4-2:「地下の住人」
クルジュ旧市街の自立宣言から、すでに1ヶ月が経った。
新市街のソフィア人にとっては屈辱の時間であったわけだが、さりとて大勢には影響が無かった。
奴隷の供給は何もクルジュに依存していたわけでは無いし、そもそも労働力以外で新市街が旧市街に望んでいたことは総督の趣味を満足させることくらいだったのだ。
だが、心理的にはその限りでは無い。
劣等民族であるフィリア人への敗北、その事実は新市街を混乱の坩堝へと叩き落された。
野蛮なフィリア人が川を越えて攻めて来るのではないか?
他の地域でも反乱が起きて、新市街――クルジュが本国から孤立するのではないか?
恐慌に陥りかねないその混乱を、新市街の行政サイドは必死に抑えていた。
(東の方じゃ、そのせいで紛争になりそうってんんだからな)
その抑制役の1人、魔術師であるアレクフィナは深く息を吐いた。
彼女は新市街の最高責任者と言うわけでは無いが、魔術師と言うだけで上位の発言権を持っている。
まぁそのせいで相応の義務と言うものが発生するわけで、この1ヶ月は余計なことを考える暇も無かった。
中でも大変だったのが、新市街のソフィア人市民を安心させることだった。
敬語や丁寧な対応は得意では無いし、責任と期待が大きい分、魔術師への要求は高い。
事態の説明はもちろん、明日にも解決しろと矢のような催促を受けるのはストレスが溜まる。
だがその騒動も、フィリア人の逃亡兵を広場で処刑した後は落ち着いたが……。
(そして、この報せだ)
アレクフィナは今、外にいた。
空は透き通るような快晴、空気は乾いていて、もうすぐ夏が来ることを予感させた。
そんな時期に、新市街――ソフィア人市民も含めて――に入った報せによって、新市街は完全に静けさを取り戻していた。
それほどの報せだったのだ、それは。
それだけの報せだったのだ、それは。
そしてその報せ、「ある人物を派遣した」と言う報せによって、アレクフィナ達は受け入れの準備に追われていたのだ。
「アレクフィナの姐御! 歓迎式典の準備ができやしたぜ! フィリア人もばっちりだぜ!」
「ふひひ、ば、晩餐会の段取りも、大丈夫だぞ~」
「そうかい。じゃあ、まぁ、後は待つだけかねぇ」
歓迎式典、晩餐会、物々しい雰囲気だ。
そして彼女達の周囲でも、総督公邸の職員達が慌しく準備を進めている。
川の反対側、新市街にとって奴隷の搬出などを行う陸路側の大通りは、普段とは様相を異にしていた。
今は箱や物資などが至る所に積まれていて、むしろ散らかっている印象しか無いが。
「……同情するぜ」
少し前は憤怒の対象でしか無かった旧市街に、アレクフィナは今、確かな同情を覚えていた。
これから来る人物は、間違いなく今回の事態を収束させるだろう。
そしてそのやり方に、もたらせる結果に、アレクフィナは同情したのだ。
あの王子様と、ソフィア人の裏切り者の少女に。
◆ ◆ ◆
「はたしてキミは、彼女にとっての何なのかな」
「……え?」
不意に声をかけられて、アーサーはらしくも無く間の抜けた返事を返した。
ここ数週間雨も少なく、水の心配をし始めた頃のことだ。
フィリア人達が訓練をしている広場を通りがかった時、クロワが言った言葉だった。
「この幾週」
広場の石段の一つに座し、クロワは前を通りがかったアーサーを見ている。
旧フィリアリーンの元王子であり、魔術の石を持ち、レジスタンスの中に在りながら独りで行動する男。
「キミと彼女を見ていたが、そのあたりのことが私には良くわからなくてね」
「はぁ……」
「ふむ、私もまだまだ修行が足りないな」
アーサーにとって、クロワと言う男は距離感の難しい男だった。
