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4-6:「勝ち得ぬ者のための策」

本編に入る前に、お知らせです。

先々週に続いて申し訳ありませんが、来週も投稿をお休みさせて頂きます。

またぞろ1週間、音信不通となるためです。

読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、次回の投稿は再来週となります。

それでは、本編どうぞ。


 公女と言う称号は、通常、公の息女と言う意味を持っている。

 そしてこのアナテマにおいて、その称号を名乗れる家の娘はほとんどいない。

 まして魔術師であるノエルがそう呼ぶ相手は、1つしか存在しない。



「軍師気取りはここまでですよ、公女殿下」



 その一つしかないはずの称号を、今、リデルを見下ろす女は口にした。

 受ける少女はリデル、孤島育ちのソフィア人。

 告げた女はノエル、ソフィアの誇る混血の<魔女>。

 対極にいるような2人はしかし、見下ろし、見下ろされる関係だった。



 しかし、公女。

 正直な所、意味がわからない。

 世間知らずな――自分で認めるのも業腹ではあるが――所のあるリデルには、それが持つ意味が言葉以上にはわからない。



(でも)



 ノエル、この女。

 目の前の<魔女>の一撃の衝撃は、時間と共に和らいできていた。

 脅威感は消えないが、それでも思考の速度は戻ってきていた。



(全っ然、公女だって(そう)思ってないって声じゃないのよ)



 ノエルの声に温もりは無く、その笑顔はどこまでも機械的だ。

 声は無表情の頃のまま冷え切っていて、聞いているだけで背筋に冷たい物を感じる。

 自分が言っている言葉を欠片も信じていない、いや、拒絶しているようですらある声音。

 むしろリデルが否定してくれるのを待っているのではないか、そうとすら思えた。



「……公女?」

「はい」



 こんな感情の篭っていない笑顔を、始めて見た。

 見つつ、地面に肘と掌をつけ、ゆっくりと身を起こす。

 その際、リデルの金糸の髪の中から赤い宝石が零れ出てきた。

 肩口に当たって垂れてくるそれを見た瞬間、ノエルの作り笑いが消えた。



「……っ」



 空気が重くなったような気さえして、起こしかけていた身体の動きを止めてしまった。



(何なのよコイツ、この石に何かあるの!?)



 前回、工場群での戦いの時もそうだった。

 父の形見の首飾りを見た瞬間、彼女の様子が変わった。

 何かあるのか、何があるのか、現段階では何もわからない。

 わからないが、利用しない手は無い。



「こいつが気になるの? だったら……ほら!」

「……!」



 宝石を掴み、投げた。

 ノエルが驚いたように目を見開き、その視線が宙を舞う宝石を追った。

 場違いな表現かもしれないが、それはどこか、懐かしい何かを追いかける子供のような目だった。



 ヒュイィ――――ッ!



 空気を裂くような音と共に、リデルの鳥が飛来する。

 鳥はその足で宝石を掴むと、伸ばしかけたノエルの手を擦り抜けるように空へと上がった。

 その瞬間、リデルは声を上げた。



「今よ!」



 驚きに目を見張るノエルの背後、その左右に、2つの人影が現れた。



「アーサー! クロワ!」



 旧市街の魔術師2人、彼らは同じように緊張した面持ちで、それぞれの獲物を手にしていた。

 視界に広がる、<アリウスの石>の赤い輝き。

 それらが今、リデルの目前で交錯した。



  ◆  ◆  ◆



 クロワがノエルに師事していたのは、まだ彼が少年と呼ばれていた頃だ。

 成長期のほとんどをノエルとの修行に費やしていた、そしてその頃すでに、師は7人の<魔女>の1人だった。

 1度だって、勝てた試しは無い。



『正義は、揺らいではならない』



 そして師であるノエルが何度も言っていた言葉が、クロワの行動指針になっている。

 義。

 何においても優先すべき価値観であり、それ故にクロワは新市街に囚われもした。

 己の正義に殉じる覚悟があって初めて、魔術と言う強大な力を行使する資格を得ることができる。



 大陸を放浪していただけの子供を拾い、魔術の技を伝える。

 師がどんなつもりで自分を広い、技を教えたのかはわからない。

 口数が多い方では無いから、意図は背中を追いかける中で気付くしかない。

 今回も、そうだ。



(この人の意図は、どこにある?)



