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4-1:「旧市街にて」

 世界の色が変わった、とでも言うべきなのだろうか。

 アーサーの目から見て、そう言っても良い程の変化が旧市街に起こっていた。



「おぉ――いっ、そっち持ってくれ――っ」

「おい、ここに積んである荷ってどこに持っていけば良いんだ!?」

「はぁー、石を運ぶだけでも大変だわぁ」



 そこかしこで、先の戦いで破壊された街を直そうとする人々の姿が見える。

 多くはバリケードの片付けであったり、火事などで焼け落ちてしまった家屋の除去だったりするが、アーサー達が壊してしまった桟橋の修繕を行う者達もいた。

 フィリア人は高度人材こそ欠くが、逆にそうした手工業的な人材はいくらでもいた。

 理由は単純で、そうした労働をソフィア人は行わないためだ。



 修繕以外にも、進められている物がある。

 修繕などに使えない石材や木材は、そのままバリケードとして使用する。

 網の目のように張り巡らされた地下道の整備と、先の戦いでは急増だった封鎖手段を前もって準備しておくことで、次の事態に備えようと言うのだろう。



「随分、活気が出てきましたねぇ」



 以前から新市街から受けた被害を直そうと言う動きはあったが、もっと暗い雰囲気だった。

 作業をしていても、「どうせまた壊されるし……」と思えば士気が上がるはずもない。

 しかし、今は違う。

 計画があり、それに沿った行動がある。

 定められた計画に沿って働く人々の士気は、かつてない程高かった。



「今日はこの地区を済ませるよ! ほら、引っ張って!」

「「「よ――せっ、よ――せっ、よ――せっ」」」



 片付け中の通りを歩いていると、火事で半壊した家に縄をつけ、引き倒そうとする集団がいた。

 中途半端に燃え残っている家屋は置いておくと危ないので、こうして引き倒す必要があるのだ。

 そしてそうした人々の中心に、マリアがいた。

 他の人々と同じように煤に汚れているが、目には力がある。



 しばらくそれを見ていたアーサーは、しかし特に何も言わずにその場から去った。

 何も問題が無いのだから、声をかける必要は無い。

 問題があるとすれば、この復旧作業の中で自分の陰が薄いくらいだ。



「やぁ、ミル」



 地上から地下道へ入り、レジスタンスがアジトとして使っている通路に入る。

 そうして、扉の前を陣取っている巨漢の仲間に声をかけた。

 ミルはアーサーを一瞥すると、もぞもぞと扉の前からどいた。

 守護しているのか監視しているのか、割と微妙な所である。

 そんなことを考えて苦笑した後、アーサーは扉をノックした。



  ◆  ◆  ◆



 リデルに与えられた部屋は窓が無いため、中に入ると少しむわっとした空気が漂ってきた。

 壁の高い位置に掲げられた火がうっすらと室内を照らしていて、アーサーはその中に目当ての人物を見つけることが出来た。

 だが見つけた相手の姿を見て、アーサーはげんなりとした表情を浮かべた。



 部屋の主は奥の机に座り、羽根ペンで何かを書いている様子だった。

 ただ室内が暑いためなのかどうなのか、衣服を着崩している。

 長いスカートを膝上で結んで止めているばかりか、袖も二の腕のあたりまで捲り上げられていて、胸元のボタンも上から2つは外されていて、本来隠されるべき肌色部分が見えていた。

