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11-1:「1年後の世界」

 フィリア人の生活は、貧しい。

 長年に渡る紛争で多くの農地が荒れ、ソフィア人の搾取により人も物も失ってしまったからだ。

 この貧しさは、ほんの数ヶ月間平和になったからと言ってすぐに回復する類のものでは無かった。



「頭ぁ、もう少しで山を抜けますぜ!」

「ガハハハッ、山向こうの村は今年は豊作だって言うからな!」

「女もいますかねぇ!」

「ガハハハッ、突っ込めりゃあ何でも一緒だぁな!」



 例えば、とある山道をぞろぞろと歩くこの集団。

 身体つきは屈強だが、継ぎ接ぎだらけの衣服と泥に塗れた肌のせいか見てくれは悪い。

 しかも手には折れた刃物や無骨な木の棒等を持っていて、そんな人間が50人近く連れ立って歩いていれば、嫌でも目を引く。

 それも、良い意味合いでの目の引き方では無い。



 彼らは、この山をねぐらにする山賊である。

 山の周辺の村々を襲っては略奪を働き、日々の生計を立てている。

 彼らが他の山賊と違う所は、近隣の村を略奪し尽くさずに置く所だ。

 ギリギリの所で残しておけば村人は逃げないし、少し待てば奪る物も回復する、頭の良いやり方だった。



「ガハハハハッ。よーし、今日は酒だ! 酒と女ぁやるぞ!」



 ただ一方で、やはり浅はかだ。

 普通のフィリア人の賊徒は一所にいることは無い。

 これは身の休まる場所が無いと言うデメリットを生むが、一方で居場所を特定されないと言うメリットを持つ。

 この山賊達はその逆だ、つまり……。



「あ?」



 先頭を歩く山賊の1人が、転がり落ちて来た小石に目をやった。

 山賊達が進む山道は緩やかな坂になっていて、左が高く右が低い。

 だから、小石は左の斜面から落ちて来たことになる。

 1つなら気にもしなかったろうが、2つ3つと続けばそうも行かない。

 当然、左の斜面を見上げることになる。



「あん……?」



 一瞬、正午近くの太陽の光に視界を奪われる。

 額の上に手を当てて視界を確保すると、うっすらとだが斜面の上が見えた。

 斜面の上、段差とも言うべき所に、何か黒い影が蠢いているのが見えた。

 それが人影だと気付いた時、もっと言えば「馬に乗った人間」だと気付いた時、彼はあっと声を上げた。



「突撃ぃ――――ッ!!」



 薄い金属製の鎧(プレートメイル)を纏った老人ラウドを先頭に、農耕馬主体の騎馬隊が斜面を駆け下りてきた。

 地面が揺れているような錯覚を覚えた時には、馬の巨体が目の前にある。

 枯れた木々の間を縫うように駆け下りてきたそれは、ハンマーのように山賊達を横撃した。

 何人かは馬の突撃にぶち当たって、比喩でなく吹き飛んだ。



「フィリアリーンの警備隊だぁ!」

「何でこんな所に!?」



 下がろうにも、後ろは斜面である。

 下がった者は斜面を転げ落ち、下がらなかった者は馬の蹄に踏みつけられた。

 そんな中で上がった言葉が、馬に乗った人間達の所属を教えてくれた。



「ガ、ガハ? な、なんだぁこいつ……ガベッ!?」

「ちぇええすとおおおぉっ!!」



 騎馬が、山賊達の間を突き抜ける。

 彼らが手に持つ槍の穂先は血に塗れており、中には抉り取った肉片がこびり付いている物もあった。

 例えば老騎兵ラウドの突撃槍は山賊の頭の腹部を抉ったため、臓物の一部がゆらゆらと揺れていた。

 頭を失った山賊達は、抵抗する素振りも見せずに潰走していく。



「ラウド隊はそのまま前進! 山賊達を麓の部隊の前まで追い落として!」



 ラウド達は、この山賊達を討伐するために派遣されてきた「兵」である。

 馬の足を使って各地を巡り、未だ減る兆の無い農民・漁民崩れの賊徒を討伐して回っている。

 その甲斐あってか、ここ最近彼らの名も知られるようになっていた。

 曰く彼らは「フィリアリーンの警備隊」、曰く……。



「山道の出口を塞いだ両翼はそのまま、逃げてくる敵を捕捉して。捕まえるのは、あくまで武器を捨てて投降する人間だけよ! ――――最後まで、油断しないで行きましょう!」

