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5-5:「少女を求めて」

 魔術とは何か?

 魔術とは突き詰めれば、<アリウスの石>内部に蓄えられたエネルギーを使用する技術だ。

 その発現が超常の力のように見えるために「魔術」と呼ばれるのだが、実は正式な名称では無い。

 学術的な名称は長くなるので省くが、概ね魔術の定義とはこの通りだ。



 魔術の使用には、前提とも言うべき2つの条件がある。

 第一に、大公国本国で加工された<アリウスの石>で無ければエネルギーの発現は出来ない。

 第二に、使用者は専門の教育・訓練を受けたソフィア人で無ければならない。

 一部の例外を除き、魔術の使用にはこれらの条件を満たすことが必要である。

 なお、都市内のインフラや家具などに使用されているのは厳密には魔術では無い。



「その点、私やキミが扱う魔術は程度の低いものだ」



 朝霧が漂う深い渓谷、背の高い針葉樹林の森と剥き出しの岩壁を見せる山々に囲まれた地に彼らはいた。

 森の中の開けた場所、自然に出来たのだろう切り株の上に座っているのはクロワだ。

 彼は目の前に水晶の大剣を突き立てており、日の光を浴びてそれは薄く輝いていた。



「それでも私はソフィアの血を半分引いているため、ソフィア人に近いレベルで魔術を使用することが出来る。ただそれにも条件があり、なるべく肌に直接<アリウスの石>が触れるような形に石を加工しなければならない」



