3-9:「中の下」
ブランとスコーランは、爆発の中で一つの叫びを聞いた。
周囲のフィリア兵が怯えるように身を竦める中、彼らだけは身を乗り出し、爆煙と火事の熱気の向こう側を睨んでいた。
そして、熱を孕んだ風により煙が流れる先で。
「畜生!!」
女――アレクフィナは、獣のような咆哮を上げた。
しかし方向を見失ったかのようなその声は、憤懣やる方ないと言わんばかり。
「見失っちまった! 畜生、どこに行きやがったあの小娘ぇ――――っ!!」
一方、逃げた側。
火勢と煙に紛れてアレクフィナの手から逃れたリデルは、そのまま走り続けた。
背中にアレクフィナの怒声の気配を感じつつ、火に包まれないよう注意しながら、身を低くして路地へと消える。
街の奥へ奥へと進むその足取りに迷いは無く、そしてある地点において、彼女の姿が不意に消えた。
「遅ぇぞ! チビ女!」
「五月蝿いわね! 大体誰がチビよ、アンタの方が背、小さいじゃない!」
ばしゃんっ、と地下水路の水が跳ね、リデルは己がクルジュの地下に降りたことを知る。
頭の上には穴が開いていて、火の粉がパラパラと落ちてきていた。
そこで待っていたのだろう、ディスと互いを罵倒し合いながら駆け出す。
「首尾は!?」
「ほとんどの奴はビビってどうしようもねぇよ! まぁ、それでも逃げるためならってんで、協力してくれる奴もいるにはいるって感じか」
「今はそれで十分よ! 逃げる準備を反撃の準備と重ねれば良いんだから!」
「はぁ? マジで意味わからねぇ奴だなお前」
「五月蝿いわね!」
水路から上がり、比較的乾いた通路へと飛び込む。
右へ曲がり左へ曲がり別の通路に出た時、松明を左右に振って合図している2人の男を見つける。
初めてレジスタンスのアジトに行った時に出会った、あの妙に調子の良い2人組だった。
彼らの横には石階段があり、どうやら地上に繋がっているようだった。
「おーい、ディス!」
「よりにもよってお前らかよ、もっとマシな奴いなかったのかよ」
「何だその言いか……っと、うお!?」
脇目も振らずに走り抜けるリデルに道を譲る、悪態を吐いてリデルに続くディス。
激しい足音を立て、階段が天井に達すると同時にそこに手を当てた。
すると天井と思っていたものが動き、埃っぽい空気と共に僅かな光が見えた。
けほっ、と咳き込みながら木の板をどかせて頭を出す、するとどこかの倉庫らしい場所に出た。
さほど広くもない石造りの蔵のような場所には、大きな木箱や樽などが無造作に置かれていた。
『リデルさん、策とは?』
倉庫の中をやはり駆けながら、リデルの脳裏に声が響いた。
それは地上に出る直前、ソフィアに対する策を問う声だ。
その声に対して、彼女ははっきりと答えたのだ。
思い出して口角をくっと上げる、彼女の答えは――――。
◆ ◆ ◆
上・中・下三策。
策には上策があり、中策があり、そして下策がある。
リデルはそれを全て示した上で、そのいずれを採るかをフィリア人に選ばせた。
旧市街を放置し、あえて新市街を攻撃する上策。
旧市街で迎え撃ち、侵入してきた敵を撃退する中策。
旧市街を捨て、クルジュを離れる下策。
フィリア人達が選んだのは、中策だった。
「最初は正直、半信半疑でしたがね」
地上の路地を駆けながら、アーサーはぽつりと呟いた。
そしてその次の瞬間、正面の角から赤い胴衣を着た男達が現れた。
新市街側のフィリア兵達だ、彼らは驚いたような表情でアーサーを見た。
「て、て……!」
「敵だ、なんて言う暇はあげませんよ」