「「「了解!」」」



 曰く、その部隊には1人の軍師がいる。

 曰く。

 その軍師は、10代半ばの少女である――――と。



  ◆  ◆  ◆



 魔術協会の公王幽閉事件から、1年が経過していた。

 クルジュ自治勢力の調停により成立した大公国・連合の歴史的な講和が成立――両国の元首の強い意向による――してから、10ヶ月。

 この間リデルは、春夏秋冬・昼夜を問わず多忙を極めていた。



「あー、今日も良く移動したわねー」

「ここ2ヶ月ほどで、フィリアリーンを一周した感じだな」



 整備された街道をフィリア人の集団が堂々と進める、これは1年前には無かったことだ。

 しかもその集団は全員が馬に乗っていて、農耕馬主体のため速度はそれ程では無いが、それまでのフィリア人の状況を思えば画期的なことだった。

 100頭近くの馬を養える牧場を持っている、と言う意味を持つからだ。



 馬を集めれば良いというものでは無く、牧場を囲む柵と訓練のための広い草原、飼い葉の調達から健康管理まで行わなければならない。

 つまり人手が要る上、管理運用をする人材が必要になる。

 今の彼女達、フィリアリーンにはそれだけの能力があると言う証左だった。



「まぁ、でもそのおかげでフィリアリーンも大分落ち着いたじゃない」

「あれだけ派手に動き回れば、それはな」



 リデルを乗せて走る白馬の隣を併走するのは、葦毛の馬に乗ったエテルだ。

 彼は今、諜報員として各地の賊徒の情報を集め、同時にフィリアリーンの警備隊の噂を広めている。

 有体に言えば、威圧と抑止のためである。

 派手な活動をする賊徒は今回のように討伐し、警備隊を恐れて隠れるようなら自然と消滅していくだろう。



「元が豊かな土地よ。治安さえ安定すれば、それだけで発展のスピードは上がるわ」



 その1番大きな例を、リデルは良く知っている。

 抜けるような蒼い空。

 空から甲高い鳴き声が聞こえて、腕を横に伸ばす。

 リデルは馬に乗る時に手綱を操らない、馬の方が乗り手を御してくれるからだ。



 空から降りて来たのは、翼長1メートル程の鳥だった。

 あの島の小鳥の成長した姿である。

 気候のせいか、羽根はより暗い色合いの物に生え変わっていた。

 そして、警備隊の馬が丘を越える。



「ああ、随分と良い感じじゃない」



 目の前に広がった光景に、リデルは笑顔を見せた。

 エテルを含め、他の仲間達も感慨深そうな表情を浮かべている。

 彼女達の目の前には、遥か彼方まで流れる悠久の河川と、時計塔のある石の街、それから黄金色の穂を風に揺らす麦畑が広がっていた。



 2大国が覇を競う時は終わり、時代は3つの勢力が手を携える時代。

 三国鼎立(ていりつ)の時代。

 この1年余り、アナテマ大陸に大戦は無く、世界は平和であった。



  ◆  ◆  ◆



 麦畑の側を駆け抜ければ、すぐに旧市街の市壁だ。

 そこで馬を止めて、足を揃えるようにして飛び降りた。

 足首まで覆う翡翠の色の長衣――腰のあたりまで切れ目(スリット)が入っていて、運動の邪魔にならない――がひらりと揺れて、白のインナーパンツが垣間見えた。



「何だ、帰って来たのか」

「マリア、変わり無いかしら?」

「そうだね、特に変わりは無いよ。皆、頑張ってくれてるからね」



 すっかり農夫姿が板についたマリアが、麦穂の中から顔を出す。

 エテル達は馬を牧場を戻しに行っていて、市壁まで来たのはリデルだけだ。

 リデルを乗せていた馬は、手綱を引いて市中のうまやまで連れて行く。

 もしもの時の早馬用に、市中にも馬を留めておく場所をいくつか作ってあるのだ。



 改めて見渡すと、畑が随分と広くなっていることに気付く。

 開墾が進み、1年前の5倍近くの広さになり、旧市街の人間だけで無く周辺の流民・飢民の一部を集めて農作業をさせられるまでになった。

 個人の農地と言うわけでは無いので、ひとまず集団農場と名付けてみた。



「うん? 少し見ない間にまた背が伸びたか?」

「そうなの? 自分じゃ良くわからないけど」



 ひらひらと手を水平に振るマリアに、首を傾げて見せる。

 実際、1年前に比べると背が高く、そして身はすらりと引き締まったように見える。

 華奢なようで肌の下にはしっかりとした弾力の筋肉があり、健康に育っている様子が窺えた。

 どちらかと言うと、スレンダーな方だろう。



「まー、どんな時でもご飯だけはしっかり食べてたからね」

「そりゃ良いことだ。……本当に」

「でしょ?」



 ご飯をしっかりと食べること。

 それは、旧市街――フィリア人にとっては、とても大事なことだ。

 当たり前に、大事なことだった。

 特にリデルはフィリアリーン中を駆け回る生活を送っているので、マリアも心配していたのかもしれない。



「皆はどう? 収穫、上手く行ってる?」

「ああ。来週までには麦を刈って、次は冬にも育つ作物を植える。1人1人に配給できる量はまだまだ少ないけど、何とかやっていけると思うよ」

「そう、良かったわ」

「お前が、大公国や連合から種と農具を持ってきてくれたおかげだよ」

「違うわ。アンタがさっき言ってたじゃない、皆が頑張ったからでしょ。交換に使った石油だって、皆で掘り出したんだから」



 1年前には想像も出来なかった世界が、そこに広がっている。

 油の匂いがキツいが活気に溢れた市街、郊外に広がる黄金の麦穂は風に揺れて。

 皆が穏やかに生きられる、そんな世界。

 リデルの言葉を借りるなら、皆の頑張りで作られた世界で……。



「あれー?」



 その時だ、年若い女性の声が聞こえた。

 油壺を乗せた手押し車の列が畦道あぜみちを進むのが見えて、その中の1人が声をかけてきたのだ。

 手押し車には石油の壷が5つか6つ程乗せられていて、他の皆がそれを3人がかりで押している中、その女性は1人で、しかも片手で軽々と持ち上げていた――押しているわけでは無く、本当に持ち上げている。



