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2-1:「旅立ちは突然に」

 アナテマ大陸南部は、歴史的にフィリア地方と呼称されている。

 名前の由来は諸説ある、大陸東部に根を張る世界宗教が崇める対象の名であるとか、単純に中央部の大平原の名から取ったとか、あるいは古代に存在した国の名前がそのまま地名になったとかだ。

 ただ共通しているのは、そこに住む人々のことを「フィリア人」と呼ぶことだ。



 フィリア人、アナテマ大陸に最も多く住む人種である。

 北方に多く住むフィリア人比べやや肌の色が濃いのが特徴だ、髪の色は黒や茶色が多いとされる。

 農耕に適した温暖な気候と、温かな海流に恵まれた漁業資源。

 古代より、フィリア人は豊かな土地に愛された豊かな人々のことを指していた。

 しかしこの時代、彼らは不幸である。



『フィリア人なる人種は、世界に害を成す劣等人種である』



 現代において、この説は大陸を席巻(せっけん)していると言って良い。

 この説の由来にもまたいろいろな主張があるが、最も大きなものは、近代から現代にかけての大陸の情勢にあると言うものだ。

 すなわち、ソフィア人と言う北方民族の存在である。



 大陸北部の人種、魔術と石の力持つ民、ソフィア。

 彼らの国「アムリッツァー大公国」が大陸を制覇した頃から、フィリア人に対する差別が始まった。

 彼らの大陸制覇に最後まで抵抗していたのがフィリア人であるから、この説には相応の説得力があるように感じられた。



『戦勝国であるソフィアが、敗戦国であるフィリアを支配する』



 シンプルでわかりやすい解にこそ、人々は理解を示す。

 そして<東の軍師>が引き起こした東部反乱を経て、フィリア人達がソフィアのくびきから逃れ得てなお、大陸の人々はその解を手放そうとはしなかった。

 それは、そう、当のフィリア人にしてもそうだった。



 数十年に及ぶ、ソフィア人による支配。

 それは世界の、そして社会のありとあらゆる面に浸透しており、一度や二度の変動では動きようが無い程に凝り固まっていた。

 まるで、人々の心すら魔術で塗り固めたかのように。



 ここに、一つの興味深い指標がある。

 それはソフィア人の学者による統計であるとされるが、詳細は定かでは無い。

 だが彼によれば、この時代、ソフィア人全体の平均寿命が概ね50歳であるのに対し。

 ――――フィリア人の平均寿命は、40歳に届かなかったと言う。




「私は、世界最高の軍師になるのよ!!」




 そしてこの時代のフィリアの地に、1人のソフィア人の少女が踏み出した。

 彼女の名は、リデル・コーベット。

 かつてフィリア人に味方し、東部反乱を率いた<東の軍師>の娘である――――。



  ◆  ◆  ◆



 美しい光景だった。

 時刻は早朝、場所は木々の間から朝日が漏れる森の中。

 森の外と内を分ける無数の木々、茂みの葉は朝露に煌いていて、地面の土草は少し湿っていた。

 そしてその内の一つ、大きな木の幹に寄りかかるようにして、1人の少女が目を閉じていた。



 朝の気温のせいか顔色は白い、だが元々が白磁の肌色のようだ。

 薄い金色の髪を首の後ろで――何故か赤い宝石のネックレスで――一本結びにして、暗い色合いの衣服に身を包んでいた。

 臙脂えんじ色の大襟の上衣、紺色のパンツと帯付き巻きスカート。

 その上にやや古ぼけた黒の外套を毛布代わりに羽織って、眠っているようだった。



「ちゅん、ちゅん」

「きゅ~」

「……しゅ~」



 その時、一匹の鳥が少女の膝に止まった。

 朝を知らせるように鳴く鳥に合わせたように、足元で丸まっていたリスが身を少女に擦り付ける。

 少女が擽ったそうに身じろぎをした、すると胸元がもぞもぞと動いたような気がした。

 首元に僅かに見えたあれは、蛇の身体だろうか?



