男だった、鳥の巣のようなボサボサの茶色の髪に、不思議とくすんだ色の瞳の男。

 怪我をしている。

 何か、獣に食いつかれたような傷を腕と足に負ったその男。



「……俺様、ラッキ~……?」



 この『施設』の中にあって、理性を保っているらしい珍しい男。

 彼の名は、アレクセイと言った。



  ◆  ◆  ◆



 部屋にもいない。

 食堂にも、いなかった。

 リデルの姿が見えないことに、ハウラは首を傾げた。



「――どこに行かれたのでしょう――」



 リデルにはすでに医務室では無く、寝室を兼ねたワンルームが与えられている。

 『施設』は研究と実験のために設備しか無いのであまり豪華なものでは無いが、それでもここでは一番広い部屋をドクターは彼女に与えていた。

 そしてその世話の一切を、ハウラは自ら進んで行っていた。



 もっとも、その部屋は今はとんでもなく散らかっていたが。

 ハウラが与えた『施設』に関する書類が――整理されてはいるが、何分量が多いので――あり、そしてベットの枕の側にはマウス用の籠が置かれている。

 マウスの餌用のチーズが散っていて、それを掃き清める必要があった。



「――お掃除をしましょう――」



 とりあえずそう言って、ハウラは掃除を始めた。

 頭に三角巾、身体にエプロンをつけて、外に持ち込んだ台車に書類を載せて片付け始めた。

 ソフィア人としては珍しいスタイルだが、彼女は自分の身の回りのことは自分でするように命じられていた。

 そしてリデルの世話も、食事以外は手ずから行っていた。



「――? これは……――」



 書類の束を片付けている時、一部の書類に特に使用の痕を窺えた。

 それは東側の収監施設に関するもので、構造図やそこに至るまでの『施設』の見取り図に矢印がいくつも書き込まれていた。

 何度も何度も検討を重ねたのだろう、研究員達のスケジュールと照らし合わせて、いつどこにいるべきか、と言うタイムスケジュールも書き込まれている。



「――…………――」



 ハウラは、それをそっと台車の上に乗せた。

 そしてすぐに別の書類の束を持ってきて、上に重ねた。

 それはどこか、他の書類と混ぜてわからなくしているようにも見えた。

 もっと言えば、隠している。

 書類はそのまま運ばれて、焼却炉なりで処分されることになるのだろう。



 元々、紙ベースで情報は保存されていない。

 全て<アリウスの石>を使った記録媒体に収められていて、ハウラはそれを髪へと写しただけだ。

 1人で。

 誰にも言わず、リデルに求められた物を一晩、休まずに用意した。



「――リデル様は、こう言うことがお好きなのでしょうか――」



 自分がそうすることを不思議と、ハウラは思っていた。

 今まで感じたことも無い感覚に、彼女自身が戸惑っているのだった。

 リデルを助けてやりたい、そう言う感覚に。



  ◆  ◆  ◆



「アーサーの野郎が、近くまで来てるぜ」



 開口一番、アレクセイと名乗ったフィリア人の男はそんなことを言った。

 その言葉は呻きに満ちた世界の中でもリデルの耳に届き、彼女の頭脳をもってしても理解まで少しの時間を要するものであった。

 理解したのと、そして次の言葉をかけられたのはほぼ同時だった。



「せいぜい、上手くタイミングを合わせてくれよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! アンタ何者よ、何でそんなことを私に言うの?」