先の戦いの勝因は間違いなくこの男にあって、新市街からリデルを連れ出したのもこの男だ。
聞けば混血だと言う、なるほど確かに瞳は菫色だ。
傍らの水晶の大剣は彼の武そのものであり、一度振るえば敵が吹き飛ぶだろう。
そしてその武に憧憬と崇敬を覚えたフィリア人が、今の幾百余のフィリア人だ。
1週間前に比べると、体操と言うよりはまさに「訓練」と言う風に見える。
さりとてこの男自身は旧市街に馴染むわけでもなく、それどころか己の纏う空気を聊かも変えていない。
つまり一言で言えば、彼は変人だった。
「逆に、キミにとっての彼女とは何なのかな」
これもまた、嫌に直截的な問い方だ。
アーサーがリデルにとっての何かであるように、リデルもまたアーサーにとっての何かであろう。
「キミは絶海の孤島から彼女を外へ連れ出したと聞く」
「ええ、まぁ」
「ならばキミは、彼女に何かを求めたはずだが……私には今一つ、それが何なのかがわからない」
あまりにも不思議そうに聞いてくるものだから、アーサーは少し笑んだ。
その微笑もまた、アーサーを形成する何かであったろう。
まぁ、クロワはクロワで変人なので、会話を噛み合せるのが大変ではあるのだが。
いや、今はそれより問いへの答えが先だろうか。
アーサーがいったい、何を思ってリデルを激動の大陸の真ん中へ連れ出したのか。
それは2人を知れば一番最初に出てくる疑問で、それを問われることは何の不思議も無い。
しかし。
「リデルさんにとっての僕、と言うのは、僕にもわかりませんが……」
それを問われたのは、本人達を除けば初めてでは無いだろうか?
「でも彼女にとっては、僕が初めての外の人間です。好奇心の強い人ですから、まぁ、「なんとなく」でついてきてくれたのかもしれませんね」
<東の軍師>の娘、彼の軍略を頭に収めた唯一の存在。
だから連れて来たと言うのが、一番しっくり来るのだろう。
「そう言う意味では、僕にとっては……雛のような人、でしょうか」
それは、そう、小鳥が親鳥に従うようなもの。
わからないことをすぐにアーサーに尋ねるのも、そう言う心理の表れと取れなくも。
「……!」
「もし、それがキミの本心なら」」
無いはず、なのだが。
「私はキミを斬らねばならないが、よろしいか」
ぞわりとした何かが背中を這い、アーサーはその場から一歩を引いた。
首の下に流れる汗は冷たく、それでいて胸の奥にこみ上げてくるような何かがある。
彼の菫の瞳から目を離すことが出来ない。
これは何だ、そう。
恐――――……。
「……いや!」
その時、別の声がその場に響いた。
どうやら今の一瞬、アーサーの意識から周囲の音が消えていたらしい。
しかしその良く通る野太い声が彼を引き戻し、かつクロワとの間に生じかけていた深刻な何かの気配を吹き散らした。
「いや、いや、いや、いや」
訓練をしていたフィリア人達がざわついている、アーサーはクロワから視線を外してそちらを見た。
そして、はたと目を見開いた。
そんな彼の前にぬっと顔を出したのは、茶色の毛に覆われた細長い顔だった。
ぶるひひっ、と鼻を鳴らすそれは、人の倍程の体躯を持つ動物だ。
「う、馬?」
馬である。
短足胴長で幅広の身体は農耕馬のそれだが、着けている馬具は古いが立派な造りをしていた。
旧市街ではほとんど見ない動物のため、周りのフィリア人が珍しそうに騒いでいるのだろう。
そしてその馬からずしゃっと音を立てて着地したのは、1人の老人だった。
背には旅装と円錐形の突撃槍、いずれもボロボロで一目で古いものだとわかる。
「いやいやいやいや! そこな若人よ、少し教えて貰えんだろうか」
「あ、貴方は?」
