5-6:「友達、ふたり」
――――夢を見た、そんな気がする。
大多数がそうであるように、内容はほとんど覚えていない。
ただぼんやりと思うのは、誰かと一緒だったと言うことだけだ。
(……誰、だったかな……)
どこかを歩いていたような気もする。
島だったかもしれないし、どこかとも知れぬ道だったかもしれない。
ぼんやりと白む視界の中で、リデルは確かに一緒にいた誰かに駆け寄ってこう言ったのだ。
「ねぇ!」、と。
駆け寄った相手は自分よりも背が高くて、優しげな微笑みが印象的だった。
自分はいつも、その微笑みを見上げていたような気がする。
安心、していたような気がする。
だって、何かを聞き、何かを知ることが楽しくて――――。
「リデルッ! リデルリデルリ――デルッ!!」
まどろみが消し飛び、夢の世界が壊れ、意識が急速に覚醒するのを感じた。
耳元で名前を連呼され、激しく身体を揺さぶられれば嫌でもそうなるだろう。
ちなみに両方とも、同じ人間がやっていることだ。
「リデル、朝よ! 早く起きて朝食にしましょ!」
「……うるさいわね、朝から騒がないでよ……」
揺さぶられる勢いを利用してころりとうつ伏せになった後、ベットに手をついて身を起こした。
軽い頭痛を覚えるのは、おそらく気のせいでは無い。
皺の寄ったシーツの上にぺたんとお尻をつけて座り、こめかみの痛みを払うように頭を振った。
天蓋から床まで垂れ下がったレースの向こうを見れば、なるほど、テラスへ通じる大窓から柔らかな朝日が部屋の中へと入ってきていた。
いつの間にかすっかり眠り慣れてしまったベットに、着慣れてしまった絹のネグリジェ。
それらを何とも複雑な表情を見やった後、同じような体勢で自分の横に座っているベルに気が付いた。
きらきらと煌くような笑顔は、相も変わらず曇り一つ無い綺麗なものだった。
「と言うか、何でアンタがここにいるのよ」
「何でって、昨日は一緒にお喋りしてたじゃない。あなた先に寝ちゃうんだもの、つまらなかったわ」
「お喋りって、アンタがほとんど一方的に喋ってただけじゃないのよ」
本ならいくら読んでも眠くなることは無いが、他人の話を一方的に聞くだけとなると陥落は早かった。
と言うか、ベルに話すことが尽きないことの方が驚異的である。
ここまで来ると、もはや2人の間に遠慮の二文字は無かった。
「さぁ、早くベットから出ましょ!」
島育ちが未だ抜けないリデルにとって、朝とは静かに過ごす時間だ。
だがベルにとってはそうでは無いのだろう、ベットの上でぐいぐいと腕を引っ張ってきた。
「ちょ、自分で降りるわよ」
「もうっ、早く早く! 私、昨日からワクワクが止まらないの!」
「いや、それは昨日の段階で良くわかってるから。そう言う問題じゃなくて、そんなに引っ張られたら」
「だって、楽しみにしてたんだもの!」
朝日に金糸の髪を煌かせ、菫色の瞳を喜びに細める。
華奢な身体を包むのは躍動感、自分を押し留めるものは何も無いと本気で信じているのが雰囲気で伝わってくる。
一方でのリデルは、似た容姿でありながら対極にありそうな顔をしていたが。
「だって今日は、パーティーの日なのよ!」
パーティーと言うのは、ベルの父――そしてリデルの「祖父」だと言う――である公王が主催する祝宴のことだ。
所以はわからないが、とにかくベルが楽しみにしていた。
ここの所リデルはドレスだ何だと散々な目に合わされていた、特にコルセットと言う物が嫌いだった。
あれは何のためにあるのだろう、最初に着た時は中身が飛び出してしまうのでは無いかと思った。
「わ、わかったから。だからちょっと前を見なさいよ」
「ね、だから早く行きましょ……きゃあっ!」
「って、ほらぁっ!?」
ぐいっと強く引かれた次の瞬間、リデルは僅かの浮遊感を感じた。
実の所、これが始めてでは無かったりする。
◆ ◆ ◆
どうやらベットから落ちたらしい。
寝室の扉の前で、フロイラインはぼんやりとそんなことを思った。
彼女の側には籠を乗せたカートがあり、籠の中には朝の湯浴み場までの着替えが入っていた。
ベルは1日に何度も着替えをする、その世話をするのもフロイラインの仕事の1つだ。
例えば朝だけで3度着替えのタイミングがある、起きてから洗顔を兼ねた湯浴みまでに1回、湯浴みから朝食までに1回、そして朝食から昼食までの1回だ。
これは公都でも公王や公女などの上位の人間だけに見られる傾向で、豊かとは言え流石にソフィア人全体に共有されている生活様式では無い。
「はぁ……」
溜息を吐いているのは、ベルの生活様式に合わせることに疲れたからではない
毎日のようにお茶会に誘うだけに留まらず、ベルがとうとうリデルと寝室まで共にするようになったことについて溜息を吐いたのだ。
ベルのリデルへの傾斜は留まるところを知らず、むしろ日に日に酷くなっている。
「今まで、ご友人らしいご友人がいなかった反動か」
フロイラインは、ベルとはもう10年近くの付き合いになる。
まだ彼女が10代だった頃から彼女の傍にいて、そしてベルの気まぐれや我侭に振り回されてきた。
けれど、別にそれは良かった。
物心ついた頃から1人で――ベルの父である公王が、余計な者を近づけさせなかったのだ――過ごしてきたベルにとって、フロイラインだけが我侭を聞いてやれる存在だったのだ。
だが最近は、と言うよりはリデルが来てからと言うべきだろうか。
同じくらいの年の女の子と遊んだことなど無いからなのか、一緒に過ごす時間がどんどん増えていった。
今では、フロイラインに言いつける我侭のほとんどが「リデルと~」だ。
「だが……」
そしてベルがリデルに傾斜すればするほど、フロイラインの不安は強くなっていった。
ベルがあまりにも一緒にいるものだから、リデルのことに気付き始めた者も少なくない。
一度など、「あの少女は誰ですか?」と直接問われたこともあるのだ。
その時は言を与えずかわしたものの、内心はひやひやどころでは無かった。
あまつさえ、パーティーである。
「…………」
ベルに友人が出来ること事態は良い、歓迎すべきことだ。
しかしその友人が、大公女たるベルの地位を脅かすことがあってはならない。
まして現公王の孫、「親がどうであれ」、これまでベルしかいなかった公王位継承権保持者の席が単純に倍増するのだ。
何が起こるかなど、想像するまでも無い。
20年前の東部叛乱に端を発するあの混乱の時代、そのほとんどを子供として過ごしたフロイライン。
子供ながらに、いや子供だからこそ、鮮烈に記憶している。
(あんな惨状を、ベルフラウ殿下に見せてはならない!)