「リデル? どうして旧市街こっちに来てるの?」



 ルイナだった。

 彼女は持ち前の――生来のものでは無いが――力を生かして、旧市街でも力仕事を任されることが多かった。

 口元に巻いていたスカーフを外して、驚いた顔をこちらに向けてきている。

 どうしてそんな顔をされるのかわからなくて、リデルは首を傾げた。



「アーサー達、もう新市街に行っちゃったよ?」

「新市街?」



 言わずと知れたソフィア人居住区のことであるが、それがどうしたと言うのだろう。

 しばらく眉を潜めて考え込んでいたが、ふと何か思いついたような顔になって。



「あ――っ!!」



 「あれ」って今日だったっけ!? そーだよー! と騒ぎ始める2人を他所に、マリアは他の手押し車の集団に先に行くよう指示を出していた。

 意外と、しれっとしている所がある女性なのだった。

 ちなみに正確には「あれ」は明日なのだが、マリアがそれを指摘することは特に無かった。



  ◆  ◆  ◆



「ああ、間に合ったんですか。良かったです」

「…………」

「あれ? リデルさ……あ痛っ!?」



 しれっとした顔で振り向いた青年の足を、踵で踏んだ。

 かなり痛かったのだろう、足を抱えるようにして飛び跳ねていた。



「何で連絡してくれないのよ!?」

「いや、まさか日付を忘れてるなんて思わないじゃないですか」

「この子に手紙持たせてくれれば良いでしょ!?」

「いや、その発想はちょっと無かったです」



 窓の外には、薄いカーテン越しにクルジュ新市街の清潔な街並みが見えている。

 ここは旧総督公邸、昨年リデルが総督と会った場所だ。

 現在では大公国のクルジュ総領事公邸と名を変えていて、法的には大公国の領土として扱われている。

 ただ、他の新市街についてはフィリア人にも解放されている。



 とは言っても、だからと言ってフィリア人が新市街に流入してくることは無かった。

 何しろまだ1年しか経っていない。

 フィリア人もソフィア人も、お互いを受け入れるにはまだ時間が足りなかった。

 だからこの新市街は、今も事実上の「ソフィア人地区」として機能している。



「大体マリアも意地悪だわ。「今日も明日も同じだろ」って、同じなわけ無いじゃない!」

「いや、それは僕に言われても」

「港で会ったアレクフィナなんて、お腹抱えて笑ってたのよ? この屈辱がアンタにわかる!?」

「どーどー、リデルさん。はい、どーどー」

「私は馬じゃないわよ!」

「ある意味で馬より激し……あ、痛い! 本当に痛いですよ!?」



 そして今リデルが踏んで――もとい、会っているのは、アーサーである。

 彼もこの1年で少しの成長を経たのだろう、少し背が伸びている。

 年齢的にはそろそろ成長期を終えるだろうから、これ以上は伸びないだろうか。

 線の細さは変わらないが、それでもリデルよりも伸びが著しく、2人の身長差はむしろ広がったかもしれない。



「まったく、冗談じゃないわ」



 プリプリしながら椅子に座る様子に、アーサーは苦笑を浮かべる。

 怒るのは楽しみにしていたから、心待ちにしていたことの裏返しだ。

