4-7:「降服」
1週間ぶりの更新です、お待たせ致しました。
では、どうぞ。
――――3日。
ノエル達の侵攻を受けて後、すでにそれだけの時間が経過していた。
静かにやってきた敵は、やってきた時同様に静かに去って行ったのだ。
(旧市街は救われたと、そう考えて良いでしょうね)
胸の内でそう独りごちるのは、アーサーだ。
彼は再び破壊の憂き目を見た桟橋にいる、その目は対岸の新市街を見つめている。
眠っていないのか、目の下にはしっかりと隈が出来ていた。
多少、目も据わっているような気もする。
ふぅ……と吐く息は長く、そして重い。
彼の背中は、後ろの旧市街で再び復興の音が響くのを聞いている。
しかし今、彼はその輪の中に入ろうとは思わない。
風が吹く。
妙に冷たい風に、アーサーは動き少なに身を竦めた。
「我が師にとっては、フィリア人であっても大公国の民だ」
故に、と言葉を続けるのはクロワだ。
彼はアーサーの足元近くに座り、足先にある水面に視線を落としていた。
頭や腕に巻いた小奇麗な包帯は、旧市街の彼を慕う者達が与えてくれたものだ。
そして彼もまた、「置いていかれた」者だった。
師であり弟子であるという関係性すら、あのノエルと言う<魔女>にとっては重要では無いのだろう。
「故に、旧市街の人々それ自体には手を出さなかった」
「そうですね……」
あの時、郊外に逃げたフィリア人を襲った別働隊も、結局は人々を直接襲いはしなかった。
無論犠牲はゼロでは無かったが、それでも無差別に攻撃してきたアレクフィナ達と比べれば雲泥の差だった。
だがいくら犠牲が少なくとも、今のアーサーにとっては大した慰めにはならない。
空はあんなにも高く蒼いと言うのに、心はむしろ冷水を浴びせられている心地だった。
「でも、彼女は連れて行った」
「…………」
「何のためです?」
クロワは答えられなかった。
総督の時とは事情が違うようにも思うが、具体的な理由は考えてもわからない。
わからない。
ぐっ、と堪えるように力を溜めた後、吐き出すように言った。
「あの時……彼女の傍を離れなければ!」
「あまり自分を責めるな」
「しかし!」
「傍を離れなかったとしてもあまり意味は無かっただろう、あの師が相手では」
否定は出来ない事実だった。
あのノエルと対峙して、はたして自分がいかほど彼女を守れたかわからない。
おそらく、何の意味も無かっただろう。
そう考えるからこそ、アーサーには何も出来なかった。
何かしたくとも、動けないのだ。
この状況で旧市街の防備を減らすことも出来ない、まして彼女が新市街にいるのかもわからない。
どこに探しにいけば良いのか、まるでわからないのだ。
この3日、旧市街の地上と言わず地下と言わず、まさに這うようにして探し回ったが、彼女はいない。
今この旧市街に、そしてアーサーの隣に。
「……リデルさん」
島育ちのソフィアの少女、リデルの姿は無かった。
◆ ◆ ◆
ここで少し時間を遡ろう。
具体的には3日前、未だ旧市街の戦闘の匂いが強かったあの時間帯。
リデルがノエルに、降服を宣言した時までだ。
「――――降服?」
瞳に冷たいものを宿したまま、ノエルがその言葉を繰り返した。
「言っている意味がわからないな」
意味。
降服と言う言葉の、意味。
「むしろこの……周囲に漂う可燃物に火をかけ、私を焼き殺そうと言う方が理解できますが」
それは無意味だ。
ノエルは火に包まれたぐらいでは倒れない、その自負がある。
リデルにもそれはわかる、だから彼女は否定した。
「言ってるでしょ、降服だって」
「降服?」
繰り返しの言葉に、僅かに頭を揺らす。
同じ、いや少しだけ深みの異なる菫色の瞳が、互いの姿を映し合っている。
「受け容れろと? 旧市街の降服を」
「違うわ」
「違う?」
「ええ」
自信ありげに頷く顔が、僅かな火種の灯りに照らされて暗闇に浮かぶ。
そうして、彼女は言った。
「降服するのは、私だけよ」
「笑止」
「あら、笑うのね」
「当然でしょう」
嘲弄の気配すら見せて、ノエルは笑った。
冷たい笑みだ。
ノエルが笑みを浮かべると対照的にリデルは笑みを消した、そして彼女は相手の笑みの奥を見定めようとするかのようにじっと見つめた。