「ん……あさぁ……?」



 木の葉から滴り落ちた朝露あさつゆが頬を打って、少女が今度こそ身じろぎした。

 薄く目を開き、葉の間から漏れる日の光に目を細める。

 一瞬、島の森かと思った。

 何かしらの作業をしている最中に、眠りこけてしまったのかと思ったのだ。



「……あ!」



 しかし次の一刹那、少女は勢い良く身を起こした。

 身を起こすだけに留まらず、そのまま立ち上がる。



「あ、ごめん皆」



 その際に鳥とリスが抗議のような鳴き声を上げたので、それについて謝った。

 だが、それでも少女の勢いは止まらなかった。

 そのまま駆け出し、どこかを目指す。



 違う。

 ここは島では無い、島の小さな森とは違う森だ。

 走るだけで、少女にはそれがわかる。



「そうよ、だってここは……!」



 地面の角度が違う、生えている植物も違う、木も、空も空気でさえも。

 何もかもが違いこの世界で、白かった少女の頬が興奮の朱色を浮かばせ始めた。

 ここは、少女が暮らした島では無い。

 そう、ここは……。



「おや、リデルさん」

「お、おはようございます!」



 しばらく走っていると、小さな川に出た。

 朝日を受けて輝く水面は透明で、側に寄れば川底が見えそうな程だ。

 こうした川も島では見なかった、島では湧き水で生活していたからだ。

 川という名前は本で読んで知っていても、実際に見たことは無かった。



 その小さな川の真ん中で、膝まで服を捲くった少年が1人いた。

 ブラウンの髪にフォレストグリーンの瞳の、精悍さと穏やかさを同居させたような少年だ。

 薄いベージュのシャツと黒のパンツを着ていて、リデルが毛布代わりにしていたのは彼の外套だ。

 どうやら良いタイミングで来たらしく、少年は両手で魚を掴み持っている所だった。



「あ、あの、昨日は良く眠れた……?」



 穏やかに声をかけてきた少年と違い、もう1人の少女はどこか緊張してる様子だった。

 まぁ、彼女に対しては金の少女も身を引いている嫌いがあるが。

 そして、声をかけた少女がショックを受けるのも、もはやおなじみの光景だ。



 茶色の髪に、年上らしい高めの身長。

 頭を覆うスカーフの間から茶色の髪がさらりと流れ、ゆったりとしたブラウスとスカートを着ている。

 一番年上のはずだが、どこか一番情け無い空気を纏っているのが不思議だった。



(ここは、島じゃないんだ……!)



