表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/108

2-5:「今、何を思うべきか」

 翌朝、村人達は後始末に追われていた。

 襲撃してきた賊を倒して万々歳、とは行かないのが現実の厳しい所だろうか。

 アーサーはそんなことを考えて、汗の滲んだ額を手の甲で擦った。



「おーい、そっち持ってくれ」

「あいよ、せー……のっ」



 彼の近くでは、村の男達が堀に賊の死体を投げ入れている。

 昨日の戦い――ほとんど相手の同士討ちと自滅だったが――で何十も転がっている遺体を放置して生活など出来ない、だから何らかの方法で処理する必要があった。

 村人達が考えたのは、村の周囲に掘り巡らせた堀に投げ込み埋めることだった。



「まぁ、確かに掘る手間は省けますけどね」



 賊に怯えて作った堀に賊の死体を埋める、ある意味では皮肉が利いているとも言える。

 ただ、彼らが清々しい顔でそうしているのは確かだった。

 以前までの怯えと不安は消え去り、希望と喜びが表に出ている。



「お、なぁアンタ。ちょっと良いか?」

「あ、はいはい、何でしょう」



 これまでとの違いは、村人達のアーサーへの態度だろうか。

 村に来た当初は遠巻きにされていたが、今では積極的に声をかけてくれている。

 受け入れられたというのもあるのだろうが、重石が取れたというのもあるのだろう。

 賊に怯えていた頃には無かった余裕がそこにはあって、それは良いことのように思えた。



 今も、早朝から働きずめのアーサーに休憩を勧めてくれた。

 せっかくの厚意を無下にするのも悪い、受けることにした。

 アーサーはその場を村人達に任せて、自身は村の中へと戻る。

 村の中もまた、活気に満ちていた。



「そっちの木材とってくれ!」

「ここにはもう無い、森に行ってる連中が戻ってこないと」

「ほらほら、これでも食べて!」

「コメならたくさんあるからね!」

「あ、待てよー!」

「へへっ、お前が遅いんだよ!」



 戦いの影響で壊れた家を直す男達の声、共同でコメを握る女達、村中に散乱している石を拾い集める子供達……そのいずれもが、「戦いからの復興」と言う昏い部分を見せない。

 それは、良いことだ。

 良いことのはずだが、何故だろう、喜ぶことは出来ない。

 その理由を、アーサーは良くわかっていた。



「……おや」



 ブラブラしていると、ふと建物の陰に小さなものを見つけた。

 茶色の毛並みを持つ小動物、アーサーはそれを良く知っている。

 だからそのリスが自分を見て鼻をひくつかせた後、駆けていくのを見ていた。

 そして、その足をリスが駆けて行った先へと向ける。



 ふと空を見れば、太陽の眩しさの中に黒い点が見える。

 高い声で鳴くそれに目を細めて、アーサーは歩いた。

 そしてその先で、彼は見つけた。

 彼が今、最も気にかけている少女の背中を。



  ◆  ◆  ◆



 どんな地域、どんな場所でも、共通する風習と言うものはあるものだ。

 その内の一つに、葬式と言うものがある。

 葬式、死者を弔い、別れを告げるための風習だ。

 どの国、どの地域においても、不思議と葬式かそれに似たものが存在する。



「それでは、聖女フィリアの腕に彼の者が抱かれんことを……」

「ううぅ、父ちゃん……父ちゃぁん」



 もちろん、この村も例外では無い。

 賊の死体を埋めている場所とは反対側、森にほど近い郊外に共同墓地がある。

 墓地とは言っても小さな村だ、空いているスペースに木製の箱――中身については、言うまでも無いだろうが――を埋めるだけ。



 村長が聖職者を兼ねていることが、村の小規模さを表している。

 そんな中、グスグスと泣く男の子をルイナが軽く抱き寄せているのが見えた。

 どうやら、彼には母がいないらしい。

 そうなると彼はいよいよもって天涯孤独、と言うことになるのだろうか。



「リデルさん」



 背中からかけられた声に、リデルは僅かに顎先を上げた。

 リデル自身は葬儀の場にはいない、気を遣われたのか誘われはしなかったし、と言って誘われても参加する意思があったかどうか。

 結局の所、リデル本人にすらわからなかった。



「……人はいつか死ぬもの、他の動物と何も変わらないわ」



 何を言われたわけでも無いのに、そんな言葉を発した。

 その事実に、死にたくなる。



「島でも言ったでしょ、私だってパパと同じように、いつかは土に還るのよ。そして、次の命のための糧になるの。動物かもしれないし、植物かもしれないって」

「……そうですね」

「そうよ」



 おまけにアーサーの声音がやけに気遣わしげで、それがまたリデルを死にたくさせた。



「だから、別に、私……」



 こんな気持ちは、知らなかった。

 別に他人の「パパが死ぬ」ことに、センチメンタリズムな共感を感じたわけでは無い。

 ただ、知らなかった。



 だって、本にはこんなことは書いていなかった。



 どんな軍略の本でも結果としての犠牲は書いてあっても、数字以上のことは書かれていない。

 そもそも勝者の書物である以上、不都合な部分が書かれているわけが無い。

 戦えば味方も死ぬ、その摂理ですら、だ。

 本に書かれていないことを、リデルは知らない。



「私は……」



 直接、あの男の子から責められたわけでは無い。

 誰にも責められなどしない。

 理性的なことを言えば、リデルの策によって村は救われたのだから。

 全滅を免れ、「たった1人」の犠牲だけで済んだのだ。

 リデルは村の救世主だ、そうだろう?



 それなのに、どうして。



 どうしてこんなにも、後味が悪いのだろう。

 自分の思惑通りに策が奏功し、村を救えて、勝利したのに。

 この後味の悪さは、いったい何だ?



