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5-1:「リデルとベル」

 柔らかな光と共に、目が覚めるのを感じた。

 どんなに深く眠っていても、瞼の裏に日の光を感じれば意識は覚醒する。

 薄く瞼を開き、優しい日の光に眩しげに目を細めることを繰り返す。



 そうして何度か瞬きを繰り返す内に、意識がはっきりしてきた。

 寝ぼけた心地のまま、自分が何か柔らかい布地に沈んでいることに気付く。

 これまでに感じたことの無い寝心地に、所在無さげに腰をもぞもぞと動かした。



(……白い、天井……?)



 まず最初に目に入ったのは真上だ、仰向けに寝ているので正面は天井となる。

 マホガニーの柱から伸びる枠組みの上にレースを乗せた簡易な天蓋てんがいで、枠の端から床まで垂れ下がったレースが幾重にも重なり、薄い羽衣のように揺れていた。

 揺れるレースを見た途端、頬に感じる僅かな風に気付いた。



 枕に埋もれたまま――感じていた柔らかさは枕のものだったようだ、数えれば大小5つもの枕がある――顔だけを右へと向ける。

 するとまず、手の込んだ装飾のベッド・サイド・テーブルが視界に飛び込んでくる。

 白い薔薇が活けられた花瓶が3つ、銀の燭台に乗せられた未使用の蝋燭が1つ、水差しと品の良いカップが1セットと、そして小さな籠に綺麗に並べられたショートブレッドが置かれていた。



(……朝……?)



 柔らかな光の正体は、朝日だった。

 視線の向こう、自身が寝ている場所から10メートルも離れているだろうか、外に繋がる大窓が見えた。

 大胆に開け放たれていたそこから、清浄な空気と共に穏やかな風が流れ込んできている。

 少女の白い頬を撫でていたのは、それだったのだ。

 その他、光を取り入れるためだろう、高い位置にあるいくつかの天窓からも朝日が射し込んでいた。



(……違う、匂い……)



