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2-3:「飢餓なる者共」

 それは、「群れ」だった。

 他に形容しようが無い、本当に、それは群れだった。

 動く、歩く。

 そんな人間的な表現が似つかわしく無い、ただ移動している物体にそんな表現は似合わないだろう。



 何故なら、「彼ら」は生ける屍だったのだから。



 風雨と土、あかに汚れた衣服はボロボロで、もはや服では無く雑巾ぞうきんと言った方が正しい。

 肌は黄色く浅黒く、日に焼けた以外の理由でそうなった肌は荒れていて醜い。

 顔は浮腫むくみ、手足は枯れ枝のように細く、腹部だけが突き出すように膨れている。

 老人がいる、男がいる、女がいる、子供がいる。



「……」

「…………」

「………………うぅ」



 何人も、何十人もの人間が、何も喋らずにただ移動している。

 足取りは重く、足裏――靴を履いている者はいない――と地面を擦れ合わせながら、身体を引き摺るように動いている。



「うぅ」

「うぅぅ」

「ううぅぅぅ……!」



 唸っている。

 乾きに乾いた唇から漏れるのは、呪詛のような呻き声だけ。

 それ以外の音は、無い。



 あるとすれば、彼らが手に持つ異様な物が立てる音だろうか。

 刃こぼれした農具、先端を尖らせた木棒、ゴツゴツとした石――――。

 明らかに、他人を害するために作り出され、削られた物だった。

 他人を害するために。

 ……何のために?