「降服」
言葉で舌の上で転がすような声。
「貴女が降服と言うと、何故か別の意味に聞こえてくる」
その声に、リデルは再び笑みを浮かべた。
だが今度はどこかにんまりとした笑顔で、言うなれば「我が意を得たり」と言っているようにも見える。
言葉にはしないが、その表情が全てを物語っている。
ノエルは悟った。
リデルには降服の意思など無い、しかし実際に降服するつもりなのだ。
意思と行動のギャップ、彼女にはそれがある、それがあった上で舌の上で転がしている。
すなわち言葉。
すなわち、これは彼女の策だ。
「貴女1人の降服をもってこの征伐を終えろと?」
「アンタに本当に旧市街を征伐する意思があるのなら、そうすれば良いわ」
ゆらり、と火種を振りながらの言葉に、ノエルは眉を動かした。
「これは異なことを言う」
「そうかしら? アンタがその気になれば、こんな街くらいすぐに壊せるんでしょう?」
リデルは今日の戦いで、魔術師の力の深遠さを知った。
たった1人で戦局を決定付けてしまえる程の力、個の武というにはあまりにもあまりな力だ。
広場の大地を一撃で砕いてしまえるその脚力は、それ自体がすでに一個の兵器のようなものなのだろう。
しかも、古の戦史の中で例に見ない戦略兵器だ。
あの光景を思い浮かべれば、ノエルの力が旧市街の規模よりも大きいことは推量できる。
推量ができてしまえば、あとは逆算だ。
この<魔女>は何故に、勢いに任せて旧市街を殲滅しないのか?
それはこの<魔女>の目的が旧市街の殲滅には無く、何か他の物にあることがわかる。
「……アンタは私を追って来たわ、アーサーには見向きもせずに」
すなわち、ノエルの目的とは。
「アンタの目的は、私――――そうなんでしょう?」
リデルの言葉に、ノエルは笑みを見せた。
はっ、と言う吐息の音と共に発せられたその笑みは、どこか彼女の感情の揺れを表しているかのようだった。
◆ ◆ ◆
「自惚れるな」
笑みのままそう告げるノエル、薄暗い空間に赤の輝きが緩やかに満ちていく。
彼女の足を覆うブーツはそれ自体が<アリウスの石>だ、しかも純度は極めて高く、良く見ればブーツの中の足の形を見ることが出来る。
彼女が一歩を踏み出すだけで、この場所が崩落してしまうだろうその足を前にして。
「自惚れてなんかいないわ。きっと、アンタは本当は私のことなんかどうでも良いんでしょ」
でも、と、リデルは手を前に出した。
掌の中から滑り落ち、ゆらゆらと揺れるのは赤い宝石。
それを目にした時、ノエルは笑みを消した。
じっとりとしたその視線を前に、思う。
彼女は工場群の戦いで、勝利を前にしながら一度は退いた。
何故か?
考えた結果、リデルは一つの結論に至った。
「アンタ……パパのことを知ってるのね?」
リデルの父親、すなわち<東の軍師>のことだ。
ノエルの表情は変わらないが、その代わりブーツから放たれる薄い赤の輝きに揺れが生じた。
ほんの一瞬の揺れだったが、しかしそれはノエルの内心を表しているように思えた。
これを見てリデルは確信する、ノエルの本当の狙いがどこにあるのか。
彼女がこの旧市街に、いや旧フィリアリーンの地にやってきた理由。
当然、旧市街の自立宣言や総督の不明への対処もあろう。
しかし、個人的な理由はまさにそれなのだ。
「だからアンタは私に会いに来たんでしょ、この旧市街に」
最初は、この赤い宝石を目にする前は一揉みに押し潰してしまうつもりだったのだろう。
だが今再びリデルの前に現れた理由は、まさにこれだ。
形見だと言った、その言葉のために。
正直、この<魔女>が父とどんな関係があるのかはわからない。
しかし確信がある、勘に近い何かがあるのだ。
この<魔女>、ノエルは、父を知っている。
「パパのことを聞きに来たのね、アンタは」
ノエルは答えない。
その代わりに一度目を閉じ、数秒何事かを考えたようだった。
そして数秒の後に、笑みと共に告げた。
「良いだろう、お前の降服を容れよう」
形ばかりの丁寧な言葉遣いが崩れた先にあるのは、意外な程温かな声音だった。
