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2-2:「農村の平和」

 のどかな村だ。

 きょろきょろとあたりを見渡しながら、アーサーはそんな印象を受けた。

 規模としては下の上と言った所だろうか、100人前後はいる。



 住居は積み上げた石と木材で組んだ簡素な作りだ、それが10~15戸程見える。

 そしてそれらが密集した居住スペースを中心に、荒い作りの木柵と土堀が円形に広がっている。

 さらにその外側に、村民達の生活を支える――南部では主にコメを食す――田畑があった。

 いたって普通の、いや少し豊かにすら見える農村だった。



(……それにしては)



 村の中を歩きながら、村に入る時のことを思い出す。

 北側にある唯一の出入り口、そこには棒を持った村人が立っていた。

 それくらいならば特に不審には思わない、近辺は賊も出る、警戒するに越したことは無い。

 ただ、それにしては妙に怯えているように見えたのだ。



『そ、そこで止まれ! お前ら、こ、この村に何の用だ?』



 何しろ開口一番の言葉がこれである、門越しに棒を突きつけられての詰問だ。

 だがアーサーには見えていた、門番役の彼の腰が引けていたことが。

 だからこそ、村に親戚がいると言うルイナに全ての交渉を任せて待っていたのだ。

 ちなみに、リデルが妙に傷ついた顔をしていたことを明記しておく。



(それに、さっきから……)



 すい、とそれとなく周囲を見渡すアーサー。

 その彼は今、普通に顔を晒しているがこれには理由がある。

 それはとても単純な話で、周りにフィリア人しかいないからだ。

 街道を通らず森を通ったのは、街道を通る「追っ手」を恐れたからだ。

 だがこの程度の規模の村であれば、「追っ手」の連中が駐屯しているはずも無い。



 フィリア人はフィリア人をソフィア人とその手先に売り渡すような真似はしない――もちろん、例外もあるがそれは都市部に限った話だ――ので、村の中にいる限りにおいて、身や顔を隠す必要が無い。

 フィリア人の教義・慣習に拠る話なので、アーサーはそこは信じていた。

 先の漁村におけるルイナが、ここでは好例と言えるだろう。

 むしろ心配なのは、ソフィア人であるリデルの方なのだが……。



「って、あれ? リデルさんは?」

「え? あっ……あ、あそこですね」



 姿を見失って少し慌てたが、後ろを振り向けばそこにいたではないか。

 どうやら、2人が気付かなかった間に足を止めていたらしい。

 ほっと息を吐いて、黒い外套で全身を覆った少女の傍へ行く。



「リデルさん、駄目ですよ。僕らから離れた……ら、って、何を見ているんですか?」

「ん? いや、あれって何かなと思って」

「あれ?」



 見上げると、そこに奇妙なものがあった。

 とは言え構造自体は単純な作りだ、高さ20メートル程度の、木材を格子状に組み合わせた建造物。

 いわゆるやぐらと呼ばれる物に似ているようだが、一般的な櫓とは違う部分も見受けられた。



「何でしょう、火の見櫓みやぐらでしょうか?」

「違うと思うわよ、私も最初はそう思ったけど。本で読んだだけだから本物は知らないけど、火の見櫓って鐘と人が乗る場所があるんでしょ? あれには無いじゃない」



 そうなのである。

 普通、火事や災害を知らせるための櫓には、頂上に警報用の鐘が設置されているのが普通だ。

 ところがこの村の櫓にはそれが無く、それどころか人が昇るための梯子はしごすら無かった。

 ただ屋根を備えた櫓の頂上に、木枠で出来た空間が開いているだけだ。



「何でしょうね、あれ」

「何よ、知らないの?」

「リデルさんだってわからないくせに……」

「私は良いのよ、初めてなんだもの」



 初心者はズルいなぁ、アーサーは素直にそう思った。

 とは言え、この時はルイナに呼ばれたこともあって、そうじっくりと見る時間は無かった。

 それでもやはり気にはなるのか、アーサー達について歩きながら、リデルは何度も振り返っていた。

 ――――自分達に注がれる、いくつもの「目」に気付くことも無く。



  ◆  ◆  ◆



 ルイナは、戸惑っていた。

 実はこの村には、過去に何度か来ている。

 だがそもそもにおいて、ルイナの記憶ではこの村には柵も塀も無かったはずなのだ。

 門番だっていなかった、もっと無防備で平和な村だった。



 それが何故、こんな風になっているのかわからなかった。

 リデルとアーサーに悟らせてはいないのは年上の意地だろうが、それでも困惑しているのは確かだ。

 自分が最後にこの村に来たのは1年前だ、その時には無かったものがある。

 この変化は、いったいどうしたことだろう?



