1-4:「擦れ違いの味」
東の地。
今はフィリアリーン聖王国と呼ばれているその地域のことを、リデルは知らない。
知らないだろうと、アーサーは知っていた。
何故ならば、リデルの中の歴史は12年前で止まっているからだ。
「僕の故国は、東部反乱の後に生まれた国の一つです……いえ、一つ、だった」
「……だった?」
過去形に、リデルが首を傾げる。
何を考えただろう、などと思うまでも無い。
12年前までの歴史を全て識る彼女、だからアーサーは続けた。
「別に滅んだわけじゃありませんよ、ちゃんと今もあります――名前を変えて」
そう、ちゃんと今も存在している、名前を変えて。
だが今は、それについて話すべき時では無かった。
「でも、東部の人々が危機的な状況にあることには違いが無いんです」
これまでの会話で、アーサーが気付いたことは二つ。
まず一つは先にも述べた、彼女の中の歴史が12年前で止まっていること。
情報が古い。
しかも家にある本を見る限り、どうやら彼女の父は外の世界の情報を最低でも一つ、隠していたようだった。
だから、どうやってアーサーが火をつけたのかもわからなかった。
不思議には思っても、知らないことに関して答えを出せるはずも無い。
「人々は塗炭の苦しみを味わっていて……もう、自分達にはどうしようも無い状況にあります」
「どうしようも無い状況って、何よ」
「虐げられている、と言うことです」
「誰に?」
「より強い国に、より強い人々によって」
昔から――30年前から、何一つ変わることなく。
「東部の人々は今、再び「彼」を求めているのです。だから、僕が来た」
それが、アーサーがここに来た理由。
これが、アーサーが「彼」に会いに来た理由。
そしてアーサーは気付いていた、ルイナの指摘を受けてもしやと思った。
先の会話で、それは確信へと変わった。
「「彼」?」
「――――<東の軍師>」
リデルの頭の中には、「全て」がある。
情報が古くとも、外の世界を知らなくとも、アーサーは確信を抱いていた。
それはもしかしたら、願望に近い何かだったのかもしれない。
それだけ、縋っていたのかもしれない。
だが彼女は言った、「この家にある本は全て覚えている」と。
あの本の山の大半は大陸の歴史や産業について、そして……。
……軍略について。
古今東西の軍略に関するタイトルが、そこには並んでいたのだ。
そして幼い頃から子守唄のように聞いていたと言う、<東の軍師>の物語――物語?
「……貴女の父のことですよ、リデルさん」
「は?」
リデルは、いっそ笑いたくなるくらい間の抜けた表情を浮かべていた。
◆ ◆ ◆
率直な感想を言うならば、「何を言っているんだ?」だろう。
リデルにとって、アーサーの言葉は意味のわからない何かだった。
「……何言ってんのアンタ。<東の軍師>は御伽噺の中の」
「実在します」
「はぁ?」
「<東の軍師>は実在します。いえ、していました。少なくともこの島に<東の軍師>と呼ばれていた男が隠棲していたのは事実ですよ」
それを唯一知っていた父娘、今では唯一となってしまった娘。
「貴女と貴女の父に魚を運んでいていた漁民、彼はその事実を知っていました」
「……意味わかんない」
「何より、島の外で<東の軍師>を知らない人間はいないのですよ。ほんの12年前まで、世界最高の軍師として大陸中に名を轟かせていた」
厳密に言えば、リデルの父が<東の軍師>だったのかと言う証明をすることは出来ない。
今の所は、状況証拠から「そう」だと言うだけのことでしか無い。
だが、もし。
もし何か一つでも、「そう」だと断言できる材料があれば?
そしてそれを、リデル自身が持っていたのだとすれば……?