  ◆  ◆  ◆



 しばらくそのままでいると、葬儀を終えたのだろう、ルイナが村長を伴ってこちらへとやってきた。

 40代前後か、白の混じった髪と髭で顔を覆った柔和そうな人物だった。

 彼はまずアーサーの手を取ると、何度も頷きながら礼を言った。



「この度は村の危機を救ってくださり、本当にありがとうございました」

「いえ、僕のしたことなど。村の方々の努力の賜物です」



 模範的な回答とでも言うべきか、アーサーの受け答えには澱みがなかった。

 元王子と言う肩書きを意識したことは無かったが、こういう「慣れ」を見ると説得力があるのかもしれない。

 そういえば自分はアーサーについて良く知らないな、と、場違いながらそんなことを思った。



 そんなことを考えている間に、村長がやってきた。

 次は自分にもお礼を言ってくるのだろう、表情を見ればそれくらいのことはわかる。

 むしろあの柔和な表情でなじられでもすれば、それはそれで新鮮な驚きを感じてしまうだろう。



「この度は……」



 やはり同じだ。

 村長がリデルの前に立ち、手を差し出す。

 ただそれだけのこと、形だけと言えば、少々捻くれが過ぎているだろうか。



 差し出された手を、じっと見つめる。

 小さな農村だ、村長といえど農作業に従事しているのだろう。

 ゴツゴツとした節くれだった手だ、リデルの父とは違う。

 そう、父とは違う。



「……あの?」



 だからきっとこの手を取らないのは、アーサーを除いて、父以外の異性と触れ合った経験が無いせいだ。

 リデルはそう思った、思い、思うことで、自分すら騙せない嘘の存在を知った。



「……?」

「あ、ああ! そうだ、それで2人は今日はどうするんですか?」

「そうですね」



 困惑したように首を傾げる村長に、慌てたようにルイナが声を上げた。

 ルイナのあからさまな話題転換に、恥を感じた。

 普段なら怒る所だが何も言わなかった、言えなかった。



「僕達としては、今日にでも出発しようと思っています」

「そんな、私共の村を救ってくださったばかりではありませんか。もうしばらくこの村に逗留とうりゅうして頂ければ、何かのお礼も出来ると思うのですが」

「いえ、もう一晩泊めて頂いただけで、僕達にとってはすでに十分なお礼です」



 リデルは顔を上げた、そんな話は聞いていなかったからだ。

 いや、本来なら昨日にも出発しようとしていたのだから不思議は無いのか。

 けれどアーサーの横顔にはそれ以外の理由があるようにも見えて、またそんな風に穿った物の見方をしてしまう自分に「らしくなさ」を感じて、苛立ちは強まるばかり。

 悪循環だった。



「そうですか……」



 アーサーの言葉にしっとりとした頷きで答えると、ルイナが自分の方を見た。

 何だろうと思って顔を向けると、近付いて、耳元に顔を近づけてきた。

 ちょっぴり苦手そうな表情を浮かべるリデルに笑みを見せて、ルイナはこそこそと何かを言った。



「……はぁ?」



 何を言われたのだろう、リデルがあからさまに顔を顰めた。

 アーサーと村長はどこかぽかんとした表情を浮かべているが、一方でルイナは笑みを浮かべていた。

 どこか悪戯を成功させた子供のような、そんな笑顔だった。



  ◆  ◆  ◆



 数分後、リデルは村の外を歩いていた。

 アーサーはいない、ルイナが連れて行ってしまった。

 村長も何も言わないリデルとの2人きりには居心地が悪くなったのか、そそくさといなくなった。

 聞こえてくるのは、片付けを進める村人達の声くらいのものだった。



「アーサーを貸してねって、何なのよ、まったく」



 意味わかんない、と呟く。

 先のルイナとのひそひそ話――一方的に囁かれただけだが――で彼女が何を言ったのか、つまりはアーサーを借りて行く、というだけだ。

 それ以上でもそれ以下でも無い。



 そもそも、何故リデルに許可を取るのか。

 しかしそこまで考えて、ふと気になった。

 自分は結局、どうしてアーサー達と旅をしているのだろう。

 島に住めなくなったと言うのが大きな理由のはずで、そしてアーサーの方が自分を望んだからでは無かったか。



「元王子様に招聘される軍師様、なんて、妄想したりして」



 物語として見るのならば、それはそれは美しいものなのだろう。

 だが実際は、リデルはアーサーに王子様らしさなど感じてはいないし。

 アーサーもおそらく、リデルに軍師らしさなど感じてはいないだろう。

 地面を走り、身体を昇り、頬に毛並みを押し付けてくるリスの慰めも今は虚しかった。



「お墓、か」



 リデルはそれを見下ろしていた、お墓と言うにはやや雑な作りのそれを。