 アーサーはごほん、と咳払いすると。



「あのー、リデルさん?」

「…………え? ああ、何よアーサーじゃない。街の様子はどうだった?」

「いえ、それはそれでちゃんと話しますけど」



 それは置いておいて、と言う仕草をするアーサー。



「以前の水浴びの際にも言いましたけど、もう少し慎みを持ってですね」

「慎み……? 帽子ならちゃんとかぶってるじゃない」

「そこは関係ありませんよ。むしろ室内では帽子を取って下さい」

「五月蝿いわねぇ……ふあぁ」



 少し胡乱気な視線をこちらに向けつつ欠伸を噛み殺す様子を見て、アーサーは少し心配になった。

 すでに先の戦いから半月が経ち、旧市街でも大小様々な対策や事業が動き出している。

 そしてそのほとんどはリデルの立てた計画に沿って行われている、が、リデルが表に立って指示をするようなことは無い。



 それらの指示は全て、アーサーとマリアのどちらか、あるいは両方を通じて出されていた。

 酷く面倒でしかも二度手間なようにも見えるが、旧市街の人間は未だソフィア人への苦手を持っている。

 ソフィア人のリデルが言うよりは、同じフィリア人であるアーサーやマリアを経由した方が効率的なのである。



「あふ……っと」



 そして旧市街の復旧など諸々の策を1人で練っている以上、睡眠時間など取れようはずも無い。

 少し顔を赤らめて口元を押さえ――そこの恥じらいはあるらしい――欠伸で涙が浮かんだ目尻には、薄く隈が浮かんでいる。



「大丈夫ですか?」

「んー、平気よ。むしろテンション上がりっぱなし」



 それはそれで、逆に心配なアーサーだった。

 何しろテンションが変な方向に行ったリデルは、アーサーでも抑えるのが大変なのだ。



「まぁ、良いわ。それより、街の様子を話しなさいよ。私も夜には外に出て見回るけど、それでも全部を細々と見られるわけじゃないし、さ」

「ああ、はい。ええとですね……」



 周辺に積まれた紙や本を崩さないように注意しながら、隅に転がっていた椅子を引いてきて座る。

 目元を擦りながらこちらへと視線を向けるリデルに、アーサーは今日の旧市街の様子を話し始めるのだった。



  ◆  ◆  ◆



 ここ10日程、リデルは眠れない夜が続いていた。

 それでも髪も痛まず肌も荒れないのは、髪飾りにしている赤い石のおかげなのだろうか。

 島にいた頃もあまり気にしたことは無かったが、実はかなり便利なアイテムなのでは無いだろうか。



「んー……」



 それはそれとして、この10日間、リデルは旧市街の体制を整えるための策を練っていた。

 大公国からの自立を宣言したは良いものの、旧市街には自立に必要な物が何一つ無かった。

 領民はいるが、領土を維持すべき機構が無い。

 レジスタンスや連絡会のネットワークも最低限の物だ、「領土」と言う概念で見るなら必要な物がある。



「ふーん。じゃあ、旧市街の復旧はマリアに任せておけば大丈夫、かな」

「ええ、僕もそう思いますよ」



 旧市街の復旧それ自体は、マリア達レジスタンスの尽力もあって順調に進んでいる。

 おそらくもう数日すれば、片付けも大体終わるだろう。

 その時、リデルは何となく気不味い気持ちでアーサーを見つめた。



 だが当のアーサーはいつものように微笑むばかりで、何も言ってこない。

 彼が何も言ってこない以上、リデルが自分から何かを言うことは間違っている気もする。

 だから結局リデルも何も言わず、誤魔化すように乱暴に頭を掻いた。



「見張り台は?」

「完成しましたよ。木造の簡単なものですが、新市街側から何か来ればすぐにわかるでしょう」

「ん」



 新市街側の動きについては、時計塔や他に建てた見張り台に人をやって見張って貰っている。

 そしてクロワが腕っ節の良いフィリア人の男性達を集めて訓練してくれている、将来的には旧市街の治安維持に役立ってくれればと思う。

 地理については完全に把握した、リデルの手元には地上・地下を網羅した地図がある。



 紙の質は悪いが内容は正確で、土地勘の無いリデルはこれらを重宝していた。

 意外に思うかもしれないが、軍略は地図が無ければ動かない。

 地図に様々な策を書き込み、アーサーを経由して作業の指示を出す。

 紙に落としこんでさえいれば、誰が見ても理解して貰えると考えたからだ。



「正直、そこが一番痛いのよ」

「そこ、とは?」

「食糧とか水とかも不足しがちで頭痛の種ではあるんだけど。5万人の人間が暮らしてる所を私1人でって言うのは、いやそれでも頑張ろうとは思ったんだけど」



 くてっ、と机に突っ伏す。

 大量の地図や紙――旧市街では紙も貴重だ――に押し出されて、インク壷が落ちる。

 おっと、と掌で受け止めるアーサー。



「無理」

「でしょうねぇ」



 珍しく素直な言葉に、アーサーが苦笑する。

 実際、機構が無い中リデルは努力したのだ。

 だが5万人の人間の生活を保障するのに、リデル1人ではどう考えても無理だ。

 アーサーも手伝ってはいるのだが、それでも人手不足は否めない。



 人手と言うよりは、人材、と言った方が正しい。

 人材不足、これが今の旧市街が抱える最大のウィークポイントと言える。

 何とかしなければならない、そこでリデルは考えた。

 旧市街の人材不足を、解決する方法を。



  ◆  ◆  ◆



「登用?」

「そ。とは言っても、お給金出せないから……戸籍もちゃんとしたの無いし。税制だって新市街に吸い上げるだけで還元とか無いし……あれ、これって人材確保って意味じゃ詰んで無い?」