「……が」

「…………が」

「………………が」



 それは、奪うためだ。

 奪う。

 何もかもを奪うために、彼らは動いている。

 そう、動いているだけだ。



 そこに意思は無い。

 彼らは何らかの意思で動いているのでは無い。

 本能。

 本能だけで、ただ動いているだけだ。

 そう、ただの。




「――――はらが、へった……!」




 空腹。

 彼らを動かしているのは空腹、飢えだ。

 飢え、それは人間を追い詰め、獣へと墜とす。

 飢えを満たすためなら、彼らはまさに獣と化すだろう。



 歩く、いや、動く。

 ただただ移動する、その先には村があった。

 あと何時間かかるかはわからない、それだけ動きが遅いからだ。

 だが確実に、彼らは「そこ」に到達するだろう。



「腹が、減ったぁ……!」



 そして、奪い尽くすだろう。

 喰い尽くすだろう。

 飢えた腹を満たすために、草の根まで何もかもを食べ尽くすだろう。



 そうでなければ、死ぬしかない。

 そうしなければ。

 ――――死ぬしかない。



  ◆  ◆  ◆



 阿鼻叫喚。

 言葉にすれば簡単だが、意味をきちんととらえている者は少ないのでは無いだろうか。

 ちなみに辞書的に言えばこうなる、「世に絶望し救いを求める様」。



「な、何よ。いったいどうしたって言うのよ」



 そしてその様を今、リデルは目の当たりにしていた。

 戸惑うと同時に、明確な怯えを感じている。

 無理も無い。

 数十人の人間が何事かを叫びながら走り回る様を、彼女は生まれて初めて目にしたのだから。



「ねぇ! アーサー!」

「いや、そこで僕に聞かれても困りますよ。まぁ、でも……」



 服を掴まれる形になっているアーサーも、突然の変化に戸惑いを隠せない。

 村人達の様子がおかしいことはわかっていた、が、これは流石に予想外だった。

 改めて周囲を見渡せば、静かだった村は喧騒けんそうに包まれている。

 それも、悪い意味での喧騒だ。



 ある者は絶望の叫びを発しながら、どこへともなく走り逃げ惑っている。

 またある者は呆然とした表情を浮かべて立ちすくみ、左右を何度も見ては何も出来ずにいる。

 そしてまたある者は家の中へと引き篭もり、扉を固く閉ざして外界から自らを隔離してしまった。

 どう見ても、普通では無かった。



「……明らかに、良くないことが起こっているのでしょうね」

「そんなのわかってるわよ。私が聞きたいのは、何でこうなったのかってことなの!」

「そこについては、むしろ僕が聞きたいくらいなのですが」

「何よもう、本当にアンタって……」



 その時、上空から一羽の鳥が舞い降りて来た。

 傍で「ピィピィ」と鳴くそれに、リデルは頷きを返してお礼を言った。

 とは言え、アーサーは鳥とお話など出来ないので。



「えーと、彼は何と?」

「この子はメスよ」

「それは失礼」



 などと言う、どうでも良い会話をしつつも。



「人が来るって」

「人?」

「うん、何か一杯来るって」

「一杯と言うと?」

「そこまではわからないわよ。ただ、とにかく人っぽいものが一杯来るって」



 また何とも、抽象的な情報だった。

 まぁ鳥だから仕方ない、そう考えた瞬間に嘴が頭に突き刺さったが、別に考えを読まれたわけではない、はずだ。

 とにかく、重要なのは「人らしき集団が村に向かってきている」ということだ。



 ならば、村人達のこの反応はその情報を得てのもののはず。

 すると、何を連想する?