 育った島とも、まして旧市街とも違う空気に鼻先を鳴らす。

 驚く程に臭みの無い、清涼な空気だった。

 あまりにも綺麗な空気なので、逆に咽てしまった。

 咽るに任せて身を起こすと、解かれた金糸の髪がさらさらと身体の上を滑り落ちていった。



「……何、ここ」



 身体を包んでいたのはリネンのシーツ、それとレース生地を編みこんだベッドスプレットだった。

 優しい白色の中、まだシーツの中にある足を曲げて、ぺたんとお尻をベットに押し付けるような座り方へと姿勢を変える。

 そのまま、改めて周囲を見渡す。

 白や茶色など柔らかな色調の造りのその部屋は、広すぎるベットルームのようだった。



「ああ、そっか」



 そこでようやく、思い出す。

 自分は確か、クルジュの新市街でノエルに「赤い部屋」に連れ込まれたのだ。

 その後のことは覚えていない、見覚えの無い部屋で目を覚ましたことと無関係では無いのだろう。

 眠り過ぎていたのだろうか、頭が少し痛む気がした。



「そうなってくると、ここって……あ!」



 不意に気付いて、自分の身体をまさぐった。

 可愛らしいフリルで装飾された薄青のワンピースの上を、少女の細い手指が這いまわる。

 まず髪、あるべき飾りが無く、そして絶えず身に着けていたはずの帽子も見えない。

 それから身体を探る手指は肩、胸、お腹、足へと移動するが、何にも触れることなく終わった。



「……いない……」



 ぽつりと呟く、そこにいるべき蛇がいなかったからだ。

 小声で呼んでも隙間から姿を現すことも無く、不安は隠れることなく表情に表れた。

 しかしそれをすぐに消して、意を決したように行動を開始した。



 ベットを軋ませながら端へと移動し、誰もいないことを確認し、降りる。

 薄い生地に覆われた身体に朝の風が染み込み、一瞬ぶるりと身を震わせた。

 そして目の前に現れたマホガニーの大扉は、どこか威圧感すら放って少女の行く手を阻んでいた。

 そんなことで怯むわけにはいかない。



「行くわよ」



 誰にともなくそう言って、リデルは扉に手をかけた。



  ◆  ◆  ◆



 ひたひたと、誰もいない空間に裸足の足音が響く。

 足の裏に大理石の冷たさを感じながら、リデルは慎重に進んでいた。

 しかしその通路は呆れるほどに広く、物陰から物陰へと隠れながら進むことに馬鹿らしさすら覚える程だった。



「慎重に。そう、慎重になるのよリデル……」



 通路の幅は10数メートル程だろうか、数メートル置きにある柱の前に燭台付きのブロンズ像が置かれている。

 リデルはそのブロンズ像の陰に隠れながら、慎重に進んでいる所だった。

 だが先に言ったように、通路に人の気配は無かった。



 通路は片側一面がガラス張りになっており、そちらにも注意が必要だった。

 朝日が指し込むと光が少しずつ通路を照らし、丸天井に描かれた絵画が見えるようになる。

 どことなく、幻想的とすら思える光景ではあった。

 問題は、ガラス張りの壁の向こう側だ。



「森……?」



 そこに広がっていたのは、小さいながらも確かに森が広がっていた。

 針葉樹が美しいその森の手前に大きな湖があり、そこからさらに手前に噴水を備えた庭園が見える。

 腕の良い庭師が剪定しているのだろう、上から見ると水と緑によって幾何学模様が描かれていることがわかる。

 想像していたよりも、ずっと広い場所のようだった。



「本当、どこなのよ。ここは」



 現在地はおろか、自分の状況すらわからない。

 ともすればしゃがみ込みたくなるような不安に、弱気になってしまいそうになる。

 それでも、しゃがみ込んでも何も解決しないと自分を鼓舞する。

 逆に言えば、そうするしか無かった。



 服の袖で顔を拭い、また物陰に隠れながら歩き出す。

 ただ、途中で誰かに出会うことは無かった。

 不気味な程に、誰にも出会わなかった。

 誰にも。



「……っと、こっちが外か」



 そうしてしばらく歩き、途中何度か分かれ道があって、適当に道を選んで進んだ。

 すると偶然にも、外に繋がる空間に出た。

 ただ出口では無く、どうやら中庭か何からしい場所に出た。



「うわぁ……」



 凄い光景、と言えばそうなのだろうか。

 今リデルが出てきた扉を含めて、四方を壁や通路で囲まれた小さな中庭だ。

 まさに箱庭と言う表現が合いそうで、しかも色とりどりの花々が咲き乱れていた。

 さっき遠目に見た庭園とは違い剪定などは最低限に留められているのだろう、石造りの花壇の中に植えられた花々は無秩序に咲き誇っているようにも見える。