言葉を発する前に顔面に拳を叩き込む、魔術を伴わない一撃だが、殴られたフィリア兵は後ろの数人を巻き込んで倒れた。
左右の建物の壁を一度ずつ蹴ってその上を飛び越え、フィリア兵達の背後へと着地する。
再び駆け出し、後ろを確認する。
見回りか何かだったのだろう、数人しかいなかった。
奴隷の兵士、同じフィリア人として同情はするが、今は旧市街に侵入した敵だ。
もっともリデルは別の意図を持っているらしく、なるべく傷つけずに倒すようにと言われている。
「難しいことを簡単に言ってくれる人ですねぇ」
まぁ、それはもう慣れた。
一度リデルを推した以上、アーサーとしては信じるしかない。
事実、リデルの策――中策と言うことだが――は良く考えられたものだと思う。
発想は、篭城戦だ。
旧市街を城に見立て、地の利のない相手をこちらのフィールドに引き込む。
もっとも、そうした条件を吹き飛ばす要素が相手にはある。
そしてその要素の排除が出来るのは、旧市街でも2人だけだ。
「僕らの役目は、なるべく早く敵の魔術師を倒すこと」
それだけでは無い。
そう思い、アーサーは足裏の摩擦係数を操作し、建物の壁を垂直に駆け上がった。
駆け上がり、跳び、舞い、そして。
「僕達フィリア人が」
「……ッ、貴様! 何も」
大きな着地音を響かせた直後、すぐさまアーサーは動いた。
すなわち、路地深くをフィリア兵に囲まれて進んでいた――先程のフィリア兵も、彼の部隊だろう――ローブと軍服を混ぜたような衣装に包んだ男、すなわち魔術師の顎に拳を撃ち込んだ。
意識はすぐに飛んだだろうが、アーサーはすかさず次撃を放った。
摩擦係数を最大値に設定すると、両手のグローブの赤い石が輝く。
それは相手の男に取って見慣れたものだったはずだが、今、その輝きが彼に牙を向いたのだ。
男はぐるり、と身体が回るような感覚を覚えた。
抉り取るように胴を打たれ、白い泡を噴きながら倒れる。
フィリア兵が悲鳴を上げる中、自らに劣るはずの人種の手によって、彼の時間はその歩みを止めた。
「ソフィア人を倒せるのだと、そう教えないといけませんからね」
手指を払い、アーサーは僅かの驚きと共に目の前の結果を見ていた。
「あ、あぁ……」
「ま、魔術師様が」
周囲のフィリア兵に動揺が走る。
彼らにとって魔術師とは絶対であり、信仰であると同時に畏怖すべきものだった。
そんな彼らにとって、今の状況はどれ程の衝撃であろうか。
そして、それはアーサーにとっても同じだ。
不意を打ったとは言え、大公国の魔術師を打ち倒すことが出来たのだから。
都市内部での戦いの経験はそうないが、こういう場合、地形に詳しい側の奇襲がここまで有効だとは思わなかった。
手応え、アーサーは確実にそれを感じていた。
◆ ◆ ◆
それだけでは無い、リデルには確信に近い何かがあった。
「おい! 本当に道を塞ぐだけで良いのかよ!?」
「ええ! それで充分よ!」
長い螺旋階段をグルグルと駆け上がりながら、ディスの声に応じる。
反響する2つの声以外には何の音も無く、例外はガンガンと階段を蹴る足音だけだ。
地上60メートルの頂上へ向け顔を上げたまま、リデルの頭の中にクルジュ旧市街の地図を広げていた。
今、旧市街には分散した敵500が入り込んでいる。
この状況で、フィリア人達が中策を選ぶことはわかっていた。
ソフィアを過度に恐れる彼らが上策を選ぶはずも無く、さりとて5万人で旧市街を捨てると言うのも非現実的だ。
少し考えればわかること、だがあえてリデルはフィリア人達に選ばせた。
彼らが自分で選んだ、その事実が欲しかったからだ。
(少し、卑怯だったかしら?)
