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3-6:「牢の住人」

 桟橋に立ち、新市街を見ていると――――「あの日」を思い出す。

 地獄に放り込まれて、そして地獄から掬い上げられた日のことを思い出す。

 ソフィア人の街を遠目に見つめていると、どうしてもそうなってしまう。



 朝日昇る最中さなか、昨日アーサーが立っていた場所にマリアは立っていた。

 日の光の中に何かを見出そうとしているかのように、目を細める。

 その表情からは、何を考えているのかを窺い知ることは出来かった。



「お前までどう言うつもりなんだよ、マリア」

「……さぁ、ねぇ」

「さぁって、お前なぁ!」



 ディスは何か不満なようだが、実際、マリアにもわからないのだ。

 自分がどういうつもりなのかなどと、そんな難しいことを聞かれても困る。

 ぎゅっ、と肘のあたりを掴む手。

 それが微かに震えていることを自覚しながらも、ディスに言葉をかけることはしない。



 そもそも、何を答えれば良いと言うのか。

 自分ですら持て余しているものを、どうやって相手に伝えれば良いと言うのか。

 アーサーになら、もしかしたらわかるだろうか。

 あるいは、あのソフィア人の少女も……?



「……ソフィア人に、勝てるわけが無いんだ」

「じゃあ、何でアーサーを行かせたんだよ」

「それは」

「何だよ」

「…………」



 何故だろう。

 それも、わからない。

 そもそもマリアには、アーサーのように「戦おう」と言う感情は無い。

 レジスタンスを作ったのも、あくまで被害を減らそうとしてのことで、けして現状を変えようなどという前向きな意識からではなかった。



 だから、あのソフィア人の少女のようには考えられない。

 あれは勝者の考え方だ、少なくともフィリア人の価値観とは違う。

 東部叛乱も、マリアからすれば勝利などでは無い。

 フィリア人はただ敗北し続けるのだと、彼女は思っている。

 思い込んでいる。



「……放っておくのも、後味が悪かったから、ね」



 中身の無い、通り一辺倒の回答だ。

 嘘では無いが、真実でも無い。

 虚無。

 無と言う名の虚ろが、ただそこにあるだけだ。



「聖女フィリアも、わたし達を助けてくれるわけじゃない」



 古の聖女への崇拝の年は、「あの日」にとうに捨て去った。

 だから彼女は、「あの日」以来一度も祈ったことなど無い。

 ただの、一度もだ。



 ただただ敗北する運命ならば、天上の聖女に祈っても意味など無い。

 ただただ、敗北するだけなのだから。

 そう。

 そうでなければ、そうでないと――――。



(なら、どうしてアーサーを行かせたんだろう?)



 聞かれるばかりでは無く、自分でも問うてみる。

 思いつく理由は、実の所一つしか無い。

 しかしもしそうだとすれば、失笑ものだった。

 笑えもしなかったけれども。



 ――――生きているわけが無い。



 だから、笑えもしないのだ。

 「あの日」の彼が、今もまだ生きているなどと信じてもいないくせに。

 けれど、もしかしたら、感化でもされたのかもしれない。

 あのソフィア人の少女の姿に、「あの日」の彼を重ねてしまったのだろうか?

 「あの日」、自分を地獄から逃がしてくれた彼に。



(……馬鹿らしいね)



 ふと浮かんだ考えを、苦笑の心地と共に捨てる。

 そんなはずが無い。

 そんなことに期待を抱くような気持ちは、とうに無い。

 自分自身に、そう言い聞かせた。

 希望なんかに縋る気持ちは、もうどこにも無いのだからと――――。



  ◆  ◆  ◆



 面倒なことになったと、アレクフィナはそう思った。

 彼女が今どこにいるかと言えば、総督公邸に備えられた牢である。

 貴人用と叛逆者用、2種類ある内の悪い方だ。

 つまり、犯罪者などを収監するための場所だ。



「何と言うか、イベントに事欠かない奴だねぇ、お前も」



 ソフィア人の収監は貴人用、つまり牢とは名ばかりの客間に軟禁されるのが常だ。

 だが今、アレクフィナの前にいる少女はそれを拒否してここにいる。

 金糸の髪に菫の瞳、おそらくは純血のソフィア人。

 名前は、リデル。



 リデルは今、薄暗く狭い空間で膝を抱えていた。

 膝に顔を埋めるようにしながらじっとしている、アレクフィナの声にも反応は返さない。

 らしくない、と思うのは、流石に言いすぎだろうか。



(とは、言ってもねぇ……)