短い茶髪は半分以上が白髪だ、髭も白いが短く切り揃えられている。
老うた身を薄い金属製の鎧で覆い、大きな口を開けて彼は言った。
拳を胸の前で打ち重ね、豪快にだ。
「我が名はラウド。かつてフィリアリーン王国軍にて五百騎を率いておった。故国中興の時を知り、馳せ参じた次第でござる!」
「…………は、はぁ」
その豪快さに、アーサーは間の抜けた返事しか返せなかった。
しかし、それも仕方ない。
アーサーは今、この10年来で初めて旧王国の関係者の訪問を受けたのだから。
これもまた、リデルを連れ出した結果なのだろうか。
◆ ◆ ◆
リデルはここ数日、ウィリアムの所に通い詰めていた。
考えに詰まったりした時などは、ふらりと足を向けしまう。
軍略以外の本はほとんど読んだことが無いから、その「詰まり」は頻繁に訪れる。
さらに相手が何日経とうがほぼ動かないとあれば、会いに行くのは至極簡単だった。
「スンシ曰く、『軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則ち亡ぶ』」
ウィリアムが掘る地下の横穴の中、壁に寄りかかりながらリデルは呟いていた。
言葉の意としては、要するに「腹が減っては戦が出来ぬ』と言うことだ。
とどのつまりは旧市街の物資不足を何とかしようと言うことなのだが、これといった妙案が無いのが実情だった。
「とりあえず人手だけはあるから、路地で座り込んでる人達に農業をさせてみようと思ったのよ。幸い郊外に土地は余ってるし。でも耕したことも無い種も無いじゃ、収穫ができるようになるまで何年かかるかわからないんだって」
島での自給自足しか知らない頭では、劇的に農産品を生産する方法などわからない。
さりとて外から調達しようとしても、そもそもフィリア人の生活圏で他人を助けられるような余裕はほとんど無い。
田舎の農村や漁村なら少しくらい余剰があるかもしれないが、ルイナの村を襲ったような飢民の賊はフィリアリーン中にいる。
結局、旧市街のような都市部に入ってくるのは周辺に自生している山菜・穀物くらい。
川魚も少しは獲れるが川が汚れているせいで量は少なく、対岸のこともあって漁自体が自粛モードだ。
5万の胃袋を満足させられるだけの量は、とてもとても。
レジスタンスにしろ住民にしろ、皆、僅かの食糧を分け合って空きっ腹を抱えて生きているのだ。
リデルとて、もはや例外では無い。
「ねぇ、どうすれば良いと思う?」
「…………」
そっと聞いてみるが、返ってくるのはノミで岩を砕く音ばかり。
決まりきったかのような、無視。
もちろん最初は随分と腹を立てたものだし、再訪も意地のような心地で行っていたのだが。
今日で六度目、ここまで無視を決め込まれればいっそ清々しいくらいだ。
そう、未だこの男は一言も発さない。
旧市街の窮状を伝えてみても。
フィリア人の拠るべき未来を説いてみても。
一切の気を漏らさず、ただただ岩を砕き地下道を拡げるばかりだ。
(外に興味が無いのかしら?)
いや、それは無いとリデルは踏んでいる。
あの逞しい背中が作り上げた地下道は、言葉より雄弁に物語っているでは無いか。
島において、リデルが抱えていたあの本達のように。
(地図を見れば見る程、この地下道は良く出来てる)
旧市街の外に幾本も伸びる逃げ道はもちろん、数十数百の人間が一度に通れる通路、街の至る所に出られる抜け道。
旧市街のことを知り抜いていなければ出来ない設計だ、結果だけを見ているからこそリデルにはわかる。
先の戦いでの勝因、それを作ったこの男。
(アンタは何者? アンタは誰? 何を考えて地下道を掘っているの? たった1人きりで?)