そして「降服を容れる」と言う言葉に、リデルは内心でほっと息を吐いた。
第一段階は、これでクリアだ。
「そしてその上で我らの中に身を置き、この場の最高責任者たる私に献策してみるが良い」
しかし、問題はここからだ。
いやむしろここからが難しい、何しろこの後、きっとこの<魔女>はリデルに問うてくるだろう。
「我らがこのままクルジュを、そしてあの亡国の王子を討たずに去るべしと言うその策を。だが」
腕を持ち上げ、親指を立てて。
「その策が我と我が大公国に理も利も齎さぬ愚策であったならば」
己の首をかき切るような仕草を、ノエルはして見せた。
「この場で首を刎ねることにする!」
それにリデルは頷きを返す、冷や汗を背中に感じ喉を唾の塊が落ちていくのを感じながらも。
同時に、ゾクリとした快感をも思えるのだ。
己の策に己を懸ける、これこそまさに軍師の真髄では無いかと。
「良いわ、ならたんと聞きなさいよ」
さぁ、口を開け。
言葉を発せよ、思うがままに。
この小さき赤い舌こそは、己の命の包み所だ。
そして、聞け。
「策を、作るわ」
起死回生の、その策を。
◆ ◆ ◆
「まずは、アンタ達が旧市街を征伐しなければならない理由を挙げて行くわよ」
ノエル、すなわち大公国と言う勢力がアーサー達を討たねばならない理由。
リデルが立てて見せた指は3本、つまり3つの理由でノエル達はここに攻めて来た。
先を促すノエル、言葉を紡ぎ続けるリデル。
「第一に、アーサー達が大公国に叛乱を起こしたと考えたから。
第二に、アーサー達が大公国の威信に傷をつけかねないと考えたから。
第三に、アーサー達が大公国の法律を破ったと考えたから。
他にもまぁいろいろあるでしょうけれど、大きくはこの3つよね」
ノエルは否定しない、沈黙は肯定と受け取るべし。
そもそも否定されていれば、今頃攻撃されているだろう。
さてと、と、リデルは深く息を吸った。
「反論するわよ。
第一に、アーサー達は大公国に叛乱を起こしていない。
第二に、アーサー達は大公国の威信を傷つけていない。
第三に、アーサー達は大公国の法律を破っていない。
3つの理由全てを否定できるから、アンタ達が旧市街を攻める理は無いわ」
「ほう、画期的な見解だな」
「待ちなさい、まだ足を上げるには早いわよ」
ノエルの動きを手で制しつつ、リデルは話を続けた。
しかしこのままではただの妄言であることは確か、故に言葉を畳み掛ける。
「まず第一の条件。アーサー達が大公国から独立しようとしていたなんて証拠がどこにあるの?」
「大公国からの自立を宣言したそうだな」
「まずそこが間違い。アーサー達は大公国の植民地であるフィリアリーンから自立したの、大公国に対して独立宣言なんて突きつけた覚えは無いわ」
「詭弁だな」
「でも弁よ。そして独立と自立はまったく別の物よ。アンタも言ったように、アーサー達は今でも「大公国の民」よ。そうでしょう?」
独立とは、従属していた地域が宗主国の支配から脱することを言う。
一方で自立とは、宗主国の支配の中で影響から脱することを言うのだ。
似ていて、しかし非なるものだ。
「続けるわよ、第二の条件。アーサー達は確かに自立を宣言したけれど、でもそれを拡散させようとはしていないわ。大公国の支配を批判もしていなければ、他の町や村に連絡を取ってもいない。なのにそれを口実に攻撃するのは言いがかりよ、むしろその方が大公国の威信を傷つけると思わない?」
「思わない、と答えたならば?」
「それはそれで構わないわよ、ただ……」
「ただ?」
「ただ、大公国がそれだけの国だった。そう思われるだけよね、国内の本当の叛乱分子に」
リデルには、世界情勢と言うものはわからない。
今のアナテマ大陸にはきっと、リデルの知らない国や勢力が存在しているのだろう。
そして今回の大公国からの反動、これこそが「外の目」を気にするが故の国家的行動だったとするならば、ノエル達はおそらくその他の国や勢力を気にしているのだ。
まぁ、最も。
今回の戦いを凌いだ後には他の町や村に手紙を出そうと提案していたのだがら、ノエルの言うとおり、これはなかなかの詭弁だった。
しかし、詭弁も弁。