「おじさん。ルイナです、おじさん」



 親戚の家は、村の規模から考えれば当然のことだが、すぐについた。

 家々の配置自体は変わらない。

 右の拳で戸を叩き、中にいるだろう親戚に声をかける。



「あ、あれ?」



 だが、どう言うわけか親戚は出てきてくれなかった。

 中にいるのは確かなのだ、それは門番に確認した。

 と言うより、村民は全員塀の中にいると聞いている。

 どうにも腑に落ちない、妙な引っ掛かりを覚える。



「……? どうしたんでしょう?」

「わ、私に聞かれてもわからないわよ」



 後ろからの声が聞こえて、ルイナはもう一度戸を叩いた。

 今度は反応が合った。

 2歩下がる。

 すると、どこか迷うような動きで戸が開いた。



「……誰だ?」

「おじさん、私です。ルイナです、ルイシスおじさん」

「……ルイナ?」

「おじさ……ん?」



 ルイナはぎょっとした。

 何故かと言うと、戸の向こう側から出てきたのが親戚の顔では無く、棍棒だったからだ。

 木を削っただけの無骨な物だが、殴られればただではすまないだろう。

 あえて言うが、こんな物で出迎えられたのは始めてのことだ。

 だが、それ以上にルイナが戸惑ったのは、相手の姿が記憶と違っていたからだ。



 白髪と白髭に覆われた小柄な男が、無骨な見た目に反してビクビクしながらそこにいた。

 だがルイナの記憶では、もっと溌剌はつらつとした初老の男のはずだった。

 髪は黒では無いが灰色で、若々しさを自慢していたくらいだったのに。



「あ、ああ……ルイナか。ルイナだな……」



 それなのに、何だこの老人は?

 酷いことを考えている自覚はあるが、だがそれが率直な感想だった。

 ルイナの困惑は、ますます強くなっていった。



「ひ、1人か? 父親も一緒なのか……?」

「あ、1人では無いんですけど……」



 おまけに、このよそよそしさは何だ?

 この親戚は、父のことを「父親」などと呼んだだろうか。

 どうして年に数度は会って可愛がってくれた親戚が、自分に対してもこんなに弱気に振る舞うのだ?