 木製の棺に入れて埋めるだけ、墓標も無ければ墓石も無く、どうやって埋められた人間を区別するのだろうと不思議に思った。



 リデルは知らないことだが、フィリア人は個人を選別できる「お墓」はあまり作らない。

 共同墓地とは、その名の通り、死後全ての人間が平等に埋められる土地のこと。

 例外もあるが、人は死後に一つとなるべき、と言う信仰があるのだ。

 フィリアの民には。



「私の策で」



 その先は、言えなかった。

 その先を言葉にしてしまえば、何かを諦めてしまいそうな気がしたからだ。

 けれど、何を諦めるのか、自分でもわからなかった。

 わからない――リデルは、わからないことが嫌いだった。

 だから、考えてしまうのだ。



「……あ」

「え、あ」



 その時だ、ふと気配を感じて顔をそちらへと向けた。

 するとそこに、あの男の子がいた。

 大人達の目を盗んで、もう一度父の下に来たのかもしれない。

 だがそこには、リデルと言う先客がいて……。



「あの」

「……!」



 次の瞬間、リデルはショックを受けたような表情でその場に佇み続けることになる。

 何故ならその男の子が、苦心の末に声をかけたリデルを無視して、背を向けて走り去ってしまったからだ。

 リデルはそれを、呆然と見送ることしか出来なかった。



「なによ……」



 その言葉に、力があるはずが無かった。



「……なによ」



 思い通りにならないことが発生した時、リデルはいつも「なによ」と言う。

 アーサーの時もそうだった。

 だがキツく引き結ばれた唇から、それ以上の言葉が漏れることは無かった。



  ◆  ◆  ◆



「あの子を、リデルをどうするつもりなんですか?」



 開口一番にそう問われて、アーサーは苦笑した。

 人気の無い村の外れに連れ出され、別れの言葉でもあるのかと思いきや、である。

 アーサーは苦笑を浮かべたまま、ルイナに言った。



「本当、随分とリデルさんに入れ込んでるんですね」

「幼馴染ですから、当たり前です」

「……リデルさんはいまいちそう思っていないような」

「そんな意地悪を言う人は嫌いです」



 子供のようにそんなことを言う、アーサーはますます苦笑を深くした。

 だがその内心では、ルイナの懸念をしっかりと理解していた。

 そう、彼女は懸念しているのだ。



 リデルを島から連れ出すように仕向けたのは、彼女であると言うのに。



 アーサーはフィリアの民を救うために<東の軍師>を求め、そしてリデルを連れ出した。

 今回、アーサーがリデルの策に従って戦ったのは、一つの試しでもあったのだ。

 はたして、リデルの策に有効性はあるのか、無いのか。

 結果は、概ね満足できる内容だったと思っている。



「彼女の才能は本物だと思いますよ、実際ね。今のフィリアに本格的な頭脳役がいないことを考えれば、彼女の存在は貴重であると言える」

「でもあの子は……ソフィア人です」

「まぁ、そこだけは予想外でしたね、確かに」



 あれでフィリア人であれば、と思わないわけでは無い。

 アーサーにした所でソフィア人と言う人種が好きなわけでは無い、ただ、ほんの少し分別を弁えているだけだ。

 人種では無く、リデル個人を見ることが出来るという分別を。



「いずれにしても、僕の目的は変わりませんよ」

「……どうしても?」

「はい、どうしても。そうでないと、僕が生きている意味がありませんから」



 そんなアーサーを、ルイナは哀しげな顔で見つめる。

 アーサーは笑顔だ、だがその笑顔の向こうに何があるのか。

 ルイナはその一端を、ほんの一部を知っている。

 だから、彼女は哀しそうだった。

 けれどそれに気付かないふりをして、アーサーはにこりと微笑を浮かべて見せる。



「ルイナさんは、このまま村に留まるのですか?」

「……はい、そのつもりです。面倒を見ないといけない子達もいますから」

「そうですか、それは残念ですね。リデルさんもきっと寂しがりますよ」

「意地悪な人」



 色々な意味を込めて、ルイナはそう言った。

 それから、ほんの少しだけ哀しそうな声で。



「……連れて行ってくれる気なんて、少しも無いくせに」



 アーサーは、それにやはり微苦笑でもって答えた。



「その方が、きっと貴女にとって幸福ですよ」



 ルイナは表情を歪めた、そして言い返す。



「あの子の幸福も、そうやって決めるんですか?」

「さぁ、どうでしょう……幸せだったと言ってもらえるように努力はしますが」



 これは、本当。

 アーサーはリデルの幸福のために全力を尽くすだろう、それはルイナにもわかる。

 その行為を何と言うべきなのか、ルイナにはわからない。

 わからないが、不安は感じる。

 だから。



(聖女フィリアよ、どうか2人に――――)