「自分で提案して自分でトドメを刺さないで下さい」



 呆れたように言うアーサーに、リデルはバツの悪そうな表情を浮かべた。

 しかし実際に領地を経営するための体制、それを作ろうと思うなら資源がいる。

 それが人材であり、そして人材と彼らが行う事業には先立つ物が必要だ。

 つまり、お金である。



「旧市街には人は一杯いるけど、お金と食べ物は無いのよね」



 しかし要は順番の問題だ、とリデルは思う。

 旧市街のフィリア人達は新市街の搾取に喘ぎながらも生きながらえてきた、人口とその中身をはっきりさせ搾取より軽い税を求めれば、おのずと資金は集まるだろう。

 ただ、そのためにはやはり人材が不可欠。

 人が先か金が先か、金が先か人が先か、面倒な話だ。



「でもねぇ」



 それでも。



「私、政治家じゃないし」



 自分の頭の中にあるのは軍略であって、租税や刑法では無い。

 「こういうこと」を考える人材は、もっと他に求めるべきだ。

 リデルは机の上の紙束から幾枚かを取り出すと、それを逆さに返して――つまりアーサー側を正面として――彼の前に置いた。

 そこにはつらつらと何人もの名前が書かれていて、何行かのメモ書きがついていた。



「これは?」

「マリアと連絡会の人達に頼んで、旧市街に残ってる著名な人をリストアップして貰ったの」

「ああ、そう言えばそんなことしてましたね」

「そりゃあ、アンタにも聞いたものね」



 じろ、とアーサーを見て。



「本当なら、元王子って肩書きのアンタが一番人を知ってないとダメなくせに」

「いやぁ……元王子とは言っても、本当に子供の頃に国が無くなっちゃいましたからね。なので、当時にどんな人がいたのか。良く覚えていないんですよ」

「……ふぅん」



 ふ、と微笑するアーサーを、リデルはじっと見つめた。

 リデルが来るまでの数年間、アーサーやマリアが人を集めなかったとは思わない。

 実際、一声かけるだけでこれだけの人名が挙がったのだ。

 おそらくはレジスタンスの活動内容と旧市街の状況がそれを妨げていたのだろう、変化の無い所に人は集まらないものだ。



 でも、今ならどうだろう。

 自立を宣言し、人も物ももはや新市街側に渡らぬ地となった旧市街。

 今の旧市街を見て、地下に潜り続けていた人材達は何を思うだろうか。



「でも少しくらい知ってるでしょ? ほら、王国って言うくらいなら貴族とか、いたんでしょ?」

「まぁ、いましたけど……でも、貴族と言っても歴史の浅い国でしたから。本当の意味で優秀な人材なんて、ほとんど聞いたことが無いんです」

「何それ、そんなんでどうやって国とかやってたのよ」

「だからその少ない人材が保たせてくれていたんですよ。バルカ、クレルォ、フォルカーク、フォーサイス……その4つくらいですか、僕が覚えている家は」

「ふぅん」



 それはまた、寂しい国もあったものだと思う。

 ふと、思う。

 そしてリデルは、そのふと感じた思いを素直に口にした。



「ねぇ、アーサー」

「はい、何でしょう」

「……くなった国が甦るのって、どういう気持ち?」



 ――――リデルの言葉に、アーサーはただ微笑でもって答えた。



  ◆  ◆  ◆



 亡くした国を取り戻す気は、アーサーには無かった。

 それは本心だった。

 彼にとって祖国に済む人々の自治独立と、いわゆる「フィリアリーン聖王国」の復活はイコールでは無かった。



 王国の復活、そして権力の奪取には関心が無い。

 レジスタンスにおいてマリアを立て、軍略においてリデルを立てているのはそのためだ。

 そしてアーサーは、それが己の清廉な善意から来ているわけでは無いことを理解していた。