「そ、そいつらは、誰だ……? よそもの、か?」

「え? あ、はい。えーと」



 後ろにいるリデルとアーサーに気付いたらしい親戚に、ルイナは一瞬言葉に詰まった。

 どう説明したものか、悩む。

 しかも相手の様子もおかしいとくれば、ますますもって悩ましい。



 それを察したのだろう、「え、何? 何?」と戸惑うリデルを連れてアーサーが離れていった。

 素直に有難いと思いつつも、申し訳なくも思った。

 ルイナは未だ怯えの色を見せる親戚に対して、説明のために声をかけた。



「実は……」



 まずは、自分の故郷で何が起こったのかについて。



  ◆  ◆  ◆



 ルイナの親戚の家から遠ざけられた理由については良くわからないものの、村を見て回れるのは悪くない。

 リデルが自分をそう納得させたのは、5分後のことだった。



「まったく、何なのよもう」

「あ、あはは。まぁ、親戚同士のお話に無理矢理混ざると言うのもアレですし」

「それは……まぁ、そうね」



 訂正、2分もせずに納得した。

 妙な所で素直なのである、この娘は。



「それで、ルイナさんのお話が終わるまでですが。どうします?」

「んー、そうねぇ。正直な所、いろいろ見て回りたいんだけど」



 きょろきょろとあたりを見渡しながら、リデルは素直に周囲への好奇心を示した。

 ここまで素直に感情を表に出されると、初めて出会った時の様子とあまりにも違いすぎて、アーサーとしては苦笑を禁じ得ない。

 一方でリデルにしてみれば、初めて見る実物の「農村」に興味津々だった。



 本でなら、何度も読んだことがある。

 農学関係の本も何冊かあったし、それでなくとも、軍略と農業は切り離せない学問分野だ。

 兵士が人間であり、人間が食べなければならない生き物である以上、当然だ。

 そもそも島で自給自足――漁村からの供給は例外――していたリデルにとって、「自分達で穀物等を育てて食べる」と言うのは未知の領域なのだ、が。



「……何で、皆してこそこそこっち見てるのかしら?」



 家々の窓から、物陰から、村人達がこちらを見ていた。

 余所者よそものが珍しい、と言う割には、妙にじっとりとした視線だった。

 まさか、ソフィア人だと気付かれでもしたのだろうか。



「まぁ、良いわ」



 だが、リデルはそう断じた。

 向こうから何のアクションも起こして来ない以上――目が合った瞬間、ささっと隠れてしまう――どうすることも出来ないし、そもそも誰も近寄って来ないのだから。



「と言うか、農村の人達ってずっと畑に出てるものだと思ってたんだけど。意外とそうでも無いのね」

「まぁ、田畑に出る以外にもいろいろと仕事はあるでしょうしね」



 とは言いつつも、アーサーはアーサーで疑問に感じていた。

 昼間に差しかかろうというこの時間帯で田畑で作業していないと言うのは、まぁ季節にもよるが、明らかにおかしい。

 安息日やすみでも無い、となると、どうして村の中に引き篭もっているのか。



「それにやっぱり、私としてはアレが気になるのよね」



 リデルの言葉に視線を追えば、そこには例の櫓があった。

 村の広場の真ん中にそびえ立つそれは、静かにそこにたたずんでいた。

 頂上の無い、不思議な櫓が。



  ◆  ◆  ◆



「何なのかしらね、これって」



 村に入る時にも気になったそれを見上げて、呟く。

 傍らについていてくれるアーサーも、この問いばかりは答えてくれない。

 彼は村の人間では無いから、答えられないのも無理は無い。

 頭ではわかっているが、わからない、と言うのはやはり気に入らない。



 うーんうーんと頭を悩ませても、リデルの知識の中でこれといったものは出てこない。

 ならばこれは、農学とも軍略とも関係の無いものなのだろうか。

 そうだ、とも言えないし、そうじゃない、とも言えなかった。

 イライラが募るばかりだった、が、そこへ。



「「「あはははははははっ!」」」



 と言う、甲高い笑い声が聞こえてきたのだ。

 見れば、こちらを窺う子供達がいた。

 年の頃は10歳と言った所か、リデルよりも小柄な子供達だった。

 村の文化か風習か、頭に黒いビロードの帽子を被っていた。



「な、何よ。アンタ達」

「僕からすると、常に僕の背中に隠れるのは何なのかと言いたいわけですが」

「う、五月蝿いわねっ!」



