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3-2:「反ソフィア運動」

 ――――ピチャン、ピチャン。

 天井から滴り落ちる水滴の音だけが、嫌に響いていた。

 他に聞こえるものは、規則的な呼吸音だけだ。



 光は無い。

 何も見えない。

 呼吸音の存在が、そこに何者かがいることを証明していた。



 ――――コツ、コツ。

 その時だ、不意に音が生まれた。

 次いで、光源が現れる。

 自然の光では無く、光を正面に照射する不思議な道具による物だった。

 白い光の中に、僅かに赤い輝きが見える。



「…………」



 その何者かは、どうやら狭い空間にいるようだった。

 2メートル四方の空間で、床・壁・天井は全て剥き出しの岩になっていた。

 岩の隙間から染み出した水が、ピチャン、ピチャン、と滴り落ちている。

 滴り落ちる水が、その何者かを絶え間なく濡らし続けていた。



 頭に、肩に当たる水は、何者かの身体を濡らすだけでは無い。

 同じ場所に当たり続ければ、水滴と言えど刃のごとく痛みを与えるだろう。

 だがその何者か――「彼」の呼吸は、僅かの乱れも無く規則的だった。

 まるで、自分の身に何も起こっていないかのように。



「…………ちっ」



 彼に光に当てている別の誰かが舌を打つ音が、狭い空間に響いた。

 それでも、彼は動くことが無い。

 いや、動いた。

 閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりと開いていくのだ。



 良く見ると、彼の前には鉄製の枠がある。

 明らかに鉄格子てつごうしだった、彼方かなた此方こなたを分かつ鉄の線。

 それを人は、牢獄と呼ぶ。

 牢獄の中で彼は、その瞳を開いた。



「…………――め」



 誰かが、彼のことを――と呼んだ。

 その声音、その呼び名、そのどちらもが、彼を罪人つみびとだと弾劾していた。

 彼は弾劾すべき存在なのだと、そう告げていた。

 議論の余地無く、そうなのだと決定付けてきた。



 それが不当な判断によるものなのか。

 あるいは、正当な決断によるものなのか。

 それを今、この場の状況だけで測ることは出来ない。

 ただ一つ、確かに言えることがあるとするなら。



「――――……」



 光を当てられた彼、彼が開いた目、その瞳の色だけ。

 その瞳は、菫色をしていた。



  ◆  ◆  ◆



 ひゃあ、と、自分の口から漏れた悲鳴に、しまったと思った。

 自分の前を歩いていたアーサーが足を止めるのを見て、ますますそう思った。

 火種が無いので灯りは灯せない、アーサーの記憶と繋いだ掌だけが頼りと言う状況のことだ。



「リデルさん、どうかしましたか?」

「な、何でも無いわ」

「いや、でもさっき何かを叫んで」

「何でも無いって言ってるでしょ!?」



 暗がりで見えないことが幸いだった、アーサーはリデルの顔色を窺うことが出来ない。

 ただそれはリデルにとって幸いと言うだけで、アーサーにとっては逆の意味を持つのだが。



「ほら、早く進みなさいよ。こんな所で立ち止まってても仕方ないでしょ」

「はぁ……」



 声の調子から、アーサーがいぶかしんでいることがわかる。

 しかし、リデルは先程の悲鳴の理由を説明するつもりは無かった。

 天井から落ちてきた雫に驚いたなど言えない、リデルの自尊心がそれを許さなかった。



 今リデル達は灯りの無い暗がり、ツルツルと滑る床……いや、地面の上を歩いていた。

 どうやらどこかの通路、それもクルジュ旧市街の地下らしいということはわかる。

 と言うより、それしかわからないと言うのが正しい。

 気のせいでなければ水の流れる音も聞こえちて、同時に質の高くない水分豊富な空気特有の臭みを感じる。



「ねぇ、まだ……?」

「すみません、もう少しです」



 随分と時間が経ったような気もするが、歩みが遅いため距離的には大したことも無いような気がする。

 光が無く、音も無い。

 ぴちゃん、ぴちゃん、と水が滴る音と、2人の呼吸音と足音くらいしか聞こえてこない。

 ちなみに暗闇の中でどうやって進んでいるのかと言うと、理由はアーサーの手と壁にある。

 彼はリデルと繋いでいない方の手を常に壁に当て、それを頼りに歩いているようだ。



「壁に微妙な印がついているんですよ、僕達にしかわからないような」



 アーサーはそう言っていたが、その印とやらが何を意味しているのかはわからない。

 おそらく、リデルにはわからないことだ。

 だから代わりに、彼女はアーサーの「僕達」と言う発言に着目した。

 これまではアーサーは「僕」と言ったことはあっても、僕「達」などと言ったことは無い。



 では、その言葉の意味するところは何か?