 彼にとって、その行為は。



「まぁ、まさかそのまま放り出されるとは思いませんでしたけどね」



 苦笑して、地下道から路地裏へと出る。

 表情は苦笑であって、埃っぽい路地を慣れた足取りで歩いていく。

 向かう先は、リデルが前々から目を着けている人材の住処だった。



『もう何回もお世話になってるんだけど、何か私のことが苦手っぽいのよね』

『リデルさんがソフィア人だからでしょうか?』

『それもあるんだとは思うんだけど……多分、それだけじゃ無いと思う』

『はぁ』



 と言うような会話を経て、アーサーは叩き出さ……もとい、その人材の勧誘に向かったのだった。

 その人材の家は旧市街の中でも川から遠く、つまり新市街から見て最も奥の地区にある。

 先の戦いでも、被害が小さかった場所の一つだ。



 焼き煉瓦れんがで出来た集合住宅タウンハウスが見えて、アーサーはそこに向かった。

 その内の一室の扉を叩き、声をかける。

 特に返事は無い、が、不在と言うわけでも無さそうだった。

 何故かと言うと、扉を叩いた時、中で何かが崩れるような音が聞こえてきたからだ。



「……もし?」



 声をかけるが、返事が無い。

 しかしその代わり、ばさばさと何かが崩れる音と、がたがたと何かがもがくような音が聞こえてくる。

 重ねて声をかけるが返事が無い、試しに扉を押してみれば鍵がかかっていない。

 僅かに扉が開いたことにより、中の音がよりはっきりと聞こえるようになった。



「もがふがー!」

「……! だ、大丈夫ですか!? うっ……」



 くぐもった声で「たすけて」と言われ、アーサーは中に踏み込んだ。

 閉め切っていたのだろうその部屋に足を踏み入れた瞬間、アーサーは顔を顰めた。

 まず感じたのは強いインクの匂いだ、ついで部屋中に張られた縄に干されている数々の紙、そして床一面の紙と――大して広くも無い部屋の中央に、雪崩の後のように崩れ積み上がっている紙の山。

 それがもぞもぞと動いていることに気付くと、アーサーは慌ててその紙の山を崩しにかかった。



「す、すみません。助かりました」

「いえ、無事で何よりでした」



 悪戦苦闘すること数分後、紙の山の中から1人の男が這い出て来た。

 髪の色は黒、右眼が隠れる程に前髪が長いのが特徴の男で、年の頃はアーサーとそう違わない青年だった。

 長身の割にどことなく頼りなさげな目つきで、彼はアーサーの手を借りて身を起こす。



 良く見れば、彼を押し潰していたのは地図だと気付く。

 床に散っている物も、縄に吊るされた物も、全てどこかしらの地図が描かれていた。

 中にはアーサーの知らない地名の物まであって、紙の質は悪いが内容の質と量に関しては圧倒的なようだった。

 そして、それはリデルが使っていた地図と同じ紙の質であり、筆致だった。



「え、ええと、な、何か……?」



 彼の名は、カリス・トリィズン。

 旧市街唯一の地図職人である。



  ◆  ◆  ◆



 不思議な物で、入れ物が変われば中身もまた変わるらしい。

 ここ数日の旧市街の様子をつぶさに見て、クロワはそういう気持ちを抱かずにはいられなかった。



「よーし、それじゃ! 1! 2! 3!」

「「「1! 2! 3!」」」

「ほーれ、もいっちょ! 1! 2! 3!」

「「「1! 2! 3!」」」



 クロワは砂を詰めた麻袋の山に座り、旧市街の広場で身体を動かす数十人のフィリア人を眺めていた。

 特に何を言うわけでも無いが、時折、レジスタンスの人間が――アーサーの仲間の、例の調子の良い2人組だ――体操や運動と言う形で、身体の動かし方を教えるのに、アドバイスを与えたりしている。