ノエルはおそらく利よりも理で動くタイプ、ひたすらに言葉を畳み掛けるべし。
「そして三番目!」
勢いを声に乗せて、続ける。
「先の2点を思えば、アーサー達は大公国が旧フィリアリーンで敷いた法に違反していないことは明らかよ! よってアンタ達の行為には正当性が無いわ、もちろん道理も無い。故に、現時点でアンタ達がアーサー達を攻撃する理由は無いはずよ」
「総督殺害未遂」
ノエルの声に、目を細める。
総督殺害未遂、それは新市街からリデルとクロワが逃げ出す際に犯した罪状だ。
元々、アレクフィナ達の報復はこのために行われたものだ。
「旧市街に進駐した我が国とフィリアリーンの兵への反抗、そして先の工場での略奪。これについてはどう説明する?」
そう、そこが一番のネックだった。
正当防衛と言おうが何だろうが、旧市街が相手側に被害を与えたのは紛れも無い事実。
相手側がそれを理由に攻撃を仕掛けてきたとしても、反論から力を奪う要因にはなる。
ここで判断を誤ると、ノエルは躊躇無くリデルを攻撃するだろう。
それでなくともすでに足は上げられているのだ、その足先を向けてくるのに躊躇いなどあろうはずも無い。
仮に宝石の力で身を守れても、生き埋めにされればひとたまりも無い。
「さぁ、どう説明する?」
場の空気を緊張が支配する。
「さぁ!」
舌の転がしようを間違えれば、そこには死線が待っている。
どうする。
どう答える。
どう応じれば、この状況を切り抜けられるのか。
(……策を)
その答えを。
(策を、作るわ――――アーサー)
その答えを、リデルはすでに持っている。
「……どうして?」
「何?」
ノエルは訝しんだ、どうしてここで自分が問われるのかわからなかったからだ。
さらに怪訝に思うのは、リデルの表情だ。
あと一言間違えれば死が待っていると言うのに、この少女は。
「ねぇ、どうして?」
笑っていた。
笑っていたのだ、まるで相手が己の策に嵌まったことを確信したかのように。
「どうしてアンタは」
否、まさにこの少女は確信したのだ。
「どうしてアンタは、フィリア人を人間扱いしているの?」
今、己の策が成ったのだと。
他でも無い、ソフィア人側の理屈によって。
それは、余りにも皮肉だった。
◆ ◆ ◆
「<魔女>ノエル、アンタは良い人ね」
「何?」
いきなりと言えばいきなりの言葉に、ノエルは疑問符を浮かべた。
笑みのままに、リデルは言う。
だが、本当にそう思うのだ。
心から、ノエルが「良い人」なのだと理解できる。
だって彼女は、フィリア人を人間として扱ってくれているのだから。
ソフィアの、大公国の法が適用される人間だと、自然にそう思っているから。
それはリデルにとって、ソフィア人側の人間が始めて見せる姿だった。
混血だから?
そうかもしれない、しかしだからこそ。
「ソフィアの所有物に過ぎないフィリア人には、ソフィアの法に対する義務は発生しない!」
かつて、アレクフィナは言った。
モノであるフィリア人をどう扱おうと、それは所有するソフィア人の勝手なのだと。
それはきっとソフィア人の共通認識なのだ、ならばそれで良い。
その認識が今、フィリア人を救うのだ。
「だがお前は、こうも言ったな」
「何かしら?」
「ここはお前達の土地であり、私達は必要ないと。それはお前の言っていることと矛盾するのではないか?」
「しないわ、何故なら」
「何故なら?」
何故ならば、その言葉を吐いたのはリデル1人であるからだ。
「…………なるほど」
数秒の後、ノエルはリデルの言わんとしていることを理解した。
理解し、飲み込み、そして言った。
「お前はソフィア人、そう言うことか」
「そうよ」
「だからお前1人だけが降服する、そう言うことか」
その意味で他のフィリア人と異なる。
フィリア人はソフィアの法の対象では無い、だがリデルは違う。
ソフィア人であるリデルだけが、ソフィアの法に適用される。
それの意味するところは、つまり。
(それほどまでに、大切なのか)
守りたいと、そう思っているのか。
あのフィリア人達を。
あの旧市街に生きる人々を。
自分とは違う人種の人間を、ただ1人降服と言う恥辱に塗れても救おうと言うのか。