 個人では無く、自分を含めた集団を示す言葉を使ったことに、何か意味があるのだろうか。

 あるに決まっていると、リデルは思った。

 それに対する答えは、思ったよりも早く訪れた。



「ああ、ここですね」



 久しぶりなので通り過ぎる所だった、と言いつつ、彼は立ち止まった。

 つまり、リデルも止まる。

 繋いだ手の動きから、リデルは彼が壁の方を向いていると感じた。

 そして、とん、とん、と、その壁を叩く音が響いた。



 とん、とん。



 その音が、妙に耳に響く。

 不快では無いが、妙にザワザワとするような気がした。

 そして――――。



  ◆  ◆  ◆



 目の前に、急に灯りが生まれた。

 今の今まで壁だったはずの場所に、ぬっ、と松明の火が揺れたのだ。

 どうやら何かの仕掛けがあったのだろう、奥に通路が続いていた。



「やぁ、ミル。久しぶりですね」



 松明がぼんやりと照らすのは、男の顔だった。

 アーサーよりも頭二つも大きい男で、癖のある茶髪が目まで覆っている。

 彼はアーサーの顔を見ると、のっそりとした動きで横に動いた。

 道を開けたのだと理解するのに、実に10秒を要した。



「さぁ、リデルさん。中へ」

「え、あ、ああ、うん……」



 そっとアーサーに身を寄せながら、リデルは彼に続いて中へ進んだ。

 入り口を抜ける際にミルと言う男がじっと自分を見つめてきているような気がして、逃げるように俯いた。

 その態度をミルがどう思ったかはわからないが、代わりに彼が何かを言ってくる様子は無かった。

 のっそりとした動きで岩を動かし、通路に蓋をしているのが見えた。



 アーサーに手を引かれるままに、通路を歩く。

 幅は狭いが天井は高い、両壁の高い位置に火が灯されていて明るかった。

 不思議と乾いた空気は呼吸がしやすく、先程より不快感は感じない。

 先程までが地下通路と言うのなら、こちらは地下空間と言った所か。



「お、アーサーじゃないか!」

「戻ってきてたのか! 久しぶりだなオイ!」

「やぁ、クルジュの様子は変わり無いみたいですね」

「……そりゃあな」

「この間も……」



 そして、最大の違いは人がいることだった。

 通路はいつしかいくつもの部屋や通路と交差するようになり、今も2人の男と擦れ違った。

 彼らは親しげにアーサーに話しかけて、アーサーもまた親しそうな声で応じた。



 ミル1人とは思っていなかったが、それでもリデルは自分が萎縮いしゅくするのを感じた。

 アーサーは彼らを知っているのに、自分は彼らを知らない。

 アーサーと同じ髪の色、瞳の色。

 フィリア人である彼らは、お、とでも言いたげな顔でリデルを見た。

 さっとアーサーの背中に隠れるのは、いつものことか。



「なぁ、その子は……?」

「え? ああ、彼女はですね」

「何!? 彼女だと!?」

「もうヤっちまっただと!?」

「ぶっ飛ばして良いですか?」

「「殿下ご乱心ですねわかります」」

「また変な所で息を合わせるんですから……」



 会話に入れない、と言うか意味もわからない、仲の良さはわかったが。

 だからアーサーの傍から離れないまま、リデルは視線を別のオフ工へと動かした。

 すると、だ。



(あ……)