 例えばクロワの剣は、水晶の刃に<アリウスの石>を混ぜた合金製だ。

 師であるノエルも、ブーツと石を合わせる形で魔術を使用していた。

 ノエルの部下達も、何らかの形で<アリウスの石>を武装として身に着けていた。



「逆に何世代前がソフィア人だったかわからない僕などは、それほどレベルの高い魔術を使うことは出来ない、と言うことですね」

「その割に、キミは魔術に対する適正が高いようだがな」

「割にでは、今後は厳しくなると思いますけどね……」

「それは否定しない」



 ふぅ、と溜息を吐くのはアーサーだった。

 彼は幾分か痩せた顔で手元を見た、そこには鈍く輝く赤い石がある。

 彼らは今、北に向かっていた。

 北はソフィア人の土地であり、そこに近付けば近付くだけ危険度は増す。



 そうした意味でも、アーサー自身の魔術の技術向上は必要だった。

 魔術に魔術以外のもので対抗するのは難しい。

 そう思うのだが、アーサーには決定打になるような案は思いつかなかった。

 摩擦係数を操ると言うのは一見凄いようで、その実、切り札としてはどうにも弱い。



「クロワ殿、アーサー殿」



 考え込んでいると、茂みの向こうから姿を現した少女がいた。

 ハーフテールの少女は2人が自分に注目するのを確認すると、淡々とした様子で言葉を続けた。



「少し進んだ先に、鉄馬車を発見しました」

「……協会の哨戒網か何かでしょうか?」

「わかりません。ただ……」



 珍しく言葉を濁すシャノワに、アーサー達は言葉を濁した。

 どうやら何かが起こったらしい。

 アーサー達はシャノワに連れられる形で、その場を後にした。



  ◆  ◆  ◆



 渓谷を少し進むと川がある。

 山の頂付近を水源とするその川は幅が広く、流れが急だった。

 何日か前に豪雨に見舞われたが、おそらくそのせいだろう。

 左右を樹木に挟まれ、川と木々の間には大小の白い石が転がる岸となっている。

 その岸に、それは流れ着いていた。



「何かあったんですか?」

「あ、アーサーさん。そ、それが、朝になって水を汲みに来たら……」



 森の中から様子を窺っていた青年の後ろ姿に声をかければ、どもった声が返って来た。

 その青年は旧市街の地図職人、カリスだった。

 臆病で引っ込み思案な青年だが、一方で地図職人だけあってフットワークが軽く、いつの間にかここまでついてきてしまっていた。

 前髪に隠されていない彼の左目を追えば、そこには確かに渓谷を通る川と。



「……あれは」



 川岸に、黒い箱のような物体が転がっていた。

 鉄製のその形には見覚えがある、新市街にあったソフィア人の乗り物に似ている。

 このあたりには整備された街路は無い、上流から流されて来たのだろうか。

 上流は山であるため、山の上の道を通っていて川に落ちたのかもしれない。



 鉄馬車は完全に大破してしまっているようで、車輪は2つまで外れてどこかへ消えてしまっている。

 御者部分は潰れて見えなくなってしまっていて、どうやら馬車内部にメリ込んでしまっているようだ。

 馬車の黒い塗装も剥げや損傷が酷く、新市街を走っていた物のような美麗さはそこには無かった。

 ひらりと空から舞い降りて来たリデルの鳥が、調べるように馬車の縁に止まった。

 その様子を見つつ、クロワへと視線を向ける。



「どう思いますか、クロワさん?」

「どうと問われてもな」



 話を振られたクロワは肩を竦めつつも、注意深く鉄馬車――の残骸と言うべきか――を観察した。



「真新しい傷が目立つ、流れ着いてからそう時間は経っていないだろう」

「そうですね……事故か何かでしょうか。積み荷などは見えないようですが」

「そうだな。いや待て、何か見える」

「え、どこですか?」



 肩が触れ合うような位置にまで近付き、一緒に中腰になる。

 他のカリス以外にいた数人のメンバーも、同じような仕草をした。

 傍から見ればあまりにもシュールで、この場にリデルがいれば「アンタ達何やってるの? 馬鹿なの?」とでも言いそうだった。



「あそこだ、馬車の扉が外れているだろう」

「ああ、言われてみれば」



 クロワの指差した先、確かに馬車の扉が外れて中が見えている。

 さらに身をかがめ、遠目に中へと視線を凝らす。

 ちょうど朝霧が晴れてきて、太陽の光が馬車の中を白日の下へと晒してくれた。

 そうしてアーサーの目に映ったのは、金色だった。



「……ッ、アーサー殿!?」



 クロワの制止を振り切って、森を飛び出した。

 そのまま長くも無い岸を駆けて、アーサーは鉄馬車の側まで駆けた。

 まさか、そう思う。



 しかし、アーサーの足は速くはなっても遅くなることは無かった。

 近付けば、その金色はより明確にアーサーの目に情報を伝えてくれた。

 それは髪だった、長い金髪だ。

 金色の下には白い肌があり、川の水で冷えたのか青白くなっていた。



(――――まさか!?)