 第一、すでに1年以上の付き合いだ。

 こう言う時のリデルの心情は、彼が誰よりも理解しているだろう。



「良かったですね、間に合って」

「……ふん」



 テーブルクロスの上に肘を置いて、窓の外を眺めるリデル。

 ふてくされた様子で視線を逸らす彼女に、アーサーはまた苦笑した。

 この2人の関係は、今も変わることが無い。

 ――――ルイナに言わせると、「進展が無い」とのことである。



  ◆  ◆  ◆



 日が変わって翌日、冬を目前に控えたその日。

 その日はアナテマ大陸の歴史に、新しい史実が書き加えられることになった。



「来たぞ!」

「ああ、あれがそうなのか!」

「じゃあ、あの白い馬車に乗ってるのが……」



 その日、公都トリウィアでは奇妙な光景を見ることが出来た。

 公都を貫き王宮に繋がる大通り、普段は様々な店が建ち並ぶそこは、今日に限っては全ての鉄馬車クルマや露天が全て引き払われていた。

 リデルとベルが乗った乗り合い馬車(バス)も、今日はその姿を見ることは無い。



 代わって、幅70メートルにも及ぶ大通りの両端に無数の人々が立っていた。

 多くはソフィア人で、彼らは好奇と恐怖、侮蔑と興味の色を浮かべている。

 幾百幾千の視線の先には、行列がある。

 いや腕を振り足を上げ、音楽と共に進む様は行進パレードと言った方が正しいだろう。



「あれが、聖都の教皇か……!」



 聖都の教皇とは、アナテマ大陸東方の宗教連合の頂点に立つ少女のことだ。

 就任以来、聖都の御座から動いたことが無い彼女は今日、聖都より遥か彼方の公都トリウィアにいた。

 白銀の煌びやかな鎧に身を包んだ500の兵士――公都の外にさらに2000人――の半ば程にいる、7頭立ての白い馬車に乗った少女が、それだ。



 真紅の生地に金糸の装飾のワンピース、その上に靴を隠す程の丈長の白い法衣を纏っている。

 動きにくそうな程に生地を重ねているその衣装は、宝石や装飾の多さから儀礼用の物とわかる。

 一番目立つのは、幅広の縁取りの布地のついたとんがり帽子だろう。

 帽子から垂れた布地は、脹脛に達する程に長い。

 見た目には幼さの残る少女だが、どこか透き通った雰囲気を感じる。



「おい! 手を振ってるぞ!」

「こっち見た!」

「おいお前、振り替えしてやれよ!」

「やだよ、何で俺が! フィリア人なんかに」



 教皇が柔らかな微笑と共に手を振ると、わああぁ、と群集から声が上がる。

 歓声? いや、まだそこまでは行かないか。

 しかし、拒絶と言うにはまだ温もりがあるような気もする。

 けれどいつかはと、教皇は手を振り続ける。



<聖都の教皇、公都を訪問する>



 間違いなく、歴史書に載るであろうその一事。

 それが今日、目の前で起こっている。

 連合との戦で肉親を失った家族も少なからずいる中で、その宿敵の煌びやかな行進を――もちろん、連合の側でも同じ立場の者がいるわけだが――一目見ようと街頭に出てきているのは、そうした歴史的な出来事に小さくない関心を抱いているからだろう。



