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3-4:「総督」

 アムリッツァー大公国及びフィリアリーン公国。

 それが現在の旧フィリアリーンの名前であり、人口はおよそ900万人。

 最もソフィア人が作る戸籍にフィリア人が全て載っているわけでは無いので、実際はその倍の人数が暮らしているとも言われている。



『魔術師の国の属州』



 フィリアリーンは、形式的には独立国である。

 しかし国家元首は大公国公王、事実上の植民地だ。

 永代借地権――半永久的に土地を借りる権利、税金も地代も発生しない――を有するソフィア人が豊かな土地を囲い込み、人口の7割以上を占めるフィリア人を奴隷商品として使役している。

 フィリア人の集落で日々の食糧を確保できているのは、辺境の農漁村などごく一部に過ぎない。



 この典型的な少数支配を支えている要因に、大公国本国から派遣されている魔術師達の存在がある。

 数百人規模の彼らがいることで、フィリアリーン域内のソフィア人は安全かつ快適に過ごすことができる。

 魔術師の存在、ソフィア人の存在が、現在のフィリアリーンの体制を定義付けていると言って良い。



『ソフィアによる、フィリアの統治』



 総督は、大公国本国から派遣される代理執政官である。

 フィリアリーン域内の統治に広い裁量権を持ち、本国中枢部と駐留の魔術師を除けば、事実上の「王」として君臨している存在だ。

 すなわち現在のフィリアリーンの状態は、彼の総督の統治の結果であると言える。

 1割にも満たないソフィア人が富の95%を握っていると言う、結果が。



 <東の軍師>の東部叛乱より20年、そしてフィリアリーンが東部叛乱で得た独立を失ってより12年。

 現在、フィリアリーンはその国名に「フィリア」の名を冠しながら――――。

 ――――ソフィア人のための国家として、運営されていた。



  ◆  ◆  ◆



 会議室にいた面々が慌しく出て行く中、1人だけ残っていても仕方が無い。

 そう思って、リデルは他のメンバーを追いかける形で外へと向かった。

 彼女がソフィア人であるためか、それに対して何かを言う者はいなかった。

 ……仮にいたとしても、リデルが聞くとも思えなかったが。



 外は、生憎あいにく曇天模様どんてんもようだった。



 厚い雲が空を覆っているのに、不思議と空気は乾いていた。

 どこかの路地裏に這い出て、前を走るレジスタンス・メンバーの背を追って駆けると、あの大通りに出た。

 確かヴェルラフ通りとか言ったか、アーサーに教えて貰ったそこに出た。



「わ……!」



 リデルはまず驚いた、目の前に壁があったからだ。

 良く見ればそれは人の壁で、フィリア人特有の衣装を纏った背中が無数に並んでいた。

 通りを歩く人々も多く感じたが、今は余計にそう感じる。

 しかも彼らは一様にその場に立ち止まっていて、どうやら人の壁の向こう側に何かがあるようなのだが。



「えっ……と」



 帽子を押さえながら、きょろきょろとあたりを見渡す。

 その際、袖から頭を出していた蛇が反対方向を向いた。

 人間で言えば指での指すかのような動きだ、リデルは疑問を感じた風も無くそれに従った。

 


 蛇の頭の向いた先、食堂か酒場のように見える建物があり、搬入のためだろうか、荷台があった。

 荷主や御者の姿は見えない、ロープでしっかり固定されたそれに手をかけ、弾むようにして登る。

 注意する者がいないのは、それほど壁の向こうに注意を取られているからだろうか。

 5分もしない内に、リデルは木箱の上に立った。

 流石に高さがあり、リデルは通りの中央を見ることが出来た。



「……おい、見ろ、まただぜ……」

「……今月はもう4回目だろ、このままじゃ……」

「……おお、聖女フィリアよ……」

「……しっ、協会の奴らに聞こえたら……」

(4回目……? 協会……?)