 だんっ、と音を立てて馬車の残骸に跳び乗り、扉の枠に手をかけて中を覗きこんだ。

 まさに間一髪。

 御者台はやはり馬車の中に突き出していた、潰れていたのは右半分だ。

 左半分に座っていたのだろう「彼女」がもう少し右にいれば、身体を潰されて絶命していただろう。



「……違、う?」



 それは14、5くらいの少女だった、金色の髪に白磁の肌、ソフィア人だ。

 潰れた馬車の中で、眠るように目を閉じている。

 時折、生存を知らせるように薄く胸を上下させていた。

 そしてアーサーが乱暴に乗り込んだせいか、少女の唇から呻くような声が漏れた。



「……ぁ……?」

「おっと」



 薄く開いた目は、やはり菫色だ。

 ソフィア人の少女はまだ意識がはっきりしていないのか、焦点の合っていない目でアーサーを見上げていた。

 見つめ合う形になったアーサーは、さてどうしたものかと一旦考え。



「ど、どうも? 大丈夫ですか?」



 とりあえず笑顔を浮かべ、声をかけることにした。

 するとどうしたことだろう、次第に意識がはっきりしてきたはずの少女は、見る見る内に顔を青ざめさせていった。

 元が青白い分、もはや病人を越えて死人になるのでは無いかと心配になる程だった。



「あ、あの」



 少女が泣きそうな顔で口を開いた時、アーサーは潔く諦めることにした。

 そして。



「――――!」



 耳をつんざくような、甲高い悲鳴が渓谷に響き渡った。



  ◆  ◆  ◆



「大丈夫ですか?」

「先入観の有る無しが決定的に重要だと学びましたよ」



 顔中に引っ掻き傷を作ったアーサーは、濡れた布を頬に当てられて小さく悲鳴を上げた。

 布を当てたシャノワ自身は表情を動かさなかったが、少なくとも手は止めた。

 シャノワから布を受け取り、自分で拭うことにする。



 リデルの経験から実は自信があったりしたのだが、リデルの場合はソフィア・フィリアの先入観が無かったために出来たことだと痛感した。

 あれは別に、自分の対応の良し悪しでは無かったらしい。

 そう思い、改めて大破した馬車の方を見た。



「いやぁ――――――――あっ!!」



 悲鳴である。

 馬車の中からはひっきりなしに少女の悲鳴が響いていた、それは途絶えることなく渓谷の山肌に反響して広がり続けているようにすら思えた。

 あえて言うが、別に少女を襲っているわけでは無い。



「いや、いやぁっ! 来ないで、お願い来ないでぇっ!」

「え、ええと。そ、そこにいると危ないで……」

「触らないでっ!」

「い、痛い……」



 アーサーが失敗した後は、メンバーの中で最も人畜無害であろうカリスが少女を馬車の外に出そうと孤軍奮闘していた。

 一方の少女は馬車から顔も出そうとしない、狭いだろうに馬車の中で身を縮めている。

 何が何でも外に出るものか、そこからはそんな強い意思が感じられた。



「危ないなんて嘘! 馬車から出たら酷いことするつもりなんでしょう!?」

「う、嘘じゃないです。け、怪我とかあるかもしれないし」

「嘘っ! だってあなた達フィリア人じゃない!!」



 少女の言葉に、場の空気がズシリと重くなったような気がした。

 しかしその言葉に納得もした、この場には少女を除きソフィア人はいないのだ。

 見覚えの無いフィリア人に囲まれれば、ソフィア人の少女なら恐慌状態に陥っても無理は無い。

 ソフィア人にとってのフィリア人は、非文明的で野蛮な奴隷だ。



 ここはソフィアの領域に程近いがまだフィリアの土地だ、おそらく彼女はどこかの入植地に住んでいたのだろう。

 そこにはフィリア人の奴隷もいたはずで、だから彼女のイメージがそうなるのも仕方ない。

 仕方ないが、しかし。



「だ、大丈夫です、僕達は」

「触らないでって言ってるでしょうっ!? この汚らしいケダモノっ!!」



 数ヶ月前ならそれでも「そんなもの」と言う反応で終わっただろうが、今の彼らは少し事情が違う。

 怒りを感じるより、昏い復讐心を刺激されるよりも前に、程度の差こそあれ哀しさを感じた。

 自分達を受け入れてくれたソフィア人と言う前例が、彼らをほんの少しだけ弱くしていたのだ。



(理解してはいたんですけどねぇ……)



 内心で溜息を吐き、アーサーは天を仰いだ。

 自分達はソフィア人を畏れ、ソフィア人は自分達を蔑む。

 人命救助の場面でもそんな光景を目の当たりにして、やるせなくなるのも仕方が無い。

 良しにつけ悪しきにつけ、リデルは規格外の人間だった。



(さて、どうしたものですかね)