「見たこと無い花もあるわね」



 島で見たことがあるような花もあるが、やはり見たことの無い花の方が多い。

 清浄な空気に混じって、かぐわしい花々の匂いが鼻腔をくすぐる。

 こういう状況出なければ、リデルもしばし蝶の舞うこの空間で足を休めようとしたかもしれない。



 だが立ち止まっているような余裕は無い、広々とした中庭に足を踏み入れる。 

 裸足の足に裏に、大理石よりは柔らかい石の床の感触を得る。

 不思議と、少しだけ安心することが出来た。

 上を見れば、四角く切り取られたような空と、左右の建物を繋ぐ渡り通路が――――。




「ねぇ!」




 ――――心臓が止まるかと思った。

 誰もいないと思っていた所に、急に声をかけられたためだ。

 そして声の主は、意外な程近くにいた。

 すぐ隣、花壇の中からだ。



  ◆  ◆  ◆


 中庭に張り巡らされた水路から水音が響く中、背の高い花々の中に身を潜めていたのはリデルと同じくらいの年頃の女の子だった。

 何かから隠れているのか、小声で話しかけてきていた。



「ねぇ、あなた。だぁれ?」



 その少女を見た時、何となくだが、自分に似ていると思った。

 しかし良く見れば、疑問はすぐに消えた。

 陽の光にキラキラと輝く長い金色の髪に、爛々と輝く菫色の瞳。

 彼女はソフィア人だった。

 同じ年頃のソフィア人の少女を、初めて間近で目にした。



 衣服は清潔な物で、それでいて動きやすそうな服だった。

 パフスリーブの白ブラウスにヒダの入った柔らかなスカート、青い編み上げ紐付きのベストと、金糸の髪に黒いリボンをつけている。

 何と言うか、今からハイキングにでも行くような格好だ。



「ねぇ、だぁれ? 見たことない顔だけど」

「あ……え、ええと」



 上手く答えられないでいると、首を傾げられた。

 不思議そうなくりくりとした瞳が妙に純粋に見えて、少し気後れする。

 正直に自分の素性を明かすべきかどうか、思案する必要があった。

 そんなことを考えていると、不意に相手の少女が言った。



「ねぇ、あなた。どうして外でネグリジェなんて着てるの?」

「ね、ネグリジェ?」

「……? 今着てるじゃない。それとも、そう言うファッションなの?」



 無邪気な様子で指差してくるのは、リデルが今着ているワンピースだ。

 どうやらこの薄衣はネグリジェと言うらしい、それから少女はリデルが裸足であることにも驚いた。

 そしてますます興味を持ったらしく、戸惑うリデルにさらに声をかけようとした所で、何か気付いたようにはっとした表情を浮かべた。



「隠れて!」

「え……へっ?」

「良いから、こっちに来て!」

「え、え……ひゃっ!?」



 ぐい、と手を引かれて、リデルは前のめりに転んだ。

 芳しい花の香りに包まれたかと思うと、少女に抱かれるように引き込まれた。

 どうしてこんな体勢になったのかはわからないが、目を白黒させながらも現状を把握しようとする。



「ち、ちょ……!」

「静かに! フロイラインに見つかっちゃう!」

「ふ、ふろいらいん?」



 おそらく誰かのことなのだろう。

 リデルとしても他の誰かに見つかりたくは無いので、静かにすることに否やは無い。

 ただ、後ろから抱き締められるような体勢には慣れなかった。

 花々とは違う甘い香りが、鼻腔をくすぐるような気がした。



「ベル様、どちらにおいでなのですか~!」



 そして、別の声が聞こえてきた。

 花壇の中に身を潜めたまま、声の主を探す。

 すると、それはすぐに姿を現した。



 誰か――おそらく、リデルと共に身を潜めている彼女――を探しているのか、キョロキョロとあたりを見渡しながら、中庭を歩いて来た。

 ローブと軍服の混合服を見た時に直感した、どうやら魔術師のようだ。

 年の頃は20代の後半に差し掛かった頃か、金糸紫眼、スラリとした体格のソフィア人の女性だった。



「ベル様、ベル様ー! もうすぐ勉学のお時間でございますよ、どちらにおいでなのですかー!」



 腰のベルトに下げた細身の剣、柄の部分に赤い宝石が見えた。

 歩く度に剣が擦れて音を立てる、花々の間からブーツに覆われた足が見えた時、リデルは己だけでなく己にくっつく少女の心拍数が上がるのを感じた。

 すぐ近くに立ち止まった女性――おそらく、フロイラインと言う名前の――は、深々と溜息を吐いた。



「……ああ、もう。本当に困ったお方だ……」



 本当に心の底から困った様子で、フロイラインはそのまま歩き出した。