気になる。
気になって仕方が無い、結局はそう言うことなのかもしれない。
リデルは、ただ知りたいのだった。
「……ん?」
その時、光源が揺らぐのが見えた。
ウィリアムの横に置かれたガラスの光源――ランプ、と言うらしい――の火が一瞬、小さくなったのだ。
「んん?」
思えば、それの視線を集中させたのは六度の訪問の中で最初かもしれない。
眉を顰めてそれを見れば、台座の部分に何か文字が刻まれているのが見えた。
古いものなのだろう、掠れていて良く読めないが。
「……ふぉ……ふぉ、る、かーく? フォルカーク?」
ノミの音が止まったことに、リデルは気付いただろうか。
しかし「フォルカーク」、この単語にはどこかで聞き覚えが。
「あ」
思い出した。
『だからその少ない人材が保たせてくれていたんですよ。バルカ、クレルォ、フォルカーク、フォーサイス……その4つくらいですか、僕が覚えている家は』
脳裏に甦ったその言葉に、リデルは再び男の背中へと視線を向けた。
聊か短絡的な思考を承知の上で、彼女は言った。
「アンタ、もしかして貴ぞ」
「帰ってくれ」
「く……」
言葉は、尻すぼみに消えていった。
男の背から熱が立ち上る錯覚を覚えつつも、リデルはごくりと唾を飲み込んだ。
いや、リデルが言葉を失ったのはその熱のためでは無い。
「……帰ってくれ……」
逆に、冷。
リデルの唇から言葉を奪ったのは、熱の中に漂う冷たさに他ならなかった。
◆ ◆ ◆
珍しくスプーンを使わずに皿から直接スープを飲み込んだリデルを見て、アーサーはリデルの不機嫌を悟った。
これは明らかに機嫌が悪い、今夜の食事は胃を痛めないように注意が必要だ。
まぁ、それはそれとして。
「それにしても、ウィリアム・フォルカーク――ですか」
そう、夕食の話題はそれだったのだ。
より厳密に言うのなら、話題を振ってきたのはリデルの方だ。
自分から話題を振っておいて不機嫌になると言うのはなかなかアレだが、しかし話を聞けばそれも仕方が無いと思える。
ウィリアム・フォルカーク……そう、「フォルカーク」だ。
旧フィリアリーン王国の伯爵と同じ名である、そして「ウィリアム」はフィリアリーンでは良くある名だが、フォルカークと言う家名はほとんど無い。
この10年ほど、ずっと旧市街を拠点に行動していたのだが。
「……知りませんでした」
「地下道を作った人なんでしょ、何で知らないのよ」
「いえ、地下道の製作者ウィリアムのことは知っていましたよ。でもこの街にウィリアムって名前は割と多いですし、まさかフォルカーク家縁の者だとは」
まぁ、と呟いて、スープを飲みつつ彼は言った。
「貴族と言っても、数年程の話なんですがね」
「数年?」
「ええ」
不思議そうに首を傾げるリデルに、アーサーは「ああ」と思った。
そういえば、フィリアリーンと言う国のことをきちんと教えたことは無かった。
リデルの知識は12年前までの物が大半で、その中にフィリアリーンと言う国名は無いだろう。
フィリアリーンと言う国名が登場し、そして退場したのがちょうどその頃だ。
<東の軍師>の東部叛乱以後の10年間は、半独立・独立状態の国が浮かんでは消えていた時代だ。
フィリアリーンも、そうした泡沫のような国々の一つだった。
東部叛乱以後に割拠した国家群――実力を伴い人造国家と言う意味で――は、当時存在していたフィリア人の富裕層が建国に多大な影響を与えていたが、彼らは国家の支柱にはなり得なかった。
そこで登場したのが、歴史の遺物である。
「建国から王制崩壊までの数年間、僕は「王子」と呼ばれていました」
歴史の遺物、要するに「大昔に存在した王様の末裔」をどこからか引っ張ってきたのだ。
もちろんフィリアの歴史は長いから、そうした血筋があることは確かだ。
実際アーサーは魔術を使えるが、それも「王の末裔」と言う論に多少の説得力を与えていた。
そうして王と王妃に選ばれた両親を、アーサーは見て育ったのだ。
両親。
「アーサー?」
「あ……ああ、はい。ええと、ウィリアム・フォルカークのことでしたよね」
「それ以前に、まず確認しておきたいのだが」
不意に声をかけてきたのはクロワだ、彼は澄まし顔で美味くもないスープを飲み終えた所だった。
「キミが元王子だと知っている人間は、実の所どれだけいる?」
「まず、レジスタンスと連絡会の人達は知っています」
とは言え新市街とソフィア人のこともあるので、口に出して広めるようなことはしていない。
そのため旧市街の隅々まで知られているかと言えばそうでは無く、クルジュの外に至ってはほとんど知られていないはずだ。
「あのラウドと言う男も、キミが王子だとは知らなかったようだしな」
「ラウド? 誰それ」
「昼間に僕らの所に来た人ですよ。まぁ、それは良いでしょう」
「ふぅん、まぁ良いけど。じゃあ、あのフォルカークって人はアンタのこと知ってるの?」
「どうでしょうねぇ」
フォルカークの家は王国を建国した富豪の一つで、一際能力のある人材を輩出していた。
王制時代に権力の中枢にいた以上、幼少時のアーサー、つまりは王子を知り得るだろう。
とはいえ王制崩壊後の混乱の中、ほとんどは死ぬかソフィア人に恭順するかしているはずだ。
降伏しても、財産を奪われた上で奴隷に落とされている。
「少なくとも、この10年で僕の下を訪ねてきた人はいませんし」
子供の頃の自分しか見ていない以上、今の自分を見てピンと来る人間がどれくらいいるか。
それこそ、成長を見守ってきたマリア達くらいだろう。
しかし、10年地下道にいたウィリアム・フォルカーク。
彼は、自分のことを知っているのだろうか?
