Epilogue4:「――Different world――」
地下道での「降服」から3日、意外なことにリデルは割と自由の身だった。
とは言え総督公邸の外に出ることは許されず、遠すぎず近すぎない範囲に常に人がいて監視されていたが。
(あ、これ全然自由じゃないわ)
しかし、意外と人道的に振舞われていることは確かだった。
改めて、「ソフィア人である」と言う一点の重要さを知ることが出来る。
綺麗な衣服に温かい食事、清潔なベットに芸術性も備えた調度品の数々。
以前の騒動の跡はすでに無く、何事も無かったかのように整えられている。
「ねぇ、いつまでここにいれば良いのよ」
「…………」
そんな総督公邸の通路を、リデルは歩いていた。
彼女の5歩前にはノエルがいて、翻るローブが視界の端でチラチラと揺れている。
実はこの3日間放置されていた格好なのだが、いきなりやってきた彼女に「ついて来い」と連れ出されたのだ。
てっきり、すぐに大公国本国に連れて行かれるものと思っていた。
何しろ地図で見た限り数百キロ近くの距離があるのだ、ソフィア人の移動手段がいくら発達していたとしても、それなりの時間がかかるはず。
だが実際には、3日間もの空白が開いた。
「と言うか、私っていつ移動とかすれば良いわけ?」
「……今日だ」
「今日? でも、もう夕方じゃない。なのに今から移動するの?」
「お前」
歩く通路を染める色は赤、光をたっぷり取り入れるために多く作られた窓から茜色の光が差し込んでいる。
ノエルはその茜色の光に身を染めながら、歩むのを止めずに後ろを振り向いてくる。
「アナテマ大陸がどれ程の広さだと思っている?」
「どのくらいって、そりゃあ、言葉に出来ないくらい大きいでしょうけど。でも」
「その言葉に出来ない程の広さの領域」
リデルの反論を封じ込めて、淡々と告げてくる。
「それを、我らがどうやって支配できたと思っている?」
「どうやってって……」
覇権国が、どのようにしてその覇権を維持するか?
覇権を維持するために必要なものは何か?
軍事力か? 経済力か? 思想か文化か?
「いつどこにどれだけの兵・金・物を用意するか、それを知ることが最も肝要だ」
「……そうね。でも、それが今の話に何の関係があるのよ」
「すぐにわかるさ」
そうして、ある部屋の前で止まる。
部屋の中は、一言で言えば奇妙だった。
まず薄く赤い光が満ちていて、素人でも魔術に関する空間であることがわかる程だった。
何より、扉から見て最も奥の壁が特徴的だった。
四点から金属製の枠が伸び、枠内に薄く赤い膜のような物が形成されている。
まるでそれは血の鏡のようにも見え、鏡の中に1人の女の姿が映し出されていた。
その女は部屋に入って来たノエルを認めると、ジロリと彼女を睨み。
『同志ノエル、遅かったですね。5分21秒06の遅刻です』
「すまない」
『まぁ、良いでしょう。それでは……』
薄い眼鏡を指で押し上げながら、視線をリデルへと向ける。
その視線の冷たさに、リデルは冷や汗を感じずにはいられなかった。
ノエルとはまた違う冷たさだ、魔女と言う存在は皆がこうなのだろうか?
『……なるほど、この娘が……』
「な、何よ」
『いえ、失敬。初めまして、私の名はイレアナ・ケリドウィン。<魔女>の1人を勤めております』
<魔女>! つまりノエルと同格の存在。
それを聞いた途端に警戒心が頭をもたげてくるが、しかしこの時点で警戒するにはあまりにも遅すぎる相手だった。
再び眼鏡を押し上げるような仕草をして、彼女は言った。
『早速ですが、失礼をさせて頂きます』
「は?」
話を勝手に進められているような気がして、リデルははっきりと不快を感じた。
何より彼女は喋りたい人間で喋られたい人間では無い、自分の意思の外で状況を作られると落ち着かないのだ。
しかし相手は、そんなリデルの心理を斟酌するつもりが無いようだった。
いや、それ以前に。
「あっ?」
その時、リデルの身体に異変が起こった。
足先にむず痒さを感じて見てみれば、そこに足が無かったのだ。
気が付けば周囲の赤い輝きも増し、どこか明滅しているような気さえした。
そしてその赤さは、鏡の向こう側も同様のようだった。
まるで共鳴でもしているかのように、明滅を繰り返している。
「先程の話の続きだが」
自らの足も消えて――まるで光り輝くリボンが解けるかのように、細い模様が上へ上へと吸い込まれていく――いる最中、しかしまるで気にせずにノエルが言う。
一方でリデルはそれ所では無い、身体が消えていくと言う未知の体験に恐慌状態に陥りかけていた。
「え、あ……ああ、ええ!? な、何よこれ、何!?」
「答えはこれだ」
「何、何を言って……アンタ!」
「我々は……」
消失が胸にまで至り、ノエルの言葉も要領を得ない、怖かった。
徐々に顔にまで近付いてくる消失、味方はいない。
3日間の強がりが、徐々に溶けていく。
そんなリデルの様子をどう見ているのか、ノエルの口調は淡々としたものだった。
「我々は、『いついかなる場にも現れることが出来る』」
言葉の意味がわからない。
今、自分の身に何が起こっているのかがわからない。
わからない、わからない、わからない。
わからないことは嫌だった。
それは不快を生み、そして怖れを生む。
不快と恐怖、それは知略にとって最大の毒だ。
そしてその毒に、リデルは飲み込まれようとしていた。
「あ、あ、あ」
痛みが無い、それがかえって恐怖を助長させた。
目尻に涙を浮かべ、助けを求めるように周囲を見渡す、それは無意識の行為だった。
そして無意識に助けを求めるのは、「彼」だった。
「あ、あーさ……っ!」
手を伸ばそうとして、しかしその手もすでに消えていることに気付いて。
唯一残った声も。
最後まで発されることも無く。
「――――ッ!」
無の中に、消えた。
後には薄い赤の輝きに満ちた部屋と、そして。
『……あれが、あの御方の……』
血色の鏡の中、1人の<魔女>が発する言葉だけが残った。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
4本目のエピローグです、次はいよいよ第5章。
実はまだ半分にも届いていないと言う……まぁ、まだ何も明かしていませんしね。
もう少しテンポ良くいきたいですね。
それでは、また次回。