 足音が遠ざかっていき、どこかの扉が開閉する音が聞こえた。

 その段階で、ようやく「ほう」と息を吐いた。

 そして、はたと気付く。



「あ、あの」

「ふぅ、危なかったぁ……」



 自分の傍で安堵したように息を吐く少女だ、彼女はいったい何者なのか。

 危機を救ってくれたようにも思えるが、彼女自身を守っただけのようにも見える。



「あ、そうだ! ねぇ、ちょっと来て!」

「へ、え?」

「そのままの格好じゃあ、何も出来ないでしょ!」

「え、あ、ああ、うん?」



 話を勝手に進められる、ぐいと手を引かれて、はっとした。



「ちょ、ちょっと――――」

「こっちよ!」



 笑顔で自分の手を引く少女に、リデルは戸惑いを隠せなかった。

 はたしてこの少女は何者なのか、そもそもここは何処なのか。

 何もわからぬままに手を引かれるまま、そんな現状にリデルは不安を感じざるを得なかった。

 動物達も宝石も帽子も無く、隣に誰もいない場所で。



  ◆  ◆  ◆



 中庭から別の通路に入ると、先程通ってきた通路とは装飾が異なっていた。

 先程は簡素な中に豪華さを散りばめたような装飾だったが、こちらは少し華やかな造りになっていた。

 白基調の壁とガラス張りの壁に挟まれている所は変わらないが、枠などは木目調の物を使っていて、床にも明るい色合いの絨毯が敷かれるなど、どこか優しい印象を受けた。



 石床や地面の上を裸足で歩いていた身としては、有難いと言えば有難い。

 しかし胸中は穏やかでは無かった、途中で誰かに会わないかとビクビクしていた。

 幸いだったのは、自分の手を引く女の子もどこか人目を避けている様子だったことか。

 そのおかげで、誰にも見つからずにすんだ。



「ち、ちょっと、どこまで行くのよ」

「こっちよ……ああ、ついたわ!」



 どのくらい進んだだろうか?

 リデルは手を引かれるまま、両開きの扉を備えた部屋の前まで来た。

 明るい木製のそれは重そうに見えるが、少女の手で開けられる程度には軽いようだった。



「何してるの、ほら早く!」

「え、え……と」

「早く、誰か来ちゃう!」



 扉の中に身を潜らせた女の子が、手招きしつつリデルを急かした。

 誰か来るという言葉にはリデルも弱く、躊躇しつつも中へと入った。

 リデルが隙間を通って中に入った後、古めかしい音を立てて扉が閉まる。



「ね、ねぇ」

「しっ、静かに!」



 扉を閉めた女の子はしばらく耳を押し当てて通路側の音を確認していたが、特に何も無いと思ったのだろう、ほぅっと息を吐いた。

 そんな女の子を気にしつつも、リデルは今自分が入った部屋を見渡した。

 そこは螺旋階段で2階と繋がる細長い空間で、扉の正面に窓があり、左右に鏡と木の板が並んでいた。

 ぱっと見た限り、そこが何のための部屋なのかはわからなかった。



「さぁ、早く着替えちゃいましょ!」

「き、着替え?」

「ええ、だってその格好じゃ動き回れないでしょ?」

「ま、まぁ、それはそうだけど」



 わっ、と驚いた。

 と言うのも、女の子が壁の木の板を引っ張り出したからだ。

 引っ張り出されたそれはまるで細長い箱のようで、枠の内側に衣装が満載されていたのだ。

 ズラリと並んだそれはドレスのようだったが、フリルやレースで彩られた色とりどりのそれは、リデルのこれまでの人生で見たことも無い物ばかりだった。



「あ、間違えた」



 こっちこっち、とぼやく少女。

 反対側の壁に走り、やはり別の板を引き出す。

 どうやら壁の奥にさらにスペースがあり、あの板は蓋のような役割をしているのだろう。

 リデルとしては、引き出しの下についたローラーの方に興味が湧いたのだが。



 どうやらここは衣裳部屋のようだ。

 見る限りでは相当の種類と数の衣装が収納されているのだろう、2階も同じような造りのようだ。

 女の子はどこに何がしまわれているかを理解しているようで、色々と引っ張り出しては放り投げていた。



「うーん、どんなのが良いかしら……あ、ねぇねぇ、あなた」

「え? な、何?」

「お名前は何て言うの? 見ない顔だけど、新しく入って来た人?」



 あれも違うこれも違うと衣装を引っ張り出す女の子に、リデルはどう対応するべきかと考えた。

 相手がどんな素性かわからない、おそらく普通の街娘では無いだろう。

 とは言え、こちらを謀っている様子も無い。

 思案し警戒するリデルをよそに、女の子はペラペラと好きなことを話し続けていた。



「私はベルフラウ、ベルって呼んで。あなたは?」

「あ、あー、えっと」



 偽名を名乗るか?