 自分の視線から逃げるように、ささっと隠れた陰がある。

 今は十字路の真ん中にいて、フィリア人の2人がいる方を正面とすれば、今見たのは左だ。

 左側はすぐに角にぶつかる構造で、その角に小さな背丈の人間が何人もいた。



 茶色の髪、フィリア人の子供達だ。

 粗末な服と痩せた身体、もはや見慣れたフィリア人の特徴。

 何となく、頭に被った帽子を触った。



「……ねぇ、アーサー」

「え? ああ、はい。何でしょう?」

「ねぇ、アーサー。だってよ」

「はい、何でしょう。だってさ」

「2人とも後でぶっ飛ばしますからね」



 2人に気を取られがちなアーサーの服の裾を、強く引っ張る。



「ここは何? どうしてこんな所に人がいるの? 子供も」

「ああ、それは」

「――――その子達は、奴隷船の子達だよ」



 不意に聞こえた声は最後の一路、右側から響いた。

 掠れたような声(ハスキーボイス)だが、耳に良く残る声だった。

 声の主は、ああ、違うか、と続けて。



「奴隷船の子達「だった」、だな」



 茶色の髪の、勝気そうな長身の女がそこにいた。

 彼女はリデルの視線に気付くと、ニッ、と人懐っこそうな笑顔を見せてきた。



  ◆  ◆  ◆



「わたし達は、別に反乱軍ってわけじゃない」



 仕事部屋なのか自室なのか客間なのかは判然としないが、リデルはアーサーについてある部屋に案内された。

 部屋と言っても、それほど整ったものでは無い。

 通路と同じ壁に囲まれた部屋で、大きな箱の中で炭が燃えて暖を取っている。

 あるものと言えば、粗末な木製の机と椅子くらいだ。



「まぁ、座って。……帽子くらい取ったらどう?」

「……っ」

「おや」



 声をかけられて、リデルはアーサーの背中に隠れるようにした。

 帽子を取らない理由を説明する必要は無い、が、背中に隠れるのはまた別の理由だろう。

 当の相手はと言えば特に気にした風も無く、椅子を逆向きに置いて、背もたれに腕を重ねて顎を置く。

 そして、リデルのことをじっと見つめてきた。



「…………」



 その沈黙は、誰の沈黙だろう。

 あまりにもじっと見つめてくるので、リデルは急速に居心地の悪さを感じ始めていた。

 何と言うか、初対面だからと言うだけでは無いような気もするのだが。

 そしてそんなリデルの様子に気付いたのか。



「ああ、わたしの名前はマリア。マリア・アーヴル、よろしく」



 ヒラヒラと手を振りながら、そんなことを言う。

 どうやらアーサーが連れてきた少女のことを、新しい仲間と認識しているらしい。

 普通なら保護してきたのかと思うだろうが、アーサーにそのつもりが無いことを理解したのだろう。



「流石は10年来の付き合い、幼馴染というわけですね」

「バカ言え、わたしの方が7つも年上だろうが。わたしとお前の関係は生涯「隣のお姉さん」だよ」



 マリア・アーヴル、24歳、女性である。

 彼女は王宮に上がる以前、アーサーが本当に小さかった頃、隣の家に住んでいた。

 いわゆる幼馴染、あるいは「隣のお姉さん」。

 そして今は、アーサーが身を寄せるレジスタンス・グループの事実上の仕切り役である。



「反乱軍じゃないって……レジスタンスでしょう?」

「あ? ああ、いや、そこを勘違いする奴は多いんだけど」



 未だアーサーの背中に隠れながらであるが、リデルが問うた。

 そんなリデルに不快を感じる様子も無く、マリアが答えた。



「わたし達の活動目的は、奴隷船に乗せられそうな人間を見つけて、保護することだ。後は地下に潜らせて安全な郊外に逃がす、そのための情報収集と組織化の結果がわたし達ってわけだ」



 その言葉に、リデルは理解した。

 先程の子供達は、今日の奴隷船に乗せられるはずだった子供達なのだ。

 レジスタンスと言う言葉にのみ注目していたためにわからなかったが、どちらかと言うと、慈善団体のようなイメージなのかもしれない。



 実際ルイナの村で見たフィリア人達は、心からソフィア人に対して怯えていた。

 この街の人々もそれは例外では無いはずで、レジスタンス活動と言う言葉に感じていた違和感もそのせいだ。

 奴隷として売られていくフィリア人を少しでも救い、助け出すことが活動目的と言った。

 でも、とリデルは思う。



「……がっかりしたか?」

「え……」



 表情に出たのだろう、マリアが苦笑を浮かべているのが見えた。

 それに何故か恥ずかしさを覚えて、リデルはさらに半歩アーサーの背に隠れた。

 当のアーサーは、「いやいや僕を盾にしないでくださいよ」などと言っているが。



「まぁ、実際、参加してみて拍子抜けする奴は多いんだ。それでもほとんどの奴は新市街の連中が怖いから、納得して協力してくれるんだけど……」



 だいたい、とかぶりを振り、言った。



「反乱なんて、上手く行くわけが無いんだ」

「…………」

「20年前の東部叛乱だって、結局はわたし達を助けてはくれなかった。新市街の連中に真っ向正面から歯向かったって、何も良いことなんて無い。だったら、今を認めて、少しでもマシな方に持っていく努力をした方が良い。わたしはそう思ってるよ」