 お祭りでもあるのだろうか、などと頭の弱いことを考えられる程に、アーサーは楽天家ではなかった。

 それに、フィリア人に祭りをするような余裕など無いのだ。

 いつだって、どこでだって。



「2人とも!」



 不意に呼ばれて――阿鼻叫喚の叫びが連なる中、良く聞こえたものだが――2人は顔を上げた。

 するとそこに、ルイナがいた。

 走って戻って来たのだろう、肩で息をして、膝に手をついている。

 彼女はそのままの姿勢で顔を上げると、言った。



「2人とも、す……すぐに来て、いえ、逃げてください!」

「は?」

「良いから! と、とにかく、こっちに……!」

「ちょ」



 驚く2人を無視して、ルイナは2人の手を掴んだ。

 そしてそのまま、引っ張るように駆け出す。

 村の入り口とは反対側に向かっている様子なのだが、理由は良くわからない。

 特にリデルは、繋がれた手に妙なむず痒さを感じている様子だった。



「ちょっ、何!? 何なのよ!?」

「ごめんなさい! でもとにかく早く逃げないと……!」

「いやっ、このっ……待ちなさいよっ!」



 両足を踏ん張り、リデルが駆け出すのを止める。

 ガクンッ、と身体が揺れるのを感じた。



「そんな急に言われて、はいそうですかって走るわけないでしょ!? わけわかんないわよ、何なのよ? ちゃんと説明しなさいよ!」

「……ッ」



 その時、リデルは見た。

 ルイナの顔がもどかしげに歪むのを見た、普段は優しいか困ってるかしか見たことが無かったため、これには驚きを感じた。

 ビクリと肩が跳ねたのは、きっと驚いただけだ。



「ルイナさん」



 そんなルイナに、アーサーが宥めるように声をかけた。



「事情を聞かせてください。何があった、と言うより、何があるんですか?」

「それは、でも、話している時間が」

「……だからっ、それは何でって」

「ルイナさん」



 リデルすらも遮って、アーサーは繰り返した。



「お願いします」



 アーサーの言葉に、ルイナはやはりもどかしげな表情を浮かべる。

 それでも、何も事情を話さないままでは2人が動かないと悟ったのだろう。

 だから、彼女は話した。

 この村の抱える、事情を。



  ◆  ◆  ◆



 ――――その村は、特別な村だった。

 何がどう特別なのか、それを一言で説明するのは難しい。

 ただこの村の特別性を象徴するものは、確かに存在していたのだ。



『おいしさま』



 かつて……という程に昔と言うことは無いが、とにかくかつてあったものだ。

 それは村の広場に建設された櫓の頂上に設置されていて、過去12年間に渡りそこにあったと言う。

 どんな物だったか、と問われて答えられる村人は実は少ない。

 何しろ「それ」の原理を知る人間は、村にはいなかったのだから。



 紅く輝く、その「石」の原理を知る人間は。



 それは櫓の下の仕掛けを操作することで、紅い輝きを放つだけの石だった。

 だが、それがこの村の守りとなった。

 フィリア人にとって、紅く輝く石と言うのは畏怖の対象である。

 支配者であるソフィア人の象徴であり、敵わない巨大な何かだった。



『あ、あれは……!』

『ひいぃ……!』

『アリウスの光だ! 逃げろぉ……!』



 フィリアの土地は、どこも貧しい。

 豊かな土地は全てソフィア人のものであり、フィリア人は等しく貧しかった。

 賊が増加するのも、無理も無い状況だった。

 そして賊になったフィリア人達は、村を照らす紅い輝きを前にすると蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。



 そう、『おいしさま』がある限り、この村は賊に襲われずにすむ。



 だからフィリア人の村にしては、田畑は荒れず食糧も豊かな方だったのだ。

 村人達の気性も穏やかで、彼らは皆、平和の中で農業に励んでいれば良かった。

 身内と近隣の村々の人々、それだけで良い閉ざされた世界。

 彼らはそれだけで、十分に満足できたのだ。



『おいしさま』



 逆に言えば、たった一つの石に依存している村だと言える。

 石が無ければ、他の村と同じように賊に襲われ滅びていただろう。

 あるいは、村人自身が賊に身を落としていたかもしれない。



 だが彼らは、そんな可能性を考えもしなかった。

 そこに『おいしさま』があるのは当然で、その輝きは永遠のものだと思っていた。

 信じていた。

 勘違いしていた。

 錯覚していた。



『あれ、おい、見ろよ』

『何だよ』

『いや、『おいしさま』、何か変じゃないか?』

『ん? いや、いつも通りだろ』



 そしてその時は、突然やってきた。

 ある日、『おいしさま』の輝きが弱くなったのだ。

 最初はほんの少し、光が弱まった程度だった。

 だから、誰も気にしなかった。



 だが日が経つにつれて、だんだんと『おいしさま』の輝きが弱く小さくなっていった。

 それはいずれ誰の目にも明らかになったが、誰にもどうすることも出来なかった。

 だって、それがどうして光っているのかなんてわからなかったから。

 そうして不安げに櫓の上を見上げる時間も、やはり突然終わりを迎えた。



 『おいしさま』が砕け散ると言う、決定的な瞬間をもって――――。



  ◆  ◆  ◆



「なるほど……」



 ルイナの説明を一通り受けたアーサーは、一つ頷いた。

 アナテマ大陸の常識について一定程度知っている彼は、その説明だけで大体の事情を呑み込んだのだろう。

 しかしもう1人……つまりはリデルのことだが、彼女はそうでは無かった。



 そもそも、彼女は世間一般が持っているような「アナテマ大陸の常識」を持ち合わせていない。

 だからルイナの説明だけでは、「ピカピカ光る石が無くなった」ぐらいにしか認識できないのだ。

 そしてそれを、村人達の混乱に繋いで考えることが出来ない。



「どういうこと? その『おいしさま』って言うのが無いと、そんなに困るの?」

「ああ、そうか……はい、かなり困ったことになるでしょうね。リデルさん、そのぉ……ここに来る途中で僕が追い払った人達のことを思い出してほしいのですが」

「え、ああ……」



 言われて思い出した、賊に襲われかけた時のことだ。

 あの時は、アーサーがグローブの石を光らせるだけで逃げて行ったが……。



「……もしかして」



 ふとした思いつき、それを見たアーサーが頷く。



「はい、この村には石があったのでしょう」



 そうして見せてくるのは、アーサーのグローブに嵌め込まれた紅い石だ。

 鈍く輝くそれは、濁りの中に独特の力強さを感じさせる。

 ――――魔術の源となる、ソフィア人達の力の象徴だ。

 アーサーが元王子と言う肩書きでそれを所有していることは、リデルも聞いてはいたが。



「きちんとした説明は、まだしていなかったですかね。この石は正式には<アリウスの石>と言います。アリウス鉱石と呼ばれる原石を加工して作るのですが、まぁ、加工方法については僕も専門では無いので」