 いや、ここまで連れて来られている以上は無意味なような気がする。

 それに。



「……?」



 それに、相手――ベルの無垢な顔を見ていると、自分を偽ることに罪悪感を覚えてしまいそうだった。



「わ、私は……リデル。その、リデルよ」

「へぇ、リデル! とっても良い名前ね、何だか絵本の主人公みたい!」

「そ」

「じゃあ、はい! これに着替えて!」



 気のせいでなければ、もしかしたらベルは人の話を聞かないタイプなのかもしれない。

 ベルの手には衣装一式があって、彼女は笑顔でそれを持っていた。

 リデルは、何故か嫌な予感がした。



「さ、脱いで!」

「え?」



 それはそれは、とても綺麗な笑顔だったと言う。



「早く早く、脱いで脱いで!」

「え、ちょ」

「早く早く、あんまり時間をかけると誰か来ちゃうから!」

「わ、わかったわよ。でも自分で着替えくらい。ど、どこ触、ひゃあっ」



 とりあえず、余分な時間がかかったとだけ言っておく。



  ◆  ◆  ◆



「はぁ、もう……本当にどこに行かれたのか」



 人気の無い通路で、女が1人溜息を吐いていた。

 それは先程、リデルの隠れる中庭を通り過ぎた女だった。

 歩く度に剣の音を立てる様は、間違えようが無い。



 腰まで伸びた長い金の髪に、憂い気に眦を下げる菫色の瞳。

 部類としては確実に「美人」に入る容貌だが、長身であることと、腰に刷いた剣の存在が彼女に「美人」以外の要素を与えていた。

 とはいえ、ほとほと困り果てたような表情を浮かべていてはそれも台無しだった。



「この調子だと、今日も外に出られたのかな。まぁ、危険は無いとは思いますが……」



 彼女の名はフロイラン・ローズライン。

 大公国広しと言えども、公王直属の魔術師と言えば数える程しかいない。

 彼女はその中の1人であり、さらにより特別な任務を帯びている魔術師だった。

 つまりはエリートなのだが、今の所、その兆候すら感じることが出来なかった。



「む?」



 通路を歩いていると、外の空気に包まれた。

 そこは中庭のある階よりも一つ上の階層に位置する場所で、構造としては東西を繋ぐ渡り通路と言える。

 その通路は天井が無い上に壁が無く、橋にあるような欄干があるばかりで、上から中庭を見渡せるような造りになっていた。



「ああ、あんな所にいた」



 石造りの欄干に手を添えて、下を覗き見る。

 そこには、背の高い花々に隠れるようにしてこそこそとしている少女が見えた。

 その後姿は、フロイラインが探していた相手のそれに間違いなかった。



「またあんな格好をして。お父上に知られたらどんなお叱りを受けるか……私が」



 父親はけして叱らない、むしろ周囲の人間が被害を受けることになる。

 フロイラインは座してそれを受ける程お人好しでは無いので、最悪そこから飛び降りるつもりで、欄干から身を乗り出した。

 そして身を乗り出したために、気付いた。



「うん……?」



 もう1人、いた。

 フロイラインの目的の少女の他にもう1人、同じくらいの年齢の少女がいた。

 見た所ソフィア人のようだが、フロイラインは少女の顔に見覚えが無かった。

 そしてそれは、あり得ないことだった。



 ここがどういった場所で、そして自分の役目が何なのか。

 それを理解している以上、この建物の中でフロイラインの「知らない顔」などあるわけが無い。

 あってはならないこと、それが起こっている。

 そうしてそこまで思い至って、はたと思い出した。



「まさか、あれが――――……」



 フロイラインが顔を覚えていないかもしれない、そんな1人を。

 その時に浮かべた表情に、彼女の心中の複雑さを垣間見たような気がした。



  ◆  ◆  ◆



 新市街で総督の庇護下にいた時もそうだったが、触れるだけで上質とわかる衣装は苦手だった。

 素材が良いからなのかどうなのか、通気性も良くて軽いためきちんと服を着ているのか不安になる。

 歩く度に肌の上を滑る滑らかな感触も気に入らない、少しくらい肌にくっつくくらいがちょうど良いのだ。



「さぁ早く! フロイラインが戻ってくる前に出ちゃわないと」

「ねぇ、いい加減何をしてるのか教えてくれない?」

「えーと、確かこのあたりだったはずなんだけど……」

「……聞いて無いし」



 ゴワゴワと感じる袖を掌で撫でながら、リデルはベルの背中を眺めていた。

 その撫でている袖もスベスベしていて気に入らない。