 水晶の大剣を振り下ろす、大地を割る一撃はしかし、ノエルには当たらない。



「ぺっ、ぺっ……!」



 舞い上がった土埃に咳き込む少女が1人いたが――もちろん、リデルのことだ――クロワの意識は、ヒラリと宙に舞い上がったノエルの方に行っていた。

 クロワの一撃をあっさりとかわしたノエルは、元の鉄面皮に戻っていた。

 背面跳びのような体勢でクロワの上を通り、着地した。



「む……」



 そしてその着地の勢いのまま、滑るように後退した。

 まるで摩擦が無くなったかのように滑る足場、戸惑いもあろう、そこを逃すまいと反対側に剣を振るった。

 地面の欠片を振り撒きながら落ちるそれに、スイ、と静かな視線が向く。



 ブーツが輝き、摩擦係数を失った地面を砕く。

 摩擦係数を失ったのは地面の表面のみ、そこを狙った攻略法だ。

 剣、ブーツ、そしてグローブの石が赤く輝く中、クレーターの中心でさらに地面を抉って行く。

 そんな中にあって、アーサーは驚きを禁じ得なかった。



(ああ言う破り方は、初めて見ましたね)



 アーサーの魔術は、それほど強い物では無い。

 王子時代に嗜みとして学んだ程度の物で、本格的な物では無かった。

 自分の中に僅かに流れる、ソフィアの血脈の欠片による力だ。

 しかしそれでも、フィリアの地を巡る上では無敵に近い力だった。



 あのアレクフィナでさえも、破ろうとはしなかった。

 こうまで正面から破られると、脅威を覚えると同時に清々しささえ感じる。

 もちろん脅威の度合いが減るわけでもなく、かえって増しているのだが。



(さて、こうなってくると、僕の位置の取り方を少し……)



 考えなくては、と、アーサーは思ったその時だ。

 それまで完璧にクロワとアーサーの攻撃を回避し続けていたノエルが、不意に動きを止めたのだ。

 クロワが横薙ぎに振るった大剣を跳躍してかわし、ヒラリと舞い降りるように着地した。



「お前達は」



 そして、流れるような視線をアーサーとクロワ、さらにリデルへと向ける。



「何を思って、あの娘と共にいる?」



  ◆  ◆  ◆



「お前達は、何のために戦っている?」



 思えば、奇妙な問いかけではある。

 属国で民衆が叛乱を起こす理由など、極論すれば「宗主国の支配に不満があるから」の一言で片付く。

 事にソフィア人のフィリア人に対する差別は筆舌に尽くし難く、理由を尋ねる方が愚かしいとすら言える。

 だから必然的に、ノエルの問いの意味はそれとは別にあった。



(コイツは、興味も無いことを聞くような無駄なことをする奴じゃない)



 むしろ逆だ、リデルにはわかる。

 彼女が率いて生きた50人の部下は、ノエルの攻撃の余波の外周を回り込むようにして、背後と両側面を塞ぎつつあった。

 その動きには無駄が無く、アレクフィナ達が率いていたフィリア兵などとは比べるようも無い。

 何よりも驚異的なのは、ノエルに彼らの指揮を執る素振りが見えないことだ。



 そのことから判断できることは3つだ。

 第1に、敵がこちらを侮っていないこと。

 第2に、敵は少数精鋭であること。

 第3に、ノエルが軍略を知っていること。



「『兵はますます多きをたっとぶに非ず』ってわけね」



 兵は多ければ良いわけでは無い。

 敵をアレクフィナ達と同程度に見積り、初めての多勢の立場に気を大きくしたのが敗因だ。

 逆にノエルは、きっと、あの少数の部下達だけで数々の修羅場を潜り抜けてきたのだろう。

 歴戦に支えられた自負と自信、そして力、ノエルにはそれがある。



「クロワ! 我が不肖の弟子。お前の理由はわかる。お前の義は、一度手を貸した者達を見捨てられないだろう。相変わらず狭隘きょうあいな視野だが、それ事態を否定はしない」