 本当に面倒だ、この娘に関わってからは常にそうなっている気がするが。

 心配? まさか、そんなものはしていない。

 何しろ沼に突き落とされたのだ、あれは忘れたくとも忘れたくない。



「……なんで……?」

「あん?」



 さて、どうするかとぼんやり考えていると、不意にリデルが声を発した。

 朝方にここに来て初めてのことである、片目を閉じるようにしてリデルを見やる。

 彼女は膝から僅かに顔を上げると、じっ、とアレクフィナのことを見た。



 その瞳は、どうしたことだろう。

 力が無い。

 怯えが見える。

 理解できない何かを見る目で、リデルはアレクフィナを見ていた。



「……何で、あんなのを王様にできるのよ……?」

「……ああ」



 アレクフィナはそれで全てを理解した。

 それで理解できてしまった、リデルの感じている嫌悪をわかってしまった。



「あれを、見たのかい」



 総督の趣味、黒い噂。

 と言うよりアレクフィナは実際に見ているから、リデルの気持ちを少しは理解できるつもりだった。

 確かに総督の趣味は褒められたものでは無い、醜悪なものだろう。

 しかし、だ。



「まぁ、確かに褒められた趣味じゃないかもしれないけどねぇ」



 しかしそれでも、アレクフィナとリデルが感じているものは違う。



「フィリア人奴隷をどう扱おうと、それは持ち主の自由だからねぇ」



 それはアレクフィナ特有の考え方では無く、ソフィア人の世界の常識だった。

 ソフィア人にとって、フィリア人は対等の相手では無い。

 奴隷であり、物だった。

 物をどんなに扱ったとして、眉を顰めることはあっても咎めはしないのだ。



「……意味わかんない」



 吐き捨てるような声でそう言うリデルに、アレクフィナは深々と溜息を吐いた。

 ソフィア人の自覚が足りない、そう言いたげに。



  ◆  ◆  ◆



 あれを認めることがソフィア人の自覚を得ると言うことならば、そんな日は永遠に来ない。

 リデルは、そう思っている。

 いやむしろ、来てたまるかとすら思う。



「……何て、醜悪。何て下劣、何が文明的なソフィア人よ……」



 ぶつぶつと呟く声は、岩の天井から滴る水滴の音に混じって消える。

 2メートル四方の空間で、床・壁・天井は全て剥き出しの岩になっていた。

 岩の隙間から染み出した水が、ピチャン、ピチャン、と滴り落ちている。



 頭に、肩に当たる水は冷たく、しとどに少女の身を濡らしている。

 下手を打てば風邪でも引いてしまいそうだが、そんな柔な身体はしていない。

 大体、身体は冷えても心は燃えたぎっている。

 その感情の大部分は、嫌悪と言う言葉で説明できる。



(……苛々する)



 額に張り付いた前髪を鬱陶しげに払いながら、口の中で舌を鳴らす。

 無論、身体が濡れていることへの苛立ちでは無い。

 島の外の世界、それへの理不尽への苛立ちだ。

 リデルは人種について先入観が無い、無いが故にどうしても苛立つ。



「……ソフィア人って、何?」



 新市街を見た、<アリウスの石>の力で発展した街並みを見た。

 人々は魔術と便利な道具、綺麗な家と豊かな食べ物によって幸せそうに生活していた。

 島で生きていた自分から見ると、少々派手すぎてついていけない面もある。

 ただ無人の馬車などは、軍略の面から見ても有効そうだとは思った。



 しかし一方で、ソフィア人はフィリア人を蔑視する。

 根拠も無く、ただそうであると言う理由だけでフィリア人を踏み躙る。

 そして誰もがそれを当然と思い、疑問に感じることも無い。

 数百年の教育がそうさせるのだろうか、そうだとすれば救いようが無い。



「……フィリア人って、何?」



 旧市街を見た、農村を、大地で生きる無数の人々を見た。

 人々は素朴な生活を営み、派手さは無いが自然と共生していた。

 島で生きていた自分から見ると、親近感を持てる生き方だった。



 しかし一方で、フィリア人はソフィア人を恐怖する。

 己の扱いの不当さに慣れ、ただそうであると言うだけでソフィア人に怯える。

 そしてそれを誰もが当然と思い込み、諦め、飢えの中、僅かな食糧を巡って殺し合う。

 数百年の歴史がそうさせるのだろうか、そうだとすれば救いようが無い。



「くだらないわ……!」



 そう、本当にくだらない。

 人種?