 彼は有志を募ってフィリア人を訓練するよう、リデルに頼まれていた。



 とは言え、流石に軍隊レベルの戦士をいきなり求めているわけでは無い。

 先の戦いでの反省点の一つに、一部において秩序だった避難ができなかったことがある。

 そこでレジスタンスの人間だけでなく、いざと言う時に冷静さを保ち、人々を誘導することが出来る人員を確保しようと言うことになった。

 もちろん、将来的には別の役割を求めることになるだろうが。



「見て下さいよクロワさん、俺こんな走れますよ!」

「何言ってやがる、俺の方がすげーっスよ!」

「ほう、なかなかやるな」



 感心したように言えば、男達がわいわいと騒ぐ。

 先程は有志と言ったが、多くは先の戦いでクロワについてきていた者達だ。

 彼らはソフィア人とその魔術師を恐れているが、それを目の前で蹴散らして見せたクロワに対し強い憧れを抱いていた。

 それは、どこか信仰にも近い感情だった。



(……変わるものだな)



 クロワは新市街で囚われるまで、各地を転々としていた。

 その中にはフィリア人の土地も含まれるが、何処であっても――特に、大陸北部に近ければ近い程に――表情は暗く、陰鬱の中に生きていた。

 しかし今、クロワの目の前にいるフィリア人達は違う。



 先の戦いを生き延びたと言う自信か、あるいは自分達の「土地」があるという安心か。

 いずれにしても、きっかけは1人の少女だ。

 リデル、彼女がいなければクロワもまた、今も牢の中で隠棲いんせいしていただろう。

 そして、彼女を連れてきたフィリアリーンの元王子……。



(む?)



 その時、クロワは目をしばたたかせた。

 身体を動かしていたフィリア人達が昼食のために休憩に入った時、彼らの間を縫うようにして黒パンを配っている少女がいる。

 それくらいならば、どの街にもある普通の光景なのだろうが。



「量が少なくて固いけど、今日を生きるためのパンだよ」



 まるで跳び跳ねるように、ひょいひょいと身軽に人々の間を抜けていく少女。

 ふむ、とクロワはその少女の動きを見ていた。

 無駄が無い、と言うより、どこか相手の死角に入るような動きをしているように見える。

 しかも意図してそうしている風も無い所を見れば、無意識にそれを行っているようなのだ。

 歩く場所は常に誰かの死角、パンを渡す一瞬の時間も極めて短く、印象を残さない。



(戦うために身に着けた歩法では無いな。ふむ……)

