2-4:「策が生み出すもの」
「私は、世界最高の軍師になる女よ!」
その台詞が響き渡った時、しん……と空気が固まったことを誰もが自覚した。
凍りついたように動かなくなった世界の中で、ただ1人、つまり言葉を発した本人だけは雰囲気を異にしていた。
具体的には、腰に両手を当てて小さな胸を逸らしていた。
「あー……」
そのうち、村人の誰かが頭を掻いた。
賊が迫っている最中だと言うのに、妙に緊迫感が薄れていた。
狙ってやっているのだとすれば相当に優秀だが、おそらく天然だろう。
何となく、アーサーはそう思った。
「……何言ってんだアイツ?」
「世界さいこ……え?」
「と言うか、あの子、誰?」
「ちょっ、何よその反応!?」
正常な反応だと思う、そう思うのはアーサーだけだったろうか、どうだろうか。
だが本人はそうは思っていないのだろう、顔を紅潮させたリデルは櫓の枠をバシバシと叩きながら。
「こほん、さっきから聞いてれば……アンタ達、情け無いとは思わないの?」
「何か言い出したぞ、あいつ」
「そこっ、ちゃんと聞いて!」
「あ、はい」
何故か少女の言うことを聞く村人、根は優しいのかもしれない。
とは言えだ、現実の状況は何も変わっていない。
櫓の上から村人達を見下ろしながら、リデルはほぅ、と息を吐いた。
集中するべきだ、と思う。
何しろ自分はこれから、人生で初めて「集団」を動かさなければならないのだから。
まずは、弛緩した空気を引き締め直す。
そう思い伸ばした手の先、一羽の鳥が止まった。
「もう、30分もしない内に賊が塀を越えて来るわ」
鳥の目での確認だから、確実な時間とは言えない。
だが、何の情報も無いよりはよほどマシだ。
息を呑んだ眼前の村人達に対して、リデルは言う。
戦うのよ、と。
自分達の家は自分達で守れ、人類の歴史は常にその繰り返しだった、と。
彼女の脳裏に浮かぶのは、焼けた島と家。
それから、途中で見た海の村。
理不尽はある日突然にやって来る、と言うことをリデルはすでに知った。
「でも、アンタ達は知ってるじゃない。これから賊が来るって知ってるんだから、いくらでも対策は立てられるはずよ」
「そ、そんなこと言ったって、たった30分で何をどうすれば」
「大丈夫、私に任せなさい!」
――――策を作る。
それこそが「軍師」と言う人間の本懐、役割であるはずだ。
彼女の父親がそうであったように、自分もそうしたいと。
「私が、貴方達が勝てるような作戦を考えてみせるわ!」
リデルは、そう思っているのだった。
混じり気の無い、純粋な想いのままに。
◆ ◆ ◆
アーサーは、はっきりとした懸念を覚えていた。
それは目の前で繰り広げられている、「お前みたいな余所者に頼れるか!」「何ですってぇ!?」と言い合いに対する懸念では無かった。
村人達に他に選択肢が無い以上、遅いか早いかの違いでしか無い。
アーサーが心配しているのは、リデルのことだ。
能力に対する心配? もちろんそれもある。
彼女は本格的に集団を統率した経験が無い、個人戦の初陣がアレクフィナ戦であるとするならば、集団戦の初陣が今日だ。
心配しないわけが無い。
(……いや、本質はそこじゃないのかもしれない)
リデルの考えた策は、すでにアーサーとルイナには説明されている。
ルイナは微妙に反対の気配を漂わせていたが、現実性と言い意外性と言い、申し分ない策だと思う。
理論的には、おそらく成功するはずだとアーサーは思っている。
メインは村人の奮闘、それでいて勝利できるだろう策だ。
(でも、彼女は知らない)
戦における策が、何を生み出すのかを知らない。
リデルはきっと、己の策が勝利を生み出すのだと信じているのだろう。
信じて、疑いもしていないのだろう。
そしてそれは間違いでは無い、間違いでは無いのだが……。
「…………」
「あの」
櫓の上でぎゃーぎゃーと村人達と言い合いをしているリデルを見つめる彼、そんな彼に、ルイナが声をかけた。
心配そうな姿を隠しきれていない、と言うより、隠すつもりも無いのかもしれない。
そして彼女が言いたいだろうことを、アーサーはきちんと理解していた。
「大丈夫です、ルイナさん。リデルさんが直接戦うわけではありませんから、まぁ、何とかなりますよ」