強く、そう思う。
だが彼女の想いとは裏腹に、ベルはリデルと仲良くなっていく。
フロイラインの願いを嘲笑うかのように、公王はリデルを認めている。
焦りだけが、胸の奥で少しずつ蓄積されていく。
何とかしなければならない。
でも、どうしたら良いのかわからない。
誰にも言えない類の悩みは、ただひたすらに心を焼くだけ。
誰かに話すことが出来れば、あるいは少しは何かが変わるのかもしれない。
『1人で抱え込まないで良い。僕で良ければいつでも相談に乗るよ』
――――誰かに、話すことが出来れば。
◆ ◆ ◆
公都トリウィアの城市は、慌しい活況の中にあった。
リデルがベルと歩いたメインストリートには乗り合い馬車が1台も走っておらず、代わりに並木道には黒地に赤と金で装飾された独特な旗が掲げられていた。
歩道には露天やオープンカフェのような物が立ち並び、人々が慌しく駆け回っている。
「しかし、何だっていきなりお祭りなんだろうな?」
「だよなぁ、明日は特に何かの記念日ってわけでもないよな」
「良いから早く準備しちまおうぜ。俺達は協会の布告の通りに動いてればそれで良いんだからよ」
「そうだな」
「ああ」
行きかう人々の声が漏れ聞こえてくる。
どうやら彼らは明日の祭りの準備をしているらしい、それも急に決まった物のようだ。
普段は労務に従事することの無いソフィア人が黙々と準備を進めているあたり、彼らにとって「協会の布告」とはそれほど重要な意味を持つもののようだった。
ほんの2週間前までは、トリウィアは穏やかでゆっくりとした時間が流れていた。
しかし先週から今週にかけ、今のような喧騒に包まれるようになった。
トリウィアの住民だけでは無く、公都近隣の地域の住民も多く入って来ているようだった。
「おかげで入り込めたわけだが……何と言うか、ものすげぇ違和感」
「声を出すな。印象に残る」
そう言う人々の中で2人、明らかに浮いている人間がいた。
彼らは周囲の人々に比べてやや痛んだ衣服を身に纏い、また常に集団の端を歩いていた。
人々と微妙に歩く速度を上げ下げしてズラし、常に別の人の横を歩く。
空から見れば奇妙なその2人も、地に立って見れば違和感無く溶け込んでいるように見えるから不思議だ。
「さて、入り込んだは良いがどうするかねぇ。あまり派手なことすっと魔術師とかいるしな」
「その声量で、その話。あり得んな」
「静かすぎんのも問題だろぉ」
「印象に残りさえしなければな」
金髪に、菫色の瞳。
その特徴は同じなのに、どこか他のソフィア人とは違う印象がある。
肌の色が少し濃いせいだろうか、どこか金髪が「似合っていない」。
さりとて集団の中に紛れると、違和感無くそこにいる。
何とも不思議な2人組だった。
「……っとぉ」
「……! 気を付けろ。人に見られたら……」
「わかってるって、それくらいは、流石にな」
メインストリートを吹き抜けた風が、人々の衣服や髪を揺らした。
その時、気のせいだろうか。
彼らの金髪の下に、何か別の色が見えたような気がした。
例えば、茶色。
「さて、早いとこお姫様を見つけて、アーサーの奴に知らせないとな」
「アレクセイ、いい加減に」
「へいへい。わかったよ、エテル」
彼ら2人は天から見ると不自然に、そして地から見ると自然に、流れるようにメインストリートを歩いて行った。
その足取りは少しずつ、公都の最奥へと近付いていた。
◆ ◆ ◆
空が赤く染まり始めた頃、城内は俄かに活気付いていた。
普段は徐々に静かになるはずなのだが、今日に限ってはその逆のようだ。
時間までの待機場所として開放されたホールには、大公国の各地から集められた人々が今か今かとパーティーの開催を待ち侘びていた。
と言って、待ち時間を無駄にしているわけでは無い。
何しろ公王主催のパーティーに招待されるような人物達だ、各界の有力者には違いない。
そうした人々が一所に集まれば、当然のように人だかりが出来て、互いの腹を探り合うような会話をするものだ。
その点、ソフィア人も歴史上の民族と変わりが無い。
「…………」
そんな中でただ1人、ホールの隅に佇む女性の姿があった。
その人物は、特異だった。
まずは髪、ホールにいる人間のほとんどは金髪だが彼女は茶髪だ。
次に衣装、男性は厳かながらも華美に、そして女性は華やかな衣装を纏っているが、彼女は黒を基調とした礼装を纏っていた。
とは言え、彼女も常のままでは無い。
普段は首の後ろでまとめている髪を解き、普段はしないような化粧を薄く施している。
軍服とローブを融合させたような衣服はそのままだが、襟の赤の装飾や肩の金の飾り房、そして左胸にリボンと組み合わせられたメダルのような物を着けている。