だが、今は限りなく黒に近いグレーでしか無い。
だからリデルの反応としては、「困惑」と「戸惑い」。
<東の軍師>が御伽噺では無く、実在した軍師であることへの「困惑」。
そして<東の軍師>が自分の父であると言うことへの、「戸惑い」。
(何、コイツ……)
意味がわからない。
アーサーが何をしたいのか、あるいは何のつもりなのかがわからない。
わからないことは嫌いだ、不安になる。
不安は焦りを生み、焦りは恐れに繋がる。
それは、思考を阻害するものだ。
「リデルさん」
「ひっ……ちょ、い、何!?」
気がつくと、アーサーが目の前にいた。
リデルの手を取り、真剣そのものの目で彼女を見つめてくる。
ベッド下で蛇達が鎌首をもたげたのを感じながらも、怯えたような吐息を漏らす。
「リデルさん、もし貴女が<東の軍師>から……父から薫陶を受け、何かを受け継いでいるのなら、どうか僕に力を貸しては頂けないでしょうか」
「へ? へ、え? は?」
「<東の軍師>の娘、「彼」の後継者として、東部の民を救う手伝いをして頂きたいのです」
真摯。
アーサーの瞳の色を表すにそれ以外の言葉は無い、が、それと共に困惑と戸惑いは広がるばかりだった。
真意が読めない、意味がわからない、意図も知らない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
『――――リデル、お前は島の外に出てはいけない――――』
それは幼い頃から繰り返し父から言われていたことで、病床で死に触れていながらも言われ続けていたことだった。
死の翼に抱かれる直前まで、父は言っていた。
島の外に出てはいけない、何故ならば……。
『……お前は、破格すぎる――――』
父の言葉の意味もまた、リデルにはわからない。
けれど父との約束は、出来れば守ってあげたかった。
可能な限り、尊重してあげたかった。
だがその一方で、リデルには別の欲求もあった。
胸の奥に鳴りを潜めているその欲求は、島に閉じ篭り、動物達や父との思い出と共に在るだけではけして満たされないものだった。
そして今、アーサーと言う「外から来た人間」と触れ合うことで、それが僅かな疼きを生み出しつつあった。
◆ ◆ ◆
一方で、アーサーはこの時、何を思って言葉を重ねていたのだろうか。
先に述べた通り、アーサーの一連の行動は「リデルが<東の軍師>の娘である」、あるいは「<東の軍師>に限りなく近しい存在である」と言う考えに拠っている。
そしてその前提条件は、漁村の生き残りの情報だ。
――――曰く、<東の軍師>は東部反乱後に沖合いの孤島に身を隠した――――
信用できるのか? と言う問いかけにはもはや意味が無い。
アーサーはすでに彼女とそれなりの信頼関係を築いていたし、実際にリデルの存在を知れば知るほど信憑性は高く思えてくるのだ。
そうでなければ、おかしいではないか。
(こんな孤島で、<東の軍師>の物語が自然発生したわけでも無いでしょう)
そして、軍略の本の山。
これだけ条件が揃って、<東の軍師>とは何の関係もありません、などと信じる気にもなれない。
だから、アーサーは再びこの島にやってきたのだから。
「……ば」
その時、手を振り払われた。
怒りのためか顔を赤くして、そして恐れのためか5歩ほど下がって。
「馬鹿じゃないの!?」
何かを振り払うような声だった。
強く、張っていて、空気を震わせるような。
そして2人の間には、いつの間にか這い出して来たのだろう――蛇が数匹、いた。
鎌首をもたげて舌を見せるそれに、アーサーは足を止める。
……本当に、この島の動物は彼女を良く守る。
「アンタ、本当に意味わかんない……! <東の軍師>はパパが話してくれた御伽噺! それ以上でもそれ以下でも無いの!」
「<東の軍師>は実在します、していたんです」
「それを証明することは出来る?」
「出来ません、それを事実で無いと証明することが出来ないのと同程度には」
証明するためには、外に出なければならない。
「貴女の父も、子供がこんな島で埋れるのを良しとするはずが無い」
「会ったことも無いくせに!」
「わかります」
「パパは言ったわ! 島の外に出ちゃいけないって、だって私は……!」
言う通り、アーサーは<東の軍師>……つまりリデルの父に会ったことなど無い。
会いたかったが、それはもはや叶わない。
そして一方で、彼は知っていた。