 マリアがどういう経緯でそんな考えに至って、こんな活動をしているのか。

 それはリデルにはわからない。

 その代わりに、リデルはそっとアーサーを見た。



 アーサーがどんな顔をしているのか、気になった。

 自分を連れ出すために島で魔術師と戦い、ルイナを守るために村でフィリア人と戦った彼が、どんな表情を浮かべているのか。

 どうしてそんな行動を取ったのか、自分でも良くわからなかった。



(……ああ)



 そうか、と、ふと思った。

 考えてみれば、当たり前のことだ。

 アーサーと出会ってから、度々感じていること。

 それは……。



「マリア! アーサーが戻ってきたって本当か!?」



 それは、扉が蹴破られる音と怒声によって脆くも崩れ去った。



  ◆  ◆  ◆



 いきなり殴りかかってきた少年がいたとして、人はどう対応するだろうか。

 基本は避けるか、さもなくばそのまま殴られるかしただろう。

 しかしアーサーは違った、リデルから身を話し、ヒラリと身を翻すと。



 逆に、少年にカウンターを決めて殴り飛ばした。



 え? とリデルが驚く間に、殴り飛ばされた男は蹴破った扉の向こう側に消えた。

 はぁ、と言う溜息は、おそらくマリアの漏らしたものだろう。

 そうしている間に、再び男が通路から戻って来た。

 茶色の髪に細身のその男は、右頬から左頬にかけて、顔に横一文字の傷痕があった。



「相変わらず良いパンチしてるぜ、この野郎!」

「貴方も相変わらず、言葉より先に手が出る人ですねぇ」



 身を低くしてタックルを仕掛けてきた少年をヒラリとかわすアーサー、少年もそれを読んでいたかのように制動をかけ、続けてタックルを仕掛ける。

 それもかわされると攻め手を変え、足を跳ね上げ蹴りへと移行する。

 アーサーは上体を逸らしてそれを回避、バランスを崩した少年に拳を振り下ろした。



 そして、喧嘩のような何かを始める2人。

 広くも無い部屋で埃が散り、炭の入った箱が倒れるのでは無いかと心配になる。

 いきなりの展開にリデルは少し混乱したが、そんな彼女にマリアが言った。



「ああ、気にしないで。いつものことだから」

「い、いつも?」

「ああ、あの2人は昔は家が隣でね。まぁ、つまりわたしとも近所ってことなんだけど。子供の頃からああやって喧嘩の真似事みたいなことをしてる」

「昔?」

「ん、まぁ……アーサーが王宮に上がってからは、しばらく途絶えてたけどね」



 言葉を受けて、リデルはアーサーを見た。

 流石に石の力は使っていないが、見る限り一方的に相手を殴っているように見える。

 力任せな少年に比べてどこか洗練されたような動きを見せているのは、リデルが少しは見慣れてきたことの証のようにも思えた。



「ぐべらっ!?」

「あはは、ほらほら、今日も僕の勝ち星を増やしてくれるんでしょう?」

「そのスカしたツラ、地面とキスさせてやるぜ!」



 同時に、だ。

 何だかアーサーも楽しそうで、少しだけ、ぼんやりとした気持ちを胸に感じた。

 このぼんやりとした感覚については良くわからないが、ただ、面白くは無かった。



「おーい、ディス。お前何しに来たんだ、まさかアーサーに喧嘩を吹っかけに来ただけってんじゃないだろーね?」

「ふぁんヴぁっふぇ?」

「ボコられ過ぎだ。そしてアーサー、ボコり過ぎだ」

「すみません」

「綺麗な笑顔で言いやがってこいつは……」



 何だか、少し、いやかなり、面白くなかった。



「まぁ、それは良いよ。それでディス、何か用?」

「ああ、そうだよそうだよ」



 顎を気にしながら、ディスと呼ばれた少年はあたりを見渡すような仕草をした。

 しかし目的のものを見つけることが出来なかったのか、不思議そうな顔をして、言った。



「<東の軍師>って奴は、どこだよ?」



  ◆  ◆  ◆



 その名前に、リデルは反応した。

 <東の軍師>、それこそが自分が今ここにいる理由だったからだ。

 本当ならば父がいただろう――父がアーサーの誘いに応じたかはわからないが――場所に自分が立っている、そう思えばこそ、身を引き締めなければならなかった。



「アーサー、お前が帰って来たってことは、連れてきたんだろ? 東部叛乱の立役者をさ!」