 ここは、アナテマ大陸南部――フィリア地方。

 少女が初めて踏みしめる大地、その感触を靴裏に感じながら。

 リデルは、興奮を隠し切れなかった。



  ◆  ◆  ◆



 朝食は焚き火で焼いた川魚だ、特に味付けなどはされていないが、それ故に自然の味を感じることが出来た。

 そしてこの段にあっても、リデルは興味津々だった。

 何故かと言うと、同じ魚でも海と川では何かが違うと感じたからだ。



「これ、本当に魚?」

「ええ、見た通りですよ」



 アーサーにしてみれば、どうしてそんなことを聞くのかと思ったことだろう。

 だがリデルの舌は、これまで食べていた海の魚と今食べている魚は違うものだと言っていた。

 だから、まじまじと魚を見つめる。

 川辺の石の上に座って、手の中の変化を見つめる。



 まず、海魚に比べて皮がパリパリしている。

 焦げ目も少ないように見えるし、加えて生臭さが少し強いように感じられた。

 身も脆くてパサパサしているし、水気も少ない。

 これは、本当に魚なのだろうか。



「ねぇ、アーサー」

「え、ええと……?」



 ただ、アーサーにそうした認識は無いようだ。

 おそらく慣れているか、あるいは食べ物の味にこだわりが無いのかもしれない。

 いずれにしても、彼にはリデルの疑問を解消することは出来ないようだった。

 それに少しの不満を感じつつ、リデルは再度の問いかけをしようとした所で。



「海魚と川魚だと、焼き方が違うの」



 疑問に答えたのは、意外なことにルイナだった。

 海魚の漁師の娘である彼女は、魚のことに関しては一家言いっかげんあるらしい。



「海の魚は身から焼いたり煮たりするのが美味しいのだけど、川魚は逆に皮から焼かないといけないんです。あと、海魚は皮から焼いた方が綺麗に焼けるんですよ」

「何で焼き方が違うの?」

「あっ、ええとですね、海と川では水の質が違うんです。そして……」



 引かれずに会話してもらえたのがそんなに嬉しいのか、ルイナは笑顔でリデルに魚について教えていた。

 海の漁師だからといって、川魚に詳しくないわけでは無い。

 魚に関する限りにおいて、ルイナが知らないことは無いのかもしれない。



 そしてリデルは島育ちのせいか、慣れていない相手にはよそよそしくなってしまう所があった。

 だがそれも、知識を得るという段階になると違う。

 新たな知識を吸収する時、リデルの目から気弱な感情は一切失われるのだ。

 まぁ、とは言え。



「なるほど、良くわかったわ。ありがとう」

「はい! また何かあったら……って、あ、あれ? リデル、何でまた離れて」

「……あんまり近寄らないでよ、気持ち悪い」

「ええ!?」



 何故、という言葉が見えそうな程にショックを受けた顔をするルイナ。

 すでに島から旅立って3日が経っているが、これは3日間に渡って続けられていることだった。

 そしてその3日間、リデルはあらゆることに興味を持っていた。



 生えている植物、生きている動物、食べ物、あるいは川、果ては地面の砂に至るまで。

 リデルの知的好奇心は、留まる所を知らない。

 一つデメリットがあるとすれば、質問攻めにされるアーサーの労力くらい。

 そう言う意味では今この時、リデルは幸福の中にあったと言える。



  ◆  ◆  ◆



「やれやれ、予想以上に戸惑わせてくれますね」

「そうですね」



 アーサーの言葉に、ルイナがクスクスと笑った。

 朝食と焚き火の始末をつけた後は、過去3日間と同じように森の中を歩く。

 でこぼこした地面は足を取られそうだ、しかし歩き慣れている3人にとってはそれ程の苦にはなっていない様子だった。

 それにしても、2人のずっと前方を歩いているリデルは、随分と興奮しているようだが。



「魚の焼き方はともかく、川を見て「これは何?」と聞かれた時には何と答えたものかと本気で悩みましたよ」

「ああ、あれは私も困りました。川は川としか言えませんもの」

「ですよねぇ」



 今だから笑いながら話せるが、リデルの質問攻めは留まる所を知らない。

 流石に、川という存在を理論的に話せる人間はそうはいないだろう。



「……本当に」



 鳥とリス――あと、おそらく蛇も――と一緒に、右へ左へと揺れながら歩くリデル。

 その後ろ姿を見つめながら、ルイナがふと表情をかげらせる。



「あの子を、連れて行くんですか?」



 今度は、アーサーも表情にも陰が差した。

 初めて知る外の世界にはしゃぐリデルの姿を見れば見る程に、その陰は強くなる。

 その原因は、そもそも彼が何故リデルを島から連れ出そうとしたかと言う理由にある。



 彼らが今向かっているのは、ルイナの目的地だ。

 つまり彼女の親戚がいる農村なのだが、当然、アーサーの目的地はそこでは無い。

 そして彼は、そこからリデルを連れて行かねばならない。

 彼の目的地、すなわち、彼の故国の都へ。



「……もちろん、ですよ」



 その彼の頷きに、ルイナがさらに表情を暗くした。

 やや俯き、何かを言いたげな視線を向け、そしてやはり何かを言いたそうに唇の開閉を繰り返した。

 だが、アーサーは彼女をそのために連れ出したのだ。

 <東の軍師>の遺産を持つ彼女に頼る他、彼には手段が無いのだから。

 彼の故国の人々とフィリア人を救うという使命、そのための手段が。



(……でも)



 同時に、考える。

 はたして自分の行動が正しいのか、いや、正しくはないのだろう。

 何故なら、彼は1人の少女を安穏な生活から引き摺り出したのだ。

 正義か悪で言えば、きっと悪なのだろうと思う。



 何より彼女は、純だ。

 純粋であり、純朴であり、純真だ。

 今は知的好奇心の赴くままに行動しているが、その根底は素直な少女のそれだ。

 その彼女に、きっと自分は嫌なものを見せることになる。



「ルイナさんも、すみませんね。僕のせいで街道を通れなくて」

「あ、いえ。それは別に……」



 アーサーはお尋ね者だ、島に来た追っ手以外にも気をつけなければならない相手は多い。

 実はこんな森を通らなくとも、近くに整備された街道があるのだ。

 ただそちらは、アーサーの追っ手の立場の人間達に管理されている。

 他にもいろいろな近代的な手段があるのだが、それも使えない始末だ。

 リデルやルイナには、そう言う意味でも苦労を強いていると思う。



(……あれ? 考えれば考えるほど、うつになってくる状況ですよ?)