 高い位置にいるからか、そこかしこから聞こえる小声の会話に眉をしかめる。

 途切れ途切れの会話なので良くわからない、それにアーサーもいないので情報源が無い。

 ならば己の目でと思い、壁の向こう側へと視線を向ける。

 するとそこには、不思議な光景があった。



「……子供?」



 そう、子供だ。

 正確には、「子供達」である。

 道幅は40メートルほどのこの通り、リデルから見て反対側の20メートルの場所に、数十人の子供の姿があった。



 年の頃はリデルより下、10歳……いや、5歳、6歳くらいかもしれない。

 髪は茶や黒、フィリア人だ。

 それくらい小さな子供達が一所ひとところに集められていて、大人達がそれを遠巻きに眺めている。

 それが、人の壁の正体だった。



「あいつら、もしかして」



 そして人込みの中から引っ張り出し、子供を集めている人間達がいる。

 もちろんリデルは彼らのことは知らない、が、彼らが来ている衣装には見覚えがあった。

 軍服とローブを合わせたような黒の衣装。

 あれは――と、もっと良く見ようと目をこらした時だ。



「……!」



 さっと顔色を変えて、リデルは木箱の上から飛び降りた。

 荷台を蹴るようにして跳ね、荷台の陰へと膝をついた。

 隠れた、見られなかっただろうか?

 ドキドキと脈打つ胸を押さえ、荷台の下から窺うように覗き見る。



 ――いた。

 雑踏の向こう側、フィリアの子供達を集める人間の中に、確かに。

 見た。

 はたして、逃れ得ただろうか。

 あの魔術師、アレクフィナの視界から。



  ◆  ◆  ◆



 ――――うん?

 何か見逃してはならないものを見た気がして、アレクフィナはある一方向を二度見した。

 はて、今、人の壁の向こう側に何か見えなかっただろうか?



「アレクフィナの姐御、どうかしたんですぜ?」

「ふひひ、何か見えたんだぞ~?」

「……いいや。気のせいだった、何でもないよ。にしても、ここは本当に臭うねぇ」



 空気が乾いているせいだろう、そこかしこから漂う生臭い臭いにアレクフィナは顔を顰めた。

 自然ではあり得ない、人の営みと生活特有の臭い。

 清潔なソフィア人街から来たためか、余計にそう感じるのだった。



 フィリア人の連中は良くこんな空気で生活できるな、と彼女は思った。

 そして同時に、まぁ、だからこそフィリア人なんだろうな、とも思った。

 いずれにせよ、仕事でも無ければこんな所に来るはずも無い。

 苛立ちを象徴するように舌を打ち、彼女は自分に怯えた目を向けてくるフィリア人の子供達を睨んだ。



「ったく、こんなことに魔術師を駆り出すなよなぁ……」



 誰にも聞こえないくらい小さな声で、そう呟く。

 本当に不満なのだろう、彼女は新たに子供を連れてきた男を見ると。



「オラァッ、トロトロしてんじゃないよ! さっさと100人集めな!」

「は、はい……っ、申し訳ありません!」

「ちっ……!」



 本気で苛立っているのか、男を蹴り飛ばしそうな雰囲気だった。

 さて、ここで一つ指摘しておくべきことがある。

 アレクフィナ、そして彼女と同じ衣装を纏っている者は全員が魔術師であり、通りに集められた子供達の周囲を固めている。



 そして子供達を集めている――つまり人込みの中に入り込み、子供を連れ出している――者達は、アレクフィナ達とは明らかに違った。

 着ている衣装も異なり、赤い胴衣と靴下、丈長の灰色の上衣を着込んでいる。

 アレクフィナ達の衣装と比べ、より制服……はっきり言ってしまえば軍服らしい衣装だ。

 そしてアレクフィナ達の髪が一様に金色であるのに対して、彼らは茶と黒、つまり。



「ったく、本当にフィリア人ってのは使えないねぇ」

「仕方ないぜ姐御、フィリア人なんだぜ」

「ふひひ、諦めるしかないんだな~」

「アタシは早く、こんな汚い所からは出たいんだけどねぇ……まぁ、王子様のことを伝えたのはアタシだし、仕方ないか」



 そう、フィリア人である。

 何故フィリア人――の兵士――がフィリア人の子供達をアレクフィナ達の命令で集めているのか、そのためには今一度、フィリアリーンが形式的ながら独立国であることに留意する必要がある。