(そんな小さな身体で)
一蹴りで消し飛ぶだろうその身で、<魔女>を押し留めようと。
小さな口と舌で紡ぐ、言葉だけで。
「あの覇気の無い亡国の王子」
アーサーを初めて見た時、ノエルは彼を見抜いていた。
あの王子には、叛気が無い。
大公国やソフィアに対して反抗の気概が見えなかった、反ソフィアの場所にいながらだ。
気を感じない。
(己の意で戦えぬ小粒に興味は無い、しかし)
だから追わなかった、捨て置いたのだ。
今は大公国の脅威にはならないと、そう判断した。
それよりも今は、あの宝石を持つリデルの方こそ優先すべきだと。
……だが、案外、その判断は間違っていたのかもしれない。
「良い臣下を持ったものだな」
「違うわ」
きょとんとした心地を見せれば、視界には自信に満ちた笑顔。
彼女は言った。
「軍師よ」
「――――お見事!」
はっと笑い、足を上げ、地面を踏む。
大地は、しかし砕かれなかった。
◆ ◆ ◆
今は勝てない。
悔しいが、これが今回の戦いにおけるリデルの判断だった。
力の差があり過ぎる、しかしだからと諦める程にリデルは世を知っていない。
そう、リデルは知らないのだ。
ソフィア人はいかなる存在なのか。
大公国とはいかなる国家なのか。
魔術師とはいかなる者なのか。
それを知るために、リデルはあえて敵の中に身を置くのだ。
(あは、手が震えてる……怖いんだわ、私)
ああ、指先が震える。
震える指先を握り、拳として衣服の端を掴む。
恐れ、恐怖感か。
当たり前と言えば当たり前の感情だが、後悔は今の所無い。
旧市街をノエル達から守り、アーサー達のために時間を稼ぐには、他に方策が無かった。
(軍師失格ね)
二の策、三の策を用意できない時点で、己の不明とすべし。
だが、それ程までにこの<魔女>は強大だった。
こうした者を従える大公国とは、どれだけ巨大な国なのか。
歴史の本の中からは、そうした実情は掴めない。
何故、強いのか?
何故、豊かなのか?
フィリア人と比して、何が違うのか?
(世界って、島で想像していたよりもずっと大きいんだわ)
恐れはある。
しかしそれ以上にリデルを突き動かすのは、2つの欲求だった。
1つはもちろん、アーサー達を守りたいと言う、いわば庇護欲だ。
そしてもう1つは、未知を知りたいと言う知識欲。
リデルは、知りたいのだ。
(島にいたんじゃ、そして旧市街にいたんでも無理)
虎穴にいらずんば、虎児を得ず。
ノエルが自分に何を求めているのかは未だわからない、だが、それでもあえて懐に飛び込んで見せる。
敵の全てを知り、次は勝利するために。
狭い場所を、飛び出して。
(アーサーを、勝たせるために)
あのはっきりしない王子様を、王様にするために。
「昔、ある人間にこう言われたことがある」
「何よ」
笑みとも無表情とも取れる不思議な表情で、ノエルは言った。
それはどこか、遠い記憶の中の誰かの口調を真似るような声音だったが。
『――――キミは、あらゆる物を砕ける足を持っているけれど』
何となく、懐かしさを刺激される声音のような気がした。
『はたして世界は、キミの足よりも小さいのかな?』
何だそれは、と思った。
煙に巻くような言葉だ、これを言った人間は相当な捻くれ者に違いない。
だが嫌いでは無い、それはそんな言葉遣いだった。
「さて、お前の頭脳は――――この世界よりも大きいのかな?」
「……さぁ、どうかしらね」
この<魔女>はリデルの狙いに気付いているのだろう。
気付いた上で、抱え込もうと言うのか。
――――上等である。
「さぁ!」
その場に勢い良く座り込むリデル、その顔は不敵な笑顔だ。
お尻の部分に石油の泥が付着し、ヌルリとした感触を感じながらも、それは表情を出さず。
声を震わせながら、ただ彼女は要求した。
「さぁ、世話して貰おうじゃないの!」
そうして彼女は1人、ソフィアへと降った。
これが3日前、旧市街で起きた降服劇の全容である。
◆ ◆ ◆
そして3日後、取り残された者達は何が起こったのかわからず、闇の中にいた。
ノエル達がなぜ退いたのか?
リデルはどこへ連れて行かれたのか?
これから、ソフィア人側はどう出てくるのか?