 きーっ、とアーサーに怒った後、改めて子供達の方を見る。

 男の子だ。

 実は声をかけられた村人第一号さんなのだが、笑われているようなので嬉しくは無かった。



「アンタ達、この櫓が何か知ってるの?」



 アーサーの背中に隠れながらそう言うと、子供達はまた笑った。

 他人に笑われると言う経験をしたことが無いリデルは、顔を紅潮させて怒鳴る。

 繰り返すが、アーサーの背中から。



「な、何がおかしいのよ!」

「あはははっ! だってさぁ~、なぁ?」

「うんっ、だって『おいしさま』のことも知らないんだもん!」

「だっせ~」

「こ、このっ……おいしさま?」



 聞こえてきた単語に首を傾げる、おそらくは櫓の名前だ。

 おいしさま。

 名前は重要だ、が、全てでは無い。

 馬鹿にされてるようなのが気に入らないが、それでも知的好奇心の囁きには抗えない。



「ねぇ、おいしさま、って、どう言う……」

「こらっ!!」

「ひっ!?」



 突如響いた怒声に、今度こそ身を震わせるリデル。

 ただそれはリデルに向けられたものでは無く、どうやら子供達に向けられたものであるようだった。

 その証拠に、子供達の頭から拳骨の鈍い音が響き渡った。



「……ってええええええぇぇっ!?」

「な、何すんだよ、父ちゃん!」

「この馬鹿が! お前達は何をやってんだ!」



 どうやらその男は父親らしい、だがリデル達の視線に気がつくと、すぐに表情を歪めた。

 ここでも、先に立つのは「怯え」だった。

 彼は子供達の肩を掴むと、追い立てるようにして連れ出した。



「ち、ちょっと、待ちなさいよ! まだ聞きたいことが……」

「いってーな! 何すんだよ、父ちゃん!」

「やかましい! 良いからこっち来い、この馬鹿が!!」



 子供はともかく、父親の方はリデルの声を掻き消そうとするかのような大声だった。

 実際、そうしたかったのだろう。

 彼はリデル達に一瞥いちべつもくれることは無く、そのまま子供達を押して去って行った。

 あえて例えるのであれば、「しっ、見ちゃいけません!」に近い対応だった。

 正直、かなり気分が悪い。



「え、ちょ、ちょっと……」

「あ~……」

「な、な、なな……なんっ」



 あはは、と苦笑するアーサーの背中で、リデルはわなわなと震えた。

 結局櫓――「おいしさま」――のことは何もわからない上に、何だか腹の立つ対応をされた。

 リデルの我慢も、限界だった。

 次の瞬間、村に少女の怒声が響き渡った。



  ◆  ◆  ◆



「何なのよっ、もぉ――――っ!」



 胸の前で両拳を握り、怒りの叫び声を上げ、足で地面を踏み鳴らすリデル。

 まさに、地団駄を踏んでいた。

 そんな状態のリデルを見ながら、アーサーは苦笑していた。

 彼自身は今のような対応に思う所は無い、旅慣れた彼は余所者扱いに慣れているからだ。



 そして、自分が何かを知らないことにも慣れているこらだ。

 一方でリデルは明晰めいせきな頭脳を持っているが、そうした経験が少ない。

 要するに、何かを知らないことを馬鹿にされたり呆れられたりすることが我慢できないのだ。

 我慢、それもまた他者とのコミュニケーションには必要な物だろう。



「何よアイツら、軍略とか歴史とかなら私の方が良く知ってるわよ。あんな奴ら、算術だって碌に出来ないんじゃないの? まったくもう、まったくもう」

「まぁまぁ、良いじゃないですか」

「何が良いのよ! それにアンタも一緒に馬鹿にされたのよ、悔しくないの!?」



 これはなかなかご立腹だ、と思った。

 ちなみに先程の子らが馬鹿にしたのはリデルだけであって、ここでアーサーを巻き込むのがリデルらしい所ではある。

 相手に同意を求める、と言うか、連帯感を求めると言う意味で。



「まぁまぁ、落ち着いて下さい。それにしても、この「おいしさま」と言うのは本当に何なんでしょうねぇ」

「……さぁね」



 投げやりな口調で答えつつも、理知的な光を取り戻した瞳で件の櫓を見上げるリデル。

 感情の起伏の激しさも、コミュニケーションに不慣れなためだろう。



「でも、まぁ、そうねぇ。やっぱり、あの空間が気になるわよね」



 櫓の頂上には、梯子も足場も無いのに木枠で出来た長方形の空間がある。

 篝火かがりびを焚く場所でも無さそうだし、そもそも地上からそこに何があるかを知るのは難しい。

 ならば、本当にあの「おいしさま」とは何なのだろう。