 すなわち、彼らはフィリアリーン公国の兵士なのである。



 フィリアリーンには2種類の軍隊が存在する、彼らフィリア人によるフィリアリーン公国軍と、大公国から派遣された魔術師達である。

 フィリア人達を公国軍と呼称するのに対し、魔術師達のことは所属する組織の名称から協会軍と呼ぶ。

 フィリアリーン全土に協会軍は約3千人、それに対して公国軍は7万8千人。

 明確な力関係がそこにあった、もちろん、強者は前者である。



「それにしても姐御、どうしてフィリアのガキなんざ集めるんで?」

「ふひひ、王子様を探してるんだぞ~」

「ああん? ああ、まぁ、それもあるんだろうけど、な……」

「「?」」

「いや、何でもないよ。気にすんな」



 確かに、アレクフィナ達魔術師を動員したのはそう言う理由だろう、とは思う。

 だが実際に集めているのは、あの2人よりもずっと幼い子供達だけだ。

 それも、男の子ばかり。

 その事実に、アレクフィナは溜息を吐いた。



「良い趣味してるよ、本当に」



 その時、フィリア人達がざわめきを上げるのを聞いた。

 それに顔を上げ、そしてはなはだ不本意なことに、アレクフィナは彼らに倣って同じ方向を向いた。

 しかしフィリア人達と異なり――公国兵は別として――姿勢を正し、起立の姿勢から右足を下げた。

 礼のようにも見えるが、それにしては独特の作法のように見えた。



  ◆  ◆  ◆



 とりあえずは難を逃れたようだ、リデルはほぅ、と息を吐いた。



「何とか見つからずにすんだわね……あ」

「危なかったですね」

「……っ!?」



 荷台の下を覗いていた顔を上げた時、鼻が触れ合うかと言う位置にアーサーの顔があった。

 あまりにも近くにいたために、ぎょっとした顔で身体を引き逸らさせる。

 その際、胸元から蛇が顔を出したためにアーサーもずざっ、と後ろに下がった。

 そして、言う。



「危ないですね」

「アンタがでしょ!? と言うかアンタ、ここ最近、私に対して随分な態度をとってくれるじゃないのよ」

「あはは、まぁ良いじゃないですか。今はそれどころじゃありませんし」



 軽く流しやがって、と、ジト目で睨むリデル。

 対するアーサーはと言えば、いつものように苦笑を浮かべるばかりだった。

 そして、やや真剣な表情を作って。



「文句なら後でいくらでも聞きますよ。それより、今は本当に危ないんです」

「……どういうことよ。島を焼いたアイツらがいるから?」

「それもありますが、いえ……それよりも危険です」



 危険? と首を傾げるリデルに、アーサーは頷く。

 彼にしても、まさかアレクフィナとその一行が敵の集団の中にいたことには驚いた。

 とは言え彼女らも大公国の魔術師、そうなったとしても驚きこそすれ意外には思わない。

 問題はアレクフィナを含む彼らが、誰のどんな命令でここに来たのか、の方だ。

 そしてアーサーは、その理由を知っていた。



「――――総督が来ます」

「総督?」

「北の大公国が派遣してきた代王、とでも良いのでしょうか。まぁ、今のフィリアリーンのトップです」

「フィリアリーンの王様……」



 フィリアリーンの王。

 王。

 王という言葉に、リデルは少しだけ思考を深みへと沈めた。



 本の中で何度も見た単語だ、彼女の父、<東の軍師>もかつては王に仕えていた。

 大公国の第七公子アクシス、<東の軍師>の功績となる東部叛乱の最初期を率いた人物だ。

 軍師は、王に仕える。

 ならば軍師を目指す自分にも、必然、王となる者がいるはずだ。

 王、それは、どんな存在を言うのだろう。



「……それで? その総督とか言う奴が来るから、何なの?」

「それは――――……」



 その時、フィリア人の間に大きなざわめきが起こった。

 リデルが顔を上げるのと、アーサーが「来たか」と呟くのはほぼ同時だった。



「……総督だ……」



 誰かの呟きに、リデルは再び立ち上がった。

 荷台の車輪に足をかけて縁に膝を乗せ、先程と違って木箱の陰から除き見るように、高い位置へと移動した。

 アーサーが小声で止めてくるのが聞こえた気もするが、それは当然のように無視した。



 そうして無視した代わりに、リデルは見ることが出来た。

 数百人以上が居並ぶ人の壁の向こう側、無数の頭――茶と黒の壁――を越えた先に、見ることが出来た。

 現在のフィリアリーンの王、総督と呼ばれる人物の姿を。



「……!」



 そして、アーサーの「敵」の姿を。



  ◆  ◆  ◆



 あれが「総督」?