◆ ◆ ◆
街は崩れ、川は汚れても、夜空だけは変わらない。
再建半ばの桟橋に立ち――すぐ側に、新市街から強奪した小型船が乗り付けられている――アーサーは1人、夜空を見上げていた。
無数の星々が見えるその空は、幼い頃と何一つ変わっていない。
「変わらないね」
ふと声をかける者がいて、アーサーは半身を傾けた。
そこにいたのはマリアだ、現場労働者のような格好をした彼女は隣まで歩いて来た。
そして、同じように夜空を見上げる。
「お前は昔から、何かあるとここに来てた」
「子供の頃の話じゃないですか」
「今も、大して変わってないさ」
「そうですかねぇ」
「そうさ。昔はディスをボコボコにした後……」
そこで、マリアは少しだけ遠くを見るような目をした。
何かを思い出すような表情を見て、アーサーも瞑目する。
子供の頃、何でも出来ると駆け回ったあの日の記憶を共有する。
それが出来るのは、もはやお互い以外にいなくなってしまった。
「それで、どうかしたの?」
「いえまぁ、何と言いますか。少し昔を思い出す機会がありまして」
「……ああ」
得心がいったという表情で、マリアは頷いた。
「お前、あの国嫌いだったもんね」
たった数年の王制時代は、フィリアリーンと言う国が地図上にあった唯一の時間だ。
それはフィリアリーンに住むフィリア人にとっては、かけがえの無い時間だったのかもしれない。
しかしアーサーには、そうは思えなかった。
それが彼がフィリア人の先頭に立たない理由であり、立てない理由でもあった。
亡国の復活を望むなら、ラウドやフォルカークのような者達を積極的に糾合すべきなのだ。
でも彼はそれをしない。
しないことを、マリアは知っている。
何故なら彼は、アーサーは亡国の復活など望んでいないからだ。
「面倒な性格してるね、お前も」
「それを知ってなお傍にいてくれる、貴女も随分と変わった人ですよ」
「腐れ縁だ、それに……ディスの願い、だしね」
「……ええ」
アーサーはふと、自分の指先が何かに触れていることに気付いた。
それは胸元に伸びており、普段は衣服の下に揺らしている木製のネックレスに触れていた。
自分の名前が彫られたそれを、何となく見つめる。
指は、すぐに離れた。
旧臣を集めず、亡国の復活を望まない。
<東の軍師>――リデルを連れて、旧市街の自立に協力する。
彼の行動は矛盾しているように見えて、しかし一貫している。
そこに、アーサーと言う人間の真実が見え隠れているような気がした。
「ああ、それでアーサー」
「はい」
「……旧市街の、食糧のことなんだけど」
旧市街の食糧事情、マリアが知らないわけは無い。
「一つだけ、解決……は言い過ぎでも、息をつく方法があるかもしれない」
「それは?」
「それは……」
次に彼女の口から飛び出した言葉に、アーサーは目を丸くした。
何故ならそれは、今までの彼女からは考えられない積極的なものだったからだ。
そんな彼女の姿に、アーサーの脳裏にまたある少年の姿が思い浮かんだ。
彼が彼女を変えたと、そう思ったからだ。
◆ ◆ ◆
翌日、リデルは再びウィリアムの下を訪れていた。
目的は一つ、彼に聞きたいことがあったからだ。
「ねぇ、アンタ。アーサーのことを知っているの?」
「…………」
あえて王子と言わず、単に「アーサー」とだけ聞いた。
意外なことに昨日と同じ場所にいたウィリアムは、変わらずノミを振るっている。
地下道は、一晩でまた少し伸びていた。
「……ちょっと、貸しなさいよ」