「やぁ」
この場で唯一フィリア人の血を引く彼女に声をかけるような者はいない、それはいつものことのはずだったが、意外なことに声をかける者がいた。
彼女、ノエルは、鷹のような眼を薄く開いて彼を見た。
「……同志ヴァリアス」
「キミも呼ばれていたんだね」
ヴァリアスだ、彼もまたノエルと同じ衣装に身を包んでいる。
どうやらあれは<魔女>の、あるいは魔術師の礼装であるようだった。
もっとも、ヴァリアスの纏っている物の方が上質そうではあったが。
そして彼の後ろには、十数人の若い男女が並んでいた。
「うん? ああ、彼らは僕の友人だよ」
「……友人」
金髪菫瞳、当然のことだがソフィア人だ。
皆一様にノエルへ冷ややかな視線を向けているが、それは別に良い。
こういう場に付き人や取り巻きを連れて来るのはむしろ常識だ、混血で自分の他に入れる人間がいればノエルとて誰かを連れて来ただろう。
(名士、か)
名士、わかりやすく言えば地方有力者の兄妹や子供達のことだ。
彼らの多くは地方官僚として大公国に登用され、その地域を統治するにあたって不可欠な存在となる。
魔術師を除けば、彼らは大公国で最大の勢力を持った者達だ。
そんな彼らを取り巻きにしているということは、つまりは、「そういうこと」だ。
「それにしても珍しいね」
「そうですね、陛下がこのような催しを自らなさるのは珍しい」
「それもだけど、キミが出て来ていることがさ」
過去にもこういうイベントは何度かあった、しかしノエルが参加することは稀だった。
協会の主催でも無い限り<魔女>に出席義務は無い、フィリアの血を引く自分が参加することに意味を見出せなかった。
それが、今回に限って参加した。
それはおそらく、公王がパーティーを開いた理由と同じだ。
「……陛下は、このパーティーで彼女を正式に紹介することを望んでいたようだけど」
「…………」
「流石にそれはね。だから急に豊穣を祝う祭りなんてものを制定して、それを祝うパーティーということにしたんだろう」
彼がそう言って視線を向けた、ちょうどその時だった。
ホールと会場へ通じる通路とを隔てる大扉が開いた、どうやら時間のようだ。
「それじゃあ、また後で」
軽く手を振って去っていくヴァリアスと、後にぞろぞろと続く地方官僚の男女。
その群れの背中を静かに見送りながら、ノエルもまた大扉へと向かった。
視界には会場へ向かうヴァリアスを捉え、脳裏には会場で出会うだろう「彼女」の姿を思い浮かべながら。
◆ ◆ ◆
「それでは皆様、我が国の益々の繁栄と陛下の健勝を祈って――――乾杯」
会場、数段高い位置に設けられた玉座の傍に侍る<魔女>イレアナの音頭によってパーティーが始まった。
パーティー会場は異様に広く、公王の玉座を頂点に楕円の形をしていた。
白・灰・黒のマス目状に整えられた床は中央には広いスペースがあり、玉座から見て対面に楽団がいて、左右には食事や飲み物が用意されたテーブルがいくつも置かれていた。
ゆったりとした音調の音楽が奏でられ始め、中央のスペースで何組かのパートナーがダンスを始める。
どうやら立食形式とダンス形式の組み合わせらしく、豪奢で巨大なシャンデリアの下、パーティーはゆっくりと開始した。
そしてその中に、リデルの姿もあった。
「……む、んっ。こん、のぉ……!」
しかし、様子がおかしい。
まず動きがぎこちない、一歩を進むのもどこか挑みかかるような印象を受ける。
一歩歩く度にぐらぐらと身体が揺れて、今にも座り込んでしまいそうだった。
「ああっ、もうっ、苛々する!」
ついにはぐいっとスカートを引き上げ、足先に覗くそれを憎々しげに睨んだ。
足先は細く、そして踵の部分が高く作られたヒールと言う靴だ。
しかも踵のヒールがやたらに細いために、歩く度にグラグラして転びそうになる。
初めて履いたリデルにとって、走れない靴と言うのは苛々の種でしか無かった。
「おまけに、何か服はズルズルするし……」
リデルが今着ているのは、白を基調としたパーティー用のドレスだ。
たくし上げるタイプの重ねスカートになっていて、腰から下の部分をふわりとさせ、両膝の横に紫色の飾りリボンがついている。
また襟ぐり・肩・袖・裾に菫色のフリルが配置され、首には同じ色の細いリボンが巻かれていた。
リデルが問題にしているのは、スカートの端が床スレスレの位置にあることだ。
靴だけでなく、衣装全体として走ることを想定していない。
まさに飾り立てるための衣服であって、それ以外の用途が無い。
そして外からは見えないが、腰のくびれを出すために編み上げ式のコルセットを、スカートの広がりを作るためにペチコートを着けているため、清潔感のある見た目と異なり身体にまとわりついて重いのだ。
