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1-2:「探し人は何処?」

 空は薄暗く、そしてせまかった。

 それだけは、良く覚えている。

 見上げる空は、いつだって建物の間からしか見ることが出来なかったから。



 ――――見上げていれば。



 土埃つちぼこりやゴミの積もった灰色の地面、そこをずっと駆けていた。

 それだけは、良く覚えている。

 狭い路地ろじから抜け出すには、走る以外に方法が無かったから。



 ――――走っていれば。



 狭い空、灰色の地面、そして充満する不快な空気。

 それらだけは、良く覚えている。

 何故なぜならそれらは全て、自分の幼い頃の記憶だからだ。

 幼い頃、自分が見ていた世界だからだ。



 ――――いつかそこから抜け出せると、信じていた。



 だけど、いつも上手くいかなかった。

 どこまで見上げても、どこまで走っても、結局は抜け出せなかった。

 抜け出そうとして、抜け出せるような世界では無かったから。



 ――――気付けば、いつの間にか足は止まっていて。



 身体は重く、引き摺るようにしていた足もいつしか止まる。

 体力が無いから? 能力が足りないから? 何かが不足しているから?

 違う。

 そう言うことでは無く、ただ、不可能なのだ。

 下を見ればわかる、何故ならば。



 ――――自分の手足は、いつだって茨の鎖にとらわれていたのだから。



  ◆  ◆  ◆



 目が覚めると、緊縛きんばくされていた。

 何を言っていのかと思うかもしれないが、しかしそれは事実だった。

 アーサーが目を覚ました時、彼の身体は木のつるによって拘束されていた。



「……えーと……」



 努めて冷静さを保って、アーサーは自分の置かれている状況を整理した。

 まず自分はベッドに寝ている、これは良い。

 使い古されているが清潔なシーツ、草を麻袋でくるんだ枕、背中に木の固さを感じるボード

 問題は、四隅から伸びている蔓が、両手足をベッドに縛り付けていることだ。



 少しの間引っ張ったりしてみたが、結び方に特徴があるのかほどける気配は無い。

 嘆息して、自分の周りを見た。

 木造の家の部屋……いや、小屋と言った方が良いだろう。

 居間や寝室が全て一緒くたにされた小屋、アーサーはそこにいた。



「ここは……」



 雨風か腐食か、壁や天井を構成する木材には板ごとに染みや傷みが見える。

 だが掃除はきちんとしているのだろう、家具などは小綺麗こぎれいに整えられていた。

 手作りらしいゴツゴツしたテーブルや椅子はもちろん、麻袋に草を詰めたクッション、木を削って作った食器類や花瓶、葉の編み込みで出来た日除け(カーテン)……。



 そんなに狭くない小屋のはずだが、そうした物が所狭ところせましと置かれているため、意外と窮屈に見える。

 ただ人が生きていく分には、ちょうど良い手狭さのようにも思えた。

 1人や2人で、寂しさを感じずに生きていく分には。



「……ああ、そうか……」



 小屋の中をそこまで見た所で、アーサーは嘆息した。

 僅かの震えを伴うそれは、安堵の吐息だった。



「僕は、沼に落ちて……」



 生きている、その実感がようやく追いついて来た。

 目を閉じると、不快な柔らかさに全身を包まれた感触を思い出すことが出来る。

 ぶるり、と身体が震えると、手足を拘束する蔓がぎしりと軋んだ。

 だが目を開ければそこは沼の外で、自分が無事だと言うことがわかる。

 舌の上に沼の水の味を思い出してしまうのは、仕方が無いとして。



 そしてそれから、また考える。

 とは言え、拘束されている理由は何となく予想がつくし、ここが誰の家なのかと言うのもわかるような気がした。

 何故わかるのか?