 祈ることしか、出来なかった。

 自分には動かせない、成せない何かを、誰かに託すように。

 その誰かがいったい誰で、いつかとはいつのことなのか。



 今はわからない、だからせめてそれが早まるようにと祈りを捧げた。

 祈りとは、託すと言う意味もある。

 ルイナには出来なかったことを、託す。

 誰かに、だ。



「ああ、それで僕に話と言うのは?」

「え? ああ、はい。ええと……」



 はっとして顔を上げ、微笑を浮かべるアーサーを見る。

 リデルのこともそうだが、別れとなれば、やはりいくつか言うべきことはあるように思われた。

 でも何故だろう、今、それを言う気にはどうしてもなれなかった。

 だからルイナは、また哀しそうに微笑んで。



「……何でも、ありません」



 それに、アーサーも。



「そうですか」



 微笑を崩さないままに、頷いた。

 それだけだった。

 それ以上のことは、そこでは起こらなかった。

 ――――哀しい程に、何も。



  ◆  ◆  ◆



 別れと言うのは、唐突に訪れるもの。

 リデルはそれを知っていた、父はもちろん、島で多くの動物たちと別れてきた。

 それを今、リデルは思い出していた。



「……ちょっと」

「もう少し」

「いや、ちょっと」

「もう少しだけ」

「いや、だからさ、ちょっと」

「もう少しだけ、ね?」

「いや、だからさ、ちょっと――――離しなさいよ!?」



 やたらに豊かな胸元に顔を埋めていた、と言うより抱き締められていたリデルは、全力で暴れることでその拘束から逃れた。

 村の正門とも言うべきその場所で、リデルを拘束もとい抱き締めていたのはルイナだった。

 まだ名残惜しそうなルイナを、リデルは心底鬱陶しげな顔で見た。



 それに苦笑を浮かべるのは、リデルの横に立つアーサーだ。

 まったくこの男、苦笑か微笑かしか見ないが、他に表情は無いのだろうか。

 そんなことを思いつつ、リデルはぱんぱんと自分の衣服を叩いて整えた。



「まったく、何なのよ、まったく」

「ふふふ、ごめんね」



 謝る声にこれっぽっちの誠意も感じない、見慣れた感のある笑顔がそこにある。

 思えば短い旅だった気がするが、何かと気にかけられていたなと思う。

 まぁ、お礼を言うことは無いわけだが。

 そもそもそれ以上に鬱陶しい、リデルは割と酷いことを考えていた。



「それでは、僕達はこれで」

「おお、この度は本当にありがとうございました」

「いえ、僕達こそお世話になりました」



 アーサーが村長と握手を交わして、それでお別れだ。

 村長とルイナの後ろには、ルイナの親戚を含めて多くの村人達がいる。

 彼らは一様に不安と言うか、そんな表情でアーサーとリデルを見送っていた。



 それでも引き止めないのは、先の戦いで自信を得たのだろうと思う。

 石にも、誰にも頼らずとも、自分達は村を守れると言う自信を。

 何しろ100人の賊を相手に、たった1人の犠牲で撃退……いや、撃破したのだから。