 だが、と、ノエルの視線は己の弟子からアーサーへと向いた。

 アーサーはその視線に静かに身構える、どうやらこの敵はすでにアーサーの出自を知っているらしい。



「亡国の王子、お前は何を望んで戦っている?」



 お前からは。



「お前からは、私を打倒しようと言う気概が感じられない」

「…………」



 ――――その言葉は、的確と言う他無い。

 後にも先にも、アーサーは自分の意思を集団の行動で表現したことが無い。

 己の魔術の力の活用も、そしてリデルの勧誘ですらも、個の範囲を出ない。

 亡国の王子と言う肩書きの割に、積極性が見えないのだ。

 己の持っている「武器」を活用しきれていない。



「僕は――――……」



 アーサーは、何のために戦うのか。

 何のためにレジスタンスに身を潜め、リデルと言う<東の軍師>の娘を引き入れたか。

 亡国の王子、そして軍略。

 扱いきれぬそれらを両手に持ちながら、何もしない彼。

 その理由は。



「僕にはフィリア人のために、戦う義務があるのですから」



 もし人間が生きていく上で義務を負わなければならないのなら、自分にとってはこれがそれだ。

 それだけは、アーサーは心から信じることが出来た。

 アーサーの戦いに意味があるとすれば、まさにそれで……。



 その時、アーサーは違和感を覚えた。

 自分に視線を向けていたノエルだけでなく、クロワまでもが目を丸くしていたからだ。

 何かあるのかと首を傾げた、まさにその時だ。



「~~~~せいっ!」



 綺麗にジャンプしたリデルが、アーサーの後頭部をはたいたのだ。

 綺麗な音がして、しかも痛かった。



  ◆  ◆  ◆



 苛々した。

 そしてこの苛立ちは今に始まったものでは無く、旧市街に落ち着いてからずっと感じていたことだ。

 孤島に父を呼びに来るほどアグレッシブな癖に、旧市街での彼は一向に自己を表現しない。

 謙虚と言えば聞こえは良いのかもしれないが、リデルにしてみれば。



「もっとはっきり言ってやれば良いじゃない!」



 彼が何を考えているかなどわからない、が、何かに思い悩んでいることぐらいはわかるつもりだ。

 それでも、どうしようも無く苛立つのだ。

 苛立ちは怒りへと変化し、最後には激情へと変わる。

 アーサーがはっきりと自分の考えを言わないことが、リデルには苛立たしくて仕方が無かった。



(だって、悔しいじゃない)



 そう思う。

 アーサーは1人であんなにも頑張っていたのに、それなのに何も言わないのだ。

 だったら、自分が代わりに言ってやらねばならないでは無いか。



「ソフィア人はフィリア人を差別する! だから従わない! それだけのことよ!」



 ふんっ、と鼻息荒く告げる言葉は、正論だ。

 正論は反論の余地が無いが、しかしだからこそ危ういものだ。

 その危うさの名を、正義と言う。



(リデルさんらしいですね)



 そんな彼女の姿に、アーサーは苦笑した。

 いっそ気持ち良いくらいに、小気味良く自分の

 思えばリデルに苦笑を向けるのは久しぶりな気がした。

 しかし一方で、こうも思うわけだ。



(あの少女は、己の中に正義を持ち始めたばかりだ)