 たった一言で終わるその言葉で、いったいどれほどの無為が生まれたことか。



 くだらない。

 それを律儀に守るフィリア人も、疑問にも思わないソフィア人も。

 何と愚かで、そして。

 ――――恐ろしいことか。



「……アーサー」



 何故だろう。



「アーサー」



 無性に、アーサーに会いたくなった。

 理由はわからない、ただ会い、そして言葉を交わしたかった。

 理由は、わからない。



 ただふと思うのは、出会ってから1日以上別れたのは初めてのことだと言うこと。

 これまでは何かと話していたから、1人になること自体が本当に久しぶりで。

 だから、なのかもしれない。

 誰に聞かれるでも無い、リデルはもう一度だけその名前を呟いてみることにした。



「アーサー……!」

「――――会いたい人が、いるのか?」



  ◆  ◆  ◆



 何を不思議に思うことがあるのだろうと、アレクフィナは思う。

 思案の対象はもちろん、あの小生意気な田舎者、リデルのことだ。

 なんだかんだと考えてしまうあたり、意外と面倒見は良いのかもしれない。



「なぁ、お前達」

「うっス、何ですかいアレクフィナの姐御!」

「ふひひ、何でも言いつけてほしいんだぞ~」



 牢から通路へと出た時――牢は地下にあるので、地上に出たことになる――己の両側に寄って来た部下に対し、アレクフィナは問いかけた。



「お前達にとって、フィリア人って何だ?」

「後進地域の奴隷ですぜ、アレクフィナの姐御」

「ふひひ、考えたことも無いんだぞ~」

「そうだよねぇ、そのどっちかが本来は正しいはずなんだけどねぇ」



 アレクフィナは2人の回答に頷きを返した、その頷きには満足が多分に入っている。

 何故ならブランとスコーランの答えは、「ソフィア人はフィリア人をどう思っているのか?」という問いに対して、ほぼソフィア人全体の意見を反映していたからだ。

 蔑視か、さもなくば無関心。



「普通、あんな風にフィリア人にこだわったりはしないんだけどねぇ」



 ソフィア人のフィリア人への感情は、主にこれで説明が出来る。

 蔑視、数百年前からフィリア人は「格下」の存在であったし、古くから奴隷としてソフィア人居住区にも存在していた。

 ソフィアの法に、「フィリア」の文字が描かれることは無い。

 彼らは奴隷であり、ソフィア人の持ち物でしか無いからだ。



 無関心、いちいち気にするようなことも無いと言う考え方だ。

 フィリア人の扱いは今に始まった話では無く、今更どうして気にしなければならないのか?

 彼らが生きようが死のうが、どうでも良いでは無いか。

 だってフィリア人など、掃いて捨てるほどいるだろうに。



「田舎者ってのは、皆ああなのかねぇ……? そんなことも無いはずなんだけど」



 あー、と呻きながら、がしがしと頭を掻く。

 まったくもって面倒である、総督も総督でソフィア人の少女を傷つけたことを気にしていた様子だった。

 何しろ「情操教育上よろしくなかっただろうか」である、あの小生意気な娘がそんな細い神経を持ち合わせているものか。



「というか姐御、総督に知らせなくて良いんですかい?」

「ああ? いや良くは無いだろうけどね、あの小娘が自分で言ったんじゃないか。施しを受けるくらいならこっちが良いってさぁ、注意されんのはアタシなのに。まぁ、他に誰も使ってないのが不幸中の幸いと言うか何と言うか……」