 それは、この小屋にあって異彩を放っている一隅に原因がある。



「わ、わわっ……!」



 ドサドサと音を立てて崩れたのは、本の山だ。

 それもきちんと装丁された本であって、全てが手作りの物で覆われている小屋の中にあって、そこだけが嫌に文明的なように思えた。

 小屋の隅に積み重ねられた本は、少し見ただけで100は超えているだろう。



「ええと」



 金の髪にすみれ色の瞳、それを持つ少女が本の山に身を隠している姿を認めて、アーサーは苦笑を浮かべた。

 何だか「み、見つかってないわよね?」と言う雰囲気を漂わせている彼女に声をかけるのは申し訳ない気もするが、そうもいかないだろう。



「おはよう、ございます?」

「ひゃっ……!」



 声をかけた瞬間、身を竦めて奥へと隠れてしまった彼女。

 不覚にも可愛いと感じてしまうのは、仕方の無いことだろうか?



  ◆  ◆  ◆



 あれは何をしているのだろう、と、アーサーは思った。

 小柄な身体を本の山で隠そうとしているのはわかったが、全くもって隠れられていない。

 と言うか、衣服に包まれたお尻がほとんど見えていた。



「ええと」



 もう一度困ったような声を上げて、僅かばかりの逡巡を見せた後、意を決して声をかけた。



「あのー……?」

「ひっ」



 声をかけると、何故か怯えたような悲鳴が返って来た。

 その際に身を震わせたために本の山が崩れて、少女の全身が見えるようになってしまった。

 少女――リデルはあわあわしながら本をかき集めると、それを積んでまた隠れようとする。

 だが慌てているためか上手くいかない、積んでは崩れる本に、どんどん涙目になっていった。

 しばらくして諦めたのか、目を丸くしているアーサーを睨んだ。



「な、何よっ! 見てんじゃ無いわよ!」

「いや、ええと。すみません?」



 何故怒鳴(どな)られたのかわからないままに、謝る。

 するとそれに気を大きくしたのか、リデルはさらに言った。



「い、言っておくけど、アンタは私のほ、捕虜ほりょなんだから! そこの所、勘違いするんじゃないわよ!」

「は、はぁ。では、これも解いて貰えないのでしょうか?」

「当たり前じゃない!」



 当たり前らしい。

 また嘆息するアーサー、だがその時になって、彼は気付いた。

 自分の胸から下を覆うシーツ、その中に何か……。



 ――――シュー、シューッ。



 いずる音、とでも言えば良いのだろうか。

 それを認識した瞬間、アーサーの顔から血の気が引いた。

 引かざるを得ない。

 何しろ、細長くチロチロと舌を覗かせるあの動物が何匹もいたのだから。



「う、うわあああああああああああああああぁぁぁっ!?」

「な、何か妙なことをしたら、その子達が噛み付いちゃうんだから!」

「いやいやいやいや、これはちょっと!?」

「毒! その子達、毒持ってるんだから!」

「嘘だとしても最悪ですし本当でも最悪ですうわああああ取って取って取ってくださいいいいいいいいぃぃぃっ!?」



 アナテマ大陸南部の孤島、ヘレム島。

 普段は静かなその島が、今日に限っては妙ににぎやかな気がした。



「ど、どいて欲しかったら、島から出て行くって言いなさい! ほら早く、はーやーくー!」

「そ、それは無理……うわちょ、服! 服の中に入って――――ッ!?」



 多分、それは珍しいことだった。

 特に、この1年程は。



  ◆  ◆  ◆



 沼から引き上げたまでは良かったが、そこからが大変だった。

 まず気絶したアーサーに飲んだ沼の泥や水を吐かせなければならなかったし、手当てのために島の南側にある家まで大の男を引きって来なければならなかった。

 ……後半の段階で擦り傷やらが増えてしまったのは、まぁ仕方が無いことだろう。



「何よ、そんなに怖がらなくても良いじゃない……こんなに可愛いのに」

「か、可愛い……?」



 どこか不満そうな顔でその動物、つまり蛇の頭を撫でるリデルに、アーサーは呆然と言った。

 自然少女カントリーガールにも程がある。

 今はベッドから取り除いた――文字通り泣いて頼んだ――3匹の蛇を、それぞれ膝、肩、腕に這わせて頭を撫でていた。

 シューシューと言っているのは、もしかして喜んでいるのだろうか? 