 一際大きな悲鳴が聞こえた。

 カリスが説得を諦め、体格の良いメンバーが数人がかりで少女を外に引き摺り出し始めたのだ。

 少女に怪我をさせないよう気をつけているせいか、相当に苦労している様子だった。

 アーサーはもう一度、今度は実際に溜息を吐いた……。



  ◆  ◆  ◆



 その日の移動は、これまでとは別種の困難を伴うものだった。

 これまでは主に肉体的な戦いだったのだが、今回は精神的な消耗の方が大きかった。

 具体的に言えば、ソフィア人の少女の存在である。



「いやぁ、散々な一日でしたね」

「キミがそうはっきりと言うのは珍しいな」



 日が落ちて焚かれた焚き火の前、引っ掻き傷に加えて痣まで作った顔でアーサーが溜息を吐いていた。

 時刻はすでに夜だがまだ就寝には少し早い、だがまだ一日が終わっていないことに驚いていた。

 今日と言う日は、本当に長かった。



 何しろあの少女、捕まえていないとすぐに逃走を図るのだ。

 こんな深い渓谷で何の装備も無い少女を1人にするのは危険すぎる、一度など完全に見失って皆で探したのだ。

 そうでなくとも言動が酷く、何度か我慢の限界を迎えた仲間と少女の間に割って入ることもあった。

 顔の痣は、その時に勢い余った仲間の拳が当たったために出来たものだ。



「あの子はどうしている?」

「今はシャノワさんが見ていてくれています。結局、僕達が用意した食事には口をつけなかったようですが」



 前後左右全てに噛み付いていたせいか、早々に疲れて寝てしまっている。

 起き抜けに逃げられても困るので、メンバーの中で一番眠気に強いシャノワがついているのはそう言う意味もあるのだった。

 溜息を吐き、焚き火で炙っていた川魚を一本抜き取る。

 内臓を取られ穴が開いた歪なそれを口に含むと、味付けの無い自然そのままの味が口内に広がった。



(……海魚と川魚は違う、でしたっけね)



 そんなことを思いつつ、味のしない川魚を食べるアーサー。

 一匹食べ終えて息を吐いた後、彼はクロワへと視線を向けた。



「それで、どうでした?」

「うむ、調べてはみた」



 クロワの手には、拳大の赤い石があった。

 それは大破した鉄馬車の中からサルベージした<アリウスの石>で、アーサー達が少女にかかりきりになっている間に調べてもらっていたのだ。



「鉄馬車はあらかじめ記録していた順路を走る仕組みだ、だから石を調べれば出発地・目的地・中継地などの情報がわかるものなのだが……こいつは、どうやら出発地と目的地の2つしか記録されていないようだ」