「あ、もう! リデル、こんな所にいたのね!」
「この上、面倒な奴が来たわね……」
「え、何が?」
「何でも無いわよ」
そんな時、いつものように寄ってくる者がいた。
ベルである、彼女もまた今日はいつも以上に着飾っていた。
白地なのはリデルと同じだが、形やデザインが微妙に異なる物だ。
白絹に金レースと黒のビロードを組み合わせた涼やかなドレスで、コルセットとヒールは同じだがパニエが少なく、スカートの広がりが抑制的なドレスだった。
また肌の露出も少しだけ多く、豊かな胸元が覗くセクシーな造りをしている。
そしてそこには、金鎖で結ばれた大きな赤い宝石が揺れていた。
もうリデルには見ただけでわかる、それは高純度の<アリウスの石>だ。
「それ、その首飾り」
「え、これ? ええ、私も良く知らないけれど……家に昔から伝わる物なんですって。大きくて重いから嫌いなんだけど、お父様がこういう時には着けなさいって、五月蝿いのよ」
「ふーん……何か、私がパパに貰ったのと似てるわね?」
「そうなの?」
「うん、何かこう、宝石周りの装飾とか。そんなのが」
似たような宝石などいくらでもあるだろうが、これは似ていると思った。
リデルはもっぱら髪飾りにしているが、少々古ぼけている点を除けばそっくりだった。
2人が持っているそれは、良く似ていた。
まぁ、言ってしまえばそれだけのこと、特に気にはしなかった。
ちなみに今は、寝室で友人の蛇がベットの下で預かってくれている。
「後で見せてね」
「嫌って言っても来る癖に……」
「うふふ」
溜息を吐くリデルに、楽しそうに笑うベル。
それはいつも通りと言えばいつも通りの光景だが、いつも以上に衝撃を受けている人間が実はいた。
彼女は常の如く、そして礼装姿でベルの傍についていた。
故にリデルの言葉を間近で聞くことが出来たのだが、後にして思えばそれは不幸なことだった。
「…………」
フロイラインと言う、その女にとっては。
◆ ◆ ◆
豪華。
奢侈。
贅沢。
それらの言葉をいくら並べ立てても、この祝宴の一端をも表現することは出来ないだろう。
パーティー会場の端、食事が用意されたテーブルと会場の壁の間に位置する柱の陰にノエルはいた。
彼女自身は柱にもたれかかるように立ち、グラスの一つも手に持つことなく腕を組んでいる。
そもそも彼女の任地は辺境、公都の水や食事は口に合わない。
まして、華美に彩られたパーティーなどは。
「…………」
そんな彼女の目は、食事にもダンスにも人々にも向けられることは無い。
ノエルが見ているのは2つ、まずは己の主君とも言うべき公王だ。
本来であれば主催者がまず踊るべきだろうが、老齢であり妃を全て亡くした彼は段上の玉座に座したまま動かない。
豪奢な衣装も、枯れ枝のような身体ではお世辞にも高貴には見えない。
ふと、公王の傍に立つイレアナと目が合った。
彼女もまた協会の礼装に身を包んでいて、手にはいつものように金属製の本のような物を持っていた。
公王の傍を片時も離れない彼女の姿は大公国の姿を如実に表している、王と魔術師の関係をだ。
それが良いものなのか悪いものなのかは、ノエルにもわからない。
「……国と協会の協約ゆえに、か」
ぽつりと呟いて、視線を公王とイレアナから離す。
向かった先には、公王やイレアナとは異なり高貴に着飾った2人の姫がいる。
片方はこの国の本物の姫で、そしてもう片方は……。
「……ところで、公女殿下の傍にいる姫君はどなたかな?」
「はて、新年を祝う祝宴では姿を見なかったが……」
片方は、今日になって初めて衆目に姿を見せた新しい姫だ。
会場にいる人間は唯一の公王位継承権保持者のベルを無視することは無いから、自然、ベルと共にいる彼女にも視線が行くことになる。
まして同年代の娘を近付けようとする有力者達の意図を、これまで悉く拒絶してきた公王の意思がある。
しかしノエルは、公王の意思を知っている。
あの新たな姫をベルフラウの友人にと、自らの孫にと望んでいることを知っている。
そしてその意思が、他ならぬ「魔術協会によって」阻まれていることも。
(イレアナの意思では無いだろう。となれば、より奥深い所の意思が働いていると見るべきか)
イレアナと配下である参謀グループがこの件に口を出すとは思えない。
となれば、他のグループの意思が働いていると見るべきだろう。
「ん……?」
その時、何やら賑やかなベルと彼女、リデル――ベルにこう言う場で声をかけないのは、暗黙のルールだった――へと、近付く集団があった。