 そう言う意味でも、リデルの策は成功していたのだろう。

 ただ、今はそれを自慢するような心地には、どうしてもなれなかったが。



「それでは」



 そして、それで終わりだった。

 別れと言うものは、そう言うものだった。

 区切りが無ければキリが無く、そうした意味でアーサーは区切りをつけるのが上手かったのだろう。



「リデル」



 呼ばれて、ルイナの顔を見る。

 笑顔。

 でも今度は、少しばかり哀しげで――心配そうだった。



「元気でね」

「……まぁ、アンタもね」

「もう、ちゃんと名前で呼んでくれても良いのに」

「や」

「もう、意地悪ね」



 胸に手を当てて僅かに膝を折る、年上の彼女。



「貴女に、『聖女フィリアの加護がありますように』」



 リデルにはよくわからない、その祈り。

 その祈りを受けながら、同じように祈りをかけてくれる他の村人達を見る。

 そして胸の内で、ぽつりと独りごちた。

 ――――あの子は、来なかったな、と。



  ◆  ◆  ◆



 リデルのルイナに対する感情を一言で表すのであれば、「鬱陶しい」の一言に尽きる。

 何かにつけて構って来るし、それでいて年上ぶってくるのだ。

 ……まぁ、年上なのは確かなのだが。



「どうかしましたか、リデルさん?」

「……何でも無いわよ」



 村を出てからと言うもの、何度も立ち止まっては後ろを振り返るリデルの姿にアーサーは苦笑する。

 あれだけ鬱陶しがっていたのに、何とも可愛らしい。

 もちろん、アーサーとてルイナとの別れに何も感じないわけでは無い。

 海の村の一件以降、リデルよりも少しだけ長い時間を共有してきたのだから。



 だが彼は、こうした別れに慣れていた。

 そして今生の別れでも無い限り、また会うだろうという意識もあった。

 けれど、生きた知人との別れの経験自体が初めてのリデルには無い意識なのだろう。

 そう思って、アーサーはリデルが立ち止まって後ろを振り返る度に声をかけるのだった。



「ねぇ、アーサー」

「はい、何でしょうか」

「アンタさ、どう思った?」



 はて、と首を傾げる。

 どう思った、とはまた随分と唐突な質問だった。

 リデルにしては珍しく、漠然としている。



「……私の、作戦」



 ああ、とアーサーは頷く。

 それに対する答えはすでに決まっている、大成功だった、と。

 懐に引き込んでの同士討ち、中遠距離殲滅、どちらを取っても見事に嵌まっていたと思う。

 賊のほとんどは倒れ、生き残りも逃げ出した。

 味方の犠牲は1人きり、作戦として見るならまさに「大成功」の範疇だろう。



 同時に、アーサーはその「たった1人きり」の犠牲のためにリデルが思い悩んでいることも知っていた。

 ルイナに言われるまでも無い、そんなことは見ていればわかる。

 動物達の慰めも効果は無い様子で、後悔は……いや。

 後味の悪さを、消化しきれていないのだろう。

 経験不足と一言で片付けるには、それは少々重い内容だった。



(とは、言ったものの……)