そしてリデルは、これまでのように離れた場所から声をかけるだけでは終わらなかった。
彼女はウィリアムの近くまで寄ると、抵抗する彼からノミと鎚を借りた。
とは言っても、持つだけでフラフラして危なっかしいことこの上なかったが。
だからだろう、ウィリアムも力ずくで止めようとはしなかった。
「ん、んー……っしょお!」
プルプル震えながら鎚を振り上げ、ノミに向かって振り下ろす。
でも、上手く出来なかった。
鎚はノミの角に当たり、斜めに押し出されたノミの先端が岩盤の上を滑った。
ぐき、嫌な音が手首から響いた。
「~~~~ッッ!?」
「だ、大丈夫か……?」
「~~ッ。な、何よ、ちゃんと会話できるんじゃない」
「む……」
憮然とした表情を浮かべるウィリアム。
リデルは取り落とした鎚とノミへと視線を落とすと、改めて地下道を1人で掘ったと言うこの男の忍耐力と体力に感心した。
良く見れば腕は丸太のように太く、固い筋肉に覆われている。
あの腕一本で、旧市街の地下に張り巡らされた地下道を作ったのだ。
並大抵のことでは無いし、並大抵の精神では出来まい。
覚悟、リデルはそれを目にした気がした。
「明後日、川上の工場に行くわ」
未だに痛む手を軽く振りながら、言った。
旧市街と新市街を挟む川、その上流には新市街に物資を供給する加工工場がある。
そこから出る排水が川の水の汚染の原因なのだが、それはまた別の話だ。
「……それを何故、ワシに教える?」
「理由を言わないとダメなの?」
返されて、しかしウィリアムは二言目を発さなかった。
しかし、リデルは違う。
「連絡会の人に聞いたわよ、アンタ、一番最後まで残って戦ってたらしいじゃない」
リデルは軍師を目指す者だ、だから言葉を止めることは無い。
まぁ、元よりそう言う性格なのだろう。
そしてこのウィリアム、今の姿からは想像も出来ないが、王制崩壊の前後には最も強硬な主張を行っていたと言う。
それがいつの間にか地下に篭り、地下道を掘っていたと言うのだ。
「……虚しい記憶だ」
「戦っても国を守れなかったことが? それとも皆がアンタについて来てくれなかったことが?」
「…………」
フィリア人達の諦観に触れれば、やる気がある人間であればあるほどに虚しくなってくる。
リデルはそれを少しは知っていたし、だからこそフィリア人の10年は悲惨なものだった。
「アンタの時にはどうだったかはわからない。でも今、あの人達は今――今、頑張ろうとしてるのよ」
それを今、見ない振りをする。
そちらの方が何倍も。
「……虚しいじゃない」
鎚をその場に置いて、背を向けて歩き出す。
「どんな戦にも、時と言うものはあるわ。前のアンタは時が無かっただけ」
「…………」
「それでも虚しいって言うなら、もう私は来ないわ。今日が最後よ、でも」
一度打っただけで痛めてしまった己の手、それを何年も打ち続けた男の手。
「アンタがノミにぶつける、その気持ち」
気持ちがなければ、続けられない。
「今、貸してほしいのよ」
今、出来ること。
今、すべきこと。
今、求められていること。
すなわち、天命とも運命とも言われるものだ。
未熟にもそれを説いた少女は、そのまま歩き去っていく。
おそらく言葉の通りに、今日を最後に姿を見せないのだろう。
ウィリアムは、その背に一瞥さえしなかった。
◆ ◆ ◆
リデルが去った後、ウィリアムは1人、自問するように動きを止めていた。
「……時」
己の出来ることは何か。
己がすべきことは何か。
己に求められることは何か。
天命とは? 運命とは?