「はぁ~……」



 沼に落ちた時よりも怖かった、沼より蛇とは、まさに本能の恐怖だろう。

 安堵の吐息を漏らした後、アーサーはもう一度小屋の中を見渡した。

 そしてふと気付く。

 椅子や食器などの家具を観察かんさつするに、ここはどうやら2人程で生活しているように見受けられるが、不思議なことにベッドは一つしか無かった。



「あの、えーと……貴女は、ここで1人で?」

「ひっ……な、何よ。こっちの情報を取ろうったって、そうはいかないんだから!」

「えええぇぇ」



 相も変わらず部屋の隅から、威嚇いかくするように髪を逆立たせてくる。

 会話、と言うより、コミュニケーションがいま一つ成立していなかった。

 ……コミュニケーション?



(もしかして……?)



 そこでようやく、アーサーは気付いた。

 コミュニケーションなど、成立するはずも無いと言うことに。

 別に酷い意味では無く、単純な事実として。



 考えても見るといい、もし仮に彼女がこの島で1人で生きているのだとしよう。

 そんな彼女が、コミュニケーションの訓練など出来るだろうか?

 誰かと長期間に渡って会話をし、関係を構築こうちくし、繋がりを持つことが出来るだろうか?

 勝手な思い込みだが、外れてはいないように感じた。

 つまりそんな彼女が今、自分に抱くだろう感情は……。



「……ありがとうございます」

「な、何がよ」

「沼から引き上げてくれたことと、あと、手当てとか」

「べ、別に……捕虜の扱いは、捕虜にした側の配慮が必要だから……」



 実際、アーサーを沼から引き上げたのはリデルだ。

 具体的にはリデルと「沼の動物」なのだが、先程の蛇に対する反応を見るに、そこは言わない方が良いだろう。

 加えて今の彼は、手や足に麻布の包帯と、傷の押さえらしき葉が巻かれていた。



「薬草を磨り潰して作った軟骨なんこつも塗ってあるから」

「わぁ、ありがとうござ……あれ?」



 そこでさらに気付いた、服が変わっている。

 自分がこの島に来た時、より言えば沼に落ちた時に着ていた物と、今着ている服が違うのである。

 当たり前と言えば当たり前だ、沼に落ちた服をそのままにしておくわけは無い。

 普通に考えて。

 ただ。



「……あの、一つ良いでしょうか」

「な、何よ」

「この服は……?」



 その問いかけには、リデルは素直に「ああ」と頷いた。



「パパのよ。私が着替えさせてあげたの、凄く汚れてたし、臭かったし……」

「は、ははは、そ、そうですか」



 心の中で一回死にながら、アーサーはお礼を言った。



「そ、それは、ありがとうございます」

「良いわよ別に、慣れてるから」

「慣れてる……?」



 何のことかわからず首を傾げるアーサーに、今度はリデルが言った。



「アンタだって、捕虜の癖に全然慌てて無いじゃない。逃げようともしないし……捕虜って逃げるものなんでしょ?」

「それはまた凄い偏見ですけど……僕は、まぁ、慣れてますから」

「ふーん、捕虜になり慣れてるなんて、やっぱり変な奴ね」

「は、ははは。それはどうも……」



 乾いた笑い声を発するアーサーに首を傾げながら、リデルは小さなテーブルの上を指差した。

 そこに、見覚えのある物が置かれていた。



「他のは洗ってもダメだったけど、首飾りと手袋だけは、何でか全然汚れて無かったから」

「あ、ありがとうございます」

「い、言っておくけど、捕虜の扱いに責任を持つのが軍師の役割だからで……あ、そういえば、アンタ」



 首飾りと手袋、それが無事だとわかってほっとした表情を浮かべる。

 よほど大切な物なのだろう、その意味をリデルが知ることは出来ない。

 ただ、彼女はアーサーを救った時から聞きたかったことがあった。

 そのために助けたと言っても過言では無い、それは。



「……<東の軍師>に会いに来たって、どういうこと?」



  ◆  ◆  ◆



 油断してはならない、と、リデルは自分を戒めていた。

 今は人の良さそうな顔をしているが、いましめを解いたら何をするかわかったものでは無い。

 昔から、「他人はまず疑うべき」と言うではないか。



 だがそれでも、リデルは彼を救い、確認しなければならなかった。