「うーん」



 こういう場合、最も賢いのは知っている人間に聞いてしまうことだろう。

 考えてどうにかなる問題とそうでない問題と言うのもある、そして今回の場合は後者であるように思えた。

 考えると言う行為は、前提となる知識があって初めて意味のある行為となるのだから。



 まぁ、今回の場合、その「誰か」がいないと言うのも問題だった。

 答えを教えてくれる者もいなければ、ヒントを与えてくれる者もいない。

 だから、「おいしさま」に関しては何の解答も得られない。

 リデルにしてみれば、不完全燃焼極まりない状況である。



「まったくもう、苛々するわね」



 プリプリしていると、不意に頬に柔らかな物が触れた。

 足から上がってきたリスが、そのふさふさの身体を擦りつけたのである。



「何? 慰めてくれるの?」



 柔らかく微笑んでそう言うと、脇のあたりでザラザラした何かが這うのを感じて、「ひゃっ」と声を上げた。

 くすぐったい、クスクスと笑う、蛇が肌の上を這っているらしい。

 空からは歌うような鳥の声も聞こえて、リデルは自分の気分が上昇するのを自覚した。



「そうよね、気にするだけ損よね!」



 そう言って、リデルは胸を張った。

 そうだ、何を気にすることがある。

 確かに「おいしさま」のことはわからないままだが、だからどうしたと言う気分になってきた。



 知らないものがあるというのも我慢できないが、全てのものを一度で理解できるわけでも無い。

 島での生活もそうだったではないか、とリデルは自分を諌めた。

 動物達のおかげで、諌めることができてしまった。

 それに、アーサーはまた苦笑を浮かべる。



「何だかなぁ」



 自分に出来ないことをあっさりとやってしまう動物達に、少しばかり嫉妬してしまいそうだ。

 そんなことを考えながら、苦笑する。

 まったく、知れば知るほど良くわからなくなる少女だ。



「……おや?」



 そんなことを考えた時、アーサーは自分達を呼ぶ声に気付いた。

 さて、誰だろうか。



  ◆  ◆  ◆



 アーサーとリデルを呼んだのは、ルイナだった。

 村の人間は何故か彼女達には声をかけてこないから、考えてみれば、ルイナ以外に声をかけてくるはずも無かった。

 ルイナは走って来たのか、呼吸で胸を上下させていた。



「すみません、お待たせしました」

「いえいえ」



 実際それほどは待っていない、時間にして30分程度だろうか。



「それで、どうなりました?」

「はい、とりあえず家には置いてくれるそうです」

「……良かったじゃない」

「……! あ、ありがとう」



 驚きと喜びを同居させたような声で、ルイナが答える。

 アーサーの背中越しではあるものの、リデルが明確にルイナに声をかけた。

 それに対して、喜びを見せたのだ。



「あ、それで、あの……私のことは家に置いてくれるそうなんですけど」



 だがそれもすぐに難しい顔になった。

 眉を潜めているその姿は、本当に苦悩しているように見えた。

 彼女が言わんとしていることが、アーサーには良くわかっていた。

 そしてそれが、彼女の責任では無いこともわかっていた。



 元々、フィリア人の生活に余所者を受け入れるだけの余裕は無いのだ。



 自前の田畑を持っているこの村は良い方だ、ほとんどは田畑すら持てない。

 田畑を持てない農民がどうなるか、アーサーは嫌と言う程知っている。

 余所者を受け入れると言う行為がどれだけのリスクを有するのか、わからない彼では無い。

 だから彼は、ルイナに対して微笑みかけた。



「元々、この村に来たのは貴女を送るためですから。僕らはここからさらに北に向かわなければなりませんし、時間もそうありませんから」

「え、そうだったの?」

「…………」



 驚いた顔で自分を見上げるリデルについては、とりあえず置いておくことにした。



「だから、気にしないで下さい」

「え、いやちょっと待ってよ。どういうことなの? ねぇ、無視すんじゃないわよ」

「え、えーと……や、やっぱり今晩だけでも泊まれないか、聞いてきます!」

「あ、いや別に気にしなくても」

「気にしなさいよ! そして聞きなさいよ!」



 先に言った理由は配慮ではあっても虚偽では無い、居住する気はさらさら無いのだ。

 とは言え休憩なしで出発する予定でもなかったので、そこは驚いているのだが。