才能ある子をもった時、親が何を考えるのか。
良く、知っていた。
知りたくもなかったが、とても良くわかっていた。
だから、言った。
親と言うものは……。
「親と言うものは、子供の地位を上げて喜ぶ生き物なんですから」
少なくとも、彼の中ではそうだった。
だが彼は失念していた、彼と彼女では生きている常識が異なるのだと。
それを失念していたから、だから彼は。
二度、失敗する。
◆ ◆ ◆
親、それは子供にとって決して無視できないファクターである。
人間が人間である以上、誰にでも親はいるからだ。
差があるとすれば、それは「どんな親か」と言うただ一点に集約されるだろう。
「パパは、そんな人じゃないわ!」
リデルは吼えた、吼えねばならなかった。
聡い彼女は気付いたのだろう、今、自分の父親が貶められたと言うことに。
そして彼女の様子に気付いたのだろう、アーサーは「あ」と言うような表情を浮かべていた。
普通なら、揉めはしても拗れはしないような内容だったはずだ。
世の中にはそれこそ多用な親がいるのだから、「そう言う」考え方があるのもわかるからだ。
「私の……私のパパは、私にいろいろなことを教えてくれたわ! 御伽噺や本だけじゃない、この島で生きるために必要なことは、全部、パパが教えてくれたのよ!」
だが、リデルは違う。
リデルは「親」を1人しか知らない、だからわからない。
何故なら、比べられる「誰か」との会話経験が無いからだ。
とは言っても、だ。
言葉を発したアーサー自身にも、「親」と言う存在に対する隔意が無いわけでは無いのだろう。
そうでなければ、あんな表現はしないだろう。
「パパはいつだって……私のことを心配してくれていたわ!」
リデルは知っている、死の床にありながらも、父は自分のこれからを案じてくれていたと。
最期までリデルのことを想って、心配して、そして死んだのだ。
言葉が無くとも伝わる程度には、想われている自覚はあった。
だからリデルは、父の最期の願いを守ってあげたいと考えていたのに。
「パパのこと、何も知らないくせに……っ、勝手なこと、言わないで!」
「……不快にさせたのなら謝ります。ですが、ならば何故、「彼」は貴女に自身の過去を隠していたんですか。その癖、御伽噺として<東の軍師>のことを教えたは」
「五月蝿い! アンタには関係無いでしょ!?」
「貴女はもう少し、考えるべきだと言っているんです!」
しかし一方で、こう言うことも出来る。
親を「1人」しか知らないから、だからこそ。
――――孤島に1人で押し込められている現状に、違和感を感じることも無いのだと。
「何をもってそうしろと言ったのかは、僕にはわかりません。ですが、才ある……いや才が無くとも、娘を1人でこんな島に、なんてエゴは……」
「……エゴ?」
ひくっ、と、頬をひくつかせるリデル。
その目は全く笑っておらず、赤みを差した顔は激情の程度を教えてくれていた。
すなわち、今の彼女には。
「それは、アンタの方でしょ?」
一切の、容赦が無い。
◆ ◆ ◆
この時、アーサーは気付いていた。
蛇の威嚇だけでは無い、外からは無数の動物達の気配がする。
感情の昂りに、触発でもされたかのように。
少女の魅力か、あるいは誰かの調教の結果なのか……。
「アンタの事情は知らないわ、アンタがどこの誰で何をしてる人なのか、私には関係も無いし興味も無い。でもね、1個だけ私にもわかることがあるのよ」
アーサーは言った、東部の民は今再び<東の軍師>を必要としていると。
だがそれは、一方的な話だとも言える。
<東の軍師>が東部の民を必要としているかとは、まるで無関係だからだ。
「アンタは、自分じゃ出来ないことを<東の軍師>に……パパにさせに来たんじゃない!」
無関係だからこそ、娘の立場からすれば無遠慮に映る。
第一、リデルの父は今の今まで東部のとの字も娘に語ったことは無い。
漁村から送られてくる魚などを除けば必要な物は全て島で手に入ると言う環境で――水は湧き水を使用し、燃料や食糧も森で獲れる――彼が東部の民とやらを必要としていたとは、到底思えない。
必要としていないものに、一方的に助力を請われる。
それは、リデルには酷く鬱陶しいもののように思えた。
少なくとも、この時点においては。
「パパのことをどうこうする前に、アンタの他力本願さを何とかすることね! この島じゃ、自分の面倒を自分で見れない奴は生きていけないわよ!」