 思う者はウィリアム、彼もまたノエルの一撃の範囲にいた。

 崩れた建物と広場の間の位置にいた彼は、リデルほど地面の陥没に巻き込まれず、建物や路地に展開していたフィリア人達ほどに建物の崩落に巻き込まれることも無かった。

 しかし、それはあくまで比較の話だ。



「う、うぅ……」

「い、いてぇ……いてぇよぉ」



 広い範囲の地面が陥没すると言う事態に、彼に従っていたフィリア人達はすっかり戦意を喪失していた。

 割れた地面に足を挟まれた者、崩れた路地の間で助けを求める者、血を流し伏したまま動かない者、様々だ。

 先の勝利と多勢によって生まれた余裕は、脆くも崩れ去った。



 そんな彼の足元で、べちゃり、と粘度の高い何かを踏む音がした。

 石油だ。

 溝や壁、地面に仕込んだ石油はノエルの一撃でほとんどが吹き飛ばされたが、火が消えただけで消滅したわけでは無い。

 燃えた表面の下に残っていた石油は、未だに地面の上に大量に残っている。

 最も、今火をかければウィリアム達ごと焼くだろうが。



(正義を持ち始めた者は思考が頑なになる)



 ウィリアムが危ういと感じるのは、そこだった。

 リデルが自分を勧誘に来た時に話していた言葉の端々から、その兆候はあった。

 ソフィアはフィリアを差別する、フィリアが相喰らい合う状況を作り出している。

 それは正しく、正論であり正義だ、しかし。

 しかし、世界がそれだけでは無いことをウィリアムは知っていた。



「――――何がおかしいのよ」



 アーサーに向けた苛立ちとは別の感情を込めた、そんなリデルの声が聞こえた。

 見れば、くっくっと言う喉奥で響く笑い声が聞こえてきた。

 言うまでもなく、ノエルの笑い声だ。



「我が不肖の弟子よりもなお狭隘な視野の公女殿下、貴女は何もお知りでは無い」

「私が何を知らないって言うのよ」

「何もかも」



 己の胸に両掌を押し当てるような姿勢で、ノエルは笑う。

 見る者の背筋をザワつかせる笑みで、彼女は言う。



「私と言う<魔女>の存在そのものが、貴女の言を否定しているとも気付かずに」



 ノエルは混血。

 そして<魔女>は大公国に7人しかいない魔術師の最高峰。

 彼女と言う存在は確かに、「ソフィアがフィリアを差別する」だけの社会では在り得ないものだ。



「貴女は本当に――――滑稽こっけいですね」

「なっ……!」

「あの御方の娘とは思えない……」



 後半については、声が小さく聞こえなかったろう。

 しかし隣にいたアーサーは、何かが切れるような音を聞いたような気がした。

 彼女の顔が火のようにかっと紅潮するのを見て、次の瞬間の爆発を予感できた。

 しかしその爆発は、寸での所で止められることになった。



「た、大変だぁ――――ッ!」



 郊外に逃がした数千のフィリア人達を、敵の別働隊が襲撃したと言う報せによって。



  ◆  ◆  ◆



 郊外へ逃げたフィリア人達は、大混乱に陥っていた。

 彼らの規模は数千人に及ぶが、そのほとんどが戦えない弱い者達ばかりだ。

 前回の戦いで巻き込まれなかったと言う安心感がそうさせたのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。