「なるほど。まぁ、僕は石については門外漢ですから任せます」

「うむ。片方はここから程近いと思われる。それが目的地か出発地はわからないが」

「目的地がわからないよりは良いでしょう」



 問いかけるように肩を竦めてくるクロワに、頷きを返す。

 アーサーは、少女を元いた場所に帰すつもりでいた。

 どういう事情で馬車が川に流されたのかはわからないが、放っておける程に酷い性格はしていない。

 あるいはこれも、リデルと一緒に過ごした影響なのかもしれない。



 それに未だ目的地もはっきりしない中、アーサー達はきっかけを求めていた。

 ソフィア人の少女の保護がそのきっかけになり得るのか、今はまだわからない。

 今はただ、目の前で生まれた小さな目的に向かうしかなかった。

 誰に見守られるわけでもなく――――……。




「……おんやぁ……?」




 ……――――いや。

 見守ってはいないが、見つめる者はいたのかもしれない。

「彼女」は森の中に浮かぶ焚き火の光源を見つめ、額の上に手を翳した。

 はっ、と鼻で笑うその笑い方も、どこか懐かしい。



「これはまた、何とも変なところで会っちまったもんだねぇ――――王子様?」



 彼女の指には、鈍く輝く赤い石の指輪が嵌められていた。



  ◆  ◆  ◆



 渓谷を越える行程は、それで無くとも過酷なものだ。

 中には己の力で障害を越えられない者もいるのだから、労力と時間は余計にかかる。

 その中で最も注意を払わなければならないのは、言うまでも無くソフィア人の少女だ。



「しっかり捕まっていてくださいね」

「……」



 そうした場合、必ずと言って良い程アーサーが少女を背負った。

 例えば急流を越えねばならない時には、木の蔓をロープ代わりにして背負った少女を自分の身体と結びつけた。

 最初は少女も嫌がったが、一度川に落ちて溺れかけてからは、少なくとも暴れなくなった。



 一番身軽なシャノワがまず渡り、やはりロープ代わりの蔓を向こう岸で木や岩に固定する。

 後は1人1人順番に、ごうごうと音を立てて流れる川を越えるのだ。

 楽な作業では無い。

 しかしずぶ濡れになりながらも、命の危険を感じているためか、少女はアーサーにしがみついて大人しくしていた。



「大丈夫ですか?」

「…………」



 また山を越える際、道を作るために山を削って進んだこともある。

 人力で削った道など歩けるものでは無い、山肌に頬を擦り付けるようにして遅々として進まなければならない。

 もちろんその時も、アーサーは少女を背負った。



「大丈夫ですか?」

「…………!」



 自らは山肌に抱きつくようにし、魔術で摩擦係数を操作して吸着力を増した。

 目の前に灰色の岩肌を見、クロワが先頭で削り出してくれた小さな道をじりじりと蟹のように進む。

 足場の幅は30センチ程しかなく、下を見れば遥か下に幅の狭い急流が見えた。

 滑り落ちでもすれば、まず無事では済むまい。



「……っ」



 下を見たのだろう、少女がぎゅっとアーサーにしがみ付いた。

 首を絞められる形になって少し苦しいが、それでも暴れられるよりは良い。

 その時、アーサーの仲間が注意を呼びかける声がした。

 少女が上を見ると、大きくは無いが小さくは無い岩の群れが転がってきた。

 小規模な落石だ。



 少女が悲鳴を上げ、アーサーの背で身を縮める。

 だがいつまで待っても、少女の身に痛みや衝撃が襲ってくることは無かった。

 いや、衝撃はあった。

 あったがそれは、アーサーの身体を通じて響いてくるものだった。



「大丈夫、ですか?」



 額から血を流しながら、アーサーがそう問いかけた。

 土に汚れたその額に、汗に濡れたその頬に、少女は目を丸くした。

 遥か下から、何か固いものが水に落ちる音が聞こえてきた。

 そして、痛みから遠ざけられている自分のことを省みる。



「……うん」



 アーサーの問いかけに、初めて少女が答えた。