「どうぞ」

「む」



 考えていると、少女がクロワに黒パンを渡してきた。

 片目を閉じ、少女の顔を見つめる。

 どことなく淡々とした、気配の薄い顔立ちをしていた。

 今はクロワに見つめられ、どことなく居心地悪そうにしている。



 小柄な体躯に軽装、灰色のショートパンツから伸びるほっそりとした足が眩しい。

 やや癖のある黒髪はハーフテールに纏められていて大人っぽく、しかし思っているよりも幼そうだった。

 戸惑ったような視線を向けてむる少女に、クロワは言った。



「キミの名前は?」

「え……? あ、えっと」



 ふむ、と先を促すクロワに、少女は戸惑うままに、簡潔に答えた。



「皆は、シャノワって呼びます」



  ◆  ◆  ◆



「ここ?」

「…………」

「そう、じゃあここで待ってて。1人で行くから」



 アーサーと別れた後、リデルは地下道を進んでいた。

 流石に1人では無く、扉の番をしていたミルの案内だ。

 そして向かう先は同じく地下道、それも旧市街の外れに位置する物だ。

 実際、ここに来るまでに随分と歩いたのだ。



 ミルを入り口に置くような形で、中へと進む。

 この地下道は中心部の物と違って、壁や床が平らに整えられていない。

 その前の段階、つまりは削ったばかりの岩が剥き出しの状態だった。

 天井の岩から染み出しているのだろう、床には水が溜まっている。

 歩く度にピチャンと水が跳ねる音がして、あまり良い心地はしない。



「……アンタが、ウィリアムって人?」



 じめじめとした洞窟のような通路を進むと、ぼんやりと光が見えてきた。

 空気が薄いせいか、火皿に乗せた火もゆらゆらと消えかかっている。

 だが一番奥ばった所にガラスの入れ物に蝋燭を入れた灯りがあり、事の外それが辺りを照らしていた。

 壁に手をつくと、ごつごつとした岩肌の感触を掌に感じる。



「ねぇ、ちょっと」



 そして、大きな背中が見えた。

 背中を見ただけで筋肉質だとわかる、そんな背中だった。

 カキン、と何かを打ち付けるような音が響く。

 狭い空間のせいか、妙に耳に響く音だ。



「ウィリアムって人は、アンタのことよね?」

「…………」

「……ねぇ!」



 業を煮やして声を高くすると、何かを打ち付けるような音は止まった。

 そして背中を向けていた男が、半身を振り向かせた。

 年の頃は、30も終わりにさしかかろうという頃か。

 白髪混じりの茶色の髪に、緑の瞳が蝋燭の火に照らされていた。

 深い皺が幾本も刻まれたその顔は、見る者にそれだけで威圧を与えそうだ。



 リデルも一瞬気圧されかけたが、生来の気の強さで抑え付けた。

 むしろ、すぐに視線を外した相手にむっとした表情を向けた。

 そして、相手が自分の探す「ウィリアム」だと認識して話し始める。



「アンタが、旧市街の地下道を作った人?」

「…………」



 返事は無い、が、振り向いた時に彼が工具を手に持っていることは確認した。

 彼がウィリアム、この10年、旧市街の地下を掘り続けている男だ。

 誰とも関わらず、誰とも語らず、誰とも触れ合わず。

 ただただ、淡々と旧市街の地下道を拡張し続けている男。



「凄い腕前ね」



 素直に、そう思う。

 先の戦いの勝因は、旧市街に張り巡らされた地下道にあった。

 地下道は元々あったのだが、その元々あった物を拡張し、地上の至る場所に出入り口を作ったのは彼だと言う。

 マリア達が使っているのは半分程度だと言うから、その凄まじさは良くわかる。



 そして今後のことを考えた時、彼の技術は有用どころの話では無い。

 旧市街の地下空間を彼ほど知り尽くしている者もいないだろう、より有効な策を作る上で重要な人物だった。

 だから自ら誘いに来た、が、ウィリアムはリデルに興味を引かれた風も無かった。

 彼女の金色の髪が、目に入らなかったわけも無いだろうに。



(……マリアが言ってた通りね)



 彼は、誰とも言葉を交わさない。

 先程リデルの方を向いたが、それすらもしかしたら相当に珍しいことなのかもしれない。

 そうだとしても、声すらかけないと言うことはリデルには出来なかった。

 広大な地下道を作ったと言うそれだけでは無く、的確な位置に地下道を掘ったと言う先見性を重視しているからこそ、だ。



「手伝ってほしいの」

「…………」

「旧市街を守るために、アンタの力が必要なのよ」



 どこに何を配置し、誰をいつ通らせるべきなのか?