集団、いや、現実的には個人と見るべきだろう。
多くの名士を従えた彼は、パーティーの開始前にノエルに声をかけてきた人物だった。
◆ ◆ ◆
ダンスについては、良くわからない。
しかし食事が凄いと言う事はわかる、例えば鳥の丸焼きと言うのは初めて見た。
特にここまで太っていて、不自然な程に脂の乗った鳥肉は。
(そう言えば、あの子ちゃんとアーサーのこと手伝ってるんでしょうね)
鳥肉を見て思い出すと言うのも酷い話だが、思い出してしまったのだから仕方が無い。
胸に去来する僅かな郷愁に、リデルはそっと溜息を吐いた。
少し身体を傾けるだけで転びそうになるので、幸か不幸か郷愁を維持できなかったが。
「それにしても大きなお肉ね、どうやったらこんなに大きくなるのかしら」
「……必要以上に栄養価の高い餌を与え続けるのさ」
ふと口にした疑問に、答える声があった。
何かと思って視線を向ければ、そこに青年がいた。
年の頃は10代後半か20代の前半か、すらりとした長身に金髪菫瞳の美しい男だった。
柔和な微笑を浮かべた彼は、穏やかな口調でリデルに話しかけてきた。
「大公国の西部に生息する珍しい鳥類で、胃が4つある。その胃の全てに餌を直接流し込み続けて育てると、普通の倍以上の大きさになるんだ」
「そ、そうなの……」
急に話しかけてこられたので、警戒が先に立つ。
それに大分良くなったとは言え、人見知りが無くなったわけでは無い。
ヒールのせいで逃げられもしない、助けを求めるように周りを見た。
「はい、リデル」
すると、ちょうど料理を取り終えたベルが小皿を渡してくる所だった。
例の鳥肉もある、ソフィアの料理は苦手だがこの際は助け舟だ。
素直に受け取り、フォークを肉に突き刺した。
「あら、誰かと思えばヴァリアスじゃない」
「これは公女殿下、ご機嫌麗しゅう」
「ええ! 今日はとっても楽しいわ! だってリデルと一緒にパーティーなんだもの、こんなに楽しいパーティーは初めてよ」
「はは、それはそれは」
どうやら知り合いらしい、こういう時にはベルが本当に公女に見えるから不思議だ。
まぁ、本当の公女なのだが。
翻って、さて、リデルは周囲にどう映っているのだろうか。
「あの人、あの子の知り合いなの?」
「え……あ、ああ、はい。<魔女>のヴァリアス・シプトン様です」
「……ふーん」
少し驚いた様子で、男のことを見ていたフロイラインに――当然のように、彼女はベルについている――問えば、すんなりと答えが来た。
<魔女>、男なのに魔女とは不思議だが、つまりはイレアナとノエルと同じ存在と言うことだ。
脳裏に思い浮かぶのは、2人の<魔女>が超常の力を行使した姿だ。
この男もまた、常識を破壊するような超常の力を持っているのだろうか。
「リデル、食べないの?」
「え?」
どうやらヴァリアスとのやり取りに早々に飽きたらしい、またもやリデルの傍に寄ってきていた。
どうやら自分が取り分けた料理に口をつけていないことを咎めているらしい、リデルはフォークで鳥肉を刺し、口に運んだ。
そのままもごもごと小さく口を動かし、少ししてから嚥下した。
柔らかな肉は口の中で溶け、一噛みごとに肉汁とたれが染みて舌の上に広がる。
「ねぇ、美味しい?」
「え、ええ、そうね」
首を傾げて聞いてくるベルに、もう一口食べながら頷く。
口の中で広がる味に、少しだけ頬を緩める。
「うん、美味し……っ!」
そして、愕然とした。
美味しいと感じてしまった自分に、衝撃を受けた。
ソフィア人の濃い味付けを苦手に思っていた自分。
それが今、苦手なはずの味付けに美味を感じるようになっていた。
そういえば、ここ数日は始めの頃程に味に不快を感じなくなってきていた。
むしろ数週間に渡って食べ続けていれば、嫌でも慣れて来るのが普通だろう。
違和感は感じても、しかし不満は感じなくなってきていたのだ。
いや、そもそも。
「リデル? もう食べないの?」
「……ええ」
「ふぅん、あ、じゃあデザートの所に行きましょ。今日は」
「いらない」
「え、あ……そ、そう……」
ベルが少し落ち込むのがわかったが、それ所では無かった。
いつからソフィアの味に、生活に慣れてしまったのか。
そもそも、自分は島での生活を思い出せるだろうか。
フィリア人の、旧市街ではどんな生活をしていただろうか。
そう思っているから、これ以上何かを食べる気にはなれなかった。
たとえそれが無意味な抵抗だったとしても、そうしなければならなかった。
リデルの心は、今も南にあるはずだったのだから。
そのはず、なのだから。
「……あ! そうだリデル、じゃあ……!」
アーサーとルイナと一緒に食べた魚は、どんな味だっただろうか?