他力本願。
それは非常に不快な言葉だ、が、この場ではアーサーは目を閉じるだけに留めた。
胸の奥に生まれた不快感を仕舞いこんだ後、目を開ける。
視線の先に、蛇達に守られる少女が1人。
あくまでこの島を中心に話す、そんな少女が1人でそこに立っていた。
「……貴女は、ずっと島で1人で、それで良い、と?」
「当たり前じゃない、パパとの最後の約束だもの」
「ならどうして、僕の話に興味を持ってくれたんですか?」
そう言うと、僅かに眉を動かした。
興味や関心が無いなら、また少しでも迷いや願いが無いなら、そもそも話すらしないだろうに。
それでもアーサーの行動を受け入れた所に、彼は何かを感じていた。
リデルの中に潜む、何かに。
「僕が火を点けた時、貴女はとても興味を持ってくれたのに」
「……ちょっと、物珍しかっただけ。それだけよ」
「本当に?」
「しつこいわね」
「……確かに」
微細な変化と、親への価値観。
それが、2人の間にあるもののように思えた。
「親の言うことを聞いていれば、楽でしょうね」
「な……っ」
本心が知りたい。
アーサーはそう思った、だからこその言葉だった。
だがこの場では、何よりも不器用で。
最悪の言葉の選び方だったようだった。
「でもそれで、貴女の……」
「……さいっ」
「僕は」
「五月蝿いっ、五月蝿い! 五月蝿いっ!」
「うわっ!?」
五月蝿い、その一言の度に1匹ずつ蛇が飛び掛ってきた。
本当にこの島の動物はどうなっているのだろう、どうしてこうもリデルに忠実なのか。
ただ本気で噛み付くつもりも無いようで、たたらを踏むように避け続ければ、いつの間にか扉を背にしていた。
「……出て行け!」
今にも手当たり次第に物を投げてきそうな剣幕で、リデルが叫んだ。
目尻に僅かに光が見えたのは、気のせいだろうか。
だがそれに気付いた所で、アーサーにはもう何かを言う時間は与えられていなかった。
「出て行って、アンタを手伝うことなんか何も無いわ!!」
「リデルさん、僕はただ」
「出て行けぇ――――ッ!!」
「痛っ」
首の後ろに痛みを感じて手をやれば、指先にくっついて来たのは蟻だった。
チクチクとした痛みが続き、さらに蛇にも威嚇されて、とりあえず家の外に出る。
そこで止まって言葉を重ねようとするも、無数の鳥達に突かれてそれも出来ない。
アーサーは、ほうほうの体で逃げ出すしかなかった。
◆ ◆ ◆
亡びた漁村に、また月が昇る頃。
「彼女」は、手に持った一枚の紙を舐めるように眺めていた。
翠でも菫でも茶でも無い、蒼の瞳が月明かりに映えて輝く。
三日月の形に瞳を細めるその様は、肉を好む獣のようにも見えた。
その視線の先には沖合いがあり、そしてそこには1隻の漁船の姿があった。
もう夜になると言うのに海鳥達が騒がしい、そのことにやや不思議そうな顔をする。
まぁ良いか、とでも言いたげに視線を逸らして、再び紙を見つめる。
「……間違いねぇな」
高くも低くも無い声音、夜の漁村で涼やかに聞こえる。
それに対する頷きは2つだ、大きな影と太い影が傍に立っている。
月が、雲に隠れてしまった。
明かりの無い漁村は、それだけで闇に包まれてしまう。
闇は、隠す。
そこで何が起こっているのか、他人に見せないように秘密にしてしまうのだ。
だが一瞬だけ、明るくなった。
ボッ……と音を立てて、「彼女」が持っていた紙が燃え尽きてしまったからだ。
「顔も背格好も、手配書の通り……さぁて」
一瞬浮かび上がった顔、唇の端を赤い舌が舐めていた。
ちろりと見えたそれは、血のように赤い。
それはまさに、獲物に狙いを定めた獣の仕草だった。
そして獣と言うものは、一度狙いを定めれば襲わずにはいられないものだ。
「――――喰いに行くか」
呟いて、紙を持っていた方の手の親指を舐める。
その指先には、赤い石を嵌めた指輪が嵌められていた。
星々の中で、それは不気味に鈍い光沢を放っていた。
◆ ◆ ◆
「……で、スゴスゴ戻って来た、と……」
「……………………」
その夜、場面は再び廃村の家へと移る。
鍋の中で干し魚と野草が煮えるのを前に、ルイナは苦笑を浮かべていた。
向かい側に座るアーサーはどことなくボロボロになっていて、言葉少なだった。
一言で言えば、落ち込んでいるように見えた。
それは別に感情の起伏が激しいと言うわけでは無く、別の理由から来ているものだ。
それなりの付き合いを重ねているルイナだから、その部分についてはわかるつもりだ。