自分で何も決められない人間の前に選択肢を示し、選ばせる。
彼は自分で選んだのだからと納得するだろう、その選択肢がどれほど困難な物だとしても。
何故なら、それは彼が自分で選んだことなのだから。
そもそも、ソフィア側を過度に恐れる必要はない。
ここには5万人のフィリア人がいる、たかだか500人の敵など本来なら目ではない。
加えて言えば、500人の内ほとんどは消極的協力者のフィリア兵。
フィリア人全員の協力など必要ない、ほんの一部で良い、ただそれだけで。
(何もかもが、変わる!)
変えてみせる、自分が変える。
ソフィア人でありながらソフィアの敵となった彼女が、フィリア人を変えるのだ。
かつて<東の軍師>、父がそうしたように。
「とは言え、フィリア人の皆が戦う必要は無いわ。私もそこは期待して無い」
「はぁ? じゃあ、何だって路地の道を塞げ、なんて言ったんだよ」
「スンシ曰く、『善く戦う者は、人を致して人に致されず』」
「……何だって?」
「戦で勝つには、相手を上手くコントロールしなさいってことよ」
中策を選んだとは言え、フィリア人がソフィア人を恐れる心理を一朝一夕で払拭できるわけでは無い。
そこでリデルは思考した、戦う戦力は最小にする方法は無いか、と。
敵も、味方も。
「レジスタンスと街の皆は、家具でも荷物でも何でも良いから、敵の入り込んだ路地を塞いで」
地の利はこちらにある。
まずリデルはレジスタンスのメンバーに地図を用意させ、次いで敵の正確な位置を調べて貰った。
特にアレクフィナは目立つからすぐにわかった、誘導もしやすい、今頃は自分を探して駆けずり回っている頃だろう。
篭城戦、あるいは市街戦とでも言うべきか、いわば攻城戦における防御側のような立場だ。
地の利がある以上これは優位を生む、どこで敵を止め、どこで敵を攻撃するかを決めることが出来るからだ。
そして敵が建物や障害物によってこちら側を見失っている間に、敵の中核を討つ。
すなわち、魔術師を中心とするソフィア人戦力だ。
「……うん! 調子良いみたいじゃない!」
時計塔の頂上、先にアーサーと一緒に登ったその場所から、旧市街を一望する。
燃えていたり崩れていたりと一部では酷い有り様だが、一方で路地の出口に家財道具を積み上げる人々の姿も見ることが出来た。
今に来た道が塞がれたことに気付き、フィリア兵の間に動揺が広がるだろう。
「本当にこれで良いのかよ? 」
「良いのよ、向こう側のフィリア兵の戦意はそこまで高くないわ。実質的な戦力は司令要員のソフィア人十数人だけ。それだけなら、こっちの戦力でどうとでも出来るはずよ」
「何でそんなことがわかるんだよ」
「私は、新市街に行って来たから」
とは言え、懸念が無いわけでは無い。
フィリア人がその少数のソフィア人戦力を畏れ、抑圧されてきた現実があるからだ。
その時、空気の抜けるような鳴き声が聞こえた。
風に乗ったその音は、旧市街特有の臭いと共にやってきた。
「げ」
「ご苦労様」
ディスがあからさまに身を引く前で、その鳥はリデルの伸ばした腕先に止まった。
リデルの鳥だ、その足に紙片を結び付けられている。
その中身にさっと目を通した後、リデルは背を向けて時計塔の中へと戻った。
「って、おい! もう降りるのかよ!?」
「一箇所に留まるのは不味いわ。他の皆に指示を出すためにも、どんどん移動するわよ!」
もし敵の魔術師と戦える人材がアーサー1人だったなら、リデルもここまで思い切った策を使えたかどうかわからない。
幸いと言うべきかどうなのか、今のリデルには、アーサーに並ぶかそれ以上の戦力がある。
もっとも、酷くムラ気の強い、扱いにくい戦力だが。
◆ ◆ ◆
フィリア兵達は、怯えていた。
「ええい、何をしているか! この役立たず共め!」
金色の髪に軍服とローブの混成衣装、怒声を上げる彼は紛れも無く魔術師だ。
見る者が見れば、新市街で脱獄兵を追いかけ失敗し、鉄馬車から投げ出された男だと気付くだろう。
名誉回復を狙って旧市街への出陣に加わった彼だが、どうやら思いのほか上手くは行っていない様子だった。
「も、申し訳ありません。た、ただその、どこへ進んでもこのような状態で……」
彼の目の前にはフィリア兵数人がおり、いずれもが彼の指揮下――所有物と同義――にある者達だ。