「ふひひ、いるぞ~」

「…………は?」



 まさかのブランからの指摘に、アレクフィナは間の抜けた顔を浮かべた。



「ブラン達が来る前から1人、ずっとここに入れられているらしいぞ~」

「……そ、そうかい」



 厳密には、そうだったのかい、だ。

 他人に確認しなかったアレクフィナと、総督公邸付きの人間にちゃんと確認したブラン。

 何とも言えない沈黙が、3人の間に落ちた。



  ◆  ◆  ◆



 実の所、アーサーは単独行動をすることの方が多い。

 12年前のフィリアリーン王制崩壊の際に王国軍が一時解体されてから、フィリア人が組織だってソフィア人優位体制に反旗を翻したことは無い。

 マリアの率いるレジスタンスも、ボランティア以上のことはしていない。



 よって元王子と言う肩書きを持ちながら、アーサーはフィリア人の集団を率いた経験が無い。

 それもフィリア人の中でただ1人魔術を扱えるとなると、フィリア人の傍で行動することが好ましかろうはずが無い。

 自然、単独行動が多くなる。



「ふぐっ……!?」



 毎日航行しているフィリア人を乗せた奴隷船、その船底倉庫の一つ。

 奴隷では無く船内で使用する物資を保管しているその場所で、船体の駆動音以外の音が鈍く響いた。

 しばらく後、薄い赤の照明の下に姿を見せたのは、ソフィア人に仕えるフィリア兵の衣装を纏った少年だった。



「まぁ、多少サイズが合わないのは仕方ないですね」



 襟元が少々キツいのだろうか、黴臭かびくさささえ感じる気がする衣装に顔をしかめた。

 とは言え、今さら多少黴臭い程度でどうこうはしない。

 元より、フィリア人の生活は清潔の反対に位置しているのだから。



 アーサーがちらりと後ろを見ると、そこには素っ裸のフィリア兵が縛られ、転がされていた。

 しかも、気絶しているようだ。

 もちろん、アーサーがやったことだ。

 少し、悪いと思わないでも無い。



「でもこれで、向こう岸(しんしがい)までは何とか渡れるでしょう……まぁ、渡った後の方がよほど大変なわけですが」



 愚痴るように呟いて、倉庫の外を窺うように通路へと顔を出す。

 薄い赤の照明に照らされた通路は、彼の他には――倉庫で寝ているフィリア兵を除けばだが――誰もいない様子だった。

 頷き一つ、あえて堂々と通路を歩く。



 ソフィア人の船員はフィリア兵の顔など覚えてもいない、そもそも乗船リストに載っているかどうか。

 戸籍の無いフィリア人、兵籍ももちろん無い。

 物にそんなものが必要か? 彼らの答えはもちろん「ノー」だ。

 まぁ、そのおかげで易々と侵入できているわけだが、正直に喜ぶ気分にはなれない。



「さて、リデルさんはどうしていますかね……案外、上手いこと溶け込んでいたりするんでしょうか?」



 そんなことを思いつつ、アーサーは薄い赤の照明の下へと身を翻した。



  ◆  ◆  ◆



 スルスル、スルスル――――。

 岩壁の隙間から這い出て来た蛇の口には、赤い宝石の髪飾りが咥えられていた。

 捕縛される寸前、持たせて逃がしておいたのである。



「不思議な動物だ」



 聞こえた声に、リデルは静かにそちらを見た。

 薄暗い空間、アレクフィナが何かのつもりで置いていったランプの光源をそちらへと向ける。

 彼は、真向かいの牢にいた。

 その髪の色を茶色と認識した時、リデルは目を見開いた。



「あ、アンタ、誰?」



 寄って来た蛇を腕に這わせて、じりりと身を心持ち下げながらそう言う。

 島を出て以降大分慣れたと思ったが、前準備無しの不意打ちにはやはり弱いようだった。

 感情が昂ぶりでもしない限り、まず最初に弱気が入る。

 これもまた、アーサーがいないからか……。



「……アンタ、フィリア人?」

「さぁ、どうかな。己の人種など、とうの昔に忘れてしまった」

「そう言う言い方、あまり好きじゃないわ」

「それはすまない」



 苦笑の混じる声にムッとするも、鉄格子を挟んでいては何も出来ない。

 それに実は冷えた身体が辛いので、水滴が落ちてくる場所から身をズラす。

 それから、改めて相手を見る。



 年の頃は、自分よりいくつか年上のように見える。

 どこか透明感のある雰囲気、それが人間性のためか長く牢にいるからなのかはわからない。

 まぁ、彼がいつからここにいるのかなどわかるはずも無いが。

 身に纏っているのはボロ布のような衣服だが、不思議と衰弱している様子は見えない。

 細身だが確かに筋肉があり、瞳は閉ざされ、青白い顔からは感情を読むことが出来ない。



「アンタ、どうしてここにいるの?」

「そう言うキミもここにいる」

「……そう言う話し方、あまり好きじゃないわ」

「そうか、すまない」



 同じような会話を繰り返すのは、無駄なことに思えてもっと嫌いだ。



「それで、アンタは何でここにいるのよ」



 リデルの再度の問いに、彼はゆっくりと瞳を開いた。

 そこに現れた色に、リデルもまた目を見開く。

 何故なら、そこに初めて見る組み合わせがあったからだ。



「私は、総督との約束でここにいる」



 その瞳の色は、ソフィア人と同じ菫色をしていた。




  ◆  ◆  ◆



 彼の名は、クロワと言った。

 クロワはもう何年もここにいるのだと言う、釈放も処刑もされない身の上なのだと。



「釈放もされないけど、処刑もされない……?」



 ソフィア人の法律に詳しいわけでは無いが、その状況の意味が良くわからなかった。

 ただ牢にいる以上、何かしかの罪を犯したことは間違いない。

 問題は、それがどういう類の罪なのかと言うことだ。



「そう、故に私はここにいる。私がここにいる限り、総督は私との約束を違えぬと契約したからだ」

「約束、契約……それって、何なのよ」

「それより、まずはキミの名前を教えてくれないか」



 人と話すのは久しぶりなんだ、そう話す口ぶりに裏は無さそうに聞こえる。

 こちらを真っ直ぐに見つめる視線は、邪を感じさせることは無い。

 対人経験の少ないリデルの目から見て、妖しいと言う風な所が無いように感じられた。

 牢屋の中なのに。

 罪人なのに。



(まぁ、私も別に悪いことをしてここに入ってるわけじゃないから、アレかもしれないけれど)