「でもそれ、ソフィア人って言うんだっけ。その人種の人じゃないと使えないんじゃなかった? それとも、この村にはソフィア人がいるの?」

「いえ、いないでしょうね」



 ソフィア人は――それこそ、リデルのような例外を除いて――このような「未開発の」村には住まない。

 だからまず、この村にはソフィア人はいない。

 ならば何故、ソフィア人にしか扱えないはずの<アリウスの石>を村人達が賊の撃退に使っていたのか。

 当然の疑問だ、だからアーサーは答えた。



「<アリウスの石>は、魔術以外の用途でも使えるんです」



 魔術とは<アリウスの石>を触媒に、個々の魔術師が独自の理論で使用するものだ。

 その際、魔術師達は己の方法で<アリウスの石>を鉱石から加工する。

 つまり魔術師とは、言ってしまえば、アリウス鉱石を精錬・加工する技能を持った専門家のことなのだ。

 ちなみにリデルは故郷の島を燃やされた経験からか、魔術の話になるとあまり良い顔をしない。



「魔術師の総本山、つまり大公国のことですが……彼らは20年程前から、魔術の一部を民間に開放したんです。それが、<アリウスの石>のもう一つの使い方です」



 元々は、東部の反乱で疲弊した国民生活の向上を狙ってのことだったとされている。

 そしてそれは功を奏した。

 人々の生活は魔術の民間利用で劇的に変わり、ソフィア人は大陸随一の豊かさを手に入れた。

 それを支えたのが、<アリウスの石>をコアとする製品の開発・流通である。



「こちらは明確には魔術では無く、複雑な公式と命令を組み上げると違って、あらかじめ設定した命令プログラムを実行するだけの道具アイテムなんです」

「ふむふむ」

「この村にあった<アリウスの石>はおそらく、それだったのでしょう。命令はたぶん、「光る」こと。そしてフィリア人の賊は、<アリウスの石>の輝きを見ると怯え、逃げるしかない……」