古い石造りの建物に囲まれた路地、本来なら通りと通りを繋ぐ通路であるはずのそこは、今は積み置かれた家財道具や荷物で出口を塞がれていた。
数メートルはうず高く積まれたそれは、どかすにしてもそれなりの時間がかかることが見て取れた。
「何故もっと早くに気付かなかった!」
「も、申し訳ありません。しかし、放った斥候が誰1人戻ってこず……」
「そんなことは聞いておらん! 貴様らは私の命令を完遂することだけを考えていれば良いのだ!」
「し、しか」
報告を続けていたフィリア兵の声が不意に途切れ、代わりに何かが爆発するような音が響いた。
周囲のフィリア兵が静かな悲鳴を上げた、どしゃりと音を立てて倒れ、焼け焦げた肉の臭いを漂わせる同胞の姿に。
そんなフィリア兵達の姿を、彼は鼻を鳴らして見やる。
「ふん。良いか、貴様ら劣等人種は、我らソフィアの言うことだけを聞いておれば良いのだ!」
プスプスと焼け焦げたフィリア兵を示し、そう言う。
片手の掌から小さく煙を上げているあたり、フィリア兵を焼いたのが自身だと暗に示している。
火に関係する魔術は魔術師の間では比較的ポピュラーだが、彼もその例に漏れないらしい。
彼がこうして配下のフィリア兵を粛清するのは、何も今回が初めてでは無い。
と言うよりこれはソフィア人のスタンダードであり、その意味でも彼はポピュラーなタイプの魔術師だった。
ソフィア人を守ることに誇りを見出し、フィリア人を虐げることに罪悪を感じない、そう言う意味で。
「さぁ、わかったらさっさと道を開けろ! ぐずぐずするんじゃあ……!」
「愚かだな」
「……誰だ! 今喋ったのは!?」
不意に聞こえた声にフィリア兵達を睨むが、皆一様に一歩下がり、首を横に振った。
自分に嘘を吐くかと鼻白んだ、次の瞬間。
「……ぐおぉっ!?」
彼ばかり出なく、フィリア兵達も悲鳴を上げた。
目の前でうず高く積まれていたバリケードが外側から爆裂し、弾け、家財道具が頭から落ちてきたのだ。
突然のことに誰も対応できず、フィリア兵が荷物の下敷きにされていく。
「ええい、小ざかしいわ!」
唯一、魔術師たる彼だけは動じなかった。
身に着けた<アリウスの石>が薄く赤く輝き、自分の上に落ちてきた家財道具を灰にした。
結果として、彼だけがバリケードの爆裂に巻き込まれずに済んだ。
しかし、その代わり。
「な……!?」
彼は目を見開いた、何故なら彼の目前、すなわち崩落したバリケードの向こう側に誰かがいたからだ。
そして彼は相手の顔を知っていて、ために驚愕の表情を浮かべたのだ。
さらに次の瞬間、彼は自分の視界が高速で真横にズレるのを確認した後、視界が闇に染まっていくことに気付いた。
「ま、魔術師様!」
「な、何者だ!?」
「――――静まれ」
一瞬で身体ごと吹き飛ばされて路地の壁に激突し、赤い線を引きながら崩れ落ちた魔術師。
そんな彼の姿に、荷物の下から這い出て来たフィリア兵を悲鳴を上げた。
しかし彼らの動揺も、続けて響いた声にすぐに収まる。
凜とした声に圧されたと言うより、バリケードの向こうから現れた男の姿に驚きを覚えたのだろう。
彼らと同じ茶色の髪、しかし菫の瞳の男。
目を凝らさないとわからないが、その手には透明な大検を持っており、僅かな朱が見えるそれが彼らの主を打撃したものだとわかる。
バリケードの向こう側から現れた彼、クロワは、注意深く自分を見守るフィリア兵達に言った。
「行け、フィリアの民よ」
ビクリと身を震わせるフィリア兵に、クロワはそう言った。
彼らはクロワの持つ大剣と倒れた魔術師を交互に見た後、最初の1人を皮切りに、泡を食ったように続々と逃げ出した。
そして、歓声が上がった。
「すげぇ……本当に倒せた!」
「ソフィアの魔術師を倒した!」
「兵士達が逃げていくぞ!」
クロワの後ろ、懸命にバリケードを築いていた旧市街の市民達がいる。
彼らは未だ怯えつつも、逃げてく新市街の兵士達の姿に歓声を上げていた。
振り向いてそれを受けたクロワは、喜びを爆発させるフィリア人達に笑みを見せる。
正義は我らに在り。
侵略する者とされる者、これほどわかりやすい構図も無いだろう。
クロワの力もまた魔術であり、もちろん彼らはそれにも怯えを見せている。
だがそれ以上に、あまりにも巨大な手で自分達を抑圧していたソフィア人という巨人が倒れる様は、彼らを一種の興奮状態に追いやるのには充分な効能を持っていた。
(……む?)