 郊外を進んでいた彼らの前に、突如、十数人の兵が姿を見せたのだ。

 ローブと軍服の混合服を着た彼らは皆、<アリウスの石>縁の武装を赤く輝かせていた。

 茶髪紫瞳、混血の魔術師の集団であることは明白だった。

 しかし彼らは無闇に攻撃してくることは無かった、フィリア人の群れの動きに合わせて一定の距離を保ち続けてきた。



「落ち着いて! バラバラに逃げちゃダメだ!」



 そしてそれがかえって、フィリア人達の恐怖心を煽った。

 付かず離れずの距離を保つ敵の姿に怯え、次第に群れが寸断され、分裂し、弾け飛んだ。

 先頭の者が悲鳴を上げると、後続の者達が無秩序に逃げ始めた。

 ありもしない逃げ道を求めて他者を殴りつけ、倒れた同胞すら踏み越えて。 



「皆、待っ――――ぐっ!」



 混沌とする状況の中、逃げ惑う同胞によって押しのけられたマリアが尻餅をついてしまった。

 殴られたのか、頬が僅かに赤く腫れている。



「ま、マリア! 大丈夫か!?」

「……大丈夫だよ、これくらい何とも無い」

「ど、どうする?」



 ぐいっと頬を拭いながら、フィリア人の群れを束ねていたマリアは周囲を見渡す。

 すでにフィリア人の群れは崩壊しつつある、皆が散り散りになり、もはや修正のしようが無いだろう。

 どうすることもできまい、しかし不安げなレジスタンスの仲間達の前にあって、彼女の瞳の光は衰えることは無かった。



「諦めないよ。そうだろ、ディス……!」



 脳裏に棲まう少年の姿が見える限り、諦めない。

 マリアは仲間達を鼓舞すると、混沌の最中にあるフィリア人達の中に身を投じていった。



(何とかしてくれるんだろうな、ソフィア人の軍師様)



 彼女達の命運を握るだろう、1人の少女へ意思を飛ばしながら。



  ◆  ◆  ◆



(何とかしなくちゃ、何か策を)



 考えなければ。

 そう思うリデルの周囲は、悲鳴が満ちていた。



「そ、ソフィアの光……や、やっぱりアイツらにゃ勝てねぇんだ!」

「あっ、に、逃げ、いや! 俺も逃げるぞぉ!」

「ひいいいいいぃっ!?」

「に、逃げろぉ――――――――ッ!」



 ソフィアへの恐怖――ノエル達は混血だが――を思い出した彼らは、他の事をさておきとにかく逃げ出し始めた。

 ノエルの一撃は街を破壊しつつも、フィリア人側には最小限のダメージしか与えていない。

 心理的な一撃!

 しかもこれ以上無い程に効果的な!



(進退がここで極まったって感じね)



 リデルがこの1ヶ月で整備した体制と戦力が寸刻みに崩壊していく中、彼女は自分が整備したものがハリボテ以外の何者でも無かったことを知った。

 フィリア人の中にある恐怖心は、一朝一夕で消せるものでは無かったのだ。

 一度や二度の勝利では消えない、心の奥底にこびり付いた恐怖心。



 それをリデル1人の努力でどうにかは出来ない。

 この段階に至って初めて、リデルはそれを理解したのかもしれない。

 そして恐怖心の発露は、逃走以外の形でもあり得る。



「お……おのれぃ!」



 例えば、己の中の恐怖心を別の感情へシフト出来るような人間だ。

 ノエルの一撃で脚を潰された馬の下から這い出たラウドが、憤怒の叫びを上げた。

 馬血に塗れた彼は金属鎧の留め具を擦り合わせながら槍を構えると、そのまま己の足でノエル目掛けて突撃を敢行した。

 他にも数人が彼に続く気概を見せた、もしかしたら味方を鼓舞する狙いもあるのかもしれない。



「10年前に続き、我らの意思を挫きよるか! この鬼畜めがぁっ!」



 しかしそれは恐怖心の裏返しである以上、自暴自棄ヤケ以外の何者でも無い。

 危険だ。

 事実、ラウドへと視線を向けたノエルの雰囲気がまた変わった。

 あの冷たく、見る者の心を踏み潰そうとするかのような視線。



 見ているだけで、まるで地面が揺れているかのような錯覚を覚える。

 理屈はわからない、しかし、あの雰囲気の中のノエルを視界に納めるだけで身体が重くなる。

 赤く輝く両足から、目を離せない。



(止めなくちゃ)



 しかし、声が出ない。

 ラウド達の動きを目は追うが、しかし喉がつかえて声が出ない。

 アーサーもクロワも同じだ、動けずにいる。

 止めろ。

 そして策を。



(策を)



 何か、この状況を打破できる策を。

 時間は無い、数秒以内に考えろ。

 早く。

 何か。

 ――――何かを!