「もちろん、リデルのことも心配です。けど、貴方のことも心配です」
「ルイナさん……」
「足だって、まだ治りきっていないのに……」
きゅっ、と、布を巻いて石を隠した手を握られる。
確かにアーサーの足の火傷は完治していない、が、歩行に影響が出る程でも無い。
心配しすぎだとも思うが、ルイナの肩が震えていることに気付いてしまえば、アーサーは何も言えなくなってしまった。
思えば、海の村でルイナを助けた時もそうだった。
2週間は動けない、そんな怪我も負った。
アーサーにしてみれば「罪滅ぼし」でも、ルイナにとってはそうでは無い。
そう言うことを知ることができたこと、それがルイナに出会えて良かったことだった。
「貴方達に」
アーサーの拳を額に当てて、祈るように彼女は言った。
「貴方達に、『聖女フィリアの加護がありますように』」
それは、フィリア人ならば誰もが知っている言葉だった。
古の聖女に祈る、加護をもとめる声だった――――……。
◆ ◆ ◆
――――最初に「それ」を見た時、先頭の男は不思議に思ったかもしれない。
だが彼は、深く物事を考えると言うことをしなかった。
後に続く者達にしても、誰1人として何かを考えると言うことをしなかった。
何かを考えるだなんて、余裕のある人間にしか出来ない。
お腹が、空いていたから。
腹がへって、腹がへって、腹がへって。
お腹が空いて仕方が無いから、彼らは何も考えなかった。
考えることが出来なかった。
その代わりに、本能だけが鋭敏に働いていた。
「……あ゛ぁ゛~!」
誰かが、濁った声を――悲鳴にも似た声を上げた。
ああ、ああ、と、悶えるような声がさらに続く。
それはさざ波となり、どんどんと広がっていく。
乾いた肌は悟る、空気が熱で澱んでいることに。
荒れた舌は悟る、今、最後の水分が口の中に生まれつつあることに。
そして久しぶりに機能を果たし始めた嗅覚は、ずっと求めていたものがすぐ近くにあると言う事実を彼らの本能に届けた。
つまり、食べ物だ。
「く、くいものだ……!」
「た、たべもの」
「よこせ……よこせえええええええぇぇっ!」
「があ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!」
獣の咆哮が、響いた。
我先にと彼らは飛び込んだ、そして目の前に積まれた食べ物をひたすらに掴んだ。
地面に直接積まれたそれを汚く思うことも無く、ひたすらに口に詰め込む。
すでに料理されているものもあれば、調理されていない生の食糧もあった。
誰も彼もが、よこせよこせと口を開け、手を伸ばし、食べる。
食べる、食べる、食べる。
たべる、たべる、たべる。
タベル、タベル、タベル。
「がっ、がっ、がっ」
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
噛み、飲み込み、息を荒げる。
本能のままに動く彼らは、考えることが出来なかった。
考えることが出来ていれば、少しは不審に思ったかもしれない。
不審に思えていれば、彼らの未来は変わっていたのかもしれない。
例えば、どうして村の門が開け放たれていたのか――今は、いつの間にか閉ざされているのか。
堀や塀まで作って防備を固めていたのに、どうして守ろうとしなかったのか。
どうして、広場に食糧が積まれていたのか。
どうして、ここに至ってなお村人の姿が一つも見えないのか。
どうして、その僅か一言を脳裏に描くことが出来て、いたのなら。
彼らの未来は、きっと違ったものになっていただろう。
◆ ◆ ◆
不意に、誰かが気付いた。
それは先頭近くで無我夢中で食べ物に齧り付いていた先頭集団では無く、押し合いへし合いしながら狭い門を通り抜けた他の賊――飢民達だった。
彼らは気付いたのだ、「足りない」と。
そもそも広場に積まれていた食糧は、コメや野菜など、せいぜいが10人分程度だ。
それに比べ、飢民達の数は100人前後はいる。
つまり、10分の1だ。
どんなに分け合っても30人がありつければ良い方で、後の70人は野菜の葉すら口に出来ない。
「おい! 俺らにも寄越せよ!」
「うるせぇ! この食い物は俺のもんだ!!」
「ふざけんな、誰にもやらねぇぞ!」