 自分で言うのもアレだが、ドツボに嵌まっているような気がする。

 とは言って、今さらどうしようも無いのだが……。



「……うん?」

「? どうかしましたか?」

「いえ……」



 不意に首を傾げて、アーサーは周囲をうかがうような素振りを見せた。

 先程まで穏やかだった心地が、不思議とピリピリしてきたような気がしたのだ。

 そしてこれは、追われる者としての経験がそうさせるものだった。 

 つまり、この空気の感覚は――――……。



  ◆  ◆  ◆



 空が違う。

 地面が違う。

 肌に触れる何もかもが違う。



 あの空を飛ぶ鳥は何だろう、島で見た渡り鳥とは違う。

 あの木に生えている果実は何だろう、島に自生していたものとは違う。

 あの茂みの陰に隠れている動物は何だろう、島にいたどの動物とも違う。


 

「ねぇ、アーサー。あれは何?」



 問いかけて、答えが無いことに気付く。

 振り向いてみれば姿が見えなくて、リデルはそれに少しの不満を覚えた。

 でもすぐに気を取り直して、リデルはあたりのものを見渡し始めた。

 きょろきょろと窺うようにするその様は、見るからに好奇心に満ちた子供だった。



 ちなみに、彼女は今アーサーの外套を纏っていた。

 頭からすっぽりと被り、髪と顔……つまり瞳を隠している。

 アーサーの指示でそうしている、何でもソフィア人だと知られるといろいろと面倒なのだそうだ。

 だが、彼女はあまり気にしていない様子だ。



(……思い出すわね)



 そういえば、と思い出す。

 幼い頃、つまりはまだ父が生きていた頃の話だ。

 思えばあの頃も、自分は父に何でもかんでも聞いていたように思う。

 パパ、ねぇパパ、と、父の後ろをついて回っていたように思う。



(あれ、すると私って、すっごく子供っぽかった?)



 そんなことを思うが、しかしすぐに引っ込む。

 だって、そんなことを気にしていられなくなるのだから。



「外には、本当に私の知らないことがたくさんあるのね」



 ねぇ、と肩に乗っているリスの毛皮に頬を擦り付ける。

 実際、何もかも知らないことばかりだ。

 この3日間は歩き通しだったが、ちっとも疲れを感じなかった。

 いいや、疲れている暇など無いとすら思った。



 そして、心の中でほんのちょっぴり、思う。

 どうして自分の父は、こんなにも楽しいものに溢れた外のことを黙っていたのだろう?

 ひょっとして、ただの意地悪だったのだろうか。

 そんな考えすら浮かぶ程に、リデルは浮かれていた。



「ぴぃ――――っ!」



 そんな時だった、空を飛んでいたリデルの鳥が甲高い鳴き声を上げた。

 島の時と変わらないそれは、警戒音だった。

 それにはっとして足を止める、するとにわかに周囲が騒がしくなるのを感じた。

 音としてでは無く、空気として感じ取ったのだ。



「え……」



 瞬きの間の出来事だった。

 いつの間にそこにいたのか、あるいは見逃す程に気分が高揚していたのか。

 とにかく、リデルはそうなるまで気付くことが出来なかった。

 気付いた時には、リデルは無数の「人間」に取り囲まれていた。



  ◆  ◆  ◆



 最初に感じたのは、異臭だった。

 形容し難いが、鼻につくような酸っぱい臭いだ。

 そしてその匂いの発生源は、今、茂みや木の陰から現れた人間「達」だと言う事にもすぐに気付いた。



「な、何よ……アンタ達」



 怯えを隠そうとして失敗したような声で、リデルは言った。

 口元を手で覆っているのは、島でも嗅いだことの無い臭いを少しでも軽くするためだろう。



「……」

「…………」

「………………」



 そして、目で見てリデルはさらに一歩を引いた。

 何故ならそこにいた人間達は、その……一言で言って、身なりが綺麗とは言えなかったからだ。

 人数は10人前後、おそらくだが男しかいない。

 誰も彼もが土と汗と垢で汚れた顔をしている上に髭が伸び放題になっているから、人と触れ合った経験の少ないリデルには、その姿は怖いものでしか無かった。



(に、人間? でも、何か怖い……)