「リデル殿!」



 声に視線が動き、視線の軌跡が光の線を描きそうな程に素早く。

 そしてその先にはウィリアムの姿が見えた、彼は地面を踏みつけた。

 はっとして足元を見れば、燃え残りの液体が靴裏にこびりついていた。

 黒くドロリとしたそれは。



(石油! そして土――――地面! そうか!)



 ひらめきが脳髄を駆けたその瞬間、リデルは叫んだ。



「やめなさいッッ!!」



 その怒声は場の時間を止めた、彼女の声にラウド達が足を止める。

 ノエルを含めた周囲の視線が集まる中、彼女は腕を振るった。

 頭上から足元へ。



「クロワ! 砕いて!」

「……意図はわからないが――」



 しかし、クロワは求めに応じた。

 硬直から脱した彼はリデルの示した場所、つまりノエルの上へと飛び、大剣を振り下ろした。

 ノエルは後ろに下がるだけでそれを回避するが、別にノエルを狙ったものでは無いので構わない。

 重要なのは、地面を砕くと言うことだ。

 ただでさえ陥没している地面が、ズズ、とさらに下がったような気がした。



「アーサー!」



 顔の前に手を置き、飛び散ってくる破片から目を守りながら叫ぶ。

 隣で同じようにしていたアーサーは、突然の呼びかけに少し驚いたようだった。



「剣に魔法を!」

「わかりました!」



 考えが読めないのはクロワと同じだが、彼もまた従った。



「お前達、いったい何を……」



 ノエルの声を無視し、アーサーが地面に突き刺さった剣に両手で触れる。



「そのまま、抉って!」

「む」



 水晶は魔術の優れた媒体だ、リデルがそれを知っていたかは怪しいものだが。

 剣の表面の摩擦係数は今、ゼロになっている。

 剣が触れている場所は強固に貼り付いているのであり、それを抉るように持ち上げるのは極めて難しいだろう。



「むぅ……」



 ぐ、と剣の柄を両手で持ち、力を込める。

 地面に刺さった大剣が震えるが、大きくは動かない。

 しかし動かして貰わなければならない、リデルの胸の内で応援した。

 動け、と。



「むううううぅ」



 大剣そのものが赤く輝く、同時に地面の罅割れが大きくなっていく。



(アーサーの魔術は、表面だけに作用するもの。なら、剣そのものにかければ良い!)