後ろの70人は前の30人に言う、その食い物を寄越せ、腹がへっているんだ、と。
前の30人は後ろの70人に言う、お前達のことなど知ったことか、と。
噛み合わない、故にそれが起こるのは必定だった。
「うがぁっ!?」
この世のものとは思えない程の鈍い悲鳴が、広場に響き渡った。
その発生源は1人の男だった、倒れている、倒れた男の背後には女がいた。
女は手に木の棒を握っており、その先端にはべったりと赤い液体がついていた。
ポタポタと地面に滴り落ちるそれと、倒れた男の頭から噴き出すそれは同じものだった。
「ひっ、ひ……いひっ、ひひひひひひ!」
以前はそれなりの容姿を持っていただろう若い女は、壊れた笑みを浮かべながら棒を投げ捨てた。
そして倒れた男の手からコメの塊を奪うと、両手に持ったそれに齧り付いた。
次の瞬間、その女もまた頭を割られて倒れ伏すことになる。
後からどんどんとやってくる飢民達は、前にいる人間を力尽くで排除し始めた。
食べるためだ。
生きるためだ。
その理由の前には、いかなる結果も正当化され得る……少なくとも、この時点では彼らの行動はそう言っていた。
「そいつを寄越せぇっ!」
「くたばれ! くたばれ! くたばれええええええええぇぇぇっ!!」
「食い物は俺のもんだ!!」
殴る、蹴る、刺す、抉る。
拳で、石で、木棒で、刃物で。
血を流し、脳髄を流し、臓物を流し、肉片を飛ばす。
男も、女も、老人も、子供ですらも。
どこか遠くの国の伝説には、暴食を極めた者達が堕ちる地獄があるのだと言う。
そこに堕とされた罪人は生涯飢えから解放されることは無く、周囲の罪人達の肉を喰らい合いながら、常に飢えに苛まれ続ける。
今この村は間違いなくそれを再現していた、地獄と言う名の再現を。
100人が90人に減り、90人が70人に減り、70人が40人に減り……その時だ。
「ぐぇっ!?」
また悲鳴が上がった。
だが今度は、彼ら同士の争いによって起こった悲鳴では無かった。
それは、どこからか飛来した拳大の石を詰めた麻袋によるものだった。
投擲しやすいように結ばれたそれを頭に受け、血を噴出しながら彼らの内の1人が倒れる。
そして次の瞬間、彼らはぎょっと驚くことになる。
何故ならば、彼らの仲間――もはや食糧を奪い合うライバルでしか無いが――を打ち倒したその「兵器」が、無数に空を舞っていたのだから。
とどのつまり。
凶器の雨が、彼らの頭上に降り注いだのである。
◆ ◆ ◆
スンシ曰く、『善く戦う者は、人を致して人に致されず』。
戦いの上手い者は、相手をコントロールして優位に立つ。
リデルの策は、とどのつまりはその一言に尽きた。
「良いわよ、そのまま投げ続けなさい!」
櫓の上から、リデルの声が響く。
それに応じるのは、柵の外から、小さな麻袋に拳大の石を詰めて投げている村人達だった。
若い男衆十数名が、一丸となってうずたかく積まれた麻袋を投げ続けていた。
麻袋が飢民に当たり、打ち倒す度に、彼らは歓声を上げた。
「お、おお……すげぇ!」
「これ、行けるんじゃねぇか!?」
「行ける!」
「行けるぞ!」
作戦は、至って単純だった。
リデルは飢民の性質を読み、とにかく彼らは食べ物が欲しいのであって、他のことは考えられないだろうと判断した。
飢えは知らない、が、飢えと言うものが人を変え乱を呼ぶことは本で読んで知っていた。
同時に、飢えた集団の強さと脆さをも知っていた。
飢えた人間を正面から押し留めようとすれば、相当の被害が出る。
だからリスクを承知で村の中に引き込む、それもわざと僅かな食糧を積んで。
田畑に流れる可能性もあったが、調理の香りで誘うことで確率を減らした。
そして案の定、彼らは食べ物に釣られて中に入り……少ない食糧を巡り、同士討ちを始めた。
「う、うわっ、こっちに来たぞ!」
同士討ちで数を減らした後の、奇襲。
だがそれで全滅させれらるかと言うと、それはまた別の話だ。
現に、何人かの飢民が外の村人達に気付いて駆け寄ってきていた。
頭から血を流し、口から泡を飛ばして、手には思い思いの凶器を持って。
「――――ッ!」
その時、そんな彼らの前に1人の少年が割って入った。
言わずともわかる、アーサーである。
布を巻いた拳を構え、滑るように割り込んできた。