 無言なのがまた恐怖心をあおる、茂みや木々の陰からじっとこちらを窺ってくるのも怖かった。

 そして彼らの手には、鈍く輝く刃物が握られていた。

 刃毀はこぼれの酷いボロボロの物だが、間違いなく剣と呼ばれる武器だった。

 と言ってリデルは実物の剣を見たことは無いのから、そこは形状と知識を合わせての予測と言うことになるのだが。



「な、何よ。何とか言いなさいよ!」

「……」

「…………」

「ひっ、こ、この、この……!」



 返事が来ない、それがこんなにも怖いことだなんて思いもしなかった。

 足元がリスで尻尾を膨らませ、肌の上を蛇の皮が忙しなく這っているのを感じる。

 それが辛うじてリデルの理性を保っていたのだが、それも、周囲を取り囲む男の1人が一歩進むと崩れかけてしまう。



「ち……近寄るんじゃないわよ!」



 何とか叫んだが、声は震えていた。

 怖い。

 半身を引いてすぐに逃げられるようにしているが、恐怖心が先に立ってしまって動けるかどうか。

 いや、アーサーやアレクフィナの時に出来たことが今できないとは思わない。

 ただ。



(私が逃げたら、近くにいるアーサー……とルイナも危なくなるかもしれない)



 とは言え逃げない選択肢は無い、父に学んだ軍略で考えても、逃げ以外の選択肢は無かった。

 だから逃げ方を考えなければならなかった、この連中が追いかけて来ないような策を。

 策を、考えなければ――――。




「――――下がれ!!」




 変化は、上から来た。

 どこをどう通ってきたのかはわからないが、頭上から少年が降りて来たのだ。

 ブラウンの髪の少年、それはまさしく。



「アーサー!」



 名を呼ぶと、肩越しに振り向いてきた。

 目元が一瞬笑んだように見えて、リデルは悪態が口を吐いて出るのを抑えなければならなかった。

 道義的にどうこうと言うより、あまりにも格好が悪いと感じたからだった。

 裏返せば、安堵の大きさを示しているとも言える。



「何を求めてのことかは、何となくわかります。でも僕達は、貴方がたが求めるような物は何も持っていませんよ」



 低い声でアーサーが告げる、その背中越しに、幾分か落ち着いた心地で男達を見ることが出来た。

 するとどうだろう、違った部分が見えてきた。

 例えば、身体つき。

 誰も彼もが肉の無い、より言えば痩せぎすな身体をしていて、手先など枯れ枝のようだった。



 目はギラついているのに頬はこけていて、顔色も青白い。

 着ている服もボロ布のようで、持っているものも剣というよりは古ぼけた農具のように見えた。

 棒切れに無理矢理、農具の刃の部分を結んだような粗末な武器だった。



「わかったら去りなさい、去らないなら……」



 静かに言って、アーサーがグローブを嵌めた手を掲げる。

 すると不思議なことに、男達が怯えたような顔をしたのだ。

 そしてその怯えは、グローブの赤い石――魔術の力を持つアリウス鉱石――が鈍く輝いた時、最高潮に達した。



 ひいいい、と、それまで何も言わなかったのに、悲鳴を上げて、蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出してしまったのだ。