 まぁ、それも村人達のまとう空気に拠る所が大きいのだろう。



「それよりルイナさん。この村の方々の様子がおかしいように感じるのですが、それについては何か聞いていますか?」

「それは……」



 アーサーは首をかしげた、何故ならルイナの顔色が青ざめたからだ。

 さっきまでは同じ疑問を抱いていただろうに、どう言うことだろう。



「す、すみません……おじさんに聞いてきますね!」

「え、あ……言ってしまいましたね」



 ポリポリと頬を掻くアーサー、ちょっと面喰ったような顔をしていた。

 まさか話してくれないとは思わなかったのだろう、これが普通に「聞いていない」と言う回答であったなら、ここまで気にはしなかっただろうが。

 今のルイナの様子は、気にするに値するものだった。

 少なくとも、今までとは明らかに様子が違う。



「…………」



 そして駆け去っていくルイナの背中を、アーサーの背中越しにリデルが見ていた。

 ガラス球のように綺麗な瞳で、じっと、この3日間の旅の仲間だった年上の少女の姿を追っている。

 その表情からは、何を考えているのか読み取ることは出来ないが……。



「……ねぇ、あの人ってさ」



  ◆  ◆  ◆



 興味が無かったわけでは無いのだ。

 ただ、どうしても慣れなかった。

 父と2人きりで暮らしていたリデルにとって、「同性の知人又は友人」というのは「異性の知人又は友人」よりも遠い存在だった。



 経験が足りない、とでも言えば良いのか。

 それこそアーサーが何度も考えているように、他人と触れ合い会話をする経験が乏しすぎるのだ。

 まぁ、それはリデルのせいと言うわけでも無いのだが。

 とにかく、リデルにとってルイナと言う少女は、非常に苦手な存在だった。



「あの人の村ってさ、結局、どうしてあんなことになったの?」



 興味が無いわけでは無いから、考えていたのだ。

 そもそもにおいて、どうしてルイナの故郷は滅びたのか。

 障りの部分を何となく程度に聞いてはいたが、詳しいことはこれまで聞いてこなかった。

 ルイナ自身に聞こうとは、流石に思わなかった。



「……そうですねぇ」



 そしてもちろん、アーサーはその理由を知っている。

 と言うより、彼がルイナと出会った理由はそこにあるのだ。

 あの漁村が滅びていなければ、おそらくアーサーはルイナと出会うことも無かっただろう。

 とりもなおさず、それはアーサーとリデルが出会わなかったと言うことを意味する。

 滅びなければ出会えなかった、と言うのは、いささか哀しすぎるだろうか。



「あれは、酷い有様ありさまでしたね……」



 まだ一ヶ月も経っていないのだったか、あの日から。

 漁村が火に包まれて、ルイナ以外の村人が全滅したあの日から。

 ただ、どうしてだろうか、それを珍しいことだと思えないのは。

 フィリア人の運命さだめと言うには、少し辛い。



「何があったの?」

「一言で言えば、あっさり終わりますよ。ただ原因がどうと言う話をすると長くなる、そんな話でもありますね」

「無駄な問答は嫌いよ、ちなみに哲学も好きじゃないから私」

「それはまた、実際的なことで」



 思わず苦笑する、何とも現実的なことだ。

 リデルの瞳に「早く話せ」と言う感情を読み取って、苦笑を諦めの混じった色に変える。

 別に、話すこと自体は何も……。




「た、大変だぁ――――っ!!」




 その時、村の入り口から声が響いた。

 棒を持ったあの門番の男が、泡をくって広場――つまり、リデルとアーサーがいる場所だ――へと駆け込んできたのだ。

 そして、彼は村の人々に告げた。



「や、奴らが来る……!」



 次の瞬間、村の空気が確かに変わるのを感じた。

 より重々しく、より苦々しく、そしてより沈み込むような、そんな空気に。

 そしてそれは、村に入った時から感じていた違和感の正体だった。



 その正体をリデルとアーサーが理解するには、あと、そう……。

 ……あと、少し待つだけでよかった。

 あと、ほんの少しの時間だけで。



最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

今年も定期更新で頑張ります。

やりますよー!

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