 牢屋に入っている人間が即、「悪」では無い。

 それもまた、島の外に出て学んだことの一つなのかもしれなかった。



「……リデルよ」

「リデルと言うのか、美しい名だ」

「う、美しい……?」



 そう言うことを言われたのは初めてなので、照れの前に疑問を覚えた。

 本人が気にした風も無い所を見ると、軽薄と言うよりは自然にそう言ったのだろう。

 それはそれで、聊か問題のような気もするが。



「それで、キミはどう言った理由でここに? ここはよほどの重罪を犯し、かつ処刑できない理由のある者しか入れられないはずだが」

「私は別に罪なんか犯しちゃいないわよ!」

「そうだったのか、それはすまない。では、どうしてここに?」



 最初に聞いていたのは自分なのに、何故か逆に聞かれる立場になっている。

 それにやや不満を覚えるが、クロワの瞳を見ていると不思議とそれが和らぐ。

 身に纏う透明感、その雰囲気、どこかで感じたこともある気がするのだが、どこだっただろうか。

 いぶかしみを覚える、が、正体はわからなかった。



「先程アーサーと言っていたが」

「べ、別に会いたいわけじゃないわよ!」

「そうなのか? いや、もしキミが罪を犯していないと言うのなら、その者の下へ送り届けようと思ったのだが」

「だ、だから別に……って、え、アンタ、今何て?」

「ん? その者の下へ送り届けようと言ったんだが」

「出来るの!?」

「うむ」



 リデルの言葉に、クロワが頷く。

 彼女はまだアーサーが誰で、どこにいて、何をしているのかを僅かも話していない。

 にも関わらずクロワは自然体で、それをするのが当たり前のような顔をしていた。



「えっと……アンタ、フィリア人?」

「ん、またその質問か」



 きょとん、とした顔をされたので、むしろ恥ずかしさを覚えた。

 これまでは自分以外の人間が気にしていたことなのに、この場では自分の方が気にしているように思われている。

 何だか、納得がいかなかった。



「まぁ、良い。それで、そのアーサーと言う者は今、どこに? クルジュにいるのだろうか」

「……まぁ、そうだけど」



 旧市街です、と、素直に口に出せない自分がもどかしかった。



「何、心配はいらない」



 それをどう読んだのか、クロワは言った。



「最初の質問だが、私がここにいるのは、かつてフィリア人奴隷の逃亡を手助けしたからだ。だから安心してほしい、キミ1人くらいならば、何とかできるだろう」

「……アンタ、牢じゃない」

「問題ない、私は総督との契約でここにいる。その気になれば、自分の意思でいつでも出ることが出来る」

「契約って?」

「それは本題では無いが……まぁ、話すこと自体は構わない、か」



 クロワは目を閉じると、思い出すように話し出した。



「私がクルジュに来た時は、ちょうど総督の治世が本格化したした時期だった」



 その頃はまだ新市街の区画整備の最中でもあり、鉄馬車の導入も半ばだった。

 ソフィア人居住区にもまだフィリア人の家がつらつら見える状況で、様々ないざこざが各所で起こっているような状態だった。

 そこで総督の取った手段は、不穏分子の摘発と言う強硬手段。



 とどのつまりは、強制退去と集団虐殺である。

 ソフィアの魔術師とフィリア兵の物量の前に、フィリア人の多くは不衛生な対岸へと追いやられた。

 総督はそもそもクルジュ自体からフィリア人を追放するつもりだったようだが、都市労働力の確保と言う観点からそれは断念したらしい。

 そしてその代わりに始まったのが、フィリア人の奴隷化だった。



「私は、それを許せなかった。キミの言う通り、私の中にはフィリアの血も流れている。そう言った意味でも、総督とソフィア人のやり方は許容できなかった」

「だから、奴隷にされたフィリア人を逃がしたの?」

「そうだ」



 深く息を吐き、クロワは言った。