 そして、それだけでは無い。

 大公国には無い東方の淑やかな音楽が奏でられる中で進む公都での<教皇の行進>。

 先にも言ったが、これだけでも歴史的な出来事だ。

 だが今日はこれに加えて、もう一つ、歴史的な出来事が行われるのだ。

 それこそが――――。



  ◆  ◆  ◆



 ――――三国首脳会談、である。

 大公国、連合、そしてフィリアリーン・ミノスの同盟の3者の元首が一堂に会して会談する。

 アナテマ大陸史上初のことで、会うだけで歴史書に載ると言う重大なイベントだった。



「まぁ、やってることは大したことじゃ無いんだけどね」

「そう思うのは、お前だけだと思うがな」

「違いないですね」



 王宮内の庭園に水を張り、その中央に築かれた円形のホール。

 360度をぐるりと白い装飾が施された飾りガラスで覆い、水中から湖面の植物までを彩る<アリウスの石>縁の灯りがあって、とても神秘的な光景を広げていた。

 またホールの天井には七段重ねの宝石のシャンデリアがあるのだが、その背後、つまり天井には実物と見紛うばかりの夜空が描かれている。



 真っ赤なカーペットが敷き詰められた床の上では、何組かの男女がくるくるとダンスを踊っている。

 実際、ホールには繊細な楽団の音楽が響いている。

 また一隅にはいくつかのテーブルがあって、その上には銀盆に乗せられた料理の数々が置かれている。

 料理はあらかじめ小皿に分けられており、一口で食べられるように配慮されていた。



「ただ食べて踊ってお喋りしてるだけじゃないのよ」

「上流階級ではそれが重要なんだ。ちょっとした会話の中から、相手の腹を探る」



 当然、リデルもその片隅にいる。

 踊り(ダンス)など頭を掠めたことも無いが、こうしたパーティーの場が初めてでは無い。

 奇しくも同じ公都で、ベルフラウに引っ張られて参加した経験が活きている。

 だから、やたらヒラヒラした翡翠色のドレス――国も色と言うものがある。大公国は黒、連合は白、そしてフィリアリーンは緑――も、我慢して着ている。



「と言うか、アンタん所の国。よくまぁ教皇を公都に出す気になったわよね。仲介した私が言うのもなんだけど」

「もちろん、反対の声は強かったが……最後は聖下がご自分の意思を通された。最初に相手が和平の意思を示したのだから、今度はこちらの番だと仰せられてな」



 その教皇は今、食事のあるテーブルの側でベルフラウと歓談している。

 2人の間にはアーサーが立っていて、3人の「王」以外にあのテーブルに近付く者はいない。

 さぞや深遠な会話をしているのだろうと思うだろうが、ベルフラウの様子を見るにどうも違う様子だ。

 あれはおそらく、色恋の話をしているのでは無いかと思われる。



 ちなみにミノスの王はここにはいない。

 彼は外交に関しては関心が無く――もちろん、自分達の領域に干渉されれば別だが――大体のことをアーサー、つまりフィリアリーンに任せている。

 まぁ、自らを「代王」と称しているあたり、昨年の決闘の結果に従っているつもりなのかもしれない。



「今回の会合の成立に尽力頂いたお2人には、本当に感謝しています。この成果は、我が陛下の治世における宝となることでしょう」

「別に改まらなくたって良いわよ。元々はうちが言い出したことなんだし」

「私に至っては、政治的な権限は持っていないしな」



 そしてリデルはアーサー達3人の様子を見守りつつ、他の2人の王の側近と話していた。

 フロイラインとラタである。

 2人はリデルよりも大人だからか、目に見えて変化が見てとれるわけでは無い。

 あえて言うなら、フロイラインは髪が短くなって、ラタは少し痩せた。



「まぁ、今後とも仲良くやっていけると良いわね」

「あえて敵になるようなつもりは無い。だがお前と決着をつけると言うのも、悪くは無いがな」

「私は嫌よ、面倒くさい」