(……思った以上ですね)
アーサーは思う。
ここ数ヶ月、アーサーの方がリデルの問いかけに一方的に答えていたと思っていた。
しかしどうやら、実際はいつの間にかアーサーがリデルに頼っていたらしい。
いなくなって初めて才の大きさがわかると言うのは、皮肉だった。
組織全体の方針を決めると言う意味で、リデルの存在はそれほど大きかったのだ。
「……アーサー殿」
傍にいるクロワは、アーサーとはまた違う意味でリデルの不在を感じていただろう。
そして同時に考えていることは、師との関係だ。
師の道を塞ぐという不義を行った直後だけに、考えることは多いだろう。
義を守るために他の義を切る、剣先を鈍らせるには十分な理由ではある。
しかし、それとリデルを守りきれなかったことは無関係だ。
彼にとってリデルは新市街の牢を出るきっかけであり、フィリア人を虐げぬソフィア人であり、とどのつまりは義を結んだ相手だった。
師への義を、リデルへの義を果たさないで良い理由には出来なかった。
この迷いは、いずれ断ち切る必要があった。
「何だ、まだこんな所にいたのか」
その時、桟橋に立ち尽くす2人に声をかけてくる存在がいた。
振り向けば、そこに長身の女がいた。
マリアだ、彼女は痣の残った額を撫でながらアーサー達を見ていた。
さらにその傍らに、旧市街の地下道を掘り続けた男、ウィリアムがいた。
「2人とも、今すぐあの子を助けに行け」
「……はい?」
そしていきなりの言葉に、アーサーは間の抜けた声を発してしまった。
クロワもまた、目を丸くした。
「えーと……いや、でもマリアさん。リデルさんの居場所については全く」
「良いから行けぇ!」
「えええええええええぇぇぇぇ」
まさかの断言である、もはやアーサーには意味がわからなかった。
そこでふと、マリアは表情を崩した。
「……ディスなら、きっとそう言っただろう?」
「それは……まぁ、そうでしょうね」
あの直情型の幼馴染なら、そうした行動に出ただろう。
ソフィア人の娘相手でも、協力して戦うことが出来た彼ならば。
「クロワ……だったよね。アーサーのことを助けてやってほしい、コイツは1人だと何も出来ない奴だから」
「……承知した」
「何だか酷いことを言われた気がしますが……」
しかし、である。
アーサーもクロワもいない状況で、旧市街を保てるのだろうか。
一抹の不安を禁じ得ないが、しかしそれについては。
「この旧市街は」
どん、胸を叩き、マリアの隣に立つウィリアムが宣言した。
「この旧市街は、残る者が心を一つに守り抜きましょう」
彼女らの後ろで同じように胸を叩くのは、レジスタンスのメンバー達。
ウィリアムがそのまま手を別の方向へ向けると、そこにはリデルがアーサー達と共にここ数ヶ月で集めた人間達がいた。
ラウドやシャノワらであって、それも10人や20人ではなかった。
「1人2人では無理でも、200人ならば結果も違ってきましょう」
「……!」
当初、アーサーには不安があった。
ソフィア人の少女が、はたして旧市街の人々に受け入れられるかどうか。
だがこれを見る限りにおいて、それは杞憂ではだったのではないかと思える。
先の戦いでソフィアへの恐怖を思い出した人々は、しかし一方で少女への恩義を忘れてはいなかったのだ。
それは、アーサーの背中を押すには十分なことのように思えた。
アーサーは胸の前で手を交差させた、多くの者も同じようにする。
彼はかつてその言葉と行為に皮肉さえ寄せていたのだが、今は何故かそうしたいと思えた。
「皆に、『聖女フィリアの加護がありますように』」
「「『聖女フィリアの加護がありますように』」」
そうして、彼は再び振り向き、対岸へと視線を向けた。
クロワもその場に立ち上がり、同じように対岸を見据えた。
対岸、すなわちソフィア人の世界を。
(リデルさん)
その時、空からアーサーの頭の上に飛来するものがあった。
鳥だった。
そして桟橋の下から出て、足を昇り肩まで上がってきたものがあった。
リスだ。
少し薄汚れた2匹を感じながら、それでもアーサーは対岸を見ていた。
まるでその先に、彼の探し物があるかのように。
アーサーと、そして彼の仲間達。
彼らはいつまでも、そうしていたのだった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回はがっつり交渉回でしたが、いかがでしたでしょうか。
こういうのは本当に難しいですが、やってみると楽しかったりしますよね。
軍師ものなので、今後もこういう機会は多くなってくると思いますが、回を重ねるごとに成長していけたらなと、そう思っています。
それでは、また次回。