だからこその、「苦笑」と言う反応なのだった。
「……僕は」
「はい?」
「僕は、何て酷いことを……」
どうやら、かなり重傷らしい。
それにルイナはさらに苦笑を深くした、事情を知るが故の苦笑だ。
そして、思う。
アーサーは少し、必死すぎたのかもしれない、と。
一方で、目的のために手段を正当化し切るだけの冷酷さも無い、と。
彼はただ……。
「……真面目、なんですよねぇ……」
彼に聞こえない程度の小声でそう呟いて、ルイナはふぅ、と息を吐いた。
アーサーは真面目だ、だから目的に行動を縛られるし、そして手段に対しても責任を覚えてしまうのだろう。
結果として、こうなることが多々あるのだ。
まぁ、それほど長い付き合いと言うわけでも無いのだが。
とは言え、だ。
ルイナの希望としても――いい加減、漁村に留まり続けるわけにもいかない――このまま、と言うのは拙かった。
だから彼女は、もう一押ししておこうと思った。
「……あの子は」
「はい?」
「あの子は、島に残ることを選んだんですか?」
「……ええ、父親との約束を守る、と」
「なるほど」
一つの頷きを作って、ルイナはアーサーを見つめた。
返って来たのは、怪訝そうな目だ。
ルイナは、にこりと微笑んだ。
「私の話になるんですけどね」
「はぁ」
「私、子供の頃は良く父の陰に隠れていたんです。村に同じ年頃の子がいなかったからでしょうね、何だか外が怖かったんです」
だが、外に興味が無かったわけでは無い。
何となく怖くて踏み出せなくて、父の後ろで手伝いだけしていれば間違いないと思っていた。
「それでも成長するにつれて、村の人達だけじゃなく村の外の人ととも交流するようになっていって……少しずつ、父の陰から出るようになったんです」
もちろん、父の背中に全く隠れなくなったわけでは無い。
怖い思いをした時には隠れたし、他の全てと交流を持ったわけでも無い。
それでも、選べるようにはなっていったのだ。
翻って、あの子――リデルはどうなのだろうか。
リデルはそれこそ、父の陰以外のことを知らない。
それ以外のことを知った上で選択したわけでは無い、いやそもそもにおいて。
「そう言うのを、はたして「選んだ」なんて言って良いんでしょうか」
「でも、それは子供なら誰もがそうで……」
その時、アーサーは言葉を止めて考え込んだ。
考え込む仕草を見せたアーサーに、ルイナは微笑む。
そこにある微笑には、ほんのちょっぴり年上のお姉さんとしての、余裕が浮かんでいるようにも見えた。
瞳を温かに細めて、鍋へと視線を戻す。
ルイナ自身の見解を、実は彼女は述べたことは無い。
ただゆったりと自分の経験を話し、そこからアーサーが何事かの着想を得る。
この2人の関係は、そう言う類のものであるようだった。
それが、2人が築いた関係だった。
――――はたして、リデルとの間ではどうなるのだろうか……?
それはまだ、誰にもわからなかった。
少なくとも、この時点では。
◆ ◆ ◆
……ぐすぐすと、鼻を啜るような音が響いていた。
孤島、夜、開け放ったままの扉、風の音、春の虫の音、遠い潮騒。
それらに混じって聞こえるのは、どこか弱い動物達の鳴き声だった。
家の中にある唯一のベッドの上に、大きな塊があった。
シーツを被って丸まっているのだろう、その上に鳥達が足を乗せて鳴いていた。
枕元にはリス等の小動物がおり、持ち込まれた木の実が山と積まれていた。
そしてベッドの下では、何匹もの蛇達がとぐろを巻いている。
そんな状況にあって、シーツの中からくぐもった声が響いているのだ。
「……なによ、あいつ……」
ぐすぐすと、何事かを呟いているようだった。
「……ぁによぉ……」
ぐすぐすと、啜るような震える声で。
「わたしだって――――のに……ぐすっ」
ぐすぐすと。
「……せっかく、――――になれるかも、ってぇ……」
啜り泣き。
「……ばかぁ……」
それはしばらくの間続いて、声が聞こえなくなるのは深夜になってからだった。
その間、動物達の心配そうな鳴き声がBGMのように続いていた。
ずっと――――……ずっと。
「…………なさい」
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
ふぅ、何とか1章における下準備は出来ました。
残るは後半戦、次回以降一気に駆け抜けます。
それでは、また次回。