「私は総督に会い、そして契約した。私が抵抗をやめる代わりに、これ以上のフィリア人への迫害をやめると言う契約。故に、私はここにいる」



 ……リデルには、わからないことがいくつもあった。

 クロワの話を聞き、わからないこと。

 いくつもあるそれを、リデルは一時流した。

 流し、そして思うのは一つの言葉。

 今度はそれを、素直に口に出した。



「――――いい気なものね、アンタ」



  ◆  ◆  ◆



 一時間程が経っただろうか、総督の手前、もう一度様子を見に行くべきかと考えた時のことだ。



「……何だ?」

「アレクフィナの姐御、どうしたんで?」

「ふひひ、どうしたんだぞ~」

「いや、今、何か……」



 総督公邸に留まっていた彼女は、公邸内部でほとばしった力の流れを感じ取った。

 魔術を扱う力、俗に言う魔力。

 正統派の魔術師であるアレクフィナは、空気に乗って伝わるそれを敏感に感じ取った。



 しかしここは総督公邸、クルジュ新市街の中心。

 魔術の気配を感じるはずも無い場所でそれを感じた、他の常駐の魔術師に比して外界に出ることが多いアレクフィナは、それを敏感に感じ取ることが出来たのだ。

 そして、だからこそ不審だった。



(ああん? 何つーか、気持ち悪ぃ感じがするなぁ……っとぉ!?)



 公邸の床が、揺れた。

 近くにいたお手伝い(メイド)が悲鳴を上げて倒れる中、アレクフィナは駆けた。

 地震では無い、断続的なその揺れの中を。



「アレクフィナの姐御!?」

「ふひひ、どこに行くんだぞ~?」

「お前達はそこにいなっ!」



 アレクフィナは駆けた。

 安全な新市街と言う場所しか知らない公邸職員と異なり、彼女は急ぐべき時と言うものを心得ている。

 大理石の床に敷かれた赤絨毯の上を駆け抜けて、通路の装飾と化している絵画や彫刻の前を通り過ぎる。

 途中、何人かの職員と擦れ違ったが止まらない。



(……って、よりによってここかい!)



 音と魔術の気配を追ってやってきた場所は、マホガニー製の大扉――だった物の前だ。

 繊細な装飾と金色のドアノブの残骸から、その扉の向こうが何の部屋だったかを知るのは容易たやすい。

 加えて言えば、アレクフィナが駆けて来た通路とは逆側、そちら側に見覚えのある顔が倒れていた。



 そう、アレクフィナを以前この部屋まで案内した職員だ。

 うつ伏せに倒れている彼の生死は定かでは無いが、壁や床の陥没と他にも倒れている者達の姿を見れば、無事では無いことは確かだった。

 そして。



 ――――ア゛ア゛ア゛ァ゛ッ゛



 ……おぞましい叫び声が、聞こえた。

 濁っていながらも甲高い声は、弱々しいながらも断続的に聞こえていた。

 豚が屠殺とさつされる時に上げるような叫び声を聞き、怯みそうになる内心を堪えて、アレクフィナはそこへ踏み込んだ。



「……んなっ!?」



 そこには、凄惨で――それでいて、悲惨な光景が繰り広げられていた。

 立っているのは茶色の髪の少年、一瞬アーサーかと思ったが、身に纏っているボロ布からして違う。

 何よりも目を引くのは、彼が手に持っている物。

 少年の背丈の倍、体格と同程度の幅。



 ――――蒼銀の大剣。



 赤い輝きを纏った蒼と言う矛盾の剣が、分厚い肉の中央に突き刺さっていた。

 ブチブチと肉の抉れる音と、液体が噴き出し床を濡らす音が聞こえる中で。

 そしてアレクフィナは見た、蒼銀の大剣によって腹を貫かれた総督の姿を。

 そして。



「て、てめぇ……!」



 牢の住人、クロワが、総督の腹に大剣を突き刺している姿を。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

さらに新キャラ登場の今回、クルジュ編はどうなってしまうのでしょうか。

というか、私はどうしたいのでしょうか。

それでは、また次回。


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