「どけええええええええええええええっ!」
「それはちょっと」
「げへぇっ!?」
振り下ろされた木の棒を滑りながらかわし、横に回りこんで、捻りこむようにして顔面に拳を叩き込んだ。
頬骨が砕ける感触が拳に伝わり、摩擦係数を上げたことで擦過し、焦げ落ちる頬肉が視界に入る。
悲鳴を上げて倒れる飢民、だが彼らの仲間はそんな彼に同情する素振りすら見せなかった。
後ろから刃物を突き出してきた男の腕を、横にズレることでかわす。
そして撫でるようにその腕に触れると、皮と肉が捲れ上がった。
血を噴出し悲鳴を上げる彼の顔に、アーサーの膝が叩き込まれる。
「お、おおっ……あの兄ちゃんすげぇな!」
「でも……危ねぇっ!」
村の中で活動すると言うことは、流れ弾に当たる可能性があることを意味している。
しかし、その点に関しては問題ない。
何故ならば。
「おっと、危ない」
今も一つ、石の詰まった麻袋がアーサーの頭に当たりそうになった。
どういうわけかそれはアーサーの表面を滑り、擦り抜けてしまう。
村人達には何が起こったかわからないだろうが、それは摩擦だ。
摩擦係数を下げることで、石の硬さを感じることなく衝撃ごと麻袋を逃がしているのである。
「さて、あと10人20人と言った所ですかね」
拳を振りながら顔を上げると、広場に残っていた飢民達が怯えた眼差しを向けて来た。
死屍累々、同士討ちと麻袋の石で打ち倒された飢民が折り重なりながら倒れている。
その全ては、痩せ衰えたフィリア人だ。
(『聖女フィリアの加護がありますように』、ね……)
誰にも聞こえないよう胸の内でそう呟く、事実、それは酷い皮肉のように思えた。
フィリア人に加護を与えてくれるはずの古の聖女は、何を見ているのだろう。
どうして、フィリア人の自分にフィリア人を屠らせるようなことをするのだろうか。
古の聖女の存在を心から信じたことなど無いが、それでも問わずにはいられなかった。
自分は、フィリア人への「罪滅ぼし」のために生きているはずなのに。
どうして、この手でフィリア人の同胞を打ち倒さなければならないのだろう。
◆ ◆ ◆
太陽がそろそろ沈み始めようかと言う頃、リデルは昂揚感の中にいた。
耳には村人達の勝ち鬨の声が届き、胸の内にはチリチリとした興奮が焼き付いている。
「ありがとう、アーサー。怪我は大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」
だから、櫓から改めて下ろされた時には素直にお礼を言うことが出来た。
一方で、アーサーの顔にやや陰が差していたことには気付くことが出来なかった。
むしろ意識は、地面に足をつけた瞬間に自分を囲んだ村人達に行く。
「おお、見てくれ! アンタのおかげだよ!」
「始めは何だこのみょうちくりんなちんちくりんはと思ったけど、大したもんだよ」
「見かけによらず、凄いんだな!」
「良いのよ、私は策を作っただけ。頑張ったのはアンタ達じゃない」
上機嫌、その一言に尽きる。
何しろ普段なら「どういう意味よ!?」と怒鳴ってもおかしくない言葉をかけられても、むしろニコニコと謙虚な台詞を口に出来るのだ。
胸の内では、「自分の策が嵌まった」と言う心地よい音楽が流れている。
父のような――明確には、<東の軍師>のような――軍師になりたいと、島にいた頃から思っていた。
だが父の教えを守って島で過ごすのだと思っていた時には、それは抑圧されていた。
抑圧は、反動を生む。
その抑圧が今、機械を得ることで吐き出されているのだろう。
(自分の作戦で勝つって、こんなにも気持ちの良いものだったのね)
思う、初めて口にする勝利の美酒の何と甘美なことか、と。
それはとても甘く、何度でも口にしたいと思える程に魅力に満ちていた。
もっと多くの人間を動かして、より大きな勝利を得たいと思っても不思議では無い。
それに、リデルにはあの飢民達が到底、人間とは思えなかったのだ。
そもそもリデルには、飢えという感情はあまり理解できない。
島で自給自足していたリデルにとって、飢え、精神を病んで他者を襲う飢民と言う存在は理解の外にあった。
自分と同じ人間とも思えなかったし、アーサーやルイナ、村人達と同じフィリア人とも思えなかった。