 彼は少し目を丸くした後、ふと微笑んだ。

 それから、また進む。

 心なし先程より身体をひっつけてしがみ付く少女を背負い直し、アーサーと仲間達は山を越えていった。



 何に急かされるわけでも、はっきりとした目的地が見えているわけでも無い。

 それでもその集団は、ゆっくりと前に進み続けた。

 ただそれだけが、自分達に出来ることだと信じて。



  ◆  ◆  ◆



 くぅ~……と言う小さな音に、誰もが顔を上げた。

 夜、再びの焚き火の時間だ。

 山を越えまた別の森に入り、明日には渓谷を抜けられるかと言う話をしていた時のことだった。



「あぅ……」



 少女だった。

 お腹を抱えて蹲る彼女――この数日、頑なに何も口にしなかった――に、シャノワが焼けた川魚を差し出す。

 最初は逡巡していた少女だが、空腹感に負けたのか、とうとう串を手に取った。



 手に取った後やはりまた逡巡したが、程よく焼けた魚の焦げ目の魅力に負けたのだろう、恐る恐ると言った風に魚の腹を齧った。

 そして、むせた。

 どうやら骨の塊に当たったらしい、口を押さえて咳き込んでしまった。



「何これ、本当にお魚……? 骨ばっかりだし、生臭いし、味しない……」

「すみませんね、口に合わないようで」

「本当よ、こんなの食べたこと無い。でも」



 焦げた皮がパリッと音を立てた、少女が二口目を口にしたのだ。

 本当に口に合わないのだろう、口にする度に顔を顰めて咽ている。

 それでも手が止まることは無く、リスのように頬を膨らませて魚に齧りつき続けた。

 ぼろぼろと涙を零しながら、しゃくり上げながら、少女は魚を平らげていった。



「……協会の人がお家に来たの」



 お腹が膨れて落ち着いたのか、少女がぽつりぽつりと語り始めた。



「私は公都に行かなくちゃいけないんだって。嫌だったけど、でも、陛下の御意思だからって」



 街の広場に連れていかれて、他にも同い年くらいの少女達が集められていることを知った。

 少女達は1人1人馬車に乗せられて、公都へと運ばれていった。

 広場にはたくさんの人が集まっていたから、馬車の窓から両親を探したが、見つけることが出来なかった。



 泣いている内に天候が崩れて、雨の中を1人、馬車の中で過ごした。

 ただ、予期せぬ問題が起こった。

 渓谷を抜ける際、山道が崩落したのだ。

 最後尾を走っていた少女の馬車だけが巻き込まれ、崖を落ちた。

 助かったのは、ただただ運が良かっただけだ。



「お、起きたら、ふ、フィリア人ばかりで、わたっ、私、殺されちゃうんだって、だから」

「あー……えーと」



 ぐすぐすと泣き咽ぶ少女に、どう対応したものかと困る。

 人種の違いは髪の色の違いで一目瞭然だから、アーサー達がフィリア人だというのはすぐにわかったろう。

 両親から引き離されたばかりの彼女にとって、それはどれ程の恐怖だっただろうか。



「大丈夫ですよ」



 努めて柔らかな口調で、アーサーは言った。



「ソフィア人の街に貴女をちゃんと送り届けます。貴女のご両親がいる街かはわかりませんが、それでも、ソフィア人の街なら僕らといるよりはずっと良いでしょう」



 まぁ、事情を聞くにまた連れて行かれる可能性はあるだろうが。

 それでもアーサー達といるよりは、ずっと良い。

 それは本心だった。



「う……うぅ~っ」

「あー、ほら、大丈夫ですって。あ、そうだ見てくださいこれ、可愛いリスでって、痛い!?」



 リデルのリスを掲げて見せたが、噛み付かれて悲鳴を上げるアーサー。

 周りが笑い声を上げて、少女も目尻に涙を浮かべながらも笑みを浮かべた。

 それをほっとした心地で見つつも、アーサーは胸の内で思う。

「彼女」がこの少女のようであったなら、と。



 同じソフィア人の中であっても、知らない人間の中に放り込まれれば恐怖を感じるだろう。

 目の前の少女のように、素直に泣ける性格をしているなら、まだ救われるかもしれない。