 何故ならばアーサーは、リデルにとって無視できない言葉を使ったのだから。

 それが、<東の軍師>。



「アンタは確かに言ったわ、<東の軍師>に会いに来たって」



 未だ小屋の隅から近付くことなく、自分の前に蛇達を置いて壁としながらも、リデルは言った。

 そうでありながら、どこか不審そうな表情を浮かべている。

 理由は、至極(しごく)単純な物だった。



「でも<東の軍師>って……お話の登場人物じゃない?」

「は……?」

「何よ」

「あ、いえ」



 ジロリと睨むと、アーサーが取りつくろったように笑った。

 それがまたかんさわるのだが、だがそれを言うことはしない。

 何故かと聞かれれば、彼女はこう答えるだろう。

 ――――わからないからだ、と。



 何を喋るべきなのか、わからない。

 何を言って良いのかわからないし、何を言うのがダメなのかもわからない。

 彼女は、そう言う娘だから。



「パパが良くお話してくれてたの、<東の軍師>のお話」



 ――――かつて、世界が一つだった時。

 1人の男が、東の地で虐げられている人々を率いて立ち上がるお話。

 内容は、良くある戦記物語と言えるだろう。



 東の地の人々を率いた「彼」はいつしか<東の軍師>と呼ばれるようになり、数々の困難に直面する。

 仲間の死、友との決別、逆境、危機的状況、ありとあらゆる難局にあって、しかし「彼」は諦めない。

 己の智謀と勇気を頼みに、どんな困難も難局も乗り越えていった。

 <東の軍師>が編み出す策の数々に、父の膝の上でお話を聞いていたリデルはワクワクしたものだった。



「なるほど……」



 そんな話をした所、相手、つまりアーサーは頷きを返しただけだった。

 どこか暗くなったその顔に、不審げに眉をひそめる。

 今の話のどこかに、そんな風に暗くなるような部分があっただろうか。

 そんなことを考えていると、アーサーがふと顔を上げた。



「この服は、お父様の物だと言いましたよね?」

「そうよ」

「……貴女のお父様は、今どこに?」



 問われた言葉に、リデルは素直すなおに答えた。

 朝の寒さに弱い蛇達の頭を撫でながら――蛇が泣く度にアーサーが顔を引き攣らせる――素直に。

 何の疑いも、躊躇も無く。



「死んだわ」



 素直に。



  ◆  ◆  ◆



 死んだ。

 その言葉を聞いた時、アーサーの顔が落胆の色を浮かべたのを見た。

 どうしてそんな顔をするのか、リデルにはわからなかった。



「死んだわ、1ヶ月前に、そのベッドの上で。最後の何ヶ月かは起きることも出来なかった」



 反応が無いので、とりあえず言葉を続けてみた。

 それにも反応は無かった、が、父の面倒をリデルが見ていたことは事実だ。

 アーサーを着替えさせていたのだって、ようは「そう言うこと」に慣れていたからだ。



 強く、大きな父だった。

 <東の軍師>の物語の他にも、父が所有していたたくさんの本を読み聞かせてくれた。

 島で生きる方法も、文字の読み方も、何もかもを教えてくれた父だ。

 最後の数日には話すことも出来なくなって、弱々しく小さくなってしまって、それが無性むしょうに寂しかったことを覚えている。



「……ねぇ、アンタって村の人?」



 それはそれとして、今は

 それでも反応が無かったので、話題を変えた。

 アーサーはいつの間にか俯いてしまっていて、言葉少なで、だから慌ててしまったのかもしれない。

 初めて「他人」と話した彼女にとって、それは仕方の無いことだ。



 好奇心、とでも言えば良いのだろうか。

 彼女は島の外のことを知らない。

 唯一の例外は対岸にあるらしい小さな漁村のことぐらいだ、それも父から伝え聞いた程度の話しか知らない。



「私は会ったこと無いんだけど、パパがね、村の人から良く魚を貰ってたの。村のおじさんが、砂浜に魚の入った箱を置いて行くの。でも、そう言えば先月から来てないわね」



 するとどうしたことか、アーサーの纏う雰囲気がまた重くなったように感じた。

 どうしてそうなるのかがわからなくて、リデルはまた涙目になる。

 え、え? と口元に手を当てて、助けを求めるように左右を見る。

 だが左右を見た所で、そこにいるのは彼女の身体を這う蛇くらいなものである。