 少し警戒心が出てくるが、それが強く出ないのはアーサーの名前が出てきたからだろうか。

 そして、アレクセイが怪我をしていたからだ。

 腕と足、獣の噛み傷。

 手当てされていないから、彼の「鳥籠」の床には血だまりが出来ていた。



「しかも、怪我してるじゃない!」

「あー、いや、これは別に良いんだ。俺の役目は、アンタに外のことを教えることだったんだからな」



 ふぅ、と息を吐いて、アレクセイを天を仰いだ。



「旧市街じゃあ、お前さんには随分と期待をしたもんだが」

「アンタ、旧市街の人間?」

「そりゃあ、今のアーサーに付き合う奴らなんてそれくらいだろうよ」



 リデルは唇を噛んだ。

 そうした理由は2つ、1つは旧市街で自分が降服したことだ。

 あの時はそうするしか無いと思っていた、他に策を思いつけなかった。

 ただその代わり、その後に考えていた戦略は全て潰えてしまった。



 そのことに対して、少なからず悔悟かいごと責任を感じてもいた。

 全ては、自分の力量不足。

 最良の策、しかしその後の責任を放棄するような形になってしまった。

 あまりにも口惜しく、唇を噛んだのだ。

 その瞳に、薄く涙が滲んでいる。



「あ? あー、まぁ、そこまで気負うことはねぇよ。お前さんは良くやってくれたさ。あれは結局、自分達で何とかしなかった俺らフィリア人のせいだってな」



 傷の痛みもあるだろうに、アレクセイは特に表に出すことは無かった。

 彼としてはリデルに責任を問うつもりが無いのだろう、本気でそう考えているつもりだった。

 むしろ支えきれなかった自分達が悪いと思っている節もあった、そのこと自体は、リデルには有難いことであったかもしれない。

 しかし、より問題なのはもう一つの理由だった。



「……アーサーが」

「あ? ああ」

「アーサーが、来てるの? ここに?」

「ああ、外に。後はお前さんが連絡してくれりゃあ、迎えに来る手はずになってる。まぁ、いろいろとあるんだけどな」



 軽く手を振って説明するも、リデルは顔を俯かせたままだった。

 肩が軽く震えているようにも見える。

 普通の少女ならば泣き出すのかと思う所だが、リデルだと何故か今にも爆発しそうな爆弾のようにも思えるから不思議だった。



 そしてリデルに、アレクセイを疑う気持ちは微塵みじんも無かった。

 旧市街、アーサー、この2つだけの単語だけで十分だ。

 それに今、ここでリデルを騙すことにメリットなど何も無い。

 だからリデルはアレクセイの言葉を真実と思った、アレクフィナの話とも合致する。

 アーサーは外に、『施設』のすぐ外にいるのだ。



「お……おーい?」



 恐る恐ると言う風に声をかけてくるアレクセイ、彼には悪いが、リデルは彼のことを頭から追い出していた。

 今、彼女の胸には久しぶりに感じるものがあった。

 全身の血を沸騰させ、頭を、心を、身体を突き動かす、それは衝動・ ・だった。



 顔がどんどん紅潮していくのを感じる、それは歓喜のようなプラスの感情から来るものでは無かった。

 むしろ、マイナス。

 旧市街の時もそうだった、彼女はその衝動に、感情の爆発こそに全てを懸けていた。

 それを、アーサーの名前が思い出させてくれた。

 次の瞬間、リデルは目尻から涙を散らしながら顔を上げた。



「あんの――――馬鹿ァッ!!」



 その叫びは、呻きの世界の全てに響き渡った。



  ◆  ◆  ◆



「何だぁ?」



 気味の悪い呻きが響き渡る中、アレクフィナはどこからか聞こえて来た叫びに振り向いた。

 しかし振り向けど声の主は見えない、どうやら別の道のようだ。

 広いので無理は無いのだが、聞いたことのある声のような気がした。



 まぁ良い、と、アレクフィナは気を取り直した。

 先に言った通り、彼女は今『施設』の下層に来ていた。

 研究員に聞い(おどし)てやって来たのだが、想像以上に反吐が出そうな場所だった。

 気分が悪い、とはっきり言える。



「と言うか、ソフィア人なんていないじゃないか」



 気味の悪い呻き声の連鎖と、異臭と、暗さと寒さ。

 そんな負の側面が揃ったような、まさに掃き溜めと言う言葉が似合いそうな場所だった。

 と言うより、そのものだった。

 アレクフィナとしてはこんな所には来たくなかったのだが、リデルが「下層にソフィア人が収監されている」と言う言葉を聞いて、一応は様子を見てこようと言う気になったのだ。