「ははは。まぁ、平和がこのまま続けば、おのずと友好も深まるでしょう」



 この2人とも、1年前にはこんな場で話すようになるとは思わなかった。

 互いにいろいろなことがあったが、今では気兼ねなく話せる仲になった。

 これは1つの財産なのだろうと、最近のリデルは思っている。

 何しろ島にいた頃は自分がこんな場所に立つことなど、それこそ想像も出来なかったのだから。

 窓の外に見える夜空は、きっと何も変わっていないのに。



「夜が深くなってきたわねぇ」

「冬が近いからな」



 とにかくも、三国の関係は良好だ。

 リデルという共通の仲介者の存在もだが、何より大公国と連合の君主が和平を望んでいるのが大きい。

 問題はゼロで無い、アーサーや教皇をソフィア人が諸手を挙げて歓迎したわけでは無いし、フィリア人への差別が消えて無くなったわけでも無いのだ。

 だが、先代公王の時代のようにピリピリとした関係でも無い。



 このまま時間をかければ、君主だけで無く人々の間でもこの関係が当たり前のものとなるだろう。

 もちろん、リデルの念頭には「来るべき日」がある。

 いつか来るその日までに全てを間に合わせる。

 焦りが無いわけでは無いが、急いでどうにかなるものでも無い。

 だから今は、この三国の融和的な関係を大事にしたかった。



「……それにしても」



 きょろきょろと、あたりを見渡す。

 ラタがいるため、言葉には出来ない。

 だがそこにいてもおかしくない――と言うより、いるべき――顔が、1つ見えない。

 それが妙に不気味に思えて、一抹の不安を感じるのだった。



  ◆  ◆  ◆



「シュトリア卿は、聖都に留まっているそうですね」



 ホールの外、水面を見渡せるテラスにイレアナはいた。

 協会の礼装を纏った黒衣の女は、白亜の石造りの手すりに手をかけて立っていた。

 手すりの上にはガラスのグラスがあって、中には薄く赤い液体が揺れていた。

 グラスの縁を指先で弄びながら、彼女は傍のキアと言葉を交わしていた。



「今、ファルグリンは難しい立場に立たされています」

「と、言うと?」

「貴女も知っての通り、ファルグリンは連合がアナテマ大陸の覇権を握ることを望んでいます」



 ファルグリンは元々、<東の軍師>――つまりリデルの父親、大公国の第七公子アクシスこそが、世界の覇者になるべきだと考えていた人間だ。

 つまり彼女の意思はあくまで連合による大陸制覇にある、フィリア人の中では最右翼と言って良い。

 1年前には、路線統一のために連合内部で大規模な粛清があった程だ。



 だがここに来て、以前は政への関与を控えていた教皇が自分の意思を表明するようになってきた。

 その意思は和平、つまり大公国やフィリアリーンなど他国との融和と協調にある。

 今回の公都訪問は、その最たるものと言って良いだろう。

 そしてその場にファルグリンが同行していないと言うこと自体、教皇とファルグリンの関係悪化を物語っている。



「そうなれば、我々が懸念すべきはむしろ国内より連合の事情でしょう」

「つまり、シュトリア卿によるクーデターがあり得ると?」

「とは言えリスクは高い。今の教皇よりも民に愛され、かつファルグリンの傀儡となる。そんな新しい教皇候補でもいるなら別ですが……何です?」

「いえ、随分と真剣に考えているのだな、と思いまして」



 どこか嬉しそうに笑うキアは、相も変わらず車椅子に乗っている。

 <大魔女>亡き今、実質的に協会を取り仕切るイレアナのサポート役だ。

 その彼女がそんなことを言うのは、<大魔女>がいなくなった後のイレアナのことを知っているからだ。

 <大魔女>のために協会を司って来たイレアナ、母とも言うべき<大魔女>の不在は、想像以上に彼女を無気力にさせた。



 淡々と、と言う表現が正しかったろう。