◆ ◆ ◆
先にも言ったが、リデルはダンスなどしたことも無ければ見たのも今日が初めてだ。
それでも渋々ながらOKしたのは、食事の場から離れたかったからだ。
ただその判断を、リデルは早くも後悔し始めていた。
「ダンスは初めて?」
「……そうよ」
「はは、大丈夫。今日はそこまで正式な舞踏会では無いからね、僕がリードするよ」
踊りのスタート位置は演奏家達の前だ、周囲を見る限りは、ここからスタートして会場の中央をぐるりと回るらしい。
すでにフロイラインをパートナーに選んだベルは、楽しそうに笑いながらくるくると回っている。
周囲のペアと比べると回転が早く、フロイラインはまさに振り回されていると言った風だ。
確かにあれが許されるなら、大体のことは許されるのだろう。
その時、ヴァリアスが手を差し出してきた。
少し驚いたためか、胸のあたりに右手を引き上げて一歩下がった。
見上げるとにこやかな笑顔がそこにあり、今さら食事の場まで逃げることも出来ず、おずおずと右手をそこに乗せた。
そして、ぎゅっと握られ、引っ張られた。
「ひゃっ……」
2歩前に進み、転びそうになったので相手の肩に残りの手を置いて身を支えた。
傍から見ると、リデルがヴァリアスに寄り添っているように見えるかもしれない。
「良いかい、僕の足元を見て足を出して。後は僕に任せてくれれば良いよ」
「あ、足? えーと……」
「そうそう、身体の動きは僕がリードするから大丈夫。後は足さえ踏まないよう気をつけてくれれば形になるよ」
なるほど、足を踏んでしまえばリードも何も無いと言うわけだ。
そう理解した時、ヴァリアスの手が背中に回るのを感じた。
肩甲骨と腰の中間のあたりにかすかに触れるそれはくすぐったく、同時に、父とアーサーを除けば自分に触れてくる異性は3人目だと思った。
(ああ、いや。あの公王とか言うお爺さんもだっけ)
視線をやれば、天蓋付きの玉座に座す老人がこちらを見ていることに気付いた。
何だか、自分がパーティーを楽しんでいるか気にしているような、そんな目をしているように思えた。
「さぁ、行くよ」
「え? あ、ちょっと待……わっ!」
ぐっ、と押されて一歩を下げられた。
かと思えば今度は左に引かれ、そしてまた押された後、身体を4分の1程回された。
腰まで降りていた手がぐいっと腰を引き、引き摺られるような形で前へ、そしてまた身体を横へ。
音楽がゆったりとした調子の物でなければ、たたらを踏んで転んでいたかもしれない。
「わっ、わ……わ?」
ヒールを踏み外さないように気を付けなければならなかったし、押され引かれするのは好みでは無い。
足を踏まないよう、引っ張られたり押されたりした時に踏み出す足を右にするか左にするかとっさに決めなければならない。
それでも案外踊れるのだと言うことに気付くと、後はとんとん拍子だった。
前へ、横へ、右へ、左へ、そしてターン。
構造さえ理解ってしまえば、このダンスは非常に単調だ。
単調なステップを繰り返し、ゆったりと踊るだけ。
それだけのことだが、それが出来ると少し得意な気持ちになってくる。
「上手だね」
「そ、そうかしら?」
「うん、初めてとは思えないよ」
少し得意な気持ちになって、足元から視線を上げた。
するとそこに、2つの物があった。
柔和な笑顔と、小さく細められた菫色の瞳。
「南から来たと聞いていたけれど、やはりソフィア人はソフィア人と言うことかな」
「別に、ソフィア人でなくともこれくらい出来るでしょ」
「はは、どうかな。でもどうしてかな、ソフィア人の中にいると言うのに……」
「え? きゃっ」
会場の中央で急にステップが止まった。
腰を引き寄せた体勢で止まり、そして耳元に唇を寄せてきた。
急に何事かと少し混乱するが、続けて発せられた言葉に思考が一時、停止した。
「キミは、とても寂しそうだ」
柔和な微笑。
それはどこか彼に重なるけれど、でも彼はそんな目をしなかった。
どこか、温かで無い輝きを放つ菫色の瞳。
「いったい誰のことを想って寂しさを得ているのかはわからないけれど、でも、大丈夫」
耳元で囁く言葉は、甘く、温かで、そして優しい。
そんな風に自分に話した人間はいない。
そんな風に、自分を誘った人間はいない。
「公都には、キミの寂しさを埋める全てがある」
だからこそ。
「知識も、娯楽も、食べ物も、服も。そして人も」
だからこそ、激しい違和を覚えた。
感じた違和感は瞬く間に身の熱を引かせ、嫌悪感を呼び覚ました。
それはここしばらく燻り続けていた苛立ちに、火をかけるには十分だった。
腰に回された掌の動き、耳元にかかる吐息、脳髄に染み込むような声音。
煌びやかな広間、豪勢な食事、華美な衣装、荘厳な音楽。
そんなもの、求めたことなど一度として無かった。
自分が求めていたもの、もっと。
もっと、雑多で、粗雑で、汚らしいものの中にあったはずでは無いか。
「僕も、キミの寂しさを埋めてあげる――――……」
それに気付いてしまえば、後は衝動のままに。
「……?」
不意に押しのけられる形になったヴァリアスは、不思議そうに首を傾げた。
「……アイツは」
「あいつ?」
「アイツはね、偉く勝手な理由で私を島から連れ出した、連れ出してくれたのよ」
嗚呼、外の世界はかくも恐ろしい。