「単純だけど、効果的な策。スンシ曰く、『彼を知れば、勝ちはすなわち危うからず』と言うわけね」



 古代の軍略家の言葉についてはアーサーは詳しくない、が、おそらくそう外れてはいないだろう。



「石って壊れるの?」

「純度と大きさにもよりますが、石に蓄えられたエネルギーを使い果たすと壊れます」



 最も、と、アーサーは外套に覆われたリデルの後頭部を見る。

 そこには、彼が持つ石とは比べ物にならない純度を持ったものがあるのだが。

 まぁ、それについては今は良い。



「しかしそうなると、不味いですね」



 この村は<アリウスの石>によって――おそらくは、大公国から流れた「光るだけ」の石――守られていた、が、それが最近になって失われた。

 よって、これまでのように賊を撃退できなくなった。



 あの堀や塀は、安心を求めて作られたものだろう。

 怯えているのだ、怖いのだ。

 そして今日、前触れも無くその日がやってきたのだろう。

 つまり。



「賊が襲ってくるのですね」



 アーサーの言葉に、ルイナは沈痛な表情で答える。

 おそらく彼女は、親戚から村の事情を聞いたのだろう。

 だからか、だからアーサーとリデルを逃がそうとしたのか。

 一晩だけでも泊めて貰えるようにしようとしたことは、今にして思えば、彼女の迷いから出たものなのだろう。



「それは、まぁ……何と言うか、不味いですねぇ」



 またアーサーが追い払うか、とも思うが、それとて一時凌ぎ。

 アーサーがこの村に住むわけにはいかないから、次の襲撃は防げない。

 それを知っているから、ルイナも苦悩しているのだろう。



 なら、どうするか。

 どう考えても無理そうに思える、いや、賊の規模も聞いていない内に判断は出来ないが。

 仮に判断できても、さっきも言ったように、一時凌ぎだ。

 どうする、どうする、どうする。

 自問する時間だけが、虚しく過ぎていくかと思ったその時。



「何を悩んでるのよ、簡単なことじゃない」



 肩に乗ったリスに頬をくすぐられながら、リデルが言った。

 思えばすでにこの時、アーサーは嫌な予感を覚えていたのかもしれない。



「戦うのよ」



 島を燃やされた時、迷わず戦うことを選択した彼女だから。

 ルイナの「でも……」と言う逡巡の言葉を、リデルは視線を動かして無視する。

 相変わらずの対応だが、何故か慣れて来たような気もする。



「アーサーが」

「え」



 本当にもう、嫌な予感しかしないのだった。



  ◆  ◆  ◆



 村人達は混乱していた、混乱していたとしか言いようが無かった。

 だが混乱してなお、彼らにできることは無かった。

 何も無かった、だから、逃げるか隠れるかの判断しか出来ない。

 そして、その判断にすら意味が無いことも……。



「皆! 聞いて頂戴!」



 そんな時である、1人の少女が広場において声を張り上げた。

 もうすぐ20になろうかと年代に見えるその少女は、ルイナである。

 当ても無く逃げ惑う村人達を前に、彼女は声を上げていた。



 最初の内は、誰も耳を貸さなかった。

 余裕が無かったからだ。

 だが声を上げている少女が同じ村出身者の親戚であり、取引関係にあった近隣の漁村の娘であることを知っている者達が、ふとした拍子に足を止めた。

 そしてルイナの話を聞くにあたり、さらにその数は増えた。



「聞いてください、皆! 賊がこの村に向かってきていることはわかっています、でもどうか、私の話を聞いてください!」

「お、おいあれ……」

「ああ、ルイナちゃんだよな……? 海の村の」



 何人かの声が聞こえて、ルイナはほっと息を吐いた。

 良かった、最初は数人で良い。

 とにかく、話を聞いてもらわないことには。



「……このままだと、この村は滅びます。『おいしさま』もありません」



 事実だ。

 だからこそ、村人達はどうすることも出来ずに逃げ惑っていたのだ。

 言葉は不安の波紋となり、村人達の間に再び恐慌が起こりかけた。



「戦いましょう」



 そして、ルイナのその言葉で凍りついた。

 戦う?

 村人達の間に動揺と疑問が走った。

 この娘は、何を言っているのだろう?



「思い出してください。『おいしさま』がこの村に来る前は、この村は皆で守ってきていたじゃありませんか」

「そ、それは……」

「う、うむ」



 それもまた、事実だ。

 そもそも『おいしさま』が村に登場したのは12年前の話、東部反乱はそのずっと以前からだから、その前は自力で村を守っていたことになる。

 その記憶があるだろう大人達は、渋い顔をした。



 同時に、思い出す。

 あの頃は貧しかった、村人の数もずっと少なかった、滅びかけていたのだ。

 あのまま『おいしさま』が登場しなければ、自分達の方こそ賊になっていたかもしれない程に。

 だからこその、渋い顔だ。



「そ、そんなこと、俺達に出来るわけがねぇ!」

「そ、そうだそうだ! そんなことより、早く逃げねぇと」

「で、でもどこに逃げる? 行く先なんて」

「じゃあ、どうするんだよ!?」

「そんなこと俺に言われたって……!」



 12年。

 戦いを、恐怖を忘れるには良い時間だ。

 けれど。

 それが、現在いまにどれだけの意味がある?



「――――私の村は、先月、賊に襲われて滅びました」



 言葉の衝撃に、村人達が沈黙した。



  ◆  ◆  ◆



 ――――ここで少し、時間をさかのぼる。

 とは言え10分程度の戻りだ、それほど大した時間では無い。



「戦うのよ、アーサーが」

「え?」



 己の言葉に虚を突かれたような顔をするアーサーに、リデルはにっこりと微笑みを浮かべた。

 この時、すでにリデルの頭の中には策があった。

 だがまだ骨子だ、それを現実的な作戦へと昇華するにはいくつかの条件をクリアしなければならない。



 そもそもにおいて。

 リデルには村というものはわからない、食べ物を、他人を殺してでも奪うと言う感覚もわからない。

 何故なら島で1人暮らしだった彼女にとって、食べ物とは努力すれば確保できるものだったからだ。

 だが、理不尽と言うものは知っている。



(自分の家が焼かれるのは、凄く嫌なことだわ)