 だがもし、そんな性格をしていなかったなら。

 素直に弱さを見せられるような、そんな甘えを自分に許さないような性格なら。



「……リ」



 アーサーが思いを遠くに飛ばそうとした、その時。

 彼が視線を横に動かすのと、視界が赤の色に染まるのはほぼ同時だった。

 夜の森を、炎の色が染め上げる。

 赤い石の輝きと共に。



  ◆  ◆  ◆



「敵だぁ――――ッ!」



 その炎の広がりように、アーサーは見覚えがあった。

 何しろ島を焼き街を焼いた炎だ、忘れようにも忘れられないだろう。



「何と言うか、貴方とも随分と縁があるようですねぇ」

「それはこっちの台詞だよ王子様、相も変わらず少女誘拐が趣味のようで」

「アレクフィナの姐御! あれぁ前に見た奴とは別の奴ですぜ!」

「ふひひ、違う女なんだな~」

「そんなのは見たらわかるんだよ!」



 何か凄まじい誤解を生じさせるような台詞を吐いて、渓谷の森に火を放った。

 長い金髪を頭の後ろでまとめた女の姿が、ぼんやりと森の木々を焼く炎の光で照らされていた。

 魔術師アレクフィナは、背後に2人の部下を従えて姿を見せた。

 正面から来る所が、アレクフィナ達の性格を表していると言えるのかもしれない。



「奇遇ですね、こんな所で何を?」

「あん? それもアタシの台詞だろ王子様。アンタこそ何してるんだい、もうすぐ北はアタシらソフィアの地だってのに」



 じろり、とアレクフィナが少女を見る。

 少女が怯えたように身を竦めるが、特に逃げ出す様子は見せなかった。

 アレクフィナは少女の足元に落ちている焼き魚の食べカスを見て、鼻を鳴らした。



「アンタもフィリア人なんざと馴れ合うんじゃないよ、ゴミ屑と友達になる馬鹿がいるかい?」

「それはまた随分な物言いで」



 火が次々と燃え広がっている中で、会話をしつつも考える。

 リデルがいない今、この場をどうにかする策を自分で考えなければならない。

 撃破するか、出来なくはないだろう。

 しかし今アーサー達は散り散りになる可能性がある、それは不味い。



 集団を維持し、かつ、アレクフィナ達が追跡を断念せざるを得ないような状態に持っていかなければならない。

 さらに言えば、今のアーサーには少女と言う気を遣わなければならない存在がある。

 悩ましい所ではあった。

 しかし、判断は常に一瞬の交錯の後にあるものだ。



(リデルさんは、いつもこれを1人でしていたわけですね……!)



 自分が「ねぇ」と尋ねられて答えていたことなど、ほんの一部でしか無かった。

 何故だろう、この頃は良くそんなことを考えてしまう。

 だが、今は。



「さぁ、アタシの糧となりなぁ!」



 今は、この状況を突破する!

 アーサーは考える、リデルならこの状況をどうするか。



「クロワさん! 皆を渓谷の出口まで導いてください!」

「キミはどうする」

「ご安心を、僕は元々単独行の方が得意ですので!」

「あぁん? 逃がすわけないだろこの愚図が!」

「おや」



 でしょうね! と心の中で思いながら、アーサーは少女を抱え上げた。

 あっと声を上げる少女、散り行く仲間達とは別の方向に駆け出すアーサー。



「なら僕のことは見逃してくれるわけですね、いや、助かりますよ」

「……ッ、ナメるんじゃないよ王子様! お前達、そっちを追いなぁ!」

「わ、わかったぜ、アレクフィナの姐御!」

「ふ、ふひひ、わかったんだぞ~」



 挑発に簡単に乗るのは、性格が素直だからか、それとも島から続く因縁に触発されたか。

 その間、アーサーの傍からリデルの鳥が空へと舞った。



(頼みますよ)



 皆と合流するためには目印が要る、鳥は打ってつけだ。

 しかしあの鳥は、そしてリスもだが、何故自分に力を貸してくれるのだろうか。

 こうして思えば、不思議なものだ。

 そんな思考も、自分の傍を通り過ぎていった炎線によって遮られる。



(なるほど、やはり外してきますか)