すでに島にいた頃に夢見ていたような世界では無いと知ってしまった、だけど。
だけど、これだけは言える。
彼はけして、自分を思い通りにしようとはしなかった。
「……そうか。それは、酷いことをする」
「酷いこと? そうね、まったくもって酷い奴だわ。でもね、アイツは少なくともねぇ……」
だからリデルは、衝動のままに行動した。
衝動、あるいは激情。
それこそが、リデルと言う人間の原動力。
彼女の肉体を突き動かすのは、そう言うものであるべきだったのだから。
「アイツは! アーサーは! そんな風に人をたらしこもうとはしなかったわよ! こんの軟派男ッ!」
だからリデルは、ヴァリアスの頬を思い切り張り飛ばしてやった。
◆ ◆ ◆
走った。
リデルは走った、突然の行動に驚き場が硬直した隙に会場を飛び出した。
ヒールは途中で脱ぎ捨てた、両手でスカートを持ちあげて、とにかく走った。
膝上まである靴下のおかげで、裸足で走らずには済んだ。
どこか向かう場所があるわけでも無い、ただあの場を離れたかった。
何度も躓きそうになりながらも辿り着いたのは、どこかのテラスだった。
石造りの手すりに両手を付き、大きく息を吐く。
頬を流れる汗をドレスの袖で拭い、目を開いて上を見た。
そこには、島で見ていたあの夜空と同じものが広がっていた。
「ふふ、本当。空だけはどこにいても同じなのね、不思議だわ……」
あるいはいつか、あの夜空に一定の法則を見出す誰かが現れるのかもしれない。
そんなことを思っていれば、何故か視界の夜空が大きく揺らいだ。
視界を揺らがせたそれは、瞼と言う器から溢れるとすぐに零れ落ちてきた。
「リ、リデル……?」
ちょうどその時だった、聞き覚えのある声が聞こえた。
リデルは顔を下げた、そうしないと月明かりが全てを晒してしまうと思った。
「何よ!」
「な、何って。どうしたの? 大丈夫? 何であんなこと」
「五月蝿い! アンタには関係ないでしょ!?」
「か、関係ないって。ダンスを勧めたのは私だし、もしそのせいなら」
ベルだった。
テラスの入り口でまごついている様子で、何事かを言っていた。
ちなみにその手にはリデルの脱ぎ捨てたヒールがあった、律儀に拾ってきたらしい。
「……リデル?」
「ッ、何よ!」
「リデル、もしかして……泣いてるの?」
「……! っるさい! こっちに来ないで!」
それでも、戸惑いながらもベルは近寄ってきた。
顔を見られたくない、だからリデルは顔を背けた。
するとベルは困ったようにオロオロとして、背けた方に歩いていった。
そうすると、また逆の方向に顔を背けられる。
ベルが困っていることはわかっていた。
でも、だからと言って今の顔を見られたくなかった。
だからぎゅっと目を閉じて、顔を背け続けた。
すると。
「リデル……」
「……!」
ふわり、と温かなものが自分を包むこむのを感じた。
横から自分の身体に腕を回したそれが、ベルだと気付くのに時間はいらなかった。
当然、リデルは抵抗した。
「……離して!」
「だ、大丈夫、大丈夫だから、ね!」
「何が大丈夫よ!? 離して、離しなさいよ!」
「フロイラインが言ってたわ、哀しい時には抱き締め合えば良いんだって。私も、泣いちゃった時にはフロイラインに抱き締めて貰ったもの」
抱き締めて、あやすように髪を撫でる。
ベルの温かな体温と優しい手つきは、ヴァリアスとのダンスの時には感じなかった心地良さを与えてくれた。
それでも、リデルには受け入れてやる気持ちは無かった。
「離してよ! アンタなんか、アンタなんか……何でも無いんだから!」
「何でも無くなんか無いでしょ、と、と……お友達、だもの!」
「はぁ!? 友達!?」
「は、は……初めて、だったの!」
震える声音に、リデルは抵抗を止めた。
涙も一旦止まり、恐る恐る顔を上げた。
すると、そこには。
「うっ、ひっぐ、ぐす……うえぇ」
「ちょ、アンタ……な、泣いてんの?」
涙でぐちゃぐちゃになった、少女の顔があった。
化粧も流れて、酷い顔だ。
「は、初めて、だったのぉ……っ」
「う、うん? うん?」
「い、一緒に、お茶したり、一緒、に、遊んだ、りぃ……っぐ、ふぇっ。お、遅くまでお喋りしたり、服、選んだりぃ……」
「わ、わかったわよ。わかったから落ち着きなさいよ、ねぇってば」
しゃくり上げながら紡がれる言葉に戸惑いながらも、ふと思い至る。
そう言えば、自分もそんなことをする「友達」は初めてだったのではないか、と。
アーサーは年上だし、ルイナはどちらかと言うとお姉さんと言う風だった、旧市街にもそう言う少女はいなかった。
そしてこのベル、公王位継承権第一位。
もしかしたら、同い年くらいの少女と一緒に過ごすこと自体が初めてだったのではないか。
楽しそうに笑っていたその裏で、どうしようも無く不安になっていたのでは無いか。
初めての「友達」と言う存在を、傷つけやしないかと、不安に。
「うええええぇ、ふええええぇぇ……!」
腹が立った。
どうしてそんなにも素直に感情をぶつけて見せ付けてくるのか、そんな風にあからさまに泣かれたら、どうしたら良いのかわからなくなるでは無いか。
――――自分だけが抑えているのが、馬鹿みたいでは無いか。
「あ、何。なによこれ。あ、ああ、あああぁ……」