「<東の軍師>、ねぇ……」



 喧嘩の余韻からか興奮気味に話すディスに対して、座ったままのマリアはどこか微妙な様子で呟きを漏らした。

 先程の言動から察するに、彼女は<東の軍師>に良い印象を抱いていないのだろう。

 だからこの場では、判断が出来ない。



 このレジスタンス組織が、<東の軍師>を歓迎しているのかいないのか。

 いやそもそも組織の全貌ぜんぼうが見えないので、どういう考えが主流なのかもわからない。

 策を練るには、情報が不足していた。



「……ん? うわっ、何だお前!?」



 え? と顔を上げると、ディスが腰を抜かしている様が見えた。

 アーサーとは幼馴染らしいが、小柄なせいか背丈としてはむしろリデルに近い。

 それはともかく、ディスはリデルのことを指差していた。

 何のことかわからず戸惑っていると、アーサーが苦笑を浮かべながら。



「リデルさん、袖、袖です」

「え、袖って……あ」



 右腕を上げると、そこから蛇の頭が「こんにちは」していた。

 シューシュー言いつつ舌を出し入れしている様子を見るに、不満を主張しているらしい。

 まぁ、水気の多い所から煤っ気の多い場所への移動だったため、蛇の身体には厳しかったのだろう。

 ならばと衣服の襟元を指先で広げる、するとそこから2匹の小動物が姿を見せた。

 言わずと知れた、鳥とリスである。



「うわっ、マジで何だお前!?」

「な、何よ、何か悪いわけ?」

「いやいやいや、何だそれ、気持ち悪ぃ!」

「……はぁ!?」



 これにはカチンと来たのだろう、憤慨したようにリデルが叫ぶ。

 アーサーは「あーあ」と言いたげな顔をしているが、リデルはのしのしと腰を抜かしているディスに歩み寄ると、蛇が頭を出している右手を突きつけた。

 引き攣った悲鳴を上げるディス、もしかしたら動物に慣れていないのかもしれない。



「お、おいバカ、よせよ! それを俺に近づけるんじゃねぇ!」

「どこが気持ち悪いのよ、こんなに可愛いじゃない!」

「お前頭おかしいんじゃねぇの!?」

「な、何ですってぇ!?」



 目の前の蛇、足元に擦り寄るリス、頭の上に飛び乗ろうとする鳥。

 その全てに恐怖心を抱いているのか、ディスは腰を抜かしたまま壁際まで後ずさる有様だった。

 リデルはそれが気に入らないのだが、内心では少しばかりショックを受けてもいた。

 何もそこまで拒否しなくても良いでは無いか、そう思うのだった。



「……可愛いのに」

「ははは、まぁまぁ」



 肩を叩いてアーサーが慰めてくる、その際、彼は囁き声で教えてくれた。



「クルジュにはほとんど動物がいないので、慣れていない人が多いんですよ」

「慣れてない? いない? 何で?」

「いや、何故と言われましても……いないものはいないとしか」



 実際、クルジュに動物は少ない。

 特に旧市街には鳥の一匹も寄って来ない、都会だからと言う理由だけでは無い。

 リデルはさらに聞き出そうとしたが、それよりも先にディスが言った。



「と言うか、お前誰だよ?」



 そして議論は、本質へと戻る。

 あまりにももっともな疑問、答える義務のある者は1人だけだ。

 ディスだけでなくマリアも見つめる中、その義務を持つ者であるアーサーはリデルの肩に手を置いたまま。



「貴方達も知っての通り、僕は<東の軍師>の協力を得るために旅立ちました」

「ああ、そうだな。もう数ヶ月前の話だ、で?」

「その子は?」

「彼女は……」



 リデルが見上げる中、アーサーは言った。



「彼女が僕の連れてきた、<東の軍師>ですよ」



 ――――と。



  ◆  ◆  ◆



 アーサーの旅の目的は、窮地にあるフィリア人を救い出す方策を探すこと。

 そして<東の軍師>の捜索は、優先順位の筆頭にあった。

 東部叛乱の立役者。

 結果はどうあれ、アナテマ大陸の半分が大公国の支配から脱したのは事実なのだ。



 フィリア人を率い、ソフィア人と戦い、勝利を重ねた。

 長いアナテマの歴史の中で、フィリア人がソフィア人から勝利を得たのは東部叛乱の時期だけだ。

 だからこそ、フィリア人の間で<東の軍師>の名は絶対なのだ。

 奇跡の同義語となるほどに。