 後ろを猛追してくるアレクフィナの気配を感じながら、アーサーは考えた。

 リデルの時もそうだったが、アレクフィナはソフィア人を傷つけない。

 言いたいことは様々あるが、そこだけはアーサーも認めていた。

 ソフィア人を、傷つけない。



「――――アレクフィナさん、1つ質問があるのですが!」

「ああん!?」



 水場――つまり川――へと向かって駆けながら、アーサーは敵に呼びかけた。



「貴方は、ソフィア人を傷つけない――そうですね!?」

「ああ!? そりゃあ当然だよ、アタシは魔術師だ! 魔術師っては、ソフィアの民草を守るのが仕事なんでね!」

「なるほど、ならばどんな時でもどんな状況でも、例えばソフィア人に連れて行かれそうになっているソフィア人でも、ですか!?」

「はぁ!? そんな奴がいるわけないだろう!」

「いたとしたら!?」



 はっとした顔で、小脇に抱えられた少女が顔を上げる。



「いるわけがない……でも、そうだねぇ、あえて言ってやる! アタシはどんな時だって、ソフィア人をこの世の理不尽から守るために動くさ!」



 当然と言ったような調子で、アレクフィナは怒鳴り返してきた。

 ソフィア人と言う存在への忠誠、それが彼女の行動原理の中心なのだろう。

 アーサーはずっと以前からそのことを知っていた、言葉では無く行動でしっていた。

 皮肉にも、過去数ヶ月間の戦いの中で得た確信。



「『善く戦う者は、人を致して人に致されず』、でしたっけね……お嬢さん!」

「え?」

「あのアレクフィナと言う人間は見た目怖いですが、信用は出来ます」

「え、え?」

「だから――――ここで!」

「え、あ、きゃっ……きゃああああああっ!?」



 アーサーは投げた、少女を、森を抜けると同時に、川へ。

 丸く放物線を描きながら、小柄な少女の身が宙に浮く。

 それと同時にアーサーは直角に曲がり、川の上流方向へと駆けていった。



「んなっ、ば、馬鹿野郎っ!!」



 後ろを振り向けば、予想通りの光景が広がっていた。

 金髪の魔術師が川に落ちる直前で少女の身体を掴み抱き締めて、そして川に落ちる様を。

 その瞬間に垣間見えたアレクフィナの表情に、アーサーは胸の奥で安堵の息を吐いた。

 どうやら、安心しても良いようだった。



  ◆  ◆  ◆



「良いのか、魔術師に預けて。公都に送られるのでは無いか」



 上流に向かう途上でリデルの鳥を見つけ、森の中へ潜り込んだ。

 そこにはすでにクロワがいて、彼は倒木の幹に腰掛けてアーサーを待っていた。

 その肩に、空から飛来した鳥が羽根を休めるように止まった。



「アレクフィナさんは魔術師ですが、ソフィア人に対しては誠実な人間です。あれだけ焚き付けておけば、まぁ、大丈夫でしょう」

「それは予測か」

「期待ですよ」



 どの道、あのままアーサー達が街の近郊まで送るよりは可能性はあったはずだ。

 少し無責任のようにも感じるが、後はアレクフィナに任せるしか無い。

 敵を信用すると言うと語弊があるか、ならば利用するとしよう。



「皆は?」

「散った仲間を集めながら渓谷の出口に向かっている、シャノワとカリスが導いている。あの魔術師の部下は適当に撒いた」

「そうですか、では僕達も行きましょう」

「ああ、だがその前に思い出したことがある」



 倒木から腰を上げながら、クロワは言った。



「先程の話、10年ほど前にも似たような話を聞いたことがある」

「10年前、ですか?」

「噂程度だ、当時は気にも止めなかった。だが、その噂に曰く」



 ――3歳から5歳の少女が、各地から公都に連れて来られている――。



「3歳から5歳、10歳程ズレがありますね」

「そうだな。だから噂だ」

「噂、ですか」



 噂と言うのは古来より存在するが、それが真実と重なった事例は意外と少ない。

 そして同時に、真実と無関係であった事例も少ない。

 信頼は出来ないが無視は出来ない、それが噂と言う物の厄介な所だ。

 10年前は3歳や4歳、そして今は13歳か14歳の少女が公都に連れて行かれていると言う噂。

 これを、どう処置するべきか。



「クロワさん、僕に魔術を教えてくれませんか」

「何?」

「僕は何分、我流なもので。少しは成長したいんです、それに……」



 ふぅ、と溜息を吐いて、アーサーは北の方角を見た。

 木々に遮られて見えないが、その先の空はそろそろ白んでくる頃のはずだった。

 彼はその金色の光を想像するように、目を細めた。



「……公都に行くなら、今のままではダメでしょうからね」



 目的地――ソフィア人の首都・トリウィア。

 そして再び、時間は数週間進むことになる。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

今回はアーサーサイドのお話でした、そして気が付いたのですが、アーサーって全部の話で新しい女性キャラクターと絡みますよね。

これはあれです、リデルも男性キャラクターとの絡みが必要ですね(え)

それでは、また次回。

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