獣のように食糧に群がる様は獣より汚らしく、分け合おうともせず相手を殺してでも独占しようとする姿は醜いとしか言いようが無かった。
「……父ちゃん!」
その時だった。
どこかで聞いた声が、歓声の中を縫うようにリデルの耳に届いた。
その声に誘われるように、視線をそちらへと向ける。
するとそこには、リデルの昂揚感を打ち砕きかねない光景が広がっていた。
◆ ◆ ◆
この村に来た時、リデルが一組の親子に出会ったことを覚えているだろうか。
櫓の由来を気にしていたリデルを笑った子供達と、その父親だ。
かなり気分の悪い出来事だったため、その顔と声まで良く覚えている。
「父ちゃん! 父ちゃん!」
その時の男の子が、今、倒れ伏した父親に縋り付いている。
右眼の上が不自然に陥没していることから、おそらく正面から撲殺されたのだろう。
柵の前で倒れている彼は、血の海に沈んでピクリとも動かなかった。
縋り付いた男の子が上げる声は、悲嘆に満ちた泣き声だった。
柵の上に降り立った数羽の烏が、不思議そうにその光景を首を傾げながら見下ろしている。
そして、その光景を目にしている者がもう1人いた。
「……嘘」
リデルは今、信じられないものを見るような顔でそれを見ていた。
父親の亡骸に縋る小さな背中を、大きな瞳の真ん中に映して、呆然と呟く。
そうするしか無かった。
理解が出来なかった。
だって、自分達は勝利したのだ。
勝った、完膚無きまでに勝った、疑いようも無いくらいの大勝利だった。
襲い掛かってきた飢民達は7割まで倒し、辛くも逃げ出した他の面々も散り散りになった。
それなのに。
「どうして」
先程まで感じていた昂揚感など、すっかり消え去ってしまっていた。
代わりに去来したのは、胸の奥を抉られたかのような大きな虚脱感と恐怖だった。
身体が震える、唇が乾く、吐き気がする、足元がふらつく、思考が揺れる。
軍師としての理知的な思考が、どこかへと吹き飛ぶのを感じた。
「なんで、だって」
――――勝ったのに。
その一言が、どうしてだろう、今は口に出来ない。
口にしようとすると、自分の中の何かが口を塞いでしまう。
作戦通りなら、柵の外の脅威は低いはずじゃないか。
飢民達が想定通りに動いたのなら、危険は調理済みの食糧のある広場と、次点で実りのある田畑。
腹がへって思考を失っている飢民ならば前者を取るのが普通では無いか、例外がいるはずが無い。
それなら、どうしてあの父親は死んでいる?
「リデルさん」
名を呼ばれ、震えながら背後を振り返った。
そこにアーサーがルイナを伴って立っていた、だがリデルが震えたのは、彼が表情を作っていなかったからでは無い。
広場から門へと続くこの道に、累々と転がる飢民達の遺体。
それが初めて、現実的な感覚として視界に入ったからだ。
「ひっ……」
先程まで、汚らしい畜生以下のナニカに見えていたはずの彼ら。
それが今は、何故か、自分と同じ人間に見えた。
自分と同じ、人間。
――――同じ! 人間!
「わ、私は……!」
完璧な策を作り、伝え、実行させた。
結果、勝利した。
そして、村人に犠牲が出た。
言葉にすればたったそれだけのことなのに、どうしてか理解できなかった。
この時、彼女は初めて意識した。
理解したのでは無く、意識したのだ。
自分の策で動かしているのが、自分と同じ「人間」であると言う意識。
自分の策で討ち倒しているのが、自分と同じ「人間」であると言う意識。
自分が。
「私が、やったことって」
人間を動かし、人間を死なせる。
他人に他人を、殺させる。
一度認識してしまえば、それはとても。
「そんな、だって、私は、ただ」
それはとても、残酷なことのように思えて。
「私はただ、村を助けてあげようって」
リデルは、どうしようもない気持ちになって。
「だから――――!」
村人達の勝ち鬨が響く中、ひっそりと少女が悲鳴のような叫び声を上げた。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
想定通りに物語を進めるのはなかなか難しいですが、楽しくもあります。
このまま、予定通りのルートで押していきたいです。
それでは、また次回。