 中には持っていた武器を取り落とす程に慌てる輩もいて、リデルは呆然とした気持ちになった。

 いったい、彼らは何に怯えたのだろう。



「あ……ねぇ」



 だからいつものように、アーサーに聞こうとした。

 だが、その時は。



「大丈夫でしたか、リデルさん」

「……!」



 振り向いての、気遣いの言葉。

 だがリデルは、それに対して何の返事も返すことが出来なかった。

 何故ならば、アーサーの顔はどこか哀しそうで。

 ――――泣いているように、見えてしまったから。



  ◆  ◆  ◆



 もちろん、アーサーは男達が逃げ出した理由を良く知っていた。

 情け無い程に、良く知っていた。



「大丈夫でしょうか」

「……そうですね」



 男達を退けた後、言葉少なに3人は歩き始めた。

 危機にあったリデルと、リデルの危機を救ったアーサーと、そして隠れていたルイナ。

 アーサーは特にリデルを声をかけなかったが、リデルも彼に声をかけることは無かった。

 理由は、良くわからない。



 だが、何かしらのショックを受けたのは確かだろう。

 現にリデルの後ろ姿がやや小さくなっている気がするし、歩速もゆっくりになったような気がする。

 それに、アーサーは後味の良くない罪悪感のようなものを感じた。



「……大丈夫ですか?」

「僕ですか? 僕はもちろん、怪我一つしていませんから」

「はぁ……」



 いけない、逆に心配させてしまっただろうか。

 だからアーサーは笑った、何でもないことを示すために。

 ただ、ルイナの表情を見るにあまり成功したとは言えないらしかった。

 まぁ、そこからさらに追及してこないあたり、ルイナもアーサーとの付き合い方に慣れてきたのかもしれない。



「それで、いったい何をしたんですか?」

「え? あ、ああ、別に大したことはしていませんよ」



 どうやらルイナも気にはなるらしい、あるいは話題を転換したかったのかもしれない。

 アーサーは左手を掲げると、グローブに嵌め込まれた石を示して見せた。



「彼らは農民崩れの賊ですよ」

「……賊」



 ああ、説明の仕方を間違えた。

 アーサーは再び自分の失敗を罵った。

 ルイナの漁村がそもそもどうして滅びたのか、その理由を思い出したからだった。

 自分はどうしてこう、と自分を責めざるを得ない。



 農民崩れの賊。

 別に珍しいことでは無い、重税に喘いだ末に田畑を捨て、賊に成り下がる農民は多い。

 特にここ十年、アーサーの故国が滅びてからは増加している。

 つまり賊になるのは多くがフィリア人であり、先刻の彼らもその例に漏れない。

 ……だから、アーサーの持つ石の光に怯えたのだ。



(赤い石の輝きは、フィリア人にとって恐怖の象徴)



 アリウス鉱石の赤い輝きは、ソフィア人のみが扱うことが許されるものだ。

 ソフィア人、魔術、魔術師、大公国。

 戦争で、支配で、そして過去数十年……いや数百年に渡る歴史の中で。

 フィリア人の心の中には、ソフィア人と魔術への恐怖心が植えつけられているのだ。

 見ただけで、逃げ出してしまう程に。



 それが、アーサーには情けなく思えるのだった。

 そしてそれと同じくらい、申し訳ない気持ちにもなるのだ。

 だって、彼には「責任」の一端があるのだから。



「――――ねぇ!」



 その時だ、アーサーを思考の海から引っ張り上げる声が響いた。

 リデルである。

 気が付くと、リデルが目の前にいたのだ。

 ショックを受けて落ち込んでいると思った彼女は、キラキラと目を輝かせていた。



「来て!」

「は? え?」

「良いから、来てよ!」



 手を掴まれて――お願いだから、首元から聞こえる蛇の威嚇音を止めてほしいのだが――アーサーは駆け出した。

 その後に、ルイナも慌ててついていく。

 何事だろうと首を傾げていたのも、ほんの少しの間だ。



 森の出口が、すぐ側にあったのだ。

 話し込んでいて気付かなかった、もうついていたのか。

 3日かけて歩き抜けた森は、それだけで島よりもずっと広く大きい。

 木々がまばらになり、そして完全になくなったそこは、小さな丘の上だった。



「うわぁ……」



 声を漏らしたのは、誰だったろうか。

 それ程に美しい光景が、目の前に広がっていたのだ。

 抜けるような青い空の下、なだらかに続く丘陵に、薄い緑と茶色い地面が広がる田畑と畦道。

 まるで絵にして切り取ったかのような、そんな光景に目を奪われた。



 そして何よりも、アーサーはリデルに目を奪われた。

 新しい何かを見つけて、輝くような笑顔を見せるリデルに目を奪われていた。

 彼女の笑顔に、先程まで悩んでいたことが馬鹿らしくなるくらいに。

 ああ、綺麗だな……と、そう思えたのだ。



「……あ! 見えましたよ、あれです! あの村です!」



 そしてリデルに負けないくらいの輝く笑顔で、ルイナが言った。

 丘をいくつか越えた先に、うっすらと木造の家屋が見える。

 全体を取り囲むように掘られた堀や塀も見える、あれは確実に人の住んでいる村だ。

 明らかに、ルイナのいた漁村よりも大きい。



「これも、『聖女フィリアのお導き』ですね!」

「……普通に歩いて来ただけじゃない」



 ぽつりと呟いたのはリデルだった、会話では無いにしても、少しは慣れたのかもしれない。

 ただ、今回は選んだ言葉が不味かったらしい。



「リデル、良いですか。聖女フィリアに祈りを捧げることは、フィリア人の子供ならまず最初に習うことで……」

「ちょ、近い。近いから……」



 そんな少女達の様子に、アーサーは笑った。

 声を立てて笑う彼に、1人は安堵したように微笑み、もう1人は恨めしそうな視線を向けた。

 そうして、3人の旅は4日目に入った。

 いくつかの不安要素はあるものの、彼らの旅は順調だった。



 ――――この時、までは。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

改めまして、新年あけましておめでとうございます。

今年も頑張って定期更新していきますので、どうぞ宜しくお願い致します。


今年も、多くの人と交流できればなと考えています。

それでは、失礼致します。

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