 ところがいざ来てみても、ソフィア人の姿はどこにも無かった。

 行けども行けども、「鳥籠」の中に蹲るフィリア人がいるだけだ。

 かなりの数で結構なことだと思うが、正直に言って、そんなことはどうでも良かった。

 こんな悪質な環境にソフィア人がいるかもしれない、それだけを問題視していたのだ。



「……あの小娘が、そんなつまらない嘘を吐くとも思えないけどねぇ」



 首を傾げつつも、しかし現実としてソフィア人の姿は見えない。

 結局、アレクフィナはリデルの嘘か見間違いか、そのどちらかだろうと結論付けた。

 その時だった。



「ア、アレクフィナの姐御~!」

「ふひひ、姐御~」

「あ?」



 その時、ドタドタと道を揺らしながら――比喩では無い、ブランの重量で揺れているのだ――やってきたのは、常にアレクフィナの傍にいる2人の部下だった。

 ブランとスコーランは、息せき切ってやってきた。

 随分と慌てているようで、アレクフィナは首を傾げて彼らを迎えた。



「何だい、どうしたんだお前達。そんなに慌てて」

「そ、それが。それがミラの奴がどこにもいなくて……」

「ふひひ、どこにもいないんだなー」

「はぁ!? 何やってんだい、ちゃんと面倒見てろって言っただろうが!」



 これにはアレクフィナが激怒した、今、彼女達はミラを保護している立場なのだ。

 それが、こんな広い『施設』で見失うなどどうかしている。



「まったく、しょうがないねぇ……とっとと上に戻って探すよ、お前達!」

「わかったぜ、アレクフィナの姐御!」

「ふひひ、わかったんだな~」

「……ったく」



 この広い『施設』で迷子を探すとなると、かなり骨だろう。

 しかし何故だろう、アレクフィナは胸の奥に奇妙な引っ掛かりを覚えていた。



(何だろうね、気に入らないよ)



 もやもやとしていて、ともすれば不快さを感じるような、そんな感覚。

 人はそれを、不安と呼ぶ。

 あるいは、嫌な予感と呼び変えても良いだろう。



 しかし豪胆な彼女は、それを瑣末なものとして捨て置いた。

 楽観し、気を取り直して、部下を伴って上の階層へと戻って行った。

 楽観。

 この『施設』において、それは最もしてはならないことだとも知らずに。



  ◆  ◆  ◆



 その少女は、ひどくおどおどとした様子で椅子に座っていた。

 そこは簡易ベットや照明付きの机等が置かれた小さな部屋で、どことなく押し潰されそうな迫力があった。

 壁や床が白一面なのも、原因の一つなのかもしれない。



「あ、あの……」



 とは言え、傍にアレクフィナ達がいないと言うのもあるのだろう。

 代わりと言っては難だが、今、少女――ミラの前には、1人の男がいた。

 彼は何かの絵が描かれた資料を机の照明に透かして見ており、ふんふんと頷いていた。



「あの、私の身体が何か……」

「素晴らしい数値だ!」

「え、え」

「いや、キミの健康診断の結果なのだがね。実に素晴らしい結果が出ているんだ、しかも健康、非常に素晴らしい!」



 ドクターは明るい顔でそう言った。

 健康診断とは、この『施設』に入った時に受けたもののことだろう。

 ただ医学の徒でも無いミラにとっては、注射が痛かったと言う記憶しか無い。



 ドクターが言うには、その結果は健康である、と言う以上に良好なものであったらしい。

 細かいことは、ミラにはわからない。

 しかしドクターによると相当に良いらしく、彼は非常に明るい声と笑顔で言うのだった。 



「ヒヒッ、ヒヒヒッ。実は今、新薬を作るための臨床試験をしている所でね。是非、キミに協力してほしいんだ」

「協力、ですか?」

「ヒヒッ。そう、大切な実験だ。上手く行けば、何千何万と言うソフィア人を救うことが出来るかもしれない。ただ少し難しくてね、被験者は1人でも欲しい」

「それが、私?」

「そうだ」



 大仰に頷いて見せるドクター。

 正直、自分が何万人もの人間を救える人間だとは思えない。

 しかしこのドクターに言わせれば、それは誤りなのだと言う。

 それは、考えもしなかった可能性だった。



「どうかな。数万のソフィア人のために、私の実験に協力してはくれないかね?」



 唐突なことではある。

 しかし同時に、心惹かれることでもある。

 自分が実験に協力すれば、数万人の人間が助かるかもしれないのだ。

 心優しい少女は、胸が締め付けられるような心地だった。



「わ、わた」

「そうかね! いやありがとう、キミならそう言ってくれると思っていたよ!」

「あ、あの」



 それ以降は、両手を掴まれてぶんぶんと上下に振られてしまい言葉が繋げられなかった。

 しかし、逡巡はドクターの明るい笑顔を見ていると次第に薄れていった。

 不安が無いわけでは無いが、自分が役に立てるなら。

 そう思って、良しとすることにしたのだ。



「わ、わかりました。あの、それで、私は何をすれば良いんですか?」

「ヒヒッ、ヒヒヒッ……ふむ、ああ! そうだね、ふむふむ、まずはそうだな。ああ、ところで」



 ミラの言葉を受けて、ドクターは一旦動きを止めた。

 そして瞳に爛々とした輝きを見せながら、ドクターは言った。

 まるで何でも無いことのように、こう言ったのだ。





「――――人は、どの程度の皮膚を失うと死に至ると思うかね?」



最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

そろそろ物語のターニングポイント、リデルにも色々と覚悟をして貰わなければなりません。

ここからようやく、彼女の軍師としての歩みが始まる! ……はず(え)

それでは、また次回。


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