ふと、クロワは目を細めてフィリア人達の波の中を見た。
今、誰かの姿を見た気がする。
茶色の髪に長身の、見覚えのある女――――……。
◆ ◆ ◆
何だ、これは。
旧市街の道々を歩き回りながら、マリアは信じられないような心地でそれらを見ていた。
歩む先には、大きく分けて3つの集団がいる。
「そ、ソフィアが来る……!」
「に、逃げろ。逃げないと、殺される!」
「ひいいいいいぃぃぃっ!」
「お、落ち着けお前ら! 落ち着け、ちゃんと街の外に出る地下道は確保してるから!」
1つはマリアの想像とそう離れてはいない、顔を青くして逃げる人々の集団だ。
おそらくフィリア人の半分はこのような反応だろう、それをレジスタンスの面々が必死に押し留めているのが何箇所かで確認できた。
中には築いたバリケードを越えようとする集団もあり、そこでは小競り合いに発展している場合もあった。
「落ち着いて、こっちの穴から外に出られる!」
「荷物なんて放っておいて、とにかく外へ!」
「お母さん達は、子供の手を離さないで!」
そしてもう1つは、前者より少しマシな集団だ。
要するに逃げると言う点では一緒だが、遥かに秩序だっている者達だ。
こちらはレジスタンスの指示に従い、大人しく並んで地下道へと進んでいる。
まぁ、抵抗したり反抗したりする力の無い、女性や老人、病人や子供がこれにあたる。
割合としては、全体の3割くらいだろうか。
「いよぉ――し! 積み上げろぉ――――!」
「廃材でも何でも良い! 道を塞ぐだけで……良いんだよな?」
「な、何でそこで自信なくすんだよ」
「いやだって、なぁ?」
「ソフィアの奴らが来たら地下道通って逃げりゃあ良いんだ!」
そして最後の残り2割が、マリアの想像を越えていた。
バリケードの設営。
荷物や廃材、家財道具等を路地の出入り口に積み上げ、道を塞いでいる者達。
もちろん、彼らはそれ以上のことはしない。
実際、レジスタンスを通じて彼らに策を授けたリデルは彼らにそれ以上を求めていないし、彼らもまた「道を塞いでほしい」と言うその依頼に従っただけだ。
同じフィリア人の頼み、そしてこれまで彼らのために活動していたレジスタンスと連絡会への恩義。
それが、彼らの原動力なのだろう。
これはある意味、マリアが過去に積み重ねた行為の結果であるとも言えるのだが……。
「何だ、これは……?」
それは少し、皮肉が過ぎるだろうか。
誰よりもソフィアを恐れ、誰よりも戦うことに恐怖していた彼女だから。
だから彼女は1人、ふらつくような足取りで、旧市街の道々を歩き続ける。
不思議と、誰もそんな彼女に気付かなかったと言う。
それは、皆が他のことに気を取られる余裕すら無かったからなのか。
それとも、憔悴しきった彼女の姿に、彼らの知る「マリア」を重ねることが出来なかったのだろうか。
「お――い、ディス――――!」
その時、どこかから声が聞こえた。
◆ ◆ ◆
「ディス――――ッ!」
また1人、街中の地上地下を走り抜けるディスの傍に誰かが駆け寄ってきた。
それはレジスタンス・グループのメンバーであって、彼はディスに近付くと言った。
「ヴェルラフの通りにいた連中が東の路地に入った! 数は9! やたら強ぇ女が1人いるってよ!」
「わかった! あーっと……おい、どーすんだ!?」