 特に何を思うでも無く、ただ目の前にある仕事を右から左へとこなしていくだけ。

 以前からそう言う部分はあったが、無感動な分、その傾向はさらに強まった。

 だが今、まがりなりにも協会のトップとして精力的に働いているのは、少なからず2人の少女が影響を与えたからだろう。



『ねぇ~、お願い! 力を貸して! 私、政とか何もわからないの!』

『アンタにしか出来ないのよ! この子に任せてたら<大魔女>が作ったこの国も滅茶苦茶になっちゃうわよ!』

『ねぇ、そもそも税金って何? お小遣いはお父様がくれるものじゃないの?』

『ほら見なさい! もう絶望しか無いわよこの国!』



 思い出すと、クスクスと笑ってしまう。

 イレアナはどこか憮然とした様子で、そんなキアの笑い声を聞いている。

 もしかしたなら、単純に面倒見が良いだけなのかもしれない。

 例えば今日の三国首脳会談、イレアナの長距離移動魔術が無ければ成立し得なかったろう。



「……それにしても」



 奇しくもリデルと同じ言葉を意図せず使い、グラスに触れていた手指を止めた。

 眼鏡の奥の切れ長の瞳は、物憂げに水面の月を見つめていた。

 ゆらゆら揺れるそれは、どこか人の心を表しているかのようだ。



「本当に、<侵略者>は来るのでしょうか」



 その言葉に、キアも笑みを消した。

 <侵略者>、大衆の知らない、三国を結びつける大きな要素だ。

 リデルはその「世界の脅威」の存在を喧伝することで、三国の首脳を結びつけたと言っても良い。

 そしてイレアナも、<大魔女>の遺言とも言うべき情報を疑うつもりは無い。



「この1年、北への警戒は怠っていません」



 ぼちゃん、と、グラスが水面に落ちた。

 赤く濁る水に、水面の月が汚されていく。



「しかし今の所、大山脈は変わらぬ姿を保ったままです」



 そもそも、<侵略者>がやって来たのは300年も昔だ。

 300年、国の3つや4つが興亡していてもおかしくない時間だ。

 もしかして、<大魔女>が恐れた<侵略者>はもうこの世にいないのでは無いか?

 自分達がアナテマ大陸に300年間閉じこもっていた間に、滅び去ってしまったのでは?



 1年では、まだ様子見だろう。

 だが2年経ち3年経ち、5年も経過すれば、警戒も薄れやがて忘れる。

 そうなれば、今は抑えられている互いへの敵愾心が鎌首をもたげてくるようになる。

 その頃までに三国の協調体制が揺るぎ無いものになっていれば良いが、そうでなければ――。



「その時は、ファルグリンが望む世界となるのかもしれませんね」



 リデル。

 ホールの方を見れば、出会った頃とは様変わりしたその姿を見ることが出来るだろう。

 だがあえて、イレアナはそちらを見ない。



「それはつまり、再びの乱世がアナテマ大陸を覆う、と言うことですね」

「その通り。同志キア、忘れてはなりません。我々は友人であった時間よりも、敵として過ごした時間の方が遥かに長いのだと言うことを」

「リデル様には、その意識が無いと?」

「かもしれません。ただその意識があろうと無かろうと、結果は変わらない」



 要は、あの少女が<侵略者>と言う三国共通の敵に頼ることなく世界をまとめることが出来るのかどうか、と言うことだ。

 イレアナはあえて邪魔をしようとも思わないが、逆に積極的に支援しようとも思わない。

 出来れば良し、もし出来なければ。



 ――――しょせん、それまでの器だったと言うことだ。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

そして1年が経った、みたいな話が書きたかったんですが、余り1年後な雰囲気を出せていないような。

次話はちょっと遊んでみたいなぁと思います。

それでは、また次回。


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