 絹で出来ているらしいが、リデルにとっては滑らか過ぎて気持ちが悪かった。

 肌に合わないとは、まさにこういうことを言うのかもしれない。



 ちなみにリデル今着ている服は、先程の衣裳部屋でベルに貰ったものだ。

 袖広で裾の長い白のブラウスに、踝の少し上あたりまである毛織物の赤いロングスカートを履いている。

 胸元や袖のヒラヒラやスカートの花模様など、島や旧市街の衣装には無かった余分な装飾が気になって仕方が無かった。



「あ、あったあった!」



 その時、ベルが歓声を上げた。

 花壇に使用されている軽石をいくつか叩いたり引っ張ったりしていたようだったが、ようやく目的の石を見つけられたらしい。

 ベルが花壇の石――石と言っても、綺麗に四角く切り揃えられた物だが――を一つ外して、中から引っ張り出してきたのは。



「……<アリウスの石>」

「あら、知ってるのね? まぁそうよね。うふふ、これ、ここのマスターキーなのよ」



 マスターキーと言う言葉は良くわからないが、「昨日の内に隠しておいたの」と言っているあたり、なかなかの性格をしていることはわかった。

 とは言え重要なことは、ベルの手にある拳大の赤い宝石だった。

 金縁に装飾の施されたブローチに加工されている、ソフィア人の間では装飾品にするのが主流なのかもしれない。



(何か、どこかで見たような造りの気もするけど)



 そんなことを一瞬思ったが、ベルが移動を始めたことに気付いて思考を切った。

 慌てて後を追いかければ、中庭に一つだけある噴水へ向かっているようだった。

 それは中庭の水源で、底が透けて見える程に綺麗な水に目を丸くした。

 島で飲んでいた湧き水と比べても、透明度の上では高いかもしれない。

 旧市街の汚れた水を見慣れていただけに、驚いた。



「よっ……と」

「……!」



 水の中に手を差し入れ、何かを嵌め込むような仕草をするベル。

 すると突然、大量の水が地面へと零れ落ちた。

 原因は噴水が割れたためだ、4つに分かれた噴水がそれぞれの方向に広がり、噴水と言う器を失った水が一時的に溢れたのだ。



「これは……」

「ふふん、何でもご先祖様が作った抜け道なんですって。非常時に使うって話だけど、こういうのって普段から使うべきだって思わない?」

「それはどうかと思うけど」



 流れ出た水が靴を濡らすのも構わず、リデルはそれをじっと見つめていた。

 地面にぽっかりと開いた穴、石造りの壁や床に囲まれた通路を。



「さ、ここを通れば城下に出られるわ」

「城下? いや、それも聞きたいけど。城下ってことは、外?」

「当たり前じゃない! さ、早く行きましょ! フロイラインに見つかっちゃうわ!」



 リデルが呼び止める間も無く、ベルはさっさとその通路へと身を躍らせた。

 先程の言動からすると、ベルは何度か通ったことがあるのかもしれない。

 噴水の下にある通路とは言っても、上手く水源と水路を操作しているのか通路自体は濡れていなかった。



「ねぇ、早くー!」

「え、ちょ……ああん、もう!」



 憤慨しつつも、リデルはベルの後を追って駆け出した。

 ベルが何者でここがどこであれ、外に出られれば何らかの行動は起こせると思ったのだ。

 しかし、この事態。



 軍師を志している者が、周囲に振り回されてばかりとは。

 旧市街でアーサーに近いことをされたことはあったが、ベルのそれは質が違う。

 敵では無いが自分への遠慮や配慮が無い、そうした相手は初めてかもしれない。

 そして。



「やってやるわよ! 見てなさいよ!」



 誰にとも無くそう言うリデル、まさに女は度胸と言う風情だ。

 人はそれを、自暴自棄ヤケクソと言うのかもしれない。

 それもまた、リデルが初めて明確に感じる感情だった。

 そして皮肉なことに、その「とにかく前へ」と言う感情こそが、今の彼女には何よりも必要なのだった。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

1話あたり1万字前後を維持するのは、わかってはいましたが難しいですね。

今回は特に全体の動きがゆっくりだったので、次回へ繋ぐことに手間取った気がします。

さて、次回はよりソフィア人という人種とその世界について、より詳しく描写していきたいと考えています。

それでは、また次回。


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