 そう、思う。

 大公国の魔術師(アレクフィナ)に島と家を焼かれた彼女にとって、それはもはや不変の感情だった。

 だから、反射的に思ってしまうのだ。



「逃げたって言いことなんて無いわ。そもそも逃げる必要なんて無いのよ、悪いのは襲ってくる奴らでしょ?」

「ええ、まぁ、それはそうなんですけどね……」

「そうでしょ? なら、やることは決まってるじゃない」



 何故かアーサーが複雑な表情を浮かべているが、それもすぐに引っ込んだ。

 彼としても、このまま村が滅びるのを良しとするわけでは無いからだ。



「ええと、リデルには何か考えがあるってことですか?」

「……ふんっ」

「えー」



 ルイナからはそっぽを向き、その上で指を一本立てて見せた。



「スンシ曰く、『善く戦う者は、人を致して人に致されず』」

「はぁ……」



 ぼんやりとした応答が返ってくるが、リデルは特に気にしなかった。



「良い? 相手はここに来るのよ、それも絶対に、100%この村に来るの。それはもうどうしようもなくて、止められない、そうでしょ?」

「まぁ、そうですね」

「なら迎え撃てば良い、全然問題ないわ。古来より、攻める策より守る策の方がずっと多いんだから」

「ええ、まぁ、それはそうなんですが」

「安心しなさい」



 ふふんと笑い、腰に手を当てて、リデルは小さな胸を張った。

 そして、言う。



「策を作るわ」



 それは、島で魔術師を撃退した時にも告げた言葉だ。

 同じことを言っていた。

 だからだろうか、アーサーは瞑目めいもくした後に、頷いて。



「聞きましょう」

「うん、教えてあげる。でもその前に、聞いておかなくちゃいけないんだけどさ」



 ふいっ、とルイナへと視線を戻して――何故かしょぼくれているように見えた、ちょっとだけ鬱陶しい――から、聞いた。



「あの『おいしさま』って言うの、えーと、<アリウスの石>だっけ。あれって、何でここにあるの? 普通は無いんでしょ?」

「あ、はい。私も詳しくは知らないんですけど……宿代だったそうです」

「宿代?」

「ええ」



 何でも、12年前に余所者がこの村に滞在したことがあったそうだ。

 その時に宿代代わりに提供したのが、あの<アリウスの石>だとか。

 随分と奇妙な話だが、嘘を言っているわけでもなさそうだ。

 まぁ、この話についてルイナにこれ以上問い詰めても意味は無い。

 もののついでだ、重要なのは次である。



「ねぇ、ルイナ」

「あ、はい。……って、リデル、今私の名前を」

「さっきもアーサーに確認しようとしたんだけど」



 何か感動しているらしいルイナだが、当のリデルは鬱陶しげに手を振るだけだった。

 その頬がほんのりと赤いのは、きっと気のせいだろう。



「……先に謝っておくわ、ごめんなさい」

「え、え? えーとリデル、良くわからないんだけど」

「アンタの経験を、この村の奴らに話してやってほしいの」



 経験? と首を傾げるルイナに、少し顔色を変えたアーサーを横目に見つつ、リデルは言い切った。



「……アンタの村が滅んで、それでいてアンタが助かった時の話を」



  ◆  ◆  ◆



 ルイナの故郷が賊の襲撃を受けたのは、先月末のことである。

 結論から言えばルイナ以外の村人は全滅し、ルイナだけが生き残った。

 ある者は村を、ある者は家族を、ある者は食糧を守ろうとして、死んで行った。



 ルイナが生き残ることが出来たのは、ひとえに、ある人物の介入があればこそだった。

 でなければ、今頃はここにいなかっただろう。

 はずかしめられ、惨たらしく――喰われていただろう、比喩では無く。



「う、海の村でそんなことが」

「そ、そうだったのかい……大変だったねぇ」

「あの村には、良く魚とコメを交換して貰ってたのに」



 村の人間達も、恐慌を一時忘れ、ルイナへの同情を示した。