「アレクフィナ達でしょ!? 路地の出入り口を塞いだら全員退避! 絶対に追いかけたり、気付かれたりするんじゃないわよ!」
「あー……だそうだ!」
「わ、わかったぁ――!」
リデルの指示は全てディスを介して行われる、これは一種の配慮だ。
ソフィア人のリデルが直接指示を出すより、同じフィリア人のディスを経由した方が良いだろう。
まぁ見てわかる通り、どこまで意味があるのかは謎だが。
だが今、リデルもディスもそれを細かく気にしている暇は無い。
今、彼女らは旧市街中を走り回り、人々の様子やバリケードによる路地封鎖の様子を見て回っているからだ。
そんな彼女らの下には、旧市街各地からレジスタンス・メンバーの連絡が逐一入る。
「ディス――ッ! 西通りの地下道が逃げる奴で溢れかえってる! こっちの言うことなんて聞きゃあしねぇ!」
「だぁっ、そりゃあそうだろうけどなぁ! どうする!?」
「路地のバリケードにだけは近づけないで! それ以外ならある程度は仕方ないわ、興奮状態を抑えつつ、好きにさせなさい! 無理して止めようとして暴動だけは駄目よ!」
「……だそうだ!」
「お、おう!」
そして今もまた1人、路地の向こうへと消える。
それを見送った後、ディスは先を走るリデルへと視線を向ける。
「おい! やっぱ暴れる奴が出たじゃねぇか!」
「それはそうでしょうね、でも、そこまで構ってはいられないわ」
息を切らせて走りながら、リデルは言った。
「でも大丈夫よ、バリケードさえ崩さなければ。きっと皆逃げられる」
「何でそんなことがわかるんだよ、旧市街だけで5万人だぜ?」
「5万人の行動なんて私にも読めないわよ。でも、500人なら別よ」
500人、そして旧市街の地図とフィリア人1割の協力。
協力は戦闘である必要はなく、「逃亡のための」バリケード設置で充分。
「狭い路地の出入り口を一部でも塞げば、相手の行動は制限されるわ。逆に言えば、バリケードの先は安全地帯。そこに位置する地下道からなら、比較的安全に街の外に出られるわ」
「……お前」
「言ったでしょ、中策を採ったとは言ってもフィリア人の皆を直接戦わせるわけじゃない。後は計算よ、いかに敵の中核を孤立させ、効率的にこっちの対抗戦力で駆逐するか……」
厳密には、中の下策とでも言おうか。
口で言うのは、簡単だろう。
いや、すでに想定外の動きは出ている、一部の人々の無秩序な逃走がそれだ。
それでも、リデルの言う「計算」がどれ程難しいかはディスにもわかるつもりだ。
旧市街の地形を確認し、バリケードを築く場所を決める。
使用する地下道と空けておく地下道を決め、レジスタンスのネットワークを使って相手の位置を確認し、使用・不使用と決行・待機の順番をスイッチさせる。
これほどの行動、地図を見て2時間で考えつけるとは思えない。
「もちろん、逃げるだけじゃダメよ。皆が選んだのは中策、相手を撃退できなきゃ成功じゃない。逃げた皆に荷物を持たせないのも、すぐに帰ってきてもらうためなんだから」
(こいつ……)
先を行く背中に、ディスは幻視した。
この2日、アーサーやあのクロワと言う奴と一緒にちょくちょく姿が見えなくなっていた。
その間、まさか歩いていたのだろうか。
旧市街中を歩いて地形を確認し、バリケードの素となる荷物の位置と量を確かめ、地下道がどこにどう通じているのかを足と目で見る。
たった2日で、そんなことが可能だろうか?