 リデルはまず疑問に感じた、何故ならそこにいた存在を人間と認識できなかったからだ。



「オルァッ! 総督閣下のお成りだよ! 跪きなフィリアの屑共!!」



 どこか苛立っているような声と共に、見覚えのある光と炎が宙を薙いだ。

 アレクフィナの炎だ、島で見た時より荒く見えるのは気のせいだろうか。

 どよめきが悲鳴に変わり、フィリア人達がその場に膝をついた。

 リデルも慌てて荷台から降り、再び車輪の陰へと隠れた。



 こちらを制止したそうな意思を目に宿すアーサー、しかしリデルは荷台の陰からそれを見ずにはいられなかった。

 何だ、あれは。

 フィリア人達がひれ伏した今、遮るもの無く見ることが出来る。



「ねぇ、アーサー」

「……はい、何でしょうか」

「あれは、何?」

「彼の名はフェルナンド・トスカティス、魔術師ではありませんが、大公国本国で民族政策を担当していた高級官僚ですよ」

「違う、そう言うことじゃない」



 それから目を逸らすこともせずに、リデルは言った。



「あれ、本当に人間なわけ……?」



 異常にぶくぶくと太った身体は余りにも肉がつきすぎて首が沈んで見え、腹から下はペチコートか何かのように肉の塊が重なり合っていた。

 肌色の布を何十枚も重ね置きしているとでも言われた方が、まだ信じられる。

 アレクフィナ達と似たようなデザインの衣装を纏っているようだが、前述の通り、ぶよぶよとした贅肉が何もかもを台無しにしてしまっている。



 身体が大きい上に、<アリウスの石>を四隅に備えた輿こしに乗っているため、余計に大きく見える。

 石の力で宙に浮き、自らの足で動くことは無い――もしかしたら、動けないのかもしれないが。

 肉と脂で妙に照っている顔、ぎょろぎょろとした目が何かを探すように左右に忙しなく動く。

 人間と言うにはあまりにも、そう、あまりにも。



「あれが、王様?」



 王と言うにはあまりにも、醜悪に過ぎた。



「そうですか? 僕は割りと見慣れてますからね」

「あれを見慣れてるって、どうなのよそれはそれで」

「別にあれだけでは無いんですけどね」

「ああいうのが他にもいるの? 外って変な所ね」



 それに対して、曖昧な笑みを浮かべるアーサー。

 その時だ、ひれ伏しているフィリア人達の中で再びざわめきが生じた。

 目の前の恐怖に押さえ付けられたそれは抑制的に、しかし確かに響いた。



「あれは、何をしているの?」



 どういうわけか、集めた子供達の中から何人かを選んでいるようだった。

 ただでさえ選んで連れ出しているのに、さらに選ぶとは、何か意味があるのだろうか。

 しかもその選別は、輿の上から動かない総督の手指の動きに沿っているようなのだ。



「あれは何をしているの?」



 見た所、子供を……男の子を選んでいるようだが。

 それも決まって線が細そうで、やや痩せ気味の男の子ばかり。

 選ばれた子供の顔面は蒼白で引き攣っており、残った子供達も一様に落ち着かない様子だった。

 子供を選び連れ出すフィリア人兵士も、唇を真一文字にに引き結んでいた。

 どことなく、悲壮な印象を受ける。



「……新市街の総督公邸に連れて行く子供を、選んでいるんです」

「ええと、奴隷ってこと?」

「まぁ、似たようなものと言うか……」



 妙に歯切れが悪いが、ようはそういうことだろうと当たりをつけた。

 子供を連れて行って何をするのかは知らないが、反応を見る限り、碌なことで無いことはわかる。

 おそらく皆が知っているはずだ、それなのに誰も助けようとはしない。

 ただ成り行きを見守るばかりだ、正直に言って歯がゆい。

 フィリア人故か、ならばと膝を立てようとした時、流石にアーサーに腕を掴まれて止められた。



「何よ!」

「しっ、駄目です。確かにリデルさんなら無事で済むでしょうが、それでも危険過ぎます」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ……!?」