「……民」
それらが重なることは滅多に無く、さらに己の意思が乗ることは皆無に近い。
彼は、そのことを良く知っていた。
――――だが。
世に必ず報われる努力など無く、世に必ず成される正義など無い。
この世がいかに虚しいものか、彼は良く知っていた。
――――だが。
かつて権力の中枢近くにいた彼は、誰よりもそれを知っていた。
だからこそ彼は、虚しさの中に沈んだのではなかったか。
――――だが。
「……国」
だが、ならば、これは。
この震えは、何であろう。
この身体の奥の熱は、何であろう。
熱、冷たい地下道の中にあって、遥かに熱い。
『虚しいじゃない』
怒りか。
一回り以上年の離れた娘の、その言葉によってか。
いや、違う。
その否定もまた、身体の奥底から来るものだ。
では、何だ。
『アンタがノミにぶつける、その気持ち』
これか。
『今、貸してほしいのよ』
――――これか!
暗い暗い地下道の奥で、1人の男の咆哮が響き渡った。
◆ ◆ ◆
当然のことだが、クルジュ新市街には陸路による出入り口がある。
整備された都市区画と外部街道が分かれているその場所には、今、一般人は立ち入りが出来ない。
ましてフィリア兵などいない、そこにいるのはソフィア人のみと言う徹底ぶりだ。
そして皆、一様に緊張した表情を浮かべている。
アレクフィナも例外では無く、らしくも無く列の中で直立不動の体勢を取っている。
着用している衣装もいつもの物より黒が深く、良い仕立ての物のようだった。
肩章や胸元に金細工の装飾品があり、どうやら正装らしい。
(そういやぁ、生で見るのは初めてだったか)
格付けによって列の並びが決まる中、魔術師であるアレクフィナは最前列に近い位置にいる。
そして太陽が沈み空が赤らむ頃、それはやってきた。
漆黒の鉄馬車。
黒以外の板も飾りも無い、馬を必要としない馬車。
唯一、御者席にある赤い石の輝きだけが鮮烈だった。
「き、来た……!」
「しっ、静かにしろ! 厳格な方だと聞いているぞ……」
囁きの先、数台の鉄馬車が門を潜り新市街に入る。
魔術師十数名を先頭に、役人やソフィア人職員の責任者、住民代表らがズラリと居並ぶその前に。
彼女は、姿を現した。
風が、正面から吹いてきた。
だがそれは、深窓の姫を迎える時のようなたおやかなものでは無い。
緊張を孕んだ戦場の風が、そのまま静かな街にやってきたかのようだった。
清潔な都市に吹くには、聊か不似合いな風だった。
その、風は。
5台の鉄馬車の内、まず前後の4台の扉が開き、中にいた十数人の人間が真ん中の馬車の出口の前で整列する。
一糸乱れぬその動きは訓練の賜物であろうことは想像に難くなく、そしてその誰もが屈強な男達であり、かつ顔や身体の何処かに生々しい傷痕が見える。
まるで、常に戦場にいる軍兵のようだった。
(あれが、<魔女>か……!)
アレクフィナが、一目見た瞬間に息を呑む。
そして彼らの間に作られた道を、馬車から降りた女が歩む。
赤い石のブーツは、彼女が魔術師であることを教えてくれる。
だが、ただの魔術師では無い。
あろうはずが無い。
魔術師と呼ばれる人間は数いれど、「そう」呼ばれる人間はほとんどいない。
戦場の風を友として進む、彼女こそが――――。
……―――-<魔女>、そう呼ばれる者である。
投稿キャラクター:
グニル様提案、ラウド。
ありがとうございます。
兵法紹介:
『軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積いしなければ則ち亡ぶ』
孫子の兵法より、意味は「ご飯が無い軍隊とか、無いわー」。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
後書きで何かしたいと思いつつも、なかなか思いつかないものですね。
うーん、いつものことですね。
それでは、また次回。