 地図だけで判断するには限界があり、だからこそ彼が必要だ。

 リデルはそう考えていた、のだが……。



「…………」



 これである。

 無言を貫かれてしまえば、リデルにもどうすることも出来ない。

 正直苛立ちを覚えるが、感情に任せて失敗する程に考え無しでは無い。



 その後も根気良く話を続けたが、反応は無かった。

 旧市街の現状については知っているはずだが、それでもダメだった。

 最終的には時間も遅くなり、疲労と空腹を覚えたこともあって、今日は諦めることにした。

 リデルが話している間、ウィリアムはひたすらに掘り続けていた。

 最後にその後ろ姿を見て、リデルは今後の労苦を思って溜息を吐いた。



  ◆  ◆  ◆



「はぁ……」

「うん? どうかしましたか、リデルさん」

「別に、何も無いわよ」



 むしろ、何も無かったことが問題なのだが。

 そう思って、木製の器から夕食のスープを口に運ぶ。

 口にした途端、眉をしかめた。



 実を言えば、リデルは島の外の食事があまり好きでは無かった。

 水が合わない、とでも言うのだろうか。

 スープの中から調味料の塊などを見た時には、素朴な味付けの島の食事が恋しくなるのだった。



「……美味しくない」

「まぁ、塩の質もあまり良く無いので。味については我慢してください」

「この前食べた川魚の方がよほど美味しいじゃないのよ」

「水の質も……」

「良いわよ、ごめん」



 混ぜ物で水増ししているとは言え、塩を使ったスープが食べられるだけ有難いのだ。

 塩の質が悪かろうと量が少なかろうと、それは確かだ。

 旧市街の夜は暗く、部屋の明かりは小さな火だけだ。

 うっすらとお互いの顔を照らしながら、リデルとアーサーは夕食を共にしていた。



「マリアから聞いた話だが」



 微妙な空気の払拭を狙ったのかどうなのか、同席していたクロワが言った。

 先の戦いからほぼ毎晩、この3人はこうして夕食を共にし、旧市街の情勢について話し合うことにしている。



「旧市街の整備はそろそろ終わるらしい」

「……まぁ、人手だけはあるからね」



 リデルは、有難くそれに乗っかることにした。

 あまり寝ていないせいか、ここ数日はどうも頭の回転が鈍い。

 特に今日は長い距離を歩いたため、いつもより疲れている。

 木のスプーンを皿に置き、ふぅ、と息を吐く。



「それで、新市街の方はどんな感じ? 変わらない?」

「そうだな。今の所は静かだ」



 クロワはフィリア人の訓練を行うと同時に、対岸の新市街を見張ってくれている。

 しかしここの所、新市街側からの干渉がまったくと言って良い程無かった。

 おかげでこちらは着々と備えることが出来ているが、自立宣言に対する反動が無いことが不気味でもあった。



(どういうつもりなのかしら)



 普通、支配していた地域が自立しようとすれば反動がありはずだ。

 具体的には軍隊を送ったりだが、今のところそうした気配は無い。

 先日、一気呵成いっきかせいに攻め込んできたことを思えば、意外な程だった。

 冷静に考えるのであれば、準備を進めていると考えるべきだろう。

 こちらが備えている間、相手も同じだけの時間を準備に費やすことが出来るのだから。



(いろいろなことを想定して、策は作っているけれど)



 しかしそれは、憂慮すべき事態だ。

 先の戦いは敵の弱みと油断に付け込んで勝利を拾ったが、純粋な戦力では新市街側が圧倒的に上だ。

 相手が慎重に準備を進めているのなら、それは。

 と、思考の深みに意識を沈めていくと、ふと肩に温もりを感じた。



「大丈夫ですか?」



 アーサーだった、労わるように肩に手を置いている。

 何となく気恥ずかしさを覚えて、リデルはその手を払いのけた。

 だがそこに乱暴さは無く、猫がつんとして離れるような空気があった。

 まぁ、襟から出てきた蛇が威嚇するのも愛着と言うものだろう。



「ちょ、危ない。それ何とかしてくださいよ」

「ふん、邪な心が無ければ噛み付かないわよ」

「いや、意味がわからないんですが」

「ふふ……」



 クロワが声を忍ばせて笑うが、リデルはふんと鼻を鳴らした。

 しかしふと、その視線に物寂しげな色が浮かんだ。

 理由は、昼間の会話だ。



『……くなった国が甦るのって、どういう気持ち?』



 リデルがそう問いかけた時、アーサーは何も答えなかった。

 正直、予想したどの反応とも違った。

 リデルは彼が自分の国を取り戻すために戦っているのだと思ったが、違うのだろうか。

 だが、それなら彼は何のために戦っているのだろう。



 思えば、以前から気になってはいたのだ。

 何故、この男は自分を――と言うより、父をだが――呼び寄せたのか?