数時間では無理だろう、なら十数時間か、それで2日は潰れてしまう。
そういえばと、リデルの顔を思い出す。
今朝の彼女の顔、目元がやや黒く……。
「……って、おい!」
そのリデルが急に方向転換し、表通りの方へと抜けた。
ディスが声を上げたのは、それが予定外の行動だったからだ。
「おい! 合流場所はこの先じゃなかったのかよ!」
「フィリア兵が見えたわ! まだ表通りにいる奴! あのまま行くとバリケード作ってる人達の後ろに出るかもしれない!」
「はぁ!? いや、おま、ちょっ」
ぎゅっ、と靴底を削るように方向転換し、ディスは20メートル程の道を駆けた。
表通りに出て左を見ればリデルの背中が見えた、全力疾走中である。
次いで右を見ると、そこにはフィリア兵が数人いた。
こちらも全力疾走中である、ディスは左を向いて駆け出した。
「てめええええぇぇぇふざけんなよおおおおおおぉぉっ!?」
「大丈夫よ! ここなら……!」
背後、不意に悲鳴が上がった。
走りながら後ろを振り向けば、地面が砕かれているのが見えた。
不可視の大剣で地面を砕き、こちらとあちらを分断したのは、クロワだ。
彼は一瞬だけこちらを見ると、薄い笑みを向けて来た。
リデルはこれを読んでいたのか。
確かに表通りは表と言うだけあって見通しが良く、裏路地の要所から見つけやすくはある。
そして時間と、近くでの合流予定。
計算と言うには運の要素が強い、だが――――それを「信頼」と呼ぶのかもしれない。
「って、おい!」
再び路地裏に走りこむと、彼は一旦リデルを追い抜いてしまった。
と言うのも、彼女が路地の入り口で止まっていたからだ。
走り続けていたので止まるのも辛いが、それでも置いて行くわけにもいかず、立ち止まって振り返る。
「ぜぇ、ぜぇ……おいチビ、どうしたよ。アーサーとの合流場所はこの先だろ」
「はぁ、はぁ、はぁ」
「おいって」
「う、五月蝿い、わね。わかってる、わよ……」
壁と膝に手をつくリデルの額には汗がある、良く見れば膝が少し震えているように見えた。
無理も無い、朝から……いや、数日前から動き通しなのだ。
さらにディスは知らないことだが、彼女はこれほど長く島を離れて活動したことが無い。
そうした様々な疲労が今来たとしても、何も不思議は無い。
(でも、そんな、こと、言って、られない)
策はこれからが本番だ、ここで止まるわけにはいかない。
フィリア人達は自分の指示を待っている、アーサーも合流地点で待っている。
早く、行かなければならない。
ふと、目の前に差し出された手に気付く。
それはディスの手だった、少し驚いた顔で見上げると、しかめっ面でこちらを見ていた。
ディス、フィリア人の少年。
動物を気持ち悪いと言い、フィリア人らしく自分を嫌っていたはずだが、どういう心境の変化か。
まぁ、それを言ったら、今自分とこうして行動を共にしていることもだが。
「……袖から蛇とか出すなよ」
そんなことを言ってくる。
思わず笑ってしまいそうになりながらも、リデルはその手を取ろうと手を伸ばした。
今度は、蛇を出さなかった。
その代わり、しっかりと手を掴んだ。
掴まれたその掌はとても熱く、まるで燃えているようだった。
だがその熱はディスの手からでは無く、別の手から伝わるものだった。
リデルの手首を掴んだその手には、赤い石が嵌められた指輪が煌いていた。
「え」
驚いて顔を上げる、するとそこには。
「楽しそうじゃないか、アタシも混ぜてくれよ」
魔術師が。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
迎撃させると言いつつも逃がす、なかなか難しい局面だとは思います。
思うのですが、局面が難しければ難しい程、私の頭が大変なことになると言う。
頑張りますけども。
それでは、また次回。