「そんなことを言っている場合です、大体、出て行って何か出来るんですか。どうにかすることが」



 それは、無い。

 これといった策も無く渦中に飛び込むのは愚か者のすることだ、そんなことはわかっている。

 わかっているが、しかしだ。



 不意に、あるものが視界に入った。

 それはひれ伏すフィリア人の中にいた、リデルと同じくらいの背丈の少年だ。

 ひれ伏しながらも拳をキツく握り締め、皮を破り血を流している。

 遠目にも歯を剥いているとわかる彼は、ディスだ。

 他にもちらほらと、レジスタンス・メンバーの姿が見える。



「……何よ」



 別に彼らに情が移ったわけでは無い、アーサーがいなければ出会うことも無かっただろう。

 だが現実に彼女は出会い、関わった。

 ならば彼女には、何かをする義務があるはずなのだ。



「何よ……!」



 気に入らない、まったくもって気に入らない。

 怒りだ。

 リデルの頭の回転を早める種でもあれそれが、少しずつ、彼女の胸を焼き始めていた。

 激情が育つその最中。



「お、おゆるしください……!」



  ◆  ◆  ◆



 マリアはいつも、見ていることしか出来ない。

 無数のフィリア人がひれ伏している中、他のレジスタンス・メンバーと同じように人々の中に紛れている――わけでは無く。

 彼女は路地裏から、ただ見ていた。



 レジスタンス・グループのリーダー格、マリア・アーヴル。

 しかし彼女は青白い顔で立つばかりで、けして表通りに出ようとはしていない。

 何もそれは彼女に限った話では無く、建物の陰や家の窓から、戦々恐々と様子を窺う者は多くいる。

 ただ、それが彼女だという点だけが異彩を放っていた。



「お、おゆるし、ください……!」



 先程、総督に選ばれた子供の母親らしき女性が人々の中から飛び出した。

 だがけして立ち上がるような真似をせず、膝立ちのまま、這うようにして進み出た。

 息子を救おうとでも言うのか。

 その瞬間、マリアは諦めた。

 いや彼女だけでは無い、その場にいる者のほとんどが諦めた。



「おゆるし、くださいぃ……!」



 懇願の声が引き攣るのを、確かに聞いた。

 見たくない。

 だが、目を離せない。

 多くの者が目を逸らす中、マリアはそれから目を逸らせなかった。



 フィリア人の兵士が、女性の腕を両側から掴む。

 顎先を地面へと押し付けさせるようにして、背中の後ろで腕を交差させた。

 押さえ付けられた女性、続く懇願、そして。



「お、おゆるしを」

「やかましいねぇ、仕事を増やすんじゃないよ」



 心の底から憎々しそうにそう言って、魔術師らしき女性――アレクフィナなのだが――が、その足を交差させた腕の中心に置いた。

 何をするつもりか。

 その答えは、すぐに出た。



「おゆ――――ッ!?」



 メギッ……と言う音が、確かに聞こえた。

 すぐ傍のフィリア兵はキツく目を閉じ顔を背けているのに、アレクフィナはまるで表情を動かしていない、その対比が、何もかもを物語っていた。

 さらに踏みに行き、もはや聞こえる声は懇願では無く悲鳴になっていた。

 息子だろう男の子が、子供達と総督集団の間で泣いていた。



 だが、誰も助けない。



 助けようとしない。

 助けようともしない。

 誰も、マリアもディスも、他の誰でさえも。



『おねがい』



 ぞっ……と、背中の産毛が総毛立つような感触を覚えた。

 耳の奥、心の片隅で誰かの声が蘇った。

 誰かの?

 それを自分で問うのかと、僅かながらマリアは自嘲を覚えた。



「ひぃっ、ひいぃ……っ」

「ほら、何をやってるんだい愚図共。次は足、その次は舌だよ。早くこんな所からおさらばしたいんだよこっちは、さっさと押さえな」

「「は、はっ」」



 ――――おねがい、おねがい。

 繰り返し聞こえてくるその言葉は、はたして目の前の現実だろうか。

 それとも、いつかの何かだろうか。



「お、おゆるしを……」

『……おねがい』



 懇願した所で、何が変わると言うのか。

 求めに意味は無く、願いに効果などあろうはずも無い。

 救いなど無い。

 求めるだけ、願うだけ無駄、無意味、無為なのだ。

 だから。



(だから、もう良いだろう……?)