 だからこそ。



「……は?」



 だからこそ、アーサーの言葉に場の空気が凍りついたのも無理は無かった。



「厳密に言えば、<東の軍師>の後継者(むすめ)です」

「娘……?」

「なお、<東の軍師>本人はすでに他界されていました」

「!」

「だから、今は彼女だけが<東の軍師>のことを知っています」



 アーサーの言葉に対して、誰がどんな反応を示したか。

 まずマリア、彼女は驚きに目を見開いていた。

 だが反応としては薄い部類に入る、実際、彼女は変わらず椅子の背もたれに腕を乗せた体勢のままだ。

 体勢を変えず、一通り驚いた後は何かを考え込み、黙り込んでしまった。



 リデル自身はどうだろうか。

 彼女はマリアとは逆だ、驚きや動揺を押さえようとしているように見える。

 そもそも自分の立場の表明についてアーサーと事前に話し合っていたわけでは無い、コミュニケーションの経験が圧倒的に足りないことは自覚しているので、そのあたりのことはフィリアの事情に詳しいアーサーに任せるつもりだった。



(と言うか、このレジスタンス組織のことは本当にわからないし)



 軍師が軍師として活動するためには、もちろん閃きや知識も重要だが、何よりも情報が要る。

 その情報が無い今、下手なことはせず流れに身を任せるべし。



(スンシ曰く、『将軍の事は、静にして以って蔵く』)



 物静かにして、本心を隠せ。

 軍略の鉄則である。



「はあああぁぁ――――っ!?」



 そして3人目、ディス。

 彼の反応が最も激しく、動きもそれに合わせて急であった。



「こいつが!? <東の軍師>の!? 嘘だろぉ~!?」



 ひくっ、と頬が引き攣るのは仕方が無い。

 何と言うか、いちいち癇に障るイントネーションで話す奴だとリデルは思った。

 しかし彼女は動じない、ここで動じてはいけないと言うのを理解しているからだ。

 だから。



「こんなちんちくりんで、田舎臭くて、ガキっぽくて、蛇とネズミを可愛いとか言う変な奴がぁっ!? 馬鹿言うなよアーサー!!」

「何ですってぇ!?」



 冷静だったのだ、さっきまで。



「だ、誰がちんちくりんよ! アンタなんて私より背が小さいじゃない!」

「はぁ!? 俺の方が高ぇし!」

「どこがよ、私より目線下じゃないのよ!」

「それは俺が座ってるからだろうが!」

「腰が抜けてるってことでしょ、大体この子達のどこが気持ち悪いってのよ! ほら、良く見なさいよ!」



 もはや収拾がつかない、どちらも興奮している様子で譲る気が無い。

 原因を作ったアーサーは何も言わない、ただ苦笑を浮かべて2人の様子を見守るだけだ。

 そんな彼に、マリアが訝しげな視線を向ける。

 その時だ。



「ほら、ほーらー、可愛いでしょ!? このつぶらな目とか特に!」

「ちょ、おま……やめろって!」

「きゃ……!」



 ぱしんっ、と音がして、次いで柔らかいものが床に落ちるような音が響いた。

 音の元となったのは2つ、どちらも説明するのは簡単だ。

 一つは手を払った音、もう一つは尻餅をついた音だ。

 誰が?

 決まっている、当然。



「いたたた……」



 リデルである。

 腰のあたりを撫でるべく下ろした手が、何かに触れた。

 見れば、それは黒いビロードの帽子だった。



「あ」



 唇から漏れた吐息は、明らかな驚嘆を表していた。

 次いで上げた手は、さらりとした髪を撫でるだけ。

 視界に、薄い金の前髪が揺れていた。



「えーと……」



 目の前のディスを見て、後ろのマリアを見て、それからアーサーを見た。

 前の2人は驚愕、そして最後の1人は意味の異なる驚きを表情に見せていて。

 それに対して、リデルは一言。



「……どうしよ」



 どうしようも無かった。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

少しずつ話を大きくしていきたいと思っています、思っては。

どうしても主人公周りのことに捉われがちなので、もっと視野を広く持ちたいですね。

それでは、また次回。


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