 己の国の復興が目的では無いならば、何のために?



「ねぇ、アーサー」

「はい、何でしょう?」



 そういえば。

 アーサーが自分の問いかけに答えてくれなかったのは、今回が初めてだった。

 そう思うと、同じことを二度は問えなかった。



「…………」

「リデルさん?」

「……何でも無いわ」



 別にに大したことじゃないだろう、そう自分に言い聞かせた。

 この時、リデルは気づいていなかった。

 それが、いわゆる「誤魔化し」と言う行為だと言うことに。

 そして、そんな2人をクロワはただ見ているのだった。



  ◆  ◆  ◆



 騒乱の中心、旧王都クルジュから離れること十数日の距離。

 大きな火事に見舞われたのだろう、村を取り囲む田畑はほとんどが燃えてしまっている。

 村を囲む柵も崩れ、家屋の半分以上は黒ずんだ廃材と化していた。



「皆――! お昼ご飯にするわよ――!」



 村の広場で火を起こし、所々へこんだ鍋で野草を茹でる。

 田畑が荒れた今、用意できるのはこんな粗末な食事だけだ。

 だがそれだけでも十分なのだろう、村の各所で片付けや整理をしていた子供達が歓声を上げて集まって来た。



「……ふぅ」



 子供達に野草のスープを配り終えた後、額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、ルイナは息を吐いた。

 そして、ふと遠くの空を眺める。

 あの2人との別れ以来、彼女は良くこうして遠くを眺めるようになった。

 スカーフから茶色の髪が零れ、少し土に汚れたスカートが風に靡く。



 ――――旧王都での騒動は、この村までは伝わってこない。

 豊かな農村だった以前ならともかく、すでにこの村が飢民に滅ぼされたと言うことは広まっている。

 それに元々、余所者に開放的な村でも無かった。

 だから、村の外がどうなっているのかはわからない。



(あの2人、元気にしているかしら)



 きっと、アーサーはリデルに振り回されているのだろう。

 そう思うと微笑ましい気持ちになって、頬が緩んでしまう。

 あの2人の旅は、短い間だが毎日が楽しかった。



 その時、野草のスープを書き込んでいた子供の1人が自分を見上げていることに気付いた。

 リデルに帽子をあげた、先の戦いで父親を失ったあの子供だ。

 不思議そうな目をしていたので、誤魔化すように笑って視線を外した。

 すると、広場に立つ女の存在に気付いた。

 これには、驚いた。



「え……?」



 先の戦いで生き残った大人も何人かいるが、今は全員が畑の復旧にかかっているはずだ。

 それに、初めて見る顔だった。

 ただ茶色の髪が見えて、ほっとしたのは事実だ。

 金色であったなら、緊張もしただろうが。



「あの、何か御用でしょうか?」



 旅人だろうかと思い、声をかける。

 だが後から考えると、この行為は愚の骨頂であった。

 ルイナは優しく声をかけるのでは無く、煮立った鍋を投げつけるべきだったのだ。

 だから、気付いた時には遅かった。



 女の瞳が、菫色だったこと。

 女の靴が、薄い赤の金属で出来たブーツであったこと。

 そして、周りを軍服とローブの混合服を纏った集団が取り囲んでいたこと。

 畑に出ているはずの村の大人達が、皆縄で縛られてそこにいたこと。

 そして。



「――――!」



 そして、女が、地面を。

 ――――踏みつけた。



採用キャラクター:

江井翠子さま提供、カリス・トリィズン

相宮心さま提供、シャノワ・コルニクス

投稿ありがとうございます。


最後までお読み頂きありがとうございます。

読者の皆様から投稿キャラクターも頂き、ここからどんどんキャラクターが増えていきます。

なので、今後も頑張ります。

それでは、また次回。


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