 何に対して「もう良い」のか。

 掠れた母親の悲鳴を耳にして、それでもそう思ってしまう。

 答えは無い。

 今までも、そしてこれからもあり得るはずが無い――――。



「そんなわけ、無いでしょうがっ!!」



 ――――はず、だった。

 今日、この瞬間までは。



  ◆  ◆  ◆



 そもそも、リデルにはわからない。

 フィリア人達の気持ちがわからない。

 ソフィア人達の気持ちがわからない。



(どいつもこいつも、本当に苛々するわ!)



 髪の色が違うから何だ、瞳の色が違うから何だ、肌の色が違うから何だ。

 リデルの目には同じ人間同士、同じ動物同士で争って――いや、差別しているようにしか見えない。

 それが、リデルにはどうしても理解できなかった。



 動物でも、同じ動物同士で争い合うことはある。



 縄張りを、伴侶を、食べ物を巡って争い合うことはある。

 だからそれは理解できる、それは自然の中で生きている動物ならどんな存在でもあり得ることだ。

 だが、動物の世界に差別などと言う意思は存在しない。

 強弱はあれど、ただそうである、と言うだけで差別をしたりはしない。

 だから理解できない、だから――――激怒する。



「な、何だてめ――――って、お前は!?」

「あ――ッ、アレクフィナの姐御! アイツ、あの王子と一緒にいた奴ですぜ!」

「ふひひ、間違いないんだな~」



 アレクフィナが女性から離れ、フィリア人達の群れの中から飛び出して来たリデルを正面に捉えた。

 解放された女性が、地べたに這い蹲ったまま、そちらへと視線を向ける。

 そこに、小さな金色を見た。

 女性の眼が、驚愕に見開かれる。



「いい加減にしなさいよ……アンタ達」



 薄い金の髪、菫色の瞳、白い肌。

 それは全てフィリア人にとって忌避すべき記号であるはずだった、だが今、信じ難いことが起きていた。

 忌避すべき記号を持つ少女が、今、自身を、フィリア人を。

 ――――助けた?



「どいつもこいつも、何もかも! 本当に苛々する! 島から出てきてこっち、どうしてアンタ達って、そうなのよ!」

「はぁ? 相も変わらず意味のわからないことを……!」

「五月蝿い! 五月蝿い五月蝿い五月蝿い! もう、我慢の限界だわ!」



 ビロードの帽子を外す、薄い金の長髪が臭いの強い風に煽られて揺れる。

 強い意志の込められた菫の瞳が、アレクフィナを射抜く。

 だが彼女とその部下以外の者は、フィリア兵も含めて同様の色を見せていた。

 何故、フィリア人しかいないはずの旧市街に同胞がいるのか?