「……この島には」



 しばらくして、アーサーがようやく口を開いた。

 どこか重そうな口調だが、それでもリデルはほっとした。

 それこそ慣れて来たのだろうか、もう最初ほどに警戒心を抱いていもいないようだ。

 素直というには、聊か純粋すぎるだろうか。



「貴女とお父様の他には、誰かいますか?」

「いないわ」



 むしろ胸を張って、誇らしそうに答えた。



「私とパパの2人だけよ、2人きりで暮らしてたんだもの!」



 あ、動物達も一緒だけどね。

 そう言って、リデルは笑った。

 アーサーは、笑わなかった。



  ◆  ◆  ◆



 アーサーは目的があってこの島に来た、その目的とは<東の軍師>に会うことだ。

 しかし今、アーサーは確実な直感と言う矛盾むじゅんした感覚を感じていた。

 すなわち、会いに来た対象はもういない。



 いや、うっすらとした予感はあったのだ。

 昨日――おそらくだが――リデルが祈りを捧げている場面を見て、何となくだが気付いていた。

 自分がお墓だと当たりをつけたあれは、まさに墓だったのだろう。

 誰の墓なのかなど、この際はもはや言うまでも無い。



「ね、ねぇ……アンタ本当、どうしたのよ。何か変よ?」



 リデルの声すらもはや遠い、だが彼は元々、リデルと「会話などしていなかった」。

 彼がしていたのは、確認作業に過ぎなかった。

 だがそれも、今や何の意味も無かったことが証明されてしまった。

 彼が求めた<東の軍師>が、すでにこの世にいないと言う事実が。



 リデルが嘘を吐いていると言う可能性は?

 無い。

 我ながら馬鹿だとは思うが、おそらく彼女は嘘を吐いたことが無いタイプの人間だ。

 性格云々では無く、誰とも話したことの無いような人間が嘘の吐き方など覚えているわけが無い。

 嘘と言うのは、コミュニケーションツールの一つなのだから。



「何よ、もしかして痛いの?」



 リデルの声にいよいよ心配の色が混ざり始める、それほどに落ち込んで見えるのだろう。

 ただ、それは外れてはいない。

 アーサーは、まさに落ち込んでいるのだから。



「し、島から出て行くって誓うなら、すぐに外してあげても……」

「……そう、ですね。ええ、出て行きますよ」

「え」



 吐息といきと共に言うと、リデルは驚いたように固まった。

 不覚にも可愛らしいと感じてしまうが、それを可愛いと思って笑う余力はほとんど無かった。



「ほ、本当? 本当でしょうね? 後でやっぱりやめたー、なんて許さないんだからね?」

「ええ、言いませんよ」

「本当に?」

「本当に」



 しつこく聞いてくる相手に律儀に答える、すると納得したのか、彼女はジリジリとこちらへと近付いてきた。

 かなり警戒している、と言うより怖がっている様子だった。

 でも自分の「約束」を信じているのだろう、2歩進んで1歩下がるを繰り返しながらも、こちらへと近付いてくる。



 それから、恐る恐ると言った動きでベッドの脇にしゃがんだ。

 そして、左手の戒めを解いてくれた。

 ぴゅうっ、と部屋の隅に駆け戻る彼女を横目に、アーサーは自由になった左手で残りの3つを解きにかかった。



「ね、ねぇ」

「はい?」

「アンタ結局、ここに何しに来たの……?」



 右手の戒めを解き、足の蔓に触れた所で、そう問われた。

 なるほど、と思う。

 人に会いに来たと言いながら何もせずに帰ると言い出したのだから、不審に思うのも仕方ない。

 それに、彼女の最初の問いかけにも実は答えていない。



「貴女のお父様に、会いに来たんですよ」

「あ、そうなの。それは……って、あれ? でもアンタ、<東の軍師>に会いに……ってふやぁっ!? 急に立つんじゃないわよ、驚くじゃない!」



 両足の蔓も外して、ベッドから降りる。

 軟骨が効いているのか痛みも無い、怪我は大したことが無かったのだろう。

 まぁ、沼に落ちただけだから。



 そこで、アーサーは少しだけ気にした。

 本当のことを教えるべきだろうか、この何も知らないだろう少女に。

 島の蛇達に守られて、隅からこちらを窺っている無垢むくな少女に。

 何もかもを、打ち明けてしまうべきだろうか?