 さて、何と言うべきだろうか。

 アーサーは考える。

 リデルの立てた作戦に従い戦った一兵士の立場から、何をどう伝えるべきなのか。

 ルイナにああ言った以上、アーサーとしては考え所だった。



「そういえばさ、私、ちゃんと聞いたこと無かったけど」



 考えている間にも、アーサーの背中には独白のようなリデルの声が届いている。

 村を出て田畑の見える平地を抜け、再び山々へと至る丘陵を、ゆっくりとした足取りで歩いていた。

 不意に後ろから聞こえるリデルの足音が止まり、アーサーはまたかと苦笑して振り向いた。



「リデルさ……」



 言葉は、途中で止まった。

 その原因は、別にリデルが転んでいたとかそう言うわけでは無い。

 むしろ視線はリデルが遠目に見ているだろう、ルイナの村にあった。

 丘から見下ろすその様はすでに小さいが、しかし、はっきりと見えた。

 異常な黒煙を立ち上らせる、村の姿が。



  ◆  ◆  ◆



 何故だ、と思ったのは一瞬だけだ。

 リデルの頭脳はすぐに答えを導いてくれた、要するに再襲撃だ。

 賊は全滅したわけでは無い、お腹が満ちたわけでも無い、他に襲える対象も無い。

 何と言う迂闊うかつ、リデルは自分の無能を呪った。



 いや、最初はその可能性にきちんと気付いていたはずなのだ。

 どんな軍学の本にだって載っている、油断大敵の精神。

 自分の策の犠牲者、勝利してなお死んでしまった村人。

 その衝撃が、自分の思考から対処法を吹き飛ばしてしまっていたのだ。



「い、今すぐ」



 行かないと、と言いかけて、はたと止まる?

 行く? 行ってどうすると言うのだ、今さら何が出来る?

 自分の腕っ節で何者が守れるものか、動物達の手を借りても何程のことが出来るものか。

 自分に出来ることは、一つだけだ。



(策を作る、ことだけ)



 軍師とは、そう言う生き物であり役職だ。

 手足となって動いてくれる者がいない限り、何も出来ない。

 第一、策とは準備の時間が成否を分けるのだ。

 島での魔術師との戦いでは地の利があった、先の村の戦いでは時間があった。

 だが今は? 何も無い、何も無いのだ、それに。



「リデルさん」



 はっ、と顔を上げれば、アーサーが荷物を捨て置いている所だった。



「僕が行ってきます、ここで待っていてください」

「は、はぁ? 何を言って」

「昨日の賊の生き残りなら、そう数はいないでしょう。僕一人で十分ですよ」



 自信か大言壮語か、どちらでも無いような気がした。

 何故なら、アーサーの目から感情の光が漏れていたからだ。

 強い輝きには、油断も大言も見えない。



 どこか、慣れていた。

 どうしてかそう思った、直感的な感覚なので理由はわからない。

 ただ、慣れている、そう感じた。

 思い起こせば、リデルはアーサーに対して何度もそう感じていたではないか。

 慣れている、と。



「リデルさんはここにいてください、すぐに戻りますから」

「いや、ちょ……」

「大丈夫」

「待てって、言ってんでしょうが!」



 ふわりと微笑して、アーサーは次の瞬間には消えていた。

 摩擦係数を減らし、斜面を滑り降りる形で加速したのだ。

 後に残されたのは荷物と、呆然と立ち尽くすリデルだけだ。



「……聞きなさいよ」 



 その声は、もう届かない。

 胸中に去来きょらいした感情は、何だろう。

 それは昨日からずっと感じているものでもあって、何度も言葉にしようとしては失敗しているものだった。

 非常に強い、後味の悪さ。



 後味。

 それは、どこから来るものなのだろう。

 結論からすれば、それは一つの感情へと結びつく。



「なによ……」



 いつもの、その言葉。

 ここで待てと言ったアーサーの言葉に、確かな苛立ちを感じた。

 何故ならば、彼は見切ったのだ。

 先にリデルが自身で直感したように、自分に出来ることは無いと。

 見切られた、そのことがリデルの中の何かを切った。



 戦力外通告、要するにそう言うことなのだろう。

 心配された。

 だから、リデルは思った。

 その思いを、そのまま言葉にした。



「……なによ!」



 今さら出来ることがあるのか、わからない。

 何かできるとしてそれは誰の犠牲も生まないのか、わからない。

 わからないが、しかし。



 しかし、ここで立って待っているだけなんて嫌だ。

 それだけは確かだった。

 だから彼女は、行動し思考することにした。

 自分に命令し、問いかける。



「私はリデル・コーベット……パパの娘よ!」



 さぁ、荷物なんて投げ捨てろ。

 さぁ、走り出せ。

 さぁ、考えろ。

 お前の足は何のためにある、お前の頭脳は何のためにある。

 策を考え、実行するためにあるはずだ、そうだろう。



「――策なんて、いくらだって作ってやるわ!!」



 ――――<東の軍師>の娘、リデル・コーベットよ。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

2章も何とか大詰めです、次章に向けていろいろ詰め込まないとですね。

それでは、また次回。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