「このガキ……!」

「何よ、やろうっての?」



 アレクフィナが指輪の石に、そしてリデルが髪の中の石にそれぞれ触れる。

 後者は石の使い方を理解してはいない、が、前者はその事実を知らない。

 だからアレクフィナも迂闊うかつには動けなかった、何をほざこうとも、リデルはソフィア人。

 <アリウスの石>はソフィアの血に応える、そう言う鉱物なのだ。



 緊張感を孕んだ一陣の風が、ヴェルラフ通りを吹き抜ける。

 音も、声も、何も聞こえない。

 ただ、意味のわからぬ緊張感だけがあった。



「―――や゛め゛よ゛――」



 その時だ、妙に濁った音が響いた。

 それが音では無く声だと気付くのに、数瞬かかった。

 声の元を辿れば、そこに辿り着いた。

 醜悪なまでの肉の塊、総督の元へと。



「や゛め゛よ゛、な゛に゛を゛し゛て゛い゛る゛」



 声を出すのが苦しいのか、こひゅ、こひゅ、と言う奇妙な呼吸音が混ざる。

 だが、ぎょろついていた目はどこか柔らかなものに変わっていた。

 不思議と優しさを感じるような、およそ醜悪な外見には似つかわしくない程に柔和な印象を受けた。



「そ゛の゛む゛す゛め゛を゛ほ゛こ゛せ゛よ゛」

「そ、総督閣下!?」



 何を馬鹿なと言いたげな表情を見せるアレクフィナ、だが返ってくるのは濁った咳き込み音ばかり。

 総督の傍に立っていた別の魔術師――総督庁舎付きのエリート――が指示を出した、どうやら新市街へ戻るようだ。

 当然、リデルも含めて。



「ちっ……おいガキ、ぼんやりしてるんじゃないよ。総督閣下のご命令だよ」

「触るんじゃないわよ、汚いわね」

「はあああぁぁ!? 姐御が汚い!? 馬鹿野郎、姐御は街にいる時ぁ6時間に1回風呂に入ってんだぜ!」

「ふひひ、沼に落ちた時は大変だったぞ~」

「お前らは黙ってな!!」



 顔を真っ赤にして部下を怒鳴りつけるアレクフィナ、その向こう側の光景を目にしたリデルは叫んだ。



「ちょっと、その子達は置いていきなさいよ!」

「ちょ、おま……アタシを無視するんじゃないよ! それからねぇ、何たってアンタの言うことを聞いてやらなくちゃ……あん?」



 その時、フィリア兵の1人がアレクフィナの傍に来て、何事かを囁いた。

 彼女が「ああ!?」と凄むと、そのフィリア兵は小さく悲鳴を上げて離れてしまった。

 それから、アレクフィナは苦々しげな表情でリデルを睨んだ。



「……ったく、意味がわからねぇなぁ、あの総督は……」

「はぁ? 何よブツブツと、気持ち悪いわね」

「はあああぁぁぁっ!? 姐御が気持ち悪い!? 姐御は実はレースのハンカチを毎日ちゃんと持って来てるんだぜ!」

「ふひひ、可愛い所もあるんだぞ~」

「それとこれに何の関係があるんだい!? あとお前ら、後で覚えておきなよ……?」

「「ひぃっ!?」」



 イマイチ良くわからない連中だ、そう思う。

 しかし見るとフィリア兵達が集めた子供達を放している姿が見えて、とりあえず息を吐く。

 心なしか、フィリア兵もほっとした表情を浮かべているように見えた。



 それから、首だけを回して後ろへと視線を向ける。

 フィリア人達は変わらずひれ伏していて、怯えを含んだ視線を向けている。

 無論、自分に対しても。

 だがその中にあって、それとは違う種類の視線を見つける。



(ダメよ、アーサー。ここでアンタが出ると面倒になるわ)



 最初の位置から少し移動していたアーサー、彼の行動を視線で止める。



(スンシ曰く、『多算なれば勝ち、少算なれば勝たずして、況や無算においてをや』)



 勝算の無い状況での戦いは、するべきでは無い。

 アレクフィナ以外にも魔術師がいるこの状況でアーサーが出てくれば、大なり小なり騒動が起こる。

 下手を打てば、捕まってしまう。

 その点、無謀に見えてリデルは冷静に計算している。



 これまでの経験から言って、ソフィア人の自分ならばある程度の無茶は出来ると踏んだ。

 差別に憤慨は感じ、そして同時に冷徹に打算する。

 その点、確かにリデルは軍師的だと言えた。

 ――――しかし。



(……大丈夫、大丈夫よ。私はパパの娘、隙を見て逃げ出せば良い。大丈夫、私はパパの……)

「おい、何をブツブツ言ってんだよ。気持ち悪い奴だねぇ」

「う、五月蝿いわね! アンタの方がよっぽど気持ち悪いわよ!」

「ああん!? 本当にムカつくガキだねぇもう!」

「はんっ」

「か、可愛く無いねぇ……!」



 目を閉じ顔を背け、腰に手を当て胸を逸らすように鼻で笑う。

 アレクフィナの怒気を含んだ振る舞いを傍に感じながらも、リデルは怯えた様子を欠片も見せなかった。

 ――――ただ一つ、僅かにハの字に歪んだ眉以外は。



(リデルさん――――!)



 そしてその様を見た少年の内心が、爆ぜるように揺れる。

 出るべきか、いや今は出るべきでは無い。

 彼もまた冷徹な計算が出来る人間であり、その理性の見せる回答は、今は行かせるべきと言うもの。



 少年は動かず、少女は行く。

 クルジュ旧市街でのこの結末は、次幕にて何を生じさせることになるのか。

 それは、まだわからない。

 幕間まくあいが過ぎるまで、誰にも……。


「多算なれば勝ち、少算なれば勝たずして、況や無算においてをや」

出典は孫子、意味は勝算があれば勝ち、少なければ負ける、というもの。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

民族関係の描写って、程度の調整が難しいですね。

集団心理的な描写がどうしても入るからかもしれませんが、ここまで来たらば、最後までこの調子で描いていきたいですね。

それでは、また次回。


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