「……もう一つ、聞いても良いでしょうか?」

「な、何よ。良いから早く出て行きなさいよ」

「ええ、出て行きます。でもその前に一つ……」



 この少女は。



「これから、どうするんですか?」

「どうするって……」



 きょとん、とした表情を浮かべて、リデルは答えた。



「何も変わらないわ、パパとの約束だから」

「約束?」

「ええ。島の外に出ない、島の外と関わらない……だから私は、ずっとここにいるのよ」



 ずっと、世界の端にいる。

 そう意味する言葉に、アーサーはかすかに眉を動かした。

 父親、「親との約束」、と言う部分に反応したようだった。



「……外に出たいとは、思わないんですか?」



 そう聞いた時、リデルは少しだけ考える素振りを見せた。

 彼女は父親の言葉に従うとは言った、が、つまりそれは自分の考えでは無い。

 自分の意思とは、関係が無い。

 だが、全く無関係とは言えない――だから。



「――――……思わないわ」



 だから、リデルはそう答えた。



  ◆  ◆  ◆



 太陽が中天ちゅうてんに差し掛かった頃、1人の少女が砂浜で大きく息を吐いた。

 湾に面する漁村――もはや廃村と言うべきかもしれない――、燃え残りの家々や漁船を見渡して、麻布とロープで包んだ大きな荷物を背負い、茶色の髪の少女は笑顔を浮かべていた。

 哀しみなど感じさせない、明るい笑顔だった。



「それじゃあ、出発しましょうか」



 どうやら村を離れるつもりらしく、それなら背中の荷物の大きさも納得できる。

 あれから1日以上を使って、燃え残りの中から使えそうな物を集めていたのかもしれない。

 先の言葉を信じるのであれば、親類を頼り、内陸の農村に向かうのだろう。



 だがそれ以外は、実はノープランだ。

 親類のいる農村は嫁不足だと聞いている、誰か良い人を捕まえて結婚でもしようか。

 そんなことを考えて、先日送り出した年下の少年のことを思い返した。

 彼は、無事に目的の島に辿り着けただろうか?



「島への行き方は、父さんしか知らないからなぁ」



 ほぅ、と残念そうに息を吐く。

 実際、目的の島――ヘレム島への行き方は、村では彼女の父しか知らなかった。

 と言うより、彼女の父以外は気味悪がって近寄らなかったと言う方が正しいか。

 父自身は変人扱いされても気にすることなく、島へ行き続けていた。

 だがそれも、もはや過去の話だ。



 ――さて、そろそろ本当に行かなければ。

 もうお昼だ、これ以上は旅程に影響する。

 そう思い、最後にと思って海を見た。

 すると……。



「あれ……?」



 するとその時、水平線に何かを見つけた。

 何かとは船だ、誰かが船尾で櫂を手に船をいでいる。

 少女は額に掌を当てて目を細め、それが誰なのかを知ろうとする。



 そして気付いた、そこにいるのはあの少年だと。

 服が変わっているので最初はわからなかったが、見間違いようが無かった。

 気付いた後に、駆け出した。



「――――!」



 荷物をその場に置き、声を上げて手を振る。

 するとこちらに気付いたのだろう、船上の少年が顔を上げた。

 彼は少女の姿を認めると、少し驚いたように目を見開いた。

 ……そして、力の無い笑みを浮かべるのだった。



最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

非常にスローペースな出だしですが、その分、丁寧に伏線を張っていきたいと思っています。

まだまだ執筆の足が重いので、また慣れるまでに時間がかかるかも……?


でも頑張ります。

それでは、またどこかで。

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