 赤の輝きが種類が2つあるように見えるのは、アーサーの魔術も混ざっているからだろう。

 剣が輝きを増す度に、少しずつ剣が――地面が動く。

 ノエル程の衝撃はいらない、何故なら。



「……頑張って、クロワ!」

「はあああああああああああぁっ!」



 何故ならすでに、ノエルの力によって岩盤が砕かれているのだから。

 旧市街の下に張り巡らされた、地下道網の天井。

 すなわち――――今、立っている場所だ。



  ◆  ◆  ◆



 最後の岩盤を貫いた大剣は、摩擦の影響で地面を引き摺るようにして、抉り取った。

 ノエルの一撃で数メートル下がっていた地面は、大剣の一撃でトドメを刺される形になった。

 しかし、範囲はノエルのそれに及びようも無い。



 だが、それで良かった。

 必要なのは小規模な破壊で良く、地下道にさえ落ちることが出来れば良かった。

 そうして地下へとリデルが姿を消せば、相手は当然。



「――――追いかけてくるわよね」

「それを冷静に言うリデルさんも凄いと思いますけどね」



 戦いの音が聞こえる、上でまだクロワが戦っているのだろう。

 瓦礫の上で頭を振り、崩れた天井を見上げる。

 手の中に握っていた首飾りのおかげで無傷だが、気持ちとしてダメージは抜けない。

 鳥とリスは他に逃がし、蛇は相変わらず肌の上を這っている。



「時間が無いから先に言うわね、あのノエルって奴が来たら反対に逃げるわよ」

「え」

「何よその反応、私だっていつまでも地下で迷ったりしないわよ」



 若干苛立った顔で睨めば、アーサーは固い笑顔で視線を逸らした。

 その時、一際大きな音が響いた。

 上の戦闘が決着したのだろうか、掴んでいた衣服の裾を離した。



「ほら、行くのよ! 後でアジトのあたりで落ち合いましょう。あのノエルって奴、アンタのこと完全に元王子だって気付いてるんだから!」

「わ、わかりました。でも、リデルさんも無理は」

「するわけないでしょ、私を何だと思ってるのよ!」

「元気な人だとは思ってますよ」

「そう言うことじゃないわよ……」



 苦笑を浮かべる、思えばこれは初めてのような気もした。

 パラパラと土が落ちてきた、振り仰げば天井の穴の向こうにノエルがいた。

 こちらを見下ろしている、リデルはアーサーの胸を押した。



「行って!」

「……っ」

「早く! 一緒にいたら私の方が危ないでしょ!?」



 逡巡していたアーサーも、最後の言葉には苦笑したらしい。

 逆方向に駆けて行く彼の姿を見てから、リデルもまた駆け出した。

 向かう先は地下道の奥のある場所だ、だがそちらへ向かう前に後ろを見た。



 すると、ノエルが降りて来た所だった。

 彼女は特に悩む素振りも見せずに、追う方を決めた様子だった。

 当然のように。



(私の方に来るわよね、アーサーじゃなく!)



 わかっていたことだ、自分とアーサーなら自分の方を追ってくるだろうと。

 自分を追いかけてくる金属質な足音を耳にしながら、リデルはある場所へと逃げ込む。



「……ばいばいかもね、アーサー」



 その呟きは、アーサーに届くことは無かった。



  ◆  ◆  ◆



 ――――地下道を進めば、作りの粗い通路に出た。

 途中で掘削が放棄されたのだろうか、床の傾きからして下がっているように感じる。

 そして、鼻を突く粘着質な異臭。

 しかしノエルはそんな酷い臭いの中でも、特に表情を動かすことが無かった。



「うぷっ……正直、ここの臭いは勘弁してほしいわね」



 そんな声と共に、明かりが灯った。

 それは硝子の中に収められた火種のようで、光源としては強くない。

 しかし、持っている少女の顔を映すには十分だった。

 ノエルは、また冷たく笑んだ。



「鬼ごっこはおしまいですか、公女殿下」

「気に入らないわねアンタ、まるで最初からお遊びみたいな感じで」

「本物の戦場に比べれば、このくらいは」



 リデルはむっとした顔を浮かべたが、すぐにそれを消した。

 どうやら周りの臭いが相当に強いのだろう、顔を顰めている。

 ノエルは周りを見渡しながら、言った。

 天井から滴る水も黒く、床が黒ずんだ泥のような物でベタベタとする空間の中で。



「それで? こんな所に誘いこんで、どう言うおつもりで?」

「決まっているじゃない」



 ふふん。

 リデルは笑っていた。

 それは自信に満ち溢れた顔で、自分の策が破れるとはこれっぽっちも思っていない。

 そんな顔だった。



 ノエルはそれに怪訝そうな心地を覚えたが、さりとて脅威には映らなかった。

 僅かな困惑を感じ取ったのか、リデルがさらに笑みを深くする。

 そしてその笑みのまま、言った。



「――――降服こうふくするためよ」



 謹んで受け入れなさいよね。

 ソフィア人の少女の言葉に、混血の<魔女>は目を細めた。

 二対の菫の瞳が、ただ互いを映していた――――。


最後までお読み頂きありがとうございます。

4章もそろそろエンディングの気配。

さて、次はどのような展開にしましょうか。

それでは、また次回。

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