 それだけの内容だったし、これから滅びるかもしれない身としては、他人事とも言えない。

 ルイナにしても、自分の故郷の滅びを話すのは気が引けたし、嫌だったし、葛藤もあった。



 けれど、幼馴染リデルの「お願い」だったのだ。



 彼女の立てた作戦は素晴らしいとルイナも思った、そのために必要なら、と。

 そして今、滅びようとしている村の人々を助けられるなら。

 滅びは嫌だけど、でも、それだけじゃなかった記憶が役に立つのなら。

 そんな想いで、ルイナは言った。



「戦いましょう」



 滅びないために。

 死なないために。

 生き残るために。



「で、でも、俺達……その」

「なら、殺されても良いんですか?」

「……っ」



 死にたくない、でも、戦いたくない。

 どっちも怖い。

 そしてルイナには、その気持ちをどちらも理解できるのだった。



 けれど、何もしなければ死ぬのだ。

 死ぬしかないのだ。

 終わるしかないのだ。

 もう、この村を守ってくれていたものは無いのだ。

 だったら。



「戦うしか、無いじゃないですか……!」



 その時だった。

 広場に立つルイナ――背後に『おいしさま』の櫓――の横に、上から誰かが落ちてきたのだ。

 否、降りて来たのだ。

 着地した、大音と共に地面に着地したのだ。

 片足で着地した彼は、ブラウンの髪の少年だった。



「この人は、私を助けてくれた人です!」



 誰だ、余所者だ。

 その声に応えるように、ルイナが彼、アーサーを紹介した。



「私の村を襲った賊を、全部1人でやっつけてくれた人です!」



 その言葉に、何だって、おお、と言った声が上がる。

 アーサーは内心で苦笑した。

 事実として間違ってはいないが、いろいろ端折はしょっている。



 まず、ルイナの村を襲ったのは20人弱の賊だった。

 十数人しかいない寂れた漁村にとっては脅威だったろうが、石の力を使うアーサーにして見ればそうでも無い。

 それでも、2週間動けなくなる程度の怪我負ったわけであるし、そう大仰に言われるとくすぐったかった。



「な、なら、そいつに守って貰えば良いんじゃ……」



 ほら来た、とアーサーは思った。

 正直、そう思われるのは非常に不味かった。

 先にも言ったがアーサーがこの村に住むわけでは無いし、賊の規模もずっと大きいようだからだ。

 つまり、あまり頼りにされても困るのだ。

 さて、それをどう伝えたものかと考えていると……。




「こんの……軟弱者共ぉ――――っっ!!」




 甲高い、子供のような声が響き渡った。



「な、何だ今のは!?」

「どこからだ?」

「あっ、あそこだ! 『おいしさま』を見ろ!」



 皆が見上げたその先、つまり櫓の上だが、そこに少女が1人。

 外套をすっぽり被った小柄な人影が、櫓の頂上にいた。

 ちなみに彼女、つまりリデルを運んだのはアーサーである。

 石の力で摩擦を増やし、普通に昇って運んだ、疲れた。



「自分達の家くらい、自分達で守りなさいよ! 情け無いわね!」

「な、何だお前は!?」

「私? 私はリデル。そして!」



 あ、これ不味いな。

 何となく、アーサーはそう思った。



「世界最高の軍師になる女よ!!」



『彼を知れば、勝ちは及ち危うからず』(孫子より)

意味は、相手を良く知れば、勝率も上がるよ、ということです。

『善く戦う者は、人を致して人に致されず』(孫子より)

意味は、戦いの上手い人間は、相手をコントロールしても相手にコントロールされないものです、ということです。


最後までお読み頂きありがとうございます。

2章に入り、ちょっと調子が出てきたかもしれません。

まだまだテンポが悪いので、どんどん改良してきたいです。

それでは、また次回。


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