手すりから手を離す、正面からしがみつかれる、耳元でわんわん叫ばれる。
抱き締め返す、噛み付くように肩に顔を埋める、肩に感じるのと負けないくらいの雫を零す。
ぼろぼろと、水を掌の上に留め置けないように。
零して、零して、そして。
「うああああぁぁぁんっ、うわあああああぁんっ!」
「あ、ああぁ…………――――――――ッ!」
理性ではどうしようも無い、激情の迸りのままに。
その日、ほんの5分だけ。
リデルは、我慢の枷を外した。
◆ ◆ ◆
リデルとベルが抜け出した後も、パーティーは恙無く続けられた。
ただ2人の姫が抜けた途端に主催者の公王も奥へ隠れてしまい、その中身はがらんどうのものになってしまったが、そこは協会の名代としてイレアナが収拾をつけた。
そして、リデル達とほぼ同時に何人かの人間がパーティー会場から抜け出していた。
「ふぅ……」
その内の1人は、とんだ形でダンスを中断することになったヴァリアスである。
彼は心配するとりまき達に「心配ない」と告げ、会場外の手洗い場に行き、そして今まさに出てきた所だった。
薄暗い通路に出てなお頬が赤く見えるのは、少々穿った物の見方だろうか。
ふと外を見れば、夜がさらに濃くなっていることに気付いた。
あんなにも晴れていたのに、どうやら雲が出てきたようだ。
そう時間が進まない内に、ポツポツと雨粒が窓を叩き始めた。
珍しく、雷鳴を伴う大雨だった。
「……おや」
ピシャッ……と雷鳴が輝く中、ヴァリアスは自分に近付く足音があることに気付く。
そこにいたのは、フロイラインだった。
薄暗い中で、しかも雷鳴の光に照らされる中、顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。
そんな彼女に対して、ヴァリアスは柔和な微笑を浮かべて見せた。
雷の輝きを、瞳に反射させながら。
「……お話、したいことが……」
さらにしばらくして、別の人物がその通路を通りがかった。
ノエルだ、彼女は誰かを探すようにあたりを見渡していた。
そしてその時、手洗い場の前に何人かの人間がいることに気付いた。
どうやら探している人物では無く、それはパーティーのために雇われた使用人達のようだった。
「何かあったのか」
「ひぁっ……あ、ああ、<魔女>様」
「そ、それが……」
<魔女>であり混血であるノエルの登場に、使用人達は怯えとも取れる反応を見せた。
それ自体は気にする程のことでは無い、いつものことだ。
むしろ蔑みが入らないだけ、まだマシな方だと言える。
「それが、その」
「男性のお客様から、お手洗いが使えなくなってるって」
「……使えない?」
はい、と声を揃えて、使用人達は言った。
「「「中が、ぐちゃぐちゃになってて……」」」
◆ ◆ ◆
「……雨ね」
「うん。えへへ、冷たいけどあったかいわ」
「何それ、馬鹿じゃないの?」
「あ、ひどーい」
「ちょ、どこに顔押し付けてんのよ……」
「うふふ、あったかーい」
「……」
「…………」
「…………私、ね」
「ええ」
「私、ね。ここに、いたくないの」
「……そっか」
「行かなくちゃいけない所があるの、私……きっと、そこが好きなんだわ」
「ここにいるの、楽しくない?」
「楽しい、と思う。でも、それでもここは私がいるべき場所じゃないの」
「そう、なの……」
「…………ごめん、ね?」
「ううん、良いの。何となく、そんな気はしてた」
「ごめん」
「謝らないで。寂しいけど、でも、リデルが我慢なんてしなくて良いの。そうでしょ?」
「……そう、ね」
「うん」
「……」
「……わかった。私に任せて」
「え?」
「明日、城下でお祭りがあるの。私、ここを抜け出してリデルと一緒に遊びに行くつもりだったのよ」
「抜け出してって……ああ、アレね」
「ええ、アレよ」
「アンタって本当、お姫様っぽく無いわねぇ」
「うふふ、だってここってつまらないんだもの」
「あはは、本当に仕方ない奴ねぇ」
「……明日」
「……うん」
「明日、お祭りに行ったら……外に、行かせてあげる。フロイラインにお願いして、公都の外へ」
「……良いの?」
「良いの。大丈夫、お父様って私に甘いのよ。叱られたことなんて一回も無いんだから!」
「それはそれで、どうなのかしらね」
「だから、大丈夫。任せて、私がリデルを……あなたを、行かせてあげる」
「……本当に、良いの?」
「ええ!」
「本当に……」
「ええ」
「ほんと、に……」
「……」
「……ほんとう、に」
「…………」
「…………ありがとう」
「うん」
「ありがとう、ベル……」
「……うんっ……」
「ありがとう――――……」
採用キャラクター:
五十鈴りく様より、エテルノ。
無間様より、アレクセイ。
ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
最近一話あたりの文字数が増えてきたような気がします。
次回はお祭りと大脱出回、でも、そうそう上手くいけば良いですね。
なお、リアルの都合により、来週の投稿をお休みさせて頂きます。
次回の投稿は9月19